待合時間に思うこと

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 このところ、期せずして幾つかの場で「待っているひと時(待ち時間」があり、その間、様々なことが頭を巡りましたので、多忙な日常ではあまり考えることもないある意味では貴重な体験であり書き留めておきます。昔は、床屋さん、歯医者さん等、待っている場面がずいぶんありましたが、最近は予約制も普及してずいぶん減りはしました。

 まずは、先日も書きましたが、医療機関外来窓口の対応。昨今の厳しい競争の賜物とでも言うのでしょうか、昔に比べると格段に来る患者(顧客)に対してのきめ細かい姿勢を感じます。例えば、私が二か月に一回通っている内科外来窓口では、スタッフの声掛けが事務受付から検査看護師、診療室看護師まで、挨拶だけでなくごく自然な形でコミュニケーションを取っています。医療機関に来ている人々なので、どこかしら具合が悪いという状態を鑑みて、おそらく日ごろからそいう教育研修をしていると思われます。診察後の次回の予約を取る段では、名前を呼んだあと、「あっ、そのままで結構ですよ、今、行きますから」と、毎回100%同じ対応で、膝をついて座っている私たちと同じ目線で対応しています。どのスタッフでも誰でも同じですから、その医療機関の日頃の教育なのでしょう。

 もう一つの医療機関窓口では、高齢者が多いせいか、朝の受付にかなり早くから訪れる方もいらっしゃるようですが、整理券を配り、機械での受け付け時刻を明示しています。待合ロビー・廊下には、それぞれの先生の患者番号が電光掲示板に順番に掲示されて、「あと何人で自分の番か」が一目瞭然、待っていてもその時間に別の算段ができます。また、受付窓口の事務の方も、プラス1名カウンターの奥に立って待合室の状況をいつも視ているスタッフがいるのです。これもその病院の体制・システムとしてかなりよく吟味された仕組みと私は毎回感心しています。

 と、そんなこんなで時代と競争の激化でサービス産業のフロントラインのレベルアップを具に感じていた時、つい先日、私が代表を務める法人格を持った団体の銀行口座について用事があったので、市内中心部の北洋銀行本店営業部と北海道銀行本店営業部を訪れました。普段は、ATMで用件が済むので、久しぶりの窓口でした。以前から、私の周りの方々ともお話をしているのですが、「今、税務署窓口の対応はよくなったけれど、銀行窓口が一番訪れて気分が悪い」との声を聞いており、私自身もこの十数年、ますますその気持ちを強くしています。ただ、もう時間も経っているので、さすがに銀行自身そういった顧客の声を取り入れてサービス対応はレベルアップしているだろうとのほのかな期待を持って先日行ってみたのですが、北洋銀行はかなり改善されていましたが、北海道銀行は全く以前のままのひどい状態でした。

 今回、両行ともに団体の口座に関して3つの用事があったので、窓口の女性にそれぞれご説明をして必要書類等に書き入れて、そこまでの様子はほぼ同じ、ただ、北洋銀行窓口の女性は、上司に伺いを立てる箇所についてはすぐに席を立って、OKですとの返事を得たとか、その場で即決している雰囲気は感じられました。いつも感じることですが、日本のサービス業のフロントラインのレベルの高さは、世界でもかなりのものだと思いますね。今回も、両行とも窓口の女性の対応は説明の言葉も非の打ちどころがなかったと思います。

 問題はその後です。北洋銀行では「30分ほど時間を頂きますのでご容赦下さい」と、北海道銀行では「1時間ほどお時間を頂けますか?」とのことでもちろん了解してその間、ロビーを離れて自分なりの他の用事も済ませました。時間が経ち、北洋銀行窓口に行くと、私が預かっていた番号札を渡すと別の担当の方が、「こちらの通帳ですね、引き継いでいましたのでお渡し致します」と、ほんの1分のやり取りで銀行を出ました。

 次に北海道銀行本店営業部に移動して、ロビーに立っている案内係の方に、「これできていますかね?少し時間が早いのでできるまでここで待っています」と私は係の方の目の前の席に座っていました。スマホで高校野球のライブをチェックしたり、何だかんだで受け付けてから1時間が経ったので、「そろそろ出来上がりましたかね?」と代わった案内係の方にまた伺ったところ、バックオフィスに行って戻ってきて、「まだのようです」とのご返事。その間、「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」を何十回聞いたことか、コンビニ以上でした、案内係を責めているのではありません、やらせている仕組みと上司にこれでいいのか、と言いたいですね。

 結局、結論は、受付から2時間15分後に、私は「念願の?!」通帳を受け取ることができました。ただ、私に通帳を渡してくれた女性は、まだ入行それほど経っていない職員ではないでしょうか。何もいきさつを知らされずに、もちろんお待たせしたというような気すらなく、ただ「ありがとうございました」と。私は、今回はクレーマーにはなりたくないと我慢していたのですが、バックオフィスにチラチラ見える上司と思われる男性陣に無性に腹が立って、「どこでこんな時間が掛かるのか説明して頂けませんか?」とかなり冷静にお願いしました。しばし奥の方で気乗りしない様子の上司と思われる男性がやってきて、「申し訳ありません」を繰り返し語るのみ。私は、「いや、お詫びを聞きたいのではなく、どうしてこんなに時間が掛かるのかを説明して頂きたいのですが」と再度聞いてみたのですが、明確な答えは何もありませんでした。

 私は2時間以上も待ったあげく昼食も取りそびれ、食後の薬も飲めず、これ以上道銀に寄り添う気持ちも無く、早くその場を離れたかったので退出した次第です。2時間が掛かりすぎるというのではなく、業務の見積もりで当初から2時間程度かかるのであれば、最初にそう言うのが顧客への配慮ではないかと思うのです。そうすればその間の時間の算段が付くし、顧客としても予定が立つというものでしょう。それにしても、あの程度の業務で2時間以上、営業店の看板を降ろして事務所と名称を代えた方がいいと思います、顧客不在です。

 実は、北海道銀行では以前にも本店営業部二階で同じようなことがあったので、これじゃ忍耐強い日本の顧客も離れていくのではないかと、まるで銀行幹部になったような心境で寂しくなった次第です。バックオフィスの非効率、決済の過剰なプロセスによるスピード感の欠如。曲がりなりにもこの間大学で「経営組織論」を10年間教えた私としては、北海道銀行の経営幹部にこの声が届くことを期待します。

 ちなみに、秋山財団は北海道銀行鳥居前支店にお世話になっています。昨日も私は払い出しで窓口に行きましたが、カウンターの女性、お金をお渡し頂いた女性とも、穏やかで笑顔を絶やさず会話もあり、何も文句を言う筋合いはありませんでした。ATMが主流の銀行窓口業務、せめて人が対応する場面では、心のこもった会話とかコミュニケーションが一層大切になっている気がします。バックオフィス上司の方々も、顧客目線を忘れてほしくないですね。

 書いていてだんだん不愉快になってきたのでこの辺でやめます、それにしても日本の銀行、顧客を粗末にしている、またその意識さえ銀行全体にない、憂うべき事態だと私は思います。

 以下、ついでなので、今年2月にFacebookに私がアップした記事も一緒に掲載します。金融機関窓口は、私にとっては鬼門かも。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 テナントビルの受付業務を熟知されている方、いかが思われますか?

