遠友夜学校フォーラム 2021

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 今年の(一社)新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会(http://nitobe-enyu.org/主催の『遠友夜学校フォーラム 』は、昨年予定で1年間延期になった青山淳平さんを札幌にお招きして録画を行いました(https://www.youtube.com/watch?v=_yW1yhPjv58)。新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言期間延長に伴い、今年もかでる2・7での開催を中止し、別途、事務局において安全に配慮して録画し、後日に配信しました。

 基調講演参照資料は下記URLでPDF公開しています。

http://nitobe-enyu.org/wp-content/uploads/2021/07/79501531c944f2a02857d712a3c239e6.pdf

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道民カレッジ連携講座(教養:一般2・ジュニア1

【 第9回 新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会 記念フォーラム 】

オープニング >

札幌遠友夜学校記念館建設に向けて(経過・現状報告)

松井 博和(一般社団法人「新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会」理事長)

< 基調講演 >

新渡戸稲造と松山事件 〜警世の扁額から〜

青山 淳平 氏(作家)


< 講師プロフィール >  1949年山口県下関市に生まれる。松山商科大学(現松山大学)大学院修了。高校社会科教諭の傍ら幅広い分野をテーマに小説、評伝などを執筆、各界より高い評価を得る。第3回稲造サミット・十和田パネリスト。いわゆる「松山事件」で屈辱を味わい、苦境に追い込まれた新渡戸博士が揮毫したとされる扁額の謎に迫る「ソローキンの見た桜」原作者として第1回日本放送文化賞。

主な著書: 『海市のかなたー戦艦「陸奥」引揚げ』(中央公論新社)、『夢は大衆にありー小説・坪内寿夫』(中央公論新社)、『海にかける虹—大田中将遺児アキコの歳月』(NHK出版)、『海は語らないービハール号事件と戦犯裁判』(光人社)、『海運王・山下亀三郎』(光人社)、『明治の空〜至誠の人 新田長次郎』(燃焼社)、『小説・

修復腎移植』(本の泉社)、『それぞれの新渡戸稲造』(本の泉社)

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 午後からの録画に備えて、当日は朝から秋山財団一階小ホールで機材準備・設置を始めていました。

 カメラ3台、マイク、照明もセットしての配信に向けた準備も整い、フォーラムは始まりました。

 冒頭はこの会の松井博和理事長からのご挨拶とこの間の活動経過報告。その後、例年のように副理事長の私からこの1年間の会の事業活動報告と収支報告を致しました。

 そして、いよいよ青山淳平先生の2年越しのご講演です。

 これまでの昨年を除いて毎年開催してきたこのフォーラム、今年も新渡戸稲造の晩年の社会情勢とマスメディアの姿勢について、詳細なお話を伺うことができて、あらためて新渡戸稲造の高い見識を知ることができました。

* これまでのフォーラムの記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E9%81%A0%E5%8F%8B%E5%A4%9C%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%

新渡戸十次郎 生誕200年祭(下)

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 午前の部が終了後は、別室で三密をさけてのご当地弁当の時間。

ご当地弁当!

ご当地弁当!

 午後からはいよいよ青山淳平さんの新著記念のご講演です。

【第2部】

出版記念会

* 青山淳平『それぞれの新渡戸稲造』

* フォーラム第3号刊行「第3回稲造サミット」特集

 最初に『森の泉社(https://honnoizumi.co.jp/)』の社長・新舩海三郎氏が昨今の出版事情と今回の出版経緯について。

出版社代表

「本の泉社」社長 新舩海三郎氏

 続いて青山淳平さんのお話。

青山淳平さん

青山淳平さん

 講演に続いては、フォーラム第3号刊行「第3回稲造サミット」に寄せてのコーナー。

〇 (公財)秋山記念生命科学振興財団 理事長 秋山孝二氏

〇 NPO法人 十和田歴史文化研究会 理事長 小笠原カオル氏

 昨年11月開催の稲造サミット関連のご報告。 私もこのサミットの生みの親としてその経緯をお話する時間を頂きました。

 そして、【第3部】

「台湾と、根っこでつながってる青森県」 交流構想を考える、では、

 パネリストは、友田博之氏、藤井茂氏、奈良哲紀氏、コーディネーターは神重則氏で、研究書や古文書の解読、翻訳、勉強会、年表編纂部会、幕末南部藩及び台湾歴史文化探訪研修部会の活動について語り合いました。

パネルディスカッション

パネルディスカッション、左から神、友田、藤井、奈良、の各氏

 特に奈良さんは昨年のサミット翌日のツアーバスと同様、十次郎の無念の行の報告で号泣されました。

感極まる奈良さん!

