320人参加の仙台での経済同友会全国会議、95%(いや98%?)は男性で、私も含めて皆さんダークスーツ姿、昔はごく当たり前だと思っていましたが、最近の私には異様な光景に映ります。「被災地の実態」をこれらの経営者たち、経済団体は、本当に直視してきているのか、会場に早めに到着して、しばし黙考していました。
分科会での児玉龍彦先生のお話は、深かったですね。フロアーから「低線量被曝の安全基準値」についての質問に答えました。「これから起こるであろう多くの事実に対して科学的視座から言及することを、『予防の科学』、『予測の科学』と呼ぶとしよう。統計学等、過去情報に基づく分析・考察と違って、これが正しいとは言うのはなかなか難しい。強いて言えば、幾つかの予測を数値で挙げて、それぞれの選択は個々人でというのが最も誠実なコメントになる。ただ、今の状況で、広く社会に向かってそう言える勇気が科学者にあるかどうか、それが試されているのだろう」、これまで勇気を持って誠実に関わってきた先生であるが故に、大変興味深いお話と私は聴いていました。正確なデータの継続的開示によって、データへの信頼が形成され、本当の意味での風評被害を防げるし、的確な判断の基になるとのメッセージでした、言い換えるなら「賢い国民への道筋」とでも言えるのでしょう。
語り部タクシー(http://www.sendaichuotaxi.co.jp/charter/kataribe.html)の運転手さんは、釜石でお年寄りを助手席に乗せて車を運転中に津波にのみ込まれたそうです。一度は津波を避けて山側の道を選んで走行していたにも関わらず、途中から「大丈夫」と思いこみ、いつもの距離の短い便利な道に入り、巻き込まれたと。以前から水圧で窓・ドアが開かなくなると学んでいたので、すぐに窓を開けてしばし漂流し、水位が上がって来た時にタイミングを見て車の屋根の上に這いあがり、お年寄りもその後引き上げてまたしばし漂流し、公園の遊具につかまり車を離れ、その場で数十分震えながら待機し、その後周辺の男性に梯子を使って救助されたとか。
その男性は、周囲に居た同僚たちからは、「行くな、行くな、二次災害になるぞ!」と言われる中、助けに来てくれたそうです。漂流している時は不思議な程冷静だったけれど、救助を寒さの中で待っている時にたまらない恐怖に襲われたそうです。ご自身は、濁流の中を流されながら、いざとなったらこのお年寄りを捨てて自分だけ助かりたいとずっと思い続け、救助された後、そんな自分を恐ろしくもあり情けないと責めるのですと。
そして運転手さんが卒業した小学校が、あの津波避難訓練を学校全体で取り組んでいた「釜石の軌跡:http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/0901/」、群馬大学の(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7883)のあの小学校とのことでした。「学校の授業でしっかり理解していたつもりでも、人間って忘れるのですね、今、私は忘れないように語り部タクシーをやっています」と、それまでの堅い表情から少し柔らかな表情になりました。
前日の会議で、「かなり復興している」と語っていた代表幹事の皆さんも、役回りで言わざるを得ないというのでは本当の復興ではありません。3・11を体験した一人の人間として、この惨事を受けとめて乗り越えるのにはまだまだ時間が掛るのでしょう。慌てることはありません、一歩一歩前に進んで参りましょう、それが復興への道筋です。私も忘れはしませんし、できることをやって参ります、貴重な二日間でした。