樺太の日本史 @ 新渡戸連続講座

Posted by 秋山孝二
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 シリーズ『新渡戸連続講座』、今回は樺太の歴史を2回連続でお話をして頂くその前半でした。

* これまでの連続講座関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%96%B0%E6%B8%A1%E6%88%B8%E9%80%A3%E7%B6%9A%E8%AC%9B%E5%BA%A7

日本領時代の樺太の歴史 その1 社会と暮し

講師: 鈴木 仁 (北海道大学・札幌大学非常勤講師、樺太の歴史研究家)

 1905年(明治38)からの樺太の歴史を中心に解説して頂きました。恥ずかしながら知らないことばかり、三島由紀夫の祖父も樺太統治の長官を務めたとのことでした。

 今月は「日本領時代の樺太の歴史 その2 戦争」

講師:鈴木 仁

 1945年(昭和20)8月9日に始まった戦争と戦後の問題について解説して頂く予定です。

映画『三島由紀夫 VS 東大全共闘』

Posted by 秋山孝二
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 予告を聞いた時からすぐに観に行こうと思っていた映画『三島由紀夫 VS 東大全共闘(https://gaga.ne.jp/mishimatodai/』、TBSの秘蔵映像がオープンになり、さらにその後のそれぞれの足跡も加わっての2時間、札幌の「シアターキノ(https://www.theaterkino.net/」で私の学生時代の空気感が蘇りました。

~~~~~~~~~~~~~HPより引用 監督 豊島圭介さんのメッセージ

 とにかく濃い。映っている人間たちがべらぼうに濃い。文豪でありながら身体を鍛え上げ民兵組織「楯の会」を作るような奇妙なスーパースター三島由紀夫は、千人の敵をまとめてなぎ倒すつもりで討論に来ている。特濃である。迎え撃つ東大全共闘も、挑発したり、恫喝したり、内輪もめしたり、こちらもかなの濃度で三島に挑む。とにかく全員が、火傷しそうに熱い。50年経った今の姿も登場するが、よく見てほしい。「なんだ昔より熱いじゃないか」とたまげるはずだ。映画館を出たとき、たぶん日本はこれまでと違って見える。そんな映画です。

~~~~~~~~~~~~~

シアターキノのロビー壁!

シアターキノのロビー壁!

 こちらの解説に詳細は語られていますーー> https://www.jiji.com/jc/bunshun?id=36746

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実 : 作品情報 - 映画.comBON på Twitter: "《東大を動物園にしろ!…紛争中の東大にのりこんだ ...

 私は1969年に札幌から大学進学のために首都圏に。第一志望の東京教育大学の入試が中止になり、当時、社会が騒然とする中、国立一期校というカテゴリーの中から千葉大学に進学しました。今、新型コロナウイルスで世界が恐れをなしている状況は、どこか当時と似たような雰囲気を感じるのは私だけではないのではと思う昨今です。

< これまでの私の関連記事 >

* 三島由紀夫ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E4%B8%89%E5%B3%B6%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%A4%AB

* 東大全共闘ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%85%A8%E5%85%B1%E9%97%98

* 東大全共闘ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=31144

プロフェッショナルの魅力!

Posted by 秋山孝二
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 美輪明宏さんのライブに初めて足を運びました、確かにカラフルな舞台でしたが、奇をてらうことなく、ことのほかオーソドックスで少々意外でした。「歌手」というより「役者」ですね、もちろん歌は抜きん出ていて聴かせます、昨年のNHK紅白の「驚異の視聴率、6分間!」に始まり、トークの面白さも際立っていました。「ヨイトマケの唄(http://www.youtube.com/watch?v=qt70qMMSlhY)」を聴きに行ったといってもいいのですが、それに勝るとも劣らない曲が多くあり、いまさらながらのキャリアに裏付けされた質の高いステージに感動でした。エディット・ピアフの「愛の賛歌」を原語で歌う美輪明宏のこだわりに、「プロフェッショナル」の意地が伝わってきました。

