北海道の演劇、過去から未来へ

Posted by 秋山孝二
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 今年も札幌で始まりました、「さっぽろアートステージ2012:http://www.s-artstage.com/2012/」、そしてその舞台芸術部門の「さっぽろ劇場祭:シアター・ゴー・ラウンド:TGR(http://www.s-artstage.com/2012/tgr2012/)」も盛況です。

 これまで以上に、今年の11月は盛りだくさんです。中島公園の北海道文学館(http://www.h-bungaku.or.jp/)では、特別展示「戦後の北海道の演劇:http://www.h-bungaku.or.jp/」で、多彩なトーク等も12月中旬まで予定されています。

特別展示「戦後の北海道の演劇」

特別展示「戦後の北海道の演劇」

(公財)北海道演劇財団 平田修二専務理事のトークタイム

(公財)北海道演劇財団 平田修二専務理事のトークタイム

 「さっぽろ劇場祭」では、私は今年3年目の審査員です。11月最初から12月1日まで、エントリー作品を12月2日の公開審査会までに札幌市内9劇場で観劇し、今年の「大賞」、「特別賞」、「新人賞」を決めます。公演日時が限定されているので、多い時は一日3つの芝居を渡り歩いて観る時。まさに来る日も来る日も幅広いジャンルの「演劇」鑑賞です。昨日現在、折り返し点間近といった感じでしょうか、熱演が続いていますし、この所は「人形劇」のジャンルが格段に進化しているような気がします。

中島公園から藻岩山を

中島公園から藻岩山を

 気がついてみると、中島公園もすっかり秋の気配、この写真は1週間程前ですから、今日あたりはもう葉っぱもすっかり落ちているかもしれません。色とりどりの紅葉、それぞれのシーズンの収穫期とでも言うのか、2年前にも書きましたが(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6454)、私は「秋」が最も好きな季節です。

2012年、深まりゆく札幌の秋

Posted by 秋山孝二
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 今年の札幌の秋は、9月に異常な暑さが続き、10月からは一気に気温が下がって大雨と強風の連続。例年真っ赤に色づく木々の葉っぱは、色が変わる前に落ち葉となって地面に。少し違った秋を経て、いよいよ冬への準備です。

北海道神宮境内

北海道神宮境内

 

神宮から円山公園

神宮から円山公園、円山からの水も多めです

円山公園入口近くのいつものポイント

円山公園入口近くのいつものポイント

 庭の名月カエデ、ドウダンツツジも殆ど赤くなりません。ただ、昨年異常に少なかった柿の実(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10619)は、今年は実にたくさん成っています。開花時の虫が一生懸命働いてくれたのでしょう。熊の出没は、今年はかなり早い時期からでした。人間が自然に近づき過ぎた(?)のかもしれませんね。

秋のさっぽろ、円山公園の「母子像・ふるさと」です。<今井さん撮影>

 秋の円山公園、「母子像・ふるさと」<今井さん撮影>

立派でした、日本ハム・ファイターズ!

Posted by 秋山孝二
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 今年の日本ハムファイターズ、ダルビッシュの抜けた穴を埋めて、皆さんよく頑張りました!栗山監督もお疲れさまでした、シーズンスタートのテレビ朝日・古館さんの夜の番組で、キャンプの自室に「孫子の兵法」を持ち込んで勉強されているお姿を見て、これはただものにあらずと陰ながら期待をしていました。

 

 読売ジャイアンツとの日本シリーズ、後味の悪さはかつて無い程です。マスメディアは、いつものメディアスクラムでその後殆ど記事にしていませんが、ブログはその点いいですね、率直な声を掲載できますから。

 まずは第二戦のG・澤村投手のいきなり1回に2つのデッドボール、これで中田翔はこの試合途中で交代、以後も手負いでした。今日の報道によると実は骨折で、全治3週間とか、澤村は目的達成ですかっ!次は先日の第5戦、危険球退場(http://matome.naver.jp/odai/2135177002253960001)ですが、ひどい場面でしたね、「読売ジャイアンツ」というチームの今の姿を浮き彫りにしたシーンです。捕手加藤健のあの演技にもならない転び方と痛がり方、バントをし損ねた自分のバットが頭に当たっただけの場面です。サッカーなら、加藤こそが「シミュレーション」行為でレッドカード、一発退場でしょう。ベンチから飛び出してきた原監督他数名、とても「紳士集団」などと言えるものではありません。それらに屈している審判団の軟弱さ、スポーツマンシップの欠如、悪意に満ちた・・・・、子どもたちには見せられない場面でありチームですよ。

 以前から、長野、澤村のプレー態度、脇谷・加藤健をかばうG選手たち、そのかもし出す雰囲気、漂う空気が、いかにもスポーツマンシップからは遠く、「勝負はオレ達には何とでもなる」みたいな傲慢さを感じるのです、マスメディアも含めた体制の中で。

 誤審に関してのインターネット上のつぶやきは面白いですね、今年の「G」を皮肉るシャープなセンスに、思わず「天晴れ!」です : 

「ジャンパイヤめ!」

「これが巨人野球さ」

「疑惑は監督だけで十分、紳士の集団さま!」

「確かに、当たっていないというのは、『当たってる!』」

「審判、お前も一億円もらったのか!」

「疑惑なのは柳田浩一主審の審判であって多田野の球ではないはず、正しく報道しろ!」

 実は、私は当日は会合があり、その場面を見ていなかったのです。帰りのタクシーの運転手が、えらく怒っているので、「どうしたの?」と聞いたらこの話でした。「今のGは、長島・王のいた時代とは似て非なるチーム」と、降りる時には私の思いと一致し、「お疲れさま」で別れました。昨年のGの脇谷の落球をアウトとした判定(http://www.youtube.com/watch?v=-8eQHy7Y9AA)、明らかな間違いを隠すGチームメイト、「金」で選手をかき集める球団体質、マイケル、小笠原等、Gユニフォームの彼らを見るたびに、心が痛みました。

 反面、日ハムのうなるプレーは、その中で幾つもありました。私が印象的だったのは、一つは、チャンスに「代打二岡」が告げられ、敬遠のフォアボールで歩かされた時です。彼は一度もバットを振ることなく、まさに彼の存在がバッターボックスにあるだけで一塁を獲得したのです。第5戦の飯山のサヨナラヒットも凄かったし、第6戦の最終回、鶴岡が代打で登場して見事ヒットを打ったシーンも執念を感じ、選手会長として最後まで諦めずに真摯に勝負に挑みチャンスを作ろうとするそのプロフェッショナルの姿に感動しました。

 一方メジャーリーグにチャレンジしたダルビッシュの今年は、本当に闘いの連続だったようですね。4日夜のNHK総合テレビで、彼は率直に語っていました、「野球」と「ベースボール」はまるで別物、と。ボール、ピッチャーズマウンド、ゲームメイクほか、素人がただ観戦しているのでは分からない、大変な苦労があったことを知り、私は彼のブログ(http://ameblo.jp/darvish-yu-blog/)を追いかけて知っていたつもりでしたが、違いと格闘していたダルビッシュに、あらためて応援の拍手です。

 2009年の日本ハムファイターズのパレード(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2709)以来の札幌でのパレードが、11月24日に札幌駅前通りで盛大に行われます。また2時間半以上前に行って、街頭スクリーンを見ながら多くの人と喜びを分かち合いたいですね、特に栗山監督には「ありがとう!」と。今でも、私の机の上には、過去の紙吹雪の色紙が置いてあります。

 今年の日本ハム・ファイターズのパ・リーグ優勝、 そして、ダルビッシュの苦闘を乗り越えての16勝の活躍と、私は勇気を貰いました。コーチも大幅に代わりそうだし、選手も入れ替えがあるようです、来シーズンこそ栗山監督の本当の意味での真価が問われるのでしょう、ダルビッシュも含めて、来年のさらなる活躍を期待します!

