愛生舘の「こころ」 (2)

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 明治維新の歴史認識にも関係しますが、「愛生舘事業」の歴史的背景は、ある意味で現在の状況と大変似ているのではないかと思います。

先日、長年の私の友人からメールを貰いました。

―――明治維新は、厳密な意味ではフランスやロシヤみたいに迫害された民衆が自ら闘って自由を勝ち得た”革命”ではありませんでした。あくまでも政治の面で捉えれば、単に江戸幕府衰退と共に雄藩が政権を握ったに過ぎません。

 開拓期、そうした薩長土肥の藩閥政府が横行する初期、民衆に医療・公衆衛生を持ち込んだ松本良順や高松保郎の思想の源流、その彼らを中心とする「愛生舘事業」の実践は、ある意味では、すなわち必ずしも新時代の変革は「政治」の舞台だけではないという意味で、後年、藩閥に反発して立ち上がる自由民権運動よりも更に先んじた自由平等主義の実践者たちであったろうと思われるのです。老若男女が心身共に病むこの21世紀の日本が失った、取り戻さなけれなばならないエスプリが、愛生舘のルーツに秘められている気がしてなりません。それは蘭学が内包する”博愛”とか”弱者救済”精神に基づいた学問・技術・文化などが、質実的な面で明治時代の民衆を支えたと言えます。政治の暗闇に光を当てたのではないでしょうか。近代への道は決して政治力だけではなかったはずです。

 黒船来航に伴い幕府が設立した長崎伝習所、勝海舟や松本良順はじめ、幕末のインテリが学んだ”蘭学”に内包する哲学は、タオ財団のワグナー氏の言葉「それぞれ民族の違いの主張ではなく、いかなる共通点を探し求めるか」とする、作品「哲学の庭」に通ずるテーマと言えるでしょう。貴兄の言葉通り「いのち」とは平和そのもの、世界共通語であります故、「人類愛」を意味するキーワードでもあります。

 (注)タオ財団http://wagnernandor.com/indexj.htm  ――――

衛生書「通俗民間療法」(左)、大鏡(右:高さ1.5m)

衛生書「通俗民間療法」(左)、大鏡(右:高さ1.5m)

 

 

 全国的な愛生舘事業の中で、特に北海道支部のミッションは、北海道開拓を担う屯田兵の後方支援、及び全国から入植してきた開拓移民の健康維持・向上でした。1891(明治24)年、東京神田の館主・高松保郎亡き後は、北海道支部長だった初代秋山康之進が自らの名前を掲げて自立し、「秋山愛生舘」となりました。愛生舘事業の理念は、自社販売していた「通俗民間治療法」の中に明確に示されています。「山間僻地までの医薬品供給、医師の診療を受けられない病人の救済、貧者・弱者への施薬、すなわち、利益追求ではなく、あくまでも民間の衛生・治療の便益を図る事を最優先にする」、それが事業の目的であると書かれています。この理念を継承し地場企業として、秋山愛生舘は北海道の地を基盤に、第二次世界大戦後1948(昭和23)年には株式会社として法人化し、私は1991(平成3年)6月に第五代目社長に就任し、1992(平成4)年には札幌証券取引所上場、1997(平成9)年に東京証券取引所市場第二部上場となりました。その後、(株)スズケンhttp://www.suzuken.co.jp/ と資本・業務提携を経て合併し、北海道は「愛生舘営業部」として、今も活動しています。

私は2002(平成14)年11月に(株)スズケン代表取締役副社長を退任しました。その後、故郷札幌に戻り、これまでの(株)秋山愛生舘の108年の活動を振り返り、持続する企業として3本の論文にまとめました。

「地域企業の持続的経営の分析」http://ci.nii.ac.jp/naid/110004813846以下、「地域企業の進化の分析」http://ci.nii.ac.jp/naid/110004813848/、「持続的経営論」http://ci.nii.ac.jp/naid/110006392571/と続きます。

一方、(株)秋山愛生舘の100周年事業の一環として、それに先立つ1987(昭和62)年1月に「(財)秋山記念生命科学振興財団」を設立しました。http://www.akiyama-foundation.org/ 「地域社会への貢献」という理念の実現は、医薬品販売の事業から更に発展して、愛生舘事業の理念を根幹に、財団の助成・育成事業として継承・進化しています。

愛生舘の「こころ」 (1)

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 何回になるかは分かりませんが、「愛生舘の『こころ』」シリーズを始めます。 

人との出会いは、いつも劇的ですね。暫くの時間経過後に、何か気がつかなかった糸で結ばれていたのを感じる時があります。青山学院大学名誉教授の片桐一男先生http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%95%D0%8B%CB%88%EA%92j/list.html は、そういった数少ない方のお一人です。

松本良順:秋山愛生舘100年誌より

松本良順:秋山愛生舘100年誌より

先日「幕末史研究会」http://blogs.yahoo.co.jp/bakumatsushiken/8871554.html に参加した方から、今年1月例会で配布された、「松本良順と『愛生舘』」という資料のコピーを頂きました。長崎海軍伝習所で行われた医学伝習で、蘭学のポンペから学んだ松本良順http://www.bakusin.com/ryoujyun.html。江戸に帰って取り組んだ衛生思想の普及活動、その実践である「愛生舘:あいせいかん」事業の狙い等がその内容です。後に初代陸軍軍医総監に就任した松本良順は、実父・佐藤泰然が創設した順天堂大学http://www.juntendo.ac.jp/ とも深い関わりがあります。20数年ぶりに、片桐一男先生のお名前を身近に拝見しました。

愛生舘事業というのは、松本良順処方の「愛生舘三十六方」(三十六種類の医薬品)と、著書「通俗民間治療法」の販売を行った民間事業体です。高松保郎が館主となり、1888(明治21)年に創設されて、本部は当初は東京市神田区駿河台北甲賀町、3年後の保郎の没後に神田岩本町に移り営業しました。売薬の三十六方は、輸入洋薬で、「通俗民間治療法」にはその三十六方の処方内容が平易に解説されて、医師不足で医療の行き届かない辺境の庶民に、親しみやすいように工夫が施されています。その全国的普及は当初からの目的であり、組織的に活動が展開されていました。

高松保郎:秋山愛生舘100年誌より

高松保郎:秋山愛生舘100年誌より

北海道で108年間続いた医薬品卸業、(株)秋山愛生舘のルーツは、まさにこの愛生舘事業にその原点があります。片桐先生は、この(株)秋山愛生舘のそもそもの事業主「愛生舘」に関する研究の第一人者です。松本良順先生と愛生舘との関係、館主高松保郎の人物像等、大変貴重な研究の数々を残されています。

農業×経営×デザイン = 新しい何か!

