私の【戦後80年談話】(5)

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(公財)公益法人協会メール通信 No.308(2025.08.15)に、毎年8月は私のコラム、今年も掲載です。一部このブログの掲載とダブル箇所がありますがお許し下さい。

* コラム | 公益財団法人 公益法人協会

~~~~~~~引用はじまり

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  ◎私の【戦後80年談話】

                   公益財団法人 秋山記念生命科学振興財団 
                              理事長 秋山 孝二  

◆◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆◆

 毎年8月は多くのメディアでは「戦争」特集で溢れ、特に今年は戦後80年の節目。
日本では時の総理大臣が10年毎に「談話」を発表してきましたが、今年はこれまでの
報道によると政府は今月には「談話」を出さないとか、短期的政局を考慮でしょうか、
戦後80年、昭和100年の総括が出来ないというメッセージに他なりません。

 1951年1月生まれの私は「20世紀のド真ん中」に人生が始まり、こんな昨今、
私なりに自らの生きてきた戦後を自らの視点で総括する私の【戦後80年談話】、
視点は幾つかありますが、ここでは「教育」です。
 自分自身がいわゆる「戦後民主主義教育」を受けてきたと認識したのは10代後半のことで、
受験勉強真っ盛りの高校生時代、時々、旺文社ラジオ講座、北京放送局のテーマ曲、
ジェットストリームを耳に深夜まで机に向かいながら、「現代高校教育の矛盾を晴らせ!」と
紙に書いて壁に貼っていたのを思い出します。
 18歳まで育った札幌を離れて1969年から首都圏に住み、激動の大学生時代を
過ごす過程で、日本の近代史を学び直して、自ら受けてきた教育を再認識しました。
「日本国憲法」、「教育基本法」、それと同時に「大日本帝国憲法」、「教育勅語」とかの
学び直しです。
 「日本国憲法」に関しては、私は小学校でも中学校でもかなりしっかり教えて頂いた記憶があります。
基本的人権、主権在民、戦争放棄等、先生も熱心に語っていましたし、私も率直に受け止めていました。

 大学2年間を終了して休学し、貨客船で太平洋を渡ってアメリカへ、長距離バスでの
一人旅を経て当時のリベラルな空気が新鮮でした。
 大学卒業後、私は東京都江戸川区の公立中学校に赴任し、まさに教育現場で日々生徒・
保護者と向き合い、格闘(!)していました。
 幸い20歳代の若い教諭も多く、かなり自由闊達・リベラルな雰囲気ではありましたが、
時々は教頭・教務主任・生活指導主任等とはぶつかり合う場面もありました。
 指導要領の改訂等、国レベルではいろいろありましたが、教育現場では私の周りでは
それ程の締め付け等は感じられず、私は私なりに子供達に、クラス、部活動を通じて
自らの自主・自立の意思を伝えた5年間だと振り返っています。

 企業経営者時代は、教育は企業内の採用・社員教育に限定されていて、自分の子供たちの
学校生活を通じて垣間見る他はあまり「戦後民主主義教育」を意識したことはありません。
 大企業の代表取締役を退任してからは、まさに私自身のあらゆる分野の「学び直し」が
始まった貴重な時間です。
 それまで置き忘れてきた日本の近代史の学び直し、「愛生舘」の歴史の深掘り等、
やり残し感のあった幾つかを調査・検証する時間です。
 一つの例が、5年間秋山財団の顕彰事業として実施した「新渡戸・南原賞」の過程で、
南原繁先生のご功績に触れた時、「教育基本法」制定時の議論ほか、まさに戦後の
民主主義教育の原点を確認した気がします。

 メディアではよく「戦争体験者が減ることの危惧」と報道されますが、私は以前から
体験者ゆえに語れないことの多さも感じており、歴史を継承する使命をひとり体験者だけに
負わせることは今を生きる世代の怠慢なのだと思っています。
 ただ昨今感じるのは、いわゆる「フェイク」な歴史観、意図的歴史事実の隠蔽・捏造等に
対して、自信を持って反駁する弱さを危惧します。
 我が国は歴史的事実の記述を焼却したり、隠したり、改ざんしている場合があり、
残念ながら正確な記録を外国の公文書館に依存せざるを得ない情けない状況、
それこそが危機だと私は認識しています。
 グローバルな時代の正しい「歴史認識」、それは戦後民主主義教育を受けた私たちの
世代の最も重要な使命だと思います。
~~~~~~~~~引用おわり

新渡戸連続講座 「『適疎』とは?」

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 新渡戸連続講座、今月は小篠(おざさ)隆生先生のご講演「『適疎』とは何か?」でした。小篠先生は現在「(top page - (一社)新渡戸遠友リビングラボ(旧 新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会))」の理事長、私は二代前の初代理事長でした。「適疎」という表現、お話を伺って実に言い得て妙でした。

