学生教育ツール、「パンデミックドリル」

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 秋山財団の評議員には、様々な分野で活躍する方に就任して頂いています。秋山健一氏は、東北大学医学部を卒業後、呼吸器内科の臨床医を経て、現在日本医科大学で教えていますが、医療経済・病院管理等で著書もありhttp://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAU10346/、つい最近は、「パンデミックドリル」で注目を集めています。

 パンデミックドリルとは,米国ピッツバーグ大学メディカルセンターで4年前から実施されている新型インフルエンザ対策演習のことです。パンデミック下では,多数の患者さんが病院に押し寄せるだけでなく,医療従事者自身が患者になることも想定されます。そのため,学生のうちから危機発生時の対処法を理解させることが目的となっています。

http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02866_05

 日本ではこういった現場で即役に立つ実践的教育・実習が不足しているのではないでしょうか。政策として「水際だ」とか、「基準がどう」とか、「危機管理」と同時に、「クライシス管理」の重要性ももっと議論されてしかるべきだと思います。メディアも大騒ぎかと思うとのど元過ぎればすぐに別の話題と移ろい易く、底の浅いメッセージしか提供出来ていませんね。

 冷静なこの「パンでミックドリル」のような実習を経て、現場で活躍する医師を育てて頂きたいものです。

「密約」調査発表に思う

Posted by 秋山孝二
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  今年1年、他の3名の方々と「北海道新聞・新聞評」をするように言われました。4名でそれぞれ一カ月を受け持ち、年3回紙面上に「新聞評」が掲載されます。今年の初回は私の担当で、2月に掲載されましたが、その末尾に以下のように書きました。

・・・未来は予測するものではなく創り出すものであり、激変期にありながら「従来型」の視座に固執では感動はない。特に「東アジア共同体」構想の国際社会での意味、4つの密約等について、編集には座標軸と原点を示す「覚悟」と「勇気」を期待したい。・・・・ 

  先日、以前から約束されていた外務省の有識者報告書が発表されました。昨年9月の外務省内部調査報告書、及び今回の報告は次のとおりとなっています。http://www.nikkei.co.jp/topic/100309_a.html

新聞各紙1面トップで

新聞各紙1面トップで

 大きく分けると「核持ち込み」と「お金の動き」に関する密約だと思います。新聞は10日の報道で大きく取り上げる以外は、この件の認識を敢えて過小評価しようとしているのか、或いは余りに重大な事実の判明に苦慮して扱いに時間が必要なのか、連なる報道が続いているとは思いません。

 メディアはどうあれ、戦後を生きてきた私を含む世代としては、今回の件は決して見逃すことが出来ない事実であり、一国民として歴史の転換点との認識から、新しい日米関係(決して反米・嫌米になるという意味ではなく)構築に向けた議論をしっかり始めること、そして日本国においてある時間を置いて外交情報等を公開する義務を課する、言い換えるとその間は機密を義務付ける「機密保護法」の早急な制定を感じます。

 残念がら昨年お亡くなりになりました江畑謙介さん著「情報と国家http://d.hatena.ne.jp/kurohige-ossadot/20090709/1247129572」に、「機密保護法」の必要性が提起されています。235・236ページに明確に記載されている通りだと思います。当事者に情報の秘密指定の選択をさせてはならなく、まずは「公開ありき」の原則を貫くべきでしょう。その中で、誰にどこまで公開してよいかが規定されるので、それに準拠される限り情報を公開した者の責任は問われない、そんな概念です。今の日本では、先進国の中では特異的にこの種の法律が存在しなく、幾つかの職種にのみ立場上知り得た機密保持が義務付けられているので、どうしても自分の責任が問われないようにと、まずは「秘密ありき」となってしまうのでしょう。情報の機密・公開を、個人の職種・判断に任せては同じことが何回も起きてしまいます。そうさせない制度・法律等の「装置」が必要だと思います。

もうお一人、「世界平和アピール七人委員会」の委員、池田香代子さんのブログ(http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51362122.html)では、市民の意識改革として新鮮な視点からの提言です。一昨年札幌にいらっしゃった時にしばしお話を致しましたが、彼女の無理のない眼差しは、札幌西高生、翌日の市民400名参加のパネルディスカッションでも新鮮でした。http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=88

 歴史の転換点を見逃さない、大事なポイントで思考停止にならない、新しい政権で是非新しい歴史の方向性を示すべく、一市民からも声を出し続けたいと思いますね。

栃木県益子では・・・

Posted by 秋山孝二
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 私が常務理事を務めるタオ財団(http://wagnernandor.com/indexj.htm)の定例理事会・評議員会が、ギャラリーのある栃木県益子町で開催されました。この欄でも何回かご紹介したワグナー・ナンドール(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=67)の作品を保全・公開を主活動とした財団です。今、「公益財団法人」格取得に向けて準備を進めています。

