ミュージアムとジェンダー

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 私は何回も視聴している朝日新聞記者サロン、今回は『ミュージアムとジェンダー』というテーマでの鼎談は大変興味深かったですね。

 昨年オープンした博物館を事例に、スタート時は紹介されてた54人全員が男性だったとか。その後、指摘を受けて女性創業者が随時追加されて今日に至っているそうです。

* あいち創業館

 イギリスのマンチェスター博物館では下のような試みが行われたとか、哺乳類の「オス」に白い布を掛けてみた、というのです、ほとんどがオスの展示であることを可視化して。確かにHPを観るだけでもジェンダーに関しての詳細な吟味を感じます。

* Home - Manchester Museum

 アニマル・ウェルフェアもそうですが、博物館展示においてもジェンダーの問題は浸透して、なかなか奥深い時代になっています、私自身全く無自覚でした。

ソフィア・ローレンは今も!

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 6月に芦別で大林宣彦監督の奥様とお会いして、CM作成時代の1976年「ラッタッタ」でソフィア・ローレンが話題になりました。

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 芦別での出会い(下:最終)

 それが記憶のどこかに残っていたのか、先日何気なく昔の映画を検索しているとソフィア・ローレンについての記事を目にしました。

* 『島の女』 Bing 動画

* 『エル・シド』 Bing 動画

* 『ひまわり』 Bing 動画

等が頭に浮かびます。

『島の女 1957年』(原題は『BOY ON A DOLPHIN』)はギリシャで撮影された初のハリウッド映画。ジーン・ネグレスコ監督の作品で、出演はソフィア・ローレンやアラン・ラッドなどで、この作品が彼女のハリウッド進出第1作でした。

* Bing 動画

伝説の大女優】ソフィア・ローレン(「エル・シド」「ひまわり」)、元気に90歳を迎える。 - fpdの映画スクラップ貼

 下のソフィア・ローレンの大きな白黒のポスターを私は学生時代のアパートの部屋に貼っていました。

Sophia loren 1957 hi-res stock photography and images - Alamy

 十数年前に仕事でスイスに行った時、現地のビジネスマンと話をしていると、彼女はまだまだ元気で、時々街なかで会う時があると話を聞いて、会ってみたいものだと思ったりもしました。報道によると彼女は今も91歳で映画でも活躍し、元気でスイスジュネーブ郊外で暮らしているようです。

関連する画像の詳細をご覧ください。Sophia Loren: Then and Now | Sophia loren, Sophia, Sofia loren

Meeting Minds: Sophia Loren - Now Habersham

 もし機会があるのであれば、お会いしたい気持ちもあり、昔のイメージのままでいたい気持ちもあり、少々複雑ですね。

早朝の東京ほか 2025

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 暑い夏も峠を越した東京他の関東地方、日中はスーツケースを引きずっての観光客も溢れていますが、早朝5時過ぎの街中はさすがに人の姿も見ません。

 昨今の東京発札幌行きの飛行機便は、朝から混み合っていて直前の予約では早朝二便くらいしか座席が確保できません。昨年からスターアライアンスのマイルスイタスの基準が変わり、プレミアムポイントの加算が実際の搭乗評価が下がったり、株主優待等の安いチケットの割り当てがかなり減ったりで、昔から乗っている私にはサービス水準の低下が顕著です。更に、羽田空港の第二ターミナルが増築になり、搭乗口がかなり増加しました。いつものラウンジから1020メートル(!)を越える場合もあったりで、こちらも何だかな、と感じてしまいます。

 久しぶりの千葉県館山市バス停のポスター、南房総市では灯台設置から100年の節目のイベントです。初代の野島埼灯台は1923年9月1日の関東大震災で倒壊し、その後に再建された灯台は1925年8月15日に初点灯しました。再建後の初点灯から今年で100年。それを記念してのイベント企画です。

* 野島埼灯台100年 記念 燈々、百年。 - 一般社団法人 南房総市観光協会

遺影の前で思うこと

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 毎日様々な目の前の出来事に対処しながらふとした時に、これまで亡くなった人々を思い出します。

これまでの「逝去」関連の記事ーー> 秋山孝二の部屋

 そんな中で、仏壇のある部屋に掲げてある親族の遺影を前にすると、これまでのリアルな思い出がフラッシュバックすると同時に、いつも見守られている気にもなりますね。5人家族で姉・兄がいた末っ子としての私は、幼い頃から祖父母、伯父伯母と同居の大家族でしたので、今はもう誰もいなくなりました、これも末に生まれた私の為せる状況なのでしょう。

<この間の親族の旅立ち>

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 兄・秋山一男、逝く

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 和久奈ちよ、逝く

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 4年4日の輝く人生!

