天国までの百マイル

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  えんかんhttp://homepage1.nifty.com/enkan/index2.htm の会員になってから、もう随分経っていますが、最近は時間の関係上なかなか足を運ぶ回数も減ってきていました。

先日の文化座http://www.bunkaza.com/ 「天国までの百マイル」は、設定も身近ですし、佐々木愛さんを久しぶりに舞台で観ることが出来ると思い、楽しみにしていました。

チラシより

チラシより

 当日会場にいってみると、下記のような紙が一枚チラシの間に挟まっていました。同時に受付で、そんな佐々木愛さんへのお見舞いの意味も込めて「千羽鶴」を差し上げたいとのアイディアで、折り紙を配っていました。残念ながら私は鶴を折れないので一羽も貢献出来ませんでしたが、指定の席に座っていると、やがて隣に一群の中年女性の集団が座り、開演前の時間に幾つも小さな鶴を折っていました。

佐々木愛さんのお詫状

佐々木愛さんのお詫状

  えんかんの方々の機転の利いたアイディアを素晴らしく思いました。

 ストーリーの方は、浅田次郎の原作で、実話と聞いています。バブルに踊った男・安男が、重度の心臓病の母を100マイル(160キロ)離れた千葉県の病院まで運ぶ間の物語です。道中、さまざまな人と出会い、また出来事に遭遇するうち、主人公の安男は無償の愛情、友情、人の善意、医師の良心などに支えられながら生きているのだと気づいていくのです。親子の切ない情愛、男女の悲しい恋模様、「愛と勇気と再生」の感動の物語というのでしょうね。その安男を実際に支えているマリというキャバレー勤めの女が、本来佐々木愛さんの役どころでした。当日は高村尚枝さんが急遽代役でしたが、大変堂々としていて実に素晴らしかったです。多様な「愛情」を具に見せて貰い、久しぶりに何か懐かしい感動(?)を覚えました。 

 文化座はご承知のように、かつて田端文士村と呼ばれた北区田端の一隅に劇場を構え、全国に向けて演劇を発信しています。昭和17年に設立されて、2007年に前代表の鈴木光枝が旅立ち、メンバーは全て第二世代となりましたが、創造の理念はそのまま引き継いでいます。

 数年前に、私も理事を務めているタオ財団http://wagnernandor.com/indexj.htmの同じ理事で、佐々木愛さんともお知り合いの脚本家の方とご一緒に、文化座の芝居を見に行った時、終演後に代表の佐々木愛さんとご挨拶をさせて頂いたことがありました。以前からファンだったので、至近距離でご挨拶をした時には感激しました。彼女は劇団の紹介のなかで、「私達の生きている日本が、いえ世界が、平和で差別の無いものであることを願い、演劇を通して、“日本、及び日本人”を見つめていきたいと考えております」と語っています。

入院中の佐々木愛さんの一日も早い回復をお祈り致します、と同時に再び舞台で拝見出来る日をお待ちしています。

いのち、人と人との間に

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 NHK教育テレビ、こころの時代「いのち、人と人との間に」で、千葉県成田市・曹洞宗長寿院の篠原鋭一住職のお話を再放送で聴きましたhttp://www.choujuin.com/introduction/index.html。ご自分の体験から、「あなたも人生の料理人」と語る住職のひと言ひと言に温かみを感じました。

*生きていく為の仏教でありたい

*人生の羅針盤としての僧侶の存在

*自死への相談

*同事行、因縁果、無常

*多彩なイベント

   ◆長寿院サンガ(コンサート・講演会等)を年4回開催

   ◆カンボジア・タイ・中国少数民族教育支援ボランティア活動

   ◆悩み相談・自殺志願者との対話(年中無休・無料)

   ◆小学生・中学生・高校生・大学生対象「心の力を養う合宿」開校

   ◆社員研修会の開校(長寿院でまたは会社で)

   ◆住職の著書「みんなに読んで欲しい本当の話①・②」「あなたも人生の料理人」「仏教スクール」他

ホームページには、下記のようなメッセージが記載されています。

――現在で33世を数える住職が檀信徒と共に、誰でも気軽に立ち寄れる「開かれたお寺」づくりを目指し、お寺の整備・修繕につとめてまいりました。通常行事のほか多彩なコンサートや講演会等を定期的に開催するなど、広く文化交流の場としてお寺を開放しています。また、学生さんから社会人の皆さんまで、「心の力」を養う禅合宿や研修も行っています。ご希望であれば、どなたでもご自由に参加いただけます。どうぞ、生きている間にお寺をご利用ください。

サンガとは「やすらぎを求める人々の集い」又は「共同体」のことです。長寿院サンガの様々な催事に参加して「出会い」を、そして「心の豊かさ」を体験してください。どなたでも参加いただけます。

 年齢や職業などすべてを超えて、なごやかな食事の会が始まります。スタッフが心をこめて用意する精進料理、お酒も少々。お寺でのお食事会ならではの、平和なひとときです。

 み仏の前で行なう結婚式を『仏前結婚式』といいます。清楚な式、おだやかな披露宴。平和な家庭がいくつも誕生しています。

 仏教は一度きりの人生を幸福に生きる「生き方」を説いています。死んでからでは遅いのです。生きているうちに聞いて、人生に活かしてください。

私たちはいつも動いています。時には止まりましょう。静の中に身をおいてこそ正しい判断や結論が出るのです。

 食事は「喰う」ものではなく、「いただく」ものです。禅寺の食事作法により、いのちの尊さを学びます。

―――――――

 「どうぞ、生きている間にお寺をご利用ください」というメッセージに、大変新鮮な響きがありました。話を聞く場の生け花にもさり気ない気配りをする篠原さんの優しさに感動致しました。

 

美男ペコパンと悪魔

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 再開された「シアターキャンプ」を経て、先日札幌市芸術の森で「美男ペコパンと悪魔」(原作:ヴィクトル・ユゴー、構成・演出:齋藤歩)のTPS公演がありました。http://www.h-paf.ne.jp/engeki/pekopan.html 

当日、札幌中心部は曇りでしたが、芸術の森周辺はお昼前ににわか雨とか。急遽テントを設営したりの対応で忙しかったようです。幸い午後2時の公演時は時々日も差してきて、すり鉢状の野外空間に不思議な芝居となりました。

TPSチラシ

TPSチラシ

芸術の森・調整池で

芸術の森・調整池で

 

不思議な出で立ち

不思議な出で立ち

 観客も360度の舞台でしたので、前後左右を見まわしながらの立体的芝居を実感でした。因みに私は、土手にあった石の上に座っていて、役者とともに観客の方々も含めた芝居を楽しみました。

もう一つ、始まる前に入った男子用トイレに、バポナと一緒に何とも懐かしいハエ取りリボンが数本つり下げられていました。昔はお店にも家にもこのリボンがありましたよね。

懐かしハエ取りリボン

懐かしハエ取りリボン

演劇の担い手の進化する姿は、楽しみですね。北海道から発信する舞台で育つ俳優に、これからも夢を託します。齋藤歩さんのご活躍も期待しています!