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 北海道デザインマネジメントフォーラムと十勝農業イノベーションフォーラムhttp://t-afi.net/ が共催で、パネルトークセッションが開催されました。その中のパネラーの一人、鈴木善人さんhttp://www.leaps.jp/?page_id=3 は、十勝マネジメントフォーラムの代表者で、秋山財団のネットワーク形成事業の一つとして支援をさせて頂いてます。

各パネラーのお話で、「農業」と「経営」と「デザイン」というマルチな視点から現在の活動を捉えて、北海道農業の課題みたいなものも浮き彫りになったような気がします。食糧に対する国民の関心は、この所の安全・安心、自給率等の話題とともに、メディアでも大変注目されていますが、現場の担い手と言えばことの他高齢化し、実際に食物を口にする方々との距離は相変わらず隔たりがあるのが現状かと推察していました。

そんな中で、先日のフォーラムのパネラーの方々の実践とメッセージは、新しい時代を担う情熱に溢れて、大変今後に期待を抱かせる内容でした。批判・評論をする事は簡単ですが、こと農業に関しては、毎日の生活に直結する活動として、実践を伴っていなければ意味がありません。これまで良く言えば「聖域」、悪く言えば「タコ壺」と、かなり限定された方々の領域という印象が強かったのですが、最近は企業経営のイノベーションといった発想、「農業セクター」としての認識による投資家の注目度、農業の楽しさアピールによる「まちおこし」的発想等、一歩突き抜けた実践も多く見られるようになりましたね。年明けにある証券会社を訪問した時に、日本の地域農業への投資フォーラムでは、投資家の方々で満員盛況だったという話も聞きました。実体経済活動としての農業セクター、将来有望なセクター、そして、北海道の強みを活かす有望分野として、いま注目しないでいつするのでしょうか。

「生産者」と「消費者」といった従来型の枠組みではなく、「市民」とか「生活者」とかの新しい立ち位置から農業及び食の獲得を考えなおしたいものですね。全国各地に新しい活動の実績が数多く出現している事は、大変力強い動きだと思います。

以下、印象に残ったキーワードです。

* 農業者から農業経営者へ:「顧客を創造する」視点に立ち、自分の「強み」「弱み」、自分で売る、値段をつける意識へ

* 企業化への努力:何の為に活動しているか、「思い」を「形」に

* “もったいない”がキーワード:「遊び」の大切さ、面白がること、覚悟すること、東京有楽町「とかちの・・・」                  http://r.gnavi.co.jp/p737100/ の実践

* 農業の魅力は、圧倒的な自然の魅力

日本を救うイノベーションの力

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 日経BP社創立40周年記念シンポジウムが東京で開催されました。http://corporate.nikkeibp.co.jp/40th/

テーマは「日本を救うイノベーションの力」で、鈴木敏文氏、倉重英樹氏他が、大変示唆に富むお話をされました。経営者の話は実体験に基づき、大変分かりやすいですね。ある種当り前の言葉の中に、きらりと輝くフレーズが隠れていて、同じ場を共有出来て良かったと思う場合が多いです。以下、記憶に残る言葉を幾つか。

セブン&アイ・ホールディングス 代表取締役会長 最高経営責任者(CEO) 鈴木敏文 氏

変化の激しい顧客のニーズ、マーケットの動きを、実に正確な現状把握をされていました。動きをタイムリーに捉える体制と、その情報が鈴木会長に日々届いているという社内の情報共有に感動します。

* 2000年頃から「消費飽和」の進行、値下げしても価値がなければ売れない状態、そして今は、「購買意欲を刺激しなければ売れない」時代

* 「変化への対応」は、時間を掛けていては意味がない、2か月程度で対応策を仕上げて実施すべき

* ファミリーレストランの厳しさは、「ファミリーの崩壊」による所が最大の理由、一人・二人ブースの大幅増へ

* 消費は極めて心理的:「現金キャッシュバックセール」――今は、価格に対する信頼を失っている。「2割引」、「3割引」の表示は誰も信頼していない。「現金で返す」手ごたえ、お客さんが「ありがとうございます」とおっしゃる。「55品目下取りセール」――「捨てる」のではなく、「下取り」して換金する、等大盛況だったイベント

* ネットビジネスの伸びを踏まえた、リアル店舗とネットとの融合

* 消費パターンの変化が進行: 「変化への対応」と「基本の徹底」、それがイノベーションの力

 

シグマクシス 代表取締役CEO 倉重英樹 氏

IBM時代に、当時私が社長をしている札幌の会社にも訪問して頂きました。その時の情報に対する見識の高さは、今でも忘れる事が出来ません。その後、コンサルティング会社の経営幹部、そして起業と、そのたびに幅を一層広げて厚みを増したような気がします。新しい時代の企業における人的資源の重要性を良く認識されている印象を持ちました。

* スピードを上げる事は企業競争力を高める事だったが、人間をハムスター化する。人生のスピードにプレーキを掛ける必要

* イノベーションとは「多様性のシナジー効果」、企業の成長を個人の幸せにつなげる時代

* 規模の経済性・効率性追求の時代は、画一性マネジメントが機能する

* 協働の経済性・創造性追及の時代は、多様性マネジメントが機能する   :価値の大転換

* ワークスタイルの変革は、従来は「スタンダード」&「ネゴシエーション」――組織人、最近は「プロフェッショナル」&「コラボレーション」――自立人、自律人

* 21世紀は「ひと」の時代――イノベーション、リーダーシップ、ライフワークバランス、コラボレーション等、みな「ひと」に絡む課題ばかり

* 能力とモチベーションにおいて、「楽しさ」は全ての源泉

弘前で、サクラの「木」を観てきました

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 評判の弘前のサクラを一目見たさに、出張のついでに足を延ばして行きました。来週から始まる桜まつりの準備で作業員の方が大勢、忙しそうに働いていました。すみずみまで良く見て回りましたが、当日現在で開花は間違いなくゼロでした。

サクラの「木」を鑑賞

サクラの「木」を鑑賞

                  

弘前公園から岩木山を望む

弘前公園から岩木山を望む

岩木山は真白の美しい姿で圧倒的な存在感でしたね。弘前公園内の沢山のサクラの「木」も見事でした(?)!!地元のお酒2種もコクがあって美味しかったですよ。今回は下見、来年のサクラのお花見には、またゆっくり来てみたいですね、そんな期待感が一層膨らみました。

「じょっぱり:六花酒造(株)http://www.joppari.com/」、

「豊盃(ほうはい):三浦酒造(株)http://www.tutitatu.com/sake/houhai.html

神宮の杜には、春の気配も

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  ほぼ毎日通っている神宮の杜に、おすすめポイントが3か所あります。実は今は、一年中で最も殺風景な時期ですが、ただ小川の水量は円山からの雪解け水により最も豊かで、「どどどーっ」と勢いよく流れています。これからの春、夏、秋、冬、それぞれの景色は最高です。

神宮のおススメポイント2

神宮のおススメポイント2

 

