多摩大学リレー講座http://www.tama.ac.jp/info/lecture_relay2009.html 秋学期(全12回)の第9回、佐高信さんの「現代日本の権力構造」を聴きに行って参りました。ついでに寄るような場所ではない多摩丘陵には、当日300人を超える聴衆であふれ、いずれの方々も連続して聴講している「常連」さんのようにお見受けしました。また学生も多数出席していて、老若男女の雰囲気がよく、同時に緊張感も漂う空間でした。
テレビで見る佐高さんは、私にはスタジオが何か窮屈そうで、いつもしゃべり足りなさそうな様子でしたので、一度まとまった時間でのお話を聞いてみたい気がしていました。今回1時間半の中で、彼なりにメディアに露出しながら「戦っている姿」を知り、彼自身と彼を取り巻く状況を再認識しました。「週刊金曜日http://www.kinyobi.co.jp/」でもその一端を知ることができます。
彼は、連載を潰されたこれまでの幾つかの経験から結論として、「現代の日本には『タブー』が現存すること、そしてそのタブーをめくらなければ、『権力構造』は見えてこないこと」を端的に指摘していました。「テレビでやっていたから・・・」などと言って安易に信用するのは、全くおめでたいとも。テレビ番組はそのスポンサー企業の意向に反する訳にはいかず、メディアの中立などは全くの幻想にすぎない、さらによく体制側の人間が、「批判するのは簡単だ!」というが、それは口封じに通じる極めて高圧的な発言として機能する、と。メディアを通じて「批判する」ことの難しさと勇気の必要性を強調していました。
テレビでの発言等に対しても、訴訟が起きたりいろいろリアクションも多いようです。深夜の電話等もあったりするそうですが、しかしながらそれは「権力」からではなく、ごく一般の市民からとか。「権力」は状況に「乗っかって」来て、民衆が手を貸す構造となっている、言い換えればメディアを媒介として権力が意識をつくり上げていく構造そのものを見抜く必要性を語っていました。