ハンガリー経済ミッション @ 益子

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 今月上旬に、ハンガリーから経済ミッションが来日し、オルバン首相は国立新美術館(https://www.nact.jp/で「ブダペスト展 のオープニングセレモニーを開催しました。

* ブダペスト展 https://budapest.exhn.jp/?fbclid=IwAR1CxLpa0fK0MCJAy6M8NaSNi2tSCAbYV5hV1MR_wTfip4qAdGXg4gxHXXk
オルバン首相は、「ハンガリーで日本人と話をするとき、私たちを隔てるものよりも私たちを結び付けるものが多いという印象を持っている。『精神、感情、美徳の共通点』は、ハンガリー人が日本人と話すとすぐに理解できます。」と話しました。

ご挨拶するオルバン首相

ご挨拶するオルバン首相

 その後、ミッションの有志が栃木県日光市と益子町を訪問され、益子町では(公財)ワグナー・ナンドール記念財団(http://wagnernandor.jp/にお越しになり、夜は私たちが歓迎交流会も開催しました。

 今年、財団では、春季展2019で「日本・ハンガリー友好150周年」の記念企画として、駐日ハンガリー大使館のご後援を頂き、「ハンガリアン・コープス」の資料を展示し、秋はハンガリーの詩人 ヨーゼフ・アティラをテーマに、ポスターとDMデザインを企画しました。海外での活動では、今年はハンガリーのAcademia Fumana財団」の20周年の年で、記念フォーラムほか幾つかのイベントがブダペストで企画され、大変節目の年でした。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=36842

記念財団アトリエを見学

記念財団アトリエを見学

哲学の庭で

哲学の庭で

 夜は歓迎交流会、阿久澤政行さんのピアノと打保早紀さんのヴァイオリンで、くるみ割り人形作品をはじめクリスマスにちなんだ楽曲を演奏されました。

阿久澤政行さんと打保早紀さんのライブ

阿久澤政行さんと打保早紀さんのライブ

経済ミッション団長のキッシュ・シャンドールさん

経済ミッション団長のキッシュ・シャンドールさん

和久奈ちよさんもご挨拶

和久奈ちよさんもご挨拶

最後は皆さんで記念撮影!

最後は皆さんで記念撮影!

 来年は東京オリンピック・パラリンピックの年、栃木県はハンガリーのホスト県として、選手団を受け入れることになり、一段と飛躍の機会となりそうです。

中村哲先生、逝く

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 突然の訃報はスマホで流れてきました。中村哲先生とは直接はお話をしたことはありませんが、多くの番組で紹介されているように、覚悟を持ってのこの間のアフガニスタンでのご活動に心から敬意を表する当時に、ご冥福をお祈りいたします。

 そして、先日の葬儀の様子もSNSで記事になっていました。

* https://www.youtube.com/watch?v=1710uaVKc6o

 覚悟の上の活動、本物の姿から多くのことを学びました、心からご冥福をお祈り致します。

高校同期会 2019冬 @ 東京

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 東京での高校同期会、今年はいつもよりも少なめの参加者でしたが、場所は同期の瀬戸山貴信くんが経営する浅草橋の『樹下夢(http://jugemusk.com/)』で和やかに過ごしました。今年は、高校卒業50周年の節目だったので、10月には札幌でたくさんの同期生が集まりました。ただ、私自身は、同窓会関係の役員も兼ねていて、当日は別の場所での同窓会総会・懇親会、その後の新旧会長を囲む二次会等が前後に予定されていて、この記念すべき同期会では多くの久しぶりの同期生とはあまり話が出来なかったのが残念でした。

* 高校卒業50年記念同期会の記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=37214

 午後3時からの冬の同期会はいつものように会場は『樹下夢』、私はこの場所は初めて足を運びました。

 参加予定の皆さんは、日時・場所を間違えることもなく?!全員集合できました。

最後に集合写真

最後に集合写真

 このところは比較的いつものメンバーといった感じの集まりになっていますが、それぞれの話題は毎回尽きることなく、こんな調子で70歳代を迎えるのだなと、予感するひと時でした。皆さんの健康を祈りたいですね。

「FMアップル」に生出演!

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 10月に秋山財団にオープンした『愛生館文庫(http://www.akiyama-foundation.org/news/3854.html』、新聞記事になってからいろいろな方面からのお問い合わせが届いています。その中の一つ、コミュニティ放送の「FMアップル(http://765fm.com/」さんから出演依頼があり、先日生放送が実現しました。

* 愛生館文庫の関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=37374

 パーソナリティーの村形潤さんとの対談、あっという間の30分でした、さすがに聞き上手で気持ちよくお話ができました。

パーソナリティのさんと

パーソナリティの村形潤さんと

 始まる前に、専務取締役放送局長の塚本薫さんともお話をしましたが、昨今、コミュニティ放送局は、災害時の重要な機能としての役割で注目されています。昨年の胆振東部地震の時も、ブラックアウト最中でも札幌の二局だけが放送を続けて災害時に貢献できたそうです、日ごろの準備が功を奏して素晴らしいことですね。

* https://www.atpress.ne.jp/news/176773

地域防災の取り組み

地域防災の取り組み

 『愛生館文庫』を開設して、いろいろな方々から逆に情報を頂いている昨今、連続講座も含めて、これからの情報の蓄積が大変楽しみになってきています!

