私の【戦後80年談話】(2)

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 私の【戦後80年談話】は、かなり身近な食料から見る戦後80年、ある意味では終戦直後の飢餓状態を知らない地方に生まれた人間のお話です。

 私が時代の食料を意識したのは、小学校から始まった学校給食でした。地元の日糧製パンの角食にマーガリンと脱脂粉乳、おかずはあまりこれと言って記憶に残ってはいません。ただ、お汁粉と生の四角いお餅は何故か鮮明に覚えています、パンとお汁粉の不思議さとともにです。アルマイトのカップ、アルミの大きなバケツから皆に配ってた脱脂粉乳、これが「ララ救援物資」と知ったのはずっと後のことでした。「ララ物資」はアジア救援公認団体(LARA:Licensed Agencies for Relief in Asia)が、戦後日本に向けて提供した支援物資のこと、時々コッペパンとか豆パンなんかもあったような気がしますが、ご飯の給食は無かったですね。

* 【ララ救援物資】

* 脱脂粉乳ーー> 脱脂粉乳 給食 いつまで?歴史と疑問を徹底解説

 果物ではバナナは極めて貴重品、特別の時にしか見ることはなかったです、今ではごく日常的にありますが。ミカンは秋口にまだ緑色した酸っぱいのが多く、黄色く熟したのは雪が積もってくる頃からだったような気がします。さらにずっと後になってからグレープフルーツが登場してきたような。北海道では「ザンギ」で馴染みだったところに「フライドチキン」が出てきたり、シャケの燻製が柔らかい「スモークサーモン」だったり、ホットドッグ、ハンバーグ等、次々と目にするようになりました。と同時に、幼い頃から「歩きながら食べるのはやめなさい」と育った時代から、街なかでも歩きながら食べる人も多くなり変化が出た来たように思うのは私だけの感想でしょうか。

 教育に比べるとかなり日常的食糧事情変化の80年、我が家では幼い頃から「食事は残さないで食べなさい」と厳しく言われ続けたので、今もその価値観は捨てることはありません。「飽食」と言われる現代、街には捨てられる食糧が山積する時代の変化に、日本の劣化を具に感じています。

私の【戦後80年談話】(1)

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 8月は多くのメディアでは『戦争』特集で溢れ、明日の広島原爆記念日以降に本格的になるのでしょう。日本では時の総理大臣が10年毎に「談話」を発表してきましたが、今年は戦後80年の節目、これまでの報道によると今の政府は今月には「談話」を出さないとか、短期的政局を考慮でしょうか、何とも情けない、戦後80年、昭和100年の総括が出来ないというメッセージに他なりません。

* 【戦後50年・60年談話】村山談話・小泉談話<全文> | 政治備忘録

* 戦後70年 安倍首相談話の全文 - 日本経済新聞

 1951年1月生まれの私は「20世紀のド真ん中」に人生が始まり、こんな昨今、私なりに自らの生きてきた戦後を自らの視点で総括したいと思い、今頭に浮かぶテーマを書き留めます、私の【戦後80年談話】です。

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私の視点

* 戦後民主主義教育 日本国憲法ほか

* 食料から見る戦後

* アメリカとの関係

* 国際社会との関係

* ETC

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 先ずは初回として、「戦後民主主義教育~日本国憲法ほか」。

 私は、自分自身がいわゆる「戦後民主主義教育」を受けてきたと認識したのは、10代後半のことでした、受験勉強真っ盛りの高校生時代、時々、旺文社ラジオ講座、北京放送局のテーマ曲、ジェットストリームを聴き午前2時頃まで机に向かいながら、「現代高校教育の矛盾を晴らせ!」と紙に書いて壁に貼っていたのを思い出します。18歳まで育った札幌を離れて1969年から首都圏に住み、激動の大学生時代を過ごす過程で、近代の日本の歴史を学び直して、自ら受けてきた教育を再認識しました。「日本国憲法」、「教育基本法」、それと同時に「大日本帝国憲法」、「教育勅語」、「軍人勅諭」とかの学び直しです。「日本国憲法」に関しては、私は小学校でも中学校でもかなりしっかり教えて頂いた記憶があります。基本的人権、主権在民、戦争放棄等、先生も熱心に語っていましたし、私も率直に受け止めていました。小学校5年生の時でしたか、体育の時間に「やすめ」の姿勢が、昔の日本は旧軍隊でもそうだったように片足を斜め前に出すやり方だけど、今は進駐軍の指示で両足を横に開いて手を後ろに組むようになったとの説明を妙に覚えています。今考えると、そこまで教育の刷新が行き届いていたということになるのでしょうね。

