今回のサミットでは、青山淳平さんは、松山事件直後の新渡戸稲造博士の憔悴した様子を揮毫から裏付けていました、スペリングも間違える心の動揺も。
津田梅子さんと新渡戸稲造博士との浅からぬ信頼関係について、津田塾大学高橋裕子学長からも詳細の歴史的記録から解き明かしていました。
幻の穴堰入り口で、お二人の姿。
さらに、ここの事務所内にある穴堰のジオラマ前では、このジオラマの作者・奈良哲紀さんがその苦労をご説明されている最中に感極まる場面もあり、参加者一同、その思いの熱さに感動した次第です。
津軽藩と南部藩の歴史的因縁、その一つとしての「兜」が最後の見学地・野辺地神社の境内に。津軽(新政府軍)鉄砲隊司令官小島左近。左近はねぷた絵を描いたりする文人でもありましたが、かつて「南部藩を裏切った南部藩刀鍛冶の孫」として激戦の矢面へ立たされ、無残にも助太刀者に足払いをかけられ首を切り落とされました。左近無念、呪いの兜がここに収められています。
歴史の中の情念、語り継がれる物語にしばし魅入られるツアーとなりました、地域の歴史が人を育てる、あらためて日本の近代史の奥深さに余韻が残った一日でした。