藤井茂さん新著 祝賀パーティ

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 盛岡の(一財)新渡戸基金の藤井茂理事長が、新著『増田義一伝(https://www.j-n.co.jp/books/?goods_code=978-4-408-33892-7)』を出版し、その記念祝賀パーティが東京で開催されました。

一代の出版人 増田義一伝

『増田義一伝』 HPより~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 明治から昭和初期にかけて、新渡戸稲造、大隈重信、渋沢栄一ら政財界の重鎮や学者たちから
絶大な信頼を受けた出版人がいた。
 その人の名は「増田義一」。

 多くの良識ある読者から絶大な支持を得た『実業之日本』の創刊から携わり、
『婦人世界』『少女の友』などの雑誌を矢継ぎ早に成功させ、
版元である実業之日本社を大正期を代表する出版社へと牽引。
大日本印刷の初代社長でもあり、日本の出版界に大きく貢献した人物である。

 同社の経営と並行して衆議院議員に8回当選、衆議院副議長などを務めた一方で、
その功績とは裏腹に、いま「増田義一」を知る人は皆無に近い。
なぜ、出版人・増田義一は、あの時代の重鎮と大衆の心をつかみ、
実業之日本社という出版社を一時は日本一の存在に高めることができたのか。

 一代の出版人・増田義一の生誕150年であり没後70年を記念し、
彼の79年の軌跡と人柄、そして生涯貫いた志を、新渡戸稲造の研究家が描いた初の評伝。
現社長による「解説」も所収。

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 10月末に十和田市でお会いした方々とも再会しました。

* 『第3回INAZOサミット』ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E7%AC%AC3%E5%9B%9EINAZO%E3%82%B5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88

右から作家の青山淳平さん、中野さん、私、小笠原さん

右から作家の青山淳平さん、中野英喜さん、私、小笠原カオルさん

 祝賀会の冒頭は、増田義一さんが創業者の(株)実業之日本社(https://www.j-n.co.jp/)、岩野裕一社長のご挨拶。10月の盛岡での「新渡戸稲造命日祭」でパネリストをされていました。

* 「命日祭」関連記事ーー>http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=37168

実業之日本社の岩野裕一社長のご挨拶

実業之日本社の岩野裕一社長のご挨拶

 岩野裕一社長は、パーティでもお話をしましたが、北海道池田町で小学校時代を過ごされたそうです。当時の貴重なお話を聞かせて頂きました。

 藤井茂理事長も御礼のご挨拶。増田義一と新渡戸稲造との浅からぬ関係をご説明されて、さらに新渡戸稲造博士の幅広い懐の深い人となりに感動しました。

藤井茂理事長

藤井茂理事長

 10月の十和田、12月の東京と、今年も新渡戸稲造博士を巡って、一層その人間像を深めた時間となりました、感謝ですね。

寺島文庫 駒沢ハウスで

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 「寺島文庫戦略経営塾(http://www.terashima-bunko.com/terashimabunko-juku/strategic-management.html)・東京」での仲間が、「寺島文庫 駒沢ハウス(http://www.terashima-bunko.com/bunko-kokorozashi.html)」にお招きを受けました。寺島実郎さんの思い出がいっぱい詰まった場で、その日は、オタフクソースのお好み焼き(https://www.otafuku.co.jp/okonomiyaki/)とカリフォルニアワインの絶妙なコラボレーション、不思議な知の空間でした!

* 寺島文庫関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%AF%BA%E5%B3%B6%E6%96%87%E5%BA%AB

駒沢ハウス

駒沢ハウス

 寺島実郎さんは語っています。

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 私には何とか実現したい夢があった。それは、世田谷の駒沢にあった書庫を都心に持って行き、知的活動の基点にしたいというものであった。

 思い起こせば、学生時代から社会人になっての6~7年間、つまり1970年代、駒沢の家の二階の部屋で、十人前後の友人を集めて、しばしば勉強会を開いていた。時事的テーマや世界情勢に関する報告と議論、相互啓発の場であった。

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 オードブルはオタフクソース+フォアグラで、その日は始まりました。

お好み焼きソースのオードブル

お好み焼きソースのオードブル

 そして、ボージョレ・ヌーヴォーから久しぶりの「Opus One(https://jp.opusonewinery.com/」へと。

久しぶりのOpas One

久しぶりの「Opus One」

 ハイライトのメインディッシュはおたふくソースたっぷりの広島お好み焼き!!

メインは広島お好み焼き!

メインは広島お好み焼き!

山木将平くん、ミニライブ!

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 私の高校の後輩であり、今、各方面で活躍している山木将平(https://shoheiyamaki.com/くんのミニライブは、ブルース中心の熱演、大変贅沢なひと時でした。今年彼は、「札幌国際短編映画祭」で「 最優秀作曲賞」を受賞しました(https://shoheiyamaki.com/2019/10/21/shortfilm2019/)。

山木将平くん

山木将平くん

 場所はススキノのバー『ベーシック・バーボンアヴェニュー(https://www.mapion.co.jp/phonebook/M01014/01101/20130041799/#detail_info』。昔の会社の方々と以前飲んでいた時、今回のミニライブの企画を知り、楽しみにしていました。

 彼は最近、演劇・朗読とのコラボにも出演して、好評を得ています。今月には、シアターZOO企画公演『聖夜の憂哀歌(ブルース)~すすきのを爪弾く(http://www.h-paf.ne.jp/program/191223rukikaku/)』、年明け2月には、北海道演劇財団(http://www.h-paf.ne.jp/tatt inc(https://tatt.jp/)共同企画『虹と雪、慟哭のカッコウ ~SAPPORO’72』に出演が決まっていて、益々期待が高まります!

