イノベーター「公志園」 2013

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comment: 1

 私にとって濃密な10月下旬、次は、「イノベーター『公志園』 2013(http://koshien-online.jp/about/」の「東京・相互志援会」が、東京駅・八重洲南口で開催されました。今年の全国からのエントリーはこちら――>http://koshien-online.jp/category/2013challengers/

 今年で第3回目、私は北海道からエントリーしているEzoRock代表(http://www.ezorock.org/)の草野竹史さんのパートナーとなっていて、今回、初めて二日目の一部だけでしたが参加しました。世代、セクターを越えた男性・女性、特に企業の協賛等も多く、市民活動と企業CSRとのコラボレーションが組み込まれている企画にこれから楽しみです。

 この日まずは、第一回公志園出場者である川添高志さん(ケアプロ株式会社:http://carepro.co.jp/about/company.html代表取締役、審査委員特別賞受賞者)、第二回公志園出場者である菅野正寿さん(NPO法人福島県有機農業ネットワーク:http://www.farm-n.jp/yuuki/ 理事長、審査委員特別賞受賞者)が、ゲストスピーカーとして、その後の進行中の活動の様子と挑戦を発表しました。

 500円コインでの健康診断を通じて、一人でも多くの人に未病の段階での早期発見をしてほしいと願う若き起業家の川添さんのプレゼンからは、従来の規則等、いくつもの立ちはだかる壁に当たりながらも、理念の実現に丁寧に改題解決に向かう様子が伝わってきました。

 福島・二本松で放射線被害と戦いながら、有機農業を通じた土地づくり・農業再生に挑戦する百姓の菅野さんから、2013・3・11以後に試される有機農業の価値について、困難な状況下で前向きに努力する姿を受けとめて、心から感動しました。

 いずれも、これまでの公志園で多くの共感と信頼を集めた情熱あふれる挑戦者たち、活動を言葉と映像で伝えるプレゼンの能力と相まって、聴衆に訴えてきます。

 北海道からの草野竹史(特定非営利活動法人ezorock 代表理事)さんは、「次世代とともに作り上げる社会を北海道から作り上げる」と題しての参加です。午後の初めてのプレゼンでは、今の課題が露出して、今後の向き合う方向性が明確になったようです、私も録画を拝見してフロアーからの的確なご指摘を感じました。これから来年3月までの一連のセッションを通じて、伸びしろは大きいものがありますね。

全国から熱き市民活動の担い手が参加

全国から熱き市民活動の担い手が参加

会場の東京駅八重洲口は、今年9月20日にオープンした「グランルーフ:http://news.mynavi.jp/news/2013/09/19/019」でリニューアルです。

八重洲口2階がプロモナード、先日は青空も見事!

八重洲口2階がプロモナード、先日は青空も見事!

花びらで飾られる赤富士です

イベント準備も大忙しの様子:花びらで飾られる赤富士

第64回さっぽろ雪まつり

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comment: 1
第64回さっぽろ雪まつり:http://www.snowfes.com/」が今日から開催です!雪まつりの歴史はこちらから(http://www.snowfes.com/about/history.html)。3年前はこんな感じ(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3271)。

街なかのポスター

街なかのポスター

西5丁目大雪像

西四丁目大雪像:今秋に式年遷宮を迎える伊勢神宮をイメージ「伊勢・神話への旅」

氷の殿堂

氷の殿堂

  今年の目玉は、これでしょうね、西5丁目会場東、豊平館を背景に「プロジェクション・マッピング:http://www.youtube.com/watch?v=ETN_Psm2GSQ。昨年の東京駅オープン時でも披露された技術ですが、あまりの混雑で一回で中止になったそうです。今年の雪まつり会場では、ひと際人気を集めそうですね。

 札幌のホテルは外国人観光客でごった返しています、今年はとりわけ賑わっている感じがします。

東京駅丸の内駅舎保存復原

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 JR東日本(http://www.jreast.co.jp/)の「東京駅丸の内駅舎保存復原(http://www.jreast.co.jp/tokyostation/」が、10月3日からオープンしました。

 ホームページのメッセージには、「東京の玄関として歩んできた『東京駅』。たくさんの出会いと、数え切れない思い出を見つめてきました。1914年の誕生から、まもなく100年。“Over The Century” これからの100年へ引き継いでいくために…。」とあります。これからの100年、私たちは何を次の時代に引き継ぎ、残していけるのでしょうか、ね。

駅建物内で上を見上げる多くの人たち

駅建物内で上を見上げる多くの人たち

素晴らしデザインと色合い

素晴らしデザインと色合い

天井真上

天井真上

 先日、出張でたまたま東京駅に行ったところ、ドーム内も外も、見学者でいつもにも増して賑わっていました。「復元」ではなく、「復原」とか。原典の設計に立ち戻っての壮大なプロジェクトだったようです、夜のライトアップも見事です。

 最近のこういった建物は、何か文化の香り、「匠の技」みたいな雰囲気がありませんね。発注者が空間の効率とか耐震性とかを最優先にするからなのでしょうか、明治時代の見識を見る思いです。技術というよりも時代の要請というか、社会の価値観の違いでしょうか。

歩く速さは何の違い?