* 小篠隆生先生(前 北大工学研究院准教授、札幌市緑の審議会委員、北海道大学大学院工学研究院非常勤講師、東京電機大学研究院 非常勤講師))、「キャンパスマスタープラン」作成、「東川町まちづくり」等で多くの受賞歴があります。

* これまでの関連記事ーー> 秋山孝二の部屋

* 建築の内と外をつなぎ、取り巻く人々との関係を問い続ける。

お盆も過ぎて 2025

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 今年は札幌も真夏日の日数を更新した夏でしたが、さすがに8月の中旬を過ぎて朝晩は少し過ごし易くなった気がします。今年も近所の北海道神宮では駐車場に盆踊り櫓と舞台が出来上がり、子供から大人まで楽しめる盆踊りで、焼き鳥やビールなどの屋台も並び、私の孫たちも太鼓の担当の一人で一生懸命に叩いていました。正式イベント名称は「宮の森納涼盆踊り」、『子供盆踊り唄(Bing 動画』も繰り返しです。

* 昨年の様子ーー> 北海道で貴重な丸太櫓で盆踊り!2024年8月14・15・16日に宮の森納涼盆踊りが開催 | まるっと円山

 盆踊り後半は大人部、こちらも全国的に有名ですね、『北海盆唄(Bing 動画』。

 今年の夏も終わりに近づき、これから2025年もいよいよ後半に向かうのでしょうね。

私の【戦後80年談話】(4)

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(3)からの続き~~~~~~

 復学して大学を卒業し東京での教職暮らしから札幌に戻り、会社では姉妹都市のアメリカオレゴン州ポートランド市との経済・教育交流、インターンシッププログラム作成、学生の企業受け入れ等、今振り返ってもよく動き回り、たくさんのアメリカの友人を得ました。

 入社後まもなく、ハワイ州にある「JAMES」 での「AMS(アメリカン・マネジメント・サイエンス)6か月コースを履修し、36単位を取得しました。ちょうど、エズラ・ヴォ―ゲル先生の『Japan as No.1』が話題になって日本型経営が注目されている時でしたね。労務関係のWhitehill先生の講義は、そのお人柄も含めて今も心に強く残っています。

* JAIMS – Excellence in Knowledge Leadeship

* 秋山孝二の部屋

 昨年お亡くなりなった伊藤義郎さまのご紹介で、アメリカ海軍空母「ミッドウェイ」に千歳空港から米軍小型輸送機で太平洋上に着艦、艦内見学・昼食会の体験も思い出深かったですね。戦略指令室はまるでゲームセンターの一室のようでした。

 1980年代後半、北海道とマサチューセッツ州が姉妹州締結後に当時の横路孝弘知事一行の一員としてボストンを訪問しました。その後、北海道フレッチャースクール設立に向けた意見交換で札幌にいらっしゃったハーバード大学のスーザン・ファー教授とこれをきっかけに親密になりました。1990年代には、マサチューセッツ州ボストンに現地法人「Autumn Hills International」を設立(秋山孝二の部屋、私は代表取締役に就任して、現地責任者にはKevin Stewartに任せました。

Kevin Stewart関連記事ーー> 秋山孝二の部屋

 1996年に秋山喜代が亡くなり、その香典の一部を当時スーザン・ファー先生が所長の「ハーバード大学日米関係研究所」に寄付をしようとした時に、向こうから逆に『AKIYAMA AWARD』創設のご提案を頂き、すぐに賛同してこの賞がスタートしました、今年で第29回目を迎えます。これまで追加寄付を数回行い、今後とも秋山財団のアウトリーチ活動として変わらぬ日米の親密な関係のささやかなお力になればと思っています。

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 祝 ハーバード大学プログラム 40周年!

* Akiyama Award Winners | Weatherhead

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 大変長くなりました、ここまで思い出すままに書いてきましたがまだまだ漏れている記憶もありそうです。ただ、戦後80年という歴史を考えると、戦って負けた相手国のアメリカとこれ程までに親密な関係を結べる時代に生きている私たちの世代は、やはり幸せと言えるのでしょうね。そして、今のトランプ政権のアメリカは、私は吐き気がする程嫌悪し、これまで築いてきた国際社会におけるアメリカの信頼が壊れていく状況を憂う昨今です。しかしそんな中、私たちがこれまで築いてきた草の根の交流に基づく信頼は少しも揺らぐことはないという確信があります。国レベルではどんな状況になろうとも、私たちの絆は変わらず続きます!!!!