メディアアンビシャス 特別例会

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 メディアアンビシャスは、市民が勝手に優れた番組・記事を表彰しています。

* これまでの関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%93%E3%82%B7%E3%83%A3

 先月は特別月例会として、NHK沖縄放送局ディレクターの奥秋聡さんをお招きしました。「沖縄・辺野古報道の現場から~基地に翻弄される住民」と題してのご講演のほか、今年9月21日放送のETV特集『辺野古 基地に翻弄された戦後』の一部を上映しながら、その取材の裏話等も盛りだくさんの内容となりました。

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メディアアンビシャス特別例会

講演会「沖縄・辺野古報道の現場から

~ 基地に翻弄される住民

 戦後の沖縄の縮図ともいえる辺野古基地は沖縄県民の「反対」との明確な意思が表明されているにもかかわらず、工事が進められています。地元住民にとって厄介者である基地。だが、明治維新直後の「琉球処分」以降、常に虐げられて、「切り捨て」られてきた人々にとっては「ヤマトンチュ」(本土の人)や、その政権へ複雑な想いを抱えています。

 その「ウチナーンチュ」(沖縄の人)の実態をテーマに、今年921日放送のETV特集『辺野古 基地に翻弄された戦後』と、BS1スペ「証言ドキュメント辺野古」 BS1スペ「証言ドキュメント辺野古」 BS1スペ「証言ドキュメント辺野古」 BS1スペ「証言ドキュメント辺野古」 BS1スペ「証言ドキュメント辺野古」10月6日放送のBS1スペシャル『証言ドキュメント辺野古』の両番組を制作した奥秋聡ディレクターが、11月21日に来札されます。その機会をとらえて、マスコミの中で活躍している方へエールを送っている市民運動体「メディアアンビシャス」が特別例会として、講演会を企画しました。

講師奥秋 聡 さん

NHK 沖縄放送局 ディレクター

1974年神奈川県生まれ。99年にNHK入局。 これまでにETV特集で『基地で働き 基地と闘う 〜沖縄 上原康助の苦悩〜』『関東大震災と朝鮮人 悲劇はなぜ起きたのか』などを制作。ETV特集『海の放射能に立ち向かった日本人~ビキニ事件と俊鶻丸~』2013年度メディアアンビシャス大賞を受賞。著書「海の放射能に立ち向かった日本人 ビキニからフクシマへの伝言」(2017年、旬報社刊)も

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NHK沖縄放送局

NHK沖縄放送局 奥秋聡さん

基地問題

基地問題へのアプローチ

 幅広い方々への取材に基づく沖縄の現場の状況は、大変新鮮なメッセージも多く、濃い時間となりました。奥秋さんのお人柄でしょうか、終了後も当日参加していた高校生からの質問に対して、実に丁寧にお応えをされていました。

高校生の質問にも丁寧に答える

高校生の質問にも丁寧に答える

木朝会 第362回

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 木朝会の第362回は、札幌大谷大学社会学部地域社会学科の太田稔先生のお話、「持続可能な社会から見た経営学」でした。

* 木朝会のこれまでの記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%9C%A8%E6%9C%9D%E4%BC%9A

講師は

講師は太田稔先生

 太田先生は、長く市民活動の現場でのご経験が豊富で、アカデミックセクターでのご活躍を期待したいですね。病院経営は、まさにコミュニティのインフラであり、「持続可能」の概念は特に経営の基軸にあるべきものなのでしょう。

「持続可能」について

「持続可能」について

 「SDGs」、「ESG投資」、「インパクト評価」等、昨今のグローバルな新しい動きについて、経営の視点から情報満載のお話でした。病院経営も社会の変化を敏感に受け止めて、時代のニーズに合った経営を求められているのでしょう。当日司会の大橋先生から、「以前、孝二さんが話をした『グリーンボンド』にも通じるものですよね」と話を振られたので、少し説明をしました、大橋先生はよく覚えていらっしゃったと思います。

< グリーンボンド関連のこれまでの記事 >

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=34107

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=36262

イレブンナイン、若手躍動!

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 北海道の演劇は、これまでも大変盛んでしたが、昨今若手も頑張っています。私も応援する一人の劇団「イレブンナイン(http://eleven9.jp/member/)」、若手が脚本を書き、演じ、ドラマツルグとして主宰の納谷真大さんがアドバイス役として活躍しています。

 先日の公演は、「六人寄れば修羅シュシュシュ(https://togetter.com/li/1434111」、若い皆さんの熱演でした。

公演前のチラシ

公演前のチラシ

公演前の舞台

公演前の舞台

劇団サイトから

劇団サイトから

 アフタートークも楽しく。初日公演では辛口劇評もあったようで、その後の進化への納谷真大さんのお褒めの言葉が印象的でした。何はともあれ、観る側の私達にも若者を育てる眼が必要だと私はいつも思っています、ダメ出しはダメ出しとして。初日から公演を重ねてどんどん修正・進化していく作品は、演劇鑑賞冥利ですね。

明隼人さん

明逸人さん

イレブンナイン代表の納谷真大さん

イレブンナイン代表の納谷真大さん

 「札幌劇場祭TGR(http://s-artstage.com/2019/category/tgr2019」も明日で終了、4日には表彰式です、今年はどこの劇団が受賞するのか楽しみです!

