地球建築士、松本洋さん

Posted by 秋山孝二
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 東京都港区六本木に国際文化会館http://www.i-house.or.jp/jp/があります。松本重治さんはその設立に深く関わり、二代目の当財団理事長に就任されて、1989年にお亡くなりになりました。そのご子息・松本洋さんはついこの間まで理事でしたが、私の叔母が理事長をつとめるワグナー・ナンドール・アートギャラリーhttp://wagnernandor.com/indexj.htmの活動で、この所数回お会いしてアドバイスを貰っています。

先日著書「地球建築士―国際交流・協力の五十年」http://www.hakurosya.com/kentikusi.htmを送って頂き、早速読みました。これは札幌に本社があり、翻訳者・山本光伸社長の柏艪舎http://www.hakurosya.com/information.htmlからからの出版です。

松本洋さんが訪問した国・まち・出会った人は、75カ国に及び、とりわけ日本では少ないアフリカ・南アメリカの方々との出会いが多いのが特徴でしょうね。

お父様のお話として、留学されていたイェール大学の歴史学教授朝河貫一博士は、「日本の本物の国際人は、本物の日本人でなければならない。国際人という人種はいない。大切なのは、どこの国にも立派に通用する日本人を育てることである」という信念を持たれていた、と。

また1929年京都で開催された第3回太平洋問題調査会国際会議(IPR:The Institute of  Pacific Relations)では、新渡戸稲造ともこの会議に一緒に参加しました。今でいう純民間の国際的NGO(非政府組織)です。リーダーだった新渡戸稲造の開会の言葉として、「世界は地中海沿岸の内海的文明から太平洋沿岸の大洋的文明へと移行しようとしている」と語り、文明の大きな転換期にあるという認識と、そこにおいては民間のNGOの役割が重要な役割を握るという見解を述べたのです。

不幸にも日本は、その後最悪のシナリオで戦争に向かいましたが、戦後まもなく「愚かなあやまちを繰り返さない」構想を基盤に、松本重治はロックフェラー財団、ライシャワー教授ら日米の多くの方々の協力もあり、「I・HOUSE(The International House of Japan):国際文化会館」を建設し、活動母体としての(財)国際文化会館を立ち上げました。最初の理事には南原繁も就任しています。

その活動の一つで2006年度に終了しましたが、「社会科学国際フォローシップ事業」は、新渡戸精神を現代に継承する優れたプログラムでした。

札医大のリレー講座で寺島実郎さんが、松本重治さんの言葉を引用されていました。「日米関係は米中関係である、国際文化会館創設者・松本重治の看破」と。

歴史の一コマ一コマの中に、優れた国際性を持たれた方々が活躍された事実を再認識するだけでも、今を生きる我々に大きな勇気を与えてくれます。2006年4月に、外観はそのままに内部を再生して、国際文化会館は生まれ変わってオープンしました。六本木の景観は大きく変わってはいますが、この会館の果たすべき役割は益々重要な価値を持ってきているに違いありません。

松本洋さんと出会い、タオ財団・新渡戸稲造・南原繁他、秋山財団の基盤と相通じる「こころざし」に驚くとともに、この一冊の本から理念の脈々と生き続ける証を得た感じです。