感極まる奈良さん!

 コロナ禍でコンパクトな企画に変更したとはいえ、大変濃密な十和田市での一日となりました。終了後は、奈良さんの車で八甲田山系の山道を走り抜けて青森に宿泊しました。

新渡戸十次郎 生誕200年祭(上)

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 毎年10月15日の『新渡戸稲造命日祭』、今年10月に予定されていた第四回『稲造サミット』は、いずれもコロナ禍の中、相次いで中止となりましたが、『新渡戸十次郎生誕200年記念大会』は、実行委員会の判断で感染防止体制を万全にして開催されました。私も第三部で稲造サミットの設立経緯等についてご報告させてもらいました!

* 『新渡戸稲造命日祭』関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%96%B0%E6%B8%A1%E6%88%B8%E7%A8%B2%E9%80%A0%E5%91%BD%E6%97%A5%E7%A5%AD

* 『稲造サミット』関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=INAZO%E3%82%B5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88

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新渡戸十次郎生誕200年記念大会

<役員のご紹介(敬称略・五十音順)>

十次郎生誕200年記念大会実行委員会 実行委員長  友田 博之

大会長

中野英喜    「幻の穴堰」ほかのオーナー、実業家

実行委員長

友田博之    三戸町教育委員会教育長

名誉大会長

新渡戸偉代   十次郎5代目子孫

委員

青山淳平    ノンフィクション作家

秋山孝二    (公財)秋山記念生命科学振興財団理事長ほか

伊藤一允    青森県文化財保護協会副理事長

岩本由輝    東北大・山形大・東北学院大名誉教授

大里康正    世界旅行作家・カメラマン・語学堪能

草原克豪    拓殖大名誉教授・財団法人英語教育協議会理事長

齋藤利男    弘前大学名誉教授・弘前学院大学教授

塩谷未知    青森中央学院大教授

下谷栄治    三沢おもちゃ病院院長ほか

神 重則    みちのく銀行地域創生部部長

高木まゆみ   株式会社また旅くらぶ代表取締役社長

館山紀大    青森市社会科副読本編集元委員長・青森市立筒井小学校元校長

田村まさよし  画家

福士順一    みきの保育園園長・青森県立南高校元校長

藤井 茂    財団法人新渡戸基金理事長・東北アメリカ協会会長ほか

蛇口剛義    南部(八戸藩)藩士蛇口伴蔵5代目御子孫・八戸高校元校長ほか

松沢幸一    株式会社明治屋代表取締役社長・前キリンビール社長ほか

< プログラム >

【第1部】

〇初めての新渡戸十次郎生誕祭にあたって

〇「現在の十和田市へ引き継がれた十次郎のまちづくり構想」

講師 青森県文化財保護協会副理事長 伊藤一允氏

〇「十次郎と辿る南部藩三戸城の歴史」~国の史跡目指して、東北最大級の城跡発掘調査から

講師 三戸町教育委員会 野田尚志氏

【第2部】

出版記念会

* 出版に寄せてのご挨拶 「本の泉社」社長 新舩海三郎氏

* 講演「それぞれの新渡戸稲造」著者 青山淳平氏 『十和田との出会い』

* フォーラム第3号刊行「第3回稲造サミット」に寄せて

(公財)秋山記念生命科学振興財団 理事長 秋山孝二氏

NPO法人 十和田歴史文化研究会 理事長 小笠原カオル氏

【第3部】

「台湾と、根っこでつながってる青森県」 交流構想を考える

パネリスト 友田博之氏、藤井茂氏、奈良哲紀氏

コーディネーター 神重則氏

研究書や古文書の解読、翻訳、勉強会、年表編纂部会

幕末南部藩及び台湾歴史文化探訪研修部会

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 まずは冒頭ご挨拶から午前中の第一部の様子をご紹介。

中野実行委員長の開会ご挨拶

中野秀喜大会長の開会ご挨拶

実行委員長

友田博之 実行委員長

講演

ご講演

三戸教育委員会野田さん

三戸教育委員会野田尚志さん

 南部藩三戸城の歴史についてのご説明は大変興味深いものでした。

作家・青山淳平さん 来札 !