入口ロビーで「麗人だより」

入口ロビーで公式携帯サイト「麗人だより」

ミニュチュア人形が3体

ミニュチュア人形が3体

 美輪明宏については以前にこの欄に書きました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4699)。トークの中では、「人生」とか、「戦い続けてきた」といった言葉が心に残り、信念を貫いて生きてきた「美輪明宏」を感じます。若い頃から歌っていた銀座のお店の常連だった三島由紀夫ほか文壇の大御所たちとの出会い、語らいが、美輪の刺激になっていたのでしょうか。

~~~~~~~以前の私のブログから引用

「戦争というのは、全ての美しいものを失くすること」とも、番組に参加していた女子高校生に語っていました。美輪さんの経歴(http://www.fesh.jp/utterer_784_1_1.html)に因るのでしょう、長崎での被爆等、戦争の悲惨さでは大変リアルな体験に基づく明確な反戦への意思、「美」、「愛」への造詣の深さ、ひと言ひと言に力強さがあります。番組の最後で、「今の時代は、以前よりはだいぶ戦争反対の声は大きくなっているけれど、まだまだ油断できない」と、真剣な眼差しで語っていたのが印象的でした。

~~~~~~~引用 おわり

 「オリジナル版ヨイトマケの唄(http://www.youtube.com/watch?v=zw2cxsvjweY)」はこちら。

 一方、同じくシャンソンがベースの「クミコ(http://www.puerta-ds.com/kumiko/)」さんのライブは、毎年追いかけています、毎回進化していく彼女の唄は、本当に満足感いっぱいの「プロフェッショナル」なステージです。今回所属する会社もコロンビアに代わり、3・11以降はシャンソンばかりでなく歌謡曲ジャンルにも挑戦していると言っていました。前半最後の坂本九の「あしたがあるさ:http://www.youtube.com/watch?v=0EBFpIuC6Ok」も良かったですね。

 クミコさんについてもこの欄に何回も書いています。

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%82%AF%E3%83%9F%E3%82%B3

 お二人とも、テレビ・ラジオの時空間の出演では、如何にも窮屈そうに私は感じるのですね、広い舞台と大ホールの伸び伸びとした空間で存分その歌声を聴けるのは最高です、「銀巴里:http://www.asahi.com/national/update/0605/OSK201306040137.html」で永らく歌っていたので、本当はもう少し至近距離がベストなのかも知れませんが・・・・。

大切にしたい「プロフェッショナル」のお二人です。

「裏切りのサーカス」、ほか

Posted by 秋山孝二
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 今年20周年を迎えた(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=13685)シアターキノで、映画二作品を続けて観ました。

 一つは、「裏切りのサーカス:http://uragiri.gaga.ne.jp/」。東西冷戦下、英国諜報部(サーカス)のリーダー・コントロールは、幹部の中にソ連のスパイ(もぐら)がいるという疑いを持ち、ある指令を出します。しかし作戦は失敗し、コントロールは責任を取って右腕のスマイリーと共に組織を去りました。その後、引退したスマイリーのもとに、組織内の裏切り者(二重スパイ)を捜せという極秘命令が下ります。スマイリーは秘かに、残った4人の幹部の中から「もぐら」を捜し出します・・・・・・・・・。

チラシ

チラシ

 と、まあ、簡単に言うとこんな感じのストーリーのなのですが、これがなかなか一回観ただけでは理解が難しいのですよ。比較的地味な登場人物と名前がコードネームだったり何やかんやで、記憶力と読解力が試されているような。私も、観終わってHPやチラシでフォローアップしてやっと届いたような映画でしたが、これがまた不思議で、もう一回観たいなと思わしめる雰囲気があるのです。恐らくかなりのキーワードとかシーンを見逃しているのだとは思うのですが、とにかく、誰が味方で誰が敵なのかが瞬時に判別できない、そんな不安定さがたまらない魅力です。

 

  もう一つ、「11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち:http://www.wakamatsukoji.org/11.25/」。こちらはストーリーを体験で承知しているので、次の場面までも予測できるシンプルさ。ただ、それでも当時の学生運動の高揚、機動隊との衝突等と「盾の会」の運動方針の関係では、あらたな気づきもありました。