神宮のおすすめポイント1

神宮のおすすめポイント1

神宮のおすすめポイント3

神宮のおすすめポイント3

非武装地帯、さらに「北」への道

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  昨年5月に、韓国のソウルで、北海道演劇財団TPSの海外公演があり、同行ツアーで副理事長の私も参加しました。公演の合間にオプショナルツアーとして板門店へ行き、貴重な光景を垣間見ることが出来ました。この数日間の「飛翔体(?)発射」騒動の中で、北朝鮮の動向は注目を浴びて(浴び過ぎて?)いますが、非武装地帯(DMZ) の現場は、歴史と現実の重みを感じながらも、驚くほどの静けさでした。ただこのツアー自体、米・韓のプロパガンダの臭いも強く、演出の過ぎる場面はかなりの違和感もありましたが。
捕虜交換の場:板門店・帰らざる橋
捕虜交換の場:板門店・帰らざる橋

今から6年前の秋山財団主催の講演会で、東京大学大学院・農学生命科学研究科教授・樋口広芳先生が、「鳥の渡りと地球環境の保全」http://www.justmystage.com/home/hhiguchi/index.html と題して特別講演をされました。シリーズの財団ブックレットとしてまとめてあります。その中で、この非武装地帯が多くの鳥の渡りにおいて重要な中継地となっている事実が、発信機を付けた渡り鳥と人工衛星によるデータで明らかになっている事を力説されていました。非武装地帯は立ち入り禁止区域で、ごく一部を除いて人間の活動は全て禁止されています。また、隣接する緩衝帯では、経済開発も強く規制されています。それゆえに皮肉にも、渡り鳥にとってはいわば聖域、安住の地になっているというのです。国境を越えた自然界にとって、非武装地帯はまさに地球上で数少ない理想的空間となっているのでしょう。そう言えば、昨年行った時も、道端に実に綺麗なキジを見つけました。

歌の「イムジン河」http://protestsongs.michikusa.jp/korean/imjin-river.html も懐かしいですね。ソウルから板門店に向かう途中で、しばし道路と並行して流れていました、この河があのイムジン河で向こう側が北朝鮮か、と。

「ふるさとをいつまでも 忘れはしない、イムジン河水清く とおとおと流る」、あの時代の香りですね。

この非武装地帯(DMZ)は、1953年7月、朝鮮戦争の休戦協定の締結とともに作られた区域で、南北それぞれ2キロメートルずつ(幅4キロ)、東から西まで総延長241キロメートル、総面積6,400万坪の広大な地域です。北朝鮮にとっての歴史認識では、今も交渉相手は国連軍(実質的にはアメリカ軍)しかなく、南北朝鮮問題ではないのでしょう。今一度きっちり振り返りたいのは、朝鮮戦争の位置づけと、更にさかのぼれば第二次世界大戦の日本とアジア諸国との関係性、そして戦後の構図だと思います。

今回の打ち上げ実験でも、ひとえにアメリカに対するデモンストレーションであり、日本への攻撃等と敢えて喧伝するのは、例によって日本メディアとそれを使って防衛予算を増額しようとする輩の思惑に違いありません。「誤探知?」と聞いた時に、とっさに私は「臭うな」と思いました。間違った事が不安なのではなく、これを材料に「システム整備・構築予算」の要求だの、日本の防衛力の不備等の議論の盛り上がりを期待する勢力の画策が「臭い(くさい)」のですよ。

今回は中央官庁の防衛省が「国防」の視点から対処・準備・喧伝し、東北地方をはじめとする各市町村が行政の「防災」の視点から現地で体制を取っていた、と理解出来るのではないでしょうか。自衛隊の活動を接点として、この違いを無意識にも、意図的にも混合してはならないと思います。

いずれにせよ、相変わらずの日本外交の貧弱さを痛感しています、公式発表はともかく、複数の人的パイプがないというか。外交上は、今こそ、東アジアにおける平和と安全に関して「非核化」をキーワードにして、日本は本来のリーダーシップを発揮する時だと思います。そして、一味違う視点として、自然科学者・環境科学者を中心として、たとえば「オホーツク海の生態系」、「北東アジアの大気汚染」、「朝鮮半島の生態系」といったテーマでの、周辺6・7カ国ネットワーク形成プロジェクトを、日本がリーダーシップを取って場の構築等は出来ないものでしょうか。

過去の歴史を受け止めながら、21世紀的テーマの新しい構想の中で平和の時代を創る、そんな時代なのだと強く思います。

カジノ誘致でまちづくり?

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 このところ新聞記事で、「カジノ誘致でまちづくり」を何回か読みました。複数の北海道のまちが、町おこしの企画として検討している内容ですが、正確には、どなたかが町にそんなプランを持ち込んでいる、ということでしょう。以前札幌市にも議員数名から話があったと聞いています。

マカオ観光局公式サイト

マカオ観光局公式サイト

私は昨年9月に香港に出張する用事があり、台風接近中ではありましたが、ひととき自由な時間も出来たのでマカオに日帰りで足を延ばしました。その時にも道内の「カジノ誘致によるまちづくり」の企画が思い出されて、何か気になっていたのです。今、本気で「カジノ誘致」でまちを創ろうとお考えの方がいらっしゃるのなら、世界のカジノで成り立つまちを真剣にリサーチされているのか、お尋ねしたいのですよ。沢山の議員たち他の日本人が、「視察旅行?」でモナコ、ラスベガス等も訪問している事実もありますから。

マカオ観光局公式サイトには、『2005年7月、南アフリカで開催された第29回ユネスコ世界遺産委員会において、マカオの22の歴史的建造物と8カ所の広場が「マカオ歴史市街地区」として世界文化遺産に登録されました。中国の世界遺産としては31番目の登録であり、世界で三番目に多く世界遺産を持つ国となりました。』とあります。

約450年の長きにわたり、マカオでは中国とポルトガルの両国民が文化を融合・共有してきましたが、そもそもは16世紀半ばにポルトガル人航海士たちがマカオに居住を始めたことに始まります。遺産登録された歴史的建造物に教会が多いのはその証であり、彼らがもたらした西洋的な社会インフラ技術や建築遺産の数々が、中国の伝統的建築物に囲まれ完全な形で保存されている姿に、マカオの世界遺産たる価値があるようです。

また、観光パンフレットには、「マカオ歴史市街地区は世界遺産ではありますが、立ち入り禁止区域になったり入場料が必要になったということはありません。旅行者にとって世界遺産は観光の対象ですが、マカオ市民にとってここは今なお生活空間そのもの。また建築物・史跡など有形のものに限らず、様式、宗教的寛容さ、食文化など多くの無形文化が街とともに共存しています。マカオはまさに街全体が歴史・文化の博物館なのです。・・・・・・・・」とも書かれています。歴史と今の暮らしとの位置づけを表現していて、理想的な観光資源と読み取れました。