 大学卒業後、私は東京都江戸川区の公立中学校に赴任し、まさに教育現場で日々生徒・保護者と向き合い、格闘(!)していました。幸い20歳代の若い教諭も多く、かなり自由闊達・リベラルな雰囲気ではありましたが、時々は教頭・教務主任・生活指導主任等とはぶつかり合う場面もありました。組合の中でも意見の相違もあり、私は分会内では少数派、江戸川区教組青年部の部長選挙に立候補した立ち合い演説会では、日共系執行部から演説中に再三打ち切りの嫌がらせにあったりもしたり。組織維持のためには権力の行使も辞さない、「民主主義教育」も一筋縄ではいかない現実を目の当たりにしたものです。指導要領の改訂等、国レベルではいろいろありましたが、教育現場では私の周りではそれ程の締め付け等はほとんど感じられず、私は私なりに子供達に、クラス、部活動を通じて自らの意思を伝えた5年間だと振り返っています。当時は「能力別学級」の是非等が論点になっていて、私は差別・選別教育との認識で反対しましたが、これにも組合とは相容れない主張でぶつかり合いました。

 企業経営に携わる経営者時代は、教育は企業内の採用・社員教育に限定されていて、自分の子供たちの学校生活を通じて垣間見る以外はあまり「戦後民主主義教育」を意識したことはなく、印象には残ってはいません。

 大企業の代表取締役を退任してからは、まさに私自身のあらゆる分野の「学び直し」が始まった貴重な時間です。それまで置き忘れてきた日本の近代史の学び直し、地域の歴史、「愛生舘」の歴史の深掘り等、やり残し感のあった幾つかを調査・検証する時間に恵まれています。一つの例が、5年間秋山財団として実施した「新渡戸・南原賞」の過程で、南原繁先生のご功績に触れた時、「教育基本法」制定時の議論ほか、まさに戦後の民主主義教育の原点を確認した気がします。

* 新渡戸・南原賞: 秋山孝二の部屋

* 関連記事: https://www.akiyama-foundation.org/honor/honor_02

 そんな私にとって昨今の一部政治家たちの改憲論議を目にすると、本当に日本国憲法の理念、戦前の憲法、教育勅語を熟読しているのかと疑わらずにはいられない程断片的認識と幼稚なやり取りに愕然とします。数年前の教育基本法の一部改訂時の議論(議論にもなっていないつまみ食い的修正)でも、終戦直後の南原繁先生達の見識の高さと熟議と比べると、時の政治家たちは天と地との差の貧弱なものでした、まさに戦後日本の政治家たちの劣化ですね。

 メディアではよく「戦争体験者が減ることの危惧」と報道されますが、私は以前から体験者ゆえに語れないことの多さも感じており、歴史を継承する使命をひとり体験者だけに負わせることは今を生きる世代の怠慢なのだと思っています。ただ昨今感じるのは、いわゆる「フェイク」な歴史観、意図的歴史事実の隠蔽・捏造等に対して、自信を持って反駁する一群の弱さを危惧します。歴史的に日本国は歴史の事実の記述を燃やしたり、隠したり、改ざんしている場合が多く、残念ながら正確な記録を外国の公文書館に依存せざるを得ない情けない状況、それこそが危機だと私は認識しています。正しい「歴史認識」、それは戦後民主主義教育を受けた私たちの世代の最も重要な使命だと思います。

北の高校生会議 ver2

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 秋山財団が応援するプロジェクト『北の高校生会議ver2」のキックオフイベントが2日間の予定で開催されました。私は1日目だけの参加でしたが、10年前に始まったこの高校生の集まり、当時のリーダーの声掛けもあり、今年1月の10周年イベントを契機に「バージョン2」として再開されました、嬉しいですね。新たなアイコンは卵を割って出てきそうな状況!

