メディアよ、大志を抱け!

Posted by 秋山孝二
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  メディア・アンビシャスhttp://media-am.org/主催のファーラムが開催されました。当日は全道各地からの参加者で立ち見も出る程の大盛況でした。

今野勉さんの「テレビの嘘を見破る」という基調講演に続き、「メディアよ、大志を抱け!」をテーマにパネルディスカッションもありました。今野さんは、テレビのウソ、やらせ、工夫について語った後に、「事実」とは何か、「事実を伝える」とは何かについて含蓄のあるお話でした。近いうちにHPに記録がアップになると思います。

* 「視聴者と製作者との関係づくり」に尽きる

* ジャーナリストには覚悟が必要、刑務所の塀の上を走っている様なもの

フォーラム受付

フォーラム受付

立ち見もでた今野勉さんの基調講演

立ち見もでた今野勉さんの基調講演

パネル・ディスカッション

パネル・ディスカッション

 パネラーからは、それぞれのお立場から鋭いメッセージが発せられていました。

* 一般の視聴者には「私達のメディア」的な発想がないのではないか、という問題提起もありました。メディアと視聴者がもっと密接な関係にあるべき、とも

* 「政権交代」によりメディアの自由度が高まる、権力とメディアとの新たな緊張関係が生まれる、本来の監視機能が問われる

今回の衆議院選挙後に、一連の選挙報道に関してのファーラムも企画中です。

敗戦から学ばねば

Posted by 秋山孝二
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  毎年8月は、広島・長崎への原爆投下、15日の終戦記念日他の理由からか、戦争・平和に絡むメディア報道が多いですが、気のせいか私には、今年は特に多くの局、とりわけNHKテレビは総合・教育・BS1・BS2・BSハイビジョンの各チャンネルでのこのカテゴリーの報道が多いような気がします。再放送も多いですから、一概にあらたな番組の制作が増えているとは言えないのかも知れませんが、戦争体験者の方々が80歳を超えてきて、新たな証言も多々出て来ていることも事実なのでしょう。

http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/list/index.cgi?t=shougen

先日の「日本海軍」を巡っての3夜連続の番組は、私にとって大変注目するものでした。

400時間の証言 第一回 「開戦 海軍あって国家なし」http://www.nhk.or.jp/special/onair/090809.html
           第二回 「特攻 やましき沈黙」http://www.nhk.or.jp/special/onair/090810.html
           第三回 「戦犯裁判 第二の戦争」http://www.nhk.or.jp/special/onair/090811.html

 私の父は、海軍兵学校66期卒で、卒業後は霞ヶ浦の航空隊教官、キスカ撤退作戦http://ww31.tiki.ne.jp/~isao-o/battleplane-16kisuka.htmの旗艦阿武隈通信長、レイテ沖海戦重巡洋艦利根の通信長で奇跡的に生存し、終戦時は江田島の海軍兵学校分隊監事でした。広島原爆投下時は、すぐ隣の江田島からキノコ雲見ていたとのことでした。終戦直後は進駐軍と海軍の窓口として施設の接収業務等に携わり、その後復員して北大理学部・農学部を卒業、昨年の海軍記念日(5月27日)に解散した「北海道全海軍の集い」の3代目の会長を永く務めていました。

重巡洋艦・利根

重巡洋艦・利根

一貫して前線にいた立場(番組では「艦隊」)から、戦争の話は幼いころからよく聞いていましたが、「海軍軍令部」に関しては陸軍参謀本部と同じように、「現場を知らない連中の机上の空論が多かった」と、言葉少なく語っていました。それと太平洋戦争の全体図を知ったのは、戦後10年以上経てからだったとも。最前線で関わった当事者たちは、他の方からも聞きましたが、マクロの「戦争」という視点は現実として持ち得なかったのでしょう。キスカ撤退作戦の司令官木村昌福氏が作戦そのものの存在を家族を含めて世に明らかにしたのは、昭和34年頃に文芸春秋に記載された以降と、息子さんから伺いました。日本海軍唯一の撤退作戦の成功でもそんな感じです。

第二回番組でも取材デスクの小貫さんが語っていましたね、「特攻で逝った側の話は多いが、それを立案・命じた側の報道は戦後ことのほか少ない」と。まさに「やましき沈黙」なのでしょう。第一回の「海軍あって国家なし」、第三回の東京裁判に臨む姿勢も責任者を守る職務以外の発想もなく、愕然とします。

6月に訪問したアウシュヴィッツでもそうでしたが、そもそも誰を守るための組織だったのかが極限状態で露骨に表れます。そして「組織と責任」、「責任の取り方・取らせ方」について、日本は何も変わっていなく、今、私達の世代の責任が問われています。

重たい8月はなお続きます。

香田誉士史監督に、あらためて感謝

Posted by 秋山孝二
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香田誉士史 さま

暑い夏、この季節になると夏の全国高校野球大会のドラマを思い出します。雨でノーゲームという今年のニュースを聞くと、更に駒大苫小牧高校の大活躍、その後の紆余曲折、そして三連覇一歩手前(実質的な三連覇でしたが)までの劇的ドラマの数々、香田監督には特に感謝の気持をお伝えしたくなりました。

先日の朝日新聞の連載から、この数年間と今のお立場での心境を読み取ることが出来ました。同時にインターネットで検索すると、実にたくさんの香田さんに関連するサイトが紹介されます。私は香田さんの野球監督としての戦績は勿論ですが、生徒達と向かい合っているスタンスに尊敬の念を強く抱きます。昔私も東京都の公立中学校でバレーボールの監督をしていて、ある年は1年間365日バレーのことばかりを考えている時期もありました。また、当時の全日本女子バレーの山田監督に教えを請いに、また子どもたちに全日本メンバーの練習を見学させたくて、遠い道のりを一緒に行ったことを思い出します。

2004年駒大苫小牧高が初優勝した年の対戦相手、日大三高の小倉監督は、「守りの堅さは、そのまま選手の気持ちの強さ。あと数センチ手を伸ばせば届くボールに頑張って食らいつけるかどうか。(駒苫は)雪上ノックをしているそうですね。本州でも最近は冬にボールを扱わず、筋トレが中心の高校も多いけれど、ボールを握る時間を多くすることがうまくなる近道。『ほかとは違う練習をしてきたんだ』と思えるチームは強いですよ」と語っていた記事を読みました。

またその年の9月、横浜高の渡辺監督は、「全日本高校選抜チーム18人を率いてAAA世界選手権(台湾)に遠征しました。駒大苫小牧からは鈴木と糸屋、済美からも鵜久森、福井、甘井の3人が選ばれました。準優勝して帰国すると、鈴木と糸屋からはがきが届いたのですが、2人だけでした。『たいへんお世話になりました』などと。横浜が負けた理由が分かった気がしました。勢いや運などではない。純粋な心が集まってチームプレーへと結晶し、うちはそれがなくて、つなぐことができず個々の野球でした。負けて悔しいと思うチームはありますが駒大苫小牧高には敬意を表します」と述懐しています。