ところがです、すでに行かれていてご承知の方も多いとは思いますが、マカオのフェリー乗降場に近づくにつれてまず目に飛び込んで来るのは、金色に輝く異様な建物・ネオン群でした。観光局公式サイト・観光パンフレットとは大きく違い、外観がカジノ一色の違和感は、価値のあると言われている文化の融合・共有とは程遠く、喉の渇きを覚える光景でした。そして、外観だけではありません、簡単な見学ツアーで数十分、あるカジノの中を巡りましたが、パソコン操作によるゲーム台は、およそ面白さとは無縁な感じの無機質で、ただ一つトイレの立派さが際立っていました。人の体から出てくるものはどんな場所でも同じだというのにですよ。

アジアでカジノでのまちづくりを本気で構想するのなら、マカオを越えるようなプランになるのでしょうが、北海道のどんな都市も、あそこまで今ある資源を台無しにしてはいけないと思います。「目を醒ませ!」、思いつきならすぐに撤回すべきですし、まともにそんな企画を提案するのなら、もう一回顔を洗って出直して頂きたいと思いますね。とても責任のあるお話とは受け止められません。

ただ「消費する」だけでは・・・

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 人の話を聴いたあと、あるフレーズがずっと気にかかっている場合があります。

「メディア・アンビシャスhttp://media-am.org/」という任意団体が今年2月に始動しましたが、その時のゲストとして、東海テレビプロデューサーの阿武野勝彦さんがご講演をされました。彼の話の中で、自分が制作したドキュメンタリー番組を見たある方が、いとも簡単に「面白かったよ」と言ったというのです。阿武野さんはとっさに「一生懸命創った作品としての番組を、ただ消費された気がした」とおっしゃいました。私はその時の「消費」という言葉が、妙に心に残っていて、自分の中にある「使い捨て」の意味に近い「消費」に対する嫌悪感と共通なものを感じました。

「食」分野でも、スーパーマーケットの総菜売場が拡大しています。思い返せばもう40年も前ですが、私が学生時代に千葉県市川市で自炊生活をしていた時、コンビニも無かったし、スーパーに総菜売場などはそれ程無かったように思います。私は昔から、自分で調理するのは嫌いではなく、いや、むしろ一人で外食する方が、注文してから運ばれるまでの沈黙も含めて楽しくもなく、かなり自分のアパートで食べ物は作っていました。お皿に盛ることを省いて、鍋から直接食べたり、料理中に味見をしながら結構おなかが膨れたりではありましたが・・・。当時は、ニンジン・ジャガイモ等も一袋がかなり大きくて、一度買ってくると何日も保存するか、同じ食事を続けるか、それもまた良き思い出でした。

10年程前に、名古屋市内に単身赴任した時、学生時代と同様に私は住んでいたマンションの台所で自炊をしていましたが、学生時代とは違って、スーパーでの野菜・果物の一袋が、随分小さくなっている事、プラスチックトレイとか袋が極端に多くなっている事から、時代の変化を感じ取りました。同時に閉店時刻が深夜或いは24時間営業というお店の多いのにも驚きましたね。夜遅く出張から帰ってきても買い物が出来る便利さは確かに捨て難かったし、自分の部屋の小さな冷蔵庫の存在感は以前よりも格段に下がっていたように思います。それまでの間、札幌でもスーパーには家族と一緒に日常的にも行っていたのですが、全くの運転手或いは荷物持ちとして「ついて行っているだけ」の存在だったので気がつかなかったのでしょう。

この傾向は、私のアメリカでの経験でも同じでしたね。19歳でアメリカに初めて行った時と、それ以来度々アメリカに出張してスーパーマーケットの売り場を見た時とでは、「サラダバー」の出現とか、或いは逆に「COSTCO」のような倉庫の中に入って行ったような超大型店とかが出来てきて、大きな消費者の行動変化を感じました。

何を言いたいのかといいますと、「調理」というプロセスは、「食物」を作り出すただの手段のみならず、調達・調合・待機・熟成等の知的総合活動だと思うのですよ。その面白さ・価値を外部に簡単に「委託」して、安易に「食物」を手に入れる、そんな安っぽさを私は「消費」という言葉に強く感じるのです。買ってきてすぐ食べてお仕舞いみたいな、貴重な自分固有の食文化もへったくれもないではありませんか。たとえば、ゆで時間5分の乾麺を3分半の固めで食べるとか(これは文化といえる程のものではありませんが)、今日のつけタレは濃いめで食べようかとか、生産者の苦労に思いを寄せるとか、ですよ。あてがいぶちでは満足しない自分固有のスタイルというのがあるのではありませんか。

昨今の社会をこんな視点から振り返ると、同じような構図が見えてきます。例えば「教育」では、人を育てるというのはどんな場でも、本来は毎日向き合った中での格闘ですよね。喜怒哀楽、理屈では解決できない感情のぶつかり合いの連続でしょう?それ故に人間関係の微妙さ、社会の複雑さをその過程で学んで育つのだと思います。そのプロセスを本当にいとも簡単に他に手渡してしまう、自分の見えない場に遠ざける、せっかくの機会を手放してしまって、もったいないと言うか何というか。

メディアの情報もそんな気がします。最近の日本国民は、情報を「消費している」に過ぎないのですよ。「原材料」としての情報ではなくて、「総菜」としての情報に終始している、そんな感じです。提供者が悪いのか、消費者が悪いのか、意見の分かれる所かも知れませんが、奥行き・味わいがないのです。材料を使って自分流に解釈する、考える、組み立てる、そんな「構想力」を、優れた仲間とネットワークとともに、磨き続けたいものです。

新年度を迎えても、なお春遠し

Posted by 秋山孝二
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 平成20年度が終了しました。今振り返ってみても、、まさに歴史的な年度でした。昨年9月からの世界金融恐慌は、まだまだこれからも予断を許しません。一番心配するのは、日本国内の新聞・テレビ等のメディアが、その悪化していく状況に対して、理由もなく楽観的に過ぎるところです。日々の暮らしと世界経済が遮断されていて、空虚な笑いと騒々しさの中に、人々の価値観が「漂流」してしまっている気がするのです。そして何かの折にそんな事を口走ると、途端にバッシングにあうような雰囲気が蔓延していて、なお一層気持が滅入ってきます。

私は、だからと言って沈み込んでいる訳ではありません。むしろ全く逆で、向こう数年を厳しく予測するゆえに、今やらなければならない基本的な事が見えて来ているし、ここしばらくは、本来の経済活動を取り戻す過程と位置付けられると思うのです。現在の状況が、過去からの結果ではなく、未来の予兆と考える方法は、新しい視点の獲得として大変有効ですね。

雪の下にはすでに植物の新しい芽が出始めています。

札幌の農業は、今どうなってるか?

