そろそろこのシリーズを終わりにしないと延々と続いてしまうような気がします。
まずは、「JFKライブラリー&「ミュージアム」の興味深いサイト二つ:
* 50周年記念サイト: http://www.jfk50.org/
* 日本とケネディとの関係(就任演説ほか):http://www.jfklibrary.org/JFK/JFK-and-Japan.aspx
1961年の大統領就任演説の最後のフレーズです。
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世界の長い歴史の中で、自由が最大の危機にさらされているときに、その自由を守る役割を与えられた 世代はごく少ない。私はこの責任を恐れず、喜んで受け入れる。他の者や他の世代と立場が替われたらと考える者などいまい。われわれがこの努力にかけるエネルギー、信念、そして献身は、わが国とわが国に奉仕する者すべてを照らし、その炎の輝きは世界を真に照らし出すことができるのである。
だからこそ、米国民の同胞の皆さん、あなたの国があなたのために何ができるかを問わないでほしい。 あなたがあなたの国のために何ができるかを問うてほしい。
世界の市民同胞の皆さん、米国があなたのために何をするかを問うのではなく、われわれが人類の自由 のために、一緒に何ができるかを問うてほしい。
最後に、あなたが米国民であれ、世界市民であれ、今ここにいるわれわれに対して、われわれがあなたに求めるのと同じ水準の熱意と犠牲を求めてほしい。善良な良心を唯一の確かな報奨として、歴史をわれわれの行為に対する最後の正しい審判として、神の祝福と助けを求めながらも、この地球上における神の御業を真にわがものとしなければならないことを知りつつ、われわれの愛するこの土地を導いていこうでは ないか。
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次は、初日のフォーラムに主催者である昭和女子大学学長・理事長の坂東眞理子先生と、翌日のファー先生のご自宅での授賞式でお会いし、ゆっくりお話を致しました。坂東真理子先生は、「女性の品格」他の著書でも日本で著名ですが、昭和女子大学がなぜボストンに語学を軸とする出先教育機関を設立したのか等、大変貴重な内容を伺いました。
* 「学長ブログ」はこちら――> http://content.swu.ac.jp/president/
更に帰路、ボストンのホテルで早朝だったため予め予約したハイヤーの運転手さん、何かものすごく礼儀正しいので朝から気持が良いなと思って車内でしばしお話をしていました。「どこから来たのか?」というから「日本からだよ」と。すると彼は、「ボクは日本、東京が大好きだよ!」。さらに続けて、「エチオピアのアベベ・ビキラをしっているかい?」、私は「知らない訳はないだろう、1964年東京オリンピックのマラソンで裸足で優勝した英雄だ」。彼は淡々と、「彼はエチオピアで今でもヒーロー。実はボク、2001年東京国際マラソンで、エチオピア選手として2位だった」と。後で調べたらこちらにある通り(http://homepage1.nifty.com/yito/marathon/2001Tokyo/index.html)、「2位 テスファイ・ジファル (エチオピア) 2°11′07″」、堂々たるタイムですよね。更に別のサイトでは「マラソン世界記録の歴代7位(2時間6分49秒)」の素晴らしい記録をマークしているのです。2001年のこの大会も下馬評として「◎(二重丸)」選手で優勝候補筆頭だったようです。
「昔はマラソンで走り続けていたけれど、今はタクシードライバーとして毎日車で走っている!」と、やや自嘲的に笑顔で語っていました。東京国際マラソンの後にアキレス腱の故障で引退し、3年前に20年以上ここに住んでいる兄を頼ってボストンで働いているそうです。やはり世界記録を争う戦いを経験した人物は、何をやってもどこか抜きんでている、今回のボストン訪問を締めくくる極めて印象的な出会いで感動しました。
最後に番外編、乗継地のシカゴ・オヘア空港のラウンジ、トイレに入ってしばしチン黙していると目に入ったのが下のロゴ、まさに日本の成長戦略を象徴するように輝いていました。今回の出張、アメリカ本土を離れる最後は日本経済の今後のヒントを得て、気持よく日本に向かいました。
やっとこれでこのシリーズを終えられそうです、ここまで読んで頂き、ありがとうございます。