再稼働なしで、この冬を乗り切ろう!

Posted by 秋山孝二
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 先日、北海道大学吉田文和先生が、北海道の道政記者クラブで記者会見を行い、私も同席致しました。12大学130名を越える研究者の方々の声明に、経済団体の一員、経営者としてこれに賛同する立ち位置でです。

 昨年3・11以降、マスメディアでは「経済界」、「経済団体」とよく出てきますが、メッセージが「満場一致」の議決を経て出されている訳ではありません、いやそれどころか、あたかも日本で営む企業を代表するかのような誤解は、しっかり払しょくしなくてはなりません。先月私が書いたように(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=14447)、経済団体のそれぞれの中身は多様であり、様々な意見を持つ経営者がいることを、世の中の方々に分かって頂きたい、少なくとも北海道民には、そんな思いが私にはずっとありました。それゆえ、今回、吉田文和先生ほか研究者の皆さまの思いに賛同する意思を、経済団体に所属する経営者として明確にしたつもりです。限られた時間でしたので、実際はここに記載されている以上の、多くの賛同する経営者がいらっしゃいます。

声明文概要は下記で、賛同した経営者は11月2日現在です。

~~~~声明文概要~~~~~~~~~~~~~~~~~~

泊原発の再稼働なしでこの冬を乗り切ろう―泊原発再稼働問題について        2012年11月2日
吉田文和(代表声明者、他130名北海道内大学研究者)
(1)泊原発は再稼働できる条件にはない
 この冬の電力不足が想定されるとして、北海道電力泊原発1号、2号の再稼働について、当事者である北海道電力を先頭に、経団連とともに北海道の経済団体が経済産業大臣に再稼働実施の働きかけを行っている。そもそも福島第1原発の事故については、政府と国会の事故調委員会報告がすでに公表されており、これを受けた原発の新たな安全基準づくりが求められており、新たに発足した原子力規制委員会の安全基準づくりも来年7月を目途とされる。したがって、この冬に泊原発の再稼働を求めることは、その新基準の前に再稼働を迫る異常な行動である。
 原発に関する将来選択については種々意見があるが、論理的に考えて、震災前の安全基準が徹底的に見直され、それが確認されるまで原発を稼働できないことは当然の考え方である。現段階で原発を再稼働することは、近い将来再び大震災が起こることはない、という根拠のない無責任な楽観論を拠り所にしているといわざるをえない
 現在の泊原発は、東日本大震災に匹敵する頻度で起こりうる地震と津波に耐えられないことは明らかでる。しかも福島第1原発に設置されていた免震重要棟はなく、オフサイト・センターは海抜わずか4mに位置しており、移転を計画中である。また泊原発は加圧水PWR型で、ベント装置もフィルターも設置されていない。周辺の避難道路の整備も遅れている。北海道電力が泊原発で予定している、津波対策の防潮堤の完成などは2、3年先であり、指摘されている周辺の黒松内断層などの影響による送電線倒壊についても、影響評価と防止対策が明らかにされていない。
 以上のような状況において、冬の電力不足を理由に泊原発の再稼働を認めることは、安全性が確認できない原発を稼働することによるリスクに、北海道民をさらすことになりかねず、再稼働すべきではない。万が一の事故が起こった場合には、道央圏が放射能の汚染によって居住不可能になる場合があること、北海道の基幹産業である一次産業が大きな打撃を受けることを考えなければならない。
(2)安全な電力確保は電力会社の社会的責務である
 一方、原発を再稼働させない場合、冬の電力不足と停電のリスクの問題があり、原発再稼働のリスクかあるいは冬の停電のリスクかという、一種の「社会的ジレンマ」といわれる事態に北海道が直面しているかのような状況を呈している。この「社会的ジレンマ」を解決するには、関係当事者の責任と分担を明らかにして、一部の人々の負担に頼るのではなく、社会の構成員全員の積極的参加と議論に基づく対処と行動が不可欠である。
 そこで、原発再稼働のリスクと停電のリスクの両方を避けながら、予防原則に立ちかえり、安全サイドに舵を切りながら、道民が10%を目標に節電対策などに最大限努力、協力して節電対策を行えば、原発の再稼働は必要なくなる。そして、第3者検証により、もしどうしても火力発電による燃料代金値上げの必要性が確認できれば、その分の消費者負担も多くの道民は受け入れることになるであろう。その際はもちろん、社会的経済的弱者への配慮が不可欠である
 そうしたうえで、電力の安定供給は地域独占が許された電力会社自身の社会的責務であり、北本連系線による本州からの送電確保、自家発電の要請、予備電源の準備など、北海道電力が行うべきメニューは数多くあるので、これまでの努力を踏まえさらに改善に取り組むべきである。政府の需給検証委員会でも指摘されているように、北海道電力の具体的な電力確保対策、節電対策は、まだ不十分である。
(3)道民の知恵と協力で電力危機を乗り切ろう
 鉄道や病院には優先的に電力を確保することにより、道民の生活や健康・生命は確保される。泊原発ができてから、オール電化のキャンペーンなどで道内の電力消費は1.5倍になったのであり、電気を代替できる石油ストーブ、ガス、ストーブへの切り替えによって電力消費を抑えることができる。北海道電力は停電や計画停電を避けるように最大限努力し、一方で道民、企業等も不測の事態に備えるべきである。また住民が節電に努力できるよう節電の可視化やインセンティブの設定をいっそう推進すべきである。
 これまでにない電力危機を、道民の協力で乗り切るべく、当事者である北海道電力は、今後、情報開示を一層積極的に行い、電力確保に努め、北海道庁をはじめ行政各機関は、各企業、道民と協力して対処すべきである。
 泊原発の再稼働なしでこの冬を乗り切れるかどうかは、ひとえに北海道民の知恵と協力にかかっている。従って当事者である北海道電力は、他の経済団体を巻き込んで、泊原発の再稼働に動くのではなく、再稼働をしないで冬の電力供給の責任を果たすために、できる限りの方策を講じるべきである。火力発電の停止の場合を想定した計画停電も避けるべく最大限努力すべきである。通常の火力発電の運転確保も保証できない技術レベルで、どうして原発を安全に再稼働できるのだろうかと、残念ながら疑問を持たざるをえない。こうなったのは、原子力に過度に投資をし、天然ガス火力発電への投資が遅れ、本当の意味でのベストミックスを見失った一方で、泊原発も防災・安全対策が不十分であるという、経営のあり方の問題なのである。
 新しくできた原子力規制委員会の新基準の策定前に、この冬の泊原発再稼働を認めれば、原子力規制委員会そのものの存在価値が問われかねず、政府も再稼働に慎重にならざるをえない国内情勢があり、他方で、北海道の基幹産業である農業と水産業の従事者が再稼働反対で北海道知事も新基準前の再稼働に慎重な姿勢を取らざるを得ない道内情勢がある。北海道電力の経営陣は、これらの情勢を理解判断することができず、いまだに再稼働に固執し、本格的な電力供給の緊急対策に腰が入らない状況は誠に遺憾で、危険な状態である
 昨年8月に泊原発3号機の「無条件の営業運転開始」を容認できないという声明をだした私どもは、北海道電力が経団連や北海道の経済団体とともに泊原発の再稼働を要求しているという事態の緊急性を鑑みて、泊原発再稼働問題について声明を公表いたす次第である

 

<経営者の声明賛同者>   肩書のない方は、みなさん「代表取締役社長」
* 植田英隆  株式会社 りんゆう観光
* 内山博   株式会社 旅システム 
* 清水誓幸  株式会社 スーパーライン北翔        
* 白鳥雅芳
* 加城祐史   オホーツク警備保障 株式会社
* 川田弘教   川田自動車工業 株式会社
* 國枝恭二   株式会社 帯建工業    (*エネ経会議 北海道支部長)
* 小枝秀則   小枝産業 株式会社
* 後藤健市   合同会社 場所文化機構
* 竹本直人   株式会社 ネクセスステージ
* 仁志方紀   有限会社 仁志陶器建材店
* 爲廣正彦   株式会社 エコERC(エルク)
* 前川和弘   北海道生活協同組合連合会 専務理事
* 舛川誠     北見通運 株式会社
* 三宅雅登   左希子化粧 株式会社
* 宮下 周平  株式会社 まほろば 
* 森実さとみ
* 秋山孝二  北海道経済同友会 幹事
<参考>
「エネルギーから経済を考える経営者ネットワーク会議
https://enekei.jp/page/concept>
~趣意書より~
私たちが具体的に取り組むべきは、単なる反原発運動ではなく、原発がないほう
が健全な国・地域づくりができるという対案を示し、それを実践していくことだと
思っております。そのひとつは地域でのエネルギー自給のしくみを、最初は小さく
ともいいから、同時多発的に実現させることであり、そのための活動をしてまいり
ます。たくさんの小さな循環を起こし、そのネットワークを創っていくこと。いわば
「実践のネットワーク」。それが私たちの役割だと任じています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