Posted by 秋山孝二
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 異業種の方々との月例会「サンプロ21」は、いつも大変刺激になります。それぞれのフィールドでしっかりした理念の下に活動されている方々の姿は、自分にとって最高の学びの場です。

今月はたまたま、「札幌の農業」についての話題が続出し、まず、知らない現実に気がつきました。と同時に、何となくは想像していたことが、説得力のある統計数字で裏付けられたとも言えます。たとえば、農家数が激減していて、とりわけ兼業農家の減り方が顕著なこと。農産物販売金額規模別農家数では、年間200万円以下が圧倒的に多いこと。更に法人化率が、わずか1.7%とのことです。「都市近郊農業として何をしたいのか」、「顧客は誰なのか」等を明確にして、速やかに担い手の育成ととともに、農業経営の企業化支援が急務との報告がありました。190万人の人口を抱える大消費地に近接する優位性を活かして、新鮮な食物を提供出来る環境は、これからの持続可能性から言っても有望ではありませんか。

またある方は、これまでは「土地の売却先」が主たる興味となっているので、そうではなく、「農地は社会資本である」という大原則から、「札幌のインフラ」と考えるべきではないのか、と都市近郊農業の再生に、市民の意識改革と政策立案を指摘する意見も出ました。

3月15日の朝刊に、「きらら」時代に幕、という見出しで、「ななつぼし」が食味向上・耐冷性で優位に立って作付が逆転したと報道されていました。更に新品種の「ゆめぴりか」も今秋には登場予定で、世代交代も加速するとの予測も出ていました。北海道の水田がここに来て注目されていますが、水田のフル活用には「食」、「米粉」、「エタノール」の三つの用途を考慮するのが重要との報告も先日の会で提起されています。

「自給率の向上」と総論の概念的な話より、身近な自分たちの日常の食生活をどう変えていくのか、それが問われているのでしょう。アメリカのミシェル・オバマ大統領夫人が、ホワイトハウス内の芝生を剥がして、菜園を作り始めたとのニュースを目にしました。まさに、最も身近な「庭を耕す」ところから、持続可能な地球を考えるというメッセージを発信する、ただ者ではない雰囲気を感じさせますね。http://www.cnn.com/2009/POLITICS/03/20/white.house.garden/index.html

比較にはなりませんが、私自身、5年前からささやかな自宅の庭の一部を耕し始めています。ほぼ時を同じくして、札幌市西区小別沢にあるNPO法人あおいとり http://homepage.mac.com/onnn/ が企画・主催する「農的くらしのレッスン」http://homepage.mac.com/onnn/Aoitori/Lesson_Home.html を受講し、また千葉県鴨川市の鴨川自然王国が主催する「里山帰農塾」http://www.k-sizenohkoku.com/satoyama/satoyama_top.htmlにも参加して、座学・実習で学びました。今、「農的くらしのレッスン」卒業生を中心として、「庭しんぶん」http://homepage.mac.com/niwa_niwa_niwa/index.html も発行しています。

長く「企業戦士」だった私は、最も身近な「土」との対話を通して、遅ればせながら「持続可能な地球」を体験し始めています。始めた頃は収穫が楽しみでしたが、この所は種を捲いてから芽を出す瞬間の日々を愛おしく思います。友人には、広い土地を確保して、本格的に農作業を行っている方々も多く、新しい時代の到来を感じています。私の場合はまだまだぎこちなく、また今後農業に従事するつもりもありませんが、スーパーで食品を買い求めながら、「農的くらし」を目指してはいます。ただスケジュールがたて込んでくると、直ぐに昔の「勝とう負けまい」精神に逆戻りするのではありますが。ベランダ菜園、家庭菜園、週末農作業等、農的くらしは多様で、中でも「半農半X(エックス)」的ライフスタイルは、なかなか素晴らしい生き方のような気がします。

夢を託すよ、若手ミュージシャン

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津軽三味線 白田路明 http://con-sent.net/peace/shirata_michiaki/

尺八 中村仁樹 http://www.masaki-nakamura.com/

パーカッション つちだゆうき http://06.mbsp.jp/pb2.php?ID=kuromame&c_num=11546&serial=19354&page=a&page2=0&guid=on

の3人の若手ミュージシャンによる「間の空間」ライブが北区和田珈琲館http://r.tabelog.com/hokkaido/A0102/A010202/1009103/ で行われました。

白田くん、つちだくんは今年1月のコラボレーションで聴いていましたし、中村くんは昨年9月の芸術の森でのライブで尺八の新しいジャンルに衝撃を受けました。楽しみにしていましたので、当日の尺八のソロと3人のコラボレーションも大変素晴らしかったです。若手の方々が三味線・尺八・パーカッションとそれぞれの楽器から独自のリズムと曲と、そして「間」により音を紡ぎだし、コラボレイトする、聴く方もハラハラドキドキの時間でした。

それにしても尺八の音色は心に沁みますね。多少かすれた感じの音から、奥行きのある低音域、針のような鋭い高音域、幅広い表現がリズムの変化とともに織りなす様子は、日本文化の心でしょうか。中村くん、これからの進化が本当に楽しみです。世界に向かって、大きく羽ばたいて欲しいです。

 

もう一つ、若手ミュージシャンと言えば津軽三味線の「吉田兄弟」です。先日札幌厚生年金会館で、10周年記念スペシャル「全国ツアー2009 いぶき」が行われました。デビュー10周年記念というだけあって大変盛たくさんの内容。前半の特別ユニットは個性溢れるミュージシャン達の登場で、私にとっては少々「too much」の感ありでした。音が多すぎる(?)、そんな感じで最初から最後までトップスピード、聴く方も目一杯で音が入って来なく、終わった後はかなりの疲労感もありました。後半は素晴らしかったですね。特に兄弟による「津軽じょんがら節」は、ソロありコラボあり、緩急も見事で、15分以上の演奏でしたか、やっと気持が落ち着きました。周辺の比較的年配の聴衆も、ここでやっと演奏に付いて来れた感じでした。

ツアータイトル「いぶき」も彼らのデビューアルバムよりの命名。原点回帰として10年間の思いを込めて、との意気込みもあったのでしょうね。「新たな挑戦」と若いミュージシャン達の「心意気」を受け止めました、ありがとう。

Information On Demand

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 「~危機を好機に変える情報の戦略的活用~」のサブタイトルがついて、日本アイ・ビー・エム株式会社主催のカンファレンスがあり、2000名以上の登録でした。http://www-06.ibm.com/itsolutions/jp/solutions/leveraginginformation/events/iodc2009/

私にとっては本当に久しぶりの情報系フォーラムへの参加でしたが、「情報の価値・認識」では時代の変化を具に感じて、今の時代の難しさも再認識しました。そんな中で私が経営の現場にいる時と変わらないテーマも多く、経営陣にとっては環境は一層厳しくなってきているのだろうと推測しました。このフォーラム、第一回が500名、第二回が1200名、そして今回が2100名の登録と年を追うごとに盛況になっている様子でした。