* これまでの「TGR」記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%9C%AD%E5%B9%8C%E5%8A%87%E5%A0%B4%E7%A5%AD

西澤寛俊先生 叙勲祝賀会

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 「木朝会」はじめ、永年大変お世話になっている西澤寛俊先生が、「旭日中綬賞」を受賞され、その受賞を祝う会が催され150名を越える方々で大変盛り上がりました。設立時から私が事務局長だった「木朝会」では、二代目の代表を務められ、「全日本病院協会(https://www.ajha.or.jp/)」会長ほか全国的なご活躍をされ、民間人では大変高い賞の受賞となりました。

* 社会医療法人 恵和会ーー> http://www.keiwakai.jp/index.php

* 一昨年の「木朝会30周年記念」の様子ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=30912

西澤先生のご挨拶

西澤先生のご挨拶

 冒頭にはご来賓のご挨拶として、長瀬清北海道医師会会長、三好昇江別市長がご登壇、その他に、塚本泰司札幌医科大学学長、木朝会の初代代表の竹内實先生、徳田禎久先生が、西澤先生の人となりを大変明快に多角的にお話になりました。

木朝会の生みの親・竹内實先生

木朝会の生みの親・竹内實先生

 最後は、木朝会の今のメンバーでもある中島茂夫先生の御礼のご挨拶で会は締めくくられました。

西岡病院の中島茂夫院長:締めのご挨拶

西岡病院の中島茂夫院長:締めのご挨拶

 私自身、30年以上にわたり、「木朝会」の学びの場を通じて、医療経営に向き合ってきた言わば「同志」みたいな先生方、これからのそれぞれのご活躍も大いに期待したいものです。大変感慨深く、ともに喜べる会でした。

愛生舘の「こころ」 (21)

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 秋山財団の一室に開設した『愛生舘文庫(http://www.akiyama-foundation.org/news/3854.html』は、秋山財団25周年にその開設準備活動を始めましたが、7年を経て、この10月にスタートすることができました。これまでの経過については、以下の「愛生舘の『こころ』」シリーズに掲載してきました。

* 愛生舘の『こころ』シリーズーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%84%9B%E7%94%9F%E8%88%98%E3%81%AE%E3%80%8C%E3%81%93%E3%81%93%E3%82%8D%E3%80%8D

 北海道の皆さんには「秋山愛生舘」で馴染み深い会社ですが、実はその前には明治初頭から中期に始まった全国的健康増進の「愛生館」事業の存在があったのです。今回の「愛生館文庫」は、地場企業化以前のこの「愛生館」の創設の背景、関わったキーマン達に焦点を当てて、日本の近代における医学・薬学・公衆衛生等の黎明期を再確認する意味合いが主たる目的です。

11月27日北海道新聞朝刊に掲載!

11月27日北海道新聞朝刊に掲載!

 これまでの私のブログの記事の中に以下のような記載があります~~~~~~~~~~~~~ 引用

私の永年の友人からのメール―――明治維新は、厳密な意味ではフランスやロシヤみたいに迫害された民衆が自ら闘って自由を勝ち得た”革命”ではありませんでした。あくまでも政治の面で捉えれば、単に江戸幕府衰退と共に雄藩が政権を握ったに過ぎません。

 開拓期、そうした薩長土肥の藩閥政府が横行する初期、民衆に医療・公衆衛生を持ち込んだ松本良順や高松保郎の思想の源流、その彼らを中心とする「愛生舘事業」の実践は、ある意味では、すなわち必ずしも新時代の変革は「政治」の舞台だけではないという意味で、後年、藩閥に反発して立ち上がる自由民権運動よりも更に先んじた自由平等主義の実践者たちであったろうと思われるのです。老若男女が心身共に病むこの21世紀の日本が失った、取り戻さなけれなばならないエスプリが、愛生舘のルーツに秘められている気がしてなりません。それは蘭学が内包する”博愛”とか”弱者救済”精神に基づいた学問・技術・文化などが、質実的な面で明治時代の民衆を支えたと言えます。政治の暗闇に光を当てたのではないでしょうか。近代への道は決して政治力だけではなかったはずです。

 黒船来航に伴い幕府が設立した長崎伝習所、勝海舟や松本良順はじめ、幕末のインテリが学んだ”蘭学”に内包する哲学は、タオ財団のワグナー氏の言葉「それぞれ民族の違いの主張ではなく、いかなる共通点を探し求めるか」とする、作品「哲学の庭」に通ずるテーマと言えるでしょう。貴兄の言葉通り「いのち」とは平和そのもの、世界共通語であります故、「人類愛」を意味するキーワードでもあります。

(注)タオ財団http://wagnernandor.com/indexj.htm ――――メールおわり

衛生書「通俗民間療法」(左)、大鏡(右:高さ1.5m)

 全国的な愛生舘事業の中で、特に北海道支部のミッションは、北海道開拓を担う屯田兵の後方支援、及び全国から入植してきた開拓移民の健康維持・向上でした。1891(明治24)年、東京神田の館主・高松保郎亡き後は、北海道支部長だった初代秋山康之進が自らの名前を掲げて自立し、「秋山愛生舘」となりました。愛生舘事業の理念は、自社販売していた「通俗民間治療法」の中に明確に示されています。「山間僻地までの医薬品供給、医師の診療を受けられない病人の救済、貧者・弱者への施薬、すなわち、利益追求ではなく、あくまでも民間の衛生・治療の便益を図る事を最優先にする」、それが事業の目的であると書かれています。この理念を継承し地場企業として、秋山愛生舘は北海道の地を基盤に、第二次世界大戦後1948(昭和23)年には株式会社として法人化し、私は1991(平成3年)6月に第五代目社長に就任し、1992(平成4)年には札幌証券取引所上場、1997(平成9)年に東京証券取引所市場第二部上場となりました。その後、(株)スズケンhttp://www.suzuken.co.jp/ と資本・業務提携を経て合併し、北海道は「愛生舘営業部」として、今も活動しています。

