笠谷幸生さん 旅立ち

Posted By 秋山孝二
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 先日、永らく日本のジャンプ陣に貢献された笠谷幸生さんがお亡くなりになったとの報に接し、私も深い悲しみに沈みました。

 1972年の冬季オリンピック札幌大会は、私にとっても大変良き思い出です。というのもちょうど大学を1年間休学してアメリカ・カナダを旅行して帰国後、このオリンピック開催期間に札幌でスウェーデン大使館の方々の送迎車の運転手をやっていたり、開会式、70メートル級純ジャンプの競技場で応援をしていたからです。そして後に『日の丸飛行隊』と呼ばれるようになった金銀銅メダル独占の快挙を成し遂げたその場に私も居合わせたのです。また、彼のお兄様の笠谷昌生さんは冬季オリンピック長野大会で、審判員として日本選手団金メダルに貢献しました。

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 この表彰式の現場にも私は居て大いに興奮したのを覚えています。その場に密集して立ってた観客は一生懸命に拍手していたのですが、手袋をしてだったので音が出にくく、それでも皆さん歓声を挙げて興奮していました、忘れられない時間でしたね。

 訃報は北海道新聞に一面ほか大きく記事掲載されていました。後で道新関係者の方にお聞きすると、笠谷選手逝去の記事扱いについては年代によってずいぶん異なっていたようで、私の世代周辺は大功労者だから当日は当然一面ほか、連日大きくその業績を取り上げるべきだと主張していたとか、若い世代はポカンとしていたそうです、面白いですね。

 いずれにせよ、日本のジャンプ陣をけん引してきた笠谷幸生さん、どうか安らかにお眠りください。

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