香田誉士史監督に、あらためて感謝

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 3

香田誉士史 さま

暑い夏、この季節になると夏の全国高校野球大会のドラマを思い出します。雨でノーゲームという今年のニュースを聞くと、更に駒大苫小牧高校の大活躍、その後の紆余曲折、そして三連覇一歩手前(実質的な三連覇でしたが)までの劇的ドラマの数々、香田監督には特に感謝の気持をお伝えしたくなりました。

先日の朝日新聞の連載から、この数年間と今のお立場での心境を読み取ることが出来ました。同時にインターネットで検索すると、実にたくさんの香田さんに関連するサイトが紹介されます。私は香田さんの野球監督としての戦績は勿論ですが、生徒達と向かい合っているスタンスに尊敬の念を強く抱きます。昔私も東京都の公立中学校でバレーボールの監督をしていて、ある年は1年間365日バレーのことばかりを考えている時期もありました。また、当時の全日本女子バレーの山田監督に教えを請いに、また子どもたちに全日本メンバーの練習を見学させたくて、遠い道のりを一緒に行ったことを思い出します。

2004年駒大苫小牧高が初優勝した年の対戦相手、日大三高の小倉監督は、「守りの堅さは、そのまま選手の気持ちの強さ。あと数センチ手を伸ばせば届くボールに頑張って食らいつけるかどうか。(駒苫は)雪上ノックをしているそうですね。本州でも最近は冬にボールを扱わず、筋トレが中心の高校も多いけれど、ボールを握る時間を多くすることがうまくなる近道。『ほかとは違う練習をしてきたんだ』と思えるチームは強いですよ」と語っていた記事を読みました。

またその年の9月、横浜高の渡辺監督は、「全日本高校選抜チーム18人を率いてAAA世界選手権(台湾)に遠征しました。駒大苫小牧からは鈴木と糸屋、済美からも鵜久森、福井、甘井の3人が選ばれました。準優勝して帰国すると、鈴木と糸屋からはがきが届いたのですが、2人だけでした。『たいへんお世話になりました』などと。横浜が負けた理由が分かった気がしました。勢いや運などではない。純粋な心が集まってチームプレーへと結晶し、うちはそれがなくて、つなぐことができず個々の野球でした。負けて悔しいと思うチームはありますが駒大苫小牧高には敬意を表します」と述懐しています。

以前から私は、全国高校野球で解説者が北海道代表チームに必ずコメントする「北国は毎年雪が積もり、半年はグラウンドが使えませんからね・・・」というフレーズが大嫌いでした。弱くてもしょうがないと言わんばかりの言葉、慰めにも何にもならなく聴いていても実に不愉快でした。むしろ「ハンディ」ではなく、これをバネに強い自信に変えられないものか、と道産子(ドサンコ)の私としては悔しさで一杯でしたが、香田さんはそれを見事に成し遂げてくれました。香田さんが道外出身者だったことも大きかったですね。 岩手県のある監督の弁として、北国の高校が優勝できない最大の原因は、「勝てるはずがないというコンプレックスだ」と。でも佐賀県ご出身で、佐賀商のコーチ時代には全国制覇も経験している香田監督にはそれが無かったのでしょう。

佐賀商と言えば、検索中に香田さんの高校生時代の映像とその人柄を示す解説者の言葉の動画を見つけました。http://www.youtube.com/watch?v=koajkqRV8N4

高校野球では、ただ試合に勝てば良いというものではないですよね。勿論勝つために日々の練習をしているのは間違いありませんが、たとえ勝てなくても、或いは試合に出れらない生徒たちにとっても、教育の場としてともにチームを誇りに思えるような一体感のある一連の活動でなければ本物ではありません。私はこの数年の駒大苫小牧野球部を見ていて、香田監督がまさに「本物中の本物」と確信致しました。チーム自体の実に細やかな隙のないプレー、走塁でももう一つ前を常に狙っている前向きな姿、一つ一つのプレーへの集中等は、毎日の地道な指導の賜物であり、これから指導者を目指す人々にとっても素晴らしいモデルとなるでしょう。そして教育者としての眼差しで子供たちの成長を見守る香田さんの姿勢も素晴らしいです。高校野球ゆえに、グラウンド外での部員の行動等、気の休まるところがないのでしょうね。これだけの希望を与えて頂きながら、何もお力になれない自分も情けなく、ただ香田さんのその後の生き様に関心を持っていました。

何年前でしたか、北海道庁前庭で一万人程が集まって開催した「報告会」に、私も2時間前に行ってしばし喜びをともにしました。集まった聴衆の香田監督他チームに対する心温まる拍手と声援は、北海道の誇りと希望の表れでした。私のそばにいた年配の女性のグループは、ハンカチで涙を拭きながらの拍手でした。「ありがとう、よく頑張ってくれた!」

香田さんはじめ選手の皆さんが刻んだ軌跡は、多くの北海道に暮らす人間に光を与えてくれました。大変遅くなった感謝の気持を、この時期に言葉にしたくなりました。重ねて、香田誉士史監督、ありがとうございます。