共販センター横の小道を上っていくと玄関です

共販センター横の小道を上っていくと玄関です

 

庭に展示される作品の数々

庭に展示される作品の数々

  益子焼の共販センター(http://www.mashikoyakikyouhan.jp/)入口です。

タヌキです

特大のタヌキ

 一方JR宇都宮駅前には「餃子像」他の石像も設置されています。

ガマと餃子像

ガマと餃子像

今西祐一さん、逝く

Posted by 秋山孝二
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  まさに突然の訃報でした。9日にケープタウン・ヨハネスバーグ・香港と飛行機を乗り継いで香港空港に到着して、空港搭乗口ロビーでパソコンメールを確認したら、(株)スズケン執行役員・愛生舘営業部長の今西祐一さんが急逝されたとの報でした。札幌で昨日お通夜、本日告別式があり、私は弔辞を述べさせて頂きました。

花で飾られた美しい祭壇でした

花で飾られた美しい祭壇でした

 

「弔辞

  株式会社スズケン執行役員・愛生舘営業部長今西祐一さまのご霊前に、謹んでお別れの言葉を申し上げます。

昨年末、愛生舘営業部の方から今西さんがご入院中とお聞きしており、新しい年にはご回復して少しでも早い現場復帰をと、お祈り申し上げていました。三日前の朝、私はアフリカからの帰国途中、香港国際空港でメールを確認して今西さんの突然のご逝去を知り、しばし呆然としてその場に座り込みました。

平成十七年七月に愛生舘営業部長として着任してすぐに、大変明るいご性格でリーダーとしての風格を漂わせながら、早々に秋山財団にご挨拶にお越し頂いた時のことは忘れることができません。まだ着任間もないにもかかわらず、「北の大地・北海道」をこよなく愛するお言葉の数々に、私自身この地域のスズケンの営業活動に一層の期待を寄せた次第です。以来、秋山財団の活動にも大変深いご理解をお示し頂き、昨年九月の講演会・贈呈式開催に際しても、道内の支店長全員のご出席を促して、お陰さまで成功裡に終了することが出来ました。

また平成十八年一月の私の父の葬儀では、ご多忙の中、株式会社スズケン及び関係グループの社員を代表して弔辞を読んで頂き、大変感銘を受けました。心から感謝申し上げます。

それ程回数は多くはありませんでしたが、故郷土佐のお話も伺った気がします。昨年五月、私も所属する北海道経済同友会がホスト役で、年一回の全国会議が札幌で開催され、約九〇〇名の方々が参加されました。その少し前に今西さんにお会いした時、「来年は土佐経済同友会がホストで四月に開催予定です」とお話を致しました。その会議もいよいよ来月に迫り、私は近いうちに土佐のお話をあらかじめ詳しくお伺いしようと思っていた矢先のご逝去でした。四月に訪問する時は、今西さんの育った土佐の地を、一層の思いを込めて肌で感じて参ります。

北海道で活動する愛生舘営業部の社員を、ある時は深い愛情をもって励まし、ある時は厳しいリーダーとして指導されていた今西さん、あなたの部下たちは、その志をしっかり個々で受け止めて、これからの社業に貢献すべく努力してくれることを私は確信しています。

 一昨日ご自宅に参りました時、奥様・お子様からご家庭での今西さんが、会社と同じご様子であったと伺い、あらためて生前のお姿を思い出して胸が詰まる思いでした。残されたご家族に対して、これまで今西さんにお世話になった愛生舘営業部で働く人々、そして秋山財団関係者は、少しでもそのご恩に報いるためにもお力になることをお誓い申し上げます。

 今西祐一さまの生前のご尽力に対し、深く感謝の念をささげてご冥福をお祈り申し上げます。

 どうか安らかにお眠り下さい。

 

 

平成二十二年三月十二日

 公益財団法人

秋山記念生命科学振興財団

理事長 秋山孝二     」

 

今西祐一さんのご冥福をお祈りすると同時に、残されたご家族のご健勝を祈念致します。

 

 

旅を終えて、思うこと

Posted by 秋山孝二
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 ケープタウンから20時間以上飛行機を乗り継いで、昨晩遅く札幌の自宅に戻りました。今回のこの旅行では、帯広畜産大学マラウィ・プロジェクトチーム、小疇(こあぜ)浩先生、手塚雅文先生、河合正人先生、谷昌幸先生、現地コーディネーターの大山美砂子先生、教育研究部の牧孝幸さん、高橋真紀さんとお二人の学生さん、JICAマラウィ事務所の齊藤大輔さんには大変お世話になりました。

 そして同行ツアーのアースカフェ・チームとして旅行に参加した、(株)リープスの鈴木善人社長http://www.leaps.jp/、オグデザインオフィスの小椋代表http://tetsuya4444.com/(株)バイオマスソリューションの藤本達也社長http://twitter.com/tatsuya_fmにも多くのことを教えていただき、心から感謝致します。 