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 母、満99歳の大往生!

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 姉・せつが永眠

 特にこの数年間は、相次ぐ旅立ちでその喪失感は拭い難いのですが、遺影をじっと見つめていると大きな力を得るような気持ちもあったり。

 ただ来し方をノスタルジックに眺めるだけでなくふと我に返ると、子供たち・孫たちの新しい世代の力強い胎動も感じます。多くの親族に見守られながら、新しい時代に希望を託しながら、自らの人生を歩む、昨今は「生きる」だけではなく「生ききる!」という言葉が心に響きます、長さではなく「生きがい」を持って自らの人生を納得のいく形で「生ききる」ようなニュアンスでしょうか、適切で上手な表現ができませんが。

 引き続き頭を上げて一歩ずつ前に進みたい、そんな今の心境です。

協力会 講演会ほか@東海理研(株)

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 岐阜県の東海理研の協力会に出席しました。寺島文庫経営塾でご一緒の佐藤明広社長からお誘いを頂いたので。自衛隊に飯盒他を永年収めると同時に、近年ではITを駆使したロッカー事業を積極的に展開しています。そして昨今では、甘草栽培を北海道の大空町でチャレンジしているとのご説明でした。

* これまでの関連記事ーー> 秋山孝二の部屋

* 東海理研株式会社 - 岐阜県関市の東海理研(TOKAIRIKEN)は、キー・カード・生体など様々な認証方式により、入退室・鍵・重要書類などを管理・監視する、板金とITの融合商品開発にチャレンジしています

* 東海理研 紹介動画2020_Bチーム - YouTube

 今年の知事選で初当選した江崎知事のお祝いも兼ねて、知事の現状把握を基盤とした政策説明も素晴らしかったです、岐阜から日本を変えるとの意気込みも。これからの岐阜県は目が離せませんね。

日ハム「SEASON SEAT」 !

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 北海道日本ハムファイターズの清宮選手のサイン入りユニフォームを着た方、毎月秋山財団でお世話になっていますが、先日は観戦前に財団スタッフと記念写真をパチリ!

 「SEASON SEAT」には通年指定席の他にも特典があるようで、このサイン入りユニフォームもその一つとか。今シーズンもいよいよ大詰め、日ハムには頑張ってリーグ優勝を勝ち取って欲しいですね。また、駅前通りのパレードを一緒に楽しみたいですね。

* 7/4(金)からの後半戦35試合対象「SEASON SEAT 2025 35GAMES SEAT」販売決定 ! | 北海道日本ハムファイターズ

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 日ハム優勝パレード 2016!

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 日ハム優勝パレード、すごい人波!

西田グループ @ 二子玉川

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 私のもう40年来の友人・西田在賢さんが理事長の財団、初めての懇談会で大いに盛り上がりました。中国料理で会食の後にスナックでかなり突っ込んだ日本の健康周りの意見交換、皆さんアルコールが入ってもさすがに極めてまともな議論が続きました。久しぶりの医療・福祉行政の話題、どこか懐かしい気がしました。

* 西田在賢さん関係記事ーー> 秋山孝二の部屋

 先ずは本格的中華料理で腹ごしらえ、クラゲはじめ全てが美味しかったですね。

* 燕來香(えんらいしゃん) - 三軒茶屋ドットコム

 その後は場所を移動しての縁のスナック、コメ焼酎がずらりと並んだマニアックなバーカウンター。初めて頂く焼酎ばかりを飲みながらの医療・福祉政策談義、なかなか濃厚な時間でした。

* 球磨焼酎「極楽」ーー> GOKURAKU SHOCHU 極楽焼酎の公式サイト

 ラベルの横には「適飲保健」と書いてあります!!