以前から私は、全国高校野球で解説者が北海道代表チームに必ずコメントする「北国は毎年雪が積もり、半年はグラウンドが使えませんからね・・・」というフレーズが大嫌いでした。弱くてもしょうがないと言わんばかりの言葉、慰めにも何にもならなく聴いていても実に不愉快でした。むしろ「ハンディ」ではなく、これをバネに強い自信に変えられないものか、と道産子(ドサンコ)の私としては悔しさで一杯でしたが、香田さんはそれを見事に成し遂げてくれました。香田さんが道外出身者だったことも大きかったですね。 岩手県のある監督の弁として、北国の高校が優勝できない最大の原因は、「勝てるはずがないというコンプレックスだ」と。でも佐賀県ご出身で、佐賀商のコーチ時代には全国制覇も経験している香田監督にはそれが無かったのでしょう。

佐賀商と言えば、検索中に香田さんの高校生時代の映像とその人柄を示す解説者の言葉の動画を見つけました。http://www.youtube.com/watch?v=koajkqRV8N4

高校野球では、ただ試合に勝てば良いというものではないですよね。勿論勝つために日々の練習をしているのは間違いありませんが、たとえ勝てなくても、或いは試合に出れらない生徒たちにとっても、教育の場としてともにチームを誇りに思えるような一体感のある一連の活動でなければ本物ではありません。私はこの数年の駒大苫小牧野球部を見ていて、香田監督がまさに「本物中の本物」と確信致しました。チーム自体の実に細やかな隙のないプレー、走塁でももう一つ前を常に狙っている前向きな姿、一つ一つのプレーへの集中等は、毎日の地道な指導の賜物であり、これから指導者を目指す人々にとっても素晴らしいモデルとなるでしょう。そして教育者としての眼差しで子供たちの成長を見守る香田さんの姿勢も素晴らしいです。高校野球ゆえに、グラウンド外での部員の行動等、気の休まるところがないのでしょうね。これだけの希望を与えて頂きながら、何もお力になれない自分も情けなく、ただ香田さんのその後の生き様に関心を持っていました。

何年前でしたか、北海道庁前庭で一万人程が集まって開催した「報告会」に、私も2時間前に行ってしばし喜びをともにしました。集まった聴衆の香田監督他チームに対する心温まる拍手と声援は、北海道の誇りと希望の表れでした。私のそばにいた年配の女性のグループは、ハンカチで涙を拭きながらの拍手でした。「ありがとう、よく頑張ってくれた!」

香田さんはじめ選手の皆さんが刻んだ軌跡は、多くの北海道に暮らす人間に光を与えてくれました。大変遅くなった感謝の気持を、この時期に言葉にしたくなりました。重ねて、香田誉士史監督、ありがとうございます。

みどりの再生と社会的起業

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  秋山財団が昨年から開始したネットワーク形成事業http://www.akiyama-foundation.org/network/の一つ、「社会起業研究会http://www.akiyama-foundation.org/network/tema02.html」の第3回目が先日開催されました。テーマは「自然環境の保全・再生と社会企業」です。

基調講演は 1)(株)ネイチャースケープ http://www.naturescape.co.jp/  代表取締役 中川 功 氏

        2)(財)北海道開発協会開発調査総合研究所http://www.hkk.or.jp/kenkyusho/主任研究員 草苅 健 氏

のお二人でした。

 

みどりの再生への取り組み
みどりの再生への取り組み

 

中川社長によると社名の「ネイチャースケープ」は、Nature(自然)とLandscape(風景)からの造語で、「自然の景観」という意味だそうです。その企業の哲学が実に明確です。http://www.naturescape.co.jp/philosophy.html 私も時々若い方々から今後の事業展開に関して相談される場合がありますが、その時ほぼ同じ様なアドバイスをしています。企業という形態の方が資金的にもダイナミックな展開に挑戦出来そうな気がしています。「社会貢献」、「社会への還元」を最優先の価値としてです。従って利益処分についてもおのずから次への投資を重視ですね。

草苅さんによるNPO設立の理念から、「苫東環境コモンズ誕生の経緯」とこれからの取り組みも分かりました。http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/aigo4-56.html

それぞれの方々がそれぞれの立場で「環境」の新しい社会的意味を問い続けて活動をされています。


「ゆめぴりか」を訪ねて、上川へ

Posted by 秋山孝二
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  ゆめぴりかhttp://www.hokkaido-kome.gr.jp/hinsyu3.htmlは北海道期待の新品種で、今年の秋から市場に登場します。 千野米穀店http://www.chino-grain.co.jp/徳永社長の解説で、「ゆめぴりか誕生の地を訪ねて」バスツアーに参加しました。訪問先は上川ライスターミナル、JAあさひかわ永山地区今野峯雄さんの田んぼ、北海道立上川農業試験場http://www.agri.pref.hokkaido.jp/kamikawa/kamikawa3.htmでした。

イネの開花はほんの数時間と大変短く、なかなか見る機会がありませんが、この日は例年より遅れていたために幸運に恵まれました。今野さんの「ゆめぴりか」の水田で、お昼頃の花の様子です。水田にはタニシ・カエル・アメンボが沢山いました。

ゆめぴりかの花

ゆめぴりかの花

 北海道立上川農業試験場では、開発者の佐藤毅さんから説明を聞きました。一つの品種を世に生み出すには約10年の歳月が必要とのこと、地道な毎日のご努力に頭が下がります。来週8月11日は公開デーで一般の方々にも開放するそうです。

開発者上川農試・佐藤さん

開発者上川農試・佐藤さん

 説明の後に、昔の品種「いしかり」と「ゆめぴりか(昨年収穫したもの)」の試食で比較しました。光沢・粘り・香り等明らかに違っていて、「ゆめぴりか」はしっとりして粘りもあり、美味しかったですね。ただ、私にとっては何故か「いしかり」も懐かしい感じがしました、昔どこかで食べたパサパサ感を想い出しました。

左:いしかり、右:ゆめぴりか

左:いしかり、右:ゆめぴりか

 上川ライスセンター近くにある地元青年部の方々の力作「たんぼ・de・アート」にも寄りました。架設展望台に登って見ると、見事な色合いとデザインでした。また、近くに寄って同じ平面でみると、3種類の全て「イネ」でした。

たんぼ・de・アート

たんぼ・de・アート

近くで見ると

近くで見ると

 北海道立上川農業試験場には、こんな品種も栽培されていました。名前の由来はご想像にお任せ致します。大正時代には市販もされていたそうです。

名前の由来は?

名前の由来は?