左から鈴木さん、小椋さん、私、藤本さん

ケープポイント近くで、左から鈴木さん、小椋さん、私、藤本さん

  良き仲間に恵まれたというか、各人のブログを見ても分かる通り、みなそれぞれ独自の立場から今回のアフリカをコメントしていて、自分にとっても大変勉強になりました。プランタイヤ最後の夕食で、18人の中で私が最年長参加者だと初めて知った時は、少々衝撃でしたね。10数年前まではどこの集まりでも「最年少」参加者だったのにーー。役回りで参加したのではなく、それぞれご自分のフィールドでの課題と興味をお持ちだったので、食事の時、待合時間での意見交換が本当に面白かったです、すべて出来ない理由の言い合いではなく前向きの話でした。

 ほんの一例としては、「出口(EXIT)戦略の重要性」。これは経営の話ではなく、食べ物の話であることを身をもって体験した方がいます。要するに口にした時に辛いとか辛くないばかりではなく、それ以上に出るときに刺激が自らの体が受け止られる範囲かどうかを予め考えることが大切という意味です(文字にすると大変難しく感じられますが・・・)。

 これからのそれぞれの活動に実に沢山のヒントを得ました。これまで「アースカフェ:http://www.akiyama-foundation.org/network/tema04.html」で、活動を積み重ねてきたその中から、いよいよネットワーク形成へのステージへと進化・発展する気配です。要するに結論を言えば、あらゆる活動は「担い手の育成」につきるのです。 

 もう一つだけ旅行中に感じたことを書き留めておきます、日本という国の「地盤沈下」。

 私が1971年に北アメリカ大陸を一人旅をしていた当時、日本は「エコノミックアニマル」と揶揄されて、ラジオ・カメラ等優れた商品を世界で販売しているけれど、まだまだ国際社会では2流扱いでした。それが80年代にエズラ・ヴォーゲル先生の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が世に出されてから一躍世界舞台にのし上がり、GDP世界2位として自他ともに上りつめていきました。

 今回札幌からマラウィまでの道のり、新千歳・羽田・成田・香港・ヨハネスバーグ・マラウィ(プランタイル)・ケープタウンの各空港の機能・設備を体感しても、日本国内の顧客不在は余りにも明らかでした。そして活動の担い手としても圧倒的中国人(中国語圏の人々)、英語圏としてのインド人等、アジアの中の日本人の存在の薄さを痛感します。そんな思いの私にとっては、やっと辿り着いた喜望峰に建つ「各都市への距離表示」はダメ押しでしたね。日本の都市が一つも入っていませんでした。「いや、地盤沈下ではなくもともとなかったのではないか」との指摘もあるかもしれませんが、そうだとしても日本の存在感の無さは否めません。

各都市までの距離表示

各都市までの距離表示

 最近、企業でも大学でも、海外で活躍したいという人材が減ってきていると聞いています。商社等でも今の若い世代は外国に行きたがらないというではありませんか。これから人口が減っていく日本社会、何とかこの辺で存在感の向上を、軍事力ではない国際貢献・安全保障として、食・農分野、環境分野で果たすことこそ「成長戦略」だと信じて疑いません。

ケープタウン、想像を超える迫力!

Posted by 秋山孝二
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  ケープタウンで、朝から一生懸命に観光をしました。最高気温は33度を超える暑さでした。

テーブルロックの最先端です

テーブルマウンテンの最先端です

Simon's Townのアフリカペンギン

Simon's Townのアフリカペンギンです

半島最先端を背に、右にインド洋・左に大西洋

半島最先端を背に、右にインド洋・左に大西洋

アフリカ大陸・最西南端

アフリカ大陸・最西南端

テーブルマウンテン最後尾から

テーブルマウンテン最後尾・北方面を望む

最も古いワインセラー玄関

最も古いワインセラー玄関

ウォーターフロントに賑わい

ウォーターフロントの賑わい

 とにかく大変な観光地です。半島と言っても大変奥深く、歴史上の人物に対するコメントもあります。

マラウィ編(6)、支援活動に感動!

