5月27日は「海軍記念日」、毎年この日に札幌護国神社で『全海軍の慰霊祭』が執り行われます。1905(明治38)年のこの日、日露戦争の日本海海戦において東郷平八郎(1848~1934年)が率いる日本海軍連合艦隊が、ロシアのバルチック艦隊を撃滅し、日本が歴史的な大勝利を収めました。この勝利により両国間のポーツマス講和会議への道を開き、1945年までは勝利を記念して「海軍記念日」に制定されていました。一方、この海戦で大国ロシアを破ったことがその後の日本の戦争への道を突き進むきっかけとなったことも事実で、今を生きる私たちは冷静に歴史を検証しなければなりませんね。
「北海道全海軍英魂之碑 顕彰会」は、私の父が「全海軍の集い」の会長の時、同窓会と違ってこのような集まりは先細りが懸念されると予測して、前向きに解散し、代わりに「顕彰会」として毎年この日に護国神社例祭として継続することの合意を得て今日に至っています。
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今年も雨の中、しばし海軍関係者の慰霊の時間。ただ、今年はコロナ禍ということもあり例年にも増して参加者が少なく、戦争の記憶とともに時の流れを雨の音と共に少々寂しく感じておりました。
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そんな中、際立っていた女性が、昔ススキノでスナック『ネイビー』を経営していた近藤さん(黄色の服)でした。数週間前に私の自宅にも電話が掛かってきて、当時通っていた私の父ほか海軍関係者の方々の思い出等、先日もお会いするなり「お父様にそっくり」と笑顔で語っていらっしゃいました。
反橋進宮司の祝詞は今年も大変真心こもった内容で感動し、玉串奉奠では私が最初に名前を呼ばれて大変恐縮しました。「今の日本の平和が多くの犠牲の下に成し遂げられている歴史を忘れてはなりません」というお言葉を嚙み締めていました。