東京に出張する機会は度々ありますが、夜のマチの灯りをゆっくり見るときは滅多にありません。寒波に覆われた首都圏で(とは言っても普段札幌に居る私としては、実はそれ程とは感じません)、しばし多様な「光」を眺めていました。
一つは東京・汐留にそびえる40階を越える高層マンション(億ション?)です。昔、イギリスから中国への返還直前に香港で会議があり、多忙な日程の合間だったのですが夜景を見に行った時に、現地の方が眼下の夜景を見ながら、「青い光の家は貧乏人、赤っぽい光の家はお金持ちです」とおっしゃったのを妙に覚えています、まだ青色発光ダイオード(LED:エルイーディー:Light Emitting Diode)が広く世に出る前だったと思います。
東京・汐留付近の高層マンションに住んでいる方々は、基本的には皆さん富裕層なのでしょうが、建物を見上げると多様な光の色でした。朝6時半頃にこの付近を歩くと、住民と思われる十数人が昔から続くNHKラジオ体操を前庭で、雨の日は玄関のロビーでそろってやっている光景に出合います。私にとっては、小学校時代に北海道・有珠での臨海学校で、東京都江戸川区の教員時代に林間学校で、毎朝懐かしいラジオ体操第一・第二です。
もう一つは東京駅八重洲北口のイルミネーションです。札幌大通公園のライトアップを見慣れている私には、クリスマス的年末の雰囲気に何となく違和感があるのです。微妙に違う色合いは意図的なのかどうなのか、いずれにしても喉の・心の渇きは癒してはくれない気がするのですが。
やはり冬は、自然の「雪」にかないませんね。森林の景色として、枝の黒とそれに付く新雪の白とのコントラストは、日中も夜も何にも代えがたい美しさと暖かさです。
昨年末12月20日(日)から年明け2月11日(祝)まで、札幌の北海道立近代美術館http://www.aurora-net.or.jp/art/dokinbi/で開催されている表題の展覧会、「つちとほのおで何だろな:http://www.aurora-net.or.jp/art/dokinbi/exhi/special/special_new.html」に行ってきました。
「ARCHAIC FANTASY:アルカイック・ファンタジー(古代への憧れ)-現代の陶芸と古代の美」というテーマで、函館市の南茅部郡で出土した土偶(複製)と岡本太郎他の作品のコラボレーションです。
土偶は北海道初の国宝に指定されて、私も昨年9月訪れた青森から北海道にかけて広がる「縄文文化圏」として昨今ブームとなっています。縄文文化に見られる人間と自然との「共生」は、気候変動や生物多様性といった現代の課題と相まって注目されているのでしょうね。
今回の企画では、茶器・花器の展示と同時に、「つくって、たたこう、縄文太鼓!」とのスローガンを掲げ、近代美術館と近くの円山小学校とのコラボレーションにより、「土器づくり+革はりと演奏」のワークショップも開かれて、その小学生たちの作品も展示されていました。
展示の中で私が最も興味深く感じたのは、「高村宜志(たかむら・たかし)作<時空9501>」です。撮影禁止でしたので、パンフレットからの画像によりかなり不鮮明で残念です。
昨年12月に、私の通っていた高校の吹奏楽部定期演奏会が約1000名のお客さんを集めて開催されました。オーソドックスな曲・斬新な編曲・ソロ・アンサンブル、ジョン・レノンとヨーコ・オノでも有名な「ハッピー・クリスマス」、「魔女の宅急便」セレクション等、多彩な曲を伸び伸びと演奏していました。顧問の先生のお話によると、楽器もまだまだ揃っていなくて発展途上の状態とのことでした。秋の高校野球新人戦では連日応援席での演奏だったそうです。試合の方は全道大会決勝では惜しくも敗れて準優勝でしたが、応援の力も貢献したのでしょう。
そしてなんといってもサプライズだったのは、「山﨑葵:やまざきあおい」さんの登場でした。彼女は現役高校1年生、12月6日の「第3回ミュージック・レボリューションhttp://www.yamaha-mf.or.jp/pr-release/200912__3music_revolution.html
」で、オリジナル曲「ユメノナカ」を歌い、全国のアマチュア5409組の頂点に立ったのです、それも「グランプリ」と「特別審査員賞」のダブル受賞でした。この日は2曲を披露しましたが、「ユメノナカ」は私たちフォーク時代の雰囲気にも通じる曲風で、歌詞も切ない程の心象風景が大変率直で素晴らしかったです。歌詞の最初だけですが、こんな感じです。http://www.musicrevolution.jp/japanfinal/music/
