コロナ禍で思う、いくつか!

Posted by 秋山孝二
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 コロナ禍はもう2年以上続いていますが、この数週間にあった出来事から二つ、コロナ禍ゆえの悩みというか、大変心に残る場面があったので紹介します。

 先ずは先日、街中で本当に久しぶりにお会いした方、市民活動の幾つかの場で何回かお話をしました。コロナ禍でも活動は続けていたそうですが、人によってこの「コロナ状況」の受け止め方が違うので、イベントへのお誘いとか集まりのご案内でも個々に応じて気を使っているとか。「こんな時期に参加できる訳ないでしょう!」と強く拒否される場合もあれば、逆に「どうしてこんなに縮小してしまったの!」とお叱りを受けたり、これまでになくそれぞれの相手によって対応を考えなければならないことが自分にとってストレスが溜まってくると。高齢者がコロナに敏感という訳でもなく、基礎疾患がある方、若い方でも一歩の家から出ないでメンタル的にやられる人もいるとか。本当にこの間の様々な暮らしぶりにより活動ばかりでなく、メンタルに変化をきたしている場合も多いようです。

 もう一つのお話、これは私にっては一層心が痛みました。先月末に、長く東京都内に住んでいた私の次男家族5人、妻は東京育ち、ともに仕事を辞めて札幌に移住してきました。子供が3人、小学生の長男、今月から小学生になる長女、保育園の二女、先日、引っ越しを終えたその日の夜に、近くのファミリーレストランで私たち爺さん、婆さんと移ってきて初めて夕食を一緒にしました。掘りごたつの丸テーブル、隣はすだれ一枚で中年男性ばかり6人程度の席で、私たちが座る前からすでに食事が始まっていて、大声での話と笑いで盛り上がっている様子、こちらはゆっくり飲み物・食事メニューで注文したあと、ふと小学生の彼がなぜは元気がなく少しうつむき加減の様子に気が付き、どうしたの?と聞くと、隣の大声でのやり取りが許されていいのか、に近い小声のつぶやき、更に聞いていみると、小学校ではかなり厳しく「黙食」を先生からいわれているらしく、隣の状況が許されない、或いはそれを見逃している私たちが理解できない、翻訳するとそんな意味合いのようでした。考えてみると、同伴の保護者は一人と限定されて入学式もろくに行われず、休校が続いたり学校行事はほとんど中止の連続、そんなこの2年間が幼い子供たちにどれ程の悪影響を及ぼしているか、コロナが悪いと言う以前に、この間の大人の対応に大いに責任があるのだろうなと胸が痛んだ場面でした。

 私のように70歳を越えた世代にとってはわずか2年間、人生のごくごく一部なのですが、人生の分母が小さな子供達には計り知れないストレスを与えているのでしょうね、ともあれ、未だに変異株に翻弄される人間社会、この夏までには何とか目途をつけたいものです。それと同時に、今回のようなパンデミックを幼い頃に経験した世代が、貴重な経験として今後の人生の中でたくましく生きていって欲しい、そんな祈りにも似た気持ちにもなった夕食でした。