私の【戦後80年談話】(3)

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 私の人生の中でアメリカという国・アメリカ人との関係は、客観的に見ると戦後生まれのアメリカ感としてその変遷を表現しているのかもしれないと昨今思うのです。

 私がまだ幼い頃、札幌の大家族の自宅に在札アメリカ領事館のアメリカ人がご家族でいらっしゃっていました。その中で同じ歳くらいの女の子に私はオモチャのアコーディオンで頭を殴られて泣いたのを不思議に覚えています、古いアルバムにもそのご家族の写真があります。なぜ、昭和30年代前半に領事館の方が訪問されていたのかはよく分かりません。

 その次の思い出は、同じく昭和30年代、千歳空港、現在は航空自衛隊千歳基地になっていますが、今の空港の向かいにターミナルがあり、祖母とかを当時の車で迎えに行った時、「MP」と書いた白いヘルメット姿の米兵がゲートに立っていて、パスを受け取って入場したことですね。進駐軍の確か「くま基地」と言っていて、熊のアイコンが印象的でした。

* 新千歳空港の歴史〈第3回 戦後の空港編〉 - 北海道千歳市公式ホームページ - City of Chitose

 家の中では、当時まだ珍しかったテレビですが、放映始まりのころはNHKテレビのテストパターン、BGM入りで放送開始前のバラの花を真上から撮って花が咲いていく様子までかじりついて観ていました。その後、テレビドラマ「アイ・ラブ・ルーシー」、「パパは何でもしっている」、「アニーよ銃を取れ」等、アメリカからの番組が多かったのですが、それ程意識もせず観てましたね。

関東地方テストパターン消滅 - 放送まにあ 試験電波発射中!!

 それから時が過ぎて、10代後半にロータリー交換留学生がホームステイして、初めて身近に英語に接してコミュニケーションの面白さを感じました。英語だと思っていた言葉が実は和製英語で全く通じなかったりとか。そして、それがきっかけで私は大学2年を終了した時に休学して、在学中からアルバイトで働いていた赤坂のホテルでも英語での会話に近く、秋にアメリカへ横浜大桟橋からハワイ経由サンフランシスコ行きの「APL(アメリカン・プレジデント・ラインズ)」の貨客船「プレジデント・クリーブランド」で太平洋を2週間で横断し(途中ハワイに一日停泊)、その後、北アメリカ大陸をグレイハウンドバスで移動を続けました、まだ日本とは格差がある豊かなアメリカの時代、当時深夜バスの中で聴いていた曲が「Mamy Blue:マミーブルー」でした。

*  APL | APL | Company Overview: American President Lines

* マミー・ブルー/ポップ・トップス Mamy Blue/Pop Tops - YouTube

* 関連する記事ーー>

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 以下、(4)に続きます。

北海道新聞 取材に応えて

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 本日、北海道新聞の取材に応じた記事が朝刊経済面に掲載されました。デジタル版には更に一層詳細な記事となっています。M&Aの話から終盤は再生可能エネルギーと原発についても。北海道経済同友会でのこれまでの一連の発言にも私なりには言及しました。デジタル版ではかなり詳細に正確な記事となっています。

* 関連記事ーー> 2012年 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 経営者たち、変わる認識 (2)

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* デジタル版記事はこちらーー> 北海道最大手・秋山愛生舘はなぜ「合併消滅」を選んだか 最後の社長秋山孝二氏の決断<疑問 ここが知りたい>:北海道新聞デジタル

「さつきた8・1」グランドオープン!

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 札幌駅北口に昨年完成したマンション・ホテル・劇場他『さつきた8・1(さつきた8・1|複合商業施設』エリアのグランドオープンが、先日3日間に渡り大盛況で開催されました。これまで先行して『ジョブキタ北八劇場』では演劇他が1年以上前から催されていましたが、テナント全てが揃ってのオープンイベントでした。

* 『北八劇場』関係記事ーー> 秋山孝二の部屋

 これまでご尽力頂いた皆さま・関係者の方々でテープカット!

 田中重明理事長のここまでの経過ほかのご挨拶。

 2階スペースにはこの「きたはち」の歴史も語られています、場が発するメッセージですね!

 もう一方のスペースでは「森の書店」の展示もあったり。

 これまで何かといわゆる「開発」が遅れていたと言われる札幌駅北口に新たな賑わいが誕生しました。札幌市の歴史の重要な場所、新たな食と芸術と観光の場としての相乗効果が期待できそうです。

久しぶりの「小別沢・やぎや」さん!