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 愛媛県松山市在住の作家・青山淳平さんが、6月の私たちの会のフォーラム講演前に取材目的で、この新型コロナウイルス対策の大変な時期にもかかわらず札幌にお越し下さいました。到着したその日の夜、札幌遠友夜学校記念館建設等の活動を続ける私たちは、ミニ歓迎会を開催し遅くまで懇談しました。

* これまでの青山淳平さん関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E9%9D%92%E5%B1%B1%E6%B7%B3%E5%B9%B3

青山淳平さんを囲んで

青山淳平さんを囲んで

青山淳平さん(右)と理事長の松井博和先生

青山淳平さん(右)と理事長の松井博和先生

 青山淳平さんは、9年前の北海道新聞8月の『終戦特集』取材で松山でお会いして以来、不思議な縁でつながっています。昨年10月に十和田で開催された「第三回INAZOサミット」でお会いでき、今度は新渡戸関連でさらにお付き合いは続いています。

* ビハール号事件ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%83%93%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%8F%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6

藤井茂さん新著 祝賀パーティ

Posted by 秋山孝二
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 盛岡の(一財)新渡戸基金の藤井茂理事長が、新著『増田義一伝(https://www.j-n.co.jp/books/?goods_code=978-4-408-33892-7)』を出版し、その記念祝賀パーティが東京で開催されました。

一代の出版人 増田義一伝

『増田義一伝』 HPより~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 明治から昭和初期にかけて、新渡戸稲造、大隈重信、渋沢栄一ら政財界の重鎮や学者たちから
絶大な信頼を受けた出版人がいた。
 その人の名は「増田義一」。

 多くの良識ある読者から絶大な支持を得た『実業之日本』の創刊から携わり、
『婦人世界』『少女の友』などの雑誌を矢継ぎ早に成功させ、
版元である実業之日本社を大正期を代表する出版社へと牽引。
大日本印刷の初代社長でもあり、日本の出版界に大きく貢献した人物である。

 同社の経営と並行して衆議院議員に8回当選、衆議院副議長などを務めた一方で、
その功績とは裏腹に、いま「増田義一」を知る人は皆無に近い。
なぜ、出版人・増田義一は、あの時代の重鎮と大衆の心をつかみ、
実業之日本社という出版社を一時は日本一の存在に高めることができたのか。

 一代の出版人・増田義一の生誕150年であり没後70年を記念し、
彼の79年の軌跡と人柄、そして生涯貫いた志を、新渡戸稲造の研究家が描いた初の評伝。
現社長による「解説」も所収。

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 10月末に十和田市でお会いした方々とも再会しました。

* 『第3回INAZOサミット』ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E7%AC%AC3%E5%9B%9EINAZO%E3%82%B5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88

右から作家の青山淳平さん、中野さん、私、小笠原さん

右から作家の青山淳平さん、中野英喜さん、私、小笠原カオルさん

 祝賀会の冒頭は、増田義一さんが創業者の(株)実業之日本社(https://www.j-n.co.jp/)、岩野裕一社長のご挨拶。10月の盛岡での「新渡戸稲造命日祭」でパネリストをされていました。

* 「命日祭」関連記事ーー>http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=37168

実業之日本社の岩野裕一社長のご挨拶

実業之日本社の岩野裕一社長のご挨拶

 岩野裕一社長は、パーティでもお話をしましたが、北海道池田町で小学校時代を過ごされたそうです。当時の貴重なお話を聞かせて頂きました。

 藤井茂理事長も御礼のご挨拶。増田義一と新渡戸稲造との浅からぬ関係をご説明されて、さらに新渡戸稲造博士の幅広い懐の深い人となりに感動しました。

藤井茂理事長

藤井茂理事長

 10月の十和田、12月の東京と、今年も新渡戸稲造博士を巡って、一層その人間像を深めた時間となりました、感謝ですね。

第3回INAZOサミット@十和田(番外編)

