徳田達介さん、逝く

Posted by 秋山孝二
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 私には、これまでの人生で心の底からお世話になったと言える何人かの方々がいます。学生時代から教員時代、そして結婚して以降も、長い間たくさんのお心遣いを頂いた徳田達介さんは、その中でも決して忘れられない一番の方です。

 10月にお亡くなりになったことを年末の奥様の喪中のはがきで知り、先日、杉並区のご自宅に行き、納骨の前にお礼を述べて参りました。

ご自宅で

ご自宅で

 ご本人の強いご希望で戒名は求めず、「徳田達介」の位牌が印象的でした。奥様と長女の恭子ちゃんとしばし昔話と昨年の最後となった小笠原島へのクルージングのお話等、時間を忘れて振り返りのひと時を過ごすことができました。

ご本人の強い遺志で

ご本人の強い遺志で

 思い起こすと、私の学生時代のアパート探しから始まり、節目節目で言葉では言い尽くせない程お世話になりました。

 特に思い出深いのは、私が1971年に大学二年を終了して休学し、その秋に横浜大桟橋からアメリカに行く船の旅を強く進言したのは徳田さんでした。海外への飛行機の旅はこれからいくらでもできるけど、船旅は時間のある今しかできないからと。そしてこの一人旅は、私の人生の大きな転機となりました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2626

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4431

 2000年でしたか、世界一周の船旅をご夫婦で体験された時、当時名古屋で単身赴任だった私は、東京の有明桟橋にお見送りもお迎えにも行ったことは忘れられません。その後もクルージングの旅は回を重ねて行かれていたと先日も奥様からお話を聞きました、本当に船がお好きだったのですね。

 また、私が3年次に復学してからの大学時代、恭子ちゃん、幸子ちゃんの二人の娘さんの家庭教師として、千葉大学西千葉キャンパスから西荻窪に行き、帰りは千葉県市川の私のアパートに戻る暮らし。勉強を教えたというよりも夕食を頂きに行っていたという方が的確なくらいお世話になりました、先日、恭子ちゃんと本当に久しぶりにお会いしましたが、昨日のことのように当時のことを思い出しました。

 これまでのたくさんのご厚情への御礼をお伝えし、ご家族と昔話と秋山家の近況をご報告して玄関の外に出ると、快晴の空の向こうに雪を冠した富士山が美しく見えました。

マンションから見事な富士山!

マンションから見事な富士山!

 人の命には限りはあるけれど、私がお受けしたお心遣いは決して忘れることはなく、私自身、誰かのために心からの応援と支援をしていきたいものと帰り道に心に刻んだ次第です。

 徳田達介さま、本当に永い間お世話になりました、どうか安らかにお眠りください。