 私は2002(平成14)年11月に(株)スズケン代表取締役副社長を退任しました。その後、故郷札幌に戻り、これまでの(株)秋山愛生舘の108年の活動を振り返り、持続する企業として3本の論文にまとめました。

「地域企業の持続的経営の分析」http://ci.nii.ac.jp/naid/110004813846以下、「地域企業の進化の分析」http://ci.nii.ac.jp/naid/110004813848/、「持続的経営論」http://ci.nii.ac.jp/naid/110006392571/と続きます。

 一方、(株)秋山愛生舘の100周年事業の一環として、それに先立つ1987(昭和62)年1月に「(財)秋山記念生命科学振興財団」を設立しました。http://www.akiyama-foundation.org/ 「地域社会への貢献」という理念の実現は、医薬品販売の事業から更に発展して、愛生舘事業の理念を根幹に、財団の助成・育成事業として継承・進化しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用おわり

 そして、今月、オープン後の初めての企画として、「連続講座~愛生館文庫の集い~」をスタートして、記念すべき第一回として新祐一さんをお招きしてのミニフォーラムでした。(株)秋山愛生舘の社内報『愛輪』の創刊号から最終号まで、全てを保管してこの愛生館文庫に寄託して頂き、さらにご自身の書き下ろしの会社人生の著書も。

スズケンの幹部たち

スズケンの幹部たち

 秋山財団1階の『愛生舘文庫』でご講演の後は、2階でさらにその続きのフォローアップ懇談会、参加の皆さんは懐かしい思い出話と当時の一生懸命だった自分自身を振り返り、何とも感動のひと時でした。これから、数か月毎に連続して講師を招いての開催を決めて、取り急ぎ次回は2月開催となりました。

 これからが楽しみです!

金蘭周さん講演会

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 (公財)北海道演劇財団(http://www.h-paf.ne.jp/)の理事長を引き受けている関係で、在札幌大韓民国総領事館には日ごろお世話になっています。先日は、韓国でも著名な日本文学翻訳家・金蘭周(https://www.konest.com/contents/news_detail.html?id=16648)さんが札幌にお越しの機会に、昼食講演会へのご招待があり出席しました。

* 韓国との関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E9%9F%93%E5%9B%BD

 冒頭に朴賢圭総領事から、現状を踏まえて、今こそ芸術文化交流、民間の信頼に基づく交流の大切さについて、大変示唆に富むご挨拶がありました。

総領事館HPより

総領事館HPより

昼食後のご講演

昼食後のご講演

講師のご紹介

金蘭周さん(左)と朴賢圭在札幌大韓民国総領事(右)

 韓において日本文の翻家として有名な金蘭周先生は、100人以上が集まった場で、30年間以上にわたる韓における日本文史や翻の話をはじめ、日韓の文、最近話題になっている「Kブック」の話など、途中からは舞台を降りて、出席者と至近距離でメッセージを伝えていました。この道を選んだきっかけは単純そのもの、「日本留学時代にのめり込んだのが村上春樹さんの作品を、韓国で一緒に文学を勉強した友人や知人らと、その面白さを共有したかった、と振り返っていました。その後の質疑応答でも一つ一つに真摯にお応えになり、お人柄を感じました。

久しぶりの日本語で

久しぶりの日本語で

札幌一中の『学友会雑誌』から

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 連続して開催されている北海道文教大学(http://www.do-bunkyodai.ac.jp/)の市民公開講座の矢部玲子先生シリーズも、今年で早くも第4回を迎えました。今回は、札一中・南高「六華同窓会(https://rikka.net/)」の開校120周年記念事業としてデジタル化された『学友会雑誌』をベースに、明治時代の青春を修学旅行から探り寄せました。

* 講座案内――> http://www.do-bunkyodai.ac.jp/college/ExtensionLecture/2019/1653/

* 昨年の様子――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=34065

 『学友会雑誌』は、北海道札幌南高等学校旧制中学校時代の、主に生徒執筆の文芸誌です。明治30年以降のものがほぼ全巻保存されています。

「札幌一中学友会雑誌」の画像検索結果

 当日参加された東京からご参加の先生が、新たな情報を提供しました。

 明治39年開催の満州国への修学旅行、生徒・職員を含めて3694名が全国から参加し、これは、陸軍省と文部省の共同事業だったようです。

道傳愛子さん@北海道日米協会

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 北海道日米協会(http://ajshokkaido.org/)の例会、プログラムの中に懐かしいお名前「道傳愛子さん」に惹かれて出席し、直接ご挨拶もできて光栄でした。

* https://www.toshin.com/sp/top_leader/article/201802/index.php

 当日のご紹介にもありましたが、当時テレビのニュースキャスターとして、直接アメリカ大統領とライブでインタビューしていた姿は特に印象的でしたね。先日のご講演では、グローバル社会において、日本の若者がもっと世界に目を向けて学び、活動していくための活動に力を入れていることを知り、大変嬉しく感じました。「NHK国際放送局WordNews部シニア・ディレクター」という肩書が物語るように、国際社会におけるNGOの活動意義等についても、実に的確なご発言があり、さらに共感したひと時でした。

