『SONGS』 中島みゆき特集!!

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 NHK総合テレビの『SONGS』は大泉洋とゲストのやり取りで毎回大変面白いですが、今回の『中島みゆき特集』も、じっくり聞かせる曲が数曲あり聴かせる番組でした。「ヘッドライト・テールライト(https://utaten.com/lyric/ja00009329/)」、「銀の龍の背に乗って」は特に素晴らしいですね。

* https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2023030210137

 「旅はまだ終わらない」、「急げ傷跡、羅針盤になれ」彼女の曲、特に歌詞の力は本当に強く心に響きます。

< これまでの関連記事 >

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=SONGS

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%8D

学校林修復・復興作業シリーズ(1)

Posted by 秋山孝二
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 ついこの夏、作業をしたばかりの札南高学校林が、9月5日未明の台風21号と6日未明の北海道胆振東部地震により、大きな被害を受けました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=34150

 直後から作業道チームが山に入り被災調査を行った結果、かなりのエリアに倒木・地割れ等が見つかり、当面の作業道の復旧作業と中期的な復興計画を策定して新たな活動を始めています。今回から、「学校林修復・復興作業シリーズ」として、記録を書き留めることにしました。どれくらいの期間続くか分かりませんが、現実と真摯に向き合い学校林の保全に努めたいものです。

* 札南学校林ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E6%9E%97

 学校林復旧作業第3回目、10月6日朝6時から開始、雨が降る前の15時まで続きました。私は早朝グループに参加、朝5時15分には家を出て清田区白旗山入口の集合場所に向かいました。力強いバイクチームを含めて20名を越える方々が集まり、作業手順を確認して学校林に入り、黙々と作業道修復にあたりました。これも歴史の一コマと後輩たちは語り継いでくれるでしょう!

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【作業チームのスレッドから】

2018年9月5日未明の台風、翌9月6日未明の胆振東部地震の影響で、学校林も少なからず影響を受けました。

学校林内の状況や復旧作業の進捗、
必要な情報等はこちらでやりとりいたしましょう。

まずは画像の被害状況MAPをご覧ください。

〈復旧プラン概要〉
1.林道開通=H30年度積雪(12月初旬)までに完了。
※大人数でできる作業有

2.風倒木処理=H30年度間伐時期(10月~12月中旬)までに完了。
※大人数でできる作業有

3.林道・森林作業道の補修・復旧=H30~31年度(10~12月/来5月~7月)の期間で完了
※林業チームによる

4.被害の大きな箇所の復旧=H30~31年度(10~12月/来5月~7月)の期間で「ある程度は」完了させたい。長期的な作業も必要か。
※大変な危険が伴う作業のため、林業チームが施工、復旧作業コアメンバーに立ち合いと記録を御願いしたい

以上(2018.9.18.足立)

コメント欄にて詳細等後々UPします

被災状況概略図

被災状況概略図

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 繰り返しになりますが、多くの作業道を塞ぐ倒木を目の当たりにすると、しばし呆然。でも、中島みゆきではないけれど、「倒木の敗者復活戦」で頑張ろうと前を向いています、いい歌、心にしみる、東北、札南学校林の敗者復活戦ですね。

https://pv755.com/toboku-no-haisha-fukkatsu-sen

 私は、会社時代の防災用で手元に置いてあったヘルメットを学校林仕様に文字代え、こんな使い途で学生時代以来(?)数十年ぶりに被ることになるとは思いもよりませんでした?!

会社の防災用を学校林修復用に!

会社の防災用を学校林修復用に!

 私は骨折した足は万全ではないのですが、黙ってみている訳にもいかず、できる限りの作業は自分なりに続けました。

私も作業で

私も作業で

ライブ 2018 @ cafe tone

Posted by 秋山孝二
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 札幌市北区の「Cafe tone(http://cafetone-cafe.com/」で、今年初めてのライブ、「花音*めぐ & 洋子『バラード シャンソン 時々 ラテン』 ♬♪♩」でした。お二人には昨年11月の「INAZOサミット」でも大変お世話になりました。

* INAZOサミット――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=INAZO%E3%82%B5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88

参加者全員で

2017年11月「INAZOサミット」で

 この日は大雪のせいか(?)、シャンソン&ラテンはバラードに変更となり、宮澤洋子さんのオリジナル曲で綴られました。さらには、「糸(http://j-lyric.net/artist/a000701/l0000fa.html)」も。

宮澤洋子さんのピアノ・オリジナル曲&伊藤めぐさんの唄

宮澤洋子さんのピアノ・オリジナル曲&伊藤めぐさんの唄

今年、スタートのライブ

今年、スタートのライブ

終了後、しばし歓談!

終了後、しばし歓談!

 この場所は私にとってたくさんの思い出があります。遡ること15年、札幌市長選挙に立候補した時、宮澤洋子さんはじめ多くの支持者の皆さんがここで熱い応援をして頂き、力を貰いました。それ以来、昨年11月のサミットでは、再度、実行委員会代表としてほか、仲間の方々にも力強いパワーを与えてくれました、ありがとうございます。

 これまでの Cafe tone 関係記事――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=cafe+tone

 ブログを振り返ると、懐かしいこんなコメントも見つけました。

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クミコ・スペシャル・ライブ

 今年もtoneでのクミコさんのライブが実現します。昨年もロイヤル・ホテルでのクリスマス・ライブの前日にtoneでライブがありました!その時の感動がまざまざと蘇ります。そして今年は22日(金)の20時からに決定!東京でも 今や年に数回しか聞けないクミコさんの小ライブが札幌で聴くことができる貴重な機会です。クミコさんの唄は心の深いところへ きちんと届く魂の唄です。一度聴いたら忘れられない強い印象が残ります。私は20年前に東京の銀巴里で、一度だけクミコさんを聴いたことがありました。今『わが麗しき恋物語』以来 こんなに活躍されてとても嬉しく思います。彼女の人柄も素晴らしく、上條さんのピアノ伴奏も絶品です。チケット8000円の価値は聴いていただければ納得です。今年はぜひ心暖かな感動のクリスマス・ライブをtoneでお過ごしください。お待ちしております!