高校同期のプロ・ピアニスト

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 高校時代の同期で、3年生で同じクラスの安井耕一http://spysee.jp/%E5%AE%89%E4%BA%95%E8%80%95%E4%B8%80 くんは、私の親しくしていた友人です。毎年定期的に夏に札幌でもリサイタルを開催していました。先日は2年ぶりにルーテル・ホールで行われて、沢山のファンで盛況でした。

ピアノリサイタル・プログラム

ピアノリサイタル・プログラム

 納得のいかない高校生活を送った私でも、彼との想い出は貴重な素晴らしいものばかりです。

 その一つは、学校祭でシューベルトの「ます」http://www.youtube.com/watch?v=Vz5-2_Mcuqc を彼がピアノで私がチェロ、コントラバスはなしの弦楽四重奏でやりました。恥ずかしながら私は、小学校から高校2年までチェロを習っていました。本番が近いある日、安井くんの提案で有名演奏者たちのレコードでこの曲を学校の放送室で一度聴いて見ようということになり、それぞれ譜面を見ながらレコードを数回繰り返し聴いていたその時、「あれっ、ピアノが間違った音を弾いている!」と突然安井くんが指摘するのです。忘れもしない第4楽章のピアノパートの物凄く難しい部分ですよ。譜面を見るとその辺りが異常に細かな音符が連なる山脈の様に山・谷の繰り返し、その中の十六分(三十二分?)音符の一つを弾き違えていると言うのです。その後数回、念のために聴いてみると、確かに違っているのですね。私は正直にいって、最初は違っていることには気がつきませんでした。私にとってその時の彼の聴音の正確さは、まさにたまげる程の驚きでした。

もう一つは、3年の秋以降、安井くんは月にかなりの頻度で東京にレッスンに通っていました。秋のクラス対抗の球技大会でバレーボールに出場予定の彼は、手に軍手をはめて練習に打ち込んでいました。「突き指したりしたら大変だから、無理しなくていいよ」と私が言ったら、彼は笑顔で「いや、ピアノを弾く指にもきっと良いよ」とさらりと応えたのです。私はその時の彼の笑顔が忘れられません。音楽を志す方の私のイメージというと、眉間にしわを寄せながら神経質そうに音に聴き入る風ですが、彼の人柄は本当に眼差しの優しい、しかしながら音楽への厳しさを兼ね備えた惚れぼれするような人物でした。

詳しくは知りませんが、東京芸術大学卒業後はドイツでの生活も永く、数多くのコンサートで高い評価を得て、この所は日本でも指導に当たっています。全く別の人生を歩んだ私にとっては、音楽家の道をしっかり歩み続ける彼をいつも誇りに思っていますし、これからも沢山の若手ピアニストを育てられると信じています。益々のご活躍を期待しています。

生ごみは宝だ!

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 先月、「第17回生ごみリサイクル交流会http://www.taihika-kyokai.or.jp/kouryu/17th/17th.htm」が早稲田大学国際会議場で460名の参加で開催されました。今年のテーマは「生ごみは宝だ!」です。
早稲田の杜

瀬戸理事長のご挨拶

瀬戸理事長のご挨拶

NPOたい肥化協会http://www.taihika-kyokai.or.jp/ 主催のこの会は、全国の自治体の方々、地域住民、地元企業とのコラボレイトにより、生ごみの堆肥化技術に地道に取り組んでいます。理事長の瀬戸昌之先生は、4年前の秋山財団第14回講演会にお招きし、「持続可能で豊かな社会を展望する」と題してお話をして頂きました。

今回の交流会では事例発表として、1)「地球温暖化防止に向けて環境の里づくりが進む~自然エネルギーの活用、森林の保全、土づくりセンター」――高知県梼原(ゆすはら)町  2)「食品残さのリキッドフィード(発酵させた液状エサ)で養豚~できた肉は店で販売する“食品ループ”を実現」――小田急フードエコロジーセンター でした。

いずれも大変熱のこもった報告で、「資源の循環」と「食の循環」とは車の両輪であることを再認識しました。

瀬戸理事長もお話をされていましたが、生ゴミというとすぐに堆肥化と考えがちですが、比較的新鮮で異物のないものは豚のエサに、ある程度新鮮で異物のないものは堆肥化に、そして古く異物のあるものはメタン発酵に、というのが今のトレンドのようです。

会の冒頭でご挨拶をされた早稲田大学の寄本勝美教授は、「協働とは信頼関係を行動に移すこと」と定義されていました。そして点の取り組みを線から面へ地域づくりに発展させる活動がこの会の原点であると。

21世紀の持続可能なライフスタイルには、「小さな循環」そこにエネルギーも食も何も、活動のヒントがあるような気がしますね。

風が吹いた?いや地殻変動でしょう

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 昨日の選挙結果が、昨晩から今朝までメディア各局と今朝の朝刊で報道され続けています。同じ新聞かと見間違う程同じ見出しでした。

今朝の朝刊1面

今朝の朝刊1面

私は今回の選挙に至るまでの数年の状況を具に総括すると、この結果による政権交代は一時の「風」ではなく、「地殻変動」であることをしっかり認識する必要があると思うのです。一連の報道から候補者本人の当選・落選の弁、側近たちの結果分析、各局の番組での司会者のコメント聞いていて、「まだそんな認識かよ」と時代を見る目の無さに愕然とする場面も多々ありました。歴史的転換点を見逃してはなりません。

自民党の年老いた候補者の多くは、「得体の知れない有権者の雰囲気に負けた」、「4年前の逆パターン」、メディアに登場している良く分かってないコメンテイター達は、「小沢チルドレン?」とか「風が吹いた」とかのこれまでの月並みな表現に終始していました。「胎動」を「得体の知れない」などと受け止めている候補者の姿に民衆との大きなズレを感じますし、新しい時代認識なしに、従来型の構図で今回の評価をしようとする、或いはするしか出来ないメディアの貧困を痛感します。