NHK『あかね雲のさきに』

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 先月12日は日航機墜落事故から40年を迎え、ニュースでも特集が多く組まれていました。「あの日の教訓は生かされているのか」と危機感を強める遺族たちは自らの文集「茜雲」を出版し訴える活動を通して、風化は許せないという遺族たちの姿を映し出していました。

* あの日を忘れないで日航機墜落事故 遺族の20年 - NHKスペシャル - NHK

茜雲 総集編 / 8・12連絡会【編】 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア

* 日航ジャンボ機墜落事故40年、遺族ら文集・絵本に願い乗せ 「命の大切さ次世代に」 - 日本経済新聞


 事故を起こした会社の責任を責めるだけではなく、世界の航空業界に対して、このような惨事を二度と起こさない手立てを求め続ける遺族の皆さまの活動に敬意を表します。悲しみの中から立ち上がり、仲間を形成して社会に提言するこの姿勢こそ、私たち民が担う公共のモデルとしたいものです。心から感動致しました。

札幌演劇シーズン 2025

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 「札幌演劇シーズン2025(札幌演劇シーズン」は、いよいよラストの週を迎えています、ここまで大盛況、多彩な演目にそれぞれの感想も様々で大変興味深い今年の状況です。今年からプログラムディレクターが以前の斎藤歩から小島達子へと若返り、シーズンも夏場に集約してバージョンアップです。

* ゲキカン 札幌演劇シーズン

 私もこれまで全てを観劇し、あと残すところは最後の『HONOR~守り続けた痛みと共に』だけとなりました。ジョブキタ北八劇場で公演した『アフタートーク』も複数回観劇し、最後は二階席からのいつもとは違った景色で楽しみました。

 コロナ禍を経て、今年6月に亡くなった斎藤歩の後の札幌・北海道の演劇界、ポスト・歩時代を切り開く次の世代も活発な公演を続けて欲しいものです、今後に期待しましょうね。

新浪剛史氏の件

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 この数日、世間で話題になっている新浪剛史氏の件について、私は経済同友会の代表幹事でもある彼の話題なので距離を置いてみている訳にもいかないのが率直な気持ちです。多くの方々は今後の推移を注意深く見守るスタンスでしょうが、私なりには現在までの彼の印象を書き留めておきますね。

 これまでの彼に関する私の記事は以下の二つです、何れも今年に入ってからの文面です。

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 経同会全国セミナー 2025 @ 広島(下)

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 経同会総会シンポジウム @ 東京

 その中で、特に今年4月の広島での全国セミナーでの私のコメントがかなり辛辣な印象となっています。

~~~~~~~~
 二日目は前日の分科会の議長総括、その後に現在の経済同友会の代表理事を務める新浪剛史氏の全体総括でしたが、私がこれまで20回以上参加してきた全国セミナーでは最も酷い内容、総括にもならない3分程度のコメントの後はミーイズム丸出しの持論の話を予定時間を10分以上越えての饒舌な話。これまでの彼の代表としてのコメントにも経済同友会代表としては私は違和感を強く持っていましたが、ダメ押しの時間でした。前日も自分の時間だけにやってきて、二日目も自分の時間にやってきて、終わったらそそくさと退出でした、前日の分科会登壇者に対しても失礼なお話ですし、予定時間大幅越えは、次の特別講演者にも大変失礼な振る舞いです、品格を疑います。

~~~~~~~~

 最後のフレーズ、「品格を疑います。」とまで書いて!我ながらその場ではかなり憤っていたようです、今読み返してみても。

 リアルに同じ時間・空間を共有すると、一度も面と向かってお話をしなくても、その人柄みたいなものは感じ取れるものだと、自分の感性への信頼は持っているつもりです。今後の推移を注視していきたいですね。

愛生館のこころ(31)

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comment: 1

新選組・永倉新八と愛生館!

 先日、愛生館文庫に新選組の永倉新八と初代秋山康之進の関係についての取材依頼がありました。

* 愛生館文庫 - 秋山記念生命科学振興財団

 というのも、現在、札幌の北海道立博物館で第11回特別展「新選組永倉新八と会津藩士栗田鉄馬‐二人のサムライが歩んだ幕末・近代‐」が開催中で、先日はスペシャルイベントに足を運びました。

* 第11回特別展「新選組永倉新八と会津藩士栗田鉄馬‐二人のサムライが歩んだ幕末・近代‐」 – 北海道博物館

 このイベントには全国から募集したツアーメンバー約30名もツアープログラムの一部として参加されていました。女性が圧倒的に多く、特に若い世代の参加者も目立ちました、『歴女」ですね!