* 2025年度 北の高校生会議Ⅱのご案内 - 秋山記念生命科学振興財団

* 「北の高校生会議」関連記事ーー> 秋山孝二の部屋

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北海道の若者同士が顔を合わせ、社会課題を議論する場を復活させたいと、2014年に発足した「北の高校生会議」を今年度新世代の高校生たちが集結して再始動。新たな対話と創造の場として「北の高校生会議Ⅱ」を開催する運びとなりました。

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 冒頭に私からもご挨拶、名前の「孝」の字が「考」になっていたのはご愛嬌!これからも邪魔にならないように(!)応援していくことを約束しました。

一日目講演プログラム~~~~~~

寺脇 研 さん 京都芸術大学客員教授、元文部科学省官僚、映画評論家、映画プロデューサー、落語評論家

菊池 佳 さん 2016年good food,good lifeを起業、「食」の観点から社会課題を自分ごととしてとらえるための企画・運営事業を行う。

何蔚慈(Ho, Wei-Tzu)さん インフィニティ国際弁護士事務所弁護士、台湾青年民主協会顧問、台北弁護士会子供と青少年法委員会委員長

田中 駿介 さん 東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍、専門は戦後政治学史。現在、駒澤大学、神奈川工科大学で非常勤講師。学生団体「北の高校生会議」初代代表、北海道旭川市出身。

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 最初の講演は「ゆとり教育」で著名な寺脇研さんのお話、素晴らしかったですね。講演後、至近距離でしばしお話が出来ました。私の教師時代の経験ほか、政治と文部官僚との関係、変革は政治主導でなければ難しいと言った経験に基づくお話、このような活動を応援する真っ当な大人たちの存在に敬意を表すると財団活動にお褒めの言葉を頂きました、嬉しかったですね。私からは、やっと時代が寺脇さんの構想に追いついてきましたね、とお伝えしました。以前から直接お会いしてお話をしたかったので貴重な機会となりました。

 「勉強」と「学び」の違い、「義務教育」の「義務」が、そもそもどういう意味なのかを憲法26条と「学習権」の視点から分かり易く語られました。受ける対象の子供たちの「義務」ではなく、国家・保護者たる与える側の「義務」ということ。

 翌日の新聞にも大きく掲載されていました。

 私は一日目だけの参加でしたが、参加者は夜に旭川に移動して宿泊、二日目はディスカッションでテーマを深掘りしました、今後が楽しみですね。

KAWABE @ ALASKA

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 NHK総合の『大追跡』、今回のアラスカの日本人追跡は感動しました。NHKスタッフのアーカイブス解析能力にあらためて敬意を表します。

* 川部惣太郎ーー> NHK【大追跡グローバルヒストリー】アラスカにかけた謎の日本人を追う〜尊敬された実業家の知られざる足跡|2025年7月21日放送 | 気になるNHK

 16歳でひとり北アメリカ大陸へ。

 幾つかの事業を立ち上げ、失敗しながらアラスカに渡り、近代的なランドリーショップを立ち上げ大成功を収めて、街の発展にも貢献しました。

 その後、折からの第二次世界大戦下、日本人の強制収容が始まり、移住を余儀なくされました。

 ただ、彼はその逆境ですらポジティブな経験として戦後の実践に活かしていくのです。

 「人からの信頼はお金よりも価値がある」、重たい価値ある言葉ですね!

『1945 最後の秘密』

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 メディアアンビシャスの戦後80年講演会が開催されました。今回は朝日新聞盛岡総局の三浦英之記者です。