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 今年もクミコさん(http://www.puerta-ds.com/kumiko/)のライブが4月に札幌で予定されています、中島みゆきのカバー、「世情(http://www.kasi-time.com/item-18177.html)」は特に心に沁みます。

東北編 松島、石巻、女川 2017

Posted by 秋山孝二
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 今回の東北の旅、盛岡の翌日早朝には仙台に戻って、そこから仙石線で松島で途中下車、さらに石巻・女川を訪問し、震災地跡を知人の案内で巡りました。東日本大震災の被害は6年を経て今さらその大きさに衝撃を受けましたが、特に、石巻・大川小学校跡地が重かったです。

<これまでの被災地見学 2013年3月>

* 仙台・荒浜地区ほか http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=16071

* 仙台・語り部タクシー http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=16073

 松島では、海の風景とは別に、海岸近くで石を割って根を張る樹木の力が印象的でした、凛と根を張る樹木の力です。

松島で

松島で津波避難指示標

 石巻では日和山公園からの景色、満開の桜、あの大震災から6年の姿です。

 途中、海岸線の新設された防潮堤と生き残った防風林のまっすぐ伸びる風景とのコントラスト、果たしてこの時間の経過で、私たちは本当に「津波」を含めた自然現象から自らを守る「科学技術」、「知恵」を持ちえたのでしょうか?如何にも無機質な防潮堤に「英知」のカケラも感じません、地元住民を無視した政治の貧困をただ痛感するのみで。

防潮堤

防潮堤、右は生き残った防風林

 さらに女川では。高台にある医療センター、ここの一階まで津波が来たそうですね、信じられません。震災当時・直後の様子が展示されていました。

高台の女川医療センター
高台の女川医療センター

慰霊の碑とたくさんの供花

慰霊の碑とたくさんの供花

 そして、大川小学校です、校庭で50分以上も児童たちが待機していたとか。犠牲になったいのちの叫びが今も聞こえてきそうでした。

今もお参りの方が絶えない

今もお参りの方が絶えない

大川小学校で

大川小学校で

津波の恐るべき力

津波の想像を越える力

 あちこちに、仮設住宅はまだまだ続いています。

延々と続く仮設住宅

延々と続く仮設住宅

 被災地を巡る途中、脳裏をずっと流れる中島みゆきの「倒木の敗者復活戦(http://www.uta-net.com/movie/136747/」。人々は「倒木」を「東北」と読み替えて歌い続けています!

 傷から芽を出せ 東北の復活戦!!!

激震、深夜の大分県・別府 !

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 4月23日の私のブログ(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=26260)の最後の部分:

 それぞれの地域の特徴も理解できて、どこも頑張っているな、というのが正直な印象でした。山﨑史郎さんとはこの日の夜にホテルロビーでバッタリお会いし、その時、彼が「今、熊本で大きな地震があったようだ」とおっしゃっていました。それからの地震を巡るリアルストーリーは後ほどに・・・。~~~~~~~~~~~~~~~と書きました、以下がその続報です。

 14日夜に熊本県益城町で震度7を観測したマグニチュード6.5に続き、16日未明に起きたM7.3の「本震」。熊本県阿蘇地方や大分県でも激しい揺れ、まさに「激震」でした。10日経た今も、進行中と理解すべきなのでしょうね。

* 気象庁発表 http://www.jma.go.jp/jma/press/1604/25a/201604251030.html

* 朝日新聞 http://www.asahi.com/special/kumamoto-earthquake/tremor/

 私は、14・15日、岡山での経済同友会全国フォーラムを終えて、15日午後に岡山から新幹線で小倉へ、さらに特急に乗り換えて別府まで移動しました。16日午前中に中津の「廣池千久郎中津記念館(http://www.hiroike-chikuro.jp/chikuro_hall/nakatsu/nakatsu.htm」訪問、午後は臼杵での「ANJINサミット」に出席するために別府のホテルに泊まっていて、16日未明の地震に遭遇しました。

* 第4回「ANJINサミット」 https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2016/04/09/221730015

 17階のホテルの私の部屋、充電中のスマホから「緊急地震速報」の大きな警告音で目を覚ますや否や、激しい上下左右の揺れで思わず床に四つん這いでしばし静まるのを待ち、その後の繰り返しの揺れにもただ部屋の中をウロウロしている状態でした。やがて館内放送で、非常階段を使って向いの駐車場に避難するようにとの指示があり、私自身、屋外と部屋の中のどちらに身を置くべきか迷いましたが、ここは避難の経験も大切かとすぐに着替えてコートを着て、我ながらかなり冷静に非常階段を降りました、地上に出るまで約10分くらい掛かったでしょうか。各階から、荷物を背負った方、浴衣姿のままの方ほか、不安そうに皆さんそれぞれの格好で階段を無言で降りていました。