* 2025.8.12更新 締め切りまもなく 永倉新八ひ孫と「北海道・新八展観覧ツアー」 | よみうりカルチャー柏 | よみうりカルチャー

~~~~~~プログラム内容

ドキュメンタリー上映とトーク

「 川口家文書」 読売カルチャー との共催事業

「ひ孫が作ったドキュメンタリー上映&新発見! 」文書に見える明治期の永倉新八の動静

講師/杉村和紀氏(テレビディレクター/永倉新八ひ孫)/朝山大吾氏(よみうりカルチャー)/中村武生氏(京都女子大学非常勤講師)

 中にはこんな参加者も。

 杉村さん制作したテレビ番組の後は、鼎談でした。

 今後、永倉新八を取材している朝山大吾さんが愛生館文庫、初代秋山康之進との関係を取材し続けるとのこと、どんな歴史的事実が出てくるか楽しみです。

道内各地の名物お店自慢?!

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 久しぶりに集まった昔の仲間たち、まだまだ現役で活躍しているのに、仕事の話はほとんどなく話題は道内各地の名物のお店の自慢ばかり、この連中、本当に一生懸命仕事をしてきていたのか?!と大いに疑いをもった数時間でした??!!

 楽しいひと時、またお会いしましょう、ありがとう!!!!

私の【戦後80年談話】(5)

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

(公財)公益法人協会メール通信 No.308(2025.08.15)に、毎年8月は私のコラム、今年も掲載です。一部このブログの掲載とダブル箇所がありますがお許し下さい。

* コラム | 公益財団法人 公益法人協会

~~~~~~~引用はじまり

◆◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆◆

  ◎私の【戦後80年談話】

                   公益財団法人 秋山記念生命科学振興財団 
                              理事長 秋山 孝二  

◆◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆◆

 毎年8月は多くのメディアでは「戦争」特集で溢れ、特に今年は戦後80年の節目。
日本では時の総理大臣が10年毎に「談話」を発表してきましたが、今年はこれまでの
報道によると政府は今月には「談話」を出さないとか、短期的政局を考慮でしょうか、
戦後80年、昭和100年の総括が出来ないというメッセージに他なりません。

 1951年1月生まれの私は「20世紀のド真ん中」に人生が始まり、こんな昨今、
私なりに自らの生きてきた戦後を自らの視点で総括する私の【戦後80年談話】、
視点は幾つかありますが、ここでは「教育」です。
 自分自身がいわゆる「戦後民主主義教育」を受けてきたと認識したのは10代後半のことで、
受験勉強真っ盛りの高校生時代、時々、旺文社ラジオ講座、北京放送局のテーマ曲、
ジェットストリームを耳に深夜まで机に向かいながら、「現代高校教育の矛盾を晴らせ!」と
紙に書いて壁に貼っていたのを思い出します。
 18歳まで育った札幌を離れて1969年から首都圏に住み、激動の大学生時代を
過ごす過程で、日本の近代史を学び直して、自ら受けてきた教育を再認識しました。
「日本国憲法」、「教育基本法」、それと同時に「大日本帝国憲法」、「教育勅語」とかの
学び直しです。
 「日本国憲法」に関しては、私は小学校でも中学校でもかなりしっかり教えて頂いた記憶があります。
基本的人権、主権在民、戦争放棄等、先生も熱心に語っていましたし、私も率直に受け止めていました。

 大学2年間を終了して休学し、貨客船で太平洋を渡ってアメリカへ、長距離バスでの
一人旅を経て当時のリベラルな空気が新鮮でした。
 大学卒業後、私は東京都江戸川区の公立中学校に赴任し、まさに教育現場で日々生徒・
保護者と向き合い、格闘(!)していました。
 幸い20歳代の若い教諭も多く、かなり自由闊達・リベラルな雰囲気ではありましたが、
時々は教頭・教務主任・生活指導主任等とはぶつかり合う場面もありました。
 指導要領の改訂等、国レベルではいろいろありましたが、教育現場では私の周りでは
それ程の締め付け等は感じられず、私は私なりに子供達に、クラス、部活動を通じて
自らの自主・自立の意思を伝えた5年間だと振り返っています。

