千葉大学教育学部の同期と

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 8月下旬から9月上旬と、私が関わる大切なイベントが続き、すっかりアップするのが遅れてしまいました。

 少々遡りますが、まずは大学同期との久しぶりの会食のご報告。千葉大学教育学部を卒業して40年が経ちました。永く教育界で活躍された方々が多いのですが、民間企業、或は私のように教職を経て別の業界に転職した方もいます。懐かしい当時、その後のお話で盛り上がり、またの再会を約束して楽しいひと時を終えました。

久しぶりの大学同期たち

久しぶりの大学同期たち

 私自身の大学時代については、このブログにも数回書きました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4459

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6222

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12243

 私の教師生活は、今考えるとわずか5年間なのですが、そこでの経験、周りの自分を見る眼では、歳を経るごとに「元教師」のイメージが増幅されているようで不思議です。やはり、子供たち相手の仕事なので、自分も成長(衰退?)すると同時に、当時の教え子たちが大きく成長・変化するからなのでしょう。今も、「秋山先生の教え子」と言ってくれる何人かと、仕事上で会う機会があるので幸せです。彼らも50歳を越えているというから、時の流れは本当に速く、一人の人生というのもほんの瞬間なのかと、少々センチメンタルになる満月の夜、翌日の朝ですね。

秋山財団贈呈式 2014 (3:最終)

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 今年の「受領者からのメッセージ」は、若いお二人の研究者が、それぞれご自身の研究に至るストーリー、現在の研究内容等を分かりやすく説明されました。

ミルクは命を育む

小林謙さん:ミルクは命を育む飲み物!

骨といのち

佐藤真理さん:第二の脳(セカンドプレイン)としての骨!

 パーティでは多彩な交流もあちこちで多彩な交流もあり、今後の活動にも期待が持てます。

きたネット常務理事・宮本尚さん、小澤祥司さん、北見看護大学・根本さん

北海道エネルギーチェンジ100ネットワーク代表・宮本尚さん、小澤祥司さん、防災対策の根本昌宏さん

大地といのちをつなぶプロジェクト代表:高橋裕之さん

大地といのちをつなぶプロジェクト代表:高橋裕之さん

 贈呈式での私の挨拶、俊鶻丸(しゅんこつまる)」の件で、終了後に秋山財団事務局スタッフがさらに調べてくれて、当時の水産庁長官・清井正さん(東京都出身)と分かりました。その後、食糧庁長官を経て農林事務次官に就任されていました。さらに、この放射能汚染の研究で中心的役割を果たした三宅康雄先生の研究室門下で研究を続けた方の中に、猿橋勝子さんがいらっしゃいます。猿橋勝子さんは、女性研究者支援活動でも著名で、気象研究所退任記念に設立した「猿橋賞」は、その後の女性研究者の顕彰として高い評価を得ています。因みに、第11回(1991年)受賞者が森美和子先生で、秋山財団評議員、昨年・今年の秋山財団選考委員長でもお世話になりました。

* 猿橋賞――> http://www.saruhashi.net/saruhashi.html

 何か不思議なご縁を感じます。

秋山財団贈呈式 2014 (2)

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 肝心の贈呈式の写真は、残念ながら皆関係者なので、当日のプロの年報用写真以外に一枚もありません、難しいところですね。受賞者の皆さまはほぼ全員ご出席頂き、財団関係者も役員はもちろん、選考委員の先生方も数多くご出席、毎年思うのですが大変高い出席率を維持していて嬉しいです。

