12月10日は、ノーベル賞受賞式が行われます。「日本にノーベル賞が来る理由http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4022732520.html」を読みましたが、時の歴史と受賞者との間に密接な関連のあることが良く分かります。著者の伊東乾(いとう・けんhttp://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20070619/127758/)さんは、この欄の「09.7.30付」でもご紹介していました。直接パネラーとしてお話をお聞きして以来、ずっとその着眼点に興味を持っていて、日経BPのウウェッブ版「常識の源流探訪」も続けて読んでいました。
アルフレッド・ノーベル | |
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ノーベル賞はノーベル財団http://nobelprize.org/nobelfoundation/index.htmlが100年以上も前から実施している褒章事業であることは大変有名です。私がいわゆる「財団活動」を知ったのも、ノーベル賞がその始まりでした。小学校の担任の先生が、基本財産を運用して(その時こういった言葉を使ったかどうかは定かではありませんが)毎年の利息で事業を続けている、と教えてくれました。それ以来「財団法人」に関しては特に興味もありませんでしたが、実際秋山財団を設立する25年程前、「褒賞事業」、「助成事業」の選考方法を決める際に、欧米各国の民間財団法人を研究しました。
ノーベル財団の選考は、「物理学賞」、「化学賞」、「経済学賞」の3部門についてはスウェーデン科学アカデミーが、「生理学・医学賞」はカロリンスカ研究所が、「平和賞」はノルウェー・ノーベル委員会が、「文学賞」はスウェーデンアカデミーがそれぞれ行っています。そしてご承知のように、ノーベル賞の選考過程は秘密裏に行われていて、選考過程は受賞後50年経過してから初めて公表されています。
私がこの本を読んで新しい発見をしたのは、ノーベル財団には大変明確な「戦略」と「理念」がある事です。「メッセージ性」、「個性」とでもいうのでしょうか。それは「人類の平和」であり、「豊かなくらし」であったりです。それに忠実な活動が、「差別の非対称性」を克服するバランスのとれた国際間の「対称性」ある配慮への信頼感を生み出しているのでしょう。
伊東さんは、第二次世界大戦での原子爆弾とノーベル賞受賞との密接な関連性を分かりやすく説明しています。湯川秀樹博士の受賞もこの脈絡の中で語られていますし、日本におけるノーベル賞の紹介が、終戦直後の占領軍政策の中で、メディアに大きく制約があり、今もって歪に説明されているのです。受賞者のその後の世界平和に向けた活動にも注目です。湯川秀樹博士は、1955年に「世界平和アピール7人委員会http://worldpeace7.jp/」を創設メンバーのお一人として立ち上げました。現在のメンバーのお一人、土山秀夫先生との対談でも、長崎に投下された原子爆弾について貴重なお話が記載されており、この本の中でも語られています。この対談については、この欄の「09.10.15付」でご紹介しています。
伊東さんは、またバーンスタインとの出会いが、札幌でのPMFサマースクールhttp://www.pmf.or.jp/で実現した事を語っています。欧州からアメリカに渡ってきた先達から学んだ「三つの伝統」についてです。1)活動・研究それ自体、2)それを支える仕掛け、研究施設から出版社まで等、3)担い手としての次世代、すなわち人材育成。
結論として、このノーベル財団の崇高な理念の実現に、日本は国際社会の中で大変「期待される国」としてのポジショニングを十分持っていること、言い換えるなら21世紀の地球規模の課題解決に世界第二の経済大国としてだけではなく、国際平和・環境等の分野においても、勇気を持ってメッセージを発信していく人材の輩出を促したい、そう私は理解しました。