 企業経営者時代は、教育は企業内の採用・社員教育に限定されていて、自分の子供たちの
学校生活を通じて垣間見る他はあまり「戦後民主主義教育」を意識したことはありません。
 大企業の代表取締役を退任してからは、まさに私自身のあらゆる分野の「学び直し」が
始まった貴重な時間です。
 それまで置き忘れてきた日本の近代史の学び直し、「愛生舘」の歴史の深掘り等、
やり残し感のあった幾つかを調査・検証する時間です。
 一つの例が、5年間秋山財団の顕彰事業として実施した「新渡戸・南原賞」の過程で、
南原繁先生のご功績に触れた時、「教育基本法」制定時の議論ほか、まさに戦後の
民主主義教育の原点を確認した気がします。

 メディアではよく「戦争体験者が減ることの危惧」と報道されますが、私は以前から
体験者ゆえに語れないことの多さも感じており、歴史を継承する使命をひとり体験者だけに
負わせることは今を生きる世代の怠慢なのだと思っています。
 ただ昨今感じるのは、いわゆる「フェイク」な歴史観、意図的歴史事実の隠蔽・捏造等に
対して、自信を持って反駁する弱さを危惧します。
 我が国は歴史的事実の記述を焼却したり、隠したり、改ざんしている場合があり、
残念ながら正確な記録を外国の公文書館に依存せざるを得ない情けない状況、
それこそが危機だと私は認識しています。
 グローバルな時代の正しい「歴史認識」、それは戦後民主主義教育を受けた私たちの
世代の最も重要な使命だと思います。
~~~~~~~~~引用おわり

新渡戸連続講座 「『適疎』とは?」

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 新渡戸連続講座、今月は小篠(おざさ)隆生先生のご講演「『適疎』とは何か?」でした。小篠先生は現在「(top page - (一社)新渡戸遠友リビングラボ(旧 新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会))」の理事長、私は二代前の初代理事長でした。「適疎」という表現、お話を伺って実に言い得て妙でした。

* 小篠隆生先生(前 北大工学研究院准教授、札幌市緑の審議会委員、北海道大学大学院工学研究院非常勤講師、東京電機大学研究院 非常勤講師))、「キャンパスマスタープラン」作成、「東川町まちづくり」等で多くの受賞歴があります。

* これまでの関連記事ーー> 秋山孝二の部屋

* 建築の内と外をつなぎ、取り巻く人々との関係を問い続ける。

お盆も過ぎて 2025

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 今年は札幌も真夏日の日数を更新した夏でしたが、さすがに8月の中旬を過ぎて朝晩は少し過ごし易くなった気がします。今年も近所の北海道神宮では駐車場に盆踊り櫓と舞台が出来上がり、子供から大人まで楽しめる盆踊りで、焼き鳥やビールなどの屋台も並び、私の孫たちも太鼓の担当の一人で一生懸命に叩いていました。正式イベント名称は「宮の森納涼盆踊り」、『子供盆踊り唄(Bing 動画』も繰り返しです。

* 昨年の様子ーー> 北海道で貴重な丸太櫓で盆踊り!2024年8月14・15・16日に宮の森納涼盆踊りが開催 | まるっと円山

 盆踊り後半は大人部、こちらも全国的に有名ですね、『北海盆唄(Bing 動画』。

 今年の夏も終わりに近づき、これから2025年もいよいよ後半に向かうのでしょうね。

私の【戦後80年談話】(4)

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

(3)からの続き~~~~~~

 復学して大学を卒業し東京での教職暮らしから札幌に戻り、会社では姉妹都市のアメリカオレゴン州ポートランド市との経済・教育交流、インターンシッププログラム作成、学生の企業受け入れ等、今振り返ってもよく動き回り、たくさんのアメリカの友人を得ました。

 入社後まもなく、ハワイ州にある「JAMES」 での「AMS(アメリカン・マネジメント・サイエンス)6か月コースを履修し、36単位を取得しました。ちょうど、エズラ・ヴォ―ゲル先生の『Japan as No.1』が話題になって日本型経営が注目されている時でしたね。労務関係のWhitehill先生の講義は、そのお人柄も含めて今も心に強く残っています。

* JAIMS – Excellence in Knowledge Leadeship

* 秋山孝二の部屋

 昨年お亡くなりなった伊藤義郎さまのご紹介で、アメリカ海軍空母「ミッドウェイ」に千歳空港から米軍小型輸送機で太平洋上に着艦、艦内見学・昼食会の体験も思い出深かったですね。戦略指令室はまるでゲームセンターの一室のようでした。

 1980年代後半、北海道とマサチューセッツ州が姉妹州締結後に当時の横路孝弘知事一行の一員としてボストンを訪問しました。その後、北海道フレッチャースクール設立に向けた意見交換で札幌にいらっしゃったハーバード大学のスーザン・ファー教授とこれをきっかけに親密になりました。1990年代には、マサチューセッツ州ボストンに現地法人「Autumn Hills International」を設立(秋山孝二の部屋、私は代表取締役に就任して、現地責任者にはKevin Stewartに任せました。

Kevin Stewart関連記事ーー> 秋山孝二の部屋

 1996年に秋山喜代が亡くなり、その香典の一部を当時スーザン・ファー先生が所長の「ハーバード大学日米関係研究所」に寄付をしようとした時に、向こうから逆に『AKIYAMA AWARD』創設のご提案を頂き、すぐに賛同してこの賞がスタートしました、今年で第29回目を迎えます。これまで追加寄付を数回行い、今後とも秋山財団のアウトリーチ活動として変わらぬ日米の親密な関係のささやかなお力になればと思っています。

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 祝 ハーバード大学プログラム 40周年!

* Akiyama Award Winners | Weatherhead