松村昭雄さんの札幌訪問

Posted by 秋山孝二
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 国連アドバイザーだった松村昭雄さんが、先日50年ぶりに札幌をご訪問され、その折に、札幌市上田文雄市長ほか、北海道の経済界のトップとも面談しました。夜も、北海道経済同友会幹部と会食し、北海道が、昨年3・11以降の国難にどんな貢献が出来るかを、真摯に語り合いました、久しぶりに正しい現状認識に基づいた前向きの意見交換ができて、今後の展開に大きな助言を頂きました。

 松村さんが何ものか(?!)をご紹介するのは実に難しいことですが、今回何を札幌のリーダーたちに訴えたかったかは、私がくどくど書くよりも下記のブログをお読み頂ければ一目瞭然です(日本語は「japanese」をクリック)。ひと言で言えば、日本のリーダーたちが、今のフクシマ原発事故に対して危機感が欠如していることへの警鐘です。現実の状況としっかり向き合い、国際社会の英知も結集して、長い時間の取り組みを宣言する必要があるのでしょう、日本国の信頼を確保するために。

 チェルノブイリ事故では結局どうして爆発を収束させたか、そしてその甚大な被害が実際、今、子どもたちにどう影響しているか、世界のトップレベルの科学者、見識のある方々のコメントを直に聴きながらの松村さんのお話には説得力がありました。

<2012.6.11ブログ http://akiomatsumura.com/2012/06/what-is-the-united-states-government-waiting-for.html

<2012.8.24ブログ http://akiomatsumura.com/2012/08/the-nuclear-sacrifice-of-our-children-14-recommendations-to-help-radiation-contaminated-japan.html

 

 昨年10月のIBM北海道会議(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10557)でも小磯修二先生が講演されたように、北海道という地は、その開拓の歴史をさかのぼると、明治維新の幕末諸藩の雇用創出としての大移民計画、第二次世界大戦直後の外地からの復員兵とその家族の雇用創出移民計画等、国策としての移民政策の成功モデルとして世界的な評価を得ています。

 今、「フクシマの復興」というよりも、「日本の復興」という意味で、北海道の果たすべき役割は大きいでしょう。そしてその計画は、「避難する人々の受け入れ」ではなく、福島の方々の誇りを尊重するものでなくてはなりません。人が場所を移して暮らすことは、憐憫の情では長続きはしません、たとえば、福島の伝統・文化の導入、技術移転とかですね、第三の大移民計画」とでも呼べるものが必要なのではないでしょうか。

再エネ & グリーンエコノミー

Posted by 秋山孝二
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 「北海道大学 サステナビリティー・ウィーク2012」のプログラムの一つで、「環境政策セミナー:http://www.sustain.hokudai.ac.jp/sw/jp/2012/environmental/」が開催されました。

再生可能エネルギーとグリーンエコノミー

再生可能エネルギーとグリーンエコノミー

  「持続可能な北海道・日本・世界へ~再生可能エネルギーとグリーンエコノミー ~」と題したこの環境政策セミナーでは、再生可能エネルギーに携わる研究者、ビジネスマン、国のRio+20担当者の講演、パネルディスカッションを通じて、この間の世界の動きを概観し、北海道各地のいままでの取組の成果と、今後の再生可能エネルギーの利用促進を通じた持続可能な社会の達成に向けての課題が提起されました。

後半のパネルディスカッション

後半のパネルディスカッション

<講演・パネリスト>

* 北海道大学大学院経済学研究科 吉田文和 教授

* 日本政策投資銀行 環境・CSR部 竹ヶ原啓介 部長

* NPO法人 北海道グリーンファンド 鈴木亨 理事長

* 環境省地球環境局国際連携課 柴田泰邦 課長補佐

<コーディネーター>

北海道大学大学院地球環境科学研究院 荒井眞一 特任教授

 それぞれ大変有意義なメッセージの数々、その中で私は、特に、お金の流れ、投資からみた再生可能エネルギーを語った竹ヶ原さんのお話が印象に残りましたね。ファイナンスと地域展開とで、幾つか構造的な難しさを指摘されていました。地域から見た再生可能エネルギーのニーズと、それらに投資するサイドとのモチベーションのずれみたいなお話、北海道の今後の留意点だと思います。他には匿名組合設立によるファイナンス、まさに証券化(小口化)ですね。

 もう一つは、鈴木さんが指摘されていた「信用補完」、これこそが地域の金融機関、特に、銀行の果たすべき役割なのでしょう。昨今、信用金庫の中でそれに気がついている金融機関が出てきて業績を伸ばしています。さらに、寒冷地北海道ゆえに、冬の「熱」をどう電気以外で確保するのか、「コジェネレーション」の重要性と効率向上です。

北海道神宮境内では、秋

北海道神宮境内では、秋

 会場に向かう日、気がついてみると9月の猛暑から一ヵ月しか経ていないのに、外は確実に秋の気配。今年の冬は例年にも増して、「北国に住む人々の知恵」が求められそうです。

 新しい時代の新しいライフスタイル、安全・安心は、我々が「獲得していくもの」なのでしょう。

「父歸る」、米倉斉加年の海流座

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 「海流座は米倉斉加年が新劇の仲間と芝居をするために作った一座です」とチラシに書かれています。9月20日から今月末まで北海道巡業していて、先日、札幌の「シアターZoo:http://www.h-paf.ne.jp/zoo/index.html」で観ることができました。

父歸る&二十二夜待ち

父歸る&二十二夜待ち

シアターZoo入口

シアターZoo入口

 二つの演目、途中休憩をはさんでも1時間半程、狭い空間でしたが、素晴らしいひと時で心から感動し、しばし席を離れられませんでしたね。米倉斉加年(http://www.masakane.jp/masakane_tu_an/toppu.html)の圧倒的な存在感、特に「父歸る:http://www.geocities.jp/kyoketu/1128.html」の最初のシーンで、何も語らずもただ立っている瞬間の姿、長男の言葉を背中に受けて立ち去っていく後姿、絞り出す一つ一つの言葉と間合い等、あっこれだったなと、私自身の演劇との出会いを確認したような気がします。自分にとっての「芝居」、「演劇」の原点です。余計な説明とか形容を削ぎ落として、吟味された言葉を紡ぎ出し、やり取りの間合いも絶妙で自分の気持が付いていけるみたいな、終了後も余韻を楽しめる、そんな雰囲気が実に心地よいです。

 思い起せば30数年前、東京の読売ホールで観た山本安英と宇野重吉の「夕鶴:http://kankyakuseki.iza-yoi.net/WEBREVIEW/reviews/Yuuduru.html」、滝沢修の「炎の人:http://kankyakuseki.iza-yoi.net/WEBREVIEW/reviews/Honono-Hito.html」、あの時の感動と同じ質のものでした。

 「二十二夜待ち」では、村人たちに北広島市民の方々も出演していました、終わってからの米倉さんの説明で分かったのですが・・・・。そして、利尻島はじめ北海道を巡るうちに、芝居がどんどん進化・深化しているとのお話も。間近で米倉さんの演出の芝居で舞台に立てる、幸せですね。

 以下、チラシより~~~~~~~~~~~~~~

芝居のはじまりファースト・ステージは、師宇野重吉について全国の旅公演からでした。

そして、いま、ラスト・ステージ人生の最終章を、仲間と共に私は、全国の旅回りで・・・・生きたいと思っています―――

舞台の完成は観客の目によって仕上がります。いい芝居はいい観客が創り上げる。私は本当の観客を求めて旅に出る・・・・

いい芝居とは、観る人、創る人の生きる喜び、哀しみ、怒り、楽しみが―――

それぞれの人生がそれぞれの心の中に燃える―――

これが現実で生きる力となる。

そんな舞台をもって旅に出る―――

みなさんとお目にかかれる日を心より願っております。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

 今回の「『二十二夜待ち』民話劇 木下順二 作」、「『父歸る』菊池寛 作」、ともに米倉斉加年さんの演出で、心に沁み入りました、演劇って、本当に「生きる力」です、ね。

ユニークな「ビジュアル・アート」

Posted by 秋山孝二
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  アメリカ・バーモント州の友人から最近の作品:http://www.meryllebowitz.com/index.html