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 札幌市内小別沢にある「やぎや」に久しぶりに足を運ぶ機会がありました。ここの永田勝之さんとは、これまで食・農のプロジェクトで秋山財団でも応援していますが、小別沢のフィールドにはすっかりご無沙汰していました。

* 応援しているプロジェクトーー> 小別沢さとやまものがたり

* 「小別沢」関連記事ーー>秋山孝二の部屋

 今回は、アカデミックな方々のフィールドワークとして、東京大学・阿古智子教授ほかの皆さまの研究活動の一環で、永田さんからお声を掛けて頂きました。モンゴル、香港、台湾からの研究生・留学生ほか北海道大学をはじめ首都圏の大学研究者の方々もご参加でした。

* 阿古 智子 | 東京大学

 私は参加しませんでしたが、ご一行はワークショップの後に「やぎや」レストランの夕食懇談会で更に議論を深めたようです。

札幌医科大学訪問 2025

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 しばらくご無沙汰してた札幌医科大学を訪問し、山下敏彦学長としばし懇談し、札医大創期80周年のお話ほかを伺いました。秋山財団は39年前の創設以来、札医大・和田武雄先生、菊地幸吉先生、秋野豊明先生、佐藤昇志先生にご指導を頂いて、歴代副理事長もお務め頂いています。今年の秋山財団賞は横田伸一先生が受賞されます。

* 2025年度 秋山財団賞、秋山喜代賞、研究助成、ネットワーク形成事業助成が決まりました。 - 秋山記念生命科学振興財団

* 札幌医科大学創基80周年(開学75周年)特設サイト

 この80年の軌跡では、秋山財団がお世話になった多くの先生のお名前を見つけることができました。

* 大学のあゆみ |札幌医科大学創基80周年(開学75周年)特設サイト

 北海道の地域医療を担う使命を全うすべくこれからも進化していくことを心から期待しています。

* これまでの札医大関連記事ーー> 秋山孝二の部屋

私の【戦後80年談話】(2)

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 私の【戦後80年談話】は、かなり身近な食料から見る戦後80年、ある意味では終戦直後の飢餓状態を知らない地方に生まれた人間のお話です。

 私が時代の食料を意識したのは、小学校から始まった学校給食でした。地元の日糧製パンの角食にマーガリンと脱脂粉乳、おかずはあまりこれと言って記憶に残ってはいません。ただ、お汁粉と生の四角いお餅は何故か鮮明に覚えています、パンとお汁粉の不思議さとともにです。アルマイトのカップ、アルミの大きなバケツから皆に配ってた脱脂粉乳、これが「ララ救援物資」と知ったのはずっと後のことでした。「ララ物資」はアジア救援公認団体(LARA:Licensed Agencies for Relief in Asia)が、戦後日本に向けて提供した支援物資のこと、時々コッペパンとか豆パンなんかもあったような気がしますが、ご飯の給食は無かったですね。

* 【ララ救援物資】

* 脱脂粉乳ーー> 脱脂粉乳 給食 いつまで?歴史と疑問を徹底解説

 果物ではバナナは極めて貴重品、特別の時にしか見ることはなかったです、今ではごく日常的にありますが。ミカンは秋口にまだ緑色した酸っぱいのが多く、黄色く熟したのは雪が積もってくる頃からだったような気がします。さらにずっと後になってからグレープフルーツが登場してきたような。北海道では「ザンギ」で馴染みだったところに「フライドチキン」が出てきたり、シャケの燻製が柔らかい「スモークサーモン」だったり、ホットドッグ、ハンバーグ等、次々と目にするようになりました。と同時に、幼い頃から「歩きながら食べるのはやめなさい」と育った時代から、街なかでも歩きながら食べる人も多くなり変化が出た来たように思うのは私だけの感想でしょうか。

 教育に比べるとかなり日常的食糧事情変化の80年、我が家では幼い頃から「食事は残さないで食べなさい」と厳しく言われ続けたので、今もその価値観は捨てることはありません。「飽食」と言われる現代、街には捨てられる食糧が山積する時代の変化に、日本の劣化を具に感じています。

私の【戦後80年談話】(1)

Posted by 秋山孝二
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 8月は多くのメディアでは『戦争』特集で溢れ、明日の広島原爆記念日以降に本格的になるのでしょう。日本では時の総理大臣が10年毎に「談話」を発表してきましたが、今年は戦後80年の節目、これまでの報道によると今の政府は今月には「談話」を出さないとか、短期的政局を考慮でしょうか、何とも情けない、戦後80年、昭和100年の総括が出来ないというメッセージに他なりません。

* 【戦後50年・60年談話】村山談話・小泉談話<全文> | 政治備忘録

* 戦後70年 安倍首相談話の全文 - 日本経済新聞

 1951年1月生まれの私は「20世紀のド真ん中」に人生が始まり、こんな昨今、私なりに自らの生きてきた戦後を自らの視点で総括したいと思い、今頭に浮かぶテーマを書き留めます、私の【戦後80年談話】です。