~~~~~~~~~~~

 大変長くなりました、ここまで思い出すままに書いてきましたがまだまだ漏れている記憶もありそうです。ただ、戦後80年という歴史を考えると、戦って負けた相手国のアメリカとこれ程までに親密な関係を結べる時代に生きている私たちの世代は、やはり幸せと言えるのでしょうね。そして、今のトランプ政権のアメリカは、私は吐き気がする程嫌悪し、これまで築いてきた国際社会におけるアメリカの信頼が壊れていく状況を憂う昨今です。しかしそんな中、私たちがこれまで築いてきた草の根の交流に基づく信頼は少しも揺らぐことはないという確信があります。国レベルではどんな状況になろうとも、私たちの絆は変わらず続きます!!!!

私の【戦後80年談話】(3)

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 私の人生の中でアメリカという国・アメリカ人との関係は、客観的に見ると戦後生まれのアメリカ感としてその変遷を表現しているのかもしれないと昨今思うのです。

 私がまだ幼い頃、札幌の大家族の自宅に在札アメリカ領事館のアメリカ人がご家族でいらっしゃっていました。その中で同じ歳くらいの女の子に私はオモチャのアコーディオンで頭を殴られて泣いたのを不思議に覚えています、古いアルバムにもそのご家族の写真があります。なぜ、昭和30年代前半に領事館の方が訪問されていたのかはよく分かりません。

 その次の思い出は、同じく昭和30年代、千歳空港、現在は航空自衛隊千歳基地になっていますが、今の空港の向かいにターミナルがあり、祖母とかを当時の車で迎えに行った時、「MP」と書いた白いヘルメット姿の米兵がゲートに立っていて、パスを受け取って入場したことですね。進駐軍の確か「くま基地」と言っていて、熊のアイコンが印象的でした。

* 新千歳空港の歴史〈第3回 戦後の空港編〉 - 北海道千歳市公式ホームページ - City of Chitose

 家の中では、当時まだ珍しかったテレビですが、放映始まりのころはNHKテレビのテストパターン、BGM入りで放送開始前のバラの花を真上から撮って花が咲いていく様子までかじりついて観ていました。その後、テレビドラマ「アイ・ラブ・ルーシー」、「パパは何でもしっている」、「アニーよ銃を取れ」等、アメリカからの番組が多かったのですが、それ程意識もせず観てましたね。

関東地方テストパターン消滅 - 放送まにあ 試験電波発射中!!

