「全国経済同友会・東日本大震災追悼シンポジウム」が仙台で開催され、300名の会員が参加しました。
開会挨拶、黙とうに続いて、岩手・宮城・福島の各経済同友会からの報告、その後分科会もあり、私は昨年同様にこの分科会に参加しました。
昨年の様子はこちら――>
http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=16037
http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=16073
全村避難を余儀なくされている飯館村の菅野典雄村長は、1)人間の手に負えないものを扱っているという認識である、2)「3・11の災害」と言っても、原発災害は全く他とは異質のもの、すなわち、他の災害は「ゼロからの出発」であり、心が結束していく方向だが、飯館村の現状は「ゼロに向かって暮らす」ことを意味して、心の分断を強いられる、3)専門家への不信が増幅と、今の率直な現状を淡々と報告されました。
児玉龍彦先生は、1)未曾有の環境汚染問題は、大変困難で時間も掛かるが、日本の科学技術を持ってすれば必ず復興の道筋は作ることができる、2)放射線は見えず、無味無臭だが、測定可能であり、検査機器の整備と技術革新で定点的に大量の数値を得ることは可能である、3)コメの全袋検査は、当初専門家たちは「不可能」と言っていたが、機器メーカーの技術開発等によって格段の性能の機器が生まれて現在やっている、3)これからは底にいるヒラメ・カレイ等の全匹検査が必要、数値の低いものは消費者へ、高いものは必ず低くする手立てを考えることが自分たちの果たすべき役割である、4)汚染水、汚染土壌は全てリサイクル型に向けて解決していく視座が重要で、溜め込み型は破たんするので高濃度に濃縮して管理・保全すること、5)福島の復興は、世界一安全な地産地消の実現であると、力強く語られました。
そして最後には、インフラを整えるための帰村は、まずは小学校の校庭等の点、そして道路等の「線」、最終的には地域としての「面」へと展開し、一般の村民の帰村に先駆けて活動するために許可する必要があること。「廃炉の産業化」、新しい時代のライフスタイルの提案、スローライフの「真手(までい)ライフ」の提唱、自主自立、成長だけが全てではない真の成熟社会を目指すべきとの提言もありました。
児玉先生の資料の表紙は、「水と土のリサイクルへ 地産地消の福島を復興する」で、最後のページは、「21世紀の日本の科学技術経済力の結集を」と結ばれていました、現場で真摯に向き合う科学者の矜持に参加者全員、心から感動しました。
東電福島第一原子力発電所は、どこへの電力供給だったのでしょうか、今、福島の復興の現状を目の当たりにして、東京を中心とした首都圏の方々のライフスタイルこそ省エネ、節電へと舵を切るべきでしょう。
<参考> 児玉先生の最後のページ~~~~~~~
21世紀の日本の科学技術経済力の結集を
20世紀のソ連チェルノブイリの帰結は広大な国土の放棄と住民の離散であった。21世紀の日本は科学技術と経済を結集して除染と地域の復興を成し遂げることができる
* 米の全袋検査に続いて、魚の全匹検査を可能にする
* 農産物、海産物の測定をすすめ、地産地消の福島を可能にする
* セシウム回収型の焼却炉による放射性ゴミの容積減少、放射性物質の濃縮保管をすすめる
* 森林の除染につきバイオマス発電を含めた長期計画を立案する
* 河川、湖沼、海底への汚染を正確に評価し、除染の計画を立案する
* 事故前の福島の美しい環境を取り戻すため、国民の力をあわせて環境回復を進める
会議が始まる前に少々時間があったので、東北大学キャンパスを散策し、資料館をじっくり見学でき、魯迅が1年半留学していたこともあり、特別展示も開催されていました。東北大学理科大学としての輝かしい伝統を感じました。
「日本の科学技術」、午後の分科会でも繰り返しこの言葉を聞き、今、原子力研究者を含めて日本の科学者の総体がまさに試されているのでしょう、是非、今を生きる科学者はそう受け止めて覚悟し、活動して頂きたいものです。
2011.7の児玉先生の国会委員会での憤りの陳述――>http://www.youtube.com/watch?v=O9sTLQSZfwo