今月号の岩波『世界(https://www.iwanami.co.jp/book/b372513.html)』に寺島実郎さんの連載「脳力のレッスン特別篇」として、「一九六八年再考――トランプも『一九六八野郎』だった」は、大変興味深い内容です。
私にとっての『一九六八年』は忘れることができません。高校3年生、受験を控えていましたが、ベトナム戦争で疲弊する世の中は何か騒然としていて、東京大学入試中止、朝永振一郎先生に憧れて当初志望していた東京教育大学も、年が明けて早々に入学試験が中止となりました。数年後、大学は都内から筑波学園都市に移って「筑波大学(http://www.tsukuba.ac.jp/)」となり、現在に至っています。そして、後に振り返ると、私の首都圏での大学生活では、キャンパスでの学びよりも、外での集会等での出会い、そして山本義隆さんの存在が大きいです。
山本義隆さん関係記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E7%BE%A9%E9%9A%86
* これまでの「1968年」記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=1968
今振り返ると、この時期にどんな立ち位置で時代に関わっていたかは、その後のそれぞれの人生に大きな影響を与えているように思います。これまでお会いした数多くの方の中には、同時代を生きていながら、「全共闘って何?」という輩もいたりして、それが現実かと妙に納得したりいろいろです。
寺島実郎さんの記述によると、例えば、アメリカのトランプ大統領はこんな感じだったようです、「これじゃね~」と思うのは私一人ではないでしょう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~寺島実郎さんの記述から引用
・・・1966年秋に入学したペンシルベニア大学のウオートン・ビジネススクールでは、「美人を連れて歩くのが好きな奴」という印象を多くのクラスメートに残している。・・・自分を「シンシナティ・キッド」と呼んで、卒業時には20万ドルの財産を持っていたと胸を張るが、1968年という時代に世界の若者が「社会変革」に血をたぎらせていたことなど関心の対象外で、一切の言及はない。
・・・この時代を生きた米国の世代に関して気になるのはベトナム戦争との関わりである。・・・「医学的に不適格」として兵役を回避する自分本位の男、時代に正対もすることなく青年期を自分自身のためだけに生きた男というのが若きトランプの実像といえる。
・・・この自己陶酔型の人物の視界には、目指すべき理念、自分の生き方に疑問を抱く力、問題を深く考察する知的葛藤が皆無である。それが、世界の不幸をもたらしていることに気づく。
・・・国の掲げる価値を真摯に信じてベトナムに行った青年は死傷し、背を向けて「女とカネ」に執着していた男が大統領になる。こんな理不尽があっていいのであろうか。だが、それが現実なのである。
・・・確かに歴史は一直線には進まないが、長い視座で考えれば条理の側に動く。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり
今、65歳を越えた年齢になって私が思うのは、当時の揺れ動く価値観の中でも時代と真摯に向き合っていた自分の姿勢は評価したいなと。教員時代も、企業経営者時代も、そして今もそうです、足元の日本・北海道を基盤にした歴史認識を求めて、寺島実郎さんが言う「歴史の鏡を磨く」ことから、「持続する志」を持って、課題に挑戦したいものです。
あらためて「一九六八年」は、私にとって第二の誕生日です。