 今回、冒頭の理事長としての私のご挨拶は以下の通りです。この間の若き研究者への思いを、「俊鶻丸(しゅんこつまる)」に込めて語りました。昨年のテレビ番組については以前にもこのブログで書いています(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=19083)。

~~~~~~~~~~~~~~ 理事長としての私の挨拶

 本日は、多数のご来賓のご臨席を賜り、またお手伝いに株式会社スズケン様より社員の皆様に駆けつけて頂き、当財団「平成26年度贈呈式」を開催出来ますことは、大変光栄に存じ感謝申し上げます。

〇 秋山財団(昭和621月に設立)、本年28年目

・助成総額約84,000万円  ・助成累計件数1,204

<近況報告>

「ネットワーク」化への取り組み

・研究分野の「アウトリーチ活動」

・市民活動分野の「コラボレーション」

実施例

a7月6日、前田一歩園財団との第4回助成事業合同報告会

合計20団体(秋山財団:12ネットワーク形成事業助成プロジェクト)

b)7月19日(本日出席の)上田評議員(北大北方生物圏フィールド科学研究センター)のバックアップで、札幌旭丘高校生物部(顧問:綿路先生)とのコラボ企画を学校祭の中で実現、反響あり。

取組み事例は財団HP・年報等に掲載 → 財団事業の柱の1つに育てる

評議員会、理事会での議論

・「生命科学」と「自然科学」の概念の理解について

・財団賞への人文科学・社会科学分野への拡がりについて

<私からのメッセージ> STAP細胞ほか、何かと研究者に対する社会的注目が増えている

20139月 NHK教育「ETV特集」

「海の放射能に立ち向かった日本人~ビキニ事件と俊鶻丸~」

 60年前の195431日、アメリカは太平洋ビキニ環礁で水爆実験を強行。マグロはえ縄漁船第五福竜丸など数百隻、人によっては1千隻以上とも言われる漁船が被ばく、放射性物質に汚染されたマグロの水揚げ等、大きなニュース。アメリカは「放射性物質は海水で薄まるためすぐに無害になる」と主張。

 それに対して、当時の国立衛生試験所、理化学研究所等により、日本独自に海の放射能汚染の実態を解明しようという一大プロジェクトが始動。水産庁長官が国会で約束。海洋学、気象学、物理学、化学、食品学など幅広い分野で活躍する第一線の研究者が結集し科学者たちの「顧問団」を組織。当初予算3、000万円が1,400万円に減額されたにもかかわらず、水爆実験から2か月後、そこに至るまでに断る口実はいくつでもあったにもかかわらず、、科学者22人を乗せた調査船・俊鶻丸(588トン)がビキニ実験場に出動!

 科学者たちは死の灰による被曝の恐怖、“米潜水艦の魚雷攻撃を受けるかも知れない”という極限の状況の中で、2か月に亘る調査を実施.調査の結果は、海の放射能汚染は簡単には薄まらないこと、放射性物質は食物連鎖を通じてマグロの体内に蓄積されること、部位によってかなりの違いがあること等を豊富なデータに基づき、初めて明らかにした。

 俊鶻丸の中心的な科学者たちは、大気や海洋の放射能汚染の調査・研究を継続→大きな原発事故にも対応できる環境放射能の横断的な研究体制の必要性を主張!しかし、・・・

この活動から私が指摘したい4つのポイント:

〇 60年前、日本の若き科学者たち、当時その任にあった関係諸機関の責任者たちが、リスクを恐れずに行った行動から、私たちは何を学ぶべきなのか!

〇 私たち戦後世代は、「戦争を知らない」では免罪されない。広島・長崎の原爆、そして原発事故、「自然災害」、「人的災害」。経験者は本当に語れるのか、語ってきたのか、経験しなかったが故に伝えられることがあるのではないか!

〇 「伝えていかなくては」ならない。今を生きる私たちが次世代に対してその責任を負っている、それが今を生きる者の「時代認識」ではないのか!

〇 2014年、私たち一人一人、とりわけ生命科学の道を歩む科学者の矜持が、人間としての良識が、人間性そのものが問われている!

 私たちは歴史から学ばなければなりません!

<ご出席の大学関係者、研究機関、そして受領者の皆さん!>

 助成金の中には28年間、秋山財団に寄せられた沢山の方々からの大切な志と熱き想い、期待が込められている事を忘れないで頂きたい。ステージは、秋山財団が用意、心寄り添う「パートナー」として、共に歩み続けたい。

<最後に>

 100年の時を越えて、北の生命と共に歩んで来た秋山愛生舘の歴史とDNAを受け継いだこの財団。生命と向き合い、道民のいのちと共にある科学、自然と共生する生命科学の進化の為に貢献し続ける事をお誓い申し上げます。

 本日ご列席の皆様には日頃のご支援、ご厚誼に感謝致しますと共に、引き続きなお一層のご厚情を賜りますようにお願い申し上げて、私のご挨拶と致します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~挨拶 おわり

秋山財団贈呈式 2014 (1)

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 「公益財団法人 秋山記念生命科学振興財団(http://www.akiyama-foundation.org/」の一年で一番のイベント、「特別講演会」と「贈呈式」が、200名の出席者で盛会裏に終了しました。当日の様子は、後日、秋山財団HPに掲載されると思いますので、是非ご覧ください。(http://www.akiyama-foundation.org/news/1020.html

< 特別講演会 >
 昨年に続いて今年も、特別講演の前に「受領者からのメッセージ」を企画しました。これは、今後の研究やプロジェクトの理解者を拡げる「場」を創り出したいとの趣旨で、最前線のお二人の若き研究者と、冬場の災害に直面した時の「生きぬく力」を提唱される、ネットワーク形成事業助成の受領者お一人、合計3名に発表して頂きました。研究者としての取り組みが率直な語り口から伝わり、活動については、実証的な取り組みの成果を知ることができました。

〇 「受領者からのメッセージ」

・『乳腺胞上皮細胞における乳汁分泌機構の解明』 北海道大学大学院農学研究院 助教 小林 謙 様

・『私が研究をする理由』 北海道大学大学院歯学研究科 助教 佐藤 真理 様

・『冬の万が一を想定した寒冷期災害対策の実証と提案』 日本赤十字看護大学看護薬理学領域 准教授 根本 昌宏 様

特別講演、贈呈式のしおり (秋山基氏 撮影)

特別講演、贈呈式のしおり (秋山基氏 撮影)

開会前から多くの参加者 (秋山基氏 撮影)

開会前から多くの参加者 (秋山基氏 撮影)

〇 特別講演会

・講師:小澤 祥司 様(環境ジャーナリスト・環境教育コーディネーター)

・演題:『 地域を潤すエネルギーの選択

~ 持続可能なエネルギーシステムへの転換 ~ 』

 特別講演会では、環境ジャーナリストの小澤祥司さんを東京からお招きして、私が座長を務めました。

< 講演要旨 >

  東日本大震災とそれに引き続く東京電力福島第一原発の事故によって、日本のエネルギー状況は大きな転換点を迎えたといえます。事故前には、気候変動を防ぐためとして原子力発電の比率を高める政策が進められようとしていました。

 しかし福島原発事故であらためて原発の危険性と廃棄物処理の困難さが浮き彫りになり、新設はおろか再稼動も容易には進められない状況になっています。一方で、化石エネルギー資源の枯渇する状況もそう遠くない将来に訪れるでしょう。もともと原子力発電は危険であるばかりでなく、非効率な発電方式です。私たちはややもするとエネルギー=電気と思いがちですが、私たちが使うエネルギーのうち電気の比率は小さく、また実際に電気でなくともよい用途は多いのです。

 自然エネルギーの活用を考えるときにも、電気へのこだわりを捨て、より効率のよい使い方を選択することが必要です。それには、現在の大規模集中型からコミュニティ型(小中規模分散型)へのエネルギーシステムの転換が必要になります。この転換は、海外や域外への経済的な依存を減らし、地域に雇用を生むことにもつながります。内外ですでにそうした取り組みは進んでいますし、自然条件に恵まれた北海道はエネルギー自立の可能性に満ちていると思います。

<経歴>

1956年 静岡県掛川市生まれ、1980年 東京大学農学部卒業、出版社に勤務の傍ら自然保護ボランティア活動に参加、1986 チェルノブイリ原発事故をきっかけにエネルギー問題・地球環境問題に関心を深める、1990 以後、自然環境教育や自然エネルギーの普及をテーマに活動、2011 東日本大震災後に福島第一原発事故による汚染に見舞われた福島県飯舘村民の支援活動、放射能汚染調査に携わる

<著書>

『エネルギーを選びなおす』(岩波新書)、『減電社会』(講談社)、『飯舘村 6000人が美しい村を追われた』(七つ森書館)、『コミュニティエネルギーの時代へ』(岩波書店)、『メダカが消える日 自然の再生を求めて』(岩波書店)、ほか多数。

今、あらためて検証しよう!

Posted by 秋山孝二
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 朝日新聞のスクープをきっかけに、マスメディアで福島原発事故「吉田調書」を巡って報道が始まり、9月中旬には政府も公開を決めたようです。それに先立ち、北海道新聞でも一面トップで記事となっています(http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/science/science/1-0043690.html)。「撤退」、「逃げた」といった言葉の問題よりも、私は事故現場、本社・官邸、原子力ムラ、マスメディアのギャップと癒着を検証したいですね、「原発安全神話」の愚を繰り返すことはもう出来ませんから。

 この調書のポイントはこちら――>http://www.hokkaido-np.co.jp/news/dogai/559967.html