Posted by 秋山孝二
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 今回のサミットでは、青山淳平さんは、松山事件直後の新渡戸稲造博士の憔悴した様子を揮毫から裏付けていました、スペリングも間違える心の動揺も。

新渡戸稲造失意の書

新渡戸稲造失意の書

 津田梅子さんと新渡戸稲造博士との浅からぬ信頼関係について、津田塾大学高橋裕子学長からも詳細の歴史的記録から解き明かしていました。

津田塾大学のミッションステートメント

津田塾大学のミッションステートメント

 幻の穴堰入り口で、お二人の姿。

穴堰見学で。津田塾大学高橋学長と作家青山さん

穴堰見学で。津田塾大学高橋学長と作家青山さん

 さらに、ここの事務所内にある穴堰のジオラマ前では、このジオラマの作者・奈良哲紀さんがその苦労をご説明されている最中に感極まる場面もあり、参加者一同、その思いの熱さに感動した次第です。

自作のジオラマの前で

自作のジオラマの前で

 津軽藩と南部藩の歴史的因縁、その一つとしての「兜」が最後の見学地・野辺地神社の境内に。津軽(新政府軍)鉄砲隊司令官小島左近。左近はねぷた絵を描いたりする文人でもありましたが、かつて「南部藩を裏切った南部藩刀鍛冶の孫」として激戦の矢面へ立たされ、無残にも助太刀者に足払いをかけられ首を切り落とされました。左近無念、呪いの兜がここに収められています。

 歴史の中の情念、語り継がれる物語にしばし魅入られるツアーとなりました、地域の歴史が人を育てる、あらためて日本の近代史の奥深さに余韻が残った一日でした。

第3回INAZOサミット @ 十和田 (下)

Posted by 秋山孝二
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 サミット二日目は、 歴史作家・青山淳平氏ほか地元歴史研究者の方々からの説明を受けながらの『幕末南部藩の文化歴史探訪の旅』、大型バス1台満席の50名参加で大盛況でした。

 三本木開拓と稲生川、穴堰見学、野辺地の藩境塚、野辺地戊辰戦争跡、北前船、砲台跡ほか、盛りだくさん。

三本木開発と稲生川:取水口

三本木開発と稲生川:取水口

穴堰内天井のコウモリ

穴堰内天井のコウモリ

稲生川

稲生川

津軽・南部藩境塚

津軽・南部藩境塚

遠くには下北の山々

遠くには下北の山々

 野辺地の観光目玉の一つ、博物館北前船に乗船。陸奥湾の海の青さと高さ30メートルもある帆船・北前船(正式名称:復元北前型弁才船「みちのく丸」)が紺碧の空に映える姿に古の人々の勇ましさと哀愁が漂っています。

北前船

北前船

乗船して内部見学

乗船して内部見学

 外での昼食後、さらに密度濃い見学が続き、夕方に東北新幹線七戸十和田駅で解散となり、私は一路東京に戻る新幹線で北海道を目の前にして南に向かいました。二日間のサミットを地酒ワンカップを味わいながらの振り返り、実に濃密な時間となりました。

第3回INAZOサミット @ 十和田 (中)

Posted by 秋山孝二
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 サミット初日の27日は、開始前の9時から札幌組の三上節子さん、この日の朝に八戸港フェリーターミナルに苫小牧から到着した遠藤大輔くん、私の3人で、展示物(模造紙5枚に9枚ずつ、秋山作成のパワーポイント画像を三上さんが自宅で貼り付けたもの、キャプション付き)を会場の壁に養生テープで貼り付け、ほか展示ボード2枚に遠友夜学校校舎の時代順の写真、建設予定の記念館の完成予想図、7回分のフォーラムチラシなど、活動の写真の掲示、会場ホワイエに書籍販売コーナー設置、などを行いました。展示は大変好評で、画像の写真を撮る人が何名もいました。書籍ではこれまで北海道大学東京同窓会から受けた寄贈本のほか、藤田正一先生から『日本のオールタナティヴ』5冊、発表者谷口稔氏より『新渡戸稲造ー人格論と社会観ー』3冊の寄贈も受けての販売となり、心から感謝申し上げます。