 それから時が過ぎて、10代後半にロータリー交換留学生がホームステイして、初めて身近に英語に接してコミュニケーションの面白さを感じました。英語だと思っていた言葉が実は和製英語で全く通じなかったりとか。そして、それがきっかけで私は大学2年を終了した時に休学して、在学中からアルバイトで働いていた赤坂のホテルでも英語での会話に近く、秋にアメリカへ横浜大桟橋からハワイ経由サンフランシスコ行きの「APL(アメリカン・プレジデント・ラインズ)」の貨客船「プレジデント・クリーブランド」で太平洋を2週間で横断し(途中ハワイに一日停泊)、その後、北アメリカ大陸をグレイハウンドバスで移動を続けました、まだ日本とは格差がある豊かなアメリカの時代、当時深夜バスの中で聴いていた曲が「Mamy Blue:マミーブルー」でした。

*  APL | APL | Company Overview: American President Lines

* マミー・ブルー/ポップ・トップス Mamy Blue/Pop Tops - YouTube

* 関連する記事ーー>

秋山孝二の部屋 » Blog Archive » ‘71 北アメリカへの一人旅 (1)

秋山孝二の部屋 » Blog Archive » ‘71 北アメリカへの一人旅 (2)

秋山孝二の部屋 » Blog Archive » ‘71 北アメリカへの一人旅 (3)

秋山孝二の部屋 » Blog Archive » ‘71 北アメリカへの一人旅 (4)

秋山孝二の部屋 » Blog Archive » ‘71 北アメリカへの一人旅 (5)

 以下、(4)に続きます。

北海道新聞 取材に応えて

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 本日、北海道新聞の取材に応じた記事が朝刊経済面に掲載されました。デジタル版には更に一層詳細な記事となっています。M&Aの話から終盤は再生可能エネルギーと原発についても。北海道経済同友会でのこれまでの一連の発言にも私なりには言及しました。デジタル版ではかなり詳細に正確な記事となっています。

* 関連記事ーー> 2012年 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 経営者たち、変わる認識 (2)

20250819_e98193e696b0e79086e4ba8be995b7

* デジタル版記事はこちらーー> 北海道最大手・秋山愛生舘はなぜ「合併消滅」を選んだか 最後の社長秋山孝二氏の決断<疑問 ここが知りたい>:北海道新聞デジタル

「さつきた8・1」グランドオープン!

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 札幌駅北口に昨年完成したマンション・ホテル・劇場他『さつきた8・1(さつきた8・1|複合商業施設』エリアのグランドオープンが、先日3日間に渡り大盛況で開催されました。これまで先行して『ジョブキタ北八劇場』では演劇他が1年以上前から催されていましたが、テナント全てが揃ってのオープンイベントでした。

* 『北八劇場』関係記事ーー> 秋山孝二の部屋

 これまでご尽力頂いた皆さま・関係者の方々でテープカット!

 田中重明理事長のここまでの経過ほかのご挨拶。

 2階スペースにはこの「きたはち」の歴史も語られています、場が発するメッセージですね!

 もう一方のスペースでは「森の書店」の展示もあったり。

 これまで何かといわゆる「開発」が遅れていたと言われる札幌駅北口に新たな賑わいが誕生しました。札幌市の歴史の重要な場所、新たな食と芸術と観光の場としての相乗効果が期待できそうです。

久しぶりの「小別沢・やぎや」さん!

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 札幌市内小別沢にある「やぎや」に久しぶりに足を運ぶ機会がありました。ここの永田勝之さんとは、これまで食・農のプロジェクトで秋山財団でも応援していますが、小別沢のフィールドにはすっかりご無沙汰していました。

* 応援しているプロジェクトーー> 小別沢さとやまものがたり

* 「小別沢」関連記事ーー>秋山孝二の部屋

 今回は、アカデミックな方々のフィールドワークとして、東京大学・阿古智子教授ほかの皆さまの研究活動の一環で、永田さんからお声を掛けて頂きました。モンゴル、香港、台湾からの研究生・留学生ほか北海道大学をはじめ首都圏の大学研究者の方々もご参加でした。

* 阿古 智子 | 東京大学

 私は参加しませんでしたが、ご一行はワークショップの後に「やぎや」レストランの夕食懇談会で更に議論を深めたようです。