これまで話には聞いていましたが、いつかコメの研究・開発・生産・流通現場を具に見てみたいと思っていました。野菜などと違って稲作のすそ野の広さを感じました。折りしも7月31日現在の調査によると、日本全国の作況指数は96の「やや不良」、北海道は87の「不良」との発表がありました。道内や東北などコメどころで日照不足や低温が続いたことが響き、豊作だった08年産から一転、不作が見込まれるようです。8月に入って日照も少し増えていますし、これからの回復を期待したいです。道内のこれまでの研究開発の歴史は、このような天候の克服の連続だったのでしょうね。

一粒一粒にこもった数多くの方々のご努力を噛みしめながら、ごはんをこれからも頂きたいと思います。今の日本ではモンスター化した「消費者」の存在が、誤解と思い込みによって随分農業従事者を苦しめているような気がします。最低限の量を担保する農業政策と、国家安全保障戦略としての食糧政策、そして意識変化する消費者をしっかり見つめた流通政策の再考を痛感します。限られた「業界」としての食糧制作ではなく、まさに国民全員の「全体最適」を目指しての取り組みが大切なのでしょう。消費者の意識改革が必須です。

メッセージとしての言葉の力

Posted by 秋山孝二
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 この数か月、あらためて「言葉の力」によるメッセージ性、或いは説得力を感じる場面が多々ありました。

*オバマ大統領が就任する過程での節目節目の演説、今年4月のプラハ演説です。ただこれらは英語であり、その場に居たわけでもありませんので(6月にその広場には行きましたが)、感動は何分の一なのだと思います。

 http://www.whitehouse.gov/the_press_office/Remarks-By-President-Barack-Obama-In-Prague-As-Delivered/、日本語訳http://tokyo.usembassy.gov/j/p/tpj-20090405-77.html

http://jinandtonic.air-nifty.com/blog/2009/04/post-c97d.html

 *6月6日の品川正治さん講演会で、「『戦争を起こすのも人間、しかしそれを許さないで止めることができるのも人間ではないか。天災ではない。なぜそれに気がつかなかったのか』、それが私が戦争で得た基本的な姿勢です」と静かに語られました。この時のお話は2時間のDVDに収録しています。こちらまで green9zyonokai@gmail.comご連絡頂ければ送料込み1300円でお送り致します。

*秋葉広島市長は昨日の記者会見で、「核廃絶を願う世界の多数派を、『オバマジョリティー』と呼ぶよう提案したい。次世代への最低限の責任を果たすため、2020年までの核廃絶を実現するよう市民の力の結集を求める」と6日の演説概要を述べました。田上長崎市長も今年はプラハ演説を盛り込むようですね。今週のお二人の演説に注目です。

一方、スポーツの世界でも試合直後のヒーロー・ヒロインインタビューで、このところの若い選手たちは素晴らしいメッセージを私たちに送ってくれています。

*プロゴルフの男子・石川遼は、先日の小樽カントリー倶楽部で優勝した直後、一緒にプレーしたブレンダン・ジョーンズ(豪)選手http://www.golfdigest.co.jp/news/pro_profile/jgt/b_jones.aspを讃えるコメントを実に自然に表現していました。また、全英女子オープンで3位タイになった宮里藍も、一時トップタイになって惜しかったのですが、とても前向きなコメントにむしろそれを聞いた私たちが元気を貰いました。あの若さで素晴らしい日本語を使って自然に表現する能力、どこでそれは培われたのだろうと時々考えます。恐らく家庭環境が最も大きいのでしょうが、昔に比べて「話す力」「言葉での表現力」は格段に若い世代は進化しているような気がします。日本ハムのダルビッシュもいいですね。もし家庭以外で球団が彼にアドバイスをしていたとすれば、経営者の見識に感服いたします。プロ選手の子供たちへの影響等、まさに「社会的責任」の基本だと思うからです。

*プロボクシングの亀田兄弟は逆のモデルでしょうか。基本的な日本語が出来ていませんよ。年齢と立場を勘案してもひどい言葉使いですし、それ以上にそのままメディアの前に露出させるジム経営者、メディア関係者の見識を疑いました。それどころかメディアの、そんな非常識さを面白がるグロテスクな姿に憤りを感じます。言葉だけでなく対戦相手への侮蔑的雰囲気は、責任ある立場にいる者は当り前のこととしてきっちり叱責するべきだと思いますね。勝敗云々よりも、出来るだけ近いうちに兄弟たちの「気づき」を期待したいものです。マナーを越えた人格の問題だと。

*私が上場企業の代表取締役だった時に、人材開発部長に言ったことがありました。「取締役研修の教材として『放送禁止用語集』を使えないものか」と。当時、企業の不祥事等での記者会見で不適切な言葉・表現が頻発していました。予め用意しておいた原稿を読んでいるうちはごまかしが効くかもしれませんが、質疑応答の場面ではもろにその人柄が露出します。無意識の差別用語(片手落ち、バカでもチョンでも等)、不適切表現(女性蔑視等)は、命取りとなっていました。会社を代表する立場に在る者にとって、本来は持って生まれた能力と言い放ちたいのですが、これが個人の属性を越えて会社の品格・責任まで及ぶのであれば、不断の学びの中から吸収出来るようにプログラムを用意しなければならないでしょう。

外国語に対する認識でも、言葉が分からなくてもコミュニケーションは何とかなるものと言葉を軽視するのと、やはり言葉は極めて大切であると考えるのとでは大きく違ってきますね。先日、国際ソムリエコンクールで優秀な成績をおさめた日本人ソムリエが、「フランス語をもっと理解し駆使できれば、優勝できたと思う」と小規模の勉強会で謙虚に述懐していました。先日のゴルフの全英女子オープンでも、数人の日本人選手がキャディとの関係が明らかに上手くいっていない様子でプレーをしていました。案の定スコアは悪かったです。

昔、私が学生時代に通っていた東京の夜間の英会話学校である先生が、「とにかく、Talk! Talk! Talk!」といつもおっしゃっていました。「もし何も話することがない時は、今自分はこういう状態なので話が出来ない、と語るべき」とも。言葉・会話を通してコミュニケーションの重要性を伝えたかったのだと思います。

テレビのインタビューから、言葉にまつわるこれまでの場面が次々と頭を通り過ぎました。

第6回アースカフェ、栗山町で

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金丸農園パンフより

金丸農園パンフより 

  第6回アースカフェhttp://t-afi.net/が、栗山町の金丸農園http://www.farm-kanamaru.com/で開催されました。栗山町は町としても大変努力されていますねhttp://e-kuriyama.com/kiteru/。伝統ある小林酒造・北の錦記念館、パンの「さわや」、栗まんじゅう、くりやまコロッケ他、面白いスポットも多いです。

「土づくりからやさいが健康に育つ環境を目指して・・・」と題して、これまでの手作りモミガラ堆肥・手作り肥料のご努力他、ミニトマト栽培の現場から多くのことを学びました。また(株)アレフ びっくりドンキーhttp://www.aleph-inc.co.jp/佐藤(元)副社長のお話も大変面白かったです。現場をよく知る経営者が、これまでの農作物を巡る課題、問題提起、そして企業としての実践を通じて説得力のある内容でした。

金丸農園ミニトマト

金丸農園ミニトマト

 ミニトマトハウス内では、モミガラ堆肥を敷き詰めた様子が分かります。歩きながら赤いミニトマトを摘まんで食べましたが、甘い味が口の中に拡がり美味しかったですね。

我が家の庭でもトマトを栽培していますが、今年の日照不足でどこまで赤くなってくれるのか、祈るような気持です。とは言っても私の場合はトマトで生計をたててるわけでもなく、気楽な稼業ではありますが。