* メディアアンビシャス関連記事ーー> 秋山孝二の部屋

 著書の基盤になってきた取材を基に、アッと驚くような満州建国大学卒業者からの証言ほか、濃密な内容でした。

* 三浦英之 - 記者:朝日新聞

* 建国大学 - Wikipedia


 
 開会前から参加者も続々。

 これまでの数冊の著書を手に講演された三浦英之記者。

1945 最後の秘密

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 人は戦時下で、どう生きようとしたのか――。

* アフリカを攻撃した「特殊潜航艇」日本兵の最期。

* 「空母赤城」整備兵が語るミッドウェイ海戦とその後。

* 元満州国官僚が死の直前に綴った最後の「極秘計画」。

* 回天が配備された八丈島の疎開船「東光丸」の悲劇。

* 原爆に奪われた「元タカラジェンヌ」園井恵子の希望。

* 国家に背いて「原爆疎開」を決断した新潟県知事の覚悟。

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 この中の以下の二つのお話は特に衝撃でした。

* 元満州国官僚が死の直前に綴った最後の「極秘計画」

* 国家に背いて「原爆疎開」を決断した新潟県知事の覚悟

小方良子さんを送る会

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 4月28日に急逝した(公財)ワグナー・ナンドール記念財団の「小方良子事務局長を送る会」が先日、栃木県益子町のワグナーナンドールアートギャラリー内の庭園で開催されました。お誕生日の前日、生前に大好きだった蓮の花が咲く頃、炎天下でしたが風が吹き抜ける中、思い出話、捧げるバイオリン&ピアノの音色を聴きながら、参加された皆さんは暫し小方さんの人生に思いを馳せて偲び、送る時間となりました。

 開催前の早朝の庭園では蓮の花が一輪咲いて、今にも咲きそうな蕾も複数ありました。

 冒頭に理事長の私からご挨拶、HPにアップした内容で語ったのですが、感極まって終わりは暫し絶句でした。

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< 訃報 >
謹んで当財団をご支援して頂いてる皆様にご報告申し上げます。
これまで20年あまり、皆さまにお世話になり当財団の事務を担っていた小方良子が、2025(令和7)年4月28日午後6時頃に虚血性心疾患で急逝しました。突然の報に関係者はにわかには受け入れ難く、対応に追われて皆様へのご連絡が遅れた事を深くお詫び申し上げます。葬儀は家族葬でごく内輪にてお済ませとご親族から連絡を受けております。今年度「春の展示会」の最中の悲報でしたが、私たちは当初予定通り5月15日迄開催して多くのお客様にお越し頂き、滞りなく終了しました。
小方良子は和久奈ちよと共に、益子のアートギャラリーの運営に献身的に尽力し、展示会での応対をはじめ、作品・建築物・庭園等の日々のメインテナンスを担っている方々とのコミュニケーション、栃木県庁担当部署への報告、理事会・評議員会資料作成等、事務全般をこの間担って、当財団の活動の基盤を構築してくれました。2021(令和3)年10月にちよが亡くなった後は、まさに孤軍奮闘で新たな当財団の方向性を探りながら仕事に向き合っていました。
私とも頻繁に意見交換を行って、ちよ亡き後のギャラリーの展開を語り合ったり、地元益子町の方々との更なる関係構築、栃木県を芸術の視点から情報発信するための方策についてもアイディアを交換したりして、ギャラリーの将来像を明るい眼差しで思い描いていました。
今、在りし日の姿を顧みると、小方良子は日本航空国際線CAの誇りを胸に、いつも仕事に向き合っていたような気がします。そして、若い後進を育てる途上での今回の突然の旅立ちは、どこか心残りだったかもしれません。
残された今を預かる私を含めた財団関係者は、そんなギャラリーへの熱い思いをしっかり受け継ぎ、これからのこの美術館の更なる発展に尽力することをお誓い申し上げて、ご報告に代えさせて頂きます。
今後とも、皆さま方に喜んで頂ける「ワグナー・ナンドール アートギャラリー」を目指して参ります、どうか宜しくお願い申し上げます。

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 duo阿久澤のミニコンサート、心に染み入りました。特に『Time to say goodbye』は。

* Bing 動画

海に沈める融ける骨壺

海に沈める融ける骨壺

南極料理人は語る!

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 南極料理人西村淳さんのミニ講演&スライドショーが愛生舘サロンで開催されました、企画責任者は和田由美さんです。

 彼の著書を基に以前に映画も作成されました。

* 南極料理人 : 作品情報・キャスト・あらすじ・動画 - 映画.com

 冒頭ご挨拶する和田由美さんです。

 秋山財団の防災関連プロジェクトでも以前からお世話になっていました。

* 根本昌宏 | TEAM防災ジャパン

 また、こちらのサイトでは彼の二度にわたる南極観測隊での経験も紹介されています。

* ご参考ーー> https://www.hophouse.co.jp/ishide-talk/talk-953/#

 当日は、オーロラの多様なスライドほか、南極ならではの光景も観ることができてひと時澄み切った空気と氷の世界を堪能できました。今後も多くの施設でのミニ講演を続けていくようです。