 サミットはまず開会式典から、この部分の写真は今現在ありません。

開会宣言 大会長 中野 英喜 氏(「幻の穴堰」オーナー)

来賓挨拶 十和田市長 小山田 久 氏

実行委員長 小笠原 カオル 氏(NPO法人十和田歴史文化研究会理事長)

約170名の参加者で大盛況

約170名の参加者で大盛況

 基調講演は松沢幸一明治屋代表取締役社長で、テーマは、『稲造博士の思いを会社経営に生かす』です。

* 昨年の盛岡『命日祭』の様子――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=34514

基調講演

基調講演

 続いては事例発表、私もトップバッターで20分間発表しました。

① 北海道地区(北海道)秋山 孝二 氏(新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会代表理事)

テーマ「6年間の活動を踏まえた札幌市への提案」

② 東北地区(青森県) 北川 博美 氏(むつ市/ 元東通小学校長)

テーマ「新渡戸の人々と川内町」

③ 関東地区(東京都)高橋 和の助 氏(井荻みんなの学校主宰)

テーマ「子育てにも使える武士道」

④ 関西地区(岐阜県)酒井 美香 氏(バイオグラフィー研究家)

テーマ「私の中に生きる新渡戸稲造」

⑤ 関東地区(東京都)谷口 稔 氏(恵泉女学園特任教授)

テーマ「台湾糖業政策にの植民地政策」

⑥ 開催地区(十和田市) 伊藤 一允 氏(青森県文化財保護境界常任理事)

テーマ「稲造博士の源。傳と十次郎」

 残念ながら私の発表の様子は手元に写真がないので谷口先生の写真を掲載します。

谷口稔先生のプレゼン

谷口稔先生のプレゼン

 発表の最後は特別参加で、青森大学薬学部教授の清川繁人先生、テーマ「南部と津軽ー江戸期における忍びの暗躍?」、忍者クラブの学生3名が忍術パフォーマンスを披露しました。江戸期の諜報機能として、南部藩は蝦夷地の「シャクシャインの戦い」でも関わっていたようです。

特別出演:青森大学の忍者部
特別出演:青森大学の忍者部

 続いてはパネルディスカッションでした、大変内容の濃い素晴らしいコメントの数々。

テーマ / 平和主義者・教育者・国際人稲造博士の思い出を、明日へ

~パネリスト~

青山 淳平 氏(ノンフィクション作家、映画『松山捕虜収容所外伝?ソローキンの見た桜』の原作者ほか)

高橋 裕子 氏(津田塾大学学長、アメリカ史学会運営委員会代表、ジェンダー史学会常任理事ほか)

藤井 茂 氏(新渡戸基金理事長、『新渡戸稲造事典』共著者ほか)

~コーディネーター~

神 重則 氏(みちのく銀行参与)

 地元愛媛県出身の青山淳平氏の調べた「松山事件」の真相、高橋裕子学長の新渡戸の津田梅子の女子教育への協力は、含蓄のあるメッセージが続きました。神さんのコーディネートも、十分な準備と周到な構想で素晴らしかったですね。

続いてはパネルディスカッション

続いてはパネルディスカッション

松山事件の詳細

松山事件の詳細

津田梅子と新渡戸稲造との親交

津田梅子と新渡戸稲造との親交

 苫小牧からこの日朝八戸港到着フェリーで駆け付けた遠藤大輔くんは、今度は八戸港からのフェリーで帰途につくために夕方、会場を後にしました。翌日早朝、苫小牧港に到着し、行きに置いておいた自分の自転車で職場に直行という強行軍、本来は、私と一緒に前日は三沢の寺山修司記念館を見学して、道中一緒の予定でしたが、8月の苫小牧転勤で一時は参加を諦めたのですが、何とフェリー使用という奥の手で10時間少々の十和田滞在を実現したのです。今どき珍しい根性のある若者、私たちの会のメンバーとして誇りに思います、お疲れさま、そして、ありがとう!