このコンテストは、中島みゆきが「時代http://www.youtube.com/watch?v=p-9QV2L50Ck」を歌ったポプコンの流れを継ぐもので、山﨑さんもプロデビューを目指していると舞台でも語っていました、文武とも素晴らしい後輩に恵まれて、現役は頑張っていますしこれからも楽しみです。札幌生まれとしては、誇り高いお二人です。
今年は「国際生物多様性年」であると同時に、10月には名古屋で「生物多様性条約第10回締約国会議:COP10」が開催されます。年明けの新聞各紙を読む限り、今一それへの関心は高まっているとは言えませんが、これから生物多様性についての議論と行動が益々活発になり、また世界の注目が日本に集まる機会となってくれることを期待したものですね。
今年の「COP10」は着地点ではなく、むしろ「企業と生物多様性」の本格的な活動の出発点と言えるかもしれません。08年に北海道の洞爺湖・札幌で「G8サミット」が開催された時もそうでしたが、これを機会に考えるきっかけになって貰いたいと思います。
株式会社レスポンスアビリティhttp://www.responseability.jpの足立直樹さんは、これまで企業と生物多様性の保全に対してメッセージを発信し続けています。昨年末からNIKKEI NETへの連載を開始しました。 秋山財団の「ネットワーク形成事業」の一つ、社会企業研究会で第一回のゲストとして興味深い講演をして頂きました。http://www.akiyama-foundation.org/network/tema02.html
一方、枝廣 淳子さん・小田 理一郎 さん著 (技術評論社)の「企業のためのやさしくわかる『生物多様性』」http://gihyo.jp/book/2009/978-4-7741-4043-8 では、日本の先進的企業の事例も示されています。
「温暖化」に比べて今一つ理解が難しいテーマなのでしょうか、生物多様性を失うリスクについて、今年は一歩踏み込んだ議論に自分自身も入っていきたいものと思っています。
私にとっては静かな年始です。元旦の初詣、いつものように北海道神宮で祈念をしました。人出は相変わらずでしたが、気のせいか例年に比べてお賽銭の量・金額が少ないような気がしましたが。
大晦日のNHK紅白歌合戦http://www9.nhk.or.jp/kouhaku/index.htmlは、数日前の過去特集も見ましたが、スーザン・ボイル、矢沢永吉が印象的でした。「大人の歌」というか、素晴らしいですね。今年は60回という節目でもあり、特別な演出だったのでしょう。
2日から今日までの箱根駅伝(http://www.hakone-ekiden.jp/、http://www.ntv.co.jp/hakone/index.html)は、毎年色々なドラマがあって目が離せません。メディアの事前取材、特に走っている選手の出身地・出身高校の表示、それらを支えているチームメイトの紹介、そして「今昔物語」として合間合間に紹介される人を巡るストーリーは、選手たちが必死で繋ぐタスキと相まって、時を越えて継承されていく「伝統」と、それを担う人の営みを感動的に報道してくれます。
レースの勝敗以上に、ここに至るまでのドラマ的視点は、スポーツ中継を越えてドキュメンタリー番組を見ているようで、毎年手に汗握ります。そう言えば昔は、相撲中継でもそれぞれの力士の人生の深い解説もあったりで、聴き入っていたのを覚えています。最近は相撲でも、野球でも、サッカーでも、ボクシングでも、目の前の勝敗の解説に終始して奥行きがありませんね。解説する方々の見識の違いでしょうか。
明けましておめでとうございます。
新しい方向性が決まり、今年は着実に改革の「実」を積み重ねていく年だと思っています。「さぁ行こう!」というフレーズ、実は遡ること31年程前の東京・小平の体育館です。当時全日本バレーボール女子チームが、世界選手権に向けて合宿をしていて、そこに私は教えている中学校男女バレーボール部員を連れて見学に行きました。試合形式の練習中に、当時のベテラン横山樹里選手が、自分たちのサーブになる度に「さぁ、行こう!」と前向きな掛け声を、若い選手たちに掛けながらコートを走り回っていました。
見学が終わり江戸川区への長い帰り道、生徒たちと「あの掛け声、前向きでいいよね」と意見が一致し、それ以降この「さぁ、行こう!」はどんなつらい時でも「合言葉」になっていました。終わった悪い結果をただ慰めるのではなく、かといって「ガンバレ、ガンバレ」とやみくもに応援するのでもなく、「一緒にこれからもやって行こうよ」みたいな、私の好きなフレーズとなりました。
難しい時代ではありますが、身の回りには宝の山がたくさんありますよ。考えることを止めることなく、それらを発掘して、育てて、皆さん、一緒に前へ「さぁ、行きましょう!」ね!