NGO活動にも目を向けて

NGO活動にも目を向けて

少しも変わってないですね

少しも変わってないですね

 また、ご一緒にお越しい頂いたMark Davidsonさん、「在日米国商工会議所教育委員会共同委員長」の肩書ですが、198年初頭の北海道フレッチャースクールのご一行として、北海道との関りも深い方でした。スーザン・ファー先生達と来道されたのでしょう。

* スーザン・ファー先生ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC

北海道フレッチャースクールで来札

北海道フレッチャースクールで来札

 道傳愛子さんの若者へのメッセージ、これまで彼女が地道に積み重ねてきた実績の根底にある信念と「シビル・ソサイエティ」への見識と私は理解しました。

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 世界の貧困や格差の問題は、けっして遠く離れた世界の出来事ではありません。「自分はその世界とどう関わるのか?」「自分が何か役に立つことはあるだろうか?」という気持ちを持って勉強をしたり、ニュースを見たりしてほしいと思います。地球上のさまざまな課題と、日本で生活をしている自分との間にどのような関係があるのか。そうしたことを意識しながら、世の中で起きていることに向き合う必要があります。そこで重要なのが「シビル・ソサエティ(市民社会)」というキーワードです。これは、NPOやNGOといった非営利組織、非政府組織、民間団体、ボランティアなどすべてを総称した「自発的・自覚的な集団としての市民のつながり」のことです。

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箱﨑先生メモリアル植樹!

Posted by 秋山孝二
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 札南高学校林(http://www.rikka-forest.jp/)に多大なご貢献をされて、昨年お亡くなりになった箱﨑陽一先生、私も大変お世話になりご一緒に活動もしたという自負もあります。今年6月に一周忌も終わられて、奥様の瑞枝さまから自宅のお庭に大切に育てられたエゾエノキの樹を学校林に移植したい旨のお申し出があり、学校林財団として喜んでお受けし、先月末に無事完了しました。

* 箱﨑先生との活動――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E7%AE%B1%E5%B4%8E%E5%85%88%E7%94%9F

* 葬儀――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=33411

箱﨑先生の知人ご夫妻が駆けつけて

箱﨑先生の知人ご夫妻も駆けつけて

記念樹と瑞枝さま

記念樹と瑞枝さま

学校林財団関係者と一緒に

学校林財団関係者と一緒に

 箱﨑陽一先生の思いが、何か永遠にこの学校林に生き続ける姿を見るようで、感動しました。私自身、昨年の葬儀での弔辞でお誓いしたことを再確認したひと時でした。

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< 私の弔辞 >

弔辞

 一般財団法人 札幌南高等学校林理事、故箱﨑陽一先生のご霊前に、謹んでお別れの言葉を申し上げます。

 つい二日前の午後、札幌南高から「箱﨑先生ご逝去」の報が届き、私はにわかには信じがたく、しばし呆然としておりました。というのも、年明けから肺炎等で体調を崩されていると伺っていたので少々心配していましたが、先月二十五日に病院を訪問して久しぶりにお会いした姿が、お声にも力があり、ことのほかお元気とお見受けしていましたので。

 私にとって、学校林財団との出会いは箱﨑先生との出会いでもありました。私が理事に就任して間もなく、現役の教諭として地道に活動されていた箱﨑先生は、植林・伐採が主体の活動から、多様な生態系としての視点、教育・研究の場としての視点、言い換えると環境林・教育林としての展開を提案し続けていらっしゃいました。

 今年、百七年目を迎える学校林、当初の焼け野原から植林を軸に立ち上げた壮大な森づくりは、この十数年、大きく変貌してきています。箱﨑先生をリーダーに、これまでの保全事業から環境林・教育林としての価値を創り始めました。

 昨年のゴールデンウイークの合間、箱﨑先生とご一緒に、水芭蕉も真っ盛りの湿地で、シイタケ、なめこ他の植菌をオリジナルの「YH法」はじめ、幾つかの方法で行いました。そして、簡単な昼食の時間は、箱﨑先生のフォトコレクションの回覧時間、いや、正確にはご自分で撮ったのですから「箱﨑ギャラリー」でしょうか。鮮やかなエゾエノキの葉を背景に、国蝶オオムラサキの多彩な写真の数々、じっと待っての接写レンズでの撮影は、かなりの忍耐力が必要でありまさにその執念と情熱に脱帽でした。

 また昨年は、学校での取り組みの論文テーマ「学校林にはばたけ国蝶オオムラサキをスローガンに ~オオムラサキの保護活動を中心に八年間実践した環境教育の総括~」で、公益財団法人下中記念財団第二回表彰事業の最優秀賞を受賞されました。東京での表彰式には私も応援で駆けつけ、箱﨑先生はご夫妻でご出席、素晴らしい受賞スピーチでした。その論文の最後に、「退職後も学校林財団理事会や企画活動委員会の構成メンバーとして、準絶滅危惧種であるオオムラサキの保護に向けた企画・研究活動等に携わり、継続できる喜びを感ぜずにはいられない」と記されていて、私も昨日までそう信じておりました。