赤松良子さんに続く「長い列」

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 NHKスぺシアルのシリーズ「未完のバトン」、今回は赤松良子さんに続く活動紹介、『”均等法の母”に続く長い列』でした。

* 未完のバトン 第3回 “均等法の母”に続く長い列 - NHKスペシャル - NHK

 40年前の1985年に成立した男女雇用機会均等法で、当時法案づくりに奔走した赤松良子さん(旧労働省婦人少年局長)は、昨年94歳でお亡くなりになりました。番組で紹介された資料からは、この法案成立に決して満足ではなく、昇進差別、男性の育児休業、非正規雇用、女性の政治参加など積み残した課題の解決に取り組む姿が浮かび上がってきました。

 赤松さんと共に歩みながら、その後の活動を続ける多くの女性たち、「バトン」というよりも闇を切り拓く「鎌」、いつかそれがバトンに代わって走り回れる大地になればいいですね!と。

 「長い列」、それは先輩、後輩たちの弛まない努力の継続なのでしょうね。

 一歩ずつ、諦めることなくしたたかに前に進む隊列、日々暮らしを過ごす矜持も感じます。秋山財団の『秋山喜代賞』も、そんな流れの中での一コマとなれば嬉しいです。

* 秋山喜代賞 - 秋山記念生命科学振興財団

NHK『僕の日本人助産師を探して』

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 NHK『戦後80年』企画の一つとして、BS番組「僕の日本人助産師を探して」は、これまでとは一味違った角度からの深掘りに感動しました。

* 戦後80年 僕の日本人助産師を探して - BSスペシャル - NHK

 中国人ジャーナリストの寇愛哲さんは自身を取り上げた助産師・浦山あき子さんの消息を探していました。

 中国での戦争体験を経て、その後日本に帰ってからの苦労等、時代に翻弄された一人の女性の人生、一般的には「在留邦人」と一括りにされてきてますが、貴重な時代の証として心に刻まなければなりません、戦後を生きてきた私の世代として。

 丹念に彼女を知る人々を訪問・取材する寇愛哲さんの情熱に感動すると共に、彼の質問に率直に応える人々の言葉にも温かさを感じました。

ネットワーク事業交流会 2025

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 今年で第5回目となる秋山財団の「ネットワーク形成事業助成」の交流会が先日開催されて、例年にも増して大盛況でした。開会前から、或いは休憩時間も濃密なコミュニケーションの数々、化学反応により新たな展開も生まれたようで何よりでした。

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 活動報告会 2022@秋山財団

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 秋山財団 交流セミナー 2023

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 秋山財団 交流会 2024

 振り返れば、コロナ禍での第1回は秋山財団でアクリル板を挟んでの意見交換会、回を重ねるごとに交流のレベルもバージョンアップし、プログラムだけでなく、お菓子の詰め合わせの事務局の心遣いもあったり、新しくデジタルプラットホームのアプリの予告もされて、今後が楽しみですね。

 一団体3分の活動報告とその後の質疑応答、窮屈な持ち時間と思っていましたが、どの団体も見事に時間を有効に使ってのプレゼン、真の「交流」が板についてきたことを確信しました。

リニューアル、「日本海沿岸サミット」

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 経済同友会でこれまで十数回開催していた「日本海沿岸地域サミット」を、今回からリニューアルして 「第一回日本海沿岸地域経済同友会サミット 札幌大会」として開催しました、大会テーマは『日本海沿岸を結ぶ交通網の整備』で、全国から12の経済同友会の代表幹事・副代表幹事・事務局総勢50名が集まりました。

<これまで私が参加した前身の「日本海サミット」の記事>

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 日本海サミット 2014 in 山形(前)

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 日本海サミット 2014 in 山形(後)

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 第8回 日本海サミット in 福岡

 基調講演は京都大学工学研究科教授の藤井聡氏、テーマは『北海道沿岸エリア発展における必須プロジェクト~羽越・北陸・山陰・北海道新幹線と那覇名護鉄道による「国土軸」の形成~』でした。「マーケットの論理」と「国家の論理」の違い、「相対的交通利便性」、「対抗投資」等の概念についても時々過激な内容もありながら示唆に富むお話でした。