庭のトマト

庭のトマト

 ついでに我が家の庭の柿の木には、今年も実が沢山ついています。秋には熟した姿・色になってくれるでしょうか。

庭の柿の実

庭の柿の実

今回の金丸農園でのカフェは、先月の十勝の畑作4品の農業とは異なったタイプでのあり方を如実に知り、ひと言で「農業」と語るには余りに多様な生き方があることも理解したつもりです。これまでの農政の問題点も確かにありますが、それ以上に現在農業の担い手として頑張っている方々の前向きの姿勢に感動を受けました。

アースカフェ事業は、昨年から始めた秋山財団の「ネットワーク形成事業」の一つです。今年2年目を迎える他の4つのテーマに基づく活動も同様ですが、「いのちを育むいとなみの連鎖」とでもいうのでしょうか、着眼点はそれぞれ異なるのですが、何回も繰り返し議論・実践を進めていくと、結局は行きつく先に共通のテーマを感じるのです。以前農業に従事されていた方、今就農されている方、行政の方、私のように全くの素人、何かしら安心・安全な農作物に興味のある方他、異なる立場の方々が現場を見学し、場を囲んで数時間意見交換する意味が、こんなにも価値のあることとは思いませんでした。これからの活動へのヒントがあり、まさに「宝の山」です。

これまでに今後に繋がる材料をたくさん得た気がします。これらを更に進化させて、「多様ないのちが生きることが出来る大地」、そんな北海道を創っていきたいものですね、素晴らしい一日でした。

世界をみる眼ー21世紀初頭を超えてー

Posted by 秋山孝二
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  (財)日本総合研究所 http://www.nissoken.jp/rijicyou.htm 主催のフォーラムが開催されました。「『世界をみる眼』-21世紀初頭を越えてー」をテーマに、3人の方々の座談会、寺島さんの総括講演でした。

御厨 貴(みくりやたかし) http://www.mikuriya.rcast.u-tokyo.ac.jp/int/sp/index.html

伊東 乾(いとうけん) http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%88%C9%93%8C%81@%8A%A3/list.html

寺島実郎(てらしまじつろう) http://www2.jfn.co.jp/tera/index.html (このサイトで8月末にこのフォーラム要旨が閲覧できるそうです)

3人の方々は、今進んでいる世界の構造改革を分かりやすくお話されていました。特に日本にとっては中国の台頭、アメリカとの関係・距離について、受身の議論ではなく主体的戦略をどう構築するか、具体的なコメントも多かったですね。以下印象に残ったフレーズを書き留めます。

*英語で「CHINA」というのは「グレーター・チャイナ:連結中国」の意味、世界6000万人の華僑をイメージ

*日本人の中国人観を「侮蔑」に変えたのは日清戦争での勝利以降。それ以前は「尊敬の念」を抱く歴史だった

*第二次世界大戦で日本は中国に負けたという意識が希薄、それ以降は見ないようにしていたのが現実

*現在および将来は、物流・人流とも中国抜きでは考えられない――>近代以来の中国に対する日本の立ち位置を変える時

*日中関係を変えることは日米関係を変えると同義

*現在は「明治10年代の動き」と酷似、「価値をいかに見立てていくか」、「メディアをどう育てていくか」が重要

*今必要なことは、「実体への回帰・復帰」と「バーチャリティーのより高度な活用」

*日本の見立ての価値は高い安心・安全の概念、クオリファイの価値

 

アメリカと中国とが戦略会議を行ったニュースが流れています。日本も「アメリカのポチ」からの脱却を図る必要がありますね。内向きの議論ばかりに終始している場合ではありません。国の政策とは別に、芸術・文化他の地域・市民レベルでの積極的交流も盛んになっているので、これからも注視していきたいと思っています。

辻陽明さん、逝く

Posted by 秋山孝二
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 朝日新聞社編集委員の辻陽明(つじ・ようめい)さんが、6月11日に食道がんで亡くなられました、53歳の生涯でした。

昨日東京で「偲ぶ会」が催されて、朝日新聞社関係者、公益法人関係者等沢山の参加者で会場は溢れ、あらためて辻さんのこれまでのお仕事のご功績の高い評価とお人柄が偲ばれました。

祭壇の遺影・愛用のサックス・短詩

祭壇の遺影・愛用のサックス・短詩

亡くなる直前6月1日に詠まれた短詩です

亡くなる直前6月1日に詠まれた短詩です

生前ご一緒にお仕事をされた朝日新聞の記者の方々はじめ、とりわけ関係の深かった方の気持のこもった弔辞の数々、そして最後の奥様のお話に、会場のあちこちからすすり泣きが聞こえて参りました。千里のご出身で大阪大学法学部をご卒業されています。奥様のお話によると、09年4月に療養のために故郷千里に戻った辻さんは、千里の変化がご自分の人生の変遷と重なっているとお感じになられたと。辻さん自身は万博開催で進歩や発展の象徴だったかつての千里よりも、深い緑に包まれた静かで穏やかな千里にこそ「希望」があると思ったのではないか、とこの詩の思いも語られていました。

私は4年前でしたか、財団法人のフォーラム・懇親会で辻さんと初めてお会いしました。控えめに会場の端の方にお立ちではありましたが、何かそのお姿全身から醸し出す雰囲気に存在感があり、眼差しと表情の優しさが特に印象的でした。2005年10月1日から連載の「新市民伝」が始まったばかりの頃でした。その後大変多様な市民活動を担う方々70名を取材しての連載となりました。「これからは、本来的な意味の『新市民』の活動が社会を変えていく」ことへの深い見識を、私はその時に読み取りました。

人との出会いというのも不思議ですね。辻さんとはその後数回しかお会いしていないのに、その強烈なイメージは忘れることが出来ません。何回も飽きる程(?)お会いしていても殆ど心に残らないタイプも多い中、辻さんからのメッセージは実に印象的でした。昨日の弔辞をお聴きしていると、普段の職場でも人並み外れる情熱で光っていたようです。

昨年の洞爺湖サミットに対しても、07年5月に「日本NGO『陰の主役』」と題してのコラムも書かれていました。

ヤマハ音楽教室に通ってサックス演奏を習い続けて、発表会でも演奏されたそうです。昨日の会の終盤に辻さんの演奏録音が会場中に流れました。曲目は「Left Alone」でした。

願わくば、朝日新聞の中に辻陽明さんに続く若い記者の方々が、「シビル・ソサイアティ」への熱く優しい眼差しを持って続いて頂きたいものと。昨日会場に集まった皆さんの思いに違いありません。辻陽明さん、ありがとうございました。そして、安らかにお眠り下さい。

明日に架ける橋、・・・

Posted by 秋山孝二
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 サイモン&ガーファンクル札幌公演が札幌ドームで開催されました。

ポール・サイモンとアート・ガーファンクルは現在ともに67歳で16年ぶりの日本公演、そして最後の来日公演になるだろうとの前評判でした。それ故かどうか、7月10日の東京ドームをはじめとして当初4会場すべてがドームで、計20万人を動員予定との主催者の発表、更に1回の追加公演が東京武道館で決まり、チケットも2万円と大幅にアップしても満席だったようです。

