記念館HPより 引用~~~~~~~~~~~~~~~~~~
新渡戸文庫から十和田市立新渡戸記念館へ
私設・「新渡戸文庫」設立の主目的は、稲造博士や三本木原開拓に関する資料の「保管」であったが、その後、より一層三本木原開拓の偉業を顕彰し後世に伝えるため、新渡戸文庫を取り壊し、十和田市が新渡戸家の協力により太素塚境内に新たに建設、昭和40年3月「十和田市立新渡戸記念館」として開館した。十和田市立新渡戸記念館は、新渡戸傳(つとう)翁を始め、嫡子・十次郎、嫡孫・七郎の三代にわたる三本木原開拓と十次郎の三男であり、国際親善に大きな足跡を残した新渡戸稲造博士の業績を、それらの関係資料の調査、収集、保存、展示を通して顕彰していく事を目的としている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり
この施設の史料の所有者は新渡戸家、運営主体は、「太素顕彰会」です。この会のはじまりは太素・新渡戸傳(つとう)の没後、明治時代につくられた「太素講」にあります。講長は町長、市長など歴代首長が務め、新渡戸傳と十次郎の偉業の顕彰を目的として、「太素祭」の主催を中心に活動していましたが、その後大正14年に私設・「新渡戸文庫」が建設されると、文庫内に納められた新渡戸稲造博士の遺品などの保存も規約に加えられ、昭和39年の「新渡戸記念館」建設を機会に、現在の「太素顕彰会」と名称をあらため、太素塚と記念館の管理、運営を行うようになりました。さらに平成18年度からは「太素顕彰会」が市の指定管理者として記念館の管理運営を行うことになり、平成19年度には市商工会議所会頭を会長とする新体制へ移行しました。
角田さんの説明にもありましたが、ここの多彩な活動は、これから始めようとする私たち札幌の活動に大変参考になります。子供たちを対象とした「新渡戸塾」ほか、ボランティア組織「Kyosokyodo(共創郷土)」のダイナミックな展開ほか、2012年に、“稲生川開削と三本木原開拓の志を活かし、共創郷土の伝統を未来に”という意志のもとに連携する「太素の水」保全と活用連合協議会の地域活動(https://sites.google.com/site/towadamirai/home)が、公益社団法人日本ユネスコ協会連盟の「プロジェクト未来遺産:http://www.unesco.or.jp/mirai/」に登録されました。
一方、地域開発・まちづくりの歴史の視点からは、三本木原の開拓の歴史が素晴らしいモデルです。当時としては大変斬新で、まちの中央の「大通り」は堂々たる直線道路で軸を成し、稲作の命の水をこの地に引く「稲生川:灌漑用水路」は、今の時期水深3メートル程で水田に貴重な水を供給しています。秋から冬にかけては底が見えるとか。この水路はトンネル掘削技術をも駆使し、まさに「いのちの水」を象徴しています。
このまちづくりの「歴史・文化」が、現代アートの大変ユニークな美術館につながっているような気がします。正直に言って、行く前の予想を大幅に越えた感動を覚えました、世界各国の芸術家全ての作品の突出したコンセプトとこれを維持・管理している三本木のマチの人々の「力」にです。
「温故知新」をコンパクトに目の当たりにしたここでの時間は、これからの市民活動の「力」を得た気がします。今生きる「場」を、「自分たちで守り、伝え、創る」、その気概が歴史の中にしっかりDNAとして一人一人の市民に埋め込まれている、こんな感動なのでしょう。
貴重な訪問となりました、三本木原の皆さま、ありがとうございます!