 それとは別に、youtube上にも、2年前に原発事故報道の検証が大変興味深く行われていました。

 「徹底検証!~テレビは原発事故をどう伝えたか?(https://www.youtube.com/watch?v=RiDkLmTeCk0#t=9925」は、当時の報道を振り返りながら、実に多くの問題を私たちに提起してくれます。4時間弱ですが、忘れていた報道を振り返り、テレビに登場した「専門家」たちの呆れる発言を聞き、あらためて無責任構造を炙り出します。「情報が少なく判断が出来なかった」とすぐに弁解しそうな輩ですが、当時このようなコメントをした責任を重く受け止めて頂きたいと同時に、私たち日本国民はそれを免罪してはいけません。

 多くの皆さんには是非4時間じっくりご覧頂き、今後のマスメディアの検証にお役に立てて下さい。そして、「専門家」と言われる研究者たちが如何にいい加減な連中であり、それらを番組に登場させているマスメディアの体質も見極めておかなければ、今後の教訓と改革に役に立ちません。個々の人間の思考力が問われます。そして、その責任を問い続けなれば、将来に向けた展望が拓けません。

内容の概略~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2012/04/19 に公開

徹底検証!テレビは原発事故をどう伝えたか?

 福島原発事故から1年が経った。政府の事故調査委員会や民間事故調、国会事故調と、3­つの調査委員会によって、事故直後の東電や政府の対応が徐々に明らかになってきている­。では、その当時、果たしてテレビはどのような役割を果たしていたのか? 311直後のテレビを見続け、分析してきた研究者やジャーナリストらが徹底検証する。

ゲスト

* 伊藤守(早稲田大学メディアシティズンシップ研究所所長)

* 小田桐誠(放送批評懇談会/ジャーナリスト)

* 広河隆一(フォトジャーナリスト/DAYS JAPAN編集長)

司 会:白石草(OurPlanetTV)

徹底検証!テレビは原発事故をどう伝えたか?
Part1 緊急事態をどう伝えたか?
Part2 避難指示をどう伝えたか?
Part3 1号機爆発をどう伝えたか?
Part4 被曝リスクをどう伝えたか?

テレビは原発事故をどう伝えたのか (平凡社新書) 伊藤 守 http://www.amazon.co.jp/dp/4582856314…
NHK独り勝ちの功罪 (ベスト新書) 小田桐 誠 http://www.amazon.co.jp/dp/4584123594…
DAYS JAPAN (デイズ ジャパン) 増刊 検証原発事故報道~あの時伝えられたこと
http://www.amazon.co.jp/dp/B007FSZHDU…

制作:OurPlanetTV
http://www.ourplanet-tv.org

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~紹介 おわり

<幾つかのキーワード>

* 外国メディアと国内メディアの報道の落差、危機感・スピード感の違い、BBCの危機報道姿勢

* 映像と現実とのギャップ~意図的に平穏な時の映像を放映していた

* パニックを恐れて、結局は人命を軽んじている

* 直後より時間が経てば経つほどひどくなる報道

* 人々を人質にして原子力産業を守った

* NHKは「番組」としてばかりでなく、「ニュース」としてもっと速く、早く報道できなかったのか

* 反省の番組を一つも作らない日本のマスメディアの状況

* 研究者(地震、津波、原子力分野)、メディア、政府、自治体等、あらゆる領域で自己検証をしなければならない。どのような取材があったのか、どのように報道すべきだったのか等

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 当時、私はここのブログで今回の検証と同じような感想を述べています、今もその時の意見が間違っていなかったことを確信しています。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7807

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7922

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8003

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12165

* 「大地震で、今、感じること」シリーズで: http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%80%81%E4%BB%8A%E3%80%81%E6%84%9F%E3%81%98%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8

 日本の企業は、やはり現場力で今日の地位を築いてきたのですね。東京電力の本社の危機感の無さは、事故直後だけでなく、日頃の経営陣を覆う雰囲気だと思います。そして、3年後の今も、全国の電力会社の経営者たちは一体どれだけあの事故から学んだというのでしょうか。

 一度に4基の原発が爆発事故を起こしその対処に立ち向かっていた吉田所長を想像し、胸が熱くなります。

今、ホットな「北極海航路」

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 北海道経済同友会の例会で、「北極海航路」について二つの講演がありました。

* 北極海航路 (http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/167690.html

* ロシアの戦略 (http://jp.rbth.com/science/2014/06/30/48905.html

 以前にも例会については記載しています(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8359)。

川合、大塚氏のお話

川合紀章氏、大塚夏彦氏のお話

着々と進む拠点整備

着々と進む拠点整備

 ロシアにとっては多くの利権が絡む領域、いろいろと自国有利な展開を試みているようです、世界基準策定ほか、したたかな外交の中で経済的利益と権益を得るべく動きが急です。

 航行する船の仕様ほか、夏の期間のみの運航等、語られている以上に課題も山積しています。ただ、地球温暖化をビジネスチャンスに結び付けるその嗅覚みたいな貪欲さには驚きます。新しいビジネスには、リスクをどう、どこまで取るのか、難しい選択ですね。

日米協会国際シンポジウム、迫る

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 「第9回 日米協会国際シンポジウム 札幌・北海道大会(http://www.conventionsapporo.jp/j/nichibei/)」が、来月札幌で開催されますが、今、その受け入れ準備に地元の北海道日米協会(http://hjas.web.fc2.com/)と札幌国際プラザは大忙しです。今回のテーマは、「Towards New Partnership Age~新たなパートナーシップ時代に向けて~」です。

 これまで伊藤義郎会長を実行委員長として、このシンポジウムの準備作業が進んでいましたが、先月、東京の日米協会(http://www.ajstokyo.org/ajs_j/about_naajs-j.html)から渡辺隆専務がいらっしゃって、今回の開催趣旨・テーマについて、実行委員会、例会でお話になりました。

東京の日米協会専務理事の渡辺さん

東京から日米協会・渡辺隆専務理事も例会に参加

 実行委員会イベント部会で私もメンバーになっていますが、メインイベントの若者中心によるワークショップでは、130名を越える高校生・大学生・社会人が10程度のグループに分かれて、密度の濃いディスカッションを予定しています。先日、そのモデレーターの事前研修会を開催し、当日に向けた課題も見えてきましたが、大変前向きのやり取りに本番に向けた期待も大きく膨らみます。日米の新しい関係構築を、札幌に住むアメリカ人、日本人ばかりでなく、韓国、カナダの方々とも意見交換しようとする試みは、複眼的な議論を予感しワクワクします。

シンポジウム・ワークショップのコーディネーター事前研修:愛生舘サロン

(1) シンポジウム・ワークショップのコーディネーター事前研修 :愛生舘サロン

(2)30名を越える方々が参加

(2) 30名を越える方々が参加 :愛生舘サロン

 新しい時代の新しい関係構築は、同時に新しい担い手によって可能になる、そうですよね。「老兵は去るのみ」とは言いませんが、一歩退いた視点からこのディスカッションに関わって頂きたいな、そのための仕掛けについて、昨晩もイベント部会でいろいろ知恵を巡らせました、さて当日どんな企画になるのやら。ひょっとして、イベント部会メンバーは、サプライズで舞台での踊りとなるかも知れません?!

米国・科学アカデミーの報告書ほか

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 このところ続く大雨で、広島県ほか全国各地で土砂崩れの大きな被害が連日報道されています。「これまでなかった大量の雨」では済まされない、日本社会の「防災」の脆弱さが問われます。まだ続く捜索中に不謹慎な発言ですが、敢えて今後につながる学びとして、地盤が弱いというよりも、そのような地域にリスクも考えずに宅地造成・販売した人間社会の無防備な意識、10数年前の愛知県の洪水による住宅被害でも、昔からの家が建つ地域は被害が無く、新興住宅地域に犠牲者が多く出たことを思い出しました。

 今年も多い札幌市の「熊の出没ニュース」でも同様ですが、人間社会の生活と自然との折り合いの付け方に、どこか「傲慢さ」を感じる昨今です。