市民は小泉政権以降の「政権もてあそび」に対して怒り、憤っているのですよ。保守・革新を問わず超党派として、日本の形づくり・将来に対する不誠実な責任与党の姿勢にです。これは明らかに4年前の「郵政選挙」とは全く違う市民のメンタリティーです。ある議員は負けて「振り子の揺り戻し」と表現していましたが、そんな認識レベルの人間がこの間4年間も議員だったことが日本の恥というものです。私は数年前の教育基本法の改定のプロセスで、もう愛想が尽きました。見識のなさを通り越して「不真面目」としか言いようがありませんでした。

長崎2区の新人候補の福田さんが、当選後のコメントで「これからも皆さんとともに生きていきます」と話されていました。肝炎訴訟の原告代表の一人としてこれまで活動した方の「生きていく」という言葉に、並み外れた言葉の重みを感じました。

これから3か月・100日が新政権の勝負ですね。全員覚悟を決めて事を担って頂きたいし、あらゆる抵抗勢力を突き抜けて、新しい時代の指針を示す国策の実施を期待したいです。特にメディアの方々の姿勢も、その新しい時代を追いかけるフットワークを持って貰いたいと思います。今朝の各テレビ局の報道を見ていても、そのお目出度さに呆れます。次に変わらなければならないのはメディアでしょうね、Media,Change !

9月8日にメディア・アンビシャスの緊急シンポジウムを開催致します。「政権選択選挙とメディア」というテーマです。

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きたネット・カフェ、「戦争と環境」

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 今年5月に私は「NPO北海道市民環境ネットワーク(きたネット)http://www.kitanet.org/」の理事長に就任しました。環境系の市民活動には素人の私ですが、北海道各地で活躍する皆さんの中間支援組織の一翼として、少しでもお役に立てればとの思いでお引受け致しました。

先日、定期的に開催している「きたネットカフェ」で、私は6月に訪問したチェコ・ポーランドの旅から、「戦争と環境」というテーマで発表の機会を与えられました。訪問を振り返れば返るほど重たく、発表でも環境との繋がりはむしろ参加された方々からの意見交換で深まったような気がして、私にとっても貴重な場となりました。結論は「戦争は最大の環境破壊」である、そのことに疑いはありません。

ちらしより

ちらしより

当日参加された方から早速ご感想も頂きました。二つだけご紹介します。

Oさんから: 昨日の旅行記、ありがとうございました。重いテーマは、ヘスを含め戦争当事者たちと私たちが地続きにいることへの不安であり、それがもたらす緊張ではなかったかと思っております。「システム」としての戦争と、経済を推進するシステムは表裏一体のようなところもあります。だからこそ、常にブレーキをかける心つもりとそのエネルギーを保持し、維持していなければ後々、悔やむことになるのだと思います。

年寄が戦争を始め、若者が死んで行く理不尽さは「生命(いのち)」を根本のところからとらえていなければ、社会の空気に流されてしまうことも確かかと思います。

 

Sさんから: 昨日のテーマは何とも重たく、私にとっては軽卒に発言できないと 思いました。あの後、スポーツクラブに寄ってから帰ると深夜になっていましたが、NHK BSで、旧日本兵への取材番組が放映されていました。いずれも90歳前後の方々で、戦場で上官に命じられて敵兵を殺したことを告白したり、あるいは、極限の行軍で病気で苦しむ戦友を楽にするため自ら引き金をひいたことなどを涙ながらに語っていました。その方々は、90歳になってはじめて話したとのことでした。奥さんも子供さんも聞いた事のない話を死ぬ間際に語っ たとのことです。(いずれの方もその後数ヶ月のうちに亡くなった との事です。)彼らは戦争を肯定することはしないが、戦場で死んだ仲間を考えると、過去の戦争が”無意味だった”とは絶対言えないということです。それを言ってしまっては彼らはムダ死にをしたことになるから。そして、生き残って戻って来てしまったことに複雑な想いを感じているようです。品川さんの話にも通じています。

経済的利益が主導する人類の暮らしの価値観を転換させないと戦争というのは無くならないものなのでしょうか?

 

沢山の方々にお集り頂き、真剣な意見交換のひと時に心から感謝申し上げます。戦争体験者ゆえに戦争を語れない、その事を云々言う前に、戦争体験の無い者ゆえに伝えることが出来る、或いは伝える責任がある、そう考えることも出来るとは思いませんか。

「チェンジ」は北海道から始まった!

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  「フォーラムin札幌時計台 × フォーラム神保町http://www.forum-j.com/」の共同企画で、連続シンポジウムが5日間北海道で開催されました。札幌では3日間でしたが、連日の論客の登場で会場は発言の重みに緊張感が漂っていました。http://www.forum-j.com/theme-change-hokkaido.html

覚悟を決めた方々の発言とでもいうのでしょうか、それぞれの立ち位置が大変明確なので受け取る方も理解が容易でしたね。手元のメモから印象に残った発言を列記します。

*現役時代は、「歴史に対して仕事をしている」という意識だった。後に歴史が判断するとなると、交渉経過・記録は絶対に残すべきである――相手国との交渉の為にも

*政権交代の最大のメリットは、あらゆる省庁で「情報公開」が進むこと、そして情報文書は国民のものである

*世界の大きな変化に対して、日本は構造改革が急務である

*世界の変化のポイントは、1)アメリカ発の金融恐慌、2)中国の台頭 

*北海道の今後の取り組みでは、新たな「日ロ交流」を行うべき

*メディアの改革、それは「NHKがどう変わるか」である

*新しい「セクター」として中間市民組織の強化: 大学、NPO(市民の目フォーラム  http://www.geocities.jp/shimin_me/index.htm 等の)

*正義のガバナンス、それは「真実とは何か」を明らかにすること:「自白中心主義」では自白を取りやすい仕組みしか作り出さない――検察の責任は極めて思い:思考停止社会の形成

*新自由主義の弊害――「格差」を解消しないと資本主義が成り立たない時代になった。ヒューマニズムの取り戻しと新しい資本主義の構想を

8月後半の夏、さまざま

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  今年の夏も終わりに近づいています。7月の北海道は連日の曇天、農作物への影響も心配されましたし私達の気持も何となく冴えない感じでした。幸い8月になって夏らしい青空と太陽の日々が続き、だいぶ回復してきた気もしますがどうだったのでしょうか。私の庭のトマトもこの所赤くなってなかなかの出来です。