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私の視点

* 戦後民主主義教育 日本国憲法ほか

* 食料から見る戦後

* アメリカとの関係

* 国際社会との関係

* ETC

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 先ずは初回として、「戦後民主主義教育~日本国憲法ほか」。

 私は、自分自身がいわゆる「戦後民主主義教育」を受けてきたと認識したのは、10代後半のことでした、受験勉強真っ盛りの高校生時代、時々、旺文社ラジオ講座、北京放送局のテーマ曲、ジェットストリームを聴き午前2時頃まで机に向かいながら、「現代高校教育の矛盾を晴らせ!」と紙に書いて壁に貼っていたのを思い出します。18歳まで育った札幌を離れて1969年から首都圏に住み、激動の大学生時代を過ごす過程で、近代の日本の歴史を学び直して、自ら受けてきた教育を再認識しました。「日本国憲法」、「教育基本法」、それと同時に「大日本帝国憲法」、「教育勅語」、「軍人勅諭」とかの学び直しです。「日本国憲法」に関しては、私は小学校でも中学校でもかなりしっかり教えて頂いた記憶があります。基本的人権、主権在民、戦争放棄等、先生も熱心に語っていましたし、私も率直に受け止めていました。小学校5年生の時でしたか、体育の時間に「やすめ」の姿勢が、昔の日本は旧軍隊でもそうだったように片足を斜め前に出すやり方だけど、今は進駐軍の指示で両足を横に開いて手を後ろに組むようになったとの説明を妙に覚えています。今考えると、そこまで教育の刷新が行き届いていたということになるのでしょうね。

 大学卒業後、私は東京都江戸川区の公立中学校に赴任し、まさに教育現場で日々生徒・保護者と向き合い、格闘(!)していました。幸い20歳代の若い教諭も多く、かなり自由闊達・リベラルな雰囲気ではありましたが、時々は教頭・教務主任・生活指導主任等とはぶつかり合う場面もありました。組合の中でも意見の相違もあり、私は分会内では少数派、江戸川区教組青年部の部長選挙に立候補した立ち合い演説会では、日共系執行部から演説中に再三打ち切りの嫌がらせにあったりもしたり。組織維持のためには権力の行使も辞さない、「民主主義教育」も一筋縄ではいかない現実を目の当たりにしたものです。指導要領の改訂等、国レベルではいろいろありましたが、教育現場では私の周りではそれ程の締め付け等はほとんど感じられず、私は私なりに子供達に、クラス、部活動を通じて自らの意思を伝えた5年間だと振り返っています。当時は「能力別学級」の是非等が論点になっていて、私は差別・選別教育との認識で反対しましたが、これにも組合とは相容れない主張でぶつかり合いました。

 企業経営に携わる経営者時代は、教育は企業内の採用・社員教育に限定されていて、自分の子供たちの学校生活を通じて垣間見る以外はあまり「戦後民主主義教育」を意識したことはなく、印象には残ってはいません。

 大企業の代表取締役を退任してからは、まさに私自身のあらゆる分野の「学び直し」が始まった貴重な時間です。それまで置き忘れてきた日本の近代史の学び直し、地域の歴史、「愛生舘」の歴史の深掘り等、やり残し感のあった幾つかを調査・検証する時間に恵まれています。一つの例が、5年間秋山財団として実施した「新渡戸・南原賞」の過程で、南原繁先生のご功績に触れた時、「教育基本法」制定時の議論ほか、まさに戦後の民主主義教育の原点を確認した気がします。

* 新渡戸・南原賞: 秋山孝二の部屋

* 関連記事: https://www.akiyama-foundation.org/honor/honor_02

 そんな私にとって昨今の一部政治家たちの改憲論議を目にすると、本当に日本国憲法の理念、戦前の憲法、教育勅語を熟読しているのかと疑わらずにはいられない程断片的認識と幼稚なやり取りに愕然とします。数年前の教育基本法の一部改訂時の議論(議論にもなっていないつまみ食い的修正)でも、終戦直後の南原繁先生達の見識の高さと熟議と比べると、時の政治家たちは天と地との差の貧弱なものでした、まさに戦後日本の政治家たちの劣化ですね。