 「防災」についてあれこれと思いを巡らせながら、先月から気になっていた報道がありました。アメリカの科学アカデミーが、報告書をまとめて、福島第一原発の事故が深刻化した原因について、東京電力と当時の原子力安全・保安院が「津波に対する原子炉の設計が不十分だという証拠が集まっていたにもかかわらず、津波に対する対応をしなかった」と指摘したのです。津波によりほぼすべての電源が失われたことで冷却プールの温度が上昇し、被害が拡大したとしています。アメリカの当局や産業界は、この事故から電源の確保を徹底することや、万が一、電源を失った場合でも、原子炉の状況を把握する手段を確保することが重要だと提言しています。このアカデミーは米政府や米議会に独立の立場から科学技術政策を助言しています。

* http://www.at-s.com/news/detail/1117088243.html

* http://newsphere.jp/world-report/20140801-8/

 また、原発再稼働に関しても、海外メディアでは鋭い指摘が続いています。

* 「川内原発再稼働、海外メディアも報道 世論との距離指摘 」(7月16日 日本経済新聞) http://urx.nu/apr0

 日本のメディアが伝えないと言えば、少し時間が経ちますが、こちらの国会での演説も報道されませんでした。この格調の高さは、日頃の日本の政治の場面では見られない新鮮な感じです、残念ながらまるで別の場のようです。昔と違って、その気になればインターネットで誰でも触れられるニュースの数々、私たちは、「知らなかった」では済まされない情報へのアクセス環境にある現代を生きています。

* faceBookより 概略版 https://www.youtube.com/watch?v=2udKKREpIEQ

* この演説のフルバージョン https://www.youtube.com/watch?v=-h5CzvtJky8

 8月になると必ず決まってマスメディアをにぎわす「戦争体験者が減り、戦争の悲惨さが忘れられていく」みたいなフレーズは、忘れて欲しい側が意図的に使うもの、私たち戦後世代は「知らない」では免罪されません、「伝えていかなくては」、ですね、「戦争」、「自然災害」、「人的災害」も、です。その責任を今を生きる我々が次世代に対して負っている、そう考えるべきだと思うのです、「時代認識」とでも言うのでしょうか。

8月15日、NHKニュース・終戦特集

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 8月15日の終戦記念日、北海道神宮駐車場は台湾からの団体観光客で朝から大賑わいでした。私はよくこの駐車場を横切って地下鉄円山公園駅に行きますが、団体客はこちらの神宮駐車場にバスを止めて参道から本殿へ、家族・カップルの少人数で富裕層と思われる観光客は、地下鉄を利用して円山公園からゆっくり逆方向からゆるい坂の参道を登って本殿に向かっています。

北海道神宮の駐車場は中国からの観光客のバスでいっぱい

北海道神宮の駐車場は台湾・香港からと思われる観光客のバスでいっぱい

 夜6時10分からのNHK北海道のニュースでは、終戦特集として「遠友夜学校」が取り上げられていました。

NHK北海道午後6時ニュース:8.15特集で

NHK北海道午後6時ニュース:8.15特集で

山崎健作さん:戦時中

山崎健作さん:戦時中

8.12遠友再興塾のフォーラムでのご挨拶

8.12遠友再興塾のフォーラムでのご挨拶

 番組に終始登場された山崎健作さんは、私たち「一般社団法人 新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会(http://nitobe-enyu.org/」の当初からのメンバーです。

遠友夜学校フォーラム in 時計台(下)

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 フォーラムのメインイベントの講話は、北海道大学名誉教授、元北海道大学副学長、第54代北大応援団長、平成遠友夜学校創設者・校長の藤田正一先生でした。「一般社団法人 新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会(http://nitobe-enyu.org/」の理事・副会長でもあり、遠友夜学校記念館建設プロジェクトで私たちと一緒に活動をしています。

 新渡戸稲造、札幌農学校、遠友夜学校の理念を通じての思想・哲学を丁寧にご説明になり、今の北海道大学とのギャップほか、札幌市、札幌市民がこの歴史的価値を極めて粗末にしている現状に対して、鋭い視座から問題を提起されました。「歴史に学ぶ」、「歴史をつなぐ」とはどういうことか、まさに「学問ヨリ実行」の本質を受けとめた気がしています。

理念の継承

理念の継承

藤田先生のご講演より~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

< 札幌農学校の理念

* 矢内原忠雄・元東京大学総長の言葉より~~~~

 「明治の初年において、日本の大学教育には二つの大きな中心があって、一つは東京大学で、一つは札幌農学校でありました。この二つの学校が、日本の教育における国家主義と民主主義という二大思想の源流を作ったものです。」

 「・・・・日本の教育、少なくとも官学教育の二つの源流が東京と札幌から発しましたが、札幌から発したところの『人間を創る』というリベラルな教育が主流となることが出来ず、東京大学に発したところの国家主義、国体論、皇室中心主義等が、日本の教育の支配的指導理念を形成した。その極、ついに太平洋戦争を引き起こし、敗戦後、日本の教育を作り直すという段階に、今なっておりのであります。」

* 「Boys,Be Ambitious !」の本来の意味~~~~

 「金銭や私利私欲や、人が名声と呼ぶようなはかないものに対してではなく、知識や正義や人々の向上のために、そして、人としてあるべき究極の姿に到達できるよう、大志を抱け!」、「Be Gentleman !」

* 「国際性」、「平和主義」、「実証主義」、「現場主義」、「実学の重視」

< 新渡戸稲造の哲学 >

* 「人格主義教育」、「Liberal Arts」の原点

――> 「to do」 の前に 「to be」

――> 「専門センス」 より 「コモンセンス(常識・教養)」

「学問ヨリ実行」

――> 当時は立身出世のためには学問が必要であるという「学問のすゝめ」が流布されていたが、そんな功利的机上の学問よりも、徳を実行することの方が尊いという教え

< 遠友夜学校の理念 >

* 札幌農学校、新渡戸稲造の理念・哲学の実践した場としての遠友夜学校

* 50年間活動を支えた札幌の地

~ 今現在、札幌で活動している遠友関連の教育活動 ~

* 青空会(終戦直後) 山崎健作氏(遠友夜学校元生徒)

* 遠友市民大学(1972) 高倉新一郎(北大卒 遠友夜学校教師)

* 北星学園余市高校の転換(1988) 岩本孝一氏(北大卒)

* 札幌遠友塾 自主夜間中学 (1990) 工藤慶一氏(北大中退)

* フリースクール札幌自由が丘学園 (1990?) 亀貝一義氏(北大卒)

* クラーク講座(2002?) 山本玉樹氏(北大卒)

* 平成遠友夜学校(2005?) 藤田正一(北大卒)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 戦後は、その理念を継承しつつ、実に多様な活動へと発展していますが、肝心かなめの発祥の跡地「南4条東4丁目」が今の状態では、札幌市民の見識が疑われます。先月から初めて「札幌国際芸術祭」が開催されました。私は先日の「V-ネットフォーラム」でも、「この50年間札幌の地で培われた札幌オリジナルの歴史的実践を顧みずして、何が『国際芸術祭』か!」と発言致しました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=20738

 「Art」を狭い芸術・文化に留めるのではなく、まさに「Liberal arts」として幅広く捉えての札幌発の祭典としたいものです!

遠友夜学校フォーラム in 時計台(上)

Posted by 秋山孝二
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 札幌青空会・遠友再興塾準備会の共催による「遠友夜学校フォーラム」が時計台ホールで、150名の満席で開催されました。

レトロなチラシが素晴らしい!

レトロなチラシが素晴らしい!

遠友夜学校の理念、「学問ヨリ実行」、高貴な遺産が札幌にありました

遠友夜学校の理念、「学問ヨリ実行」、高貴な遺産が札幌にありました

 講話は、北海道大学名誉教授、元北海道大学副学長、第54代北大応援団長、平成遠友夜学校創設者・校長の藤田正一先生です。鋭い切り口から現代への問題提起をされました。脈々と流れる遠友夜学校の理念を大変分かりやすくお話して頂き、聴衆は最後まで集中して耳を傾けていました。

藤田正一先生のご講演: 豪速球の鋭い切り口

藤田正一先生のご講演: 豪速球の鋭い切り口

参加者全員で遠友夜学校の校歌合唱!
参加者全員で遠友夜学校の校歌合唱!

「遠友夜学校校歌」の作詞は有島武郎です~~~~~~~~~~

沢なすこの世の楽しみの 楽しき極みは何なるぞ 北斗を支ふる富を得て 黄金を数へん其時か

オー 否(いな) 否 否 楽しき極みはなほあらん。

剣はきらめき弾はとび かばねは山なし血は流る 戦のちまたのいさほしを 我身にあつめし其時か

オー 否 否 否 楽しき極みはなほあらん。

黄金をちりばめ玉をしく 高どのうてなはまばゆきに のぼりて貴き位やま 世にうらやまれん其時か

オー 否 否 否 楽しき極みはなほあらん。

楽しき極みはくれはどり あやめもたへなる衣手か やしほ味よきうま酒か 柱ふとしき家くらか