思い起こせば私は、1979年に札幌に戻って会社に入り、3年後に第2次オンラインシステム構築に向けたプロジェクトの責任者になりました。全社から現場の人間をピックアップして、仕事の分析から始まり、課題の抽出、創業100周年に向けて将来のあるべき姿等、しつこい議論の繰り返しをし続けた事が懐かしいですね。その結果出来あがったシステムは、今も陳腐化することなく動き続けていますから、しっかり議論した結果のシステムの根幹は、時代がどんなに変わっても普遍なんだとつくづく感じています。アプリケーションレベルでは沢山のシステム追加があったとしても、根幹を根こそぎ変える必要はないのです。企業というのも同じで、理念がしっかりしていれば、それに基づく事業も、人々に価値を提供し続けるのだと確信しています。入社間もない私にとっては、出来あがったシステム以上に、短い間に現場の人間たちと沢山のコミュニケーションが取れたし、頭の中だけですが業務の流れを広範囲に掴む事が出来ました。今考えてみると、将来経営者になるのに、最も基本的な実務を学んだ時代でした。

私のシステム担当経験で、一番印象深いのは、「経営シュミレーション」ですね。当時社長だった4代目社長の経営計画策定プロセスを、何とかシステム的に転換出来ないか、ほぼ毎日のヒアリングとコンピューター会社のSEの方との議論の連続、「PLANCODE」というシュミレーションプログラムをベースに休日も返上して、創っていました。1年くらい掛かって、やっと完成と大喜びで実際の経営計画策定で使用を開始。多くの変数を瞬時に変える事で、沢山の場合を想定した計画を策定して、経営者に対して提供できる素晴らしいツールと自負したものでした。ところがそれから数か月後に、今のパソコンレベルで出来るシュミレーションソフトが発売されて、入社1年目の社員でも簡単なシュミレーションが出来てしまうではありませんか。この数年の自分の努力と時間は何だったのか、と嬉しくもありちょっとした虚脱感もあり、複雑な暫くの時間でした。

ツールは簡単になったとしても、なお難しいのが「経営」ですね。外部環境は常に揺れ動き、競争環境も日々変動し、時には追い風、時には向かい風、そして社内環境も新陳代謝をしていくし、人が居るだけで問題が次から次に起きてきます。営業は人の為す技ではありますが、その人であるが故に課題も尽きないです。

まだインターネットというのも無い時代です。「ナプルプスかキャプテンか」、と一生懸命沢山の案件にも首を突っ込んでいましたが、インターネットの普及で世の中が様変わりでした。技術革新の不連続な発展を実感しています。

先日のカンファレンスですが、学者の方の話は難しいですね。簡単な事例をどうして難しく説明しようとするのか。アカデミックセクターには裏付けを得るような貴重な役割と同時に、社員も顧客も研究者じゃないですよ、と言いたくなる場面と同居する様な気がします。

「Information On Demand 」、その「Demand」のプロセスに経営者の力量が問われるのでしょう。

ダルビッシュは、良く頑張ったじゃないか!

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 今日のWBCキューバ戦で、日本が勝って準決勝進出を決めました。岩隈・杉内が本当によく頑張りました。

私は、今朝の朝刊各紙の見出しには、大いなる疑問でした。昨夜の韓国戦、ダルビッシュがわずか3点取られて、どうして責められなければならないのでしょうか。侍ジャパンは1点か2点の得点で勝つイメージでいたのでしょうか。5回20人を相手に、4安打、7三振、1四球ですよ、本当によく頑張ったではありませんか。北海道日本ハムファイターズなら、チームメイトは皆、「よく頑張ってくれた、後は俺たちに任せろ」と言うに違いありません。「サムライ」の文字が泣きますよ。

中継テレビの解説者・アナウンサーも、何の見識もない、ひどいコメントの連続ですよ。結果を出せないイチローに対しても、ここにきて、やれ「年齢から来る衰え」とか「一人安打が出ずチームの足を引っ張っている?」、何なんでしょうね、まったく。大体、現役時代に脇の甘い野球しかしていなかった連中が、解説席に陣取って、無責任な話ばかりです。今の侍ジャパンの課題は、ひとえに打撃でしょう。打撃コーチは何をアドバイスしているのか。稲葉も上向きですし、今日以降は期待に応えてくれるでしょう。

ダルビッシュくん、君は本当によくがんばりました。これからも是非大活躍をお願いします。北海道から応援しています!

祝! 内藤財団40周年

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 秋山財団の創設から今日までご指導頂いている内藤記念科学振興財団http://www.naito-f.or.jp/index2.html が、今年創立40周年を迎え、昨日今年度助成金贈呈式が開催され、出席しました。

今年度は総件数236件、総額4億315万円、これまでの40年間の累計では、件数で4000件を超え、総額でも45億円超となっています。自然科学系を中心として大変着実な実績を残して、同時にこれまでの私どもに対する適切なアドバイスに、心から感謝しています。

秋山財団設立前に、私はエーザイ(株)http://www.eisai.co.jp/ir/index.html の当時の取締役研究開発本部長・内藤晴夫さん(現社長)に相談する為に、筑波の研究所に行きました。民間・自立財団の基本的な事項を教えて頂き、当時の事務局長熊谷さん、理事で以前北海道大学教授でもあった伴義雄先生をご紹介下さいました。熊谷さんには財団運営の実務、伴先生は当時習志野の東邦大学薬学部教授に就任されていて、研究室を訪問し、「21世紀はライフサイエンスですよ」とのアドバイスにより、秋山財団の名付け親になりました。もう24年前のお話ですね。その後、伴先生は北海道大学総長になられて、引き払ったはずの札幌に、またお戻りになりました。そのご自宅が私の家ともすぐ近くだったので、何かとお話を伺う機会もありました。

エーザイの創立者内藤豊次さん・祐次さんは、戦後すぐから、私の祖母・伯父・伯母はじめ秋山ファミリーとも親しくお付き合いをしていて、自然科学研究・創薬に関しての情熱は、当時から大変強いものがあったようです。そんな関係で、晴夫さんとも私は親しくさせて頂き、今日に至っています。

昨日配布になった40周年記念誌「若い研究者のために」という本の中で、内藤晴夫理事長は、「当財団の最大の誇りは、常に公正な最先端の科学的思考により物事が律せられていることであり、特に選考においては委員各位の客観的意見集約の努力により、科学的観点より最良の決定がなされていると自負しております。そして財団の資金面においては、多くの寄附者の持続的ご支援を得ていて、その裾野の広さも私共の誇りとするところです。」と述べていらっしゃいます。

内藤財団の理念・目指す目標の高さにいつも敬服しています。そして同時にそれを支援する方々の裾野の広さ、秋山財団もそんな民間財団のあるべき姿に向かって努力していきたいと思っています。

式が終了して受賞者の方々が前方から退場していく時に、後部にある来賓席のお一人が笑いながら、「頭を使っている研究者の方々には太った体型の方が一人もいませんね」と、隣の方にもらしていました。そう言えばそうかな、でしょうか?