Posted by 秋山孝二
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 マラウィでの帯広畜産大学チームの技術支援活動(http://www.obihiro.ac.jp/project/intcollabo/index.html)とほんのひと時同行して、大変密度の濃いメッセージの数々を受け取りました。昨日午後プランタイヤ空港から週2回の便で南アフリカ・ヨハネスバーグを経由して、夜ケープタウンに到着しました。それぞれ2時間程度のフライトです。

 現場感覚と言えば、高さと関係する気温・湿度とは別に、赤道に近いことを痛感するのは太陽の角度でしょうか。

ほぼ真上からの昼時の太陽

ほぼ真上からの昼時の太陽

 

 空港では限られた本数の飛行機便を見学に、多くの地元の人たちが時間前から空港バルコニーにやってきています。これも懐かしいですね、幼い時、千歳空港で当時のアメリカ軍千歳基地(クマベース)MPの門番からパスを貰って空港ビルに行ったこと、少し時代が過ぎて羽田空港でDC8機を初めて見た感動等、飛行機・飛行場の思い出も尽きないです。着陸する飛行機から降りて来る人たちへの興味、離陸する飛行機に子供心に託す「夢」に似た高揚感、昨日空港に来ていた子供たちも、私と同じような思いだったのかも知れません。

2階バルコニーで、この後更にたくさんの地元の人であふれました

2階バルコニーで、この後更にたくさんの地元の人であふれました

 

 日本の大学の国際貢献の現場を、今回つぶさに自分の目で見ることが出来ました。気負うことなく、しかしながら本当に感動する先生・学生達の情熱に、地元の人たち、地域に向ける眼差しの重要性を感じました。今の日本から見ると毎日の通勤等、生活を始め何かとご苦労も多い中、しっかり地域に根差した継続的活動をされている今回の帯広畜産大学の皆さんのご活躍を祈念しています。北海道で再会して、もっともっとお話を伺い、何か地に着いたプロジェクトを起こしていきたいですね。

 この度は大変お世話になりました、心から感謝致します。

マラウィ編(5)、現場の説得力

Posted by 秋山孝二
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 とにかく沢山のメッセージが詰まっていて、時間限定のインターネット環境ではなかなか表現しきれません。またまた、同行しているセミプロカメラマン・Oさんのブログhttp://tetsuya4444.com/で詳細報告されていますので、そちらにもアクセスしてみてください。

丈の高さだけではない、幹の太さ等も大切です

丈の高さだけではない、幹の太さ等も大切です:適量な肥料の重要性

村人の新しい試みを支援

村人の新しい試みを支援

プランタイル北東の山から:眺望

プランタイル北東の山から:眺望

プランタイルから北200キロ・世界遺産マラウィ湖畔

プランタイルから北200キロ・世界遺産マラウィ湖畔

 

 子供たちの写真、あの写真の見出しはどうにでもつけられるのだと思いますね。「貧しさに苦しむ(?)裸足の子供たち」、「今日の食物に追われる生活(?)」、「スコールの中でも外で(?)」etc・・・・。でも、現場から確かに発信されるメッセージは、そんなネガティブなものではありません。あの明るい表情、目の力、家族単位と思われる確かな絆、地域に生きる人々の「確かな暮らし」を感じます。何なのでしょうか、この力強さと明るさは。あの目線でじっと見つめられると思わず目をそらす自分に気がつきます。

 マラウィ湖までの約200キロの道中、上り坂・下り坂を大きな荷物を運ぶ人々、自転車で行きかう人々、どの位歩いてこれから先更にどの位歩き続けるのか、車窓から見る私には気の遠くなるような暮らしぶりですが、道路沿いの露天市場も確かに聞こえる息遣いは、私自身を圧倒します。

 しばらく自分自身の内圧を高めてみたいと思います、今日午後マラウィ・プランタイルを発ち、南ア・ヨハネスバーグ経由でケープタウンに向かいます。インターネット環境の改善を願いながら・・・・。

マラウィ編(4)、現場の説得力

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トウモロコシ実験農場で

トウモロコシ(メイズ)実験農場で

村の子供たち

村の子供たち

 

どんどんやってくる子供たち

どんどんやってくる子供たち

強い目線の力

強い目線の力

遠くに望むアフリカ最高峰の山並み

遠くに望むアフリカ最高峰の山並み

マラウィ編(3)、現場の説得力

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 昨日は、帯広畜産大学の技術支援チームと同行しました。政府の農業政策機構の現地出先機関幹部への表敬訪問、農業技術試験場、現地の村、地元市場等、現場中心に大変密度の濃い一日を過ごしました。スコールもやってきて、滝のような雨も目の当たりにしました。写真ばかりとなりますが、最も説得力がありますので掲載します。

農業政策当局幹部・表敬訪問

農業政策当局幹部・表敬訪問

農業技術試験場・正面玄関

農業技術試験場・正面玄関

激しいスコール

激しいスコール

マラウィ編(2)、インターネット環境他

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 ここまでは順調に来ていて、メール環境も何とか確保出来ています。ただ私自身のeーメールは受信は全て読めていますが、発信メールが全てエラーとなっていて、現在フン詰まり状態です。頂いたメールへの返信は数日滞るかもしれませんが、宜しくお願いします。

 Oさんのブログhttp://tetsuya4444.com/で紹介があるように、まずはプランタイルでの初日を市内のごく限られた地域を徘徊(?)して見ました。空港も高地で、車で30分くらいの町中もそれほどの高低差がないので、あらかじめ聞かなければ「高地」の認識もありません。今日・明日は低い土地へも行くようですから、また違った印象かもしれませんね。