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 東京と札幌、人の密度は別として、街なかの雰囲気で何か違うと以前から感じていましたが、歩いている人々のスピードではないかと思うのです。

 東京では、汐留から地下通路(http://www.sio-site.or.jp/)でJR新橋駅まで、よく歩くことがあります。朝などは、多くの人たちは逆方向の新橋駅から汐留に向かって、もの凄い勢いで歩いてきます、歩くといよりも走るに近い、時々は突進してくるのではないかと思われる程の押し寄せる「人の波」です。東京駅丸の内から大手町までの地下通路でも同じような人々の流れです、そのスピードに乗って行かないと前にも後ろにもぶつかりそう。

 一方札幌では、昨年(2011)3月13日から、「駅前通地下歩行空間:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7828」がオープンしました。かなりの頻度でここを通りますが、流れているクラシック音楽のゆったりしたテンポのせいか、ここを歩く市民のスピードが、明らかに東京のそれとは比べものにならない程ゆっくりで静か。何と表現していいのか、穏やかなうねりみたいな感じです。信号でそのリズムが途切れないのも気分がいいですね、札幌駅北口とススキノの長い地下空間を、時々進路変更しながら歩く、心地良いひと時です。

 同じように、違いは地下鉄の中でも感じます。東京の都営地下鉄大江戸線(http://www.7mansion.com/subway/e_line.html)、地下6階あたりの深さを細い電車で走っていて、最深部は地下42mだそうです。日本の地下鉄では最深部を走行し、耐震性に富んで、災害時には救助作業の大動脈として利用される「防災」目的も。そのため、非常用の「備蓄倉庫」が、麻布十番と清澄白河の両方の駅に設置されていると、何かで読みました。混雑している車内では、中央を通り抜けるのが難しいくらいの幅の狭さ、天井も低く、まさに「地下鉄」を実感する緊張感ですね。

 それに比べると札幌の市営地下鉄(http://www.city.sapporo.jp/st/)は、何ともおおらか(?)、車両数は少なく、幅は広く、車内扉は透明で見通しがいいです。「混雑」と言っても、満員電車でも、隣の人との距離が東京よりも余裕があります。この人と人との許容できる「距離感」の違いでしょうか、浜松町から羽田空港のモノレール車内でも、乗り込んで来た人が自分の隣に立つ距離の近さに何とも違和感を抱く時も多いです。

 もう30年以上前になります、首都圏のラッシュアワーのただ中いた私も、すっかり「地方」の人になりました。

測定しました、数か所の放射線量

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comment: 1

 以前から、札幌での放射線量を測ったことはありましたが、先日、北関東を移動中に数か所、新しい線量計でガンマ線だけですが測定してみました。

  「エステーエアカウンターS:http://www.st-c.co.jp/air-counter/」は、ガンマ(γ)線だけの測定で、以下の数値の単位は「μSv/h : マイクロシーベルト・パー・アワー」です。この器具では、「0.05」以下は、みな「0.05」での表示となります。札幌を含めて、今回「0.05」で表示された地点は、恐らくそれよりもさらに低い数値だと推測されますね。

 福島県会津若松市の「鶴ヶ城」にも線量計が設置されています(http://www.aizukanko.com/news/index.cfm#wn97)。因みに、鶴ヶ城公園本丸内の放射線量、5月25日正午は、「0.12 μSv/h」 です。

  単位 <μSv/h : マイクロシーベルト・パー・アワー>

札幌市内           0.05

羽田空港           0.05

アクアライン          0.05

千葉県館山市       0.05

東京駅地下          0.09

郡山駅前・外      0.24

郡山駅・内         0.14

猪苗代              0.08

会津若松市内     0.05

宇都宮駅・外       0.09

茨城空港・外       0.12

飛行機内              0.46

 傾向としては、郡山が高く、内陸に行くに従って低くなる傾向、それもバス・電車ともに、トンネルを抜けると格段に変化する気がします。茨城空港もやや高い、そして一番驚くのは飛行機の通路側座席で測った時の「0.46」という数値です。電車の座席も高いと聞いたことがありますが、飛行機内座席も同じ傾向があるのでしょうか、これについてはもう少し調べてみようと思います。

 今さらの気もしますが、線量の違いは見た目には全く分かりませんね、気温・湿度等とは違って、人間の五感では判別できない「放射線量の怖さ」が分かります。もちろん、線量「0.00」状態を望むわけではありません。おおよその「安全の目安的数値」はあるとは思いますが、瞬間的数値の意味だけでなく、「内部被曝」を含めた体内への長期的影響も懸念される「放射能汚染」、医療・研究機関のように狭い管理された空間ではない「環境」においては、「安全基準」はあり得ない、やはり人間の手には負えないものと理解すべきですね、そんな現場感をあらためて強くしました。何を言いたいのかというと、今回の爆発事故で環境に放出された放射線量と、病院等でのX線被曝を比較して、「大丈夫、安心です!」と喧伝する解説者・メディアがナンセンスだと、声を大にして叫びたいのです。

 それともう一つ、定時定点観測を継続的に公開していくことが重要です。「大丈夫」とか、「安全です」とか言うのではなく、淡々と現実の「数値」を掲載すること、そして、それを個々の人間が判断するレベルの見識を持つことが、3・11以降の日本で暮らす人々に必要なのだと思います。富山でお会いした金岡祐一先生(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12594)が、おっしゃっていました、「正確なデータを継続的に公開すれば、世界の良質な研究者が信頼するその数値を基に、多くの貴重な考察・コメントを寄せてくれる時代でしょう」、「『風評被害』を言うのであれば、『風評加害』も同時に存在するはず」、と。 

 データに基づくしっかりした議論を、これからも身につけたいですね。

2012年3月、千葉県館山は

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 2

 千葉県館山市は、内房の海に面した見どころの多いマチで、これまでにも何回かご紹介しています。大賀にある千葉大学教育学部の臨海実習所(http://www.edu.chiba-u.jp/home/orga_06.htmlは、私にとって思い出多き場です。

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7143

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8651

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9689

 

 館山市那古船形の「茂八:http://www.mohachi.com/index.html」のお寿司は、一度皆さんに味わってもらいたいもののひとつです、握りの大きさ、名物の厚焼き玉子ほか、ですね。

館山市那古の「茂八」

館山市那古の「茂八」

この大きさが良く見えず、残念です!

