「バラトン」と聞いて

Posted by 秋山孝二
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 環境系の市民活動をされている皆さんには、すでにお馴染みの「バラトングループ(http://vimeo.com/51860396」は、この間、地球規模の環境問題への数多くの提言があり、時代を先取りしながらグローバルなオピニオンリーダーとしての存在です。私は当初、それがハンガリーのバラトン湖だとは知らずにいましたが、ワグナー・ナンドール財団(http://www3.ocn.ne.jp/~wagner/TOP.html)の関係でハンガリーをたびたび訪問しているうちに、「あっ、あのバラトン湖畔に集まるグループか」と気がついたのです。

メンバーはこちら(http://www.balatongroup.org/who-we-are/)

<これまでのこの欄への私の記載です>

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7722

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10357

 日本からは枝廣淳子さんが2002年からただ一人参加していて、今年で12回目とのこと。今年は第32回、世界から60人ほどが集っています。JFS(http://www.japanfs.org/ja/)通信によると:

~~~~今年のテーマは「テクノロジー」。休み時間や食事中に、旧知のメンバーからも新しいメンバーからも聞かれるのは、「フクシマの現状と見通し」「日本のエネルギー政策の今後」です。いかに世界の人々の関心がいかに高いかを(国内の方が低い……)を感じます。と同時に、国内でもそうですからしかたないのかもしれませんが、情報が世界に届いていないのだなあと……。今朝、テクノロジーに関する発表が始まるまえの小グループの議論で、「フクシマの事故を考えても、人は複雑で先進的な技術のほうに向かう傾向がある一方で、もっとシンプルでわかりやすく、レジリエンスの高い技術もある」という問題提起から、「だれが技術を評価し、だれが選ぶのか」も大事な議論のポイントだ、という話になりました。

 だれが技術を評価し、だれが選ぶのでしょうか?技術革新が便益とともにリスクを大きくする(原発のように)可能性がある場合など、「もっともっと(技術の進歩を)」に歯止めをかけるべきときがあるとしたら、その歯止めはだれがどのようにかけることができるのでしょうか?

 今朝の発表でも、遺伝子組み換え技術、温暖化に対するジオエンジニアリング(成層圏にエアロゾルを散布して太陽光を反射し、地球への入射を減らすといった、気候システムに対する大規模・意図的な工学的介入)といった技術が例として取り上げられていましたが、その結果を不特定多数の人が被る技術(原発もそうですね)についての評価や選択・決定はだれがどのように行うべきなのでしょうか。

~~~~~~~~~~~ 引用 おわり

 2011年3月の原発事故直後もそうでしたが、私自身とほぼ同じ思いを上手に表現してくれて、「レジリエンス」な思考の枝廣淳子さんの活躍は、環境系課題解決の方向性を示してくれます。最近、東京でのワークショップ等にもあまり参加できないのが残念ですが、北海道の地で引き続き活動は続けていますので、どうか宜しくお願いします、ね。

< 参照 >
* 枝廣淳子の環境メールニュース http://www.es-inc.jp

* 「幸せ経済社会研究所」~幸せと経済と社会との関係を見つめ直す  http://www.ishes.org/

* 「私の森.jp」~森と暮らしと思いをつなぐ  http://watashinomori.jp/

* 「変える」メソッドを経営へ  http://www.change-agent.jp/

* 「システム思考」に関する情報を提供  http://groups.yahoo.co.jp/group/systems_thinking_byCA/

* 日本から世界へ情報発信 ジャパン・フォー・サステナビリティ  http://www.japanfs.org/index_j.html