辻陽明さん、逝く

Posted by 秋山孝二
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 朝日新聞社編集委員の辻陽明(つじ・ようめい)さんが、6月11日に食道がんで亡くなられました、53歳の生涯でした。

昨日東京で「偲ぶ会」が催されて、朝日新聞社関係者、公益法人関係者等沢山の参加者で会場は溢れ、あらためて辻さんのこれまでのお仕事のご功績の高い評価とお人柄が偲ばれました。

祭壇の遺影・愛用のサックス・短詩

祭壇の遺影・愛用のサックス・短詩

亡くなる直前6月1日に詠まれた短詩です

亡くなる直前6月1日に詠まれた短詩です

生前ご一緒にお仕事をされた朝日新聞の記者の方々はじめ、とりわけ関係の深かった方の気持のこもった弔辞の数々、そして最後の奥様のお話に、会場のあちこちからすすり泣きが聞こえて参りました。千里のご出身で大阪大学法学部をご卒業されています。奥様のお話によると、09年4月に療養のために故郷千里に戻った辻さんは、千里の変化がご自分の人生の変遷と重なっているとお感じになられたと。辻さん自身は万博開催で進歩や発展の象徴だったかつての千里よりも、深い緑に包まれた静かで穏やかな千里にこそ「希望」があると思ったのではないか、とこの詩の思いも語られていました。

私は4年前でしたか、財団法人のフォーラム・懇親会で辻さんと初めてお会いしました。控えめに会場の端の方にお立ちではありましたが、何かそのお姿全身から醸し出す雰囲気に存在感があり、眼差しと表情の優しさが特に印象的でした。2005年10月1日から連載の「新市民伝」が始まったばかりの頃でした。その後大変多様な市民活動を担う方々70名を取材しての連載となりました。「これからは、本来的な意味の『新市民』の活動が社会を変えていく」ことへの深い見識を、私はその時に読み取りました。

人との出会いというのも不思議ですね。辻さんとはその後数回しかお会いしていないのに、その強烈なイメージは忘れることが出来ません。何回も飽きる程(?)お会いしていても殆ど心に残らないタイプも多い中、辻さんからのメッセージは実に印象的でした。昨日の弔辞をお聴きしていると、普段の職場でも人並み外れる情熱で光っていたようです。

昨年の洞爺湖サミットに対しても、07年5月に「日本NGO『陰の主役』」と題してのコラムも書かれていました。

ヤマハ音楽教室に通ってサックス演奏を習い続けて、発表会でも演奏されたそうです。昨日の会の終盤に辻さんの演奏録音が会場中に流れました。曲目は「Left Alone」でした。

願わくば、朝日新聞の中に辻陽明さんに続く若い記者の方々が、「シビル・ソサイアティ」への熱く優しい眼差しを持って続いて頂きたいものと。昨日会場に集まった皆さんの思いに違いありません。辻陽明さん、ありがとうございました。そして、安らかにお眠り下さい。