写真ではこの大きさが良く分からず、残念!

この握りのサイズも、是非、現場で確かめて、そして、左上の卵焼き

この握りのサイズも、是非、現場で確かめて、そして、左上の厚焼きたまご

  鶴谷八幡宮(http://www.genbu.net/data/awa/turugaya_title.htm)は千年の歴史を誇り、その境内には「日露戦争戦没者慰霊碑」も建立されている歴史的建造物です。

八幡神社一の鳥居

八幡神社一の鳥居

  千葉県立安房(あわ)高(http://saas01.netcommons.net/awakou/htdocs/index.php?page_id=0に続く生垣も見事で、気持のよい空気を創り出しています。

安房高へ続く生垣の通り

安房高へ続く生垣の通り

  1月の「若潮マラソン」、そして4月には「トライアスロン・アジアチャンピオンシップ:http://tateyamatriathlon.jp/」も開催予定です。

来月に開催です!

来月開催です!

  昨年は、3・11の少し前に、外房の安房勝浦「ビッグひなまつり:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7602」にも行きました。

 1997年に東京湾アクアライン(http://www.mapbinder.com/Map/Japan/Kanagawa/KawasakiShi/KawasakiKu/Aqualine/Aqualine.html)が開通して以来、羽田空港からバスで1時間40分、東京駅から約2時間と、JR電車よりもグッと近くなりました。

失くした手帳、戻ってきました!

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 昨年師走の中頃、東京出張した際に、私は大切にしていた手帳をどこかで失くしました。それには、これまで数十年の連絡先電話番号、各種のID・パスワード、札幌市営交通の残額7000円位のウイズユーカード、東京都地下鉄路線図、アメリカ・マサチューセッツ州ボストン市の地下鉄路線図、NTTカードも一緒でした。

そのまま全部、戻りました

そのまま全部、戻りました

 これまで出張中に自分の持ち物を落としたことはありませんでしたが、失くしてみると大変な喪失感で、年末・年始、仕事の合間に出張行程を思い出しながら、問い合わせをしていきました。財布を取り出した時に一緒に落としたか置き忘れたか、ANA、新千歳空港ビル、羽田空港ビル、JR北海道、札幌市交通局、京浜急行、フォーラムのあった寺島文庫ビル、面談した品川のカフェ、etc。現実的にはカバンから他の物と一緒に出て落ちるというのはあり得なく、用事で取り出して、そのまま置き忘れた可能性が高いことに気がつき、最終的に、年明けの先日、JRバス関東館山支店から千葉県館山市警察署に保管されていることが分かりました。12月19日夜、東京駅からアクアライン経由館山行きのバス内で、座席上に置き忘れたようです。

 まあ、思い出そうとしても記憶がない、何とも情けない一ヵ月でしたが、全て手元に戻ってきて、「めでたし、めでたし」です。それにしても、日本の現場力のレベルは実に優秀ですね。どの窓口でも1分も待つことなく、「Yes」、「No」の返事があり、受け答えも実に丁寧でした。

 そう言えば昨年は、札幌ススキノでお店に名刺入れを忘れて、一緒だった方に預かって頂いたり、今回の手帳の紛失、たまたまともに手元に戻ってきたものの、集中力の欠如は如何ともし難いですね。今年は年明けから、反省しきりです、ある方は「縁起が良い!」と言ってはくれますが・・・・・。

 Facebookでは、たくさんの方々から「お祝い?」のお言葉を頂き、恥ずかしいやら何やらで、複雑な気持です。皆さま、この様なことでご心配を頂き、心から感謝致します!

ビハール号事件(4)

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 昨日の東京は、昼前に猛烈な豪雨と雷、東京駅丸の内地下街への入り口の階段は、まるで滝のように水が勢いよく流れ落ちていました。そして、今日の午前中の札幌、突然空が暗くなり、同じように雷鳴とどしゃ降りの雨です、今はもうすっかりあがって日差しも出ています。気温も空の様子も、急に、秋の気配です。

 「鎮魂」という言葉が、今年のお盆は特に重たいですね、3月の震災の影響か、先日の北海道新聞5回連載記事の余韻かは判りませんが・・・・。この1週間、たくさんの方々とメールのやり取り他、ご意見・ご感想をお寄せ頂き、いつもとはひと味もふた味も違った終戦記念日前後でした、幾つかご紹介致します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