オー 否 否 否 楽しき極みはなほあらん。

正義と善とに身をさゝげ 欲をば捨てて一すぢに 行くべき路を勇ましく 真心のまゝに進みなば

アー 是れ 是れ 是れ 是れこそ楽しき極みなれ。

日毎の業にいそしみて 心にさそふる雲もなく 昔の聖 今の大人うし 友とぞなしていそしまば

アー 是れ 是れ 是れ 是れこそ楽しき極みなれ。

楽しからずや天の原 そら照る星のさやけさに 月の光の貴さに 心をさらすその時の

アー 是れ 是れ 是れ 是れこそ楽しき極みなれ。

そしらばそしれつゞれせし 衣をきるともゆがみせし 家にすむとも心根の 天にも地にも恥ぢざれば

アー 是れ 是れ 是れ 是れこそ楽しき極みなれ。

衣もやがて破るべし ゑひぬる程もつかの間よ 朽ちせでやまじ家倉も 唯我心かはらめや

アー 是れ 是れ 是れ 是れこそ楽しき極みなれ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 時計台の2階「時計台ホール」で歌われる「時計台の鐘(http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_b04c.html)」は「最高」、「再興」でした!

「アートV-net」が発進!

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 札幌交響楽団、PMF、演劇、オペラ、彫刻等の作品を応援する各種のボランティア活動団体が一堂に会して、数回の準備会を経て、先日、「ボランティアネットワーク、1回さっぽろアートボランティアフォーラム2014」を開催しました。題して、アートボランティア・ネットワークV-netによって広がるさっぽろです。7月19日から始まり9月28日までの日程で札幌市内各場所で初めて開催されている「札幌国際芸術祭(http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/」をきっかけに、このような芸術系ボランティア団体のプラットホーム形成の機運が高まりました。

 私は、「一般社団法人 新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会(http://nitobe-enyu.org/」代表理事としてパネリストの一人として登壇しました。

<プログラム> ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

○ アートボランティア・ネットワーク設立報告 西川吉武 (アートボランティア・ネットワーク代表)

○ 基調講演  閔鎭京 (教育大学准教授) 【アートボランティア・ネットワークによって広がるさっぽろ】

○ パネルディスカッション

~パネリスト~

梶井祥子 (大谷大学教授)(社会学、家族社会学)

秋山孝二 (一般社団法人新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会会長)

渡辺順子 (NPO法人コンカリーニョ/カリット理事兼カリット担当)

菅江武 (芸術の森野外美術館作品解説ボランティア代表)

西川吉武 (アートボランティア・ネットワーク代表)(札響くらぶ副会長)

○ 来賓ご挨拶

札幌市文化部長 川上佳津仁

札幌市国際芸術祭担当部長小田垣克彦

<参考>

* NPO法人コンカリーニョ http://www.concarino.or.jp/

* 芸術の森野外美術館 http://sapporo-art-museum.jp/

* 札響くらぶ http://sakkyoclub.net/sakkyoclub/


パネルディスカッション

パネルディスカッション:パネラーとして

<パネラーとしての私の骨子> ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

新渡戸稲造先生の足跡~~国際連盟事務次長

*国際知的協力委員会現在の「UNESCO」)創設者

*「オーランド裁定」で領土問題の解決

遠友夜学校は今年開校120周年

* アメリカ人からの遺贈による資金

* ボランティアの発祥

* 年齢、性別、人種、職業の隔てなし

* 「liberal arts」の原点

* 札幌農学校、北大の学生ほか600名以上のボランティア教師

* 在学者は数千名、正式卒業生が1,116名

* 双方の学び合いの場

この跡地(札幌市中央区南4条東4丁目)が刻む歴史的意義

* 地域住民が集い、語らい、議論し、学び、啓発し合える「場」

* 国際交流を促す活動の「場」

* liberal arts (リベラルアーツ)の「原点」

札幌市長はHPで言っています: 札幌国際芸術祭」「創造都市さっぽろ」&「UNESCO メディアアーツ都市」

“文化を軸とした他の加盟都市との新たな交流や、関連事業を通じた人材育成を図り、産業振興など札幌の活性化につなげていきます。”

札幌遠友夜学校 http://nitobe-enyu.org/

この50年間札幌の地で培われた札幌オリジナルの歴史的実践を顧みずして、何が「国際芸術祭」か!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ パネリストとしての骨子 おわり

札幌の各美術館ほか、モエレ沼等でも7月から芸術祭が始まっています。

道立近代美術館でも始まりました

道立近代美術館でも始まりました

 この札幌国際芸術祭(http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/」が、幾つかの課題を克服して、3年毎の「トリエンナーレ」として今後も札幌で定着することを期待したいですね。

館山 花火大会 in 2014

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 今年もまた、千葉県館山市北条海岸での花火大会でした。今年の写真、かなり色が悪いのですが、大きな理由として、花火が打ち上げられている時の海から浜へのゆっくりした風向きだと思います。開始後30分位すると、花火の煙が次第に浜辺に近づき、特に水中花火は海面から立ち昇る煙なので、まるで浜を覆う煙幕のような状態で砂浜の観客に押し寄せました、こんなのは初めてでしたね。

2012年――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=14007

2013年――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=17587

日中は海水浴の千葉県館山市北条海岸

日中は海水浴の千葉県館山市北条海岸

夜の花火大会:打ち上げ花火と水中花火のコラボレーション

夜の花火大会:打ち上げ花火と水中花火のコラボレーション

浜辺では

浜辺の特設ステージでは全国学生フラメンコフェスティバル出場の方々の踊りも

 今年も2日後本番の「全国学生フラメンコフェスティバル」出場の皆さんが浜辺の特設ステージで競演でした。背景で打ちあがる花火、遠くの海面で半円を描く水中花火とのコラボレーションは、絵になっていました。

全国大学フラメンコフェスティバル2014>はこちら

* http://www.city.tateyama.chiba.jp/syougaigaku/page100068.html

* http://clip.m-boso.net/event/20th-flamenco-fes2014/

非核のメッセージ 夏 2014

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 今年も8月がやってきました。昨今の日本の情勢を踏まえると、本当に重要な時期だと思います、一連の危険な流れを変えるのに躊躇は許されません。

* 広島平和宣言 http://bit.ly/1stPmiK

* 国連事務総長のメッセージ http://bit.ly/1tViIt1

* NHKスペシャル http://bit.ly/1qWywvp

* 長崎平和宣言 http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/appeal/

* こみ上げる怒りから http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014081090070715.html

<長崎平和宣言>からの引用~~~~~~~~~~~~~

 いまわが国では、集団的自衛権の議論を機に、「平和国家」としての安全保障のあり方についてさまざまな意見が交わされています。
 長崎は「ノーモア・ナガサキ」とともに、「ノーモア・ウォー」と叫び続けてきました。日本国憲法に込められた「戦争をしない」という誓いは、被爆国日本の原点であるとともに、被爆地長崎の原点でもあります。
 被爆者たちが自らの体験を語ることで伝え続けてきた、その平和の原点がいま揺らいでいるのではないか、という不安と懸念が、急ぐ議論の中で生まれています。日本政府にはこの不安と懸念の声に、真摯に向き合い、耳を傾けることを強く求めます。

 長崎では、若い世代が、核兵器について自分たちで考え、議論し、新しい活動を始めています。大学生たちは海外にネットワークを広げ始めました。高校生たちが国連に届けた核兵器廃絶を求める署名の数は、すでに100万人を超えました。
 その高校生たちの合言葉「ビリョクだけどムリョクじゃない」は、一人ひとりの人々の集まりである市民社会こそがもっとも大きな力の源泉だ、ということを私たちに思い起こさせてくれます。長崎はこれからも市民社会の一員として、仲間を増やし、NGOと連携し、目標を同じくする国々や国連と力を合わせて、核兵器のない世界の実現に向けて行動し続けます。世界の皆さん、次の世代に「核兵器のない世界」を引き継ぎましょう。

