「北海道大学薬学部創立60周年及び総合研究棟新営・管理研究棟改修完成記念の式典・講演会・祝賀会」にお招き頂き、出席致しました。北大薬学部と私の伯父・故秋山康之進と喜代、(株)秋山愛生舘、秋山財団との深い関係も再確認する貴重な場でした。
* 記念プログラム――> http://www.hokudai.ac.jp/home2015/program/program10_01.html
この日の為に作成されたDVDでは、医学部薬学科創設から今に至る歴史を、米光先生ほかが丁寧に語っていらっしゃって、その中で、秋山康之進夫妻、秋山愛生舘との浅からぬ関係を繰り返しお話をされていて、大変恐縮致しました。
金岡祐一先生も、遠方の富山からご出席になり、祝賀会前後、お話をすることが出来ました。3年前の経済同友会全国会議が富山で開催された時に、夕食をご馳走になったことも私の挨拶の中で披露致しました。
* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12594
祝賀会冒頭の来賓4名の挨拶として私もご指名を頂き、以下のようなお話をして祝意と感謝を述べました。
私の来賓としてのご挨拶 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
私の伯父、三代目秋山康之進は、「北大医学部薬学科設置期成会 副会長」として、ささやかながら尽力致しました。
設置後は、伯母の秋山喜代とともに、「秋山奨学金」事業立ち上げ、15年間継続しました。毎年4・5名の学生に奨学金を支給し、毎月、南1条西5丁目の自宅に夕食に招待し、勉学、研究のお話を目を細めて本当に嬉しそうに聞いていたのを私は今でも忘れることができません。
その後、(株)秋山愛生舘100周年を前にして、奨学金よりももう少し幅広く「研究」を応援できる仕組みを検討するようにとの指示が秋山喜代からあり、1985年頃に「財団」設立の準備に入った次第です。
まずは、財団運営の先輩、エーザイ(株)社長、当時の研究開発本部長・内藤晴夫さんを筑波に訪問し、そこで「秋山さんなら、やはり、伴義雄先生に相談するのが一番でしょう」とアドバイスを頂き、当時習志野の東邦大学薬学部教授だった伴先生のところに数回お邪魔しました。
伴先生は研究室で、いろいろなお話をしましたが、結局、壁に貼ってあったポスターを指さしながら、「21世紀は、『ライフサイエンス(生命科学)だろう』とおっしゃって、その概念を丁寧にご説明下さいました。正直、私には何か雲を掴むようなお話ではありましたが、今、29年を経て、少しその趣旨が分かりかけてきたような気がしています。
1987年1月に「秋山記念生命科学振興財団」を設立し、伴先生には最初の理事にもご就任頂き、初代の選考委員長として金岡祐一先生には、現在の秋山財団の選考プロセスの基盤を創って頂きました。さらに、上田亨先生、米光宰(おさむ)先生、大塚栄子先生、野村靖幸先生、森美和子先生と、歴代の薬学部の諸先生のご指導により、秋山財団は大きく飛躍することができました、心から感謝申し上げます。
秋山財団にとって、北大薬学部は「生みの親」であり「育ての親」でもあります。本日の創立60周年は私ども秋山財団関係者にとっても、心からお喜び申し上げるものでございます。今後さらに一層のご発展を祈念してお祝いのご挨拶と致します、ありがとうございます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 挨拶コピー おわり
北海道の薬学の歴史に関わった秋山の足跡、私が出席して見聞きしたことを、家に帰って仏壇に向かって報告を致しました。