<私の叔母から>

記事を繰り返し重い心で読みました。表現できないことが多いですが私だけの感想を簡単にのべてみます。

* ハンガリーとの違い:ハンガリーは戦時中、自国をロシアに蹂躙され、それに応戦するドイツにも国をことごとく破壊されました。したがって国民は国を守る為に戦ったので、敗れても、ひどい目にあったがベストを尽くしたと思っています。ナンドールも故郷が戦場で戦いました。
* 最近テレビドラマで時々戦中、戦後の物語が放映されますが、私(80歳)共の世代から見ると 悲惨な、苦しいことばかり強調されて、クラスメート皆で「楽しいこと、美しいこともいっぱいあったのにねー」と、何か別の世界が映されている感じです。人間として偉い、尊敬する軍人も民間人も多かったです。宏お義兄さんの白い制服に短剣を帯びて、もの静かに歩く姿も神々しい感じでした。今そんな大人が何人いるでしょうか。この頃、民主主義に疑問を持つことが多いです。独裁者は嫌ですが、選挙のシステムなど根本的に考える必要があるように思います。

<永年の友人宛のメールから>

うちのオヤジも満州に行った陸軍二等兵ですが、通信部隊だったそうですが、やはり詳しいことは口をつぐんでいましたが、戦友とは最後まで仲が良かったのと、国(政府)というか権威というものを全く信じなかったことがとても印象に残っています。私の喉に刺さるが如くの小骨だらけの反骨精神もこのへんのオヤジの影響かも知れません。

ビハール号事件は明治の軍隊ではあり得ない事件だと思います。組織も人間も簡単に劣化していくことを無残でかつみじめな形で表した事件だと思いますが、劣化は当然他人事でも昔の話でもありませんので、まさに教訓の宝庫なのでしょう。

事件の主役となった重巡「利根」は、砲弾が散らばらないように艦首部に主砲4基を集中した珍しい艦ですが、被告の黛治夫艦長は、砲撃の理論家でも有名でもあったのでこの記事を読んで驚きました。そんなことがあったのか、です。

海軍はその性格上技術屋の集団(艦という機械と電気で出来た動く設備・装置に乗っかった軍隊)ですので、観念的なことは嫌ったはずですが、理論・理屈でははったりには対抗できず、あちこちに青年将校という名の無責任なはったり屋がはこびりだしてこういうことになっていったのだと思います。本来の責任は戦隊以下の現場(現地部隊)ではなく、艦隊司令部とか連合艦隊司令部などの上級司令部でしょうね。記事では軍令部とありますが、キーマンは艦隊司令長官でしょう、南西方面艦隊の高須中将ですね。

陸軍では有名なビルマの山岳地帯を舞台にしたインパール作戦があります。この作戦は軍事理論無視の無茶苦茶で有名ですが、この話も知れば知るほど怒りがこみ上げてきます。担当した軍司令部とその上の方面軍や南方総軍司令部の現地部隊への無理難題が、多くの将兵を死に追いやった他、作戦を担当した4師団の師団長が命令違反で全員解任されるという、陸軍史上始まって以来の事態を引き起こしました。

こういう陸海軍共通した話は、現代の企業戦士の自殺や過労死に通じる話ではないか、と思っています。その意味ではその昔あった話ではないのですね。われわれには被害、加害を問わず、これらの事件と同じ体質を持っているということだと思います。

<私から知人Aへ>

記事の余韻はまだ続きます。昨日は財団事務所に市内の方から電話を頂き、お父様の介護の時に、秋山愛生舘の関係する方にお世話になり、そのお礼を言いたかったと。また、数日前にはやはりお電話で、お父様が「利根」の乗組員だったそうで、ビハール号事件の時に乗っていたかどうかを確認出来ないかというお問い合わせでした。東京・目黒の防衛研究所・図書館閲覧室をご紹介しました。

<私から知人Bへ>

先日、実は戦史に詳しい方とお話をしました。彼の言では、イギリスの戦犯裁判とアメリカの戦犯裁判とでは、随分その処分が違っていると。アメリカの場合は、「怨念」がかなり強く、捕虜3人の殺害事件に対して、戦犯7人の絞首刑とかもかなりあったそうです。ビハール号事件では、65名の捕虜殺害に対して、幹部とは言え1名の絞首刑、1名の実刑7年判決というのは異例の「軽さ」であり、これは英国の日本海軍への敬いとか歴史の尊重とかと考えることが出来るのでは、という見解でした。手を下した人々が一人も裁かれていないというのも、犠牲になったお二人の「武士道精神」を英国が根底では受けとめたのでは、と。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用おわり

 一昨日でしたか、NHK・BSプレミアム(http://www.nhk.or.jp/shogen/)で「シベリア抑留」についての番組がありました。内容は、「戦後、57万を超える日本人が強制労働を強いられた『シベリア抑留』。過酷な収容所の日々、そして戦後日本での苦難。激動の歳月を、人々はどのように生き抜いたのか?」です。

 番組HPには、「過酷な労働を強いられ、少なくとも5万5000人以上が命を落としたとされる『シベリア抑留』。苛(か)烈な生存状況を激化させた日本軍組織の矛盾。スターリン体制のもとで行われた旧ソ連の徹底した思想教育。新たな苦難を余儀なくされた冷戦下の戦後日本。60年を超える激動の日々を、人々はどのように生き抜いたのか? 今も、深いかっとうを抱え続ける元抑留者たち。肉声で語るシベリア抑留の記録。」とありました。日本軍の中での葛藤、帰国後の苦難等、見応えがありました。

 それぞれの戦争体験、それぞれの想い、いずれも実に重たい話です、特にこの2011年は。鎮魂の8月は続きます。

エネルギーシフトで New Japan!