 昨日はマラウィの祭日でした。それにしても休日に出ているマチに居る沢山の人々の風景が、何となく懐かしいです。昭和30年代前半みたいな雰囲気をかもしだしているので不思議です。たむろする子供を含めた若い連中、道路の両脇をとにかく歩いている沢山の人の姿がそんな風情を感じさせるのかも知れません。マチだからでしょうか、身につけている服装が小奇麗で清潔そう、色も大胆でオシャレです。郊外に行くとかなり違う様子とも昨晩聞きました。地元スーパーにも、基本的食料は十分ありますし、贅沢な感じではありませんが暮らしには困っている様子ではありません。ただ、まだまだ初日の極めて限られた印象ではあります。

 今日はどんな光景に出会えるのか、ワクワク感は素晴らしいです。

マラウィ編(1)、無事着きました!

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 今日午後に、札幌から21時間以上飛行機に乗って、無事アフリカ・マラウィのプランタイヤに到着しました。南緯15度くらいででょうか、ただ1200メートルの高地なので、思ったより気温は高くありませんね。

 市内中心部は大変整然とした街並みです。

日本のODAで出来た道

日本のODAで出来た道

 今回一緒のメンバーにセミプロの写真家がいますので、映像はそちらのブログにお任せ致します。早速、香港の待合時間の様子もアップしています。http://tetsuya4444.com/

 取り急ぎメール環境は何とか確保出来そうです。

今から、アフリカ・マラウィへ

Posted by 秋山孝二
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 今日から9日まで、アフリカ・マラウィ共和国http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/malawi/index.htmlへ行きます。私にとって初めてのアフリカですが、日本から香港・南アフリカのヨハネスバーグ経由でマラウィへ、空港から目的地には車で数時間の移動になるようです。マラウィは今、雨期で、今週の天気予報も全て雨マークです。

上部・中央・湖左岸

上部・中央・湖左岸

 

北部・プランタイル

南部・プランタイル

 帯広畜産大学のチームで、JICAプログラムhttp://www.jica.go.jp/malawi/の一環での農業技術支援に一部同行です。移動に4日間かかりますが、一応パソコンも持参するので、インターネット環境が良好であれば現地からの報告もできるかもしれません。或いは、しばしお休みの可能性もあります。

進化する企業のCSR

Posted by 秋山孝二
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 (社)経済同友会主催の「CSR:Corporate Social Responsibilityシンポジウム~社会的課題をビジネスにしたCSR経営の実践」が600名を越える参加で開催されました。経済同友会ではこれまでも「企業の社会的貢献(CSR)」に関して、積極的な提言を行ってきていますhttp://www.doyukai.or.jp/csr_summary.html
 
 先日のシンポでは基調講演として、グローバル・コンパクト・ボード・ジャパン(http://www.ungcjn.org/)議長の有馬利男氏が、国連のこの活動の背景と経過説明と、今後のCSRのあり方への仮説を提起しました。国連グローバル・コンパクト(http://www.unic.or.jp/globalcomp/)は、2000年にダボス会議での提唱を基に創設し、その後も継承されています。特に、「10原則」は人権・労働・地球環境」に対して、「コンパクト:誓約」としてまとめられています。「Conpact」という言葉は、「Promise:約束」と「Contract:契約」との中間的意味あいで、「誓約」と認識するのがベストとか。

先進的企業の取り組み

先進的企業の取り組み

パネルディスカッション

パネルディスカッション

 この流れに沿った形で活動している先進的企業の取り組みが紹介されましたが、いずれも地についた自社の強みの延長として位置付けており、新しい時代のCSRとして新鮮な印象でした。事例紹介は下記の企業です。

味の素(http://www.ajinomoto.co.jp/company/csr/)、住友化学(http://www.sumitomo-chem.co.jp/japanese/society/index.html)、ネスレ日本(http://www.nestle.co.jp/japan/j/csr/shared-values.asp)、ユニリーバ・ジャパン・ホールディングス(http://www.unilever.co.jp/sustainability/

 有馬さんもおっしゃっていましたが、現在の認識としては、1)CSRは経営そのもの、2)CSRはグローバル競争力の源泉、3)グローバル・コンパクトはグローバルなCSRのプラットホーム、であることを再確認しました。

 一方これとは対照的に、スモールビジネスとして「ソーシャルビジネス・コミュニティビジネス」の起業も世界各地で活発です。いずれにせよ、一昨年のリーマンショック以降の新しい資本主義経済を志向する意味でも、金融至上主義・利益至上主義から脱却する「社会課題解決型ビジネスモデル」の構築が企業競争力として重要だと思いました。そしてこれが、21世紀型「成長戦略」に違いありません。