 東京都内、金融機関本拠が入居するビル、ビル玄関前の表看板にもその金融機関の名称が明示。詳しく言えばグループ企業がテナントとして入っているのかもしれません。受付カウンターでどこにでもあるように入館表を書き終えたら、「お名刺を2枚提示を」と冷たい笑顔で受付嬢は言いました。私はとっさに「以前は何も言われなかったけど、どうして2枚なの?」と聞いた所、「ご本人様確認のため」と何のためらいもなくそう返事、要するに1枚だと他人の名刺かもしれないということらしい。これまで国内外、何千回と企業訪問して多くの受付を体験していますが、こんなのは初めてでした。少なくともここまで足を運んできた訪問者に対して失礼な、と。総合受付を通り該当階に行くとそこにまた受付。私は少なくとも顧客、アポイントも事前に取っての訪問です。時代が変わってしまったのか、東京ではこれが常識となっているのか、どこか寂寥感を感じる私なのですが・・・。今の日本の金融機関とすれば、当たり前のビヘイビヤーか。

 言いたいことは、テナントビルなら万が一の不審者来訪のリスクはビル側が取れと。ほとんどの善意の訪問者に求めるものではないと思うのです。

 日本社会、責任をとにかく回避するために懸命に知恵を働かせる、そのくせ、大きな損失は減りもしない、まさに経営者の劣化ですね!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~Facebookの私の投稿コピー おわり

昨今の演劇事情 @ サッポロ&北海道

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 (公財)北海道演劇財団(http://www.h-paf.ne.jp/)は、20年を経た今、あらたな方向性で地域の芸術創造に邁進しています。

 新しい年度を迎えて、最初の会報に掲載するご挨拶&報告をベースに、さらに補足した内容でご紹介します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 公益財団法人 北海道演劇財団 理事長 秋山孝二

 皆さまへ

 おかげさまで公益財団法人北海道演劇財団は21年目を終え、一昨年策定した中期5か年計画に基づき、新たな方向性でスタートを切っています。転換・変革は容易ではありませんが、この間、皆さま方から寄せられた多大なお力添えとお励ましを糧に、関係者一同、日々努力しており、厚く御礼申し上げます。

 振り返ると、予算の適正規模を模索しながらも、事業が着実に発展していく一方、演劇の制作公演ばかりでなく、地域文化活動への貢献、小中学校におけるコミュニケーション教育、様々な世代へのワークショップ、まちづくりへの参加、劇場の運営等、多岐に渡る活動を展開し、北海道の演劇界にとっても少なからず貢献できたのではと思っています。

 まず、制作公演では、札幌座新作「象じゃないのに・・・。」を皮切りに、サハリン公演、清田公演、国際芸術祭参加公演、そして真冬の札幌で佐々木譲さん原作・札幌座新作「暴雪圏」と、大いに盛り上がりました。特に「暴雪圏」は、斎藤歩常務理事が7年越しに実現できた力作で、雪の表現を得意とする札幌座の魅力を存分に発揮しました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=32276

 3か国語の字幕付きでの日替わり公演、外国人向けのSNSサイトへの予約注文等、細かいサービスへのチャレンジも続きました。事前に原作者・佐々木譲さんをお招きしてのトークショー、多くのメディアの皆様からの名義後援等、これまでにない規模の広報活動も行い、全てのステージの前売りが瞬く間に完売となり、今後に繋がる公演でした。

 また、シアターZOO企画公演「劇のたまご」と銘打って、出演者も含めて子育て世代のために、親子で楽しめる稽古場、劇場設定で、新たな観劇ニーズを掘り起こし大成功でした。

* http://kodomo-manabi-labo.net/dramaeducation-kaigai

 次にご報告したいのは、東京での長期公演初日にご逝去された中嶋しゅうさんの代役として、わずか数日前に急きょ呼ばれた北海道演劇財団常務理事の斎藤歩が、東京芸術劇場、大阪の梅田芸術劇場での3週間の長期公演を見事に勤め終えたことです。役者としての彼の底力はあっ晴れでしたが、君ならできると背中を押した財団関係者、身内ながら大切な時期にそれを地元で支えた演劇財団職員にも拍手を送ります。それ以外にも、近畿大学、青森県立美術館シアター等でも活躍した1年でした。

* https://www.youtube.com/watch?v=IQurM0Br3cc

* https://spice.eplus.jp/articles/134822

 さらに人材育成活動においては、大きく活動の幅が広がり、深まりました。札幌市内の小・中・高・大学の教育現場への講師派遣プログラムほか、道内各地への学校・学童保育施設・社会福祉協議会・PTA等への派遣も積極的に行い、演劇人の持つノウハウを地域に活かす取り組みを進展し、ここでも子育て世代をつなぐセミナーも開催しました。

 ここまで、過ぎた1年を簡単に振り返りましたが、新年度も、基本的には新しい方向性に基づき、演劇創造では、新作創造に取り組む一方、好評作品の再演・海外交流にも力を入れて参ります。また、講師派遣は前年度事業を継続し、子育て世代・高齢者対象のワークショップほか、引き続き教育現場でのセミナー等も実施します。劇場運営においては、創造型劇場に向けた劇作家育成ほか、幅広いお客さまを劇場に招き入れる企画も充実したいと思います。地域文化活動は、方向転換で今年度以降、財団としては大幅に規模を縮小しますが、提携・委託で活動は続け、演劇作品の提供だけでなく、地域づくりへの講師派遣事業に力を入れていきます。

 以上、20年の歴史を経て、今、私たちはさらなるステップアップを目指し、一層の公益財団法人として地域への貢献を軸に大きく方向転換の最中です。財団経営と演劇創造の両方を担える人材が、これからの北海道における芸術・文化の主軸として活躍する時代はもうすぐそこまで来ていることを実感する昨今です。どうか、引き続きのご支援・ご協力をお願い申し上げます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 会報掲載予定に少々追補して簡単に活動を振り返りました。演劇創造と演劇財団経営(マネジメント)、この両立を目指して、これからも北海道演劇財団は前進して地域社会に貢献して参ります!

そもそも、学校林と私は

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 これまで札南高学校林(http://www.rikka-forest.jp/)のことについては、何回も記事にしてきたつもりでしたが、そもそも「学校林」とは何か、なぜ私が関わるのかは、一度もここでは書いていないことに気が付きました。

* 札南高学校林とはーー> http://www.rikka-forest.jp/outline/100.html

* 札南高学校林関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E6%9E%97

 たまたま、今年6月の東京の同窓会幹事当番期の方に依頼されて、この間の活動について書いたので、少々フライングですが掲載します。

* 東京六華同窓会(https://www.tokyorikka.jp/

* 2018年度総会・懇親会 (http://www.tokyorikka2018.net/

3月の学校林の空

3月の学校林の空

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

あれから5年、「みんなの六華フォレスト」

一般財団法人 北海道札幌南高等学校林 理事長 秋山孝二

 あれから5年、ひと言で表現すると多くの方々のご協力のお陰で、「極めて順調に進捗!」といっていいでしょう、誠に喜ばしいことです。

 その前に、まずは皆さんに報告しなければなりません。2014(平成26)年6月に、新しく私たちの学校林財団理事長に就任された久末聖二さん(南16期)が、このプロジェクトの開始間もない同年11月に、ガンでお亡くなりになりました。同時に常務理事になった私は、プロジェクトの底固めをしようとしていた矢先で大きな衝撃であり、久末理事長のお気持ちを察するに悔しさも感じました。そして直後の理事会で、私が第十八代の理事長、常務理事に池内和正さん(南21期)が急きょ就任して、理事会、評議員会、企画活動委員会の推進等、学校林財団運営の重い責任を背負うことになり、今日に至っています。

 ご承知のように、2013(平成25)年3月に策定された「グランドデザイン」は、紺野忠義理事(南8期)を委員長に事業検討委員会で議論を続けて、これまでの100年間の歴史と活動を踏まえて、長期ビジョンとして策定されました。詳細は、「学校林100年沿革誌」を参照して頂きたいのですが、端的に言うと具体的展開は、「森林経営(Forest Management)」と「運営管理(Social Management)」の二つの要素から成り立っています。いずれも学校林の向こう100年を支える重要な要素で、お陰さまでこの5年間、しっかりしたスタートを切っています。これまでの限られた方々のご尽力から、実に数多くの同窓生の活動へと大きく幅を広げているのです。言い換えれば、「森林保全」主体の活動から、より積極的に森に入り、地下・地表を含めて環境林・教育林として森林生態系に学ぶ活動へと進化しています。

 まずは、「森林経営」ですが、これまでごく一部の理事、札幌森林組合にほぼお任せだった作業道開設、徐間伐作業は、このグランドデザインの理念に基づいて、所有者の私たち学校林財団の構想を主軸に大きく舵を切りました。一つは、10年程度を目途に121haを網羅する「心地よい」作業道を構築し、その後は散策道として多くの方々の憩いのフットパスへと繋げる構想です。最近、足を踏み入れた方はお分かりだと思いますが、この5年間に造られた作業道は、土地の傾斜・表面に優しく、周辺の樹木とも実に調和しています。