いずれにせよ、40周年おめでとうございます!

早起きは三文の得

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 日曜日の早朝5時頃、何気なくテレビのスイッチを入れましたら、NHK教育テレビで「こころの時代~無は無限大~」が放映されていました。

相國寺派管長http://www.shokoku-ji.or.jp/shokokuji/index.html

有馬賴底(ありまらいてい)老大師http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%97L%94n%81@%97%8A%92%EA/list.html

「人間本来 無一物」と題して、「無は無限大」の意味を1時間、丁寧に語っておられました。以下、印象に残ったお言葉です。

*「知」は会得するもの、真の自由人は解き放たれる

*「転じる力」を培う ――>執着したり、とらわれたりしている時はダメ

*霊性を揺さぶる力 ――>眠っている力

*空っぽで生きていく事が、最も豊かな事

*僧堂にこもる + 行脚する  :黙想と行動のバランス、体験して初めて納得できる

*師匠の笑顔は見た事がない

*ボヤの直後の「片付けろ!」の師匠のお言葉、「見ていてくれた」事への感動

一方、つい先日、鈴木大拙著「禅と日本文化」(岩波新書)http://kindai.bungaku1.com/showa01/zen.html を読んだばかりでした。この本の初版は英文で1938(昭和13)年、和訳本は北川桃雄訳で1940(昭和15)年の出版です。禅と美術、武士、剣道、儒教、茶道、俳句、を通して禅の精神を几帳面に述べています。同時に日本文化を世界に説明する強い意欲を感じました。冒頭の第一章では「禅の予備知識」として、丁寧にその基本が記述されています。日本文化の非相称性、禅の精神の「孤絶性」、「孤独性」他、「無執着」と言い換えてもいました。

新渡戸稲造の「武士道」もそうですが、欧米人に対して日本文化を伝えたい、という情熱を全体を通じて感じます。

休日の早朝、頭が「空」の状態で響き会う言葉も多く、「三文の得」でした。

ムビラとパーカッションとのコラボレイト

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 「春よ来いこい 宮の森あったかコンサート 第三弾」が、私の住む町内会、宮の森明和会館で開催され、老若男女40名以上が参加しました。主催は私も世話人の一人ですが、「宮の森の環境を守る会」です。http://www.jichiro.gr.jp/jichiken/report/rep_hokkaido32/3-1/3-1-jro_3151102/index.htm

演奏 AKI SETODA ・・・・キーボードプレイヤー、ムビラ奏者http://ameblo.jp/natural-notes

         AYA IZUMI ・・・・ムビラ奏者

    詩・譜・音(し・ふ・おん)・・・・詩人、兼 パーカッショニスト http://profile.myspace.com/index.cfm?fuseaction=user.viewProfile&friendID=1000419355

ブラジル・キューバの「コンガ」、「ボンゴ」、アボリジニより伝わる世界最古の木管楽器「ディジュリドゥ」と、「ムビラ」のコラボレーションでしたhttp://www.mbirazvakanaka.com/mbira/about_mbira.html。「ムビラ」は、アフリカ南部ジンバブエに住むショナ族古来の民族楽器です。祭礼や儀式の時に、祖先の霊やスピリット(精霊)との交信をするために演奏されてきた神聖な役割を持つ楽器で、オルゴールの原型となった楽器です。先日の演奏は2台のムビラで、一般的にはこれが基本のセッションとの事、そのうち一台から複雑な音を紡ぎ出していました。

パーカッションとのコラボレイトは4小節ほどが一単位で、そのバリエーションが延々と続く感じでした。アフリカ現地の演奏では数日間続けての場合もあるそうです。原始の音と言うか、自然に体も動いてくるリズム感、人の生理にもあった心地よさというのでしょうか、体に染み入る感じでした。当日は背景に、1年間掛けてアフリカ大陸を一周して撮影してきた演奏者・瀬戸田さんのスライドショーも同時に映し出されていて、アフリカの臨場感もいっぱいでした。

後期高齢者医療と地域連携

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 医業経営セミナーで、旭川医大学http://www.asahikawa-med.ac.jp/new04/gaiyou/gakucho.html・吉田晃敏学長、医療法人財団夕張希望の杜http://www.kibounomori.jp/・村上智彦理事長、厚生労働省保険局・宇都宮啓企画官がパネラーのフォーラムがありました。それぞれご自分のフィールドから、貴重なお話の数々であり、秋山財団の理事でお世話にもなっている吉田学長は、立体ハイビジョン等を駆使しての遠隔医療の実践を、映像を使っての分かりやすいご説明、村上理事長は、地域医療について、行政・メディアへの問題提起を織り込みながら、夕張市の破綻の現実の中で、力強く活躍する姿に説得力を感じました。

昨年は「後期高齢者」という言葉に批判が集中しましたが、医療保険制度に近い位置で仕事をしていた私にとっては、この言葉への批判に当初は戸惑いを感じました。それ程、関係者の間では、日常的に使われていましたので。「終末医療」、「末期医療」、「前期高齢者」、とともにです。しかしながら、新たな社会制度として幅広い国民への説明には、ごく常識的言葉とか、事前のきめ細かい説明等が必要な事を痛感致しました。思い起こせば、介護保険導入に当たっての繰り返し全国で開催された説明会・意見を聴く会等の地道な努力と比べると、昨年の「後期高齢者医療制度」の導入時は、事前の努力が足りなかったとの批判も甘んじて受けざるを得ず、一層その説明責任の大切さを認識します。政策立案者の「コモンセンス」の重要性とでも言うのでしょうか。

その点、現場で日々悪戦苦闘する方のお話には、地域で暮らすごく普通の人(?)の息使いを感じて、「なるほど」と思う部分が多いですね。「村上スキームhttp://item.rakuten.co.jp/book/5703344/~地域医療再生の方程式」で村上先生も語られていますが、「生活習慣の重要性」とか、「赤ひげを作らない」、「医師に、骨を埋めよとは迫るな」とか、医療を担う側の生の声を率直に聞く事が出来ました。以下は、お二人のお話からの私の心に残ったお言葉の数々です。