 「景気が悪い」一辺倒の昨今の日本国内の論調ですが、国際社会の中では確実に新しい時代が到来しています。

濃霧の羽田空港

Posted by 秋山孝二
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 昨日の羽田空港は、視界100メートル、朝から濃い霧の中でした。予定の羽田発便が欠航となり、振り替えて座席も予約しましたが、その便の予定飛行機が着陸できずにまた欠航、結局遅れてまだ搭乗口に停まっていた前の便の空席を貰って、札幌に戻ることができました。何だかんだはありましたが、最終的には札幌に着いた時刻は当初予定より若干早く、結果オーライということでしょうか。

ジャンボも霧の中

ジャンボも霧の中

  今まで何十年も羽田空港を利用していますが、濃霧での欠航というのは初めてでした。釧路空港では何回か札幌の便が霧で着陸出来なかったり、或いは釧路から札幌の便が欠航でJRで戻ったことはありましたね。

 飛行機の不都合で思い出したことがあります。もう20年以上前になりますが、ロスアンゼルスからハワイ・マウイ島に行く便の飛行機DC8に乗った時、全ての準備を完了してタクシーイングし、滑走路の端まで来た時に、「エンジンから若干の煙が出ているので搭乗口まで引き返します」との機長のアナウンスでした。戻って飛行機から全員待合室に戻されて待つこと約4時間、その間一つのエンジンの下でつなぎ服を着た整備員がスパナ一つ手に何やら作業をし続けていました。かなり時間が経って、その男が親指を立てて「治ったよ!」のサイン、一瞬喜んで「やっと今日中に着ける」かとマウイ空港で友人と待ち合わせをしていたので、そう思いました。

 しかしそれから約6時間くらいでしたか、マウイまでの道のりでずっと例のエンジンを見続けていたので、深夜に空港に着いた時は目の疲れと大変な全身の疲労感だったことを覚えています。何のトラブルもないと便利な飛行機、「安全運航」への努力は日常的に大変なものでしょうし、時々今回のような不都合があると、あらためて「普通」であることの有り難さを感じますね。

「届かなかったラヴレター」、ブラボー!

Posted by 秋山孝二
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  かなり前から楽しみにしていた、クミコさんhttp://www.puerta-ds.com/kumiko/と井上芳雄くんhttp://www.grand-arts.com/yi/&徳光和夫さん(フリーアナウンサー)と上柳昌彦さん(ニッポン放送アナウンサー)のコラボレーションで、「感動の実話集『届かなかったラヴレター』の朗読を名曲で綴るハートフルコンサート」が札幌コンサートホール・キタラhttp://www.kitara-sapporo.or.jp/で開催されました。東京では渋谷のBunkamuraオーチャードホールhttp://www.bunkamura.co.jp/orchard/index.htmlで2日間だったようです。両方とも本格的クラシックホールですね。 

CDより

CDより

  私はクミコさんのファンで、札幌のライブハウス「tone:http://www.cafe-tone.com/」で最初にお会いして以来、店主の宮澤洋子さんからもご案内を頂き、ほぼ毎回出かけていますし、ライブ終了後の打ち上げにも参加させて貰っていました。昨年このコラムにも書き留めました。http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=648

 一昨年は、武道館での複数でのライブも行ってきましたが、とにかく歌が上手で雰囲気があります。シャンソンを基盤に素晴らしい伸びのある声は、長い下積み時代に培われた「本物」の魅力を感じます。この日の「届かなかったラヴレター:http://www.youtube.com/watch?v=tLGFIwueQIs&feature=related」も最高でした。

 一方井上芳雄クンについては、私がスズケン時代にお世話になった管理薬剤師で自閉症に関する沢山の著書もある明石洋子さんhttp://www.budousha.co.jp/booklist/book/arinomama.htmのご家族が、九州時代から井上クン一家とは長い家族ぐるみのお付き合いということで知り、ミュージカルのお誘い等もあり足を運んでいました。抜群の歌の上手さに伸びしろも広く、日本を代表するミュージカルスターとして世界で活躍して欲しいと願っていました。

プライベートな時の井上くん

プライベートの井上くん(明石さん撮影)

 そんな感じで私としては全く別々に応援していたら、数年前からこのお二人がコラボレーションでライブとか曲「車輪」を出しているではありませんか。「最高のコラボ」だと感激しました。とにかく両者ともプロフェッショナルとして歌が上手いのと、人間的な奥行きがあります。 

 先日の朗読とライブでも、沢山の歌が披露されましたが、特に印象的だったのは次の2曲です。一つは、 中島みゆきの「ホームにて:http://www.youtube.com/watch?v=DI9hFRa5yEI&feature=related」です。30年近く前、私が東京での教員生活から札幌に家族全員で行く直前に、レコードのシングル盤でよく聞いていました、確か何かの曲のB面だったと思います。当時、最終列車とホームの様子が心にしみてきました。クミコさんが歌うこの曲を初めて聞きましたが、自分の若い頃の印象とはまた違った感じで良かったですね。