第3回INAZOサミット @ 十和田 (上)

Posted by 秋山孝二
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 今年で3回目を迎える『INAZOサミット』、今回は青森県十和田市で二日間、以下のプログラムで開催されました。

< これまでの『INAZOサミット』の記事 >

* 第一回 2017年札幌

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=32030

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=32056

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=32087

* 第二回 2018年花巻

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=34196

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=34198

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=34200

『第三回INAZOサミットin 十和田』プログラム ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【 27日 】 (参加者は約170名)

開会宣言 大会長 中野 英喜 氏(「幻の穴堰」オーナー)

来賓挨拶 十和田市長 小山田 久 氏

実行委員長 小笠原 カオル 氏(NPO法人十和田歴史文化研究会理事長)

< 第一部 > 基調講演 松沢 幸一 氏(明治屋代表取締役社長)

テーマ  /  稲造博士の思いを会社経営に生かす」

***昼食***

< 第二部 > 発表の部  (13:05~15:45)

① 北海道地区(北海道)秋山 孝二 氏(新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会代表理事)

テーマ「6年間の活動を踏まえた札幌市への提案」

② 東北地区(青森県) 北川 博美 氏(むつ市/ 元東通小学校長)

テーマ「新渡戸の人々と川内町」

③ 関東地区(東京都)高橋 和の助 氏(井荻みんなの学校主宰)

テーマ「子育てにも使える武士道」

④ 関西地区(岐阜県)酒井 美香 氏(バイオグラフィー研究家)

テーマ「私の中に生きる新渡戸稲造」

⑤ 関東地区(東京都)谷口 稔 氏(恵泉女学園特任教授)

テーマ「台湾糖業政策にの植民地政策」

⑥ 開催地区(十和田市) 伊藤 一允 氏(青森県文化財保護境界常任理事)

テーマ「稲造博士の源。傳と十次郎」

⑦ 特別参加  清川 繁人 氏(青森大学薬学部教授)

テーマ「南部と津軽ー江戸期における忍びの暗躍?」忍者クラブの学生3名 忍術披露

< 第三部 > トーク  (16:00~18:00)

テーマ / 平和主義者・教育者・国際人稲造博士の思い出を、明日へ

~パネリスト~

青山 淳平 氏(ノンフィクション作家、映画『松山捕虜収容所外伝?ソローキンの見た桜』の原作者ほか)

高橋 裕子 氏(津田塾大学学長、アメリカ史学会運営委員会代表、ジェンダー史学会常任理事ほか)

藤井 茂 氏(新渡戸基金理事長、『新渡戸稲造事典』共著者ほか)

~コーディネーター~

神 重則 氏(みちのく銀行参与)

◎地元愛媛県出身の青山淳平氏の調べた「松山事件」の真相、高橋裕子学長の新渡戸の津田梅子の女子教育への協力

< 第四部 > 懇親会  (18:30?20:00)

【 28日 】 歴史作家・青山淳平氏ほか地元歴史研究者の方々からの説明を受けながらの幕末南部藩の文化歴史探訪の旅

大型バス1台 50名参加

三本木開拓と稲生川、穴堰見学、野辺地の藩境塚、野辺地戊辰戦争跡、北前船、砲台跡ほか。

(野辺地の観光目玉の一つ、博物館北前船に乗船。陸奥湾の海の青さと高さ30メートルもある帆船・北前船(正式名称:復元北前型弁才船「みちのく丸」)が紺碧の空に映える姿に古の人々の勇ましさと哀愁

16時に東北新幹線七戸十和田駅で解散

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 前日26日は、世話人ほかご登壇の方々が集まっての前夜祭、それぞれの立ち位置とメッセージが大変興味深かったですね。

濃いお話の数々!

濃いお話の数々!

今回の中野英喜実行委員長

今回サミットの中野英喜実行委員長

パネリストの高橋裕子津田塾大学学長

パネリストの高橋裕子津田塾大学学長

 2年前の札幌での最初のサミットを思い出しました。

ビハール号事件(1)

Posted by 秋山孝二
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  私は今、自分の時間を以前よりも持つことができるので、明治維新から今日までの近代の歴史を振り返りながら、検証らしきことをしています。特に、戦後のA・B・C級戦犯の検証、実際に足を運び、ヨーロッパでのナチスによるホロコースト、中国での日本軍による数々の事実を自分の目で確認し、新たな歴史的課題も見えてきました。