 先日東京駅から千葉県館山市に高速バスで行った際に、レインボーブリッジとアクアラインから東京湾の青い海を通して首都圏の景色をぼんやり眺めていました。陸上の喧騒とは対照的に、海は夏の太陽をいっぱいに浴びて実に穏やかでした。

レインボーブリッジから

レインボーブリッジから

アクアラインから木更津方面

アクアラインから木更津方面

一方北海道日本海側の海も穏やかでした。札幌から小樽へ行く途中、朝里から高島岬方面です。空も広いですね。

石狩湾も穏やかです

石狩湾も穏やか

そして北海道神宮の杜でも、開拓神社例大祭、流鏑馬(やぶさめ)奉納等で賑わいました。

開拓神社例大祭

開拓神社例大祭

流鏑馬練習風景

流鏑馬の稽古風景

医療事故被害者の声を聴いて・・・

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 札幌医科大学医療安全公開講演会が開催されました。今回はご自身のお子様を医療事故で亡くされた豊田郁子さんのご報告でしたhttp://web.sapmed.ac.jp/kikaku/event/090810koukaikouenkai.pdf。当日は教授・学生等の医科大学関係者他、医療従事者も数多く参加されていました。辛い経験から更に前向きな問題提起を含めて、日本の医療の向上に資する貴重な提言でした。

 東京都の豊田さんの息子・理貴ちゃん(当時5歳)は、2003年3月の夜中に強い腹痛を訴えて病院に運ばれました。腸がねじれる重傷でしたが、医師は「軽症」と誤診し、入院して間もなく亡くなりました。病院は当初ミスを否定、豊田さんは強い不信感を持ち、同様に医療事故で家族を亡くした遺族らと「小児救急」の抱える問題を考えるようになり、東京の新葛飾病院にセーフティマネージャーとなって勤務することとなりました・・・・。

*血液検査では「異常なし」ーー>それが全てではないはず

*医師法21条「異常死」の場合は、取りあえず警察に連絡する義務ーー>それが全てではないはず

http://expres.umin.jp/genba/kaisetsu01.html

*警察の言「事件性は無し」では何の解決にもならない、医師に対する不信感の増幅

*一生懸命やった努力が遺族を傷つける場合もあることを医療従事者は認識すべき

*当事者の「救済」について考える手立ては?:医療ADR機関、死因究明制度、無過失補償制度等

一つ一つの悲しい・辛い現場における事実から、再発防止をシステムとして防止する姿勢、過去の事例から学び質的レベルアップを図る体制づくり、豊田さんのお話は沢山の視座を与えています。もう一つ、このような出来事が内部告発的に明るみに出るのではなく、日常的仕組みとして組織の中に位置づけられているとすれば理想です。組織責任者のリーダーシップとリスクマネジメント、過去も現在もあらゆる組織に問われている課題だと思います。

俺たちが作り続けます、にっぽんの食糧を!

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  「十勝おやじの背中を超える会(略称おやせな)」主催で、「にっぽん食糧供給プロジェクト “キックオフ Party” in Tokyo」が東京霞が関・東京倶楽部ビルで開かれました。

若い女性も多かった

若い女性も多かった

 食料自給率1100%を誇る「にっぽんの食糧基地・とかち」と銘打って豊富な食材を持ち込み、多様な料理の数々に都会の参加者が歓声を上げていました。この分野に興味を持つ企業の担当者も多く、今後の日本の食糧事情を打開する意味でもただの消費者でいるのではなく、今農業を担っている方々とのネットワークを模索する目的も強く感じる空間でした。

入口のディスプレイ

入口のディスプレイ

十勝の食材

十勝の食材

シェフの腕

シェフの腕

 会の冒頭に企画の(株)ノースプロダクションhttp://www.north-production.co.jp/project002.html近江社長のご挨拶、そして代表の梶さんが「にっぽん食糧供給プロジェクト・キックオフ宣言」を行った所、会場内は割れるような拍手でした。会場の壁には地元で生きる家族をはじめとした写真も紹介されていました。

活きた写真

活きた写真

新しい都市と農村、地方と地方とのコラボレイト等、政策をリードするような新しい世代の胎動を感じました。「霞が関」が別の場所に見えたひと時でしたよ。

メディアよ、大志を抱け!

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  メディア・アンビシャスhttp://media-am.org/主催のファーラムが開催されました。当日は全道各地からの参加者で立ち見も出る程の大盛況でした。

今野勉さんの「テレビの嘘を見破る」という基調講演に続き、「メディアよ、大志を抱け!」をテーマにパネルディスカッションもありました。今野さんは、テレビのウソ、やらせ、工夫について語った後に、「事実」とは何か、「事実を伝える」とは何かについて含蓄のあるお話でした。近いうちにHPに記録がアップになると思います。

* 「視聴者と製作者との関係づくり」に尽きる

* ジャーナリストには覚悟が必要、刑務所の塀の上を走っている様なもの

フォーラム受付

フォーラム受付

立ち見もでた今野勉さんの基調講演

立ち見もでた今野勉さんの基調講演

パネル・ディスカッション

パネル・ディスカッション

 パネラーからは、それぞれのお立場から鋭いメッセージが発せられていました。

* 一般の視聴者には「私達のメディア」的な発想がないのではないか、という問題提起もありました。メディアと視聴者がもっと密接な関係にあるべき、とも

* 「政権交代」によりメディアの自由度が高まる、権力とメディアとの新たな緊張関係が生まれる、本来の監視機能が問われる

今回の衆議院選挙後に、一連の選挙報道に関してのファーラムも企画中です。

敗戦から学ばねば

Posted by 秋山孝二
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  毎年8月は、広島・長崎への原爆投下、15日の終戦記念日他の理由からか、戦争・平和に絡むメディア報道が多いですが、気のせいか私には、今年は特に多くの局、とりわけNHKテレビは総合・教育・BS1・BS2・BSハイビジョンの各チャンネルでのこのカテゴリーの報道が多いような気がします。再放送も多いですから、一概にあらたな番組の制作が増えているとは言えないのかも知れませんが、戦争体験者の方々が80歳を超えてきて、新たな証言も多々出て来ていることも事実なのでしょう。

http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/list/index.cgi?t=shougen