 地上に着いてみると、向いの駐車場は満杯なのでホテル建物方面へとの誰かの声、移動してしばし正面玄関前で立っていると、今度はホテル職員の方が、ここは危険ですので向いのコンビニの駐車場へ移って下さいのアナウンス。ここでもまた、建物の中か外の広場のどちらが安全なのかの少しの迷いがありました。結局、向いのコンビニの駐車場へ移動して、30分位もただ時の経過を待っていたでしょうか、その間、パトカーが走っていったり、コンビニで買い物をする人々を見ていたり、何をしていたのかよく覚えていません。ただ、ツアー添乗員と思われる女性数人が、手元の名簿を持ってツアーメンバーを確認する姿が印象的でした、こんな状況の中でも仕事に徹していることに。

 それに比べて、男性は何ですか、この期に及んでも缶ビール片手に酔っ払いながら駐車場を徘徊している日本人の浴衣姿の男性、大きな声で唄を歌う韓国の観光客の男性がいたり情けない状況、しばし気を紛らわせながら時間を過ごしていました。コンビニで飲み物を確保しておこうと思ったのですが、何と財布をホテルの部屋に置いて降りてきたことに気が付きました。スマホはFBにアップしようと忘れなかったのに、お金は手元に一銭も持っていなかったのです。

 しばらくすると、ホテルの職員が、「安全確認が終了しましたので、お部屋にお戻りください」とのアナウンス。大丈夫かなとは思いながらも外にいるよりは部屋の方がゆっくりできるかと、ロビーを通って再度非常階段を、今度は昇って17階まで戻りました、何分かかったかを測る余裕はありません。荷物が無かったとはいえ、17階まで深夜に昇るのはなかなかのエクササイズでした。私は一気でしたが、途中、踊り場で休憩する方がたくさんいらっしゃって、中にはかなりの肥満の方も多く、息も荒く汗びっしょり、階段を上がる途中に具合が悪くなるのではと心配になるほどでした。

 今回の地震、別府では震度6弱、私がこれまで体験した最大の揺れであり、午前1時半頃から少なくても部屋に戻ってから午前6時頃まで、ずっと揺れが続いて大変不安な時間で、もちろん一睡もできませんでした。途中に「緊急地震速報」が4回程鳴りましたが、何か自分のいる場所の揺れとは違いもあったりして、「どこのことか?」と情報への信頼は薄れましたね、鳴らなくても強い揺れもあったり。

 私は避難時、ジャーナリストではありませんので、その場の写真は撮れませんでした、夜中午前2時頃だったと思います、この2枚だけ。

深夜午前2時頃、ホテルから向いの駐車場に避難する宿泊客

深夜午前2時頃、ホテルから向いの駐車場に避難する宿泊客

部屋に残っている人たちも不安そうに窓から下の様子を窺う

部屋に残っている人たちも不安そうに窓から下の様子を窺う

 振り返ってみると、15日昼過ぎに全国経済同友会フォーラムが終わり、岡山から新幹線で小倉へ、さらに特急に乗り換えて順調に別府まで。前夜に熊本地方で大きな地震があったというのに、今、考えると何と呑気な気持で移動していたのかと、我ながら少々呆れるお目出度さでした。

別府に向かう電車の中で

別府に向かう電車の中で

 夕方に別府のホテル到着後、市内の居酒屋で大分の焼酎で雰囲気を味わうのんびり気分、「とっぱい」は美味かった。いつもより早めに寝て、冒頭の未明の強い地震でした。

とっぱいをセレクト

とっぱいをセレクト

 4時間以上揺れが続きましたが、早朝、日が昇ってから、「ANJINサミット」事務局に問い合わせると、「中止を決定」との返答。やれやれ何しに大分まで来たのかとかなりの疲労感を滲ませて、早速予定を切り上げて空港に向かうと、何か信じられない静けさでした、普段は変更ができない切符でもこのような非常時は変更可能になりますね。

 JRはほぼ全てが始発から運休、空港バスも運休。考えてみると別府に到着してからやったことは、ホテル内コインランドリーで出張中に溜まった洗濯物を洗い終え、大浴場に入って、マチの居酒屋で飲んで食べて、強い地震を体験し、避難し、連続の地震に耐え、タクシーで空港に向かっただけとなりました。ホテルの職員、タクシーの運転手が言っていました、「ずっと別府に住んでいるけど、震度6弱とこんなに続く揺れは初めて」、と。

 東京経由で札幌に戻れることが決まり、少々ホッとして空港ビル2階へ上がると下のようなポスターが。前日の岡山での大原謙一郎さんのお話を地で行く芸術・文化の力ですね!

* 別府アルゲリッチ音楽祭 http://www.argerich-mf.jp/

芸術・文化は人の気持に力を与える!

芸術・文化は人の気持に力を与える!