 メディアではよく「戦争体験者が減ることの危惧」と報道されますが、私は以前から体験者ゆえに語れないことの多さも感じており、歴史を継承する使命をひとり体験者だけに負わせることは今を生きる世代の怠慢なのだと思っています。ただ昨今感じるのは、いわゆる「フェイク」な歴史観、意図的歴史事実の隠蔽・捏造等に対して、自信を持って反駁する一群の弱さを危惧します。歴史的に日本国は歴史の事実の記述を燃やしたり、隠したり、改ざんしている場合が多く、残念ながら正確な記録を外国の公文書館に依存せざるを得ない情けない状況、それこそが危機だと私は認識しています。正しい「歴史認識」、それは戦後民主主義教育を受けた私たちの世代の最も重要な使命だと思います。

北の高校生会議 ver2

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 秋山財団が応援するプロジェクト『北の高校生会議ver2」のキックオフイベントが2日間の予定で開催されました。私は1日目だけの参加でしたが、10年前に始まったこの高校生の集まり、当時のリーダーの声掛けもあり、今年1月の10周年イベントを契機に「バージョン2」として再開されました、嬉しいですね。新たなアイコンは卵を割って出てきそうな状況!

* 2025年度 北の高校生会議Ⅱのご案内 - 秋山記念生命科学振興財団

* 「北の高校生会議」関連記事ーー> 秋山孝二の部屋

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北海道の若者同士が顔を合わせ、社会課題を議論する場を復活させたいと、2014年に発足した「北の高校生会議」を今年度新世代の高校生たちが集結して再始動。新たな対話と創造の場として「北の高校生会議Ⅱ」を開催する運びとなりました。

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 冒頭に私からもご挨拶、名前の「孝」の字が「考」になっていたのはご愛嬌!これからも邪魔にならないように(!)応援していくことを約束しました。

一日目講演プログラム~~~~~~

寺脇 研 さん 京都芸術大学客員教授、元文部科学省官僚、映画評論家、映画プロデューサー、落語評論家

菊池 佳 さん 2016年good food,good lifeを起業、「食」の観点から社会課題を自分ごととしてとらえるための企画・運営事業を行う。

何蔚慈(Ho, Wei-Tzu)さん インフィニティ国際弁護士事務所弁護士、台湾青年民主協会顧問、台北弁護士会子供と青少年法委員会委員長

田中 駿介 さん 東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍、専門は戦後政治学史。現在、駒澤大学、神奈川工科大学で非常勤講師。学生団体「北の高校生会議」初代代表、北海道旭川市出身。

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 最初の講演は「ゆとり教育」で著名な寺脇研さんのお話、素晴らしかったですね。講演後、至近距離でしばしお話が出来ました。私の教師時代の経験ほか、政治と文部官僚との関係、変革は政治主導でなければ難しいと言った経験に基づくお話、このような活動を応援する真っ当な大人たちの存在に敬意を表すると財団活動にお褒めの言葉を頂きました、嬉しかったですね。私からは、やっと時代が寺脇さんの構想に追いついてきましたね、とお伝えしました。以前から直接お会いしてお話をしたかったので貴重な機会となりました。

 「勉強」と「学び」の違い、「義務教育」の「義務」が、そもそもどういう意味なのかを憲法26条と「学習権」の視点から分かり易く語られました。受ける対象の子供たちの「義務」ではなく、国家・保護者たる与える側の「義務」ということ。

 翌日の新聞にも大きく掲載されていました。

 私は一日目だけの参加でしたが、参加者は夜に旭川に移動して宿泊、二日目はディスカッションでテーマを深掘りしました、今後が楽しみですね。

KAWABE @ ALASKA

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 NHK総合の『大追跡』、今回のアラスカの日本人追跡は感動しました。NHKスタッフのアーカイブス解析能力にあらためて敬意を表します。

* 川部惣太郎ーー> NHK【大追跡グローバルヒストリー】アラスカにかけた謎の日本人を追う〜尊敬された実業家の知られざる足跡|2025年7月21日放送 | 気になるNHK

 16歳でひとり北アメリカ大陸へ。

 幾つかの事業を立ち上げ、失敗しながらアラスカに渡り、近代的なランドリーショップを立ち上げ大成功を収めて、街の発展にも貢献しました。

 その後、折からの第二次世界大戦下、日本人の強制収容が始まり、移住を余儀なくされました。

 ただ、彼はその逆境ですらポジティブな経験として戦後の実践に活かしていくのです。

 「人からの信頼はお金よりも価値がある」、重たい価値ある言葉ですね!