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 首相官邸において、「これからの自然エネルギーへの大シフトを目指して」の公開会議(http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg4972.html)が開催されました。一堂に集まって総理との懇談会、率直な意見と提言を行い、「これから、どう自然エネルギーを普及させていけばよいか」について、積極的な意見交換でした。新たな試みとして、この会議の模様はインターネットを通じて動画中継を行い、ツイッターでの質問を受けることにより、テーマに関心あるすべての国民とメディアがリアルタイムで参加できる「オープン懇談会」となりました。5万人以上の方々がライブで視聴し、8万人の方々がその後もアクセスが続いているようです。参加有識者(五十音順)は、次の方々でした。

 ・ 枝廣淳子 環境ジャーナリスト(資料:http://t.co/lXzfn7Y
 ・ 岡田武史 元サッカー日本代表監督
 ・ 小林武史 ap bank代表理事
 ・ 坂本龍一 ミュージシャン(ビデオメッセージによる参加)
 ・ 孫 正義 ソフトバンク社長(資料:http://minnade-ganbaro.jp/res/presentation/2011/0422.pdf

[司会]藤沢久美 シンクタンク・ソフィアバンク副代表

 

 その前日、「6・11 New Japan!」、全世界100か所・100万人以上でこの日開催されて、10数ヶ国、60を越える地域からの中継も行われました。インディペンデントメディアにより、全編で10時間を越える録画です、新しい世代による新しい表現ですね。この企画のテーマソングにもなりましたが、齊藤和義さんの唄もいいです!(http://www.youtube.com/watch?v=b01yohRgfyc&feature=related

1/4 http://www.ustream.tv/recorded/15299170
2/4 http://www.ustream.tv/recorded/15303240
3/4 http://www.ustream.tv/recorded/15306642
4/4 http://www.ustream.tv/recorded/15309276

  翌日の全国の新聞やニュースなど報道で、この2万人の新宿アルタ前のデモなどがほとんど報道されなかったのも、また日本の現実のようです。朝日新聞、北海道新聞には、デモの様子など中心に大きくはないですが掲載されていましたが。この番組の出演者(一部・VTR含)は次の方々です: 岩上安身、前田真理、斉藤和義、池田香代子、森ゆうこ、保坂展人、木野龍逸、日隅一雄、孫崎 亨、武田邦彦、広瀬 隆、岩井俊二、藤波 心、小林武史、湯川礼子、河野太郎、松田美由紀、石井麻木、飯田哲也、キャンルジュン、一青窈 、マエキタミヤコ、福島瑞穂、おしどり夫婦、小出裕章

 一方海外向けにも発信されています(http://www.youtube.com/uniontube55?gl=JP&hl=ja)。

 

 このところ都内の地下鉄駅改札では、こんな電光掲示板も見かけます、先日の東京駅丸の内口でも同じものでしょうかね。

地下鉄駅改札口で

地下鉄駅改札口で

 来月からの節電体制に向けて、企業系もいろいろな工夫を始めています。15%が国の要請目標ですが、かなりの企業はそれを上回る目標を掲げて知恵を出していますね。これまで2回の石油危機を乗り越えた日本企業は、その後、飛躍的に国際競争力をつけました。今回もこれをきっかけに力をつけて貰いたいですね、簡単に「どうしたらいいか苦慮している」などとは言って貰いたくないですね。首相官邸で岡田元監督がおっしゃっていましたが、日本人の現場レベルの高い把握能力、折り合いをつけての迅速な解決能力等の国民性レベルを考えると、必ず乗り越えて新たな競争力を獲得すると思います!

大震災から2カ月以上を経て・・・

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comment: 1

 あっという間に「3・11」から2か月が過ぎました。この間私は、東京方面には4回程出張しましたが、様々な場で3・11以前と明らかに違っている世界も感じます。ただ、仕事場として移動・活動するのには、何の不都合もありません、これで十分です、いやもっと節約しても構いません。さらに自分のライフスタイルで「節電」に努めること、それは限られた電力を他の必要としている方々へ「贈与」することであり、これこそ「絆:きずな」の証明でしょう。

誰もいない到着ロビーへの道

誰もいない羽田空港到着ロビーへの道(2週間後)

節電努力:外資系金融機関が集まるテナントビル

節電努力:外資系金融機関が集まる都内テナントビル

節電努力:都内ホテルで

節電努力:都内ホテルで

 テレビ・新聞報道、東京電力経営者、経産省、原子力村の学者たちには、憤りだらけですが、一方、時が経つにつれて、優れたメッセージもたくさん目にするようになってきています。

 まずは、以前から尊敬す方のブログ「凛和総合研究所http://www.linhwa.jp/」です。今回、その中で紹介されている「復興か創造か―これからの文明―:http://www.tkfd.or.jp/topics/detail.php?id=268」は、その構想力に感服します。

 もう一つは、岩波書店月刊誌「世界2011年5月号『生きよう!』、6月号『原子力からの脱出』:http://www.iwanami.co.jp/sekai/」です。多くの識者が一連の災害・原発事故をどう受け止めて、新しい日本国建設に対する具体的方策も提起していて、読み応えがあります。この所あまり縁もなかった週刊誌も、この2カ月いつになく買い求めて読んでいます、知らない事実がたくさんあり、存在感抜群です!