 その後は、各地の経済同友会からのそれぞれの問題意識を基に質疑応答を含めた意見交換も休憩時を含めて大変活発、懇親会でもそれぞれのテーブルで更に深掘りした話し合いも続きました。来年は富山経済同友会がホストで開催予定です。

日本酒 試飲会@かんてんパパ

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 札幌の秋山財団事務所のお隣さん『かんてんぱぱ(伊那食品工業株式会社)』札幌営業所には、所長さんはじめいつもお世話になっています。先日、昨年から始めた年一回の日本酒の試飲会イベントのお誘いがあり行きました。

* 伊那食品工業株式会社

 いつもは事務所2階の一室で、関連する長野県の酒蔵の地酒が並んでの試飲会、夏限定の冷酒ほかたくさんの銘柄を解説付きで飲み比べ、すっきり爽やかな味でした。

* かんてんぱぱグループ米澤酒造株式会社

 しばしいろいろ説明を聞いた後、一階のショップで今錦二種類を買って家に持ち帰りました。かんてんパパさんで日本酒を売っていることも殆ど知らなかったので。

 因みに、これまで長野のお酒と言えば『真澄 蔵元 | 宮坂醸造株式会社(信州諏訪 7号酵母発祥の酒蔵)』でした、私の妻の名も文字は少し違いますが「眞澄」、いつも「辛口」で緊張感を抱いて飲んでいます?!

* これまでの「日本酒」関連記事ーー> 秋山孝二の部屋

新たなDVD、完成!

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 栃木県で続いたワグナーナンドール財団関連のイベントの記録DVDが完成しました。

 一つは「大谷石研究会主催の講演会」、もう一つは「ロマンの碑・復元関連イベント」です。

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 講演会 @ 大谷石研究会(下)

* 秋山孝二の部屋 ロマンの碑復元関連イベント(除幕式ほか)

 当日の感動はもちろんですが、こうやってDVDとして記録に残して振り返ると、また違った深掘りの印象があり、より一層当日の新鮮な感動が蘇ります、ワグナーナンドール財団の江原評議員の毎回の力作、ありがとうございます。

観劇後の懇親会も盛況!

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 ジョブキタ北八劇場で『病は気から』を観劇した後、今回は4年前に終了した『北を語る会』の元メンバーたちが集まってそれぞれこの舞台の感想他を語り合い、大いに盛り上がりました。

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 「北八劇場」一周年!!

* 「北を語る会」関連記事ーー> 秋山孝二の部屋

 懐かしいお顔の面々、皆さんは千秋楽のこの日が初めてのこの作品の観劇、それでもこれまでの演劇鑑賞の経験を踏まえて、大変深い感想を多く聴かせて頂き、北八劇場関係者にも伝えたいと思いました。例えば、シンプルな舞台装置の中でストーリーと俳優たちの演技だけで2時間の時間・空間を楽しませるその姿への称賛とか、俳優たちの溢れる熱演からエネルギーを貰ったとかですね。

 その中で特に印象に残ったのは北海道大学の教授だった高村泰雄先生のお言葉、この日95歳のお誕生日を迎えられて皆さんでお祝いをしましたが、先日亡くなった斎藤歩を偲ぶ中で、学生時代の斎藤歩の青テントのエピソードには感動しました、キャンパス内に無許可でテントを張って演劇活動をしていた歩たちを排除しようとした大学側に対して、表現の自由から彼らを擁護した数少ない大学関係者だったことを、絞り出すようなお言葉で語られました。

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 旅立ったお二人!

絞り出す声で語る高村先生

絞り出す声で語る高村先生

 久しぶりにお会いした先輩たち、最初は多少お歳を取られた気がしていましたが、飲むほどに酔うほどにさすがに錚々たる経歴の皆さん、持論を含めて深い観劇の感想等、傾聴に値するお言葉の数々でした。リアルな集まり、やっぱり大切ですね、また近いうちにお会いしたい皆さんでした。

「北八劇場」一周年!!

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 昨年5月にオープンした「ジョブキタ北八劇場 」が一周年を迎えて、先月から今月に掛けて一か月公演24ステージ『病は気から』が大盛況で千秋楽を終えました。

* 『病は気から | 劇場スケジュール | ジョブキタ北八劇場

 千秋楽終演後のカーテンコール!