2009年は、私にとって、秋山財団にとって、日本にとって、「チェンジ」の第一歩でした。変わることの難しさを実感しつつも、確かな手応えと結果を見て取れます。ただ、あくまで今年は新しい方向への「第一歩」に過ぎません。2010年以降も関わり続ける責任もあります。
敢えて今年のキーワード「新」に絡めて自分なりに総括すると、私にとっての「新」は「出会い」と言えるでしょうか。新しい「人」との出会い、新しい「場所」との出会い、そして新しい「テーマ」との出会いです。このブログ(コラム)のお陰で、数多くのメール・電話等による返信を頂きました。検索機能が発達しているので、本当に無限のネットワークを感じる時もあります。ご連絡頂いた方々に心から感謝致します。
今年はアウシュヴィッツ・プラハ他、外国の印象深い土地にも行く機会を得ました。それぞれの地が発信し続けるメッセージを、五感を通じて体で受け止めました。見てしまったものの責任みたいなものを強く感じています。
そして「テーマ」では、これまで「シングル・イシュー」だったものがクロスする感じでした。やたらカタカナばかりで申し訳ありませんが、あるテーマで動いていたものがある瞬間に別の活動と出会い、スパークして「何か」新しい価値が誕生した、そんな雰囲気なのです。ジグソーパズルの一つのピースで絵が繋がったといっても良いのかもしれませんね。真剣にそのテーマを追いかけていると、突然こんな状況に出くわす、プレゼントみたいなものでしょう。それを実感する2009年でした。
私は、今年「納得のいく」活動を通して得た成果を踏まえて、この地でしっかり歩み続けたいと思っています。お世話になった皆さま、ありがとうございました!!
「グリーン・ニューディール」は、アメリカのオバマ政権が掲げる国家プロジェクトで、「10年間で総額1500億ドルを投入、500万人の新規雇用を創出」しようとするものです。その中で昨今あちこちで話題になるのは「スマート・グリッド」でしょう。それは、「情報通信技術を活用して高信頼度、高品質、高効率を実現する次世代の電力供給ネットワーク」です。日本においてもこの検討が始まっています。
一方それとは少々趣を異にして、日本的伝統から出発する『「農家発」「若者発」グリーン・ニューディール』も注目です。「増刊現代農業http://www.ruralnet.or.jp/zoukan/200908green_m.htm」の8月増刊で、具体的実践の数々が掲載されています。
編集後記にはこう書かれています。この分野での雇用創造に関して、沢山のヒントを与えてくれます。
●218頁の記事で関曠野さんが紹介している基礎所得保証(ベーシック・インカム)は、「国民配当」ともいい、その考え方は、富は共通の富のプールとしての、人びとの協力と結合から生まれるもので、過去の諸世代もその創造にかかわっているのだから、すべての国民が配当を受ける権利があるというものらしい。ビル・ゲイツが突如無からウインドウズを発明したのではなく、人類の偉大な文化的遺産があって誕生したのだから配当は人類が等しく受ける権利があるというのだ。
とはいえ「究極のバラまきではないか」と思っていたが、213頁の家中茂さんの記事で「土地の価値は、代々にわたる村落の共同によってつくり出されてきたものであって、たまたま現在、土地の名義人となっている一個の『私的権利を有する者』に帰せられるものではない」を読んでかなり得心した。だから弱者に共有地の優先的利用が「恩恵」ではなく「権利」として認められるのだ。日本のむらには人が生存していくうえでのすべての仕組みがあったようだ。(甲斐良治)
●兵庫県加西市上万願寺町では昨年、むらに住み着き、農業を始めた二人の青年の話題でもちきりだった(44頁)。藤本圭一郎さん、藪下直也さんはまだ二十歳代とあって、日中草刈りをしているだけで、むらが活気づく。イケメンなうえに働き者の二人はとくにおばちゃんたちに大人気だ。おばちゃんだけではない。高校一年の大氏優太くんは、昨年二人から休耕田を開墾した畑で、ため池の泥のミネラルを生かしてダイコンをつくりたいという話を聞いて、『しあわせダイコン』という絵本をまとめた。今年は原始人会の里山整備にも参加した優太くんは「ぼくはいっとき外に出ていったとしても、いずれは万願寺の『おっちゃん』になる」と言っているという。おっちゃんたちが始めたむらおこしが都会の青年を引き寄せ、それがまたむらの少年の心をも動かしている。(阿部道彦)
●群馬県甘楽富岡地域で青年海外協力隊の派遣前研修を実施している自然塾寺子屋(116頁)。取材二日目、村落開発普及員のみなさん(男女各四名)の報告会に参加した。会の終了後、副代表の新井圭介さんが「かまどづくりの資料を忘れないように」と隊員たちに話した。寺子屋には地元の農家から聞き書きしたかまどづくりのテキストがある。多くの派遣国でかまどは必需品。日本のものは熱を逃がさない構造で、薪が少なくてもすむ。