 次に、作業道と密接に連なる徐間伐作業も、それぞれのエリアのゾーニングをベースに、100年後の成熟した森を想定した樹種選定を行い、経済性と心地よさに配慮した計画に基づき、同窓生を含むプロの木こり達が活躍を始めています。ただ丸投げのお任せではなく、例えば、その事前調査等には、企画活動委員会メンバーはじめ、同窓生、そのご家族、或はお友達ほか、毎年3月の雪のある時期に、解説付きでカンジキ・スノーシューをはめての山林調査・散策もイベントとして実施したり、作業の様子を見学したり、以前には考えられなかった多くの方々が、四季を通じて学校林に入ってきています。

 学校林のもう一つの柱となる「箱崎プロジェクト」の実践は、「オオムラサキ・キノコチーム」として新たな担い手たちが立ち上がり、一歩一歩前に進んでいます。特に昨年からの活動は目覚ましく、ここでは簡単にご紹介します。

 最初は、エゾエノキ植林・国蝶オオムラサキ繁殖プロジェクトです。準絶滅危惧種に指定のオオムラサキの幼虫の食樹となるエゾエノキの植林活動は、今後の苗木を育成するために、まずは種子拾いから始まり、幾つかの環境で発芽を試行しています。一方、これまで学校林に植林した苗木は、以前、有明小学校に貸与していたスキー場跡地の広さ約0.8haに、定時制の生徒・同窓生たちによる約400本ですが、その後の生育状況の調査と、しばらく滞っていた下草・笹刈り等の環境整備を、年間10回ほど粘り強く行いました。年数が空いていたのでかなり大変な手作業でしたが、強力な女子力のお陰で完了し、今年は雪解けから見違えるほどの良好な環境になっているでしょう。

 オオムラサキ繁殖も大きく進展しています。昨年は、4月の越冬幼虫の観察に始まり、栗山町の「ファーブルの森」で、羽化・産卵を間近に観察、その後、秋には再三の越冬幼虫の採取の後、ネズミ対策を含めた越冬準備作業に取り掛かりました。今後は餌づくり、飼育方法を学びながら、今年5月以降の放虫、飼育・モニタリングも楽しみな一方、オオムラサキのDNA解析も行っていく予定です。

 もう一つはキノコ栽培による昆虫類の生育調査プロジェクトです。以前、箱崎陽一先生が定時制高校生を指導されて実施していましたが、その後の観察が少々手薄になっていましたので、昨年は、ホダ木準備から始まりナメコ、ヒラタケ、シイタケのキノコ植菌、ホダ木の本伏せ、笹刈りほか周辺環境の整備を根気強く行いました。秋にはナメコ・ヒラタケの初収穫もあり、さらに年末には、今年に向けたホダ木の切り出しも終えているので、更なる調査研究の継続・発展が期待できます。

 財団運営の重要な要素のもう一つ「運営管理」は、このグランドデザインのけん引役としての「企画活動委員会」が、ほぼ毎月20名程度の参加で開催され、毎回新たなメンバーも加わり、熱心な議論でフル稼働しています。理事会・評議員会への提言、イベント企画、諸計画の策定等、こらからも中核的機能として活躍してくれると確信しています。

 以上、いっぱい詰まったこの5年間をコンパクトにご報告しました。六華の風が吹き抜ける学校林、私は自分自身の高校時代があまり納得のいくものではなかっただけに、今、四季折々、この風の中に身を置けることが大変心地よいのです。「千の風になって」の唄ではありませんが、「六華の風になってあの大きな空を吹きわたっています」と、100年、そしてさらに先まで見守っていきたい気持です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 土の温もり、春の日差しと心地よい風を感じると、私は何か「六華の風」になって学校林を永遠に吹きわたる自分の姿を思い浮かべます。

平和の申し子たちへ! なかにし礼

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 私にとって今年の3月は、何かあっという間に過ぎていきました。ニュースで繰り返し伝えられるサクラ前線情報も、私にとっては遠い出来事、井上陽水の「傘がない(https://www.youtube.com/watch?v=SwNRn3ly8Ns)」のフレーズを借りれば、「本州では、サクラが咲いているとテレビでは言っている、だけども、問題は今日の足、普通に歩けない。行かなくちゃ、会議に行かなくちゃ、会場まで時間に着かなくっちゃ、うまく歩けない・・・」、こんな感じです。

 テレビでは証人喚問の茶番劇が延々と放映され、そんな閉塞している今、変わらないのがパソコンに向かっている時、インターネットで見つけた記事に魅かれました。

 3年前のようですが、「徹子の部屋」になかにし礼さんが出演され、前年に出版されて大反響を呼んだ詩を徹子さんが朗読されました。旧満州の引き揚げ者として凄絶な戦争体験を経てきたなかにし礼さんが、平和の大切さを訴えています。番組では、一部分の紹介でしたが、以下が 全文です。

 BS11の寺島実郎さんの「未来先見塾(http://www.bs11.jp/news/miraisenkenjuku/)」でもこれまでお二人の対談が数回あり、反戦への強いメッセージが印象的でした。

 こちらの動画もご参考にーー> https://www.youtube.com/watch?v=SBSxENND8E8

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『平和の申し子たちへ!』泣きながら抵抗を始めよう

2014年7月1日火曜日
集団的自衛権が閣議決定された
この日 日本の誇るべき
たったひとつの宝物
平和憲法は粉砕された
つまり君たち若者もまた
圧殺されたのである
こんな憲法違反にたいして
最高裁はなんの文句も言わない
かくして君たちの日本は
その長い歴史の中の
どんな時代よりも禍々しい
暗黒時代へともどっていく
そしてまたあの
醜悪と愚劣 残酷と恐怖の
戦争が始まるだろう
ああ、若き友たちよ!
巨大な歯車がひとたびぐらっと
回りはじめたら最後
君もその中に巻き込まれる
いやがおうでも巻き込まれる
国のため?大義のため?
そんなもののために
君は銃で人を狙えるのか
君は銃剣で人を刺せるのか
君は人々の上に爆弾を落とせるのか
若き友たちよ!
君は戦場に行ってはならない
なぜなら君は戦争に向いてないから
世界史上類例のない
69年間も平和がつづいた
理想の国に生まれたんだもの
平和しか知らないんだ
平和の申し子なんだ
平和こそが君の故郷であり
生活であり存在理由なんだ
平和ぼけ? なんとでも言わしておけ
戦争なんか真っ平ごめんだ
人殺しどころか喧嘩もしたくない
たとえ国家といえども
俺の人生にかまわないでくれ
俺は臆病なんだ
俺は弱虫なんだ
卑怯者? そうかもしれない
しかし俺は平和が好きなんだ
それのどこが悪い?
弱くあることも
勇気のいることなんだぜ
そう言って胸をはれば
なにか清々しい風が吹くじゃないか
怖れるものはなにもない
愛する平和の申し子たちよ
この世に生まれた時
君は命の歓喜の産声をあげた
君の命よりも大切なものはない
生き抜かなければならない
死んではならない
が 殺してもいけない
だから今こそ!
もっともか弱きものとして
産声をあげる赤児のように
泣きながら抵抗を始めよう
泣きながら抵抗をしつづけるのだ
泣くことを一生やめてはならない
平和のために!

なかにし礼

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 一方、昨今の日本の凋落を指摘する記事、Facebookにもアップしましたが、以下のお二人の論考に対して、私はほぼ同じような認識です。

* 内田樹の研究室 http://blog.tatsuru.com/2018/03/23_0849.php

 受験生ばかりでなく、今の若い世代の皆さんに伝えたいですね!海外からの厳しい日本への指摘、今の国内では隠ぺいされています。目を覚ませ、ニッポン!!