脚本・演出の納谷真大さん

脚本・演出の納谷真大さん

 隣のホテルバーとのコラボ企画『キャスト・イメージカクテル』で一番注文の多かったエレキくん、賞品の電気ブランボトルを獲得!

 終演後、キャストの方々も元気そう。

* これまでの北八劇場関連記事ーー> 秋山孝二の部屋

永い年月を経て @ 薬師寺

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 薬師寺にはこれまで何回も足を運んでいますが、昨年はここの食堂(じきどう)でのライブコンサートがあると伺い、前後の日程もあったりで参加しました。

 田辺靖雄さんと九重佑三子さんのご夫婦。薬師寺大谷執事長のご配慮で最前列の真ん中の席で臨場感満載の時間でした。ライブ前に本堂の薬師如来に奉納のお参りもご一緒にさせて頂きました。その昔、九重佑三子さんのファンだった私としては60年近くの時を経て至近距離でお話ができました。お父様が北海道の礼文島ご出身とか。

* Bing 動画

* これまでの薬師寺関連記事ーー> 秋山孝二の部屋

スローフード第2弾、盛況!

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 湯浅優子さんが代表の「秋山財団ネットワーク交流会実行委員会によるトークイベント第2弾」は、予定の参加者を大幅に越えて大盛況でした。

* 秋山財団ネットワーク交流会実行委員会によるトークイベント第2弾のご案内 - 秋山記念生命科学振興財団

 アリス・ウオータースの映画『食べることは生きること』上映を含め、昨年11月の第1弾も内容の濃い参加者との交流でしたが、今年は更に全国で活躍するお二人のゲストの事例発表も感動しました。

* 映画『食べることは生きること 〜アリス・ウォータースのおいしい革命〜』公式 | 世界中の料理人と教育者に影響を与える彼女が信じる「おいしい革命」とはー?

* 小野寺愛|note

* 阿部裕志 風と土と

* 昨年11月の第1弾ーー> 秋山財団ネットワーク交流会上映会&TALKが開催されました - 秋山記念生命科学振興財団

 更に関連してそれに先立って一昨年開催されたイベントにも小野寺愛さんはご参加されていました。

<2023年5月のトマムで>

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 祝 スローフード北海道 20周年!(上)

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 祝 スローフード北海道 20周年!(下)

 今回の第2弾、前日夜の交流会。

 この会の代表で秋山財団評議員の湯浅優子さん。

 翌日は映画上映会とお二人のゲストの事例発表と意見交換会。

 小野寺愛さんの映画の解説ほか。

 阿部さんからは海士(あま)町の実践ほか。

 昼食後は、4名の方々からそれぞれの素晴らしい実践のご報告とアピールでした。これからの秋山財団のアウトリーチ活動の軸として「食~農」の楽しみなネットワークが進化しそうです!!!

6月の川甚 @ 札幌

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 札幌に残る数少ない割烹「川甚」、しばらくぶりに集合時間前にしばしお庭を拝見、夕暮れ前からのライトアップに映える変わらぬご神木のポプラです。

* さっぽろ川甚本店

 さる場所にはこんなものも?!

 今回のメンバーはこちら、川甚オーナー会社会長を囲んで岐阜からのご一行でした!

 今から40年くらい前の札幌には、「いく代」、「海陽亭(小樽が本拠)」、「あをき」等、私が知っているだけでも複数あったのですが、現在はこの「川甚」さんくらいしか昔の風情がある割烹は無いような気がします、貴重な札幌のおもてなしの場ですね、加森公人さんに感謝です!

旅立ったお二人!

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 一緒に仕事をしてきて自分より若い方が旅立つのは、心にポッカリ穴が開いた感じで、なかなか受け入れるのに時間がかかります。
 演劇界、とりわけ北海道に多大な足跡とレガシーを築いた斎藤歩が6月11日にご自宅で静かにを息を引き取りました。私が(公財)北海道演劇財団理事長の時に当時の田淵専務理事と、彼を北海道に呼び戻した張本人、一緒に持続可能な財団運営を目指して共に尽力した言わば戦友の気持ちですが、多くの苦労を掛けてしまった懺悔の気持ちもあるのが正直な心境です。

