Before & After

Posted By 秋山孝二
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 早朝の空港に早めに到着した時、コーヒーを飲みながら、つかの間の静かな時間を過ごすことができます。「羽田空港からの新しい眺望!」と題して10日に下書きを用意したのですが、翌11日の大震災とその後の連鎖事故で、全く違ったメッセージとなってしまいました。

 搭乗口の出発準備の飛行機、恐らくアジア航路をやって来たコンテナ船、そして遠くに見える建設中の東京スカイツリー(http://www.tokyo-skytree.jp/)は、3月11日午後2時過ぎまでの日本を象徴するような光景でした。

羽田空港から、飛行機、コンテナ船、そしてスカイツリー

羽田空港から、飛行機、コンテナ船、そして東京スカイツリー(3月10日)

 大震災後も、私は数回東京に行く用事が有り、羽田空港を利用しましたが、行く度に情況が変化しています。先日は「計画停電」で、「節電実施中」の看板がいたるところで見かけました。人力で代替えできる程度の設備ばかりですので、今だけでなく、これからもこのままで結構な気もします。

震災後の羽田空港出発ロビーで

震災後の羽田空港出発ロビーで(3月23日)

 これから、私たちのライフスタイルを大きく変える必要がありそうです。

 あるご家庭の3歳の子が、トイレットペーパーを買おうと並ぶ列をみて、「地震になると、ウンチがたくさん出るようになるの?」と真剣に母親に問いかけたとか。私は今、自宅前に残る雪を眺めて、融けていくのをもったいなく思う心情です、トイレで流す水に使えるので自然のダムのような気がするもので、雪のままでしばらく残っていてもらいたいというように。

 一方、原発事故絡みでは、「???」と思う事が多いですね。昨日の作業員被爆事故報道でも、「協力企業・作業員」という言葉、全く意味不明です。何という名の企業で、代表者は誰、現場責任者の顔も見えず、東京消防庁・自衛隊等の報告と対照的です。新聞報道では、「ずさんな作業」とか「事前放射線量検査も怠る」みたいな、イラク人質事件の時の「自己責任論」を想起するよな見出しばかり、まるでその存在が有ってはいけないような、「暗黒の作業場」を印象付けます。このような現場に依拠した電力供給と享受していた消費者、両者もライフスタイルを大きく変えなければなりません。

 当初テレビに登場して「安全だ!」と繰り返していた「専門家たち」は、どこへ行ってしまったのでしょう。「想定していなかった」という言葉が、私は情報の隠ぺい、責任回避の方便かと思っていましたが、今日までの状況を見ていると、どうやら本当に想定していなかったのかもしれないと、そんな連中がこれまで原子力政策を推進していたかと思うと、一層の恐ろしさと憤りを感じます。

 「海水を注入して冷却しているので安全!」との報道でしたが、これも当初から「海水だと塩分が析出してきて、淡水とは違ってリスクがあるだろう」と、小学生でも分かることをメディアは殆ど関係者に質問しませんでした。そして、昨日になってアメリカ軍からの指摘によって(?)、淡水タンクを曳航して放水したとか、日本の関係者は何を考えていたのでしょうか、「恥を知れ!」ですね。

 時は確実に過ぎています。地震・津波被災者の方々は、復興を始めていますし、時間はかかっても必ず乗り越えると思います。原発連続事故は、深刻です。でも、それでも私たちは生きていかなくてはなりません。子供たち、これから生まれる命への責任としても、私はやらねばならないことが山積しています。今は、敗戦直後です。

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