~~~~~~~~~~~~~~ 引用 おわり

歴史発見Vol.4 「帝國海軍」

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 「歴史発見」最新号(vol.4)「帝國海軍」特集号は、幅広い視点から日本海軍の姿を浮き彫りにしています。広告を見てすぐに買って読みました、知らなかったことも多く、興味深かったですね、零戦のパイロットが何を食べて操縦していたか等です。

 これまで、この欄に随分日本海軍のことについて書いています。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%B5%B7%E8%BB%8D

特集号の表紙

特集号の表紙

HPからの引用~~~~~~

 好評発売中の「歴史発見」最新号(vol.4)「帝國海軍」特集号では、帝国海軍将兵の日常生活や服装にもスポットを当てています。もともとイギリス海軍の水兵の服だったセーラー服がどのように日本海軍に導入され、さらには女学生の制服として広まったかを図説した「セーラー服物語」、海軍ではどのような弁当が食べられていたのかを実際に再現した写真とともに紹介する「再現!海軍の弁当」。さらには、ちょっとマニアックですが、帝国海軍の戦艦と潜水艦のトイレがどんなものだったのかを、イラストを使って再現した「海軍の厠(かわや)」など、盛りだくさんの内容で、彼らの日常に迫ります!(編集部)

~~~~~~~~ 引用 おわり

当時の海軍省の徴募ポスター

当時の海軍省の徴募ポスター

 読み進んでいくと、兵学校教育のページに、私のブログから写真が引用されていました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11740

父がの保管品から、兵学校当時の教科書です

父の保管品から、兵学校当時の教科書です

 兵学校の入学試験、それにしてもかなりの難問ですね。掲載してなかった物理、数学の問題も興味深々です。

 
 後半の「帝國海軍をめぐる新説・異説~太平洋戦争で日本が負けないシミュレーション:日本海軍の「回転ドア戦略」は面白かったですね。太平洋ではなくインド洋に注目して、戦略的に輸送路遮断により英国に圧力をかける仮説です。言い換えると、アメリカとの戦いではなく、英国・アメリカ軍との戦いに構図を変えていく戦略です。

 いずれにせよ、新鮮な視点からの海軍分析でした。下記のメッセージも載せておきます。

~~~~~~~~~~~

■ 歴史発見Vol.4 日本人なら知っておきたい帝國海軍(ご注文はこちらから)
http://rekishihakken.net/news/2074.html

~~~~~~~~~~~

あるヨーロッパ人のつぶやき

Posted by 秋山孝二
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 先日、あるヨーロッパの経営者とゆっくり食事をしながらお話をする機会がありました。今の国際金融情勢における日本の位置づけ、2011.3.11以降の日本社会の変化等、歯に衣を着せないというか、明快な表現でのお話は、実に興味深く新鮮でした。

 まずは、いきなり「日本人のほとんどは東日本大震災を忘れ掛けているのでしょうか?」と。来日以来、彼は多くの日本の経営者たちに、「福島原発事故ほか、東北の被災は大変でしたね」と問うと、ほぼ全員が「いやいや、もう大丈夫、日本全体としては何も心配はありませんよ」と言っていたと。「忘れている」と聞かれて、一瞬、私は「ウーん」と返す言葉に詰まりましたが、「それは、日本全体が被災した訳ではない、という意味なのだと思いますが」と、私は苦しい弁明。この辺りは日本人の曖昧な表現が「忘れているのか」との印象に映るのでしょうかね。

 曖昧とか誤解を受けると言えば、「風評被害」という言葉も危険な言葉ですね。福島の変わらぬ現状を語る多くの方々の発言が、「そんなこというと『風評被害』で多くの福島県民、日本国民が迷惑するからやめろ」みたいな論調を目にする時があります、口封じに通じる状態です。

 さらに、彼は原発事故の放射能に対する認識にも容赦ありませんでした。他の外国人からも聞いていましたが、ヨーロッパに住むビジネスマンたちは、会社からも家族からも日本への出張の際には、「長い滞在はしないように」と言われているそうです。そして、成田着の飛行機便では、福島県上空を迂回して着陸するルートを選択的に通っているとか。放射能への恐怖は、チェルノブイリを経験しているだけに、関係当局、国の発する情報への信頼は、かなり薄いのでしょう。自分たちで放射線量を測定するか、さもなくばその地域に近づかないことだと。出張中の日本の滞在ホテルでは、靴のそばに懐中電灯とヨウ素タブレットを置いて寝るようにと会社からの指示が出ているそうです。もちろん会社関係者の命を思っての措置なのでしょうが、そうとばかりは言えないようです、何の注意もしていなかったと会社の責任を後から問われることを回避するためだとも考えられます。

 以前に書きました、確かに3・11以降、会食をする機会が多々ありましたが、食事の付け合わせのシイタケ類はほぼ全員が食べずに残していますし、魚類もみずからはあまりオーダーしていない感じがしますね。日本人に比べて、格段に放射能汚染には敏感な気がします。というより、これが今の日本を見る世界の「常識」なのかも知れません。

 ヨーロッパの経営者の面白いのは、アメリカとの距離感ですね。湾岸戦争時でもいつでも、アメリカの大統領の発言には基本的には批判的ですし、金融政策に対してもきっちりした防衛策で迎え打つ姿勢があります。日本のように、まさに「隷属状態」とは真逆の自立した視点から、多くのことを学ぶことができます。

皮膚から感じる「再生力」

Posted by 秋山孝二
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 何故、急に左手なのか?

 つい10日ほど前に、自分の不注意でポットからの熱湯を左手に浴びました。沸騰してからほんの少し時間が経ってはいたのですが、すぐに流水で冷やし続け、その後仕事中はアイスノンをハンカチで包んでほぼ半日はその状態でした。直接アイスノンだと今度は凍傷になる危険性もありますので。水ぶくれとか心配しましたが、お陰さまでそんな展開も無く、次第に薄皮が捲れ出して、十日後の様子がこれです。

左手の火傷

左手の火傷

 敢えてこんな写真を載せたのは、大変な目にあったと言いたかったのではありません。毎日、時々刻々変化していく手の皮膚の状態が否応なく目に入り、何とも自分の体の再生能力に感動を覚えるのです。日を追うごとに回復するのはもちろんですが、朝と晩、飛行機の中、クーラーの効いている室内、屋外を歩いて汗をかいている時、いずれも表面の皮膚の状態が環境に対応するがごとく微妙に変わるのを、如実に感じている日々です、そう、いじらしいほど対応している。

 私には火傷には忘れ難い思い出があります。小学校5年生の時、理科の実験で試験管の水をアルコールランプで温める実験がありました。木製の試験管バサミで斜めに角度をつけながら、そこまでは教科書通りだったのですが、ゆっくり回転させることもなくじっと熱源の上に置いたままにしていると、1回、2回の沸騰の後に、いわゆる「突沸」で熱湯がドッと試験管から飛び出して、持っていた右手にかかったのです。見ていた先生もびっくりしてすぐに保健室へ行って手当をし、理科室に戻りました。痛みは取れてその後回復はしましたが、その時の火傷の跡は、今も右手の甲にうっすらと少しの「シミ」となって残っています。自分が中学校の理科教諭になり、理科の授業で実験する際に、真っ先に私はいつもこの「突沸」の注意をしていました。

 還暦を過ぎたからでしょうか、自分の体の所々の傷一つ一つに、振り返られる物語があることにふと気が付きます。幸い私には不幸な体の傷はありませんが、その時の状況、心境等がリアルに再現されるからなかなか根深いものがありますね。

 今回の自分の左手は、後1・2回「脱皮?」を繰り返して、元の状態に戻ることでしょう。それにしても、人間の「再生力」って、すごいものですね、あらためて感動します。

山田恭暉さんを偲ぶ会

Posted by 秋山孝二
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 「公益社団法人 福島原発行動隊(http://svcf.jp/」の代表だった山田恭暉さんを偲ぶ会が東京の憲政会館で開催され200名を越える方々のご参加がありました、それに先立って参議院議員会館では今後のSVCFの活動についての意見交換も行われました。山田さんについては以前にも書いています。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9664

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=14329

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=14955

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=20345

祭壇には日本酒

祭壇には日本酒

 この会の基本的スタンスは、以下の文面に明快に示されています。