 白旗山の一部をなし、複雑な沢や尾根をもつ多様性と魅力のある学校林。 この森を潤した水は、厚別川から石狩川へ、そして日本海へと注ぎ、海の命とつながる位置にあります。 そしてここはまた、教育の場であり、同窓や地域の交流の場であり、天然資源を生み、地域経済に資する場であり、世代間の架け橋でもあります。 連綿と続く札幌一中から札幌南高の歴史とともに歩んできた学校林は、これからも六華同窓の縁と、地域とともに、美しく豊かに続いていくでしょう。先月二十五日、私が病室を離れる時、「学校林は同窓のためだけのものではなく、広く市民に開かれたものであるべき、私はそう信じている」とのお言葉、私は忘れることはありません。

 箱﨑陽一先生、この学校林でのご業績が、言い尽くせぬ貴いものとして私どもの心にしっかり残っております。「箱﨑プロジェクト」の実践は、松本美奈子さん、宮本敏子さんをはじめとする強力な女子力、「オオムラサキ・キノコチーム」として新たな担い手たちが立ち上がり、一歩一歩前に進んでいます。「六華の風」になって、あの大きな空を吹きわたり、百年、そしてさらに先まで見守って頂きたいと思います。歴史に刻まれたこの財産と箱﨑陽一先生の生前のご尽力に深く感謝するとともに、これからも永く継承し力強く歩んでいくことをお誓いし、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 どうか安らかにお眠り下さい。

平成三十年六月十四日

一般財団法人 札幌南高等学校林

理事長  秋山 孝二

やっと実現、寺山修司記念館 ほか!

Posted by 秋山孝二
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 今回、『IANZOサミット』が十和田市で開催だったので、前日に、これまで行きたくて行けなかった三沢市の『寺山修司記念館(https://www.terayamaworld.com/museum.html』を訪問しました。「書を捨てよ、街に出よう!」は、私の大学時代を象徴するフレーズでした。

奇抜な建物・玄関への道

奇抜な建物・玄関への道

舞台上と舞台下

舞台上と舞台下

彼と一緒に!

彼と一緒に!

彼の作品をイメージして後の方々が

彼の作品をイメージして後の方々が

 裏の散策道を登っていくと、素晴らしい眺望も。

裏の散策道を上がると

裏の散策道を上がると

作品の一ページ

作品の一ページ

 夕方には十和田市に入り、『称徳館(http://komakkoland.jp/facility_shoutoku.html』、馬の博物館にも足を運びました。十和田と馬の歴史的関係、『絵馬』に象徴される神としての馬の存在等、貴重な資料の数々、外せない十和田の郷土の歴史を垣間見ました。

正面玄関

正面玄関

十和田の馬の歴史

十和田の馬の歴史

 それぞれの博物館は、それ程多くの方々が押し寄せるといった雰囲気の場ではないのでしょうが、しっかりと歴史として記録する、書き記しておくといった、地元の方々の真摯な姿勢に心を打たれました、人であればその人の人生、地域の営みであればその歴史を尊重すること、その土地の民度によるのでしょうね、サミットの前の意義深い見学となりました。

第3回INAZOサミット@十和田(番外編)

Posted by 秋山孝二
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 今回のサミットでは、青山淳平さんは、松山事件直後の新渡戸稲造博士の憔悴した様子を揮毫から裏付けていました、スペリングも間違える心の動揺も。

新渡戸稲造失意の書

新渡戸稲造失意の書

 津田梅子さんと新渡戸稲造博士との浅からぬ信頼関係について、津田塾大学高橋裕子学長からも詳細の歴史的記録から解き明かしていました。

津田塾大学のミッションステートメント

津田塾大学のミッションステートメント

 幻の穴堰入り口で、お二人の姿。

穴堰見学で。津田塾大学高橋学長と作家青山さん

穴堰見学で。津田塾大学高橋学長と作家青山さん

 さらに、ここの事務所内にある穴堰のジオラマ前では、このジオラマの作者・奈良哲紀さんがその苦労をご説明されている最中に感極まる場面もあり、参加者一同、その思いの熱さに感動した次第です。

自作のジオラマの前で

自作のジオラマの前で

 津軽藩と南部藩の歴史的因縁、その一つとしての「兜」が最後の見学地・野辺地神社の境内に。津軽(新政府軍)鉄砲隊司令官小島左近。左近はねぷた絵を描いたりする文人でもありましたが、かつて「南部藩を裏切った南部藩刀鍛冶の孫」として激戦の矢面へ立たされ、無残にも助太刀者に足払いをかけられ首を切り落とされました。左近無念、呪いの兜がここに収められています。

 歴史の中の情念、語り継がれる物語にしばし魅入られるツアーとなりました、地域の歴史が人を育てる、あらためて日本の近代史の奥深さに余韻が残った一日でした。

第3回INAZOサミット @ 十和田 (下)

Posted by 秋山孝二
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 サミット二日目は、 歴史作家・青山淳平氏ほか地元歴史研究者の方々からの説明を受けながらの『幕末南部藩の文化歴史探訪の旅』、大型バス1台満席の50名参加で大盛況でした。

 三本木開拓と稲生川、穴堰見学、野辺地の藩境塚、野辺地戊辰戦争跡、北前船、砲台跡ほか、盛りだくさん。

三本木開発と稲生川:取水口

三本木開発と稲生川:取水口

穴堰内天井のコウモリ

穴堰内天井のコウモリ

稲生川

稲生川

津軽・南部藩境塚

津軽・南部藩境塚

遠くには下北の山々

遠くには下北の山々

 野辺地の観光目玉の一つ、博物館北前船に乗船。陸奥湾の海の青さと高さ30メートルもある帆船・北前船(正式名称:復元北前型弁才船「みちのく丸」)が紺碧の空に映える姿に古の人々の勇ましさと哀愁が漂っています。