* これまでの斎藤歩関連記事ーー> 秋山孝二の部屋

 亡くなられた当日、眠るように横たわるお姿を拝むことはできました。葬儀は家族葬で営まれて、私は外せない出張があり参列できませんでしたが、ご家族以外にも多くの方々がお別れに訪れたようです。

 私が好きな最近の彼の写真、『ひかりごけ』公演での船長の舞台です。

斎藤歩

 歩さん、これまでの演劇界へのご貢献に心から感謝致します、どうか安らかにお眠りください、

 もうお一人の旅立ちは、(公財)ワグナーナンドール記念財団の事務局長の小方良子さんの急逝です。4月28日、折からの春の展示会の最中、出勤予定の時刻になってもギャラリーに現れないので不審に思って関係者がご自宅に行ったところ、虚血性心疾患でお亡くなりになっていました。突然の訃報を受けて、私はしばし茫然、直前までSNSでメールのやり取りもしていたので。ご主人は出張中で急遽益子に戻り、海外勤務の娘さんご家族も駆け付けて、家族葬で見送られました。

* これまでのワグナーナンドール財団関連記事ーー> 秋山孝二の部屋

 在りし日の小方良子さん、FMラジオスタジオにて(座っている小方さん)

 20年の財団へのご尽力、まさに基盤を支えてくれたその業績に心から感謝致します、以下、私のHPでのご挨拶を添付します。

< 訃報 >
謹んで当財団をご支援して頂いてる皆様にご報告申し上げます。
これまで20年あまり、皆さまにお世話になり当財団の事務を担っていた小方良子が、2025(令和7)年4月28日午後6時頃に虚血性心疾患で急逝しました。突然の報に関係者はにわかには受け入れ難く、対応に追われて皆様へのご連絡が遅れた事を深くお詫び申し上げます。葬儀は家族葬でごく内輪にてお済ませとご親族から連絡を受けております。今年度「春の展示会」の最中の悲報でしたが、私たちは当初予定通り5月15日迄開催して多くのお客様にお越し頂き、滞りなく終了しました。
小方良子は和久奈ちよと共に、益子のアートギャラリーの運営に献身的に尽力し、展示会での応対をはじめ、作品・建築物・庭園等の日々のメインテナンスを担っている方々とのコミュニケーション、栃木県庁担当部署への報告、理事会・評議員会資料作成等、事務全般をこの間担って、当財団の活動の基盤を構築してくれました。2021(令和3)年10月にちよが亡くなった後は、まさに孤軍奮闘で新たな当財団の方向性を探りながら仕事に向き合っていました。
私とも頻繁に意見交換を行って、ちよ亡き後のギャラリーの展開を語り合ったり、地元益子町の方々との更なる関係構築、栃木県を芸術の視点から情報発信するための方策についてもアイディアを交換したりして、ギャラリーの将来像を明るい眼差しで思い描いていました。
今、在りし日の姿を顧みると、小方良子は日本航空国際線CAの誇りを胸に、いつも仕事に向き合っていたような気がします。そして、若い後進を育てる途上での今回の突然の旅立ちは、どこか心残りだったかもしれません。
残された今を預かる私を含めた財団関係者は、そんなギャラリーへの熱い思いをしっかり受け継ぎ、これからのこの美術館の更なる発展に尽力することをお誓い申し上げて、ご報告に代えさせて頂きます。
今後とも、皆さま方に喜んで頂ける「ワグナー・ナンドール アートギャラリー」を目指して参ります、どうか宜しくお願い申し上げます。

令和7年5月19日
公益財団法人ワグナー・ナンドール記念財団
理事長 秋山 孝二

二人の被ばく女性、禎子&節子

Posted by 秋山孝二
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 NHKの『映像の世紀~バタフライエフェクト』シリーズは毎回歴史の繋がりを人の関係から追いかける素晴らしい企画です。

* シリーズ 核の80年(2)ヒロシマ 世界を動かした2人の少女 - 映像の世紀バタフライエフェクト - NHK

 今回は被爆者の女性二人、佐々木禎子と中村節子(現・サーロー節子)、それを世に知らしめ問いかけた二人のジャーナリストのお話、皆さんの勇気ある行動に敬意を表します。禎子は白血病を患い折り鶴に希望を託しながら12歳でこの世を去り、節子は生き埋めから奇跡的に生還、戦後カナダに移住し、英語で原爆被害を生々しく伝え続けています。