今あらためて問う、映画「密約」の意味

Posted by 秋山孝二
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 民放テレビで政治問題がまだタブーだった1978年の作品、映画「密約」を観ました(http://www.mitsuyaku.jp/)。札幌では、5月15日から、シアターキノ(http://theaterkino.net/:狸小路6丁目)で28日まで1日一回の上映予定です。

リアルでした

リアルでした

  この作品ははノンフィクション作家の澤地久枝さんが裁判を傍聴し続けて書いた原作を、千野皓司監督がテレビ朝日開局20周年記念番組として1978年に製作した力作です。当時、「原作者の女性の視点から、深く政治問題を掘り下げた質の高い秀作ドラマ」と評判になりました。日本テレビ大賞優秀賞を受賞しましたが、その後一度も放映されることはありませんでした。

 10年後のバブル真っ盛りの時、1988年に一部の劇場で映画として公開され、モスクワ国際映画祭にも正式出品されました。その後アメリカ側の文書が発見されて政府の密約の存在が表に出始めました。「国民の知る権利か」、それとも「国家の秘密保護か」、激しく意見が対立した裁判の息詰まる描写を通じて、権力の存在を問いかける渾身の作品です。後半部分には、澤地久枝さんの女性としての鋭い人物評を感じました。

 昨年、山崎豊子さんが別の視点で書いたフィクション「運命の人」がベストセラーになるなど、日米の密約問題は国民の一大関心事になっていて、つい先日は画期的判決も出ました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3888)。政権交代と関係者の証言によって明らかにされた一連の密約の存在について、真に一人一人の市民が主権者としての情報開示による新しい歴史認識は、日本に本当に民主主義が根差すかどうかの重要な岐路ですね。今改めて外交を問い直し、国民全体で情報開示の本質的意味について考えるべき大事な時期です。未だに「密約は無かった」と証言してはばからない元官僚たちを、許してはならないと思います。歴史に対する真摯な姿勢、それは同時に国民に対しての誠実な証言により成し遂げられるに違いありません、今後の為にもですね。

 折からの沖縄・普天間基地問題、まさに日米安全保障としての「日本の問題」という認識が私たちに足りな過ぎます。そして連日のメディアの「騒ぎ屋」としての喧騒は何なのでしょうか。3月25日の現地沖縄での9万人集会を含めて、一連の琉球新報(http://ryukyushimpo.jp/)、沖縄タイムス(http://www.okinawatimes.co.jp/top/)の報道姿勢に、メディアのあるべき姿を見る気がします。

地元2社の3月25日「9万人県民集会」の号外

地元2社の3月25日「9万人県民集会」の号外