一貫して反戦・反貧困の市民活動分野で活躍された越田清和さんが、先日お亡くなりになりました。2008年7月、「G8洞爺湖サミット」開催の時、「G8サミット市民フォーラム北海道:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=54」を立ち上げ、事務局長としてご活躍され、当時代表世話人の一人として私も一緒に活動しました。以前から体調が思わしくないとは風の便りで聞いてはいましたが、私より年下、突然の訃報に何とも驚き、悲しみでいっぱいです。
このコラムにもあるように、2009年10月に札幌にムハマド・ユヌスさんをお招きしてのフォーラム(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2289)で、越田さんはパネラーの一人として登壇し、素晴らしいプレゼンテーションで満席の聴衆にメッセージを伝えていました、ユヌスさんがなぜ「ノーベル経済学賞」ではなく、「ノーベル平和賞」だったかを、見事に説明しました。
蛇足ですが、その翌日に新千歳空港カウンターでユヌスさんとお会いすることもできました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6670)。
市民活動では全くの新参者の私ですが、この分野で強く印象に残っている人物が越田清和さんです。G8洞爺湖サミット開催直前に、一連の市民活動の一つとして札幌大通公園で催された1万人集会とその後のデモンストレーションで、総責任者だった彼は、集会前から壇上で諸注意を繰り返し伝えていました、とにかくこのデモでは一人の逮捕者も出さずに自分たちのメッセージを社会に訴える意気込みを、私は開会前から現場で感じていました。
私は集会で地元を代表して壇上であいさつを述べた後に、西区の別の会に出席しなければならずにその場を離れ、その後デモ解散場所の中島公園に遅れて駆けつけて、そこで少し気落ちした様子の越田さんとお会いしました。「あと100メートルの所で、逮捕者を出してしまった」と肩を落としている彼と、中島公園から南1条のフォーラム事務所まで、一緒に歩いて戻ってきたことが忘れられません。なんと心根の優しい人かと、彼のそれまでの活動実績とともに、あらためてそのお人柄に惚れた時でした。
また、北海道新聞の書評に私の翌年に彼が指名された時には、わざわざ連絡をしてきて、「秋山さんが自分を推薦してくれたのか」と。私は、「いやいや、新聞社独自の選考ですよ。でも仮に私に聞かれたら、やはり越田さんを推薦していたとは思いますが」ともお話をしたら、笑っていました。
私は彼の長い活動の中では、ごく一瞬一緒だったに過ぎないとは思いますが、つき合いの長さではありませんね、瞬間のひと言、瞬間の眼差しに、彼の「本物」の姿を見つけ、感じた思いは忘れることができません。
4月の偲ぶ会には参列して、私も御礼とお別れをしたいと思います、越田さん、お疲れさまでした、どうか安らかにお眠り下さい。