「父歸る」、米倉斉加年の海流座

Posted by 秋山孝二
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 「海流座は米倉斉加年が新劇の仲間と芝居をするために作った一座です」とチラシに書かれています。9月20日から今月末まで北海道巡業していて、先日、札幌の「シアターZoo:http://www.h-paf.ne.jp/zoo/index.html」で観ることができました。

父歸る&二十二夜待ち

父歸る&二十二夜待ち

シアターZoo入口

シアターZoo入口

 二つの演目、途中休憩をはさんでも1時間半程、狭い空間でしたが、素晴らしいひと時で心から感動し、しばし席を離れられませんでしたね。米倉斉加年(http://www.masakane.jp/masakane_tu_an/toppu.html)の圧倒的な存在感、特に「父歸る:http://www.geocities.jp/kyoketu/1128.html」の最初のシーンで、何も語らずもただ立っている瞬間の姿、長男の言葉を背中に受けて立ち去っていく後姿、絞り出す一つ一つの言葉と間合い等、あっこれだったなと、私自身の演劇との出会いを確認したような気がします。自分にとっての「芝居」、「演劇」の原点です。余計な説明とか形容を削ぎ落として、吟味された言葉を紡ぎ出し、やり取りの間合いも絶妙で自分の気持が付いていけるみたいな、終了後も余韻を楽しめる、そんな雰囲気が実に心地よいです。

 思い起せば30数年前、東京の読売ホールで観た山本安英と宇野重吉の「夕鶴:http://kankyakuseki.iza-yoi.net/WEBREVIEW/reviews/Yuuduru.html」、滝沢修の「炎の人:http://kankyakuseki.iza-yoi.net/WEBREVIEW/reviews/Honono-Hito.html」、あの時の感動と同じ質のものでした。

 「二十二夜待ち」では、村人たちに北広島市民の方々も出演していました、終わってからの米倉さんの説明で分かったのですが・・・・。そして、利尻島はじめ北海道を巡るうちに、芝居がどんどん進化・深化しているとのお話も。間近で米倉さんの演出の芝居で舞台に立てる、幸せですね。

 以下、チラシより~~~~~~~~~~~~~~

芝居のはじまりファースト・ステージは、師宇野重吉について全国の旅公演からでした。

そして、いま、ラスト・ステージ人生の最終章を、仲間と共に私は、全国の旅回りで・・・・生きたいと思っています―――

舞台の完成は観客の目によって仕上がります。いい芝居はいい観客が創り上げる。私は本当の観客を求めて旅に出る・・・・

いい芝居とは、観る人、創る人の生きる喜び、哀しみ、怒り、楽しみが―――

それぞれの人生がそれぞれの心の中に燃える―――

これが現実で生きる力となる。

そんな舞台をもって旅に出る―――

みなさんとお目にかかれる日を心より願っております。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

 今回の「『二十二夜待ち』民話劇 木下順二 作」、「『父歸る』菊池寛 作」、ともに米倉斉加年さんの演出で、心に沁み入りました、演劇って、本当に「生きる力」です、ね。