 テレビ番組では、「チェルノブイリ原発事故」から25周年の今年、これをテーマとした深夜のNHK-BS放送ドキュメンタリー連続番組、「永遠のチェルノブイリ」「被曝の森はいま」「見えない敵」、5年前の「汚された大地で ~チェルノブイリ 20年後の真実」ほか、貴重なメッセージです、まさに「想定内」の内部被曝の現実に、私たちは歴史から学ぶ真摯な姿勢でなければなりません(http://www.nhk.or.jp/wdoc-blog/200/77575.html)。引き続き来週も特集があるようです。

 私なりには、取り敢えず浜岡原発は停止が決定しましたし、少しずつ動きが出てきているのを感じています。ただ、福島原発は炉心溶融、高濃度汚染水垂れ流しほか、ますます深刻な状態が明るみに出てきて、緊張感が高まります、これ以上悪化しない努力を期待するしかありません。

 等身大の身近な所では、これまでの「天気予報」とともに、放射能測定モニタリングデータに基づく「放射能・線量予報」、電気供給量と消費量を日々明示する「電気予報」を設定し、毎日数回告知することを提案したいです、すでに始まっているようでもあり、先日東京駅で、可能電気供給量と消費量を明示する電光掲示板を見ました。

 「日常性を取り戻すことが支援につながる」と、被災の現実から安易に眼を遠ざける都会人の上滑りな風潮は気になります。3・11がエネルギー・食の大転換点であること、放射能と共に暮らす時代を直視して、改革することから逃げてはならないことに変わりはありません。

 自分的には、北海道の資源を棚卸して、代替エネルギーの提案も模索したいですね、「火山国家」、「海洋国家」を逆手にとって、エネルギーを創り出すみたいな構想を持ちましょうよ、北海道電力にも積極的に提案したいし、北海道なら必ず出来る、そんな気がします。うつろな「がんばろう、ニッポン」、「ひとりじゃない」の連呼よりも、個々人のライフスタイルの変革で連帯する、それが地に着いた「支援」というものでしょう!!

大地震、今、感じること(1)

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comment: 1

 今回の地震、日が経つにつれて甚大な被害の様子が明らかになってきています。地震・津波、余震、そして福島原発連続事故による電力供給難です。繰り返し、被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。

 昨日、羽田空港出発ロビーは、いつもの照明よりも暗くはなっていましたが、現場で働く職員の頑張りに支えられて、チェックインほかには何の支障もありませんでした。むしろ非常時の印象も明確で、秩序ある静けさとでも言うのでしょうか。都内JR切符の自動販売機も、3分の1は計画停電で使用できない旨の張り紙がありました。

羽田空港出発ロビーは薄暗く

羽田空港出発ロビーは薄暗く

 原発事故は今後も目を離せませんね。私どもの財団としては、3年前に、ベラルーシ大使ご夫妻と被災地生まれの子供たちがこの事務所を訪問されたこともあり、原発事故と聞くと、あの時の子どもたちの屈託のない笑顔と澄みきった眼を想い出します。

財団事務所を訪問したベラルーシ大使ご夫妻と療養の子どもたち

2008年、秋山財団を訪問したベラルーシ大使ご夫妻と療養の子どもたち

訪問時に頂いたプレゼント!

訪問時に頂いたプレゼント!

 秋山財団の社会貢献活動助成の第一号で採択された、「チェルノブイリへのかけはし:http://www.kakehashi.or.jp/」の皆さまの企画で、この訪問が実現しました。子供たちは財団の建物中を走り回っていましたし、被災した女性のエカチェリーナ・コスチュケービッチさんが、その時付添いの医師として同行していました。 

 丁度、今、早朝テレビのワイドショーで、原発の専門家という方が、「すぐに1986年のチェルノブイリ事故と今回の事故を一緒にする人たちがいるが、全く違います!」と、あたかも心配する市民の無知を叱責するような言い方でしゃべっています。

 でも、そうではありませんね。理屈とか理論ではなくて、直接会って知った人々の顔と現実が最も説得力があるのであり、そこから連想する「不安」を払拭できない専門家の理屈こそ、「ニセモノ」と言うものでしょう。歴史的事実、或いは目の前に起きている現実に直面して、社会にしっかりした「安心」を提供できない「専門的知識」とは、一体どんな意味を持つのでしょうか。今こそ、「専門家」としてのこれまでの活動が問われているのです。

 対照的に、昨日アメリカの科学者が、「今回の事故は、スリーマイル事故とチェルノブイリ事故との間くらいの危険度」と語っていました。さらにこの欄の末尾に、3月11日付ニューヨークタイムスのこの事故に対する論評を添付致します。国内の「専門家」が信頼できないのは情けないことですが、命には代えられませんので。

 この数日間各テレビ局に出演している原子力発電関係の「専門家」と称される方々、特に東京大学教授たちの、ごく普通の市民に対しての冷たい眼差し・立ち位置、NHKを筆頭とするメディア関係者の突っ込みの甘さは、一種の日本の「異常性」を象徴するような現実だと思います。「想定外」、「念には念を入れて」等、ここに至ってこれらの言葉に憤りを感じるのは私だけではないのではありませんか。

 昨日、JR東京駅構内を歩いていて、黙々と各ホームに向かう大勢の人々の後ろ姿を見ていて、何かある種の「感動」を覚えました。普段は、単なる群れとしての存在にしか映らなく、それどころか「従順な羊ではなく、自分の頭でしっかり考えろよ!」と攻撃的になる自分がいるのですが、昨日は明らかに違いました。日本社会は、「現場の力」、「労働力の質の高さ」で今日まで来たことを確認しました、指導的(?)立場の人材・アカデミックセクターがいかに貧弱でもですね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2011年3月11日:ニューヨークタイムス
「日本における放射能放出は数カ月続く可能性あり」と専門家が見解を示す