~~~~~~~~Vermont artist Meryl Lebowits has been creating unique visual art for more than 30 years.

アメリカ・バーモント州で、パロディー

アメリカ・バーモント州、作品コラボレーション

ハンガリーでの大汚染事故

Posted by 秋山孝二
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 先日、ハンガリー出張中に、地元の方から2年前に起きた「同国史上最悪の化学災害」についてお話を伺いました。私の記憶では、当時何か新聞紙上で赤い色の写真があったようなといった程度でしたが、その後はすっかり忘却の彼方へ。

 その地元の方々がおっしゃるには、ハンガリーでは、EU加盟前は新鮮な野菜とかミルクが豊富だったのですが、EUに加盟して以来、身近な食物が手に入りにくくなったと不満げでした。地産地消だった優れた産品が広域連合になって広く流通することになり、地元のそれらが手に入らなくなる不条理、もう一つ、いろいろな分野での「基準」が、地域の理念とか特異性が無視されて、悪い意味で「標準化」された、或いは「より緩い基準に統一された」、そんな弊害を実感を持って語ってくれました。

 2010年10月4日に起きたこの事故では、同国西部アイカ(Ajka)のアルミニウム精錬工場の廃液貯水池から、周辺地域に110万立方メートルの有毒な赤い汚泥が流出し、10人が死亡、約150人が負傷したとのこと。その後、ハンガリー国内にとどまらず、ヨーロッパ全体の環境汚染問題へと発展して、深刻な事態になっているそうです、ヨーロッパの「食糧倉庫」としてのハンガリーとしてもですね。原因は、老朽化した巨大な貯水槽がひび割れて、膨大な有毒な廃液が流れ出たと、きわめてシンプルなのですが、何か底知れぬ恐怖感を抱きます。

ニュース報道はこちら:http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/accidents/2764863/6303707

 

 日本に戻ってからインターネットで検索してみると、この事故に対して、北海道大学スラブ研究センターの家田修先生が、EU基準と国内基準の二重性に関して、詳細な論文を書かれています(http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/publictn/japan_border_review/no2/07_ieda.pdf)。その中に、「国際メディアは第一報として赤泥流出事故を大きく取り上げたが、その後、なぜか全く報道が途絶え、事故の経過や原因については霧に包まれたままとなった。しかし現地での調査などをもとに事故の背景を調べてゆくと、単なる一企業の産業廃棄物事故を越えて、ハンガリーとEU(欧州連合)、さらには日本も含む世界全体が抱える環境問題に行き当たる」と述べています。

 家田修先生が今年4月に主催された講演会(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12476)は、私も出席しました。

 今回のこのお話は、たまたまブダペストで地元に住む方のご自宅で食事中の話題でした。経済成長と環境問題、「島国日本」とよく言われますが、孤立している訳ではありません、日本海、オホーツク海、太平洋でつながっていると考えれば、日本における環境問題も、まさに即、世界的課題となるのでしょう、とても他人事とは思えませんでした。

「地域医療と霞が関の半世紀」

Posted by 秋山孝二
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 NHK教育テレビのETV特集「地域医療と霞が関の半世紀(http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2012/1007.html)」は、大震災被害の病院再建から、戦後の医療政策をさかのぼる、大変優れた番組でした。「医療」は、これまでの私の人生の中でも、重要なテーマであり、これからも寄り添い続けます(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%8C%BB%E7%99%82)。

震災後の復興と戦後医療の問題提起

震災後の復興と戦後医療への問題提起

 医薬品卸業経営者として、医薬品流通の立場で度々お会いした日本医師会の坪井栄孝元会長、秋山財団の最初の講演会の演者でお招きした日野原重明先生、厚生省(現・厚生労働省)の幸田正孝さんほか、懐かしいお顔も登場していました。坪井先生は、お会いした時はいつでも、当時まだ若かった私の話をしっかりお聞き下さり、飾り気なく、誠実に向き合って頂きました。

第15代日本医師会会長・坪井栄孝先生

第15代日本医師会会長・坪井栄孝先生

幸田正孝さんと武見太郎先生

幸田正孝さんと武見太郎先生

 東日本大震災によって被災した医療機関は、実は震災前から、医師不足と赤字経営に苦しむ医療過疎地域でした。岩手県陸前高田市の県立高田病院では、今は、全国から駆けつけた応援の医師たちの助けを借りながら、何とか仮設診療所での診察を続けています。

片野嘉一郎先生

片野嘉一郎先生

 福島県では、福島第一原発の事故後、放射能による健康被害を懸念し、医師の離職が相次いでいるとのこと。原発事故が、もともと深刻だった医師不足にさらなる拍車をかけている現実です、郡山市のあの坪井先生の病院ですら、その問題に直面しているようです。
 なぜ、地域医療は疲弊してしまったのか、厚生省キャリア官僚OBと日本医師会の元幹部の方々への長時間のインタビューは、その経過を明らかにしていました。医療費削減と保険料負担の調整に追われる一方、どんな医師を育て、全国に医師をどう配置すべきかという担い手の議論がおきざりに、或いは見誤ってきた実態ですね、これは当時もずっと指摘されてきたポイントでした。