北前船

北前船

乗船して内部見学

乗船して内部見学

 外での昼食後、さらに密度濃い見学が続き、夕方に東北新幹線七戸十和田駅で解散となり、私は一路東京に戻る新幹線で北海道を目の前にして南に向かいました。二日間のサミットを地酒ワンカップを味わいながらの振り返り、実に濃密な時間となりました。

第3回INAZOサミット @ 十和田 (中)

Posted by 秋山孝二
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 サミット初日の27日は、開始前の9時から札幌組の三上節子さん、この日の朝に八戸港フェリーターミナルに苫小牧から到着した遠藤大輔くん、私の3人で、展示物(模造紙5枚に9枚ずつ、秋山作成のパワーポイント画像を三上さんが自宅で貼り付けたもの、キャプション付き)を会場の壁に養生テープで貼り付け、ほか展示ボード2枚に遠友夜学校校舎の時代順の写真、建設予定の記念館の完成予想図、7回分のフォーラムチラシなど、活動の写真の掲示、会場ホワイエに書籍販売コーナー設置、などを行いました。展示は大変好評で、画像の写真を撮る人が何名もいました。書籍ではこれまで北海道大学東京同窓会から受けた寄贈本のほか、藤田正一先生から『日本のオールタナティヴ』5冊、発表者谷口稔氏より『新渡戸稲造ー人格論と社会観ー』3冊の寄贈も受けての販売となり、心から感謝申し上げます。

 サミットはまず開会式典から、この部分の写真は今現在ありません。

開会宣言 大会長 中野 英喜 氏(「幻の穴堰」オーナー)

来賓挨拶 十和田市長 小山田 久 氏

実行委員長 小笠原 カオル 氏(NPO法人十和田歴史文化研究会理事長)

約170名の参加者で大盛況

約170名の参加者で大盛況

 基調講演は松沢幸一明治屋代表取締役社長で、テーマは、『稲造博士の思いを会社経営に生かす』です。

* 昨年の盛岡『命日祭』の様子――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=34514

基調講演

基調講演

 続いては事例発表、私もトップバッターで20分間発表しました。

① 北海道地区(北海道)秋山 孝二 氏(新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会代表理事)

テーマ「6年間の活動を踏まえた札幌市への提案」

② 東北地区(青森県) 北川 博美 氏(むつ市/ 元東通小学校長)

テーマ「新渡戸の人々と川内町」

③ 関東地区(東京都)高橋 和の助 氏(井荻みんなの学校主宰)

テーマ「子育てにも使える武士道」

④ 関西地区(岐阜県)酒井 美香 氏(バイオグラフィー研究家)

テーマ「私の中に生きる新渡戸稲造」

⑤ 関東地区(東京都)谷口 稔 氏(恵泉女学園特任教授)

テーマ「台湾糖業政策にの植民地政策」

⑥ 開催地区(十和田市) 伊藤 一允 氏(青森県文化財保護境界常任理事)

テーマ「稲造博士の源。傳と十次郎」

 残念ながら私の発表の様子は手元に写真がないので谷口先生の写真を掲載します。

谷口稔先生のプレゼン

谷口稔先生のプレゼン

 発表の最後は特別参加で、青森大学薬学部教授の清川繁人先生、テーマ「南部と津軽ー江戸期における忍びの暗躍?」、忍者クラブの学生3名が忍術パフォーマンスを披露しました。江戸期の諜報機能として、南部藩は蝦夷地の「シャクシャインの戦い」でも関わっていたようです。

特別出演:青森大学の忍者部
特別出演:青森大学の忍者部

 続いてはパネルディスカッションでした、大変内容の濃い素晴らしいコメントの数々。

テーマ / 平和主義者・教育者・国際人稲造博士の思い出を、明日へ

~パネリスト~

青山 淳平 氏(ノンフィクション作家、映画『松山捕虜収容所外伝?ソローキンの見た桜』の原作者ほか)

高橋 裕子 氏(津田塾大学学長、アメリカ史学会運営委員会代表、ジェンダー史学会常任理事ほか)

藤井 茂 氏(新渡戸基金理事長、『新渡戸稲造事典』共著者ほか)

~コーディネーター~

神 重則 氏(みちのく銀行参与)

 地元愛媛県出身の青山淳平氏の調べた「松山事件」の真相、高橋裕子学長の新渡戸の津田梅子の女子教育への協力は、含蓄のあるメッセージが続きました。神さんのコーディネートも、十分な準備と周到な構想で素晴らしかったですね。

続いてはパネルディスカッション

続いてはパネルディスカッション

松山事件の詳細

松山事件の詳細

津田梅子と新渡戸稲造との親交

津田梅子と新渡戸稲造との親交

 苫小牧からこの日朝八戸港到着フェリーで駆け付けた遠藤大輔くんは、今度は八戸港からのフェリーで帰途につくために夕方、会場を後にしました。翌日早朝、苫小牧港に到着し、行きに置いておいた自分の自転車で職場に直行という強行軍、本来は、私と一緒に前日は三沢の寺山修司記念館を見学して、道中一緒の予定でしたが、8月の苫小牧転勤で一時は参加を諦めたのですが、何とフェリー使用という奥の手で10時間少々の十和田滞在を実現したのです。今どき珍しい根性のある若者、私たちの会のメンバーとして誇りに思います、お疲れさま、そして、ありがとう!