~~~~~~~~~~~HP からの引用

福島原発行動隊の基本的な立場について

  一般社団法人福島原発行動隊(旧福島原発暴発阻止行動プロジェクト。以下「行動隊」と略記)は、福島第一原発事故の収束作業に当たる若い世代の放射能被曝を軽減するため、比較的被曝の害の少ない退役技術者・技能者を中心とする高齢者が、長年培った経験と能力を活用し、現場におもむいて行動することを目的として発足しました。

  行動隊は自発的参加者によって構成され、その組織原理は自由な諸個人の結合です。したがって各人の思想、信条、あるいは心情はいっさい問いません。その原則は原発の是非についても同じであり、行動隊内には脱原発論者も原発維持論者もおられます。この多様な構成員を結びつける唯一の絆が、原発事故の収束という大目的です。

 
  行動隊の諸個人が、隊外において自己の信条に基づいて活動することはもちろん、隊内において心情を吐露することもまったく自由です。しかし一般社団法人(近い将来に公益社団法人へ移行する)福島原発行動隊としての発意や行動は、定款に定めた目的および事業に沿うものでなければならず、個々の意見はそのままでは公式の見解になりえません。

  この目的および事業を達成するための具体的行動へと一歩でも近づくため、いま行動隊は政府および東電にいくつかの重要な提言をしています。それを貫徹するには従来の原子力管理体制の大変革が必要であり、かなり長い道のりになるものと思われますが、状況に応じてさまざまな課題に対処する行動隊内の組織整備も現段階の急務となっています。

  いまや約二千名に達する行動隊員・賛助会員は人材の宝庫であり、すでに多くの方々が部署に就き、それぞれの知恵と力を発揮しておられます。これをさらに幾層倍にも拡充し、行動隊の社会的認知を不動のものにして、原発事故の収束作業に携わるという本来の目的を一日も早く実現することが、発足以来そろそろ半年を迎える行動隊の仕事です。

  そう、これは「仕事」であり、本来の目的も仕事をすることです。それを支えるモチベーションは個々人の思想・信条・心情であるにせよ、行動隊の目的および事業はプラグマティックに進めるほかはなく、そこではポリティクスもイデオロギーも無用であり、それは個々人の胸に大切な駆動力として収めておくべきものでしょう。

  行動隊の結成を呼びかけた人びとも、それに呼応した人びとも、全員がそれぞれの想い、長い人生が醸成した種々の物語を抱懐しており、それをお互いに尊重しながら、ひとつの目的に結集し、各自の持てる積年の能力を駆使して未曾有の災厄に立ち向かうこと。これが福島原発行動隊、みるべきものはみてきた老人集団の基本的な立場です。

 2011年9月9日 〔文責〕一般社団法人福島原発行動隊理事 平井吉夫

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用 おわり

 駆けつけた皆さんのご挨拶は素晴らしかったです、覚悟を踏まえた自らの活動報告です。

 まずは、村田光平(http://kurionet.web.fc2.com/murata.html)さんです。

元スイス大使・村田光平(みつへい)さんもご挨拶

元スイス大使・村田光平(みつへい)さんもご挨拶

60年安保全学連の初代委員長

60年安保全学連の初代(?)委員長

最初からの応援者・牧山弘恵参議院議員

最初からの応援者・牧山弘恵参議院議員

 

2年前に山田恭暉さんを札幌にお招きして講演会を開催しました。淡々と語る姿に、理論・評論ではない現実的な対処に身を捧げようとする覚悟を感じました。今、思い起こせば、自らの体調も承知の上での活動だったのでしょうね。
「世代の責任、世代の力」と題して、札幌で講演した時の様子
http://www.ustream.tv/channel/%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%83%
心からご冥福をお祈り申し上げます。

あるセリフ、映画「野のなななのか」

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 北海道・芦別を舞台にした映画「野のなななのか(http://www.nononanananoka.com/」については、5月にここに書きました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=19951

  大林宣彦監督のこの映画への意気込みはこちらでも読み取れます(http://www.nononanananoka.com/message.html)。

 映画全体についてはさておき、私は5月にこの映画を観て、実はずっと気になっていたことがありました。ご覧になった方はお分かりでしょうが、後半部に、草原で鈴木冬樹、鈴木春彦兄弟が語る場面です。北海道・泊原発に勤務する弟の春彦(松重豊)が、これからの自分の人生について語ります、「北海道には『エネルギーチェンジ100プロジェクト』という活動があり、自分は泊原子力発電所の仕事を辞めてこの活動に参加しようと思う」、そう兄・冬樹につぶやくのです。