* http://www.mag2.com/p/money/412000

 大前研一のこれまでの発言にはかなり違和感があるのですが、国際社会の中の日本を考える時、私もこの10年、海外に、特にシンガポール、香港に行って同じように感じています。どうコラボして日本の価値を上げていくかを考えることが、現実的のような気がしています、日本のビジョンとして、ですね。日本特有の縛りが多すぎる!ただ、術がないとは思いません、新しい若手の担い手に期待です!インターネット世界では、日本のプレゼンスの低下を指摘している良識あるサイトはたくさんあるのに、国内メディアでは殆ど言及がないですね!現実との向き合い方が不真面目なのでは、と思います。この投稿に対してこんなやり取りもありました。

K氏のご意見: 「世界最古企業ランキング」を見ると日本企業が驚くほど多い事も事実のようです。情報の流れは指数関数的に早くなっていますが、モノサシを変えてみると日本には世界的に優れた何かがまだある様にも思えます。

私の返答: Kさん、おっしゃる通りです。今を生きる私たちが、そのような伝統的、持続可能な起業ができるか、しているか、そう認識する辺に、何か突破口があるような気がします。術が無いで終わるのは無責任ですね。

 憂いてばかりでは、老人性鬱と何も変わりません。こんな時代に若者に言葉を放つだけではなく、自分はどう生きるかを世に提起することこそ、我々世代の責任なのでしょうね。

 あと二日で、3月も終わり、2017(平成29)年度も終わります。

【補足】黒田伸さんのこと

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 ひとつ前のブログに、「 日本野球のルーツ、本当は・・・」と題して、みらい塾塾生の黒田伸さんのプレゼンをご紹介しましたが、実は、黒田さんと私との関係で、大切なことを書き忘れていたので、「補足」で掲載します。

 以前、黒田さんとお会いして、いろいろな話題に花が咲いていた時、偶然、ご自身の中学校時代のお話になりました。「黒田」姓なので、ご先祖は薩摩と伺っていましたが、千葉県船橋市で育ち、千葉大学付属中学校に通っていたとのこと。咄嗟に反応した私は、「いつ頃になります?」とお聞きすると、昭和48年頃とのご返事。当時、私は千葉大学教育学部の学生で、3年・4年で教育実習生として付属中学校で授業を行っていたので、もしやと思って、当時の理科教諭のお名前、関先生、飯岡先生、宮脇先生と言い始めたとき、「習いました!」とおっしゃるではありませんか。

 さらに時期を詳細に擦り合わせると、どうやら私の教育実習授業を受けたクラスの生徒だったようなのです。付属中学校にはたくさんの教育実習生がやってくるので、生徒たちは学生を試すように意地悪な質問を浴びせていたと黒田さんはおっしゃっていましたが、私の記憶ではそれ程の生徒からの「いじめ?!」はなかったです。むしろ、理科の実験とか部活の様子に密着してみて、自力のある生徒たちだなと、感心したことを覚えています。

 実は、私も札幌の北海道学芸大学(後の北海道教育大学)付属中学校で学んだので、同じように教育実習生が年間たくさんやってきて、似たような思い出を持っていました。当時は、藻岩山の麓でしたので、授業中で退屈な時は、窓から見える藻岩山を眺めていたこともありましたね。

 そんな私の思い出はこちらーー>

* 原風景 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9598

* 2016年 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=28152

 いずれにせよ、本当に縁というのは奇なり、まさか40数年経て札幌でこのようなお話で盛り上がるとは、夢にも思いませんでした。教え子との再会ばかりでなく、教育実習の時の生徒との再会というのも、なかなかのものです!

* 教え子との再会1 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=32009

* 教え子との再会2 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=32162

日本野球のルーツ、本当は・・・

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 「第14回遠友みらい塾(http://enyumirai.main.jp/」、ジャーナリストで同塾生でもある黒田伸さんが、「クラーク博士と日本野球のルーツ」のテーマで、北海道と野球の歴史についてお話をしました。日本に初めてバットとボールを持ち込んだのが、東京芝・開拓史仮学校で教師を勤めたアルバート・G・ベイツであった史実など、実は北海道が日本に野球が伝道された最初のルーツとしての可能性、 という仮説を札幌農学校との関係なども交えたうえでご紹介されました。黒田さんは、田中将大の密着取材し著書も出版し、太平洋の架け橋として、今、縁のある大谷翔平に期待しています!

 2020年の東京オリンピックで正式種目として復活する野球。日本に「野球」が普及するルーツのひとつとして、札幌農学校(後の北海道大学)が、大きく関与している可能性のお話は、北海道が歩んできた歴史の多様な側面を示す貴重なお話でした。

黒田伸さん

黒田伸さん

田中将大選手に密着取材

田中将大選手に密着取材の頃

 横浜の外人墓地内にあるアルバート・G・ベイツのお墓。今後は、アメリカに恐らくいらっしゃる彼のご子孫とコンタクトを取り、さらに歴史の真実を手繰り寄せたいとの意気込みも黒田さんは熱く語っていました。

外人墓地でお墓を見つけ出す!

外人墓地でお墓を見つけ出す!

 クラーク博士と日本野球のルーツ、札幌農学校の前身の開拓使仮学校が日本野球のルーツであるとする画期的発見は、エキサイティングでした。

東京・芝の開拓使仮学校跡地

東京・芝の開拓使仮学校跡地

アメリカ南北戦争にその起源が!

アメリカ南北戦争にその起源が!

アルベルト・ベイツの存在

アルベルト・ベイツ(当時19歳)の存在

 そして、これからは大谷翔平クンに期待がかかる、「太平洋の橋」として!

野球選手としてだけでなく、時代を背負う「架け橋」として!

野球選手としてだけでなく、時代を背負う「架け橋」として!

 こちら(http://www.baseball-museum.or.jp/guide/floor/monument2.html)にある「日本野球発祥の地」というのは、少々独善的ではありませんか?

たくさんの「お心遣い」に感謝!

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comment: 1

 先日は、足の骨折で退院まもなく、周囲の反対を押し切って、少々無理をして東京に行きました。家からJR札幌駅、新千歳空港、羽田空港。都内での仕事を終えて高速バスで千葉県館山市のもう一つの我が家に宿泊。翌日早朝、高速バスで羽田空港、新千歳空港、札幌駅、札幌の我が家に無事到着でした。道中、たくさんの方々のお心遣いに痛みを忘れるひと時もあり、ここに書き留めておきたいと思いました。

 普段はどうということのない歩く距離、これが実は一番始末に悪い。誰かに頼む訳にもいかず、結局はゆっくり歩いていつもの4倍近くの時間を掛けて移動することになりました。ただ、建物の中は、段差が有ったとしても平らな面が大前提。ところが外はいろいろな状況が入り乱れています。緩い上り下りの坂、狭い歩道は道路側に低くなる傾斜面、溝が切ってあるブロック床、その都度出す足の歩幅を変えないとうまく前に進みません。札幌市内では、いつも通っている地下への階段に、初めて手すりが付いていることに気が付いたり、いつもはわき目もふらずにただ昇り降りしていたことが分かりました。

 館山駅から我が家まで、いつもは高速バスを降りて歩いてせいぜい7分程度。今回は歩いては到底無理だったので、まずは駅前のいつもの「なかパン」で有名な中村屋パン(http://www.nakapan.com/)、寿司甚(https://r.gnavi.co.jp/1df1hshp0000/)では、さすがに絶品のあら汁は無理で、いつもの「田舎寿司」を、持ち帰りで頼み、再び駅前に戻ってタクシー乗り場から初めてタクシーに乗せてもらってようやく到着、もちろん基本料金区間内でした。大変親切な運転手さんで感謝でした。夜は別のタクシー会社に連絡して翌日早朝の予約をしました。地図にある番地の数字と私が言ったものが少し違っていることが問い合わせで分かるハプニングも。実は、地図の番地が間違いでした。こちらも優しいオジサン運転手で、予約時刻通りに迎えにきてくれ、駅前の羽田空港経由横浜行きバス乗り場まで送って貰いました、基本料金で。