『1945 最後の秘密』

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 メディアアンビシャスの戦後80年講演会が開催されました。今回は朝日新聞盛岡総局の三浦英之記者です。

* メディアアンビシャス関連記事ーー> 秋山孝二の部屋

 著書の基盤になってきた取材を基に、アッと驚くような満州建国大学卒業者からの証言ほか、濃密な内容でした。

* 三浦英之 - 記者:朝日新聞

* 建国大学 - Wikipedia


 
 開会前から参加者も続々。

 これまでの数冊の著書を手に講演された三浦英之記者。

1945 最後の秘密

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 人は戦時下で、どう生きようとしたのか――。

* アフリカを攻撃した「特殊潜航艇」日本兵の最期。

* 「空母赤城」整備兵が語るミッドウェイ海戦とその後。

* 元満州国官僚が死の直前に綴った最後の「極秘計画」。

* 回天が配備された八丈島の疎開船「東光丸」の悲劇。

* 原爆に奪われた「元タカラジェンヌ」園井恵子の希望。

* 国家に背いて「原爆疎開」を決断した新潟県知事の覚悟。

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 この中の以下の二つのお話は特に衝撃でした。

* 元満州国官僚が死の直前に綴った最後の「極秘計画」

* 国家に背いて「原爆疎開」を決断した新潟県知事の覚悟

小方良子さんを送る会

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 4月28日に急逝した(公財)ワグナー・ナンドール記念財団の「小方良子事務局長を送る会」が先日、栃木県益子町のワグナーナンドールアートギャラリー内の庭園で開催されました。お誕生日の前日、生前に大好きだった蓮の花が咲く頃、炎天下でしたが風が吹き抜ける中、思い出話、捧げるバイオリン&ピアノの音色を聴きながら、参加された皆さんは暫し小方さんの人生に思いを馳せて偲び、送る時間となりました。

 開催前の早朝の庭園では蓮の花が一輪咲いて、今にも咲きそうな蕾も複数ありました。

 冒頭に理事長の私からご挨拶、HPにアップした内容で語ったのですが、感極まって終わりは暫し絶句でした。

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< 訃報 >
謹んで当財団をご支援して頂いてる皆様にご報告申し上げます。
これまで20年あまり、皆さまにお世話になり当財団の事務を担っていた小方良子が、2025(令和7)年4月28日午後6時頃に虚血性心疾患で急逝しました。突然の報に関係者はにわかには受け入れ難く、対応に追われて皆様へのご連絡が遅れた事を深くお詫び申し上げます。葬儀は家族葬でごく内輪にてお済ませとご親族から連絡を受けております。今年度「春の展示会」の最中の悲報でしたが、私たちは当初予定通り5月15日迄開催して多くのお客様にお越し頂き、滞りなく終了しました。
小方良子は和久奈ちよと共に、益子のアートギャラリーの運営に献身的に尽力し、展示会での応対をはじめ、作品・建築物・庭園等の日々のメインテナンスを担っている方々とのコミュニケーション、栃木県庁担当部署への報告、理事会・評議員会資料作成等、事務全般をこの間担って、当財団の活動の基盤を構築してくれました。2021(令和3)年10月にちよが亡くなった後は、まさに孤軍奮闘で新たな当財団の方向性を探りながら仕事に向き合っていました。
私とも頻繁に意見交換を行って、ちよ亡き後のギャラリーの展開を語り合ったり、地元益子町の方々との更なる関係構築、栃木県を芸術の視点から情報発信するための方策についてもアイディアを交換したりして、ギャラリーの将来像を明るい眼差しで思い描いていました。
今、在りし日の姿を顧みると、小方良子は日本航空国際線CAの誇りを胸に、いつも仕事に向き合っていたような気がします。そして、若い後進を育てる途上での今回の突然の旅立ちは、どこか心残りだったかもしれません。
残された今を預かる私を含めた財団関係者は、そんなギャラリーへの熱い思いをしっかり受け継ぎ、これからのこの美術館の更なる発展に尽力することをお誓い申し上げて、ご報告に代えさせて頂きます。
今後とも、皆さま方に喜んで頂ける「ワグナー・ナンドール アートギャラリー」を目指して参ります、どうか宜しくお願い申し上げます。

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 duo阿久澤のミニコンサート、心に染み入りました。特に『Time to say goodbye』は。

* Bing 動画

海に沈める融ける骨壺

海に沈める融ける骨壺

南極料理人は語る!

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 南極料理人西村淳さんのミニ講演&スライドショーが愛生舘サロンで開催されました、企画責任者は和田由美さんです。

 彼の著書を基に以前に映画も作成されました。

* 南極料理人 : 作品情報・キャスト・あらすじ・動画 - 映画.com

 冒頭ご挨拶する和田由美さんです。

 秋山財団の防災関連プロジェクトでも以前からお世話になっていました。

* 根本昌宏 | TEAM防災ジャパン

 また、こちらのサイトでは彼の二度にわたる南極観測隊での経験も紹介されています。

* ご参考ーー> https://www.hophouse.co.jp/ishide-talk/talk-953/#

 当日は、オーロラの多様なスライドほか、南極ならではの光景も観ることができてひと時澄み切った空気と氷の世界を堪能できました。今後も多くの施設でのミニ講演を続けていくようです。