先日の「日本海軍」を巡っての3夜連続の番組は、私にとって大変注目するものでした。

400時間の証言 第一回 「開戦 海軍あって国家なし」http://www.nhk.or.jp/special/onair/090809.html
           第二回 「特攻 やましき沈黙」http://www.nhk.or.jp/special/onair/090810.html
           第三回 「戦犯裁判 第二の戦争」http://www.nhk.or.jp/special/onair/090811.html

 私の父は、海軍兵学校66期卒で、卒業後は霞ヶ浦の航空隊教官、キスカ撤退作戦http://ww31.tiki.ne.jp/~isao-o/battleplane-16kisuka.htmの旗艦阿武隈通信長、レイテ沖海戦重巡洋艦利根の通信長で奇跡的に生存し、終戦時は江田島の海軍兵学校分隊監事でした。広島原爆投下時は、すぐ隣の江田島からキノコ雲見ていたとのことでした。終戦直後は進駐軍と海軍の窓口として施設の接収業務等に携わり、その後復員して北大理学部・農学部を卒業、昨年の海軍記念日(5月27日)に解散した「北海道全海軍の集い」の3代目の会長を永く務めていました。

重巡洋艦・利根

重巡洋艦・利根

一貫して前線にいた立場(番組では「艦隊」)から、戦争の話は幼いころからよく聞いていましたが、「海軍軍令部」に関しては陸軍参謀本部と同じように、「現場を知らない連中の机上の空論が多かった」と、言葉少なく語っていました。それと太平洋戦争の全体図を知ったのは、戦後10年以上経てからだったとも。最前線で関わった当事者たちは、他の方からも聞きましたが、マクロの「戦争」という視点は現実として持ち得なかったのでしょう。キスカ撤退作戦の司令官木村昌福氏が作戦そのものの存在を家族を含めて世に明らかにしたのは、昭和34年頃に文芸春秋に記載された以降と、息子さんから伺いました。日本海軍唯一の撤退作戦の成功でもそんな感じです。

第二回番組でも取材デスクの小貫さんが語っていましたね、「特攻で逝った側の話は多いが、それを立案・命じた側の報道は戦後ことのほか少ない」と。まさに「やましき沈黙」なのでしょう。第一回の「海軍あって国家なし」、第三回の東京裁判に臨む姿勢も責任者を守る職務以外の発想もなく、愕然とします。

6月に訪問したアウシュヴィッツでもそうでしたが、そもそも誰を守るための組織だったのかが極限状態で露骨に表れます。そして「組織と責任」、「責任の取り方・取らせ方」について、日本は何も変わっていなく、今、私達の世代の責任が問われています。

重たい8月はなお続きます。

香田誉士史監督に、あらためて感謝

Posted by 秋山孝二
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香田誉士史 さま

暑い夏、この季節になると夏の全国高校野球大会のドラマを思い出します。雨でノーゲームという今年のニュースを聞くと、更に駒大苫小牧高校の大活躍、その後の紆余曲折、そして三連覇一歩手前(実質的な三連覇でしたが)までの劇的ドラマの数々、香田監督には特に感謝の気持をお伝えしたくなりました。

先日の朝日新聞の連載から、この数年間と今のお立場での心境を読み取ることが出来ました。同時にインターネットで検索すると、実にたくさんの香田さんに関連するサイトが紹介されます。私は香田さんの野球監督としての戦績は勿論ですが、生徒達と向かい合っているスタンスに尊敬の念を強く抱きます。昔私も東京都の公立中学校でバレーボールの監督をしていて、ある年は1年間365日バレーのことばかりを考えている時期もありました。また、当時の全日本女子バレーの山田監督に教えを請いに、また子どもたちに全日本メンバーの練習を見学させたくて、遠い道のりを一緒に行ったことを思い出します。

2004年駒大苫小牧高が初優勝した年の対戦相手、日大三高の小倉監督は、「守りの堅さは、そのまま選手の気持ちの強さ。あと数センチ手を伸ばせば届くボールに頑張って食らいつけるかどうか。(駒苫は)雪上ノックをしているそうですね。本州でも最近は冬にボールを扱わず、筋トレが中心の高校も多いけれど、ボールを握る時間を多くすることがうまくなる近道。『ほかとは違う練習をしてきたんだ』と思えるチームは強いですよ」と語っていた記事を読みました。

またその年の9月、横浜高の渡辺監督は、「全日本高校選抜チーム18人を率いてAAA世界選手権(台湾)に遠征しました。駒大苫小牧からは鈴木と糸屋、済美からも鵜久森、福井、甘井の3人が選ばれました。準優勝して帰国すると、鈴木と糸屋からはがきが届いたのですが、2人だけでした。『たいへんお世話になりました』などと。横浜が負けた理由が分かった気がしました。勢いや運などではない。純粋な心が集まってチームプレーへと結晶し、うちはそれがなくて、つなぐことができず個々の野球でした。負けて悔しいと思うチームはありますが駒大苫小牧高には敬意を表します」と述懐しています。

以前から私は、全国高校野球で解説者が北海道代表チームに必ずコメントする「北国は毎年雪が積もり、半年はグラウンドが使えませんからね・・・」というフレーズが大嫌いでした。弱くてもしょうがないと言わんばかりの言葉、慰めにも何にもならなく聴いていても実に不愉快でした。むしろ「ハンディ」ではなく、これをバネに強い自信に変えられないものか、と道産子(ドサンコ)の私としては悔しさで一杯でしたが、香田さんはそれを見事に成し遂げてくれました。香田さんが道外出身者だったことも大きかったですね。 岩手県のある監督の弁として、北国の高校が優勝できない最大の原因は、「勝てるはずがないというコンプレックスだ」と。でも佐賀県ご出身で、佐賀商のコーチ時代には全国制覇も経験している香田監督にはそれが無かったのでしょう。

佐賀商と言えば、検索中に香田さんの高校生時代の映像とその人柄を示す解説者の言葉の動画を見つけました。http://www.youtube.com/watch?v=koajkqRV8N4

高校野球では、ただ試合に勝てば良いというものではないですよね。勿論勝つために日々の練習をしているのは間違いありませんが、たとえ勝てなくても、或いは試合に出れらない生徒たちにとっても、教育の場としてともにチームを誇りに思えるような一体感のある一連の活動でなければ本物ではありません。私はこの数年の駒大苫小牧野球部を見ていて、香田監督がまさに「本物中の本物」と確信致しました。チーム自体の実に細やかな隙のないプレー、走塁でももう一つ前を常に狙っている前向きな姿、一つ一つのプレーへの集中等は、毎日の地道な指導の賜物であり、これから指導者を目指す人々にとっても素晴らしいモデルとなるでしょう。そして教育者としての眼差しで子供たちの成長を見守る香田さんの姿勢も素晴らしいです。高校野球ゆえに、グラウンド外での部員の行動等、気の休まるところがないのでしょうね。これだけの希望を与えて頂きながら、何もお力になれない自分も情けなく、ただ香田さんのその後の生き様に関心を持っていました。