 今、10日ほど経って、私は過去形で言える安堵感がありますが、その後も大きな地震が続いているようで、熊本・大分の現地にいらっしゃる方々は不安な日々をお過ごしと、何とも言葉もありません。Facebookでは知人の方々の投稿から現状を知ることができます、どうかくれぐれもお気を付けになって、心身のご健康にご留意を。

 14日夜以降、今回の地震についてはいろいろ捜索・調査も進んで分かってきていることも多いようです。

* http://www.asahi.com/special/saigai_danso/

 札幌に戻り当局の発表、報道から感じるのですが、「熊本地震」とタイトルを打つのは強い違和感を持ちますね。大分、鹿児島での揺れもかなりのもの、何か熊本に意図的に限定して地震を小さく見せようとの魂胆を感じます、少なくとも「九州」という活字で範囲をイメージしなければ現状を正しく表現していないと思うのですが。さらに、分からないという発表は勇気を出しての姿勢だと評価しますが、新しいタイプの地震とかと言うと、どうしても原発事故時の「想定外」の繰り返しを思い出します。

 10日以上経て、やっとこのような「対応」が――>http://www.asahi.com/articles/ASJ4T3RCBJ4TULFA00M.html

 初動の生き延びる判断は、自らの日頃から研ぎ澄まされた知識・知恵に依存するしかないのでしょうね、納得性から言っても今回つくづくそう感じました。また、中島みゆきの「宙船(そらふね)」の歌詞(http://www.kasi-time.com/item-18378.html)を思い出しました、そうです、「オールを任せて」はいけないのです。

【番外編】 そう言えば、数日後のNHKニュースでは、彼が解説をしていました、まだやっているんだ?!

福島原発事故後、彼は少しは学んだのか?

福島原発事故後、彼は少しは学んだのか?

ブラボー!中島みゆき 劇場版

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 中島みゆき「縁会 2012~3(http://www.enkai-movie.jp/)劇場版」は素晴らしかったですね。「劇場版」と銘打っては第5弾となるそうです。ライブの映画版は所詮映画だろ、となめていましたが、ライブよりもむしろ集中できるし、何せバックのミュージシャンたちがアップで映ったり、横のコーラスにもフォーカスされたり、客席からでは見られない映像が多く、舞台全体はライブよりもトータルの作品としての価値は高い気がします。

 20曲の音楽はイントロから最後までじっくり聴けるし、音も空間いっぱいに拡がって迫力満点、人気の秘密が分かりますね。追加の上映も各地で決まっているとのニュースも見ました。私は、「倒木の敗者復活戦(https://www.youtube.com/watch?v=nWjQuS9HgKI」が素晴らしかった!

緑会 2012~3

縁会 2012~3

 今さらですが、彼女の唄には「力」がある、昨年12月にここに書いた「世情」もいいですね(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=21983)。

「世情」に寄せる今の心境!

Posted by 秋山孝二
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 先日の選挙後、今の私の気持は中島みゆきの「世情」の思いです。

* 「世情」 https://www.youtube.com/watch?v=xeGFtI_Y2U0

世の中はいつも 変わっているから
頑固者だけが 悲しい思いをする
変わらないものを 何かにたとえて
その度崩れちゃ そいつのせいにする

※シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため※

世の中は とても 臆病な猫だから
他愛のない嘘を いつもついている
包帯のような嘘を 見破ることで
学者は世間を 見たような気になる

※シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため※

10周年記念「きたネット」フォーラム

Posted by 秋山孝二
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 「認定NPO法人北海道市民環境ネットワーク(きたネット:http://www.kitanet.org/index.html)」は、今年で設立10周年を迎えました。先日、「10周年記念交流フォーラム」を開催し、多くの皆さまのご参加を頂きました。

 午前中のパネルディスカッション、午後の分科会Cにも登壇された名古屋の萩原喜之(地域の未来・支援センター 理事長:http://c-mirai.org/)さんが設立にご尽力された「中部エネルギー市民会議:http://chu-ene.net/」のお話は、大変参考になる内容でした。萩原さんの紹介はこちらにも(http://www.7midori.org/katsudo/kouhou/kaze/meister/15/index.html)。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【札幌】北海道環境活動交流フォーラム2012(http://www.kitanet.org/event/2012/kitaforum2012flayer2p.pdf

10:00 開会式 「きたネットのこの10年」
10:40~12:20 パネルディスカッション 「環境NPOの課題と新しい動き~ネットワークは機能しているか」
—————– 
13:20~15:15  分科会討議 「ネットワークで何ができるか」 & 交流会
分科会A「北海道の森づくりに市民がどうかかわるか?」
分科会B「未来を考えるということ:E☆navi版北海道環境白書(仮題)ともに」
15:30~17:30
分科会C「北海道のエネルギー円卓会議(テスト版)」
ラブアース・クリーンアップin北海道交流会

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  私は、「きたネット」理事長に就任して3年目ですが、冒頭の「きたネットのこの10年」で報告させて頂きました。この10年を振り返り、環境団体の課題解決に果たす「ネットワークの役割」を検証するとともに、団体や個人がネットワーク機能を、積極的に活用できたかを問い、北海道の環境活動団体の現状と課題、未来への展望を考えるひと時となったような気がします。

 ご参加頂いた会員NPO団体、市民、企業の皆さま、、当日パネルディスカッションでパネラーで登壇された皆さま、お忙しい中ご都合を付けてお越し頂き、心から感謝申し上げます。これから「きたネット」は、第三期中期5ヶ年計画に基づき、さらに一層お役に立てるように努力して参ります。

 以下は、10周年記念パンフレット表紙に掲載した、私のご挨拶です~~~~~~~~~~~

 「十年は長い月日か 十年は短い日々か 恋する者には無きにひとしい 想いだけがただ咲いていた」、中島みゆき作詞・作曲、歌手のクミコさんが歌う「十年:http://j-lyric.net/artist/a04d9a0/l019446.html」のフレーズです。この10年間、きたネットはただ「想いだけ」ではなく、多くの皆さまのご支援を得て、確かな足跡を残してきました、心から感謝申し上げます。