赤松良子さんに続く「長い列」

Posted by 秋山孝二
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 NHKスぺシアルのシリーズ「未完のバトン」、今回は赤松良子さんに続く活動紹介、『”均等法の母”に続く長い列』でした。

* 未完のバトン 第3回 “均等法の母”に続く長い列 - NHKスペシャル - NHK

 40年前の1985年に成立した男女雇用機会均等法で、当時法案づくりに奔走した赤松良子さん(旧労働省婦人少年局長)は、昨年94歳でお亡くなりになりました。番組で紹介された資料からは、この法案成立に決して満足ではなく、昇進差別、男性の育児休業、非正規雇用、女性の政治参加など積み残した課題の解決に取り組む姿が浮かび上がってきました。

 赤松さんと共に歩みながら、その後の活動を続ける多くの女性たち、「バトン」というよりも闇を切り拓く「鎌」、いつかそれがバトンに代わって走り回れる大地になればいいですね!と。

 「長い列」、それは先輩、後輩たちの弛まない努力の継続なのでしょうね。

 一歩ずつ、諦めることなくしたたかに前に進む隊列、日々暮らしを過ごす矜持も感じます。秋山財団の『秋山喜代賞』も、そんな流れの中での一コマとなれば嬉しいです。

* 秋山喜代賞 - 秋山記念生命科学振興財団

NHK『僕の日本人助産師を探して』

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 NHK『戦後80年』企画の一つとして、BS番組「僕の日本人助産師を探して」は、これまでとは一味違った角度からの深掘りに感動しました。

* 戦後80年 僕の日本人助産師を探して - BSスペシャル - NHK

 中国人ジャーナリストの寇愛哲さんは自身を取り上げた助産師・浦山あき子さんの消息を探していました。

 中国での戦争体験を経て、その後日本に帰ってからの苦労等、時代に翻弄された一人の女性の人生、一般的には「在留邦人」と一括りにされてきてますが、貴重な時代の証として心に刻まなければなりません、戦後を生きてきた私の世代として。

 丹念に彼女を知る人々を訪問・取材する寇愛哲さんの情熱に感動すると共に、彼の質問に率直に応える人々の言葉にも温かさを感じました。

ネットワーク事業交流会 2025

Posted by 秋山孝二
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 今年で第5回目となる秋山財団の「ネットワーク形成事業助成」の交流会が先日開催されて、例年にも増して大盛況でした。開会前から、或いは休憩時間も濃密なコミュニケーションの数々、化学反応により新たな展開も生まれたようで何よりでした。

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 活動報告会 2022@秋山財団

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 秋山財団 交流セミナー 2023

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 秋山財団 交流会 2024

 振り返れば、コロナ禍での第1回は秋山財団でアクリル板を挟んでの意見交換会、回を重ねるごとに交流のレベルもバージョンアップし、プログラムだけでなく、お菓子の詰め合わせの事務局の心遣いもあったり、新しくデジタルプラットホームのアプリの予告もされて、今後が楽しみですね。

 一団体3分の活動報告とその後の質疑応答、窮屈な持ち時間と思っていましたが、どの団体も見事に時間を有効に使ってのプレゼン、真の「交流」が板についてきたことを確信しました。

リニューアル、「日本海沿岸サミット」

Posted by 秋山孝二
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 経済同友会でこれまで十数回開催していた「日本海沿岸地域サミット」を、今回からリニューアルして 「第一回日本海沿岸地域経済同友会サミット 札幌大会」として開催しました、大会テーマは『日本海沿岸を結ぶ交通網の整備』で、全国から12の経済同友会の代表幹事・副代表幹事・事務局総勢50名が集まりました。

<これまで私が参加した前身の「日本海サミット」の記事>

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 日本海サミット 2014 in 山形(前)

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 日本海サミット 2014 in 山形(後)

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 第8回 日本海サミット in 福岡

 基調講演は京都大学工学研究科教授の藤井聡氏、テーマは『北海道沿岸エリア発展における必須プロジェクト~羽越・北陸・山陰・北海道新幹線と那覇名護鉄道による「国土軸」の形成~』でした。「マーケットの論理」と「国家の論理」の違い、「相対的交通利便性」、「対抗投資」等の概念についても時々過激な内容もありながら示唆に富むお話でした。

 その後は、各地の経済同友会からのそれぞれの問題意識を基に質疑応答を含めた意見交換も休憩時を含めて大変活発、懇親会でもそれぞれのテーブルで更に深掘りした話し合いも続きました。来年は富山経済同友会がホストで開催予定です。