先日の道新朝刊札幌圏版の活字が目に飛び込んできました。
「W杯100キロマラソン日本代表 札幌チームの男女健闘、団体・作田さん金、太田さん銅」の見出しと、ジャパンの活字入りユニホームに金メダルを掲げる写真も一緒でした。「マラソン・作田」の文字に、私は瞬時に記憶が蘇りました。
彼は大学卒業後に、医薬品卸業の(株)秋山愛生舘に入社しました。面接時の様子を今でもはっきり覚えています。透明感のある前向きな雰囲気に、当時面接・採用担当の一員として是非採用したいと決めました。入社後に順調に育って営業職へと転身し、市内の支店で実績をあげていたある時に、「マラソンをもっと続けたいので、退社して大学時代からお世話になっている指導者のいるM百貨店に移りたい」旨の意思を採用担当課長経由で聞き、大きな衝撃を受けました。通勤の行き帰りもリュックサックを背負いランニングの毎日だっと聞いていました。まだ若い人間が前向きな動機で自分の人生を転進しようとする時、私自身の辿ってきた道からも、立場としては気持ちよく送り出してあげるのがベストなのだと自分に言いきかせて承諾致しました。
数年たった夏の暑い日、北海道マラソンでした。自宅から10分程度の場所が当時35キロ前後のコースになっていて、私の子どもを連れて何年か続けて応援に行っていました。そう言えば有森裕子さんがオリンピックで復活したきっかけをつくった時も同じ場で応援して、少年のような彼女のリズム感あふれる走りを見ていました。事前に作田くんが走るのを新聞か何かで分かっていたと思うのですね、地元ではかなり期待の選手との報道だったと思います。本当に暑い日差しの中で、自転車の先導部隊の後、彼が先頭の比較的早い集団の中で走る姿を見つけました。思わず大きな声で「作田、ガンバレ!」と辺りも気にせず私は連呼しました。彼の視線も気のせいかこちらに少し向いたようにも見えたのですが、汗をかいて光る黒褐色の肌としっかりした目線で前を向いて走るその姿に、涙が出てくるほど感動したのを今でも忘れられません。
翌日の新聞で結果を見ると20位との事でした。早速会社の本人宛に祝電を打ちました、35キロ付近で走る姿を見て感動したことも含めてです。初心を貫徹して走り続ける彼の生き方にも拍手を送ったつもりでした。数日後に、移ったM社の当時のI社長にある会合で会う機会があり、「先日の北海道マラソンで作田くんが頑張りましたね」とお祝いの気持で話しかけた所、その社長は「20位じゃ宣伝にも何にもなりやしないよ」との返事。私は怒りを堪えきれずにその場を離れました、「お前なんかに作田の努力が分かるはずないじゃないか!」。
彼の妹さんも確か(株)秋山愛生舘に勤めていらっしゃって、その同僚から後日何かの時に、彼が私からの祝電を自分の部屋の壁に貼っているとの情報を得ました。私の気持が伝わったと再度感激した次第です。
今回の100キロマラソンでは28カ国から180人以上の参加があったとか。記事によると「世界にはまだまだ年上の代表選手がいました。今回の経験を次に生かしたい」と抱負をの述べています。本当にコツコツと地道な努力の積み重ねで、よく20年以上も過酷なマラソンを走り続けているものだと、頭の下がる思いです。
作田くん、これからもあなたらしい人生を歩み続けて下さいね、この度は本当におめでとうございます!