 10年はひと昔、試行錯誤を繰り返しながら、必ずしも一直線に順調とは参りませんでした。しかし、2007年に「NPO」法人格を経て、2012年5月、「認定NPO」認定を国税庁から得て、今後のさらなる活動の基盤を固めつつあります。昨年策定した「第三期5ヶ年計画」に沿って、私たちは展望を持って前に進みます。引き続き、みなさまのご協力・ご支援をお願いする次第です。

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北海道日米協会の総会で

Posted by 秋山孝二
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 北海道日米協会(http://www.plaza-sapporo.or.jp/citizen/meikan/060.html)の年次総会が、パフォーマンス・午餐とともに開催されました。私は以前から会員ではありましたが、この10年くらいはほぼ休眠状態でした。昨年から伊藤義郎会長体制の下、理事に就任して、これからは少し時間を割いて尽力しようと思っています。

伊藤義郎会長のご挨拶

前方に揃う役員・来賓:伊藤義郎会長のご挨拶

  総会に引き続いて、北海道インターナショナルスクール(http://www.his.ac.jp/)の生徒たちによる歌と踊りで、「サバナ・サバ」ほか、元気溢れるパフォーマンスでした、スワヒリ語で「少しずつ」を意味するそうです。6月4日には西区ちえりあホールで、「グリオーアフリカの語りべー」が予定されています、今、アフリカは熱いようですね!

インターナショナルスクールの生徒たちによるライブ

インターナショナルスクールの生徒たちによるライブ

 

 少し前に、「来月札幌で下記の講演会を予定しています」と、ご案内をしました。日米協会の会員でありながら、「さらば日米同盟」というタイトルの講演会を主催するには、少し説明がいるのかも知れませんね、何か矛盾すると思われる方もいらっしゃるでしょうが、日米関係は極めて重要であるがゆえのこのテーマでの開催です。沖縄はじめ駐留する米軍基地に象徴されるように、従来の安保条約下の軍事的な片肺同盟ではなく、本来の幅広い「日米同盟関係」を目指し、構築し直して進む選択が重要だと思います。

~~~~~グリーン九条の会 第4回講演会̶ 経済の視点から平和を考える~~~~~~~~̶
天木 直人 氏 「さらば 日米同盟~平和国家日本を目指す最強の自主防衛政策~」

と き:2011年6月25日(土)
開場13:30 開演14:00
ところ:りんゆうホール 札幌市東区北9条東2丁目りんゆう観光3F
TEL:011-742-4233
会 費:1,000円
主 催:グリーン九条の会
協 賛:(株)りんゆう観光

連絡先 グリーン九条の会
〒003-0831 札幌市白石区北郷1条7丁目5-8 白鳥方   green9zyonokai@gmail.com
お問い合わせ、参加申し込みは、郵送か、メールでお願いします

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 最近の日米関係と言えば、大震災後の米軍海兵隊・海軍「トモダチ作戦:http://www.youtube.com/watch?v=zYErfIN4ELY&feature=relatedhttp://www.youtube.com/watch?v=Vj6gg5vMEHk&feature=related」でしょうか。放射能汚染の中、いち早い無人偵察・撮影機の映像に基づく救出作戦行動は、日本の自衛隊とともに光る活躍でした。ただ、だからと言って沖縄の米軍基地の必然性につなげるのはあまりに軽率・ナイーブだと感じますが。実は、1923(大正12)年9月1日の関東大震災(http://www.ads-network.co.jp/zatugaku/saigai-07.htm)でも、当時としては信じられないような米軍による災害支援があったそうです。当時は安保条約に基づく日米同盟など存在していなかった時代にもかかわらず、ですね。

 プロパガンダに流されることなく、冷静に現状を捉えて、間違いない日本の歩むべき道を選択しなければなりません、今の政治情況そしてここしばらくは、内閣・国会ともに、それらを構成する連中の能力からいって、この重要な決断を委ねることは出来ません。自分たちの船は我々で漕いで行くしかないではありませんか、オールを放してはいけない時期なのだと私は思います、今、岐路に立っているのですから。昨年の映画「INVICTUShttp://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3298」、中島みゆきの「宙船(そらふね)http://www.youtube.com/watch?v=vGVTiCg8DNI」ですよ。

~~~~その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ、おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな~~~~~

北海道の「流儀」

Posted by 秋山孝二
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 今年で20年を迎える異業種交流「北を語る会」の例会は、毎回内容が濃く印象的です。私自身、仕事の関係で暫く欠席が続いた時期もありましたが、この数年は出席率も上がり、多彩な方々のお話・演奏等を、ひと時楽しんでいます。

 先日のゲストスピーカーは、磯田憲一さんでした。元北海道副知事で、現在は(財)北海道文化財団(http://haf.jp/)・理事長、(財)北海道農業企業化研究所(HAL財団:http://www.hal.or.jp/)・理事長、NPO法人アルテピアッツァびばい(http://www.kan-yasuda.co.jp/arte.html)・代表、旭川大学客員教授等でご活躍中です。

 「北海道の流儀」と題してのスピーチは大変素晴らしい内容でした。行政マンとして、従来型の殻を破り、実に多くの足跡をこの間北海道に残しています。全国的にも有名になった「時のアセスメント:http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sm/gkk/toki/tokiindex.htm」、「試される大地」のキャッチフレーズ、BSEの全頭検査実施等、勇気をもった施策の数々は、今の道政には見る影もありません。