'73アルバム「青春の軌跡」

先日の札幌ドームも1万人以上の聴衆でしたでしょうか。席は後方でしたので実物は小さくしか見えませんでしたが、ドームの野球バージョン外野手センター位置の舞台から発せられる音とメッセージは、壮大な空間全体に拡がり、あっという間の2時間超でした。初めから終わりまで、そして30分程のアンコールの最後まで、自分のあの時代の心情と重なって素晴らしいステージでした。

特に終わりの「明日に架ける橋」は、これまでレコード・CDで聴いた中で本当に最高でした。家に戻って検索すると多くの方のブログでも今回のツアーライブの批評が掲載されていました。アート・ガーファアンクルの音域が狭まった、衰えていた等とも、やたらにマニアックな評もあり、どうしてそうこき下ろすのかと不快でもありました。確かに40年前とは変わっていはいましたが、その変わり様が私にはこれまでの最高だったと感じました。自分の時代とともに彼らも11歳から出会ってからの変遷を通じてあの日を迎えて、ともに同じ時間・空間を共有出来た、そんな感動でした。昔買ったS&Gのレコードアルバムを久しぶりに取り出して、これまた久しぶりのプレーヤーに電源を入れて懐かしく聴いていました。

http://www.youtube.com/watch?v=GYKJuDxYr3I&feature=related これは発売当初のライブからです。冒頭に「New song」と紹介しています。

先日のライブはこちらの方に近かったです。http://www.youtube.com/watch?v=Bv0gU197IKk&feature=related

Like a bridge over trouble water,I will lay me down !

 

ここまで書き留めた所で私の携帯に突然の訃報が飛び込んできました、私より7年も年下の後輩が急逝したと。

葬儀に参列してご友人の弔辞を聞き更に驚きました。彼も先日のS&Gのライブに行っていて、「明日に架ける橋」に感動していたというのです。つい数日前の同じライブで同じ歌に感動していた人間が今はもういない、何とも言えない喪失感にしばし呆然としています。

「明日に架ける橋」とS&Gが言っていたではないか、と叫びたい気持もある一方、数か月前に続けて彼に会いながら大した言葉も交わすことなく過ごしてしまった無念さもあります。心からご冥福をお祈り致します。

地球建築士、松本洋さん

Posted by 秋山孝二
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 東京都港区六本木に国際文化会館http://www.i-house.or.jp/jp/があります。松本重治さんはその設立に深く関わり、二代目の当財団理事長に就任されて、1989年にお亡くなりになりました。そのご子息・松本洋さんはついこの間まで理事でしたが、私の叔母が理事長をつとめるワグナー・ナンドール・アートギャラリーhttp://wagnernandor.com/indexj.htmの活動で、この所数回お会いしてアドバイスを貰っています。

先日著書「地球建築士―国際交流・協力の五十年」http://www.hakurosya.com/kentikusi.htmを送って頂き、早速読みました。これは札幌に本社があり、翻訳者・山本光伸社長の柏艪舎http://www.hakurosya.com/information.htmlからからの出版です。

松本洋さんが訪問した国・まち・出会った人は、75カ国に及び、とりわけ日本では少ないアフリカ・南アメリカの方々との出会いが多いのが特徴でしょうね。

お父様のお話として、留学されていたイェール大学の歴史学教授朝河貫一博士は、「日本の本物の国際人は、本物の日本人でなければならない。国際人という人種はいない。大切なのは、どこの国にも立派に通用する日本人を育てることである」という信念を持たれていた、と。

また1929年京都で開催された第3回太平洋問題調査会国際会議(IPR:The Institute of  Pacific Relations)では、新渡戸稲造ともこの会議に一緒に参加しました。今でいう純民間の国際的NGO(非政府組織)です。リーダーだった新渡戸稲造の開会の言葉として、「世界は地中海沿岸の内海的文明から太平洋沿岸の大洋的文明へと移行しようとしている」と語り、文明の大きな転換期にあるという認識と、そこにおいては民間のNGOの役割が重要な役割を握るという見解を述べたのです。

不幸にも日本は、その後最悪のシナリオで戦争に向かいましたが、戦後まもなく「愚かなあやまちを繰り返さない」構想を基盤に、松本重治はロックフェラー財団、ライシャワー教授ら日米の多くの方々の協力もあり、「I・HOUSE(The International House of Japan):国際文化会館」を建設し、活動母体としての(財)国際文化会館を立ち上げました。最初の理事には南原繁も就任しています。

その活動の一つで2006年度に終了しましたが、「社会科学国際フォローシップ事業」は、新渡戸精神を現代に継承する優れたプログラムでした。

札医大のリレー講座で寺島実郎さんが、松本重治さんの言葉を引用されていました。「日米関係は米中関係である、国際文化会館創設者・松本重治の看破」と。

歴史の一コマ一コマの中に、優れた国際性を持たれた方々が活躍された事実を再認識するだけでも、今を生きる我々に大きな勇気を与えてくれます。2006年4月に、外観はそのままに内部を再生して、国際文化会館は生まれ変わってオープンしました。六本木の景観は大きく変わってはいますが、この会館の果たすべき役割は益々重要な価値を持ってきているに違いありません。

松本洋さんと出会い、タオ財団・新渡戸稲造・南原繁他、秋山財団の基盤と相通じる「こころざし」に驚くとともに、この一冊の本から理念の脈々と生き続ける証を得た感じです。

光り輝く、札医大公開リレー講座

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 6回にわたり、札幌医科大学で「医療人育成センター開設記念:リレー講座http://www.sapmed.ac.jp./gakum/koukaikouza/index.html」が開催されました。あまりの内容の豊富さにその後何回も読み直し、6月22日に最終回が終了したのですが私の手元に永くメモを置き過ぎました。この講座は寺島実郎さんと札医大今井浩三学長の信頼関係と固い絆に基づいて開講に漕ぎ着けました。

寺島実郎さんが責任監修で「世界の構造転換の中で、日本のあり方を考える――国際的視野を兼ね備えた人間性豊かな医療人を目指して――」とのサブタイトルもついています。寺島さんはこの種の講演を是非「午前中の人々:将来を担う世代」に聴いてもらいたい、といつもおっしゃっています。今回は基本的にはこれから医療を目指す学生・院生・大学関係者対象で、特別の一般市民枠の中で私は参加致しました。毎回400席以上の会場が満席で、またそれぞれの内容が豊富で、まさにテーマの通り「世界の中ので日本を考える」スケールの大きな哲学でした。

リレー講座チラシ

リレー講座チラシ

 詳細はHPでご覧頂けますが、寺島さん・中村さんのお話から思いつくままを書き留めます

中村桂子さんhttp://www.brh.co.jp/youkoso/aisatsu/

*人間は生きものであり、自然の一部である

*“生きていること”、これがあらゆる議論のベースであり、その為にはどんなことが出来るのか、を考えるべきである。日本列島の自然の中で生まれた日本文化を意識して、新しい価値をさがす。