 羽田空港では、事前の出発便情報では、いつものラウンジから一番近いゲートのはずでしたが、直前に搭乗口の変更案内。何と300メートル以上離れたゲートと分かり、近くにいたANAの係りの女性に相談したところ、電動車に連絡してほんの数分後に来てくれて、空港で初めて乗車しました。歩いても行けるかなと思ったのですが、実際乗車して通路をゆっくり走るととてもとても今の私の足の状態では無理でした、大変助かりました。

 そんなこんなで飛行機に乗り込んで予約していた前方通路に座っていると、先ほどのグラウンドサービスの女性からCAに連絡が入っていたのか、「アキヤマさま、少し後ろに座席前が少し広く、両隣が空いている席がございますのでお移りになりませんか」の優しいお言葉。そこに移って座ってしばらくすると、先ほどのCAが、「足首が熱を帯びていらっしゃるのであれば、『速攻冷却(https://www.youtube.com/watch?v=giHGr_KCSJs)』の用意もございますが」とのご提案。どんなものか分かりませんでしたが、これがなかなかの優れもの、乾いたおしぼりに包んで足首にあてていると気持ちよく冷やしてくれました。新千歳空港到着口での車いすのアドバイスも頂きましたが、到着予定ゲートが到着ロビーへの下りエスカレーターに一番近い7番だったので、私は必要ありませんと申し上げました。空港のJR駅改札まではゆっくり歩き、混んでいた出発間際のJRの電車を一便遅らせて、座って札幌駅まで行くことができました。普段はこんなことをしたことはありません、前へ前へで、とにかく走って一つでも前の電車に乗ろうと飛び乗る日々ですから。札幌駅構内をゆっくり歩きタクシー乗り場へ、ここもいつもは全く気にならない距離がこの日はとにかく遠い、歩数を数えながら奥歯をかみしめてやっと乗り場へ到着でした。

 札幌の自宅に着いてから、少し休憩の後、ANAのHPへ以下のような御礼のメールを送信しました。

———————————
 私は先月末に足首上を骨折し入院手術し、退院まもなくで東京に少々無理して参りました。本日は朝から足の腫れがあり、ラウンジを出たところでANAの係りの女性に電動車での移動をお願いして、63番から66番への変更に対応して頂きました。機内ではCAの中島さんを主として足先の少し広い座席への移動、「速攻冷却」の手当ほか、おかげさまで痛みを忘れる心遣いに大変感動し、御礼申し上げます。普段は歩いても何でもない距離、姿勢が、このような時には苦痛の時間であることも学びました。一言御礼を申し上げて感謝の意をお伝えして頂ければ幸いです。これからもよろしく。
———————————
 すると、わずか1時間半後に、以下の返信が届きました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 この度は、本日57便(羽田-新千歳)をご利用いただきました際、羽田空港係員ならびに客室乗務員に対しまして、お言葉を頂戴し、大変恐縮に存じますとともに、心より御礼申し上げます。

 秋山様におかれましては、退院後まもなくのご搭乗であり、足の腫れにより、さぞお辛かったものと存じますが、搭乗口までの空港係員や機内での客室乗務員の対応が、わずかなりともお役にたてましたことをうかがい、わたくしどもと致しましても、大変嬉しく存じます。

 お客様から、このようなお言葉を頂戴致しますことは、接客に携わる者にとりまして、何よりの喜びでございますため、早速、各所属部署責任者を通じて、本人たちに申し伝え、今後の励みとさせていただきますとともに、引き続き、ANAらしい丁寧できめ細やかな対応が出来ますよう、努めて参りたく存じます。

 この度は、貴重なお時間を割いてご連絡を頂戴致しましたこと、心より御礼申し上げます。

 弊社と致しましては、今後とも安全運航はもとより、お客様に安心してご利用いただけますよう、心をこめたサービスのご提供に努めて参る所存でございますので、引き続き、弊社便へのご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。

 秋山様の次のご搭乗を心よりお待ち申し上げます。

ANA SKY WEB
ご意見・ご要望デスク
担当 M (オリジナルはお名前)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~コピーおわり

 即、返信が来るということは、ご担当の方が毎日詰めていらっしゃるのでしょうね。また、この文面、全くスキがなく完璧というべきか、一層ファンになってしまうから不思議です。

 以上、日々の出張では全く書くような行程では無いのですが、今の私のこんな状態で体験する数多くの方々のご好意、お心遣いに、心から感謝の意を表したいと思いました、皆さん、ありがとうございます、貴重な経験をさせて頂きました!

公法協 評議員会 2018

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 「公益財団法人 公益法人協会(http://www.kohokyo.or.jp/)」の評議員会が開催され、出席しました。毎回感じることですが、ここでの議案、議論の一つ一つがいつも大変勉強になります。これまで数多くの政策提言、パブリックコメント等、日本の「民による公益活動」を先駆的・持続的にリードする姿勢には、いつも感動します。

 昨年6月から新しく理事長にご就任の雨宮孝子先生は、この道の草分け的存在、HPには以下のコメントです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~HPからの引用

 2017年6月27日、公益財団法人公益法人協会の理事長に就任いたしました雨宮孝子です。公益法人協会には1974年から嘱託、専門委員、最後は理事として勤めておりまして、久しぶりの里帰りです。
 公益法人協会に草創期から関与し、設立・運営の相談、調査・研究を行い、その後、明治学院大学大学院法務職研究科教授として民法、NPO法、信託法などを担当し、民間の立場から公益法人やNPO法人、公益信託にかかわることができました。また、2007年4月1\1日から2016年4月21日まで、内閣府公益認定等委員会委員として、非常勤も含め三期9年間、新たな公益法人制度のもと、公益法人の認定や監督等の仕事に従事し、民だけでなく官の立場からも公益法人にかかわることができたのは幸いでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

雨宮孝子理事長と常務理事

会議前の雨宮孝子理事長と鶴見和雄常務理事

 これまでの関連記載記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%85%AC%E7%9B%8A%E6%B3%95%E4%BA%BA%E5%8D%94%E4%BC%9A

資料閲覧 @ 国立公文書館(下)

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 近隣からの眺望、皇居、お堀、東京の中の東京ですね。

昼食を加藤館長とご一緒に

 帰る前には玄関ロビーの展示を拝観、レプリカとは言え、当時の関係者の方々のお名前がすごいです。

* 大日本帝国憲法は、1889年2月11日に公布、1890年11月29日に施行された、近代立憲主義に基づく日本の憲法です。

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/detail/detailArchives/0101000000/0000000001/00

明治憲法

大日本帝国憲法

明治期の蒼々たる方々

明治期の蒼々たる方々

 終戦の詔書も。昭和20(1945)年8月14日の御前会議で、ポツダム宣言の受諾が決定され、同宣言受諾に関する詔書が発布されました。翌15日正午、いわゆる「玉音放送」が行なわれたのち、「内閣告諭」が読み上げられました。

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/detail/detailArchives/0101000000/0000000001/00

終戦の詔書

終戦の詔書

鈴木貫太郎内閣

鈴木貫太郎内閣

 日本国憲法の制定は、大日本帝国憲法の改正手続に従って行われました。昭和21(1946)年6月、枢密院で可決された憲法改正案は、第90回臨時帝国議会に提出され、貴族院・衆議院両院で修正が行われた後、同年10月7日可決。この改正案を10月29日に枢密院が可決したことを受けて、日本国憲法は同年11月3日に公布されました。

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/detail/detailArchives/0101000000/0000000003/00