 ビバリッジ報告、医療機関整備計画、国民皆保険制度導入、プロフェッショナル・フリーダム、自由開業医制、医療金融公庫の成り立ち、一県一医大構想、家庭医制度の試み、医療法改定、地域医療計画、必要病床数、かけこみ増床、医療費亡国論、新臨床研修制度、等、これまでの歴史を振り返るキーワードも明確で、戦後の医療政策を1時間半の番組の中で、コンパクトにまとめられていました。

 この番組の特に優れているところは、震災後に病院を取り戻そうと模索を続ける岩手県立高田病院の半世紀の歩みに、戦後の医療を巡る厚生省と医師会との攻防の歴史をたどりながら、超高齢社会に突入した日本で、これからも持続可能な医療の姿への問題提起だと思います。

 予測に基づく政策立案、そこに絡む各セクターの思惑、思ったような成果を挙げられない、或いは意図しない結果となってします等、共通して大きく欠けているのは、一人一人のモチベーションとか心理と言った社会科学・人文科学的な考察のような気がします。今のエネルギーにおける原子力発電の議論にも、この論点が欠けていて、ただ「エネルギー」の問題として技術的な視点からばかりのやりとりで、それ以外は「感情的」と排除されているような気がします。成功する政策の秘訣は、実は「人の心理をつかむ」ことなのだと思います、ね。

経済団体は、思考停止状態!