*今日の基本的課題は 1)地球環境問題、 2)人心の荒廃、この二つは全く同じ原因である

*機械論的世界観から生命論的世界観へ:20世紀は「機械と火の時代」、21世紀は「生命と水の時代」、或いは20世紀は分析・還元、21世紀は統合

*時間と関係を組み込んだ知――地球上の生きものはすべて38億年前に誕生した細胞から生まれた仲間、現存の生態系はいかにして生まれ、どのような性質を持っているか、を探究することが重要

*生きものは「循環」「組み合わせ」「可塑性:かそせい」、これを活かした継続的社会づくり

 

寺島実郎さん http://www2.jfn.co.jp/tera/archive_doga.html

*自分自身を相対化できる人:「自分とは何だろう」を問う人――これを「知識人」という

*世界史の中で「北海道とは何か」――>極東ロシアとの関係を深耕すべき

*ロシアから北海道を見ると、北海道の世界史的存在は何か、が見えてくる

*今や世界は「構造転換」――アメリカの視点を変える必要がある。政治構造、経済構造、文化構造等

*「日米関係」は「米中関係」である:国際文化会館http://www.i-house.or.jp/jp/index.html創設者・松本重治の看破

*プロジェクト・エンジニアリングの必要性、「全体最適」が問われている

*日本人の知恵と覚悟が問われている

このシリーズ自体が大変示唆に富んだものであったとともに、一連のお話をこれからの医療を担う方々が直接聴衆としてその場にいたこと、これが二重の喜びでした。世界の構造変革の中で、私たちもこれまでの着眼を変えなければなりません。そして「日本的伝統・価値・ライフスタイル」の見つめ直しと再評価が、あらゆる発想の原点になるのだと思います。「大局的に捉える」ことを学びました。

一級の芸術作品でした

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  先日ある晴れた日に、自宅のドウダンツツジの生け垣をそろえようと久しぶりに近くに寄って見た所、何とスズメバチの巣が出来ているではありませんか。まだソフトボール大の大きさでしたが、数匹のハチが出たり入ったり。巣の写真では上方部が陰になっていますが、これは葉によるもので、ほぼ完全な球形でした。一匹のハチが巣の右上方にとまっています。外側の模様がブラウンを基調とした素晴らしい曲線のデザインで、思わず見とれてしまいました。

庭のハチの巣
庭のハチの巣

妻は大学時代ミツバチの研究で卒業論文を書いたので、ハチに関してはいつも教えられています。綺麗などと感心してはいられなく、仲通りの人が歩くちょうど顔の高さなので、特に子供たちにとっては大変危険とのこと。専門の駆除業者に連絡して昨日取り除いて貰いました。

その担当者の方によると、これは「コガタスズメバチ」の巣だそうです。「コガタ」はハチが小型ではなく、巣が小型とか。ハチ自身は北海道では2番目の大きさだそうで、巣はコロニーが拡大するにつれて大型になるのですが、夏が短い北海道では大きな群れを創るには至らない、それだけを養える環境がないとでも言うのでしょうか。どこか人間社会と似ている気がします。この作業には昨年までは市の補助金もあったそうですが、実費はかなりのコストでした。またこの専門業者に行きつくまでに、何と4か所も電話のタライ回し、最後は担当者が「ハチ駆除業務についての同意書」を提出して、「同意確認書」にサイン・押印を求められました。担当の方は大変プロフェッショナルだったのですが、補助金行政の名残でしょうか、およそサービス業の仕事手順とは思われませんでしたが・・・。除去後の責任問題へのクレームがあったのかと想像致します。

巣と言えば最近カラスの巣が財団事務所前の木に出来て、ひと月程前に除去して貰いました。また私の前の家にもカラスの巣が出来て、やはり取り除いたようです。山に近いせいか、気候の変動か、鳥の巣づくり・ハチの巣づくりにも変化があるようで、都会は住みにくくなってきているのでしょうか、それともまだ札幌の場合は自然がそばにあると言うべきなのでしょうか。

巣を失くしたハチは暫くその場所に戻ってくるそうです。ホームレスとなってこれからどうするのか気がかりではありますが、人間社会との折り合いの中で、この矛盾を受け入れるしかないのでしょうね。

「かんてんパパ」はとなり組

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 しばらく前の日経ビジネス「ひと劇場」に、伊那食品工業

http://www.kantenpp.co.jp/corpinfo/speech/index.html会長の塚越寛さんの言葉がありました。5年程前でしたか、札幌市中央区宮の森にある秋山財団のとなりに札幌店を移転されて、そのご挨拶にわざわざ長野県の本社からお出で頂き、しばし会社の経営理念・方針を伺いました。

となりの札幌店

となりの札幌店

成長の秘密は「社員の幸せ」との見出しで書かれているこの記事を読みながら、当時塚越社長のお言葉を思い出しています。経営方針として、「売り上げや利益は目的ではなく、企業経営の手段に過ぎない。企業の成長とは、去年より今年、今年より来年と、社員が幸せや豊かさを感じられるようになること」と、明快に語られていました。1958年の創業以来、48年間にわたって堅調に増収・増益を続けてきましたが、2005年の突然の寒天ブームがかえってそれ以後の反動に出くわしたようです。以下、塚越語録から幾つかです。

*業績が悪くなると、すぐに賃金カットやリストラに走る会社もありますが、目的と手段を取り違えているのではないでしょうか。

*利益は「ウンチ」です、健康な人は自然に良いウンチが出るでしょう。それと同じで、健康な企業からは、良い利益が出るものだと思っています。利益は企業の健康さの結果です。

*健康な会社とは何か、それはバランスが取れていることです。

*最終的な経営目標は、大きくなることではなく、永続することです。その為には、社員を大切にする、仕入先を大切にする、研究・開発をする、社会貢献する、のです。

*永続することが目標だから革新にも積極的になれます。時代の変化に応じて革新できない企業に、明日はありません。

 

隣に移ってきてから毎朝、「かんてんパパ」の社員の方々が、面する仲通と向こう三軒両隣を丁寧にほうきで掃いています、移転してから毎日ですよ。当初は「自分の家の前は自分でやりますから・・・」と申し上げたのですが、「どうかお気になさらずに。全社で社員の環境教育のために行っていますので。この地域で私どももお世話になりますから」との所長のお言葉でした。

塚越会長はまた、写真のセミプロで、毎年会社のカレンダーではご自分で撮影された季節ごとの風景が見事です。

7月の写真:ノウゼンカズラと中央アルプス宝剣岳

7月の写真:ノウゼンカズラと中央アルプス宝剣岳

企業経営にとって50年というのは山あり谷ありの激動の連続だと思います。そんな時代の変化の中で、「変えるもの」、「変えないもの」、「座標軸となるもの」をその時の経営者が的確に判断して結果を出して業績という評価につなげる、この仕事に求められる課題の重さを、私は塚越寛さんの人生を垣間見てあらためて感じています。「かんてんパパ」の社員は、幸せですね。

弾む、帯広で!ネットワーク形成事業(2)

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  ネットワーク形成事業の一つ、「第5回 アースカフェ:http://t-afi.net/」が帯広で開催されました。