 ご紹介のあった中標津の「マイペース酪農」を実践する三友さんご夫婦(http://www.goto-chi.com/seisansya/mitomo.htm)は、豊かさの基準として「草をミルクに変えられる」、「乾いた薪をストーブへ」、「家族で夕食を食べられる」等でも有名です。また、海に投げ出されて漂流する人が、たいまつを灯しているゆえに周囲が真っ暗で何も見えずに方角が判別できず、ひとりの人が「この灯を消せ」と言って暫く周囲に目を凝らすと、ある方角の遠くにうっすらと光るマチの灯を見ることができた、というお話を引用して、今の北海道が、「たいまつの灯を消す勇気があるか」、と鋭く問題提起をされました。

 「観光」、「観光」と時流に乗った観光客の入れ込みにただ大騒ぎするのではなく、「生き方に迷った人がやってくる北海道」とか、そんな奥行きのある魅力づくりにこそ我々はまい進すべきではないか、とメッセージも発信されました。

 磯田さんというと、忘れられない思い出があります。10数年前の北海道演劇財団(http://www.h-paf.ne.jp/)設立時は、行政側の責任者として本当にお世話になりました。設立記念パーティでのご来賓挨拶で、中島みゆきの「ファイト:http://www.youtube.com/watch?v=9TH1Xm25FIM」の一節

「 ああ小魚たちの群れきらきらと 海の中の国境を越えてゆく 諦めという名の鎖を 身をよじってほどいてゆく

  ファイト!闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう ファイト! 冷たい水の中を ふるえながらのぼってゆけ」

を引用して、これからの活動を激励して頂きました。そんな来賓挨拶を、私はそれまで、そしてそれ以降も聞いたことがありませんでした。言葉に対して素晴らしいセンスをお持ちだと興奮致しました。その後も韓国・光州市、ソウル市で、北海道演劇の海外公演でも磯田さんとは文化財団理事長として何回かご一緒し、引き続きご指導を頂いています。 

 本当に久しぶりに聞く格調の高いスピーチでした。つい先週、高知で行われたブータン王国ジグミ・ティンレイ首相の基調講演と重なって、「本当の豊かさとは何か」を問う、感動的な言葉とメッセージがぎっしり詰まっていました。本物を目指し、それを実現する「勇気」を持て、まさに「Boys,be ambitious!」の心意気、それこそ「北海道の流儀」と受け止めました。

「届かなかったラヴレター」、ブラボー!

Posted by 秋山孝二
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  かなり前から楽しみにしていた、クミコさんhttp://www.puerta-ds.com/kumiko/と井上芳雄くんhttp://www.grand-arts.com/yi/&徳光和夫さん(フリーアナウンサー)と上柳昌彦さん(ニッポン放送アナウンサー)のコラボレーションで、「感動の実話集『届かなかったラヴレター』の朗読を名曲で綴るハートフルコンサート」が札幌コンサートホール・キタラhttp://www.kitara-sapporo.or.jp/で開催されました。東京では渋谷のBunkamuraオーチャードホールhttp://www.bunkamura.co.jp/orchard/index.htmlで2日間だったようです。両方とも本格的クラシックホールですね。 

CDより

CDより

  私はクミコさんのファンで、札幌のライブハウス「tone:http://www.cafe-tone.com/」で最初にお会いして以来、店主の宮澤洋子さんからもご案内を頂き、ほぼ毎回出かけていますし、ライブ終了後の打ち上げにも参加させて貰っていました。昨年このコラムにも書き留めました。http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=648

 一昨年は、武道館での複数でのライブも行ってきましたが、とにかく歌が上手で雰囲気があります。シャンソンを基盤に素晴らしい伸びのある声は、長い下積み時代に培われた「本物」の魅力を感じます。この日の「届かなかったラヴレター:http://www.youtube.com/watch?v=tLGFIwueQIs&feature=related」も最高でした。

 一方井上芳雄クンについては、私がスズケン時代にお世話になった管理薬剤師で自閉症に関する沢山の著書もある明石洋子さんhttp://www.budousha.co.jp/booklist/book/arinomama.htmのご家族が、九州時代から井上クン一家とは長い家族ぐるみのお付き合いということで知り、ミュージカルのお誘い等もあり足を運んでいました。抜群の歌の上手さに伸びしろも広く、日本を代表するミュージカルスターとして世界で活躍して欲しいと願っていました。

プライベートな時の井上くん

プライベートの井上くん(明石さん撮影)

 そんな感じで私としては全く別々に応援していたら、数年前からこのお二人がコラボレーションでライブとか曲「車輪」を出しているではありませんか。「最高のコラボ」だと感激しました。とにかく両者ともプロフェッショナルとして歌が上手いのと、人間的な奥行きがあります。 

 先日の朗読とライブでも、沢山の歌が披露されましたが、特に印象的だったのは次の2曲です。一つは、 中島みゆきの「ホームにて:http://www.youtube.com/watch?v=DI9hFRa5yEI&feature=related」です。30年近く前、私が東京での教員生活から札幌に家族全員で行く直前に、レコードのシングル盤でよく聞いていました、確か何かの曲のB面だったと思います。当時、最終列車とホームの様子が心にしみてきました。クミコさんが歌うこの曲を初めて聞きましたが、自分の若い頃の印象とはまた違った感じで良かったですね。

 もう一つは、佐々木祐滋さん作曲「INORI:http://www.youtube.com/watch?v=p68-l_Px3YA」です。広島の「原爆の子の像」のモデル・被爆者佐々木禎子さんを歌った曲で、クミコさんのCDが本日リリースされるといいます。佐々木さんは禎子さんの甥(おい)になり、シンガーソングライターとして全国の小学校等300校以上でもこの歌を紹介してきたそうです。