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 この所のエネルギー論議の中で、日本の経済団体の動きをメディアで見る限り、その責任者たちの頭は「思考停止」か、思考自体が出来ないほど「能力低下」をきたしているか、いやもっとひどい状態、もともと能力など無い、何とも醜い、昔のリーダーの方々を承知しているだけに、恥ずべき現状です。北海道の経済団体も、全く同様の醜悪さです。

~~~~~~~~~<北海道新聞10月9日夕刊掲載>

道経連など道内3団体、泊再稼働を要望 経産相は否定的見解

(10/09 16:30)

 道経連など道内経済3団体は9日午前、枝野幸男経済産業相に対し、今冬の電力安定供給に必要だとして、北海道電力泊原発(後志管内泊村)の早期再稼働を要望した。これに対し枝野氏は「再稼働がなかった場合に備え最大限の対応を行う」との考えを示し、原子力規制委員会の安全審査が終わらない段階での再稼働に否定的な見解を示した。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

 ちょっと待って下さいよ、私は北海道経済同友会の幹事ですが、この団体の中で、上記のような「再稼働要望」といった議論をした場は、一度だってありません。幹事会終了後に、常任幹事の北電副社長が、部下から「夏の節電報告」をさせているだけで、これまで今年の「冬の再稼働」の表現を出したことは全くありません。どうして、このような重要な問題を、原則的なプロセス抜きで「要望」などといって団体を代表するかのようにことを運ぼうとするのか、それこそ「再稼働を急ぐ」暴挙です。

 昨年3・11以降の原発爆発事故に対して、電力会社への不信は高まるばかり、事故の検証も殆ど進んでいない現在、そして、電力会社への不信が全く払しょくされないどころか、使用済み核燃料の問題等も含めて不安と不信は高まるばかり。安全性に対して何の対策も完了されていない現状とも重ね合わせて、今、電力会社、地元経済団体がやらなければならない行動は、ひとえに道民に対しての信頼回復、それを行動を持って示すことに他ならないでしょう。

 地震等の天災や運用面でのトラブルによって、停止が余儀なくされる不安定な電源である原子力発電を基幹電源とした電力会社の企業責任を果たす、これは今一番重要な企業の姿勢だと思います。

 冬の電力不足が仮に想定されるのなら、これまで「オール電化」を促進してきた電力会社は、その民間企業としての責任として、或いはアフターサービスとして、「節電プラン」を各家庭に提示しなければならないでしょう。ただいたずらに「冬の電力不足」を喧伝するのでは、安全・安定供給の責務を全う出来ていません。そして、社会に対して、「ロードヒーティングを止めざるを得ない」と言って危機を煽る前に、こういう状況の責任として、市内のそれらの場所に、危険な日に、社員を総動員して砂袋、注意喚起のノボリ等で、車、歩行者への安全確保の活動に専心しなければならないのではありませんか、また、ルーフヒーティングに対しては、外部委託の雪おろし等の導入、それが民間企業の社会的責任です、お客様にはご迷惑をお掛けしない、でしょう。

10月12日夜のニュース

10月12日夜のニュース

 私は実は、北電が言う「冬の電力不足」は、真実ではないのではないかと思っているのです、どう考えても冬の電力は足りるからです。むしろ、北電が本当に懸念するのは、火力発電へのシフトによる「燃料費の高騰」、それが経営コストの大幅増を促す、そのことなのではありませんか?もしそうだとすれば、まさに「経営者の怠慢」以外の何ものでもありません。そういう状況こそ、経営者の経営者たる存在が試されるのですから。

 経団連の米倉会長が良く言う「産業の空洞化」、北海道に、電気料が値上がりして「海外に出て行く企業」がいくつあると言うのでしょうか。そもそも、企業コストにおいて、電気料が占める割合はどの程度だと思いますか?それよりも、何の検証・対策完了もなく原発を再稼働するリスク、放射能汚染による地域崩壊・喪失のリスクは、現在のフクシマを見れば明らかです、成長戦略も何も無い、測り知れない損失が明確です。

 尖閣列島・竹島・北方領土の比ではない、何百万、何千万人も住む日本の「国土の喪失」です。経営者として、自分の頭で考えてみろよ、今、何をしなければならないのか、答えは明らかです!それともう一つ、「2030年代云々」のエネルギーを語るのなら、最低限その時代には生きているであろう世代の方々にお願いしたいものです、そうでなければ若者たちはやってられないですよ!

 原子力発電が導入されて以来、限りなく一定の電力需要を促してきた電力会社は、まさに原子力発電の為のライフスタイルを作ってきたのです、その電源の大事故と未だ終息しない事態が発生して、安全神話が崩壊した現在、地域独占の民間企業の責任を果たすことが急務です。車の販売会社でも、車検時・事故時で車を一時的に手放し不便を掛ける時は代車を提供します。全社を挙げて、ポータブル灯油ストーブを配布するとか、いくらでも「冬に必須のエネルギー=熱」を供給する手立てはあるのではありませんか、この非常時、電気ばかりで解決ではないはずです。

 この様な事態に対しては、ただ不足を煽るのではなく、電力供給の民間企業として、節電ではピークカット・ベースカットの効果を挙げるべく、1)時間帯に電気料金に格差をつける、例えばピーク時の値上げ、2)「需要対策」に積極的な提案等、本腰で取り組むことであり、もう一つは、「広域運営のノウハウ」を早急に確立することではないでしょうか。冬の電力需要は北海道特有のものだとすれば、本州各地では電力に余力があるはずです、北本連系設備の拡充は急務でしょう。

 生き馬の眼を抜く競争社会を生きてきた経営者たちならば、今の電力会社の経営者は何も手を打っていない、そう思うはずです。とにかく、「顧客」が見えていない、ただただ地域独占の上にあぐらをかいているひ弱な姿、記者会見でも経営者の眼差しからそう感じます。ドッジボールでもボールから逃げ回るばかりでは勝てません、しっかりボールを受けとめることが勝利への道です。

 昨年3・11以降のある時、本州から単身赴任で北海道に来られている支店長・支社長の方が、「北海道では冬の電気が不足すると凍死者が出る心配がある」とおっしゃいました。何たる侮辱、北国で暮らす我々は、そんなに軟(やわ)ではありませんよ、そう言う貴方こそ冷暖房完備の会社契約マンションの一室でぬくぬくと暮らし、「北海道は食べ物が美味しいですね」と言っているだけなのではありませんか。今日の危機的な状況の中、リアリティのない推測は止めましょうよ、歴史に学び、長年この寒冷地で暮らした知恵に学び、地元住民の声に素直に耳を傾ける、そんな向き合う姿勢を行政にも電力会社経営幹部にも求めたいですね、島国北海道の住民として、同じ舟に乗っているのですから。

東京駅丸の内駅舎保存復原

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 JR東日本(http://www.jreast.co.jp/)の「東京駅丸の内駅舎保存復原(http://www.jreast.co.jp/tokyostation/」が、10月3日からオープンしました。

 ホームページのメッセージには、「東京の玄関として歩んできた『東京駅』。たくさんの出会いと、数え切れない思い出を見つめてきました。1914年の誕生から、まもなく100年。“Over The Century” これからの100年へ引き継いでいくために…。」とあります。これからの100年、私たちは何を次の時代に引き継ぎ、残していけるのでしょうか、ね。

駅建物内で上を見上げる多くの人たち

駅建物内で上を見上げる多くの人たち

素晴らしデザインと色合い

素晴らしデザインと色合い

天井真上

天井真上

 先日、出張でたまたま東京駅に行ったところ、ドーム内も外も、見学者でいつもにも増して賑わっていました。「復元」ではなく、「復原」とか。原典の設計に立ち戻っての壮大なプロジェクトだったようです、夜のライトアップも見事です。

 最近のこういった建物は、何か文化の香り、「匠の技」みたいな雰囲気がありませんね。発注者が空間の効率とか耐震性とかを最優先にするからなのでしょうか、明治時代の見識を見る思いです。技術というよりも時代の要請というか、社会の価値観の違いでしょうか。

ハンガリー 2012 (5:最終)

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<「母子像・ふるさと」除幕式 in ブダペスト> その2

 「母子像・ふるさと」石彫の除幕式の様子、気持が高揚して写真を入れ過ぎたようではじかれましたので、続きをさらに書きます、「余韻、覚めやらず」と言った感じです。

除幕式の開会前の様子、始まる時は皆さん前に詰めてきていました

除幕式には歩道、城壁の上にも多くの方々が熱心に

  開始前にはスピーカーから、式半ばではライブのフルートの演奏、尺八の音をかもし出すこのブダ城横の場とのハーモニーが魅力的で心に沁み入りました。

ブダ城ウイーン門、「母子像・ふるさと」前でのフルート演奏

ブダ城ウイーン門、「母子像・ふるさと」前でのフルート演奏

  式終了後、50m程離れた「ホテル・キャッスル・ガーデン:http://www.budapesthotels-budapesthotelbooking.com/hotel-castle-garden-budapest/index.JP.html」に移動しての祝賀会でした。

通訳のレイカさん、キッシュさん、伊藤大使、ナジ区長、私

通訳のレイカさん、キッシュ理事長、伊藤大使、ナジ区長、私

  この写真を撮った後、もの凄い雨がしばし降り続き、雷鳴が轟き大変な天気でしたが、30分後にはピタリとやんで、何事も無かったかのような実に静かな城外でした。

 パーティの最後を飾るデザートは、何と「母子像・ふるさと」ケーキ版です。プロジェクトの締めまでこだわった今回の「除幕式」、文化の香り漂うブダペスト・ブダ城ウイーン門前、全ての企画に「脱帽!」です。

祝賀会のケーキも「母子像・ふるさと」でした!

祝賀会のケーキも「母子像・ふるさと」!

  地元のメディアにも掲載されました、ブダ城の公式HPにも。

<Here are the links of the local newspaper announcing unveiling of Boshizo.>
http://varnegyedonline.hu/news/469
http://prae.hu/prae/news.php?aid=17114
http://szoborlap.hu/18780_foldanya_budapest_wagner_nandor_2012.html
<the photo of today (it changes every day)>
http://szoborlap.hu/
http://www.retroradio.hu/retro_cikk.php?id=47550

<announcement on official HP>
http://www2.budavar.hu/index.php?node=programs&id=717

ハンガリー 2012 (4)

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<「母子像・ふるさと」除幕式 in ブダペスト>