周囲の植生への負荷も減らせるので、派遣国で大いに喜ばれる。毎年、資料を忘れた現地の隊員から資料請求がくるので、念を押したのだ。「かまどひとつとっても調べるほどに奥が深い。こういうことを学びたい人はたくさんいると思った」と活動を開始した当初をふり返る代表の矢島亮一さん。自然塾寺子屋の原点にふれた気がした。(馬場裕一)
新しい時代の新しい試みがすでに始まっていますね。新しい担い手が新しい発想で、日本の全国各地で実践の成果をあげています。また、そんな「農的くらし」への入門編として、幾つか講座・塾も継続的に開催されています。例えば、札幌の中心部から約20分、小別沢の「農的くらしのレッスンhttp://homepage.mac.com/onnn/Aoitori/Lesson_Home.html」はすでに第6期生が卒業していて、ますます講座の内容は充実しています。畑等での実践とレベルの高い座学、私も受講しましたが、大変興味深い一連の講座でした。
また、千葉県鴨川市「自然王国http://www.k-sizenohkoku.com/index_top.html」では、「帰農塾」も毎年数回開催されていて、老若男女の幅広い参加者でにぎわっています。私も2回ほどこの塾に参加しましたが、特に若い女性の参加の多さに驚きました。
新しいライフスタイルが確実に進んでいる気がします。いわゆる「就農」とは違う、「半農半X(エックス)」的な暮らしもこれからは多くの人の心をつかんでくる予感がします。
テレビ・ラジオ・執筆活動で活躍する寺島実郎http://www.tama.ac.jp/terashima/さんが、今月、新著「世界を知る力」をPHP新書から出しました。
2009年という年は、60年安保から50年、天安門事件から20年、ベルリンの壁崩壊から20年という歴史認識からも大きな節目でした。この間、国際社会で目立つのは「中国がやけに順調」ということでしょう。先日の出版を記念しての講演会でも、中国はネットワーク型で発展し、すなわち97年の香港返還、台湾問題を上手くマネジメントし、シンガポールで経済的付加価値を増し、「チャイナが大きく見える」と表現していました。
一方日米関係では、「常識に帰る意思と行動」がポイントであり、冷戦構造が大前提のこれまでの軍事同盟としての日米安保は片肺で、政権交代が実現した今こそ、「平成の条約改正」を行う勇気を持つべきだと語っていました。経済・産業と安全保障について議論をしっかりしなければ日本の戦後は終わらない、とも。
これからの日本においては、「日米同盟の展望」と「東アジア共同体構想」はクルマの両輪なのでしょうね。
今回の新著「世界を知る力」は、これまでの著書と少々趣を変えて、学生に語りかけるような雰囲気で分かりやすさを最優先にしながら、新しい視座を提供していると思います。自らの固定観念から脱却し、ネットワークの中で考える必要性、そして自分たちの立ち位置の確認、知を志す覚悟等、これまでの講演で繰り返し語られていて、大変示唆に富むメッセージの数々です。私も知り合いの学生たちにこの本を紹介する予定です。
そして、先日の講演会での最後の寺島さんのフレーズが印象的でした。政権交代後の日本国に対して、一言で表現すると「限りなきファシズムへの危惧」です。フランス革命後のナポレオン・ボナパルトの出現、ワイマール共和国からのアドルフ・ヒットラーの出現等、今のこの国へのメッセージともとれる過去の歴史から学び、新政権をはじめとした「状況」に対して引き続きの市民の監視が重要だということです。歴史が大きく変わる時期、一時的に不安定な状況の中で私たちは安易に「即断する指導者」による第3勢力を熱望するのではなく、決して「思考停止」、「白紙委任」はしないで、注視し続けなければなりません。メディアの先導・扇動に惑わされずに、しっかりした視座から声を出し続ける必要がありますね。
今、まさに我々の「知性」が問われている時だと思います。
11月末に北海道大学公共政策大学院生協議会主催による「社会的企業(ソーシャル・エンタープライズ)」のフォーラムが開催されました。テーマは「社会を変える新しい仕事~北海道における社会的企業の可能性~」です。基調講演に続くパネルディスカッションのパネラーも幅広いジャンルからでした。http://hops2009.web.fc2.com/
数年前には、この様なテーマで大学院生がフォーラムを主催するなどと考えられないことだと思います、新しい時代の到来を感じましたね。アカデミックセクター、NPOセクター、企業セクター等が一堂に会して、それぞれの立場から社会的課題の解決に向けた活動を発表する中で、