 もう一つは、佐々木祐滋さん作曲「INORI:http://www.youtube.com/watch?v=p68-l_Px3YA」です。広島の「原爆の子の像」のモデル・被爆者佐々木禎子さんを歌った曲で、クミコさんのCDが本日リリースされるといいます。佐々木さんは禎子さんの甥(おい)になり、シンガーソングライターとして全国の小学校等300校以上でもこの歌を紹介してきたそうです。

 納得のいく方々のステージは、聴衆に素直に入ってきます。始まる前のグラス一杯のワインも良かったのでしょうが、ライブ終了後の後味の良さは格別でした。それにしても身近でお会いしている時と違って、舞台で活躍されている方々は、ステージでは本当に大きく見えるものですね。

大盛況、後藤ちしをさんのリサイタル

Posted by 秋山孝二
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  今月2日に続き、更に一つ「2」が増えた平成22年2月22日です。

 北海道演劇財団http://www.h-paf.ne.jp/の応援団、「TPSくらぶ」の新年会でもお会いしたソプラノ歌手・後藤ちしをさんのリサイタルが札幌でありました。500席を越えるホールは満席の盛況で、イタリアオペラ、日本のオペラ等幅広いジャンルから素晴らしいコンサートでした。

プログラムとチラシ

プログラムとチラシ

  以前、土田英順さんのミニコンサートを中島公園のシアターZooで行いましたが、その時にほんの少し後藤さんの歌を聞かせて頂きました。今回は、日本の「芭蕉布」、「落葉松(カラマツ)」は綺麗な日本語を久しぶりで聞く感じがしたし、「さくら横ちょう」は加藤周一の詩で意味が深かったですね。後藤さんの歌声は若さゆえか力がありました。

 今回のリサイタルは、彼女の世界というか、ホールの空間丸ごとの雰囲気を感じ取ることができて素晴らしかったです。札幌ご出身でこれまで多くの方々の支援で海外留学も経験して学ばれて、現在はイタリア・ミラノを拠点に活躍されているようですが、これからも楽しみなプロのソプラノ歌手です。普段あまり使っていない脳の部分を大いに刺激されて、大変心地よいひと時でした。こらからの活躍を期待しています。

Smarter Cities

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 日本アイ・ビー・エムの広報誌「無限大」最新号http://www-06.ibm.com/jp/ibm/mugendai/no126/index.htmlは、特集「Smarter Citeies 2050年、来るべき都市の未来のために」です。他社の広報誌と比べて格段に深いメッセージに、毎回注目しています。

表紙:リビアのローマ遺跡からメドゥーサ像

表紙:リビアのローマ遺跡からメドゥーサ像

 冒頭のグラビア「古代都市からの伝言」では、世界各地の砂漠化した古代都市の遺跡群の光景です。近い過去ではアラル海の写真も不気味な様相から多くのメッセージを発しています。これは想像ではなく、現実であるがゆえにですね。

右・サハラくみ上げ井戸の土台、左・アラル海

右・サハラくみ上げ井戸の土台、左・アラル海

 

 1世紀前、人口100万人以上の都市はわずか16だったそうです。現在は、その数450にものぼります。そして世界の都市人口は13%に過ぎなかったのが、現在すでに50%を越えていて、2050年には70%に達すると予測されると。

 便利で暮らしやすい都市を目指すだけでなく、限りある資源利用の最適化をすることにより、地球とともに生きる知恵も必要なのでしょうね。「エネルギー」「行政サービス」「交通」「教育」「医療」等においてです。そこには「テクノロジー」とともに、「リーダーシップ」の必要性も極めて重要なのでしょう、すべては、人間の営みですから。

 身近な「まちづくり」にも、この程度の哲学と理念が必要です。執筆者の見識の高さを感じ、多くのヒントを得ました。

インビクタス、負けざる者たち

Posted by 秋山孝二
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  今、上映中の「インビクタス、負けざる者たち:http://wwws.warnerbros.co.jp/invictus/」を観ました。クリント・イーストウッドの30本目の作品です。私のずっと使っている英和辞典には、この単語「INVICTUS」は載っていません。「私が、我が運命の支配者、我が魂の指揮官」とチラシにはあります。「不屈」との訳も見つけましたが・・・・。

 南アフリカ共和国を舞台とした実話をもとに作られており、「ネルソン・マンデラの人を許すことに価値を見出した」テーマは、感動的でした。クリント・イーストウッドの監督作品は、「グラン・トリノ」はじめ幾つか見ていますが、押しつけがましくなく、説明過剰でなく、映像とセリフから観客それぞれに想像させる余地を残す優しさを感じさせます。