 「母子像・ふるさと:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%AF%8D%E5%AD%90%E5%83%8F%E3%83%BB%E3%81%B5%E3%82%8B%E3%81%95%E3%81%A8」が、今回、ハンガリー・ブダペストの世界文化遺産・ブダ城(http://www.tour.ne.jp/world/heritage/heritage_budapest.html)近く、ブダペスト1区・ブダ城区、ウィーン門近くのブダ城の塀沿い広場に設置完了となりました。昨年の札幌市・市長公宅跡(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10890)に次いでのプロジェクト、札幌は「ブロンズ像」ですが、今回のブダペストは「石彫」なので、陰影が強く少し雰囲気が違います。

設置・固定作業

設置・固定作業

 

 そして、伊藤哲雄日本大使、ナジ・ガボール・トマーシュ第一区長もご出席して頂き、地元の方々はじめ140人がお集まりになる中、除幕式が執り行われました。ナジ区長のお話は、ワグナー・ナンドールの哲学に始まり、「ガイア」の理念まで言及する熱弁でした。最後の私の感謝の言葉が終わった頃に、ポツポツと雨が落ちて来て、近くのホテルに移動しての祝賀パーティー開会時にはどしゃ降りで、雷、風も吹いていました。不思議ですね、全て終了時には雨も上がり、穏やかな夜に戻っていました。

除幕式:伊藤大使、ナジ区長、私、キッシュさん

除幕式:伊藤大使、ナジ区長、私、キッシュ理事長

 

宮殿入口の側に

ブダ城ウイーン門入口の側に

新郎・新婦も注目していました

新郎・新婦も注目していました

  

 先日のシンポジウムでも説明がありましたが、ワグナー・ナンドールの人生は、ハンガリー時代、スウェーデン時代、日本時代に大きく区分することができます。これまで、ハンガリー、ルーマニア・ナジュバラドには、1990年以降の再評価の努力により、彼自身がハンガリーにおいて創作した作品が設置されていました。

 今回のこの「母子像・ふるさと」石彫は、ワグナー・ナンドールの日本での作品の写真・テラコッタを基に、ハンガリーの石彫刻家 Istvan Daranyi が製作し、初めて彼のふるさと・ハンガリーの大地にしっかり着地した、それが大きな意義だと思います。まさに、今回の設置により、ハンガリーと日本が彼の作品で相互に結ばれた、そんな感慨を持つのです、これまでこのプロジェクトに関わった多くの皆さま方に、心から感謝申し上げます、ありがとうございます!

ハンガリー 2012 (3)

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<IBF:武術会賢臣流  ヨーロッパ競技会

 「武術会賢臣流:Society of Far Eastern Martial Arts」を中心とした「IBF(International Budo Federation):http://www.ibf-international.com/」主催のヨーロッパ競技会が開催中で、時間を作って見学に行ってきました。

 会場は大学の体育館、3つの試合場では、熱気あふれる対戦が続く一方、VIPルームでこの会の会長としばし面談し、「認定証書」と「金メダル」を受け取りました。

武術会賢臣流 開祖 サボー・アンドラーシュ氏と

武術会賢臣流 開祖 サボー・アンドラーシュ氏と

  別の部屋では、日本刀、鍔、鎧等の展示も行われていて、丁寧な説明も。

IBFにより日本刀・鍔・鎧の展示会

IBFにより日本刀・鍔・鎧の展示会

  ヨーロッパでの「武術」への人気は大変盛り上がっているそうです。昨年の日本の3・11大震災を支援する意図で、様々なイベントを開催し、その収益を全て東北地方の復興に寄付したことも知りました、有り難い話です。それにしても、ハンガリーに来て、武術と出会うとは思ってもみませんでしたね。

ハンガリー 2012 (2)

Posted by 秋山孝二
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<「ワグナー・ナンドール」シンポジウム in ブダペスト>

 昨年出席しましたが(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10355)、今年は会場は同じ「ペトフィ文学博物館(http://www.pim.hu/object.1160b1a4-08c9-4ea9-bb65-1d30e97d1eb0.ivy)」で、テーマは「ワグナー・ナンドールの人生の軌跡」をたどるものでした。

会場はブダペスト市内中心部の美術館

会場はブダペスト市内中心部のベトフィ文学博物館

  私は今回、トップバッターで以下のような挨拶をしました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今日、ここで「ワグナー・ナンドール記念財団」の理事長として、皆さまの前でご挨拶できることを、大変光栄に思っています。当財団は、20114月から「公益財団法人ワグナー・ナンドール記念財団」として、新たに活動を始めています。さらに、今年6月に私が二代目理事長に就任しました。勿論、ワグナーちよは変わらず元気で、引き続き理事として情熱を傾けています。

 

 せっかくの機会ですので、この数年間の<新しい事業>を報告致します。

まず、2011年に「ワグナー・ナンドール記念研究助成事業」を開始し、第1回として陶芸家の成良仁(なりよしひとし)氏に贈呈しました。つづいて2011年、DVD 日本語版のNo2 No3を完成し、新しい視点からのWNの思想・哲学の紹介を試みています。

一方、2011.3.11震災で益子の財団では多少の被害があり、修復のためにしばし休館しました。2012春季展開催(4/155/15)は、「ワグナー・ナンドール没後15周年記念展示」として、多くの方々に訪問して頂きました。2012年、DVD 英語版3巻を完成、秋季展は1016日から1カ月を予定しおり、併設展としてWN研究助成受賞者・成良仁さんの作品展示も開催します。最近の来館者の特徴は、1)栃木県外からの来館者が増加、2)新規来館者が増加、3)HPを見て興味もち、来館する人も増加しています、関係HPとのリンク、モバイル版もUP等の効果だと思います。

 

 次に、今日、私がここにお集まりの皆さまに是非お伝えしたいことは、この間、ハンガリーと日本の二つのWN財団の交流が「作品」を通じて一層進化していることです。

一つは、ハンガリー、アカデミア・フーマーナから贈って頂いた「ハンガリアン・コープス」ブロンズ像は、2012429日に益子アトリエで除幕式を開催しました。EU協議会前副議長テーケシュ・ラスロー氏(ルーマニア代表)、大塚朋之益子町長を始め、地元の皆さん、財団関係者多数のご出席を頂きました。さらに、「ヨーゼフ・アティラ」ブロンズ像は、益子の庭園に設置完了し、「嘆き」石膏原型は、禅の廊下に展示しています。

次は、2年前から【母子像・ふるさと】石彫をブダペスト市に設置の企画が起こり、写真資料とテラコッタを「ハンガリー・アカデミー・フーマーナ」に送付し、今年、これらの限られた資料から素晴しい石彫が完成したと、ワグナー・ちよが絶賛していました。明後日、こちらで除幕式が開催されることを心からお喜び申し上げます。また、【母子像・ふるさと】ブロンズ像は、ワグナー・ちよのふるさと札幌市・市長公邸跡に設置完了し、除幕式が20111118日、札幌市副市長、隣地のアメリカ総領事館リース総領事、地域の保育園の子どもたち・保護者の皆さん等のご出席で、なごやかに執り行われました。当日は雪が少し積もっていましたが、その後、春を迎えたこの場では、多くの子どもたち、親子連れ、お年寄り、若者たちのくつろぎ、癒(いや)しの場として人気を集めています。

 

以上ご報告したように、この間の、ワグナー・ナンドールの作品を軸とした、ダイナミックな活動は、あらたな発展の段階に入っていると思います。ワグナー・ナンドールを直接知る方々の時代から、作品を通じて彼の哲学・理念をしっかり伝えていく時代を迎えていること、言い換えると、益子町のアトリエを本拠地として、「哲学の庭11体」の東京都中野区、「母子像・ふるさと像」の東京都麻布(あざぶ)、札幌市、そしてハンガリー各地、ナジュバラド等、作品と土地を結ぶネットワークを基盤に、WNの思想・哲学をあらたなメッセージとして世界に発信していく段階に進化してきています。

これまでの皆さま方のご尽力に心から感謝申し上げるのと同時に、このことを今後活動の軸に据えていきたい、私はそう感じています。

 

ご清聴ありがとうございます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

シンポジウム終了後の懇親会で

シンポジウム終了後の懇親会で

会終了後に玄関を出て見ると、雰囲気のある街並みの路地

会終了後に玄関を出て見ると、雰囲気のある街並みの路地

 今年のシンポは、原点に戻って、ワグナー・ナンドールの生涯を、特にハンガリー、スウェーデン時代の創作活動を通じて、出席した皆さんと共有するひと時となりました。

ハンガリー 2012 (1)

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<追悼記念式典 in セーケシュフェヘールバール>

 ワグナー・ナンドールの作品、「ハンガリアン・コープス」については、これまで何回か書いています。今年4月に、益子で除幕式が開催されました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12758)。

 昨年10月に、初めてハンガリー・セーケシュフェヘールバール市の広場に設置されているこの像を訪れ、10月6日の記念式典にも参加して献花しましたが(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10357)、今年も、ワグナー・ナンドール記念財団(http://www3.ocn.ne.jp/~wagner/TOP.html)理事長としては初めて参加し、市長、軍、教会の代表者の次ぎに献花をしました。

街なかの広場に建つ「ハンガリアン・コープス」

街なかの広場に建つ「ハンガリアン・コープス」

献花する来賓:左から教会トップ、県議会議長、市長、軍トップ

献花する来賓:左から教会トップ、県議会議長、市長、軍トップ

式典終了後に取材に応じる市長

式典終了後に取材に応じる市長

  この式典、行く途中に気がついたのですが、私は何か革命勝利の祝典と勘違いして赤と白がベースのネクタイで臨んでいたので、会場での来賓の皆さんの黒ネクタイを見て、一人違和感を感じていました、申し訳ありません。出番はないけれども、会場には多くの地元の小学生も参加していて、数年後には自分たちも合唱・詩の朗読等の担い手になることを自然のうちに見取るのでしょう、これぞ生きた歴史教育です。

 歴史の掘り起こし(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10423)について、昨年は旧市街の発掘作業を見学して、記載しました:

~~~~セーケシュフェヘールバールでの発掘作業と復元プロジェクトは実に面白かったですね、そしてそこに世界からの考古学者が参画している事実も。古い歴史を検証することとこれからの新しい時代を創る仕事が、「今、この場」の活動で結合している、腑に落ちるお話でした。~~~~:

 今回はワグナー・ナンドールの作品の復元プロジェクトです。

美術館の作品復元プロジェクト責任者のお二人

美術館の作品復元プロジェクト責任者のお二人

 古代ローマ時代のものと思われる大きな石の断片が廊下に並び、その奥の部屋で、作品の復元プロジェクトの意見交換です。ワグナー・ナンドールの作品は、記録からここの美術館に収納されていたことは明確ですが、様々な時代の変遷の中で、あるものは破壊され、あるものは紛失し、復元はそう簡単な作業ではないようです。共産党政権下での数々の作品コンクールに応募し、そのリスト・写真の記録が、彼の作品の存在の動かぬ証拠となっています。お話のやり取りを聴いていて、昨年見学した旧市街の発掘作業と同じように、「歴史の再発見」、「歴史を生きた軌跡の発掘」、そんな活動の価値を強く感じましたね。

 激動の時代を生きた一人の芸術家の「再評価」は、言葉で言うほど簡単ではありません。残った人々の地道な活動とあふれる情熱が不可欠です。そして、もう一つ、それを支える風土もですね、このマチ、市民、政治、行政には、そんな伝統・文化がしっかりDNAとして内在されている確信があります。

 抜けるようなハンガリー平原の青空の下、今年もまた、何か大きなヒントを得たような気がします。

九条の会講演会 2012

Posted by 秋山孝二
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 これまで何回か書いていますが(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8888)、今年も「九条の会:http://www.9-jo.jp/」講演会に参加しました。今年7月に亡くなられた三木睦子さんを偲んで、「三木睦子さんの志を受けついで」が特別メッセージとして加えられ、「今、民主主義が試されるとき」がサブタイトルになっていました。

舞台右に、在りし日の三木睦子さんのお写真も

舞台右に、在りし日の三木睦子さんのお写真も

  オープニングは歌手の「真子:マサコ」さんの歌2曲、「それは約束:http://www.youtube.com/watch?v=6QGzDtmWXT4」と「乾かぬ絵具:http://38300902.at.webry.info/theme/126df6a68a.html」、素晴らしい歌声でした。

冒頭、佐藤真子さんの歌2曲

佐藤真子さんの歌2曲

  最初の講演は、大江健三郎さん、「沖縄」を考えることは、日本国憲法九条を考える時に最も重要な視点であると。「自立」の視点からも、エネルギー・原発問題と沖縄基地問題は同じ構図との指摘もありました。

大江健三郎さん、本人は立っての講演を望んだのですが・・・

大江健三郎さん、本人は不本意な「着席」

  次に登壇した憲法学者の奥平康弘さんは、雑誌「世界」に掲載された寺島実郎さんの「非武装中立」と「脱原発」を批判した論文を名指しで批判しました、「空虚さ」と「虚弱さ」を感じるとは何事か、と。

奥平康弘さん

奥平康弘さん

  休憩をはさんで、九条を守る立場の「俳人の会」、「詩人の会」、「歌人の会」の方々が作品を披露しました。

「歌人の会」有志

「歌人の会」有志

 

 最後の講演は、澤地久枝さんです。三木睦子さんが、2007年6月9日「九条の会」学習会でのあいさつ、「あなたのおじいちゃんはねぇ」について、興味深いお話でした。先日、自民党総裁に選出された安倍晋三のおじいさん、安倍寛と三木武雄との逸話も含めた歴史の事実。そして最後に、日本は、「知恵の結晶」みたいな国を目指すべき、そしてそれを支える憲法であるとまとめられました。

澤地久枝さん、三木睦子さんの想い出も

澤地久枝さん、三木睦子さんの想い出も

 

 今年も日比谷公会堂いっぱいの聴衆は、「この国は民主主義の国なのか」を真剣に問いながら、緊迫する世界情勢の中、日本の進むべき方向と正面から向き合い、模索していました。

Kevin一周忌の集い

Posted by 秋山孝二
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 これまで何回も書いてきましたが、「R.Kevin Stewart:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=Kevin+Stewart」が亡くなってから、丸一年が経ちました。先日、札幌で一周忌の集いを開き、それぞれの想い出を語り合って、しばしケビンの面影を偲びました。今回は、一切のコメントを控えて、写真だけの掲載に致します。

祭壇と写真入り横断幕

祭壇と写真入り横断幕

祝、「yhs」 15周年!

Posted by 秋山孝二
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 早いもので今日から10月、2012年もあと残すところ3カ月となりました。

 札幌の劇団「yhs:http://yhsweb.jp/」は、今年で設立15周年を迎えました。記念公演は、「つづく、:http://yhsweb.jp/nextplay」でした。この公演のチラシ、「つづく、」の文字が少し角ばっていたので、ある財団のO理事長は、「コゴク、」と読んで、「変わった題名だな」と思っていたそうです、人の理解って様々ですね?!

「yhs」設立15周年記念公演、「づづく」

「yhs」設立15周年記念公演、本番前の「づづく、」の舞台

~~~~~~~~~~~~~~~「yhs」HPより

 2020年冬、札幌市周辺を記録的な寒波が襲い、凍死者が続出した。
さらに4月を過ぎても気温が全く上がらず、
積雪量がゼロになることのないまま、再び冬を迎える。
2021年3月に、ようやく政府は札幌市周辺地域を
「異常気象に伴う特別管理地域」と設定。
多くの避難者が発生する。
 
2112年、万年雪に包まれて60年以上が過ぎたSAPPORO地区。
研究者や観測隊、わずか500名ほどが滞在する土地となっていた。
産業も廃れ、文化も途絶え、かつての200万人都市の面影はなく、
冷凍保存されたビル群が立ち並んでいるのみだ。
 
そんなSAPPOROに、東京のテレビクルーがドキュメンタリーの取材にやってきて、
廃墟と化したかつての「劇場」に足を踏み入れる。
そこには、打ち捨てられたスピーカー、灯体、舞台美術、
チラシ、台本たちが散乱していた。
やがて、そこに残された「記憶」が少しずつ蘇ってくる……。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

  代表の南参(ナンザン:http://nanzan.yhsweb.jp/)さんと、11月28日(水)に秋山財団で「札幌プロジェクト第2回トーク」で対談する予定です。このシリーズ、初回は、「このひとと語ろう~札幌の演劇へのアプローチトーク~」と題して、演劇創造都市札幌プロジェクト(http://s-e-season.com/about-project/)代表・荻谷忠男(HTB北海道テレビ放送 代表取締役会長:http://www.htb.co.jp/)さん、札幌演劇シーズン2012夏作品演出・イトウワカナ(intro主宰・演出家:http://www.intro-sapporo.com/)さんの対談が、平岸のHTB本社ロビーで開催されました。

 舞台で作品を観るたのしみだけでなく、脚本家、演出家、役者の方々のトークは、実にまた違った側面を知る気がして楽しいです。先日も、役者の方に、「公演終了直後に、ロビーとか近くの飲み屋で、観客と芝居についてのやり取りは負担だろうか」と聞いみたら、皆さん一様に、「終演後はテンションも上がっていて、疲労感とかよりもむしろ興奮状態。毎回毎回、お客さんの雰囲気で芝居の出来も違うので、そう言った場は自分たちにとっても大変興味深い」と。

 そんな発言に自信を得て、これからは、機会を見つけてはトライしてみようと思っています。「yhs」の皆さん、15周年おめでとうございます!