 そんな中、ある意味では思いもよらなかったのですが、ごく身近に私の知らない一つの「事件」があったことが最近分かりました。それは、旧日本海軍の重巡洋艦「利根:http://military.sakura.ne.jp/navy/c_tone2.htm」による「ビハール号事件」です。これから何回になるか分かりません、身内にも関係する重要な事実ですので、どんな展開になるか予想もつきませんが、追いかけてみようと思っています。

 これまでこの欄に数回書いている通り、私の父は4年前に亡くなりました。海軍兵学校66期卒で、キスカ撤退では旗艦「阿武隈」の、レイテ沖海戦では重巡洋艦「利根」の通信長として作戦に従事しました。その後、広島県江田島の海軍兵学校分隊監事で終戦を迎えました。

 没後に、私たち家族の発案で追悼集「絆」を発刊し、その中で私は父の思い出として次のように書きました。~~~~~

・・・・一方で私は、海軍兵学校時代の生活、キスカ撤退作戦、レイテ沖海戦等の最前線の経験を何回も聴いていた。とりわけキスカ撤退作戦での木村昌福司令官の勇気ある決断に関しては、旗艦「阿武隈」の通信長として身近にその現場を体験して、企業経営者としても社内報等で「バランスの重要性」として繰り返し強調していた。

 ある時に、自宅2階の自室で、戦争で生き残った者の苦しみについて静かに語ったことがあった。沢山の人間が戦争で無くなった悲しみは私には容易に感じても、父が言う生きて帰って来た人間の「その後の苦しみ」というのは、つい最近まで理解できなかった。ススキノのカラオケでも軍歌を歌う気にはなれない、戦争を賛美していた人間が戦後途端に反戦論者になっているのは許せない、今でも戦争が起これば自分は戦地に赴く、と戦争を巡る場面では、父はかなり頑固なこだわりを持ちつづけていた様な気がしている。

 そんな父ではあったが、入院中の夜中のベッドで、「火事だ、火事だ、水を」とうわ言の様に叫んでいる様子を聞いた時、それが戦艦の甲板での消火活動ではないか、と直感した時があった。自ら志願した海軍将校の人生ではあっても、心の底に沈む恐怖の存在を、私は数少ない場面ではあったが父の心の中に見た思いで、強い衝撃を受けた。・・・・・ ~~~~~~~~~

 4年前にこれを書いた時、私は勿論今回の「サ号作戦」については知る由もなく、ただ、「うわ言」に衝撃を受けていた、そんな自分でした。昭和19年に、キスカ撤退作戦の後、父は重巡洋艦「利根」の通信長として作戦に従事し、インド洋上での通商路破壊作戦(サ号作戦)に参加しました。そこで起きたのが「ビハール号事件」です。父は終戦後、海軍施設の進駐軍の接収・移管業務を済ませて、札幌に移りました。昭和22年に香港の戦犯裁判の証人として、ほぼ1年間程(その後、2・3カ月だと分かりました)、香港に滞在していたことは分かっていますが、それがどんな裁判だったのか、その辺りがこの事件を知る多少の手掛かりになります。私は、父からキスカ撤退作戦、レイテ沖海戦については話を聴いていましたが、インド洋上での作戦は一度も聴いた記憶がありません。

 4年前に青山淳平・著『海は語らない―ビハール号事件と戦犯裁判(http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1102322644)』(光人社刊)が出版されたのを最近知り、すぐに読んでみました。「なぜ捕虜は処刑されたか、救助した捕虜111名、うち65名をその後殺害した衝撃の真相。英国商船乗員乗客「処分」事件」、或いは「英国戦争裁判・香港法廷の実情」とも書かれています。この本には私の父の名が、まるで映画のシーンを見るかのように数か所リアルに出ていました。

 私は、まずは自分で過去の資料を調べようと思い、先日市ヶ谷の防衛省に行ってみました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5391)。そこの職員に問い合わせた所、戦史・艦日誌等は市ヶ谷にはなく、別の場所に所蔵されていて、閲覧も出来ることが分かりました。何かの機会に時間を取って調べようと思っています、なかなか時間的都合もあり難しい作業になりそうですが、しっかり真実を見極めたいですね。

 戦争の検証は他人事ではなく、自分の家族の人生の検証になってきました。