今回のテーマは「感じる十勝農業――畑作4品の意義再考:若手農業者からのイノベーション」です。

(株)K’s FARM(梶農場): http://ksfarm.jp/ 代表取締役 梶宗徳さんとその仲間たち多数が案内人となり、フィールド・トロリー・ツアー、“倉庫カフェ”での創作料理会食、畑作4品の意義再考で、本当にエネルギッシュな数時間でした。とにかく20代の若い担い手達の溌剌とした表情・身のこなしに、プロの誇りを感じました。

若き担い手たち

若き担い手たち

若き担い手達

若き担い手達

 北海道デザインマネジメントフォーラムの方々もご参加で、「経営×デザイン=地域産業の未来を創る」視点から、農業とデザインとのコラボレイトを提案されていました。

今回の企画は、「十勝おやじの背中を超える会:事務局が(株)ノースプロダクションhttp://www.north-production.co.jp/」と「CROPS」の二つのメンバーが協力して開催されました。若い世代の「群れ」に、21世紀を感じましたね。

麦畑の中で

麦畑の中で

強い緑の色彩で、カメラも圧倒されてしまいました(変な画像で申し訳ありません)。

課題は多いと彼らは問題点を把握しています。交流会でも意見交換がありましたが、麦の流通の問題他、生産現場を直視しすることにより、まだまだ改革できる部分が沢山あるような気がしています。生産者・消費者といった枠組み自体が、すでに時代遅れなのだと思いますね。北海道の基幹産業は第一次産業であることを再認識して、21世紀的産業構造の再構築を展望するヒントを得ました。これからも彼らとの接点を持ち続け、ともに進化し続けたいと強く思いました。

皆さん、お疲れ様でした、そして、感謝です!

弾む、釧路で!ネットワーク形成事業(1)

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 秋山財団では、昨年度から「ネットワーク形成事業:http://www.akiyama-foundation.org/network/」への助成を始めました。5つのテーマでスタートして、今年度はそれぞれ2年目を迎えています。今年度は更に一つテーマを増やし、「世界先住民族ネットワークAINU:http://www.win-ainu.com/index.html」の活動を応援します。これまでフォーラム・ワークショップ・現地調査等活動も大変多彩です。この事業の共通する目的は、今まで異なったフィールド・視点で活動されている方々がテーブルを囲み議論・交流し、ネットワークを形成して新しい価値の創造と担い手の育成です。

先日、このうちの二つのフォーラムとワークショップが釧路・帯広で相次いで開催され、私も参加しました。一つは釧路で「社会起業研究会」、もう一つは帯広で「十勝イノベーションフォーラム:http://t-afi.net/」です。

「社会起業フォーラム in 釧路」では、釧路公立大学小磯修二学長が基調講演をされて、

名古屋からNPO法人アスクネット代表理事:http://www.ask-net.org/毛受(めんじょう)芳高さん、

札幌から(有)ジェイイック代表取締役:http://jicc-ltd.com/top.html島田昌幸さん、

浦幌町から(株)ノースプロダクション代表取締役:http://www.north-production.co.jp/近江正隆さん、

がパネラーで参加されました。参加者は若い方々も多く、雰囲気はかなりパワフルで、私も気合いを入れてお話を聴いていましたが、終わった後はかなりの疲労感でした。それだけパネラーの方々の発する力が強かったのかと同時に、あらためて自分の体力の衰えを感じました。地元で起業を目指す相原真樹君(http://blog.livedoor.jp/rasin/ もこの企画の準備から当日のコメントまで、釧路の若者にとって「挑戦できる地域にしたい」と大奮闘していました。これからが楽しみです。

心に残る言葉の数々でした。

*地域に生態系を創る、「よそ者」の視点、大人と若者と、資本力のある人と組む、学生が関われる仕組みづくり、・・etc

*やりたいことを見つける、出会いの場の提供、キャリアを描く場、挑戦の場づくり

*活動の幅を拡げて継続していくにはどうすればよいのか

*ソーシャルビジネスに必要な人的資源: 地域の中に 1)リーダー、2)プレーヤー、3)プロデューサー(裏方)

*イベント・フォーラムの取り組みは多いが、必要なのは「政策=仕組み」

*地域社会の中で仕組みは何か:地についた営みにするには、プロデューサー活動が重要

社会起業フォーラム・イン・釧路

社会起業フォーラム・イン・釧路

その中で、近江正隆さんhttp://www.omimasataka.com/ は今、話題の人になっています。東京都目黒のご出身ですが、浦幌町で漁師を目指して北海道にやって来ました。翌週の帯広でもまたお会いし、その志と地元への熱い眼差しに感動致しました。

近江さんのパンフレットから

近江さんのパンフレットから

釧路から「狼煙:のろし」があがることを期待しています!

蘇るとき、「僕たちの好きだった革命」

Posted by 秋山孝二
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公演パンフより
公演パンフより

 この全国公演を北海道演劇財団http://www.h-paf.ne.jp/もお手伝いしています。主演の中村雅俊は私と同じ年齢、企画・原案の堤幸彦もほぼ同じ年齢、脚本・演出の鴻上尚史は年下です。会場には若い世代のお客さんも予想以上に多く、ロビーには「キーワードの解説」と称して、「シュプレヒコール」「バリケード封鎖」「「ナンセンス!」等の言葉の丁寧な説明が掲示されていました、隔世の感でしたね。

芝居の冒頭からあの時代の記録フィルムで一気にタイムスリップです。この舞台が大学ではなく高校である設定が、一層面白さを増しているのでしょう。「自主的文化祭」とか、「主体性」とか、今の高校生には何を言っているのか理解が難しいですね。一方、「ムカつく」とか「ラップ」は、今でも私には違和感があります、理解しているつもりではいますが。

この数年私はある高校の「評議員」をやっていまして、年数回校長室で、今の学校教育に関して校長・教頭に意見具申を行う機会があります。「具申」といっても、むしろ私たちが現在の現場教育の説明を受ける場面が多いのですが、特に「総合学習」のプログラムには大変斬新で目を見張るものがあります。この芝居を見ていて、もし今私が高校のある教室で現役高校生と語る場面があるとすると、中村が扮する「山崎」同様の存在かと思わず一人で苦笑いでした。

会場で配布された「ごあいさつ」の中で、鴻上尚史さんが書いているフレーズで全く同感な部分がありましたので、引用します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーアナログで、つまりフィルムで撮った写真は、時間の経過とともに劣化します。色が落ちたりセピア色が強くなったり、輪郭がぼやけたりします。けれどデジタルで撮った写真は劣化しません。ビデオテープも同様で、昔買った名画のビデオテープは段々古くなります。10年経ってもう一度見る時、私たちは物語と共に“時間”も同時に体験するのです。けれどDVDになった作品は、もう時間が忍び込むことはありません。

人間の記憶は時間と共に劣化します。色鮮やかだった記憶は段々とぼんやりしてきます。どんなに忘れたくないと思っていも、どんなにこの瞬間を永遠に覚えておきたいと思っていても、人間の記憶は劣化します。私たちは哀しいけれど時間に振り回される存在なのです。