デヴィッド・サンガー、マシュー・L・ウォルド
http://www.nytimes.com/2011/03/14/world/asia/japan-fukushima-nuclear-reactor.html?_r=1&emc=na&pagewanted=print
日本の政府関係筋は、2つの発電所での炉心溶融は「部分的」であり、発電所外
での放射能の測定値は、日本の安全基準値の2倍とはいえ比較的低いと思われる
と言っているが、米国国防総省は13日にプラントから100キロメートル離れた地
点を飛行したヘリコプターに少量の放射性の微粒子が付着していたと発表した。
セシウム137とヨウ素121が含まれていると思われ、これは環境汚染の広がりを示
している。

1号機の設計に詳しい複数の専門家によれば、東京電力側にはいまや、冷却手段
として放射性物質を含んだ水蒸気を定期的に放出する以外に選択肢はほとんどな
く、この措置は核分裂が止まった後も1年以上続けられることになる可能性があ
るという。ということは、数十万人の避難住民は長期間家に戻れないことになり、
風向きが変われば、放射性物質が海方向ではなく日本の都市に向かって運ばれる
可能性がある。

通常の原子炉冷却機能を回復するには、電力が必要であり――地震と津波で電力
供給は停止中――発電所の技術者たちは、すでに放射能汚染が著しい場所で作業
をする必要があるだろう。

米国政府は、不安を抑えるために、「ハワイやアラスカ、米国領および米国西海
岸では、放射能が人体に悪影響を与えるレベルには達しないと予想される」との
結論を出しているが、日本に到着した専門家はこの3日間に起こったことを把握
し始めており、その一人は「最良のシナリオをたどったとしても、これが近いう
ちに終わることはない」と述べた。

核分裂反応が止まって原子炉の運転が停止されても、燃料は運転時の約6パーセ
ントの熱を出している。通常は、電気ポンプによって熱水を抜き、それを冷却す
るのだが、今回の場合、電力供給が止まった後、このシステムが使えなかったた
め、海水を注入して燃料冷却を試みた。だが、これによって、炉内の圧力が上昇
して、大気中に蒸気を放出し、さらに水を注入するという手法をとらざるを得な
くなっている。

燃料が無傷であれば、放出する蒸気に含まれる放射性物質はわずかであるが、燃
料が損傷すれば放出される蒸気の汚染度は高まる。

もう一つの懸念材料は、日本の原子炉の中にはMOX燃料を使っているものがあり、
MOX燃料には再処理したプルトニウムが含まれていることだ。今回の原子炉がこ
のタイプであれば、放出する蒸気はより有害なものになる可能性がある。

問題の原因は、津波の後の一連の失敗にある。津波は福島発電所の周囲にあった
護岸堤防を軽々と越え、ディーゼル発電機が浸水した。発電機は低いところに置
かれていた--これは明らかに、護岸によって守られるだろうという誤った自信
によるものだ。

大きな爆発は、炉心が冷却されない場合に原子炉格納器内で起きる可能性のある
ことを示す警告である。IAEAによれば、「炉心の損傷を抑える手段として」東京
電力は海水にホウ素(核反応を止める作用がある)を混ぜて注入することを計画
し、12日午後10時20分にそれを開始した。

これは捨て身の行動である。海水を注入すれば発電不能になるので、廃炉を決心
したということなのだ。だがこの海水注入も簡単ではない。格納器内の圧力がひ
じょうに高くなっているために海水注入が困難になっている。

問題をさらに大きくしているのは、原子炉内の計器が地震または津波で損傷して
いるようで、炉心にどのくらいの水があるかを正確に知ることができなくなって
いることだ。

また、注水の作業にあたっている人々は放射能にさらされていると思われる。放
射能汚染の治療を受けた作業員も複数いるという。彼らの被爆の程度がどの程度
深刻なものかは不明である。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

師走の東京で・・・

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 師走の東京、コンクリート一色の中でも、人はやはり何か「たまり場」を求めるのでしょうか。有楽町の一角で、汐留の地下通路で、電飾とバザールに人々が集まっていました。

有楽町で

有楽町で

汐留・地下通路で

汐留・地下通路で

 雪のない地域でも、冬は雪をイメージする雰囲気が人気のようですね、一方で「雪国は寒くてキライ!」と言いながらも。生まれた時から冬の雪の地域で育った私は、これらの人工的な企画はどうしても違和感があります。雪が地面を吹きすさぶ寒さ、舞うような濃密な雪、視界全面の白、夜にぼんやり光る新雪、そんな臨場感があって初めて雪の魅力を感じるのだと思うのですが。

 東京駅八重洲北口では、パソナビル(http://www.nopa.or.jp/prize/list/18/09.html)の一階に水田が出現です。ここは日経の「ニューオフィス推進賞」受賞だそうです。大変申し訳ないのですが、稲がかわいそう(?)、何か違和感を持ちました。

パソナビル・一階で

パソナビル・一階で外堀通りから

 六本木ではこんなクリスマスシーズンです。

六本木ヒルズに向かうエスカレーターから

六本木ヒルズに向かうエスカレーターから

  大都会・東京では、人々の絆を再確認しようと模索しているような気がします。

東京の夜、色は貧富の差かな?