何年前でしたか、北海道庁前庭で一万人程が集まって開催した「報告会」に、私も2時間前に行ってしばし喜びをともにしました。集まった聴衆の香田監督他チームに対する心温まる拍手と声援は、北海道の誇りと希望の表れでした。私のそばにいた年配の女性のグループは、ハンカチで涙を拭きながらの拍手でした。「ありがとう、よく頑張ってくれた!」

香田さんはじめ選手の皆さんが刻んだ軌跡は、多くの北海道に暮らす人間に光を与えてくれました。大変遅くなった感謝の気持を、この時期に言葉にしたくなりました。重ねて、香田誉士史監督、ありがとうございます。

みどりの再生と社会的起業

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  秋山財団が昨年から開始したネットワーク形成事業http://www.akiyama-foundation.org/network/の一つ、「社会起業研究会http://www.akiyama-foundation.org/network/tema02.html」の第3回目が先日開催されました。テーマは「自然環境の保全・再生と社会企業」です。

基調講演は 1)(株)ネイチャースケープ http://www.naturescape.co.jp/  代表取締役 中川 功 氏

        2)(財)北海道開発協会開発調査総合研究所http://www.hkk.or.jp/kenkyusho/主任研究員 草苅 健 氏

のお二人でした。

 

みどりの再生への取り組み
みどりの再生への取り組み

 

中川社長によると社名の「ネイチャースケープ」は、Nature(自然)とLandscape(風景)からの造語で、「自然の景観」という意味だそうです。その企業の哲学が実に明確です。http://www.naturescape.co.jp/philosophy.html 私も時々若い方々から今後の事業展開に関して相談される場合がありますが、その時ほぼ同じ様なアドバイスをしています。企業という形態の方が資金的にもダイナミックな展開に挑戦出来そうな気がしています。「社会貢献」、「社会への還元」を最優先の価値としてです。従って利益処分についてもおのずから次への投資を重視ですね。

草苅さんによるNPO設立の理念から、「苫東環境コモンズ誕生の経緯」とこれからの取り組みも分かりました。http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/aigo4-56.html

それぞれの方々がそれぞれの立場で「環境」の新しい社会的意味を問い続けて活動をされています。


「ゆめぴりか」を訪ねて、上川へ

Posted by 秋山孝二
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  ゆめぴりかhttp://www.hokkaido-kome.gr.jp/hinsyu3.htmlは北海道期待の新品種で、今年の秋から市場に登場します。 千野米穀店http://www.chino-grain.co.jp/徳永社長の解説で、「ゆめぴりか誕生の地を訪ねて」バスツアーに参加しました。訪問先は上川ライスターミナル、JAあさひかわ永山地区今野峯雄さんの田んぼ、北海道立上川農業試験場http://www.agri.pref.hokkaido.jp/kamikawa/kamikawa3.htmでした。

イネの開花はほんの数時間と大変短く、なかなか見る機会がありませんが、この日は例年より遅れていたために幸運に恵まれました。今野さんの「ゆめぴりか」の水田で、お昼頃の花の様子です。水田にはタニシ・カエル・アメンボが沢山いました。

ゆめぴりかの花

ゆめぴりかの花

 北海道立上川農業試験場では、開発者の佐藤毅さんから説明を聞きました。一つの品種を世に生み出すには約10年の歳月が必要とのこと、地道な毎日のご努力に頭が下がります。来週8月11日は公開デーで一般の方々にも開放するそうです。

開発者上川農試・佐藤さん

開発者上川農試・佐藤さん

 説明の後に、昔の品種「いしかり」と「ゆめぴりか(昨年収穫したもの)」の試食で比較しました。光沢・粘り・香り等明らかに違っていて、「ゆめぴりか」はしっとりして粘りもあり、美味しかったですね。ただ、私にとっては何故か「いしかり」も懐かしい感じがしました、昔どこかで食べたパサパサ感を想い出しました。

左:いしかり、右:ゆめぴりか

左:いしかり、右:ゆめぴりか

 上川ライスセンター近くにある地元青年部の方々の力作「たんぼ・de・アート」にも寄りました。架設展望台に登って見ると、見事な色合いとデザインでした。また、近くに寄って同じ平面でみると、3種類の全て「イネ」でした。

たんぼ・de・アート

たんぼ・de・アート

近くで見ると

近くで見ると

 北海道立上川農業試験場には、こんな品種も栽培されていました。名前の由来はご想像にお任せ致します。大正時代には市販もされていたそうです。

名前の由来は?

名前の由来は?

これまで話には聞いていましたが、いつかコメの研究・開発・生産・流通現場を具に見てみたいと思っていました。野菜などと違って稲作のすそ野の広さを感じました。折りしも7月31日現在の調査によると、日本全国の作況指数は96の「やや不良」、北海道は87の「不良」との発表がありました。道内や東北などコメどころで日照不足や低温が続いたことが響き、豊作だった08年産から一転、不作が見込まれるようです。8月に入って日照も少し増えていますし、これからの回復を期待したいです。道内のこれまでの研究開発の歴史は、このような天候の克服の連続だったのでしょうね。

一粒一粒にこもった数多くの方々のご努力を噛みしめながら、ごはんをこれからも頂きたいと思います。今の日本ではモンスター化した「消費者」の存在が、誤解と思い込みによって随分農業従事者を苦しめているような気がします。最低限の量を担保する農業政策と、国家安全保障戦略としての食糧政策、そして意識変化する消費者をしっかり見つめた流通政策の再考を痛感します。限られた「業界」としての食糧制作ではなく、まさに国民全員の「全体最適」を目指しての取り組みが大切なのでしょう。消費者の意識改革が必須です。

メッセージとしての言葉の力

Posted by 秋山孝二
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 この数か月、あらためて「言葉の力」によるメッセージ性、或いは説得力を感じる場面が多々ありました。