 納得のいく方々のステージは、聴衆に素直に入ってきます。始まる前のグラス一杯のワインも良かったのでしょうが、ライブ終了後の後味の良さは格別でした。それにしても身近でお会いしている時と違って、舞台で活躍されている方々は、ステージでは本当に大きく見えるものですね。

インビクタス、負けざる者たち

Posted by 秋山孝二
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  今、上映中の「インビクタス、負けざる者たち:http://wwws.warnerbros.co.jp/invictus/」を観ました。クリント・イーストウッドの30本目の作品です。私のずっと使っている英和辞典には、この単語「INVICTUS」は載っていません。「私が、我が運命の支配者、我が魂の指揮官」とチラシにはあります。「不屈」との訳も見つけましたが・・・・。

 南アフリカ共和国を舞台とした実話をもとに作られており、「ネルソン・マンデラの人を許すことに価値を見出した」テーマは、感動的でした。クリント・イーストウッドの監督作品は、「グラン・トリノ」はじめ幾つか見ていますが、押しつけがましくなく、説明過剰でなく、映像とセリフから観客それぞれに想像させる余地を残す優しさを感じさせます。

クリント・イーストウッド監督

クリント・イーストウッド監督

  それにしても、27年間も牢獄に入れられて後、怨念とかではなく、大統領として課題山積の国状でリーダーシップを発揮する姿に、胸を打たれます。投獄中に心の支えとしていた詩の題名「INVICTUS」、感動で世界を変える、奇跡で世界を変える、まさにフィクションを越えた現実の迫力でした。ラグビーチーム主将役のマット・デイモンもいいですね。

 変革への活動とか、集団を鼓舞する時の「歌の力」は歴史的にも証明されていますね。陣営のシンボルとしてのフラッグ・ソングとでも言うのでしょうか。

  映画を観終わってから、何となく中島みゆきの「宙船(そらふね):http://www.youtube.com/watch?v=vGVTiCg8DNI」を思い出しました。その歌詞の一部、

         その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
        おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

どこか共通する心があるのかなと、勝手に納得していました。。「INVICTUS」、一つ新しい英単語を覚え、久しぶりにすっきりした後味の映画でした

富良野塾、「谷は眠っていた」

Posted by 秋山孝二
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 昨年は2月に、富良野塾の公演「屋根」に行きました。今年は「伝説の舞台、最後の公演!」と宣伝されている「谷は眠っていた」を見て参りました。http://www.furanogroup.jp/

車内の広告

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 折からの風雪で高速道路が閉鎖され、昨年利用したバス「高速ふらの号」は運休で、急きょJRにより滝川乗換えで富良野に到着しました。滝川から富良野までの列車は一両、乗客は通学の高校生、比較的年配の方々と、地域の貴重な足として活躍していました。

JR富良野駅で

JR富良野駅で

 「富良野GROUP ロングラン公演 2010冬:谷は眠っていた~富良野塾の記録~」で、作・演出の倉本聰さんは26年間の富良野塾活動を振り返っています。「この春、富良野塾は26年間の幕を閉じますが・・・」で始まるこのメッセージに、倉本さんはじめ歴代の塾生の方々の並々ならぬ努力と精進の軌跡を感じます。

富良野演劇工場入口で
富良野演劇工場入口で

 実際、約2時間の公演では、鍛え上げた肉体の織りなす数々の場面は興奮の連続でした。歌詞を変えての中島みゆきの「ファイト:http://www.youtube.com/watch?v=zAVAwvKpokw」、さだまさしの「風に立つライオン:http://www.youtube.com/watch?v=TTYZn1EVWl0」も、彼らの思いとぴったりで力強かったですね。若い役者たちの躍動感あふれる舞台から、沢山のエネルギーを貰いました、感謝です。

ブラボー!「ユメノナカ」

Posted by 秋山孝二
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  昨年12月に、私の通っていた高校の吹奏楽部定期演奏会が約1000名のお客さんを集めて開催されました。オーソドックスな曲・斬新な編曲・ソロ・アンサンブル、ジョン・レノンとヨーコ・オノでも有名な「ハッピー・クリスマス」、「魔女の宅急便」セレクション等、多彩な曲を伸び伸びと演奏していました。顧問の先生のお話によると、楽器もまだまだ揃っていなくて発展途上の状態とのことでした。秋の高校野球新人戦では連日応援席での演奏だったそうです。試合の方は全道大会決勝では惜しくも敗れて準優勝でしたが、応援の力も貢献したのでしょう。

札幌市民ホールで

札幌市民ホールで

 そしてなんといってもサプライズだったのは、「山﨑葵:やまざきあおい」さんの登場でした。彼女は現役高校1年生、12月6日の「第3回ミュージック・レボリューションhttp://www.yamaha-mf.or.jp/pr-release/200912__3music_revolution.html
」で、オリジナル曲「ユメノナカ」を歌い、全国のアマチュア5409組の頂点に立ったのです、それも「グランプリ」と「特別審査員賞」のダブル受賞でした。この日は2曲を披露しましたが、「ユメノナカ」は私たちフォーク時代の雰囲気にも通じる曲風で、歌詞も切ない程の心象風景が大変率直で素晴らしかったです。歌詞の最初だけですが、こんな感じです。http://www.musicrevolution.jp/japanfinal/music/