吉田先生 *地域連携は同時に世界連携

       *個人の医療情報は個人で管理する時代

       *広大な北海道では、人(医師・患者)が動くのではなく、情報を動かす事で地域医療を創り出すべき

       *健康増進で、ITは極めて有効

村上先生 *夕張は日本の縮図

       *大量の医療費未納、市営住宅費滞納、学校給食費未納等、地域住民は「かわいそう」ではないだろう、義務を果 

       たしていない人と果たしている人とが、同じサービスを受ける事は問題ではないか

       *医療崩壊の原因は、都市部への患者集中、地域医療・連携は「棲み分け」であり、高齢者医療は「予防」と同時

        に「生き甲斐」が必要であり、医療はその手段と考えるべき

       *都市部は「戦う医療」で、地方は「支える医療」

私の高校同期で首都圏で活躍する医師の数人が語っていました。「自然環境が豊かで身近な北海道で医療を行いたいという医師は、自分の周りにもかなりいるよ。ただ、行政とか地域住民から、骨を埋めろと言われる事が一番の障害だろうね。そこまでの決断を迫られると躊躇してしまう。半年とか1年間の契約で、複数の医師或いは医療機関と契約してローテーションを組んで担い手を安定供給する、そんな仕組みを地元は考えられないものか」と。

医療を巡る最近のメディアの報道を読んでいると、あまりに患者サイド一辺倒という気がします。医師・コメディカル等の担い手にとって持続可能でない限り、結局は患者にとっても不都合な医療となってしまうのではないでしょうか。

「奇跡のリンゴ」と「希望のミルク」

Posted by 秋山孝二
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 酪農学園大学連続公開シンポジウム「健康な土から生まれるリンゴと牛乳」で、「奇跡のリンゴ」の青森県弘前市果樹農家・木村秋則さん、「希望のミルク」の網走郡津別町酪農家・山田照夫さんの講演会・総合討論が、500人を越える聴衆を集めて開催されました。

木村秋則さんhttp://www.sun-act.com/kimura/ は、農薬と肥料を一切使わない農法により、りんごと米を栽培しています。10年近い無収穫のリスクを取っての体験からとは想像も出来ない明るさで語られました。

山田照夫さんhttp://www.nhk.or.jp/tabemono/back_number/081109.html は、「自然」「人」「牛」全てにやさしい循環酪農をめざして活動してきたお話をされました。以下、キーワードを幾つか書きとめました。

*新しいことは何もしていない、自然の仕組みを取り込んでいるだけ

*ずっと土の上だけを見てきた、土の中を見ていなかった――山の土を畑に戻しただけ

*「熊も食わないリンゴ、9月に咲く花」、何か変でしょう

*葉の穴は、自分の病気を落としている跡――木が自分を治癒している

*「有機畜産」とは、1)有機飼料の給与 2)動物用医薬品の未使用 3)「家畜福祉」という考え方

*アブラムシの天敵はテントウムシ(?)、一日に何匹食べるか数えたのか!自分は数えた

*柔らかい土の驚くほどの保水性

*根が生えやすいように、その助けをしているだけ

*リンゴを作るのはリンゴの木

*土づくり、それは多種多様の雑草をはやすこと

*虫が虫を食べること、これが自然であり、対症療法は間違っている

*対症療法ではなく、予防が一番

とにかく、あっという間の4時間でした。予定を1時間以上もオーバーしましたが、誰一人途中で帰る者もなく、ホール全体は熱気と一体感で最後まで溢れていました。山田さんの「消費者が一番難しいね」とポツリと語ったのが印象的でした。

締めの酪農学園大学・谷山弘行学長のご挨拶では、「お二人のリスクを取った勇気ある試みに、これまでアカデミックセクターは農業分野で何をしてきたのか、大きな問題提起でした。酪大は『実学』を誇りとしてきましたが、『座学』であった事をあらためて認識しました」、とおっしゃっていました。大変謙虚で、そしてお二人への最大限の称賛のお言葉と受け止めました。新年度から、有機農業の講座も開設されるそうです。

お二人とも大地の現場からのお話で、大変説得力があり、明るく面白く、北海道・東北での食・農の可能性を感じた場でした。

「クミコ・ワールド」とでも言うのでしょうか

Posted by 秋山孝二
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 クミコ http://www.puerta-ds.com/kumiko/ ・プライベートライブコンサートが、札幌市北区のライブハウス「トーン」http://www.cafe-tone.com/ で開催されました。会場いっぱい、とは言っても50名程の聴衆でもう満席ではありますが、男性はその中で6人でしたか。

「トーン」のオーナー宮澤さんとはもう長いお付き合いのクミコさん、毎年ミニライブをここで行っています。先日も大阪からの追っかけの方も複数いらっしゃいました。ピアノは上条泉さん、いつも素晴らしい伴奏で、今回は特にテンポの速い「百万本のバラ」がまるで別の曲のようでした。

アンコールでは新曲「届かなかったラブレター」も聴く事が出来ました。   作詞 覚 和歌子、 作曲 三木たかし、です。

 

・・・・それは他愛もないくせに、かわりのきかない日々でした

一粒の勇気 それさえあったら、こんなに悔やまないのでしょう

ごめんなさい ありがとう、ずっとあなたを 愛していました

声を枯らして叫んでも、もう届かない言葉たち、もう届かないラヴレター

 

それは他愛もないくせに、抱きしめたいような日々でした

こんなに悔やんで悔みきれぬまま、それでも生きていくのでしょう・・・・

 

更にもう一曲、ミュージカル等で活躍する井上芳雄くんhttp://www.grand-arts.com/yi/profile/index.htmlとのデュエット「車輪」も入っていたCDも販売していました。昨年9月18日の満員の武道館でのジョイントライブ「Great Vocalist My Favorite Songs~私の好きなあの歌を~」も、クミコ、井上芳雄、イルカ、姿月あさと、白鳥恵美子、吉田美奈子、Bioom、日野皓正、とプロ中のプロばかりで、大盛況でした。当り前の話ですが、プロの上手な歌は本当に心に染み入る力を持っています。

井上芳雄クンの事は、彼のご両親と福岡時代からのお友達の方が、以前私が居た会社にいらっしゃって、私が副社長時代からその将来性は承知していました。時々機会があればコンサート・ミュージカルにも足を運びましたが、とにかく歌が飛びきり上手でした。上手過ぎるのが弱点と言いたい程でしたね。でも、これから経験を積むにつれて、間違いなく日本を代表するミュージカル俳優として世界で活躍すると思います。テノールの伸びのある声とともに人柄も素晴らしいです。

クミコさんの巧さは、何なのでしょうか。お話をする声とはまるで違い、シャンソニエで鍛えた艶のある澄んだ声、語るような表現力、先日の「愛の讃歌」を歌った時にも、隣の女性お二人は涙を流していました。昨年でしたか、「徹子の部屋」に出演した時の様子を何かで観ました。デビュー当時からの20年以上の苦労を笑顔で語る姿が印象的でした。今年7月11日(土)夜、12日(日)午後の2回、札幌でライブコンサートが予定されています。

井上芳雄クンとクミコさんがデュエットで歌う「車輪」も素晴らしいです。これからも二人の曲が続けて世に出る事を期待しています。歌の力による「ワールド」に感動致しました。