*オバマ大統領が就任する過程での節目節目の演説、今年4月のプラハ演説です。ただこれらは英語であり、その場に居たわけでもありませんので(6月にその広場には行きましたが)、感動は何分の一なのだと思います。

 http://www.whitehouse.gov/the_press_office/Remarks-By-President-Barack-Obama-In-Prague-As-Delivered/、日本語訳http://tokyo.usembassy.gov/j/p/tpj-20090405-77.html

http://jinandtonic.air-nifty.com/blog/2009/04/post-c97d.html

 *6月6日の品川正治さん講演会で、「『戦争を起こすのも人間、しかしそれを許さないで止めることができるのも人間ではないか。天災ではない。なぜそれに気がつかなかったのか』、それが私が戦争で得た基本的な姿勢です」と静かに語られました。この時のお話は2時間のDVDに収録しています。こちらまで green9zyonokai@gmail.comご連絡頂ければ送料込み1300円でお送り致します。

*秋葉広島市長は昨日の記者会見で、「核廃絶を願う世界の多数派を、『オバマジョリティー』と呼ぶよう提案したい。次世代への最低限の責任を果たすため、2020年までの核廃絶を実現するよう市民の力の結集を求める」と6日の演説概要を述べました。田上長崎市長も今年はプラハ演説を盛り込むようですね。今週のお二人の演説に注目です。

一方、スポーツの世界でも試合直後のヒーロー・ヒロインインタビューで、このところの若い選手たちは素晴らしいメッセージを私たちに送ってくれています。

*プロゴルフの男子・石川遼は、先日の小樽カントリー倶楽部で優勝した直後、一緒にプレーしたブレンダン・ジョーンズ(豪)選手http://www.golfdigest.co.jp/news/pro_profile/jgt/b_jones.aspを讃えるコメントを実に自然に表現していました。また、全英女子オープンで3位タイになった宮里藍も、一時トップタイになって惜しかったのですが、とても前向きなコメントにむしろそれを聞いた私たちが元気を貰いました。あの若さで素晴らしい日本語を使って自然に表現する能力、どこでそれは培われたのだろうと時々考えます。恐らく家庭環境が最も大きいのでしょうが、昔に比べて「話す力」「言葉での表現力」は格段に若い世代は進化しているような気がします。日本ハムのダルビッシュもいいですね。もし家庭以外で球団が彼にアドバイスをしていたとすれば、経営者の見識に感服いたします。プロ選手の子供たちへの影響等、まさに「社会的責任」の基本だと思うからです。

*プロボクシングの亀田兄弟は逆のモデルでしょうか。基本的な日本語が出来ていませんよ。年齢と立場を勘案してもひどい言葉使いですし、それ以上にそのままメディアの前に露出させるジム経営者、メディア関係者の見識を疑いました。それどころかメディアの、そんな非常識さを面白がるグロテスクな姿に憤りを感じます。言葉だけでなく対戦相手への侮蔑的雰囲気は、責任ある立場にいる者は当り前のこととしてきっちり叱責するべきだと思いますね。勝敗云々よりも、出来るだけ近いうちに兄弟たちの「気づき」を期待したいものです。マナーを越えた人格の問題だと。

*私が上場企業の代表取締役だった時に、人材開発部長に言ったことがありました。「取締役研修の教材として『放送禁止用語集』を使えないものか」と。当時、企業の不祥事等での記者会見で不適切な言葉・表現が頻発していました。予め用意しておいた原稿を読んでいるうちはごまかしが効くかもしれませんが、質疑応答の場面ではもろにその人柄が露出します。無意識の差別用語(片手落ち、バカでもチョンでも等)、不適切表現(女性蔑視等)は、命取りとなっていました。会社を代表する立場に在る者にとって、本来は持って生まれた能力と言い放ちたいのですが、これが個人の属性を越えて会社の品格・責任まで及ぶのであれば、不断の学びの中から吸収出来るようにプログラムを用意しなければならないでしょう。

外国語に対する認識でも、言葉が分からなくてもコミュニケーションは何とかなるものと言葉を軽視するのと、やはり言葉は極めて大切であると考えるのとでは大きく違ってきますね。先日、国際ソムリエコンクールで優秀な成績をおさめた日本人ソムリエが、「フランス語をもっと理解し駆使できれば、優勝できたと思う」と小規模の勉強会で謙虚に述懐していました。先日のゴルフの全英女子オープンでも、数人の日本人選手がキャディとの関係が明らかに上手くいっていない様子でプレーをしていました。案の定スコアは悪かったです。

昔、私が学生時代に通っていた東京の夜間の英会話学校である先生が、「とにかく、Talk! Talk! Talk!」といつもおっしゃっていました。「もし何も話することがない時は、今自分はこういう状態なので話が出来ない、と語るべき」とも。言葉・会話を通してコミュニケーションの重要性を伝えたかったのだと思います。

テレビのインタビューから、言葉にまつわるこれまでの場面が次々と頭を通り過ぎました。

第6回アースカフェ、栗山町で

Posted by 秋山孝二
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金丸農園パンフより

金丸農園パンフより 

  第6回アースカフェhttp://t-afi.net/が、栗山町の金丸農園http://www.farm-kanamaru.com/で開催されました。栗山町は町としても大変努力されていますねhttp://e-kuriyama.com/kiteru/。伝統ある小林酒造・北の錦記念館、パンの「さわや」、栗まんじゅう、くりやまコロッケ他、面白いスポットも多いです。

「土づくりからやさいが健康に育つ環境を目指して・・・」と題して、これまでの手作りモミガラ堆肥・手作り肥料のご努力他、ミニトマト栽培の現場から多くのことを学びました。また(株)アレフ びっくりドンキーhttp://www.aleph-inc.co.jp/佐藤(元)副社長のお話も大変面白かったです。現場をよく知る経営者が、これまでの農作物を巡る課題、問題提起、そして企業としての実践を通じて説得力のある内容でした。

金丸農園ミニトマト

金丸農園ミニトマト

 ミニトマトハウス内では、モミガラ堆肥を敷き詰めた様子が分かります。歩きながら赤いミニトマトを摘まんで食べましたが、甘い味が口の中に拡がり美味しかったですね。

我が家の庭でもトマトを栽培していますが、今年の日照不足でどこまで赤くなってくれるのか、祈るような気持です。とは言っても私の場合はトマトで生計をたててるわけでもなく、気楽な稼業ではありますが。