かなりの興味を持って出かけましたが・・・・

かなりの興味を持って出かけましたが・・・・

 若松孝二監督が、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程:2008年」、「キャタピラー:2010年」に続いて(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5642)昭和を描く最新作でした。特に60年安保闘争からの戦後の激動期を、右翼・左翼の視点から描いているのは、彼なりの新しい境地なのかも知れませんね。 映画の中では実際に起きた社会党浅沼稲次郎委員長襲撃事件、金嬉老事件、よど号事件などが、「決起」した人間たちとして機会をうかがう三島由紀夫と対照的に描かれて、三島の動揺と最終行動への歴史的な遠因とあらためて理解しました。私自身の10代から20代への人生と重なります。

 クライマックスの防衛庁バルコニーでの演説(http://www.geocities.jp/kyoketu/61052.html)とその後では、2年前に私も防衛省ツアー((http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5391))で、移転されたものとは言え現場にも足を運んだので、臨場感がありました。1970年11月25日の朝日新聞夕刊には、確か切り落とされた首が、部屋の床にあった写真も一面トップに掲載されていたような気がします。先日マスメディアに居た方に伺うと、初版の紙上だけに掲載されてその後は差し替えられたのだと。当時、首都圏で学生だった私にとってはあまりの衝撃で、今も鮮明に覚えています。

 ただ、映画としては、現実の迫力が強烈だっただけに、どこか各シーンに物足りなさを感じました。俳優なのかセリフなのかよく分かりませんが、全共闘とのやり取りの場面、決起前の覚悟の場面、何となく平面的、そんな印象を私は持ったのです、若松監督も随分淡泊になったな、と。何はともあれ、もう、あれから40年以上の月日が経ったのですね、自分も歳をとりました!

市ヶ谷台は、今

Posted by 秋山孝二
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  全国的に猛暑が続きますが、防衛省・市ヶ谷台ツアー(http://www.mod.go.jp/j/publication/events/ichigaya/tour/index.html)に参加しました。なぜ今、私がこのツアーに行ったか、それは後日ゆっくり書き留めます。

市ヶ谷に復元:三島由紀夫でも有名

市ヶ谷に部分的に復元:三島由紀夫でも有名

  このツアー、それ程混んではいないかと思っていましたが、事前申し込みをして当日防衛省玄関前に行くと2団体の多くの方々がすでに待機、個人は私だけでしたが、総勢50名以上でしたでしょうか。後でインターネットの検索を見ると、実にたくさんの方々がこのツアーの解説をされていましたので、私はツアー自体の説明は省略します。

 最も印象に残ったのは、やはり部分的に復元された市ヶ谷記念館(旧1号館)の一階、東京裁判法廷現場と、二階総監室でした。昭和45年(1970年)11月25日、三島由紀夫によるバルコニーでの演説(http://www.youtube.com/watch?v=1a4Wy5QTymU&feature=related)、後日新聞一面トップの総監室内の写真は、当時大学生だった私にとっても大きな衝撃でした。今回あらためて三島由紀夫の檄文(http://www.geocities.jp/kyoketu/61052.html)を読み返しましたが、彼の強い思いは昔よりも理解出来たような気がします。ニュース録音によると、演説途中に「お前ら聴け、よく聴け!」と何回も繰り返す彼の言葉から、当初の準備していたメッセージと現実とのギャップを、彼はバルコニーの上から感じていたのではないか、と今私は彼の心中に思いをはせます。

東京裁判の場としても有名な大講堂

東京裁判の場としても歴史に残る大講堂(当時の2階傍聴席から)

  一方一階大講堂、本来は陸軍士官学校建物で正面が「玉座」でしたが、その後大本営、終戦後、昭和21年5月から23年11月までの間、極東国際軍事裁判(東京裁判)のA級戦犯の法廷となり、左側が裁判長他判事席、右が被告席、正面は連合国VIP、手前が傍聴席だったとか。180度逆向きがそもそもの建物の位置と説明がありました。今ある施設は移設・部分復元ですので、率直に言って何となく臨場感は薄かったですね。

 実は私、今、東京裁判のB・C級戦犯の記録をたどる作業を始めています。私の身近な所で、私の知らない事実が間違いなく起こっていたことを最近知りました。もう少し事実確認をはっきりさせた所で、この欄に記録として留めようと思っています。そんな意味からも、今回の市ヶ谷台ツアーは、大変興味深かったです。