色褪せていく写真も、輪郭がぼやけていくビデオテープも、そういう意味でまさに人間の記憶と対応していました。色褪せた写真は、「過去」とは何かを具体的に人間に教えてくれました。「過去」とは記憶の色が落ち、輪郭がぼやけるということ。けれどデジタル写真は人間の時間を無視します。DVDに記録された風景はどんなに時間が経っても人間の記憶とは無関係に鮮やかであり続けるのです。

時間に振り回されることが哀しいと書きましたが、時間と共に記憶が色褪せていくからこそ、生きていこうと思えるのです。時間と共に劣化しない情報に囲まれながら生きていくことは、たぶん、無意識に息苦しい人生を送るということだと思います。そして、劣化しない映像を見ていると、現在の自分の身体が劣化していることを強烈に意識させられます。永遠を前にして、自分の存在が必ず劣化して死ぬ存在だと突きつけられるのです。十代か二十代、自分の人生が永遠に続くと“誤解”できる間は、デジタルの永遠を愛せるのだと思います。そして、いつの間にかデジタルの永遠は、自分の人生の有限を鮮明に教えてくれるようになるのです。ーーーーーーーーーー引用おわり

時の経過と記録映像と人間の記憶について、輪郭がぼやけていく、色が褪せる、そのことが生きていく糧になる、最近つくづく私はそう感じます。忘れるメカニズムを人間に備えたこと、それは「いのちの最高のシステム」だと思います。コンピューターの「Delete」とは違う、まさにぼやけていく微妙な感じですよ。

「ヘルメットに書きたい言葉は?」との質問に、出演した役者の方々がそれぞれ自分なりの言葉を書いていました。「Never Say Never」、「PEACE」、「生きろ!」・・・・etc。もし今、私に問われれば、私は「絆:きずな」と書きたいですね。

広島・長崎で願う、反戦・平和

Posted by 秋山孝二
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  広島に行く機会があり、早朝の平和公園を歩くと祈りを捧げる方々の姿も見受けられました。

また、先日のNHKニュースでは

『“死の灰”の放射能 世界初の確認 http://www.youtube.com/watch?v=P6RE7s5LMfg』、

「長崎大学医学部」のフレーズが目に入りました。この創始者は「愛生舘のこころ」シリーズでご紹介している松本順先生です。原爆投下の60数年後にもなお発する放射線の姿に、一層その恐ろしさを感じます。

広島原爆ドーム

広島原爆ドーム

平和公園の誓い

平和公園の誓い

前田一歩園財団への期待

Posted by 秋山孝二
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 釧路に久しぶりに行く用事があり、前日に阿寒湖畔まで足を延ばして、以前から訪問したかった「(財)前田一歩園財団 http://www.ippoen.or.jp/index.htm 」さまを訪問しました。前田三郎理事長は、秋山財団の創設期から評議員会議長としてご指導を頂き、これまでの一歩園財団の活動と今後の展開、特に顕彰事業と体験型事業についての抱負を伺うことが出来ました。阿寒湖畔の広大な土地を今日までしっかり守り育ててこられたご見識と、その理念の実現に向けたひた向きなご努力に心から敬服致します。初代の前田正名さまと東郷平八郎との写真他、貴重な歴史の一コマがホームページでご覧頂けます。 

財団事務所・門

財団事務所・門

庭園

庭園

これほど明確な理念を掲げられている財団法人を私は知りません。明治の人の「志の高さ」に感動するとともに、今もなお地道に活動されている一歩園財団の役員・職員の皆様のご努力から学ぶ事がらは実に多いです。今後のご活躍を祈念致します。

作田くん、頑張ってるね!

Posted by 秋山孝二
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 先日の道新朝刊札幌圏版の活字が目に飛び込んできました。

「W杯100キロマラソン日本代表 札幌チームの男女健闘、団体・作田さん金、太田さん銅」の見出しと、ジャパンの活字入りユニホームに金メダルを掲げる写真も一緒でした。「マラソン・作田」の文字に、私は瞬時に記憶が蘇りました。

彼は大学卒業後に、医薬品卸業の(株)秋山愛生舘に入社しました。面接時の様子を今でもはっきり覚えています。透明感のある前向きな雰囲気に、当時面接・採用担当の一員として是非採用したいと決めました。入社後に順調に育って営業職へと転身し、市内の支店で実績をあげていたある時に、「マラソンをもっと続けたいので、退社して大学時代からお世話になっている指導者のいるM百貨店に移りたい」旨の意思を採用担当課長経由で聞き、大きな衝撃を受けました。通勤の行き帰りもリュックサックを背負いランニングの毎日だっと聞いていました。まだ若い人間が前向きな動機で自分の人生を転進しようとする時、私自身の辿ってきた道からも、立場としては気持ちよく送り出してあげるのがベストなのだと自分に言いきかせて承諾致しました。

数年たった夏の暑い日、北海道マラソンでした。自宅から10分程度の場所が当時35キロ前後のコースになっていて、私の子どもを連れて何年か続けて応援に行っていました。そう言えば有森裕子さんがオリンピックで復活したきっかけをつくった時も同じ場で応援して、少年のような彼女のリズム感あふれる走りを見ていました。事前に作田くんが走るのを新聞か何かで分かっていたと思うのですね、地元ではかなり期待の選手との報道だったと思います。本当に暑い日差しの中で、自転車の先導部隊の後、彼が先頭の比較的早い集団の中で走る姿を見つけました。思わず大きな声で「作田、ガンバレ!」と辺りも気にせず私は連呼しました。彼の視線も気のせいかこちらに少し向いたようにも見えたのですが、汗をかいて光る黒褐色の肌としっかりした目線で前を向いて走るその姿に、涙が出てくるほど感動したのを今でも忘れられません。

翌日の新聞で結果を見ると20位との事でした。早速会社の本人宛に祝電を打ちました、35キロ付近で走る姿を見て感動したことも含めてです。初心を貫徹して走り続ける彼の生き方にも拍手を送ったつもりでした。数日後に、移ったM社の当時のI社長にある会合で会う機会があり、「先日の北海道マラソンで作田くんが頑張りましたね」とお祝いの気持で話しかけた所、その社長は「20位じゃ宣伝にも何にもなりやしないよ」との返事。私は怒りを堪えきれずにその場を離れました、「お前なんかに作田の努力が分かるはずないじゃないか!」。

彼の妹さんも確か(株)秋山愛生舘に勤めていらっしゃって、その同僚から後日何かの時に、彼が私からの祝電を自分の部屋の壁に貼っているとの情報を得ました。私の気持が伝わったと再度感激した次第です。

今回の100キロマラソンでは28カ国から180人以上の参加があったとか。記事によると「世界にはまだまだ年上の代表選手がいました。今回の経験を次に生かしたい」と抱負をの述べています。本当にコツコツと地道な努力の積み重ねで、よく20年以上も過酷なマラソンを走り続けているものだと、頭の下がる思いです。

作田くん、これからもあなたらしい人生を歩み続けて下さいね、この度は本当におめでとうございます!