庭のトマト

庭のトマト

 ついでに我が家の庭の柿の木には、今年も実が沢山ついています。秋には熟した姿・色になってくれるでしょうか。

庭の柿の実

庭の柿の実

今回の金丸農園でのカフェは、先月の十勝の畑作4品の農業とは異なったタイプでのあり方を如実に知り、ひと言で「農業」と語るには余りに多様な生き方があることも理解したつもりです。これまでの農政の問題点も確かにありますが、それ以上に現在農業の担い手として頑張っている方々の前向きの姿勢に感動を受けました。

アースカフェ事業は、昨年から始めた秋山財団の「ネットワーク形成事業」の一つです。今年2年目を迎える他の4つのテーマに基づく活動も同様ですが、「いのちを育むいとなみの連鎖」とでもいうのでしょうか、着眼点はそれぞれ異なるのですが、何回も繰り返し議論・実践を進めていくと、結局は行きつく先に共通のテーマを感じるのです。以前農業に従事されていた方、今就農されている方、行政の方、私のように全くの素人、何かしら安心・安全な農作物に興味のある方他、異なる立場の方々が現場を見学し、場を囲んで数時間意見交換する意味が、こんなにも価値のあることとは思いませんでした。これからの活動へのヒントがあり、まさに「宝の山」です。

これまでに今後に繋がる材料をたくさん得た気がします。これらを更に進化させて、「多様ないのちが生きることが出来る大地」、そんな北海道を創っていきたいものですね、素晴らしい一日でした。

世界をみる眼ー21世紀初頭を超えてー

Posted by 秋山孝二
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  (財)日本総合研究所 http://www.nissoken.jp/rijicyou.htm 主催のフォーラムが開催されました。「『世界をみる眼』-21世紀初頭を越えてー」をテーマに、3人の方々の座談会、寺島さんの総括講演でした。

御厨 貴(みくりやたかし) http://www.mikuriya.rcast.u-tokyo.ac.jp/int/sp/index.html

伊東 乾(いとうけん) http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%88%C9%93%8C%81@%8A%A3/list.html

寺島実郎(てらしまじつろう) http://www2.jfn.co.jp/tera/index.html (このサイトで8月末にこのフォーラム要旨が閲覧できるそうです)

3人の方々は、今進んでいる世界の構造改革を分かりやすくお話されていました。特に日本にとっては中国の台頭、アメリカとの関係・距離について、受身の議論ではなく主体的戦略をどう構築するか、具体的なコメントも多かったですね。以下印象に残ったフレーズを書き留めます。

*英語で「CHINA」というのは「グレーター・チャイナ:連結中国」の意味、世界6000万人の華僑をイメージ

*日本人の中国人観を「侮蔑」に変えたのは日清戦争での勝利以降。それ以前は「尊敬の念」を抱く歴史だった

*第二次世界大戦で日本は中国に負けたという意識が希薄、それ以降は見ないようにしていたのが現実

*現在および将来は、物流・人流とも中国抜きでは考えられない――>近代以来の中国に対する日本の立ち位置を変える時

*日中関係を変えることは日米関係を変えると同義

*現在は「明治10年代の動き」と酷似、「価値をいかに見立てていくか」、「メディアをどう育てていくか」が重要

*今必要なことは、「実体への回帰・復帰」と「バーチャリティーのより高度な活用」

*日本の見立ての価値は高い安心・安全の概念、クオリファイの価値

 

アメリカと中国とが戦略会議を行ったニュースが流れています。日本も「アメリカのポチ」からの脱却を図る必要がありますね。内向きの議論ばかりに終始している場合ではありません。国の政策とは別に、芸術・文化他の地域・市民レベルでの積極的交流も盛んになっているので、これからも注視していきたいと思っています。

辻陽明さん、逝く

Posted by 秋山孝二
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 朝日新聞社編集委員の辻陽明(つじ・ようめい)さんが、6月11日に食道がんで亡くなられました、53歳の生涯でした。

昨日東京で「偲ぶ会」が催されて、朝日新聞社関係者、公益法人関係者等沢山の参加者で会場は溢れ、あらためて辻さんのこれまでのお仕事のご功績の高い評価とお人柄が偲ばれました。

祭壇の遺影・愛用のサックス・短詩

祭壇の遺影・愛用のサックス・短詩

亡くなる直前6月1日に詠まれた短詩です

亡くなる直前6月1日に詠まれた短詩です

生前ご一緒にお仕事をされた朝日新聞の記者の方々はじめ、とりわけ関係の深かった方の気持のこもった弔辞の数々、そして最後の奥様のお話に、会場のあちこちからすすり泣きが聞こえて参りました。千里のご出身で大阪大学法学部をご卒業されています。奥様のお話によると、09年4月に療養のために故郷千里に戻った辻さんは、千里の変化がご自分の人生の変遷と重なっているとお感じになられたと。辻さん自身は万博開催で進歩や発展の象徴だったかつての千里よりも、深い緑に包まれた静かで穏やかな千里にこそ「希望」があると思ったのではないか、とこの詩の思いも語られていました。

私は4年前でしたか、財団法人のフォーラム・懇親会で辻さんと初めてお会いしました。控えめに会場の端の方にお立ちではありましたが、何かそのお姿全身から醸し出す雰囲気に存在感があり、眼差しと表情の優しさが特に印象的でした。2005年10月1日から連載の「新市民伝」が始まったばかりの頃でした。その後大変多様な市民活動を担う方々70名を取材しての連載となりました。「これからは、本来的な意味の『新市民』の活動が社会を変えていく」ことへの深い見識を、私はその時に読み取りました。

人との出会いというのも不思議ですね。辻さんとはその後数回しかお会いしていないのに、その強烈なイメージは忘れることが出来ません。何回も飽きる程(?)お会いしていても殆ど心に残らないタイプも多い中、辻さんからのメッセージは実に印象的でした。昨日の弔辞をお聴きしていると、普段の職場でも人並み外れる情熱で光っていたようです。

昨年の洞爺湖サミットに対しても、07年5月に「日本NGO『陰の主役』」と題してのコラムも書かれていました。

ヤマハ音楽教室に通ってサックス演奏を習い続けて、発表会でも演奏されたそうです。昨日の会の終盤に辻さんの演奏録音が会場中に流れました。曲目は「Left Alone」でした。

願わくば、朝日新聞の中に辻陽明さんに続く若い記者の方々が、「シビル・ソサイアティ」への熱く優しい眼差しを持って続いて頂きたいものと。昨日会場に集まった皆さんの思いに違いありません。辻陽明さん、ありがとうございました。そして、安らかにお眠り下さい。