日本国憲法

日本国憲法 吉田茂内閣

~~~~~~~~~~~~~~~~参考

公文書等の管理に関する法律 (平成二十一年法律第六十六号)
平成二十八年十一月二十八日公布(平成二十八年法律第八十九号)改正
施行日: 平成二十九年四月一日
第一章 総則
(目的)
第一条 この法律は、国及び独立行政法人等の諸活動や歴史的事実の記録である公文書等が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであることにかんがみ、国民主権の理念にのっとり、公文書等の管理に関する基本的事項を定めること等により、行政文書等の適正な管理、歴史公文書等の適切な保存及び利用等を図り、もって行政が適正かつ効率的に運営されるようにするとともに、国及び独立行政法人等の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすることを目的とする。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用おわり

 公文書館を去る時に、ご担当の新井さんが、「公文書は逃げてはいきませんので、また是非お越しください」とお言葉をかけて頂きました。以前、東京・目黒の防衛研究所(http://www.nids.mod.go.jp/military_archives/index.html)でも感じましたが、大変几帳面な戦闘詳報等の記録を見ても、まさに「歴史的事実の記録」でした。多くの資料が敗戦時、日本関係者により焼却処分されたり、焼却をまぬがれたものは米軍に押収され、米国国務省公文書部の保管するところとなりましたが、粘り強い外交交渉の末に、昭和33年4月にようやく返還され、その大部分が防衛研究所に所蔵されているそうです。 今、国会では、「公文書」を巡って信じられない改ざんが行われたことが明らかになっています。公文書は、「歴史的事実の記録」、「国民共有の知的資源」であるはず。原点に立ち戻り、行政・政治の信頼を早急に取り戻さないと、日本国危うし、です。

資料閲覧 @ 国立公文書館(中)

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 事前に用意して頂いたBC級戦犯裁判の「ビハール号事件」関連資料、一連の裁判では抜きん出てたくさんの記録があるとのことでした。

数多くの方々が短期間に裁かれた

数多くの方々が短期間に裁かれた英国が当事国の戦犯裁判

36号裁判

36号裁判

小谷勇夫弁護士の詳細な報告書

小谷勇雄弁護士の詳細な報告書

英文も含めて

英文も含めて

重巡「利根」の航跡

重巡「利根」の航跡1

重巡「利根」の航跡2

重巡「利根」の航跡2

地元新聞社の掲載資料より

地元新聞「South China Morning Port」の掲載資料より

詳細な裁判記録

詳細な裁判記録

 これまでの「ビハール号事件」関連ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%83%93%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%8F%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 私の父・野田宏の名前はごくわずかの資料の中に見つけましたが、この事件の裁判をあらためて確認すると、現地司令官と艦長とに責任が矮小化され、肝心の上部組織・軍令部の関係者は、検察側証人として招聘されているに留まっている、まったく理不尽な構図です。

 あれから70年以上経た今も、この責任の所在の不明確さは、何も変わっていません、由々しきことですね。

資料閲覧 @ 国立公文書館(上)

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 つい先日、東京・北の丸公園にある独立行政法人 国立公文書館(http://www.archives.go.jp/の加藤丈夫館長を訪問し、貴重な資料の数々を閲覧することができました。お父様は「少年倶楽部」j編集長で有名な加藤謙一さまです。(https://kotobank.jp/word/%E5%8A%A0%E8%97%A4+%E8%AC%99%E4%B8%80-1642234

館長写真HPより

 その折に、訳あっていつも宿泊するホテルではないところから、東京の日の出を仰ぎました。思えば、今から21年前の1997年2月9日、当時、私が代表取締役社長だった(株)秋山愛生舘の東京証券取引所市場第二部への上場の日、品川に宿泊していた私は、部屋の窓から輝く日の出を見て、何か新しい時代の到来に感動したことを思い出しました。そして、当日は東証での認証式、記者会見他を終えて、翌日10日、始発便で東京から戻った新千歳空港で、代表取締役会長・秋山喜代の逝去の報を受け取ったのでした。今、振り返っても激動の日々でした。

東京の日の出

東京の日の出、3月

 今回の加藤館長訪問は、2月に全く偶然のパーティの場でお隣の席になり、国立公文書館館長のお立場と分かり、私の父の「ビハール号事件」関連のBC級戦犯資料の閲覧を申し出たことに由来します。

* これまでのビハール号関連記事 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%83%93%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%8F%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6

国立公文書館

国立公文書館

 以前、BC級戦犯裁判資料を法務省に問い合わせたところ、戦犯資料はすべて国立公文書館に集約しているとのお答えで、それ以降、フォーラムでお会いした内海愛子先生にお願いして、一部資料を送って頂きましたが、その後の検証活動が私自身続かず、先月まで時が過ぎていました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=27125

 今回、ご担当の新井さん、桜井さんにお手数をお掛けして、事前に大変たくさん資料を揃えて頂き、資料のよって来る所以ほか、裁判の全容等についても、新たな気づきを得ることができ、深く感謝申し上げます。

 お聞きすると、戦犯裁判資料の原本は、アメリカ、イギリス等の当事国に持ち帰り保存されているとのことで、戦後日本の法務省のご担当の方々のご尽力により、関わった弁護士たちからの聞き取り等で限りなく裁判の様子を記録に留めて今に至っていると伺いました。昨今の政府・官僚の記録改ざんの体たらくを見ると、隔世の感があります。

第9回 メディアアンビシャス授賞式

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 入院中には、今年で9回目となったメディアアンビシャス授賞式も開催されました。今年の大賞他は以下の通りです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

第9回メディアアンビシャス大賞(2017年1月1日~12月31日)

【活字部門】

▶大賞  沖縄全戦没者追悼式典での写真「沖縄の視線」

東京新聞デジタル版/中日新聞 6月23・24日

▶アンビシャス賞  連載「こころを揺らす」1-5部

北海道新聞4月2日から11月23日まで

▶メディア賞    「大阪の国有地 学校法人に売却/金額非公表 近隣の1割か」

朝日新聞2月9日

▶入選      ①「言葉の現在地」計9回(冬㊤㊥㊦、春㊤㊥㊦、夏㊤㊦、秋)北海道新聞 1月―11月の随時

②1強第2部「パノプチティコンの住人」 朝日新聞 4月18日から5回

【映像部門】

▶大賞 NNNドキュメント「お笑い芸人 vs原発事故 マコ&ケンの原発2000日」

日本テレビ(放送:STV) 2月6日 上映55

▶アンビシャス賞 「父を探して」~日系オランダ人終わらない戦争~

NHKBS 10月8日 上映110分

▶メディア賞   NNNドキュメント「記憶の澱」

山口放送(放送:STV) 12月4日 上映55分

▶入選      「生まり島ぬ言葉忘ね 国忘ゆん」

沖縄テレビ(放送:UHB10月15日 上映55分

【特別賞】

望月衣塑子さん(東京新聞記者)

※活字、映像とも受賞作品の内容と推薦の言葉はホームページhttp://media-am.org/の大賞候補一覧でご覧になれます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 数日後に、世話人の一人、H氏からも報告が届いています。~~~~引用

 3月3日の表彰式は、みなさまのお蔭様で48人の方が足を運んで頂き、有意義なものとなりました。本当に、ありがとうございました。

 特に、NHK番組の「父を捜して~日系オランダ人 終わらない戦争~」を制作した椿プロの金本麻理子さまは、表彰状1枚を受け取るために、東京から来札して、わずか2時間半の滞在でトンボ返りをされました。「自分の会社をつぶす訳にはいかない」とのことで恐縮の極みです。

 また朝日新聞大阪本社の森友取材班デスクの鎌内勇樹さまは、「文書書き換え問題をはじめ、今回の取材は何年かかっても、真相を解明する」と力強く決意を披露し、拍手を浴びていました。前日の2日に大スクープを打った関係もあり、「この後も仕事があるので」と懇親交流会も辞され、早々に会場を後にされました。

 さらに北海道新聞の連載「こころ揺らすをしており、その途中を抜け出しているので」と表彰状を受け取り、受賞者挨拶をして、直ぐに退席しました。

 沖縄全戦没者追悼式典での写真を撮られた東京新聞の澤田将人さまにはお嬢様2人と、ご伴侶の3人が駆け付け祝福されましたし、「お笑い芸人VS.原発事故 マコ&ケンの原発取材2000日」を取材したNTVの加藤就一ディレクターは「受賞者はマコ&ケンです」と謙虚に喜びを語っていました。

 一方「記憶の澱」を制作した山口放送の佐々木聡さまは情報番組を制作しる傍ら、地道にご自分で戦争をテーマに日本人の加害性や被害を追求してきたことを披露されました。

 久しぶりに東京から帰札された山口二郎代表も「ある意味残念ながら、いまこそ、この活動が重要になっている時だ。もっともっと財政面も強化する必要性さえ感じている」とメディア状況を踏まえて、各表彰者を称えるとともに、当会活動への理解を訴えていました。

 会場からの質問タイムを多めに設けましたが、各受賞者へ激励を込めての問いが相次ぎ、各メディア関係者の抱える問題点なども浮き彫りとなっていました。