 私は、思わず「エネルギーチェンジ100プロジェクト(http://www.enechan100.com/?page_id=174)!」と一人繰り返してしまいました。何故なら、私自身、「認定NPO法人北海道市民環境ネットワーク(http://www.kitanet.org/」理事長として、この活動の発起人の一人であり、今年から「エネルギーチェンジ100ネットワーク(http://enechan100.blogspot.jp/」として独立した活動団体としてバージョンアップしていましたので。

 上映後から、このセリフのよって来たる所以を調べてみようと関係の方にあたってみたところ、このたび全て分かりました。

 まずは、この映画の原作者、演劇関係の劇団「弘前劇場(http://www.hirogeki.co.jp/主宰の長谷川孝治さんにお会いする機会が今月あってお聞きしたところ、この部分は彼の原作にはなく、大林監督が強く要望したとのことです。余談ですが私は以前からこの劇団のファンで、札幌劇場祭でもたびたび上演されていて大賞他も受賞されています。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=17165

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=15633

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=15224

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11060

 そこで次に、この映画の制作委員会(http://blog.goo.ne.jp/nanananoka)メンバーで、地元で熱心に活動している「一の薬局(http://byoin.me/pharmacy/147440549/)」石川睦子社長にお電話で伺ってみました。調剤薬局の経営で地域の医療・健康に永年ご尽力されている石川先生には、私はお亡くなりになった石川博識先生とともに幼い頃からお世話になり、また商売上は秋山愛生舘、今の医薬品卸「スズケン」としても大変ご愛顧頂いてます。石川先生はいつものお元気なお声で、セリフは確かに自分の記憶にあるけれど、誰が大林監督にアドバイスしたかは、恐らく芦別で学芸員をやっているハセヤマさんが知っていると思うのですぐに連絡してみます、とのご返事でした。ハセヤマさんのお名前をお聞きしてアレッと気になって私は電話を終えて確認してみましたら、芦別市役所(http://www.city.ashibetsu.hokkaido.jp/)の長谷山隆博さんで、昨年の秋山財団と前田一歩園財団との合同報告会において、15番目に活動報告をされた方でもあります。秋山財団の宮原広幸常務理事(芦別出身)の高校の後輩になり、以前からお名前を承知していました。

* 昨年の合同報告会の様子――>  http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=17201

 翌日、石川社長、長谷山さんから相前後してご連絡を頂き、このセリフの情報提供者が分かりました。今回の発信源である制作委員会事務局で活動され、旭川市役所所属、現在釜石でお仕事中の酒井智則(http://d.hatena.ne.jp/haruka_nostalgie/)さんです。

 大林監督が脚本を作られる時に、泊原発の将来の方向性や、登場人物(春彦)が原発を退職したあとの選択肢を考えたいとのことで、酒井さんが集めた資料の中にこのプロジェクトがありました(インターネットで見つけたそうです)。酒井さんは、「できあがった脚本の中に、プロジェクトの名前がそのまま使われていたのでちょっとびっくりしましたが、多くの方に伝わる良いきっかけになりましたね」と、FBを通じてご連絡を頂きました。

 そして、この間私と一緒にずっとこの「セリフ」を追いかけてきた「エネルギーチェンジ100ネットワーク」代表・宮本尚さんは、今、語っています。

~~~~~~~~~ 宮本尚さんのコメントから

  名前を出していただいたのも光栄ですが、こうして私がとても喜んでいる理由は、北海道の「未来」のために変わっていこう!という登場人物の選択として、取り上げられたことなんです。全国のみなさん、ぜひ映画「野のなななのか」を見てくださいね。
映画の中のセリフだけ聞くと、架空のプロジェクトに感じるかも。

  実際「北海道エネルギーチェンジ100プロジェクト」で、具体的に、発電所をつくってる、とか、そういう組織ではありません。でも、今年5月に立ち上がった新団体北海道エネルギーチェンジ100ネットワーク」には、地域で自然エネルギーをつくり出している方、省エネルギーの活動で成果をあげている方、環境保全に関する活動をしている方、教育に関わっている方など、いろんな分野で実績をあげてきている方が参画してくださっていて、どんどんネットワークが拡がってきています。みなさま、応援お願いします。会員も募集中です!

「北海道エネルギーチェンジ100ネットワーク」 http://enechan100.blogspot.jp/

~~~~~~~ 引用 おわり

 これまでのリアルな繋がりをたぐり寄せて、今回の「『セリフ』のよって来たる所以」調査(?)は、思わぬネットワークの再確認となりました。一本の映画の一つの「セリフ」がこんなにも多くの方々の関係性を背景としていること、そして、私自身のこれまでの人生の積み重ねとも言えて、大きな感動を覚えるのです。今回関係した皆さん、お問い合わせをするとすぐに連絡を取って頂いて、空間を稲妻が走るがごとくアッという間に情報がつながっていく、そんな「凄さ」を感じました。

 ネットワーキングのスピード、それは個々の活動の「ホンモノらしさ」に比例するのでしょうね、久しぶりのワクワク感でした!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

<追記:2014.12.13>

 実は、上記のブログを書いてから、縁あって大林宣彦監督の娘さん・大林千茱萸(ちぐみ)さんとお会いする機会があり、そこでさらにこのセリフに至った詳細を伺いました。映画のセリフに入れる場合は、大変慎重な言葉の吟味・検証を行うそうです。特に活動の場合は、代表者の信頼性、活動の公開性、今後の継続性・可能性等です。今回の場合、その辺りを念入りに千茱萸さんのご主人がかなり時間を掛けて行っての結果とのことでした。映画はまさに、大変多くの方々のご尽力でできあがるのですね。そんな厳しい検証をパスしたこの「北海道エネルギーチェンジ100ネットワーク」に関わる者として、嬉しくもあり、誇りにも感じます。

野茂英雄、伝説のパイオニア

Posted by 秋山孝二
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 昨今、アメリカ大リーグで活躍する野球選手の話題も途切れることがありません。何故か夏になると、私は「野茂英雄(https://www.nomo-radiant.jp/)」選手の存在を思い出します、前回もそうでした。私にとっては、やはりパイオニアとして燦然と輝く存在です。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=17591

 オールスター戦を迎えて、こちらのコラムも面白いですね。

http://www.asahi.com/and_M/interest/SDI2014072213091.html?iref=com_fbox_u01

 199年代、日本中が野茂の一挙手一投足に注目しました。当時の近鉄を退団し、日本を飛び出した彼は、ロサンゼルス・ドジャースと980万円でマイナー契約、そこからメジャーという頂上を目指す、今とは格段に違った文字通りの“挑戦”でした。その姿に勇気もらったアメリカで仕事をしている多くのビジネスマンにもお会いしました。

このコラムにもあります~~~~~一部コピー

その前年、メジャーは労使関係が悪化し、ストライキに突入。ワールドシリーズが戦後初めて中止になるなど、「暗黒の時代」だった。野茂は、そんなよどんだ空気を一掃するほど、強烈な光を放った。まだ日本人の実力がメジャーで認知されていなかったころ、体を大きくひねる個性的な投球フォームは「トルネード(竜巻)投法」と呼ばれ、そこから繰り出されるフォークボールで屈強なメジャーリーガーから次々と三振を奪うシーンは爽快だった。

~~~~~~~コピー おわり