この3週間くらい、海外で、国内で、外国人と随分話す機会がありました。3・11以降の日本社会の様子をそれぞれ情報収集しながら、かなり「辛口」の日本人評を耳にしました。でも、不思議と意外性はなく、「あなたもそう思うか」というお話が多かったですね。
70歳代のハンガリー人、これまで彼の人生で、自国の国境が4回変わり、ひどい時は1,000 ㎞も国境が奪われ移動した時代もあるとか。領土は伸びたり縮んだりするもの、とわきまえるべきではないか、尖閣諸島、北方領土等、日本人は領土問題に関心がなさすぎ!、ロシアという国は領土拡大だけを考えてきた国、とのご指摘。
ハンガリー人は、「トランシルバニア」で絆が結ばれているのでしょうね。たとえばルーマニア国境で理不尽に入出国で待たされても、「従順」というのとは違って、「耐えながら機会をうかがっている」という感じです。「インビクタス:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3298」ですね。そして、国に何を期待できるのか(何もできない)と、基本的な部分で腹くくりができているみたいな。
ドイツ・ハノーバーの見本市でブースに立ち寄ったドイツ人が、「フクシマ原発報道」について、東京電力はどうして起きている事実を隠すのか、マスメディアはなぜそれを追及しないのか、或いは一緒になって隠しているのか、そして日本人はどうしてその状況を許して問いただそうとしないか、と。そんな国民性がマスメディアを甘やかせているのではないか、と。確かにこの間、「原発事故」に関して、インターネットの多くのサイトで、ドイツメディアの果敢な報道を眼にします。
金融機関に勤めるスイス人が、あまりに従順で大人しい日本人の行動について、考えられない!と驚きを隠しません。これだけ広範囲に放射能汚染が明らかになりながら、街頭デモも殆ど無しとは信じられない、と。「基本的人権・生存権の侵害」以外の何ものでもないだろう、そう言った静かな国民性に政治家たちが甘えている状況は、とても先進国とは思えない。もっともっと政治が緊張感を持たなければ優れた人材も育たないし、人材もこの世界に入ってこないだろうと。今回の大事故で何も変わらなければ、更に日本の政治家は国民をなめてかかるだろうね、と。
ふだん静かで政治的な話題は殆どしない彼は、尚も続けます。日本の経営者数人に今回会って話をしたが、皆、実にネガティブに今の日本の経済状況を語っていた。でも、グローバルな視点からみて、今の日本のポジショニングは依然高いレベルにあり、そこから前に進む意欲をこのところの経営者に感じられない、飢えで苦しんでいるわけで無し、失業率だって他国と比べて決して高くはないではないか、まさに「ゆでカエル」状態であり、そのことが危機的である、と。過去の財産に寄り掛かって緊張感を失くしていると多くの国は見るだろう、とも。
ギリシア問題から始まり、EUについてはかなり悲観的な展望でした。スイスはEUに加盟していないので、スイスの政治指導者に感謝するとも。それでも日本同様、現在スイスフラン高で、輸出企業の多いスイスもチャレンジだと。ただ、今のところは企業業績は悪くは無い。アメリカも確かに難しい局面だが、それでも一国であり、まだ大統領・政府の統制下で政策変更等、方向性を見い出せるが、EUはその下に各国の政府・議会・国民がいて、あまりに関わる利害関係者が多すぎて、スピードのある決断による転換が難しく危機的であると。そんな理由で、「社債」はまだしも、「国債」はリスクが高すぎる。
見本市でプースに来たイラン人が、日本はどうして外国とのコラボレーションに高いハードルを設定するのか、と。優れた技術に憧れて学びたい発展途上国の人々に、もっとオープンでいいのではないか、それが優れている日本の使命だろう、と。
同じくブースに来たチリ人が、地震についてチリも多発する国だと話し始めました。日本は地震の研究では大変優れているにも関わらず大きな被害だった、チリも昨年2回大地震に見舞われたと。
まだまだたくさん紹介したい話はありますが、切りがありません。総じて「日本」という国に対しては、幻想と思われるほど評価が高く、逆に私が困惑する感じです。でも、ダイナミックに変動するグローバルな課題に比べれば、今の日本国内で日々問題とされている多くのことは、内向きの些細なことなのかもしれませんね、それに気がついていない現状こそが、「危機」であると、そう強く思っている昨今です。「世界に果たす日本の役割」、そんな自らへの問いが、今の日本を打開するきっかけのような気がします。