愛生舘の「こころ」 (28)

Posted By 秋山孝二
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 撮影二日目、まず最初は千葉市花見川区柏井の川口新之丞邸です。広大な敷地の正門前で、「愛生舘事業」の最初の一歩を踏み出した事業家であり投資家でした。

延々と続く敷地

延々と続く敷地

 続いては同じく花見川区武石町、初代秋山康之進の実家・芝田家の菩提寺・真蔵院で中村住職との対談撮影でした。外での対談撮影・録画中に、恐らく成田空港から東京都心に向かうVIPを載せる大型ヘリコプターが次々と上空を通過して、そのエンジン音がこの場所の臨場感を高めたかも?です。また、ここでも私が千葉大学教育学部卒業とお伝えすると、住職の弟さんが千葉大学教育学部卒業で、千葉で教員、最後は近くの小学校校長で退職したとおっしゃっていました、またまたこれもご縁ですね。

* 真蔵院|千葉市花見川区武石町 真言宗豊山派寺院 (tesshow.jp)

 芝田家のご親族、川村さんと畔上さん母子もご一緒に。

 親戚の川村光さんご夫妻にはご自宅に招かれ、チーム全員、懇談のほか昼食をご馳走になりました。そして午後からは、佐倉市本町の順天堂記念館へ。佐倉市教育委員会学芸員の須賀隆章主任主事も来館されて詳細のご説明を頂きました。なぜ、順天堂創始者の佐藤泰然が佐倉の地にやってきたのか等、これまでの歴史とは少し違った観点からのお話が大変興味深かったですね。隣には今も順天堂医院があり、七代目の佐藤仁院長にも診療の合間でしたが、ご挨拶することができました。

学芸員の須賀隆章主任主事と記念館前庭・松本順のレリーフ前で

学芸員の須賀隆章主任主事と記念館前庭・松本順のレリーフ前で

 この地も私は二回目でしたが、記念館内部での須賀さんの詳細なご説明をお聞きして、一層、佐倉藩の近代医学の先駆性を再確認した次第です。漢方医主体の江戸末期に、いち早くオランダから医学を学ぶ佐倉藩のセンスに見識を感じました。そこに『愛生館事業』の原点があり、それぞれの分野で人を得た事業と言えるのでしょうね。

 この事業の『愛生済民(あいせいさいみん)』の理念に基づく近代公衆衛生の礎は、これらの先人によって明治期中期に始まり、今日の日本の健康増進に貢献しました。二日目も収穫の多い一日でした。

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