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

  東京に出張する機会は度々ありますが、夜のマチの灯りをゆっくり見るときは滅多にありません。寒波に覆われた首都圏で(とは言っても普段札幌に居る私としては、実はそれ程とは感じません)、しばし多様な「光」を眺めていました。

 一つは東京・汐留にそびえる40階を越える高層マンション(億ション?)です。昔、イギリスから中国への返還直前に香港で会議があり、多忙な日程の合間だったのですが夜景を見に行った時に、現地の方が眼下の夜景を見ながら、「青い光の家は貧乏人、赤っぽい光の家はお金持ちです」とおっしゃったのを妙に覚えています、まだ青色発光ダイオード(LED:エルイーディー:Light Emitting Diode)が広く世に出る前だったと思います。

 東京・汐留付近の高層マンションに住んでいる方々は、基本的には皆さん富裕層なのでしょうが、建物を見上げると多様な光の色でした。朝6時半頃にこの付近を歩くと、住民と思われる十数人が昔から続くNHKラジオ体操を前庭で、雨の日は玄関のロビーでそろってやっている光景に出合います。私にとっては、小学校時代に北海道・有珠での臨海学校で、東京都江戸川区の教員時代に林間学校で、毎朝懐かしいラジオ体操第一・第二です。

高層マンションの窓の灯

高層マンションの窓の灯

  もう一つは東京駅八重洲北口のイルミネーションです。札幌大通公園のライトアップを見慣れている私には、クリスマス的年末の雰囲気に何となく違和感があるのです。微妙に違う色合いは意図的なのかどうなのか、いずれにしても喉の・心の渇きは癒してはくれない気がするのですが。

東京駅八重洲北口で

東京駅八重洲北口で

  やはり冬は、自然の「雪」にかないませんね。森林の景色として、枝の黒とそれに付く新雪の白とのコントラストは、日中も夜も何にも代えがたい美しさと暖かさです。

8月後半の夏、さまざま

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

  今年の夏も終わりに近づいています。7月の北海道は連日の曇天、農作物への影響も心配されましたし私達の気持も何となく冴えない感じでした。幸い8月になって夏らしい青空と太陽の日々が続き、だいぶ回復してきた気もしますがどうだったのでしょうか。私の庭のトマトもこの所赤くなってなかなかの出来です。

 先日東京駅から千葉県館山市に高速バスで行った際に、レインボーブリッジとアクアラインから東京湾の青い海を通して首都圏の景色をぼんやり眺めていました。陸上の喧騒とは対照的に、海は夏の太陽をいっぱいに浴びて実に穏やかでした。

レインボーブリッジから

レインボーブリッジから

アクアラインから木更津方面

アクアラインから木更津方面

一方北海道日本海側の海も穏やかでした。札幌から小樽へ行く途中、朝里から高島岬方面です。空も広いですね。

石狩湾も穏やかです

石狩湾も穏やか

そして北海道神宮の杜でも、開拓神社例大祭、流鏑馬(やぶさめ)奉納等で賑わいました。

開拓神社例大祭

開拓神社例大祭

流鏑馬練習風景

流鏑馬の稽古風景

愛生舘の「こころ」 (5)

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 松本良順先生が晩年大磯に住んでいた事は、前に書き記しましたが、先日仕事の合間に時間をつくって大磯に行ってきました。東京駅からJR東海道線で約70分、大磯駅から徒歩5分の所に妙大寺があり、その境内に松本順先生(後年に良順から順と名を変えている)のひと際背の高いお墓を見つけました。

大磯・妙大寺 松本順 墓

大磯・妙大寺 松本順 墓

 地元の観光協会の方に伺うと、ご自宅はこのお墓のある妙大寺の右隣だったそうです。海が見えて裏は山、閑静な住宅地でした。そこから海側に下って歩いて10分程度で照ヶ崎海岸です。1885年(明治18年)、大磯町のこの海岸を日本最初の海水浴場と定め、海水浴の振興による健康増進と大磯町の開発に尽力しました。実は私の勝手な思い込みで、「照ヶ崎海岸」というものですから、松を背景として砂浜に記念碑が建っていると信じていたのですが、現在はバイパス道路と防波堤で固められたその間に碑がありました。イメージとは違う雰囲気で残念でしたが、ある意味ではこの間の時代の変遷を象徴する光景かとも思ったりして、です。

松本順先生の他にも、この大磯町にはこれまで著名な方々が250人程も住まわれていたとか、地元の方も誇らしげに語っておられました。こんな絵ハガキもあったので、1枚100円で買って帰りました。正直に申し上げて、「松本順と愛生舘」を追いかけている私にとって、観光ギャラリーの中で「展示されている彼」には違和感を持ちましたね。地元大磯にとっては、「250人以上の著名人(?)」に価値を置いているのかと思ったりしてです。

大磯・観光絵はがき

大磯・観光絵はがき

先日、「幕末史」(半藤一利著)http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAT85730/ を読みました。本来であれば江戸幕府十四代将軍家茂を看取った松本順先生も、当然この中に記載されていなければならないのでしょう。

著者が、攘夷を唱えた時代に対して「熱狂的になってはいけない」と警告をしています。また「皇国」の本来の意味は、幕府が支配している日本に対する、朝廷が支配する日本、というくらいの意味であって、私たちが意識している天皇というほど、この時代の人たちは天皇を意識していなかったのではないでしょうか、とも語っています。

このような本を携えながら、歴史認識の新たな発見を多少期待して松本順先生の晩年の地を訪れましたが、少し掘り下げ不足でした。何かの機会に再度やり直します。