~~~~~~~~~~ 引用おわり

 今年で9回目、何か時代がメディアに対して大変窮屈になってきている時代、ますます、このような活動の価値が増しているような気がします。その中で果敢にチャレンジして取材を重ねて掲載・制作しているメディア関係者にささやかながら拍手を送り続けます。今年、出席できなかったことが大変残念です。

3・11、あれから7年

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 図らずも久しぶりの空白を獲得した私は、この間、普段以上にインターネットにのめり込んで、たくさんの情報にアクセスしていますが、やはり、今の時期、2011年3月11日の東日本大震災に端を発した数多くの番組から、7年間の重みを実感しています。

 例えばテレビではNHK教育TVの「ハートネットTV(http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/index.html」、NHK総合の「NHKスペシャル:被曝の森~見えてきた“汚染循環”(http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20180307」、ラジオ番組でも「荻上チキ~遺族が見る亡き人との夢の記憶(https://www.youtube.com/watch?v=7NutsQ9Wye8&feature=youtu.be&t=23m2s)」等、夜9時の消灯時刻に関わらずみられるインターネット環境にも感謝です。

 「被曝の森」では、「帰還困難区域」で、放射性物質はどこに、どのような影響をもたらしているのか?地元の地区の責任者、様々な団体に所属する科学者による研究は、直後から継続し、より深く、より多角化している様子を知ることができます。これまで調査されてこなかった高線量の森に踏み込み、生態系の中で放射性物質がどのように移動・残留しているのか、データの蓄積から新たな解明が進んでいます。科学者たちの挑戦や住民の思いを追いながら、今回の福島原発事故の深刻さの実態を、記録に基づいて視聴者に迫ってきます。特に、地表面と地下水の汚染のコントラスト、昆虫・小動物の内部被ばくの現状を、科学的に見える化しての検証は説得力がありました。地道に努力し続けている方々の存在に勇気と希望を貰いました。

 一方、ラジオから流れる言葉にも涙します。身内・友人を失くした人たちは、誰にも話せなかった夢の話を語ること、聴いてもらうことでようやく成し得る心の復興、東北学院大学の学生が聴き取った記録とそれを基にした朗読です。それらは震災復興の中心にはない、極めてプライベートな心の内側で、それぞれが全て固有の大切な出来事です。一人一人がこの7年間、ひと時も離れることなく向き合い続けている姿に心を打たれます。

* 2011年3月のブログはこちら――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?m=201103

* こんな映画の紹介サイトも――> https://www.youtube.com/channel/UCG_r2iC4UlUPnV5IWxF_4Fw

 私にとっては、あれから7年、年一回「8回目」の3・11ですが、多くの当事者の皆さんにおいては、「365日×7」、あるいはそれ以上の時の経過なのでしょうね。そして、特に福島の東京電力福島第一原発事故の被害に遭われた多くの皆さまにとっては、さらにこれから何十年の不安の日々となっています。この国難を乗り越えて、次の世代に自信をもって渡せる地域・環境を回復する、それが生きている私たちの世代の責任だと思います、少なくとも第二次世界大戦後に生まれて、歴史的にもまれな平和な時代に育ち、戦後の民主教育を受けた私としては、強くそう思います。

 3・11を前に、これまでになくあの震災と向き合えた今回の時間は貴重でした、これからもリハビリを続けてしっかり足を鍛えてまた活動を始めます、本日昼、退院致します。円山整形外科病院(http://www.maruyama-seikeigeka.com/index.html)の山崎生久男先生、看護師のKさん、リハビリのNさん、薬剤師の皆さま、ほか大変お世話になりました。素晴らしいスタッフたちのレベルの高さに感動するとともに、この数十年の日本の医療現場のたゆまぬ努力の賜物と、感謝の言葉でいっぱいです、ありがとうございました。

選手とコーチ、あるべき関係

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 入院していて、早朝、昼、夕方のテレビを何気なくつけると、どこのチャンネルも同じニュースを、コメンテーターたちが延々と解説、というよりも垂れ流しコメントとでも言うような感じで時間を浪費していますね。ここでは、政治ネタも芸能ネタも何もかもごった煮状態、ニュースの軽重を敢えて反映しないで井戸端会議的に平場に散らかして、政権の回し者かよと思われる方々の軽薄な意図を持った発言の数々。私にとっては、インターネットのお気に入りサイトでみるニュース等がはるかに価値があることを再確認しています。

 そんな昨今のニュースの中で、気になるものがレスリング協会の伊調馨と栄和人氏との問題です。連日騒々しく報道されていますが、以前から私は、日本のスポーツにおいての選手とコーチ・監督の関係、選手の育成方式については、かなりの懸念を持っていました。「契約関係」で明確な期限、権限、報酬が予め示されておらず、ただ親子、師弟関係のなれ合いで長く続く、言い換えるとアスリート養成・育成のプロトコルが確立していなところに、日本の大きな弱点があるような気がします。

 どんな立派なコーチでも、選手でも、年齢を重ねれば意識も変わり身体も変わります。丁度、小学校から中学校、そして高校、大学へとある年数で節目を迎えて巣立ち、新たな環境で違った才能に気づきまた成長する。その都度、新しい師、弟子と出会い、刺激し合い、葛藤し、たくましく育っていく、私はそんな仕組みが理想だと思っています。

 卓球でも野球でも体操でも、幼い時のきっかけは親の力だとは思いますが、いつまでも親子関係では伸びる才能も頭打ちのような気がします。世界は広く、多彩なアスリートがいる訳で、小さな時からの同じ関係性では伸びないですよ。親の方の子離れができないからなのかもしれないです。

 今回のレスリング協会の対応も成熟した組織としては腑に落ちませんね。協会の会長はなぜ記者会見を行わないのか、以前の柔道連盟、相撲協会等も同じ体質の狭い世界を感じます。結局は内部告発的なきっかけからしか体質改善の糸口がつかめない、自浄作用の装置が欠落している、今の日本国家自体もそんな状態ですね。

 勇気と覚悟を持った人物の登場を期待しつつ、自分のフィールではきっちり筋を通してイノベイティブに動きたいものと、今、ベッドの上で内圧を高めています。

「スーパー日本人」の育成って?

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 Facebookには実にたくさんの興味深いコメントがあります。その中の一つ、つい先日掲載されていた脳科学者の茂木健一郎さんのブログ(https://lineblog.me/mogikenichiro/archives/1713597.html):

~~~~~~~~~~~~~~~~~~ブログからコピー

 現代における科学技術の受益者の対象は、そもそも全人類であるはずで、技術の大きなプロジェクトにおいて、ある特定のナショナリティが出る余地はあまりないと思うのですが、そのあたりの発想の出どころも含めて、ふしぎな感じがしました。もし、プロジェクトがうまく行ったら、その受益者は別に日本に限りませんよね。っていうか、「スーパー日本人」 というキーワード自体が、普遍的な価値を生み出すことを志向する大学で使うには、不適当な気がするのですが・・・

~~~~~~~~~~~~~~~~~~コピー終わり

 この議論の対象になっているのは大阪大学のこちら――> http://www.jst.go.jp/coi/sympo/data/v2_2.pdf

「人間力活性化によるスーパー日本人の育成と産業競争力増進/豊かな社会の構築」

 確かに昨今、この大阪大学のようなビジョン・イメージ図がアカデミックセクターで氾濫しているような気がしますね、感覚的に違和感を感じるフレーズです。「スーパー日本人」って何ですか、いかにも安易で軽い言葉!