クリント・イーストウッド監督

クリント・イーストウッド監督

  それにしても、27年間も牢獄に入れられて後、怨念とかではなく、大統領として課題山積の国状でリーダーシップを発揮する姿に、胸を打たれます。投獄中に心の支えとしていた詩の題名「INVICTUS」、感動で世界を変える、奇跡で世界を変える、まさにフィクションを越えた現実の迫力でした。ラグビーチーム主将役のマット・デイモンもいいですね。

 変革への活動とか、集団を鼓舞する時の「歌の力」は歴史的にも証明されていますね。陣営のシンボルとしてのフラッグ・ソングとでも言うのでしょうか。

  映画を観終わってから、何となく中島みゆきの「宙船(そらふね):http://www.youtube.com/watch?v=vGVTiCg8DNI」を思い出しました。その歌詞の一部、

         その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
        おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

どこか共通する心があるのかなと、勝手に納得していました。。「INVICTUS」、一つ新しい英単語を覚え、久しぶりにすっきりした後味の映画でした

懐かしい名、「ウェイン・グレツキー」

Posted by 秋山孝二
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 第21回冬季オリンピックhttp://www.joc.or.jp/vancouver/が、カナダ・バンクーバーで開催されました。開会式の様子をほんの少しだけテレビで見ましたが、懐かしい姿と注目する人がいました。 

 まずは、最終聖火ランナーだったウェイン・グレツキー(Wayne Douglas Gretzky、1961年1月オンタリオ州生まれ )です。今から20数年程前でしたでしょうか、北海道と姉妹州のカナダ・アルバータ州、エドモントン市を訪問した時のことです。市長秘書の少し年配の女性が、市内を自分で運転されて案内中に、アイスホッケーの話で盛り上がりました。すると突然、ハンドルを握りながら飛び上がらんばかりの大きな声で、「ウェイン・グレツキーは最高!!」と絶叫したのです。地元の「エドモントン・オイラーズ」に所属している時で大変な人気でした。その後何回か北米大陸に出張しましたが、スポーツ番組では何回も彼の名前を聞きました。引退後はNHLフェニックス・コヨーテズの共同経営者兼ヘッドコーチを務めているようです。これまでのどの選手よりも偉大なプレーヤーだったようですね、人格的にも尊敬されていました。アメリカ・ロスアンゼルスのチームに移籍した時は、大変な喪失感だったとの話も後に聞きました。

彼の有名な言葉です、”A good hockey player plays where the puck is. A great hockey player plays where the puck is going to be.” 

   もう一人、私が注目した人物がいます。カナダの第27代総督、ミカエル・ジャン総督(Michaëlle Jean, 1957年ハイチ・ポルトープランス生まれ)です。新聞・テレビでもその姿が映っていましたが、グレーのスーツに身を包み、素晴らしい笑顔で「開会宣言」をされました。 五輪開会式での開会宣言は、「開催国の国家元首によっておこなわれる」とオリンピック憲章に明文化されており、国王、大統領もしくは準じる立場の方が開会宣言を行っています。1972年の札幌オリンピックでは、札幌真駒内競技場での開会式、私も観客席に居ましたが、昭和天皇が開会宣言をされました。

 ミカエル・ジャン総督は、先日大地震のあったハイチ・ポルトープランス出身の移民です。今の心境は大変複雑なはずですが、あの素晴らしい笑顔は実に魅力的でした。http://www.canadainternational.gc.ca/japan-japon/bilateral_relations_bilaterales/gg-priorities-priorites.aspx?lang=jpn

 冬のオリンピックには、北海道出身の選手が多いせいもあり、まるで自分の教え子が出場しているような雰囲気で応援にも熱が入るのですが、今回は正直言ってかなり冷静ですね。優勝に絡むような選手の実力ではないからです。決して選手をバカにしているのではありません。ここまでの日々の努力には拍手を惜しみませんし、是非頑張って貰いたいと強く思っています。ただ、メディアが大騒ぎする程の実力はないことも、予め十分知っておいてあげないと、終了後に日本に帰国する彼らがかわいそうだと思うからなのです。全員胸を張って空港に戻って欲しいし、「よく頑張ったね」と、メダルを取った取らないにかかわらず讃える国民の声も大切だと思います。

 それにしても一連のバブリーな「メディア」の報道は一体何なのでしょうか。かなり前からお祭り気分で自分たちだけがはしゃいでいる姿は吐き気がします、この厳しい時代に沢山のスタッフを派遣しての大騒ぎ、毎回のこととは言え、いい加減にやめていただきたいですね。長野オリンピック以降、ろくに選手育成政策も打ち出さずに、結局は個人と所属する団体の献身的努力のみに依存しての選手育成、これでは若い世代も気の毒です。

 メダルの数とか何とかよりも、それぞれの選手がベストを尽くして悔いのない思い出として頂きたいなと、心から祈念しています。