今、教育現場では

Posted By 秋山孝二
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 秋は、何故か同窓会の会合が続いています。先日は高校同窓会の総会・懇親会、昨日は中学校同窓会の役員会でした。私はまた、現在ある高校の評議員もやっていますが、年数回校長室で意見交換の機会もあり、今の高校での授業・生活がどんなものかを知る事が出来る貴重な機会となっています。

先日は、羽田空港でばったりその高校の校長とお会いしました。修学旅行で、これから長崎・広島に行かれるとか。昨日の中学校同窓会の会合にいらっしゃった現役の先生からも、修学旅行は長崎に行っていると聞きました。中学生・高校生への平和教育の重要性を現場も強く感じて、長崎では被爆体験の方々の実際のお話を聴く時間等もスケジュールに入れて、大変子供たちにも好評であるとのお話も伺いました。そう言えば少し昔の話になりますが、私の娘の高校修学旅行は沖縄で、ひめゆりの塔他の感想を熱く語っていたのを思い出します。

昨今、教育を巡っては様々な意見がメディアにも出ますが、誰にでも「教育」は語る事が容易なせいか、意見が散らかってしまう場面が多いと思いますね。ある方は学校教育を親の立場から教師の批判、ある方は家庭教育の親の批判です。それぞれの立ち位置が不明確で、言いっ放しの雰囲気も多く、どんな場合でも欲求不満で終わります。ただ、子どもたちは待ったなしで育っていく中、現場の先生方の苦労も多いと想像します。私自身、子どもたちの卒業した地元の小学校・中学校に対して、地域と断絶した今の学校現場、先生方には、大いに不満もあります。地域・まちづくりと学校が一体となっていない、内と外と言った教育現場の閉鎖性を最近特に強く感じています。どうしてそんな「タコつぼ」になってしまったのか、と。

そんな昨今、日本の近い歴史を真摯に掘り起こす修学旅行の話題に、私は少しの光を見出します。日本の未来は、今の私たちを含む社会の現役が、邪魔さえしなければ希望が持てると。邪魔さえしなければというのは、消極的なのではなく、今占有しているポストを若い世代に明け渡す、財政的負債を先送りしない等、それは今私たちがやらなければならない事を、責任を持って世代として実施する事以外にありません。

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