実はこの前の「奈良で学ぶ (4)」で終わろうと思ったのですが、まだまだ書きたいことが残っていて、この(5)を追加して最後と致します。
「薬師寺」に、私には何とも辛い思い出があります。前回のブログに、「修学旅行以来だった」と書きましたが、今からもう46年前の高校の修学旅行の時、当時は10月に札幌から電車(汽車?)、青函連絡船を乗り継いで上野駅へ、確か10泊11日だったでしょうか、行きも帰りも急行列車の車中泊というのが一般的でした。1学年550人だったので、一班と二班に分かれて日時をずらして札幌を出発しました。
私は後の班でしたが、旅行途中から、本来は自由な雰囲気だったのが急に教師たちの対応が厳しくなったので、「何なんだ!」と思っていたら、先発班の一人の生徒が旅行途中に失踪したことが分かりました。少なからず動揺しつつも、何とか無事を願いながら私たちは札幌に戻りましたが、その後も行方不明が続き、結局12月のある日、薬師寺近くの近鉄線路で亡くなったと知り、大変衝撃を受けたのです。現場での姿は学生服で髭が伸びていたと聞き、その彼とは1年生の時に同じクラス、出席番号もすぐ前だったのでいろいろ会話も交わしていました、本当に優しい心根のいい奴でしたので、失踪中、その瞬間の彼の心境を察すると、今でも心が痛みます。
「薬師寺」の響きに遠い昔の思い出がフラッシュバック、しかしながら今回の僧侶お二人のお話をきっちり伺い、私の記憶「薬師寺」も上書きされた気がしています。
もう一つ、山田法胤管主の濃密なご講演「これからの生き方」、著書「あなたに伝えたい『生き方』がある」で、含蓄のあるお言葉がたくさんあったので、書き留めておきます。
* 真理を実践してこそ、喜びとなる: <良寛さんの歌> 今々と 今という間に 今ぞなく 今という間に 今ぞ過ぎゆく
* 先入観が心を縛る: 薬師寺の教えは「法相宗」という宗派、柱になっているのが「唯識(ゆいしき)」、「識」は「心=こころ」と読む
* すべては「心の立ち上がり」が決めること、五感によって知ることはできるが、心が立ち上がっていないと何も見えず聞こえない
* 心が立ち上がってから五つの感情が働く、これを唯識では「五受(ごじゅ)」という:「憂」、「喜」、「苦」、「楽」、「捨」、その後に「想」のイメージで心の中に映像を創る、ただ外の現象とは違う「心の妄想」、それによって人は動いていく
* お釈迦さまの遺言、「自灯明(じとうみょう)・法灯明(ほうとうみょう)」: 依頼心を捨て、自らを灯として生き抜く覚悟をする
一昨年2月に訪れた奈良の岡寺、飛鳥寺、橿原神宮の時(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11728)と同様に、歴史の原点にしばし滞在し、朗々と流れる時を実感し心が洗われました。