 このコンテストは、中島みゆきが「時代http://www.youtube.com/watch?v=p-9QV2L50Ck」を歌ったポプコンの流れを継ぐもので、山﨑さんもプロデビューを目指していると舞台でも語っていました、文武とも素晴らしい後輩に恵まれて、現役は頑張っていますしこれからも楽しみです。札幌生まれとしては、誇り高いお二人です。

10年の時間軸で振り返ると

Posted by 秋山孝二
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 忙しい合間にふと考える時間があると、10年くらい前は自分は何を思っていたのかな、と振り返りたくなります。

10年前の自分は医薬品卸業の企業経営者で、出張も多く忙しく活動していましたが、やはりその時も更に昔を振り返っていたようです。業界紙に寄稿したエッセーより・・・。

 

もうひとつの顔 「そんな時代もあったよね」 ’98.8

 

「もうひとつの顔」というより、「本来の顔」というべき私の公立中学校教師人生は、今考えると僅か5年間の短期間ではあったが、大学生活・教育実習等を含めるとほぼ二倍の実質的意味合いになる。その大学の館山臨海実習所で出会った女性との結婚、そして共稼ぎの生活を実時間で換算すると、人生に占める期間は更に長くなる。現在の顔こそが私にとっては、ひょっとするとひとときの旅姿かもしれない。

 

 子供が特に好きだった訳でもなく、印象深い恩師がいた訳でもないが、私は中学校時代から将来は中学校教諭になりたいと考えていた様で、中3卒業文集には「僻地教育――千里の志」と書いてある。その後、朝永振一郎博士に憧れ、「物性物理学」に挑戦するも、大学卒論作成過程で私は研究職には向いていない事を痛感した。

 

 この業界に入り、数多くの勉強会で多数の全国の経営者二世達にお会いした。「私は教員という職ほど世の中で楽な仕事は無いと思う」と力強く言われた時は大変なショックで、私は思わずその冷酷な表情を睨みつけた。「皆大人になると、自分一人で大きくなったと思いやがって・・・」。足を洗ったはずの職業を侮蔑されたと大いに反発したものだった。今の会社で4・5年経った時だったろうか。ふと仕事で考え事をしていると、「こんな風に思考した事が以前にもあったな」と気がつく時があった。不思議にも机の引出しに確かに仕舞い込んだ教師生活の数々の経験が、鮮やかに甦り、経営の場にしばしば役に立った。

 

 男子・女子バレーボール部の監督で、子供達と365日の生活はその中でも一番貴重なものである。当初は出ると負けのチームで、試合場に向かう我々は、屠場(とじょう:動物を食肉用にする為に殺す場)へ引かれる牛の心境だった。負けても笑顔の子供達に、「お前達、悔しくはないのか!」と怒鳴り、試合後バスも使わせずトボトボと歩いた日々。学校近くまで来た時、一人の男子が「先生、今度は恥をかかせないように俺達頑張るから」と一言。弱小チームは練習場にも当然恵まれない。何とか一勝したい、という共通の気持で毎日遅くまで練習の日々。「お前達!試合に勝てないなら、せめて試合場で他校のボールを取ってきて沢山練習しようじゃないか」ととんでもない目標を与えると、素直な子供達は試合に勝つ前に、まずその目標を達成した。「よし!良くやった」、このあたりから、この地区の教育は乱れ始めたのかもしれない。

 

 やがて厳しい地区予選を勝ち抜いて、都大会へ男女そろって出場できるまで成長した。特に女子は、接戦を粘り準決勝まで進出し、あと少しで全国大会出場まで強くなった。夏休みに小平市の日立体育館で、全日本女子山田重雄監督に教えを請うたこともあった。テレビで見る全日本女子チームの選手が練習する中で、ソ連のスモレーワ、リスカルのスパイクコースのデータ等がびっしり貼られた壁は、もはや情報戦であった。「バレーボールは難しい競技ではないんだよ。床とボールの間に手を入れればよいのです」。外為法違反で捕まろうと、私の山田重雄氏への尊敬の念は今も変わらない。

 

 元全日本の名セッターMさんは釧路出身である。食事をする機会が有りお話を伺った。「金メダリストを幸せにする自信はない」と去っていった男性のお話が妙に心に残っている。中学校のバレー部の子供達はその後、インターハイで全国優勝したり、大学進学し、テレビのバレーボール中継で見たり、日本体育大学応援団長になったり、なかなかの活躍のようだった。当時の子供達が札幌を訪れた時、会社の連中に「今度、東京からクラブの女の子が遊びに来る」と宣伝し、大いにひんしゅくをかった。

 

 生活指導は、子供達にとってより、私自身の人生勉強になった。二十代の私は、正義感ゆえに子供達を随分傷つけたような気がしている。「教育とは子供達に自信を与える事である。その為には教師は立ちはだかる壁になり、時には支える踏み台になれ。教師自身の正義感で、子供を悪者扱いしてはいけない」。私の尊敬する学年主任の一番印象に残る言葉であった。家出した子、万引きした子、捕まった番長等を理科実験準備室に個別に呼んで話をすると、皆実にいい子達ばかりだった。自分の学校の下級生が他校生にお金を強奪された時、「俺の力が足りなかった」と号涙した番長。「いや、お前のせいではない」と肩をたたき、ともに涙を流した自分が懐かしい。

 

 「まわるまわるよ、地球はまわる」。時の流れに驚きながら、「そんな時代もあったよね」と、今夜も中島みゆきのCDで「時代」を聴いている。