 先日掲載した山本義隆氏の著書(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=32496)にもあるように、そもそも日本の高等教育機関としての旧帝国大学・国立大学、科学技術の成り立ちから言えば、自ずからの限界とでも言えるのかも知れません。「スーパー日本人」の概念がまず理解不明であると同時に、その育成と「産業競争力の増進」「豊かな社会の構築」がどう繋がりあうのか、広告代理店のキャッチコピーのような安易な言葉の羅列です、少なくとも私にとっては。仮に「スーパー日本人」の育成を容認したとしたならば、最低限、「地球環境の向上」とか国の枠を超えるグローバルな貢献を期待したいものです。

 一方で、今、読んでいる先日亡くなった私の高校の大先輩・西部邁の著書「保守の真髄~老酔狂で語る文明の紊乱(ぶんらん)」では、こんなフレーズもあります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 人間は言語を操る動物である。その言語は、本来は、多側面の機能にかかわるはずのものである。それがテクノロジー(技術)という一方向にのみ特化していくのは文明の病理以外の何ものでもない。・・・・・

 モダンを近代的と訳したのは、日本文化における取り返しのない錯誤であった。・・・モダンとは「最の時」のことではなく、それがモデルとモードの類似語であることからも察しられるように、「模型の流行する時代」、つまり「模流」とでも訳されるべき言葉だった。・・・・

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 以前書いた日本国の新しい社会ビジョン「ソサイエティ5.0(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=32334」も、そんな傾向に陥らないように、桜田一洋さんに頑張って頂きたいです。今年9月の秋山財団贈呈式では、財団始まって以来初めて、二年続けての同じ講師・桜田一洋さんに、生命科学の視点からこの「ソサイエティ5.0」をテーマにお話をして頂く予定です、乞うご期待!

久しぶりの空白 図らずも

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 突然、人の骨格図の登場でお騒がせします。実は、私、2月26日昼過ぎに、札幌市円山公園入口付近で転倒し、左下肢の脛骨と腓骨を骨折しました。これまで何十年、十分注意して歩いてはいたのですが、先日の場所はロードヒーティング歩道との境で、氷の大きな段差となっていて、一瞬でスライディング状態。先が積雪でしたらそのまま滑ったのでしょうが、乾いたブロックに靴の底が引っ掛かった状態で、骨に過重が掛かりました。

 すぐにそばを通っていた外国人女性観光客の二人が、「Are you OK ?」と声を掛けてくれましたが、私は大丈夫と言ったものの、左足先はピクとも動きません。やっと立ち上がって自分で救急車を呼びました。しばらくして到着し、状況を説明し近くの整形外科病院に救急で運ばれ、検査の結果、二本の骨の骨折と分かり、入院し、手術を終えました。

体の骨組と骨のはたらき

ボルトが4本

ボルトが4本

 骨折当日も会合が二つ、それ以降も日程がかなり詰まっていたので、それぞれの担当者の方にキャンセル、リスケジュールの調整、東京方面の出張の宿泊キャンセル、飛行機便のキャンセル・変更等、入院後も一連の作業に忙殺されていました。この間、北海道の天気は爆弾低気圧で大荒れ、病室の窓から見る景色も真っ白で心配が続きました。

 多くの方からお見舞いのメールを頂き、誠に恐縮ですが、入院生活は35年ほど前に、道北出張中に具合が悪くなり、急遽札幌に戻って検査したところ、腹膜炎の一歩手前で、緊急に手術して10日間入院して以来です。今回、手術の部位は違いますが、術前、術中、術後のケアが、この間の医療の進歩を示すかのように素晴らしく、いわゆる「痛み」を感じる場面が殆どありません。技術の進歩だけでなく、医療を担う方々のレベルというか、説明も十分ですし、それぞれの専門スタッフとの連携も素晴らしい、率直に今日までの入院で感じているところです。

 若い時は、病院の消灯時刻が早くて退屈していましたが、今はむしろ少し早目に暗くして睡眠に入るような感じです。もう一つ、インターネット環境の充実は、どこに居ても連絡・報告等ができるし、昔ほど隔離された環境でもないのかなと思います。

 一方、言われるままに動く「管理下の」生活は久しぶりで、これは「急ぎ過ぎのお前の生き方、少しゆっくりしろ!」というどなたかのご指示かなとも思ったりしています。オリンピック選手でもなく、いつまでに回復してすぐにトレーニングという状況ではありませんが、貴重な時間を有効に使ってまた出直したいと思います。年齢の割に、やはり多くのことを引き受け過ぎていた、そんな気もします。一つだけ嬉しかったこと、昨日、主治医の山崎生久男先生が回診に来た時、「秋山さん、上半身に比べて下半身・足の骨は年齢の割にかなりゴツイね」と。私は「ゴツイ」を勝手に「がっしりしている」と解釈してしばし気を良くしていましたが・・・・。

 皆さん、退院までもうしばらく待って頂けますか、また再会できることを楽しみにしています。

南方熊楠 展 @ 国立科学博物館

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 東京上野の国立科学博物館(http://www.kahaku.go.jp/)で開催されている「南方熊楠(http://www.kahaku.go.jp/event/2017/12kumagusu/)」展示、以前、熊野古道を歩いた時に、地元のNPOの方からご紹介してもらいましたが、さらに詳細な彼の人となり、大変興味深かったですね。「研究者」というよりも「情報発信者」として、いまのSNS時代、時代が彼の驚異的情報発信に追いついてきたというべきなのでしょう。

* 熊野古道 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E7%86%8A%E9%87%8E%E5%8F%A4%E9%81%93


反対運動で逮捕される

反対運動で逮捕される

激しい

激しい

強い主張

強い主張

アメリカ西、東、南、そしてキューバも

アメリカ西、東、南、そしてキューバも

次はロンドンを転々

次はロンドンを転々

インドネシアの泥炭火災対策ほか

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 札幌でのJICAセミナー「インドネシアび泥炭火災対策ほか」は、大変興味深いお話でした。泥炭の地球環境に果たしている役割を含めて、今、地下水のくみ上げ過剰による水の枯渇により、泥炭の機能が失われ、地球環境が大きく揺らいでいる様子も報告されていました。

開始間に「SDGsの唄」の作詞・作曲者によるライブ

開始間に「SDGsの唄」の作詞・作曲者・JICA職員によるライブ

歌詞に目標が全て織り込まれている!

歌詞に目標が全て織り込まれている!

パネルディスカッション

パネルディスカッション

ここでも小磯修二先生がご活躍

ここでも小磯修二先生がご活躍

学校林 新雪の中で事前調査

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 札幌南高学校林(http://www.rikka-forest.jp/)については、これまでも繰り返し書いていきました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%9C%AD%E5%8D%97%E9%AB%98%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E6%9E%97

 先日は、3月上旬の冬の山林調査の事前調査を、南高校放送部の撮影隊4名を含めたチームで実施、悪天候の予報が幸い外れて、日も差す天気の中、無事終了しました。

山田林道入口で打ち合わせ

山田林道入口で打ち合わせ

現役高校生(南70期)4人が参加

現役高校生(南70期)4人も参加

積雪は120センチ

積雪は120センチ(ゾンデ棒で

事前調査に出発!

事前調査に出発!

拠点近くのコンポストも深い雪の中

拠点近くのコンポストも深い雪の中

 この時期の散策は、これまで数回、自分のカンジキをはめて経験がありますが、今回は深い新雪のためか歩行中の埋まり方が酷く、私は最初の休息地の拠点で車を駐車巣ている所まで引き返すことにしました。3月の本番前には、スノーシューを買って臨まないと、皆さんの行動の足を引っ張ることになりそうで、個人的にも貴重な事前活動となりました。

第23回 道産ワインの夕べ

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 道産ワインの夕べ、今年は、ワインは18社の67銘柄、チーズは11社の36銘柄が出品、800名を越える参加者で大盛況でした!

第24回目

第23回目北を拓く道産ワインの夕べ

チーズ、ハムも

チーズ、ハムも

ソムリエの皆さん

ソムリエの皆さん

 ワインの67銘柄、全ては試飲できませんでしたが、トータルとしてはボトル一本以上は一人で飲んだ感じでしょうか。比較的軽めのワインが多かったですが、北海道のワインの多彩さは目を見張るものがあります。また、チーズもバラエティーが豊富で、素晴らしかったです。ここまでの隆盛を下支えした皆様方のご努力に心から敬意を表します。