外岡秀俊さんの志

Posted by 秋山孝二
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 メディア・アンビシャス(http://media-am.org/)5月例会で、外岡秀俊(http://1994-4991.at.webry.info/)さんのお話と意見交換を行いました。永年、朝日新聞社(http://www.asahi.com/shimbun/)の中で豊富な経験を積み、昨年4月以降は、一人のジャーナリストとして、ふるさと札幌に拠点を構えての活動に、一層の飛躍を期待したいですね。最初にお願いの電話をした時に、「北海道新聞から朝日新聞に移った青木美希さんから、この会のことは聞いていました」とおっしゃっていて、企業を越えた「北海道つながり」に感謝でした。

 朝日を退職してゆっくり札幌で活動と思っていた矢先の3・11、以前の阪神淡路大震災、中国の四川大震災等の取材経験を踏まえて、今年になって出版した2冊の本(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12747)も大変読み応えのある内容でした。

 経歴: 1953年札幌市に生まれる。1977年東京大学法学部卒業。同年朝日新聞社入社。社会部、外報部、ヨーロッパ総局長、東京本社編集局長、編集委員などを歴任。著書『北帰行』(河出書房新社、1976)、『アメリカの肖像』(朝日新聞社、1994)、『国連新時代』(ちくま新書、1994)、『地震と社会』上下(みすず書房、1998)、『日米同盟半世紀――安保と密約』(共著、朝日新聞社、2001)、『傍観者からの手紙 FROM LONDON 2003-2005』(みすず書房、2005)、『情報のさばき方――新聞記者の実戦ヒント』(朝日新書、2006)、『アジアへ――傍観者からの手紙2』(みすず書房、2010)。

 

 お話の中から幾つか~~~~~~~~~~~~~~~~

<3・11を経て、メディアの課題>

* 20㎞圏内にメディアのいない状態: 残っている住民が居るにもかかわらず・・・・、取材は外国メディアばかり――>非常時に、業界・組合等での「約束ごとに従う」は、本来のジャーナリズムとしてあるべき姿なのだろうか、紛争地にメディアは飛び込んでいくもの

* SPEEDI(文部科学省管轄:http://www.bousai.ne.jp/vis/torikumi/030101.html)発表の大幅遅れ: アメリカ軍には連絡していた現実

* 低線量、内部被曝への言及がほとんどなし: これまでの「専門家」は、「この時、この場」で何をしていたのか

* 「9・11」と「3・11」: どの国でも、ある種の興奮状態: 批判等には「非国民」のレッテル、それ故の躊躇

* アクセス・ジャーナリズム(ファクラー氏の発言より)――役所・企業等の取材源に批判的記事を書けない

 

<支援の在り方> 

* 四川地震の「対口(たいこう)支援:http://www.drs.dpri.kyoto-u.ac.jp/projects/saigaitaioken/shiryo/0910_03_06S.pdf」を参考にしては:  (例) 関西広域連合、国境を越えた知恵の連鎖

 

<今後の問題点>

* 沖縄、水俣、原爆症: 沖縄の基地と原発は同じ「構図」――>全国紙の4支局体制の下、地方の出来事はどうしても「ローカル扱い」となる、東京での扱いが全て小さい

* 事故原因の解明と責任追及

* 健康被害の長期化

* 災害時のメディア連携――> 会社単位での限界

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 ふだん、メディアを語る場合、掲載された記事・放映された番組の批評等が話題になりますが、今回ではそれ以前の、そこに人々が生きている、倒れているにもかかわらず、その事実を伝える使命よりも、「きまり」、「常識」を打ち破ることなく退避した日本のマスメディアへの外岡さんの言及が印象的でした。「メディア空白の世界」の恐ろしさ、今一度、原点を思い出しました、以前、この会で、独裁政治・恐怖政治は、まずメディアの奪取から始まるとも、どなたかの発言がありました。

 外岡さんが、なぜ大震災等を追いかけ続けるのかを聞いたところ、ワシントン勤務時代の戦争報道を、途中で帰国したことがトラウマのようになっていて、その後の阪神淡路大震災では、1年以上現地に入り取材をし続けたとか。被害の実態、被害者のその後等、多角的な寄り添う視座で、持ち前の優れた表現力を駆使して、ジャーナリストの存在感を示していますね。

 「朝日という大企業を辞めて、今回、一人の人間として現地を取材して、その違いは感じませんでしたか?」と、やや意地悪な質問もしました。彼は、「現地で、自分の書いた『アエラ』の記事を持参しながら、個人の名刺を渡して取材をしましたが、被害にあった方々は、誰ひとり差し出した名刺を見ることなく語り始めたのです。そんな体験の中で、取材という活動には、企業とか個人とかはほとんど関係ない、そう思いました」と。勿論、その取材を支えるロジスティクスでは大きな差があるのでしょうが、「取材」そのものについては、まさにジャーナリストとしての「誠実さ」、「寄り添う眼差し」が、メッセージを引き出す力となるのでしょう。

 今回、私なりの大きな目的は、地元北海道新聞(http://www.hokkaido-np.co.jp/)の方々と元朝日新聞の外岡秀俊さんとが、近距離で意見交換する場を実現したい、そんな目論みもあり、これは大成功だったように思います。沖縄問題における琉球新報(http://ryukyushimpo.jp/)、沖縄タイムス(http://www.okinawatimes.co.jp/top/)の存在、3・11とりわけ原発報道でひと際輝く首都圏の東京新聞(http://www.tokyo-np.co.jp/)等、地域に根差して地道な取材を積み重ねて検証していく、それを応援する人々が語り合う、そんな場にしたいという思い、それがメディア・アンビシャスの「大志」です。

 余計なことですが、外岡秀俊さんは私の小・中・高校の3年後輩、小学校の時に学級委員の会議で、何故か3年生で初めて出席した彼の姿を今も覚えているのです、不思議ですね。1976年の著書「北帰行」もすぐに買いましたが途中で挫折、私の片思いではあります、彼には札幌を拠点に世界を舞台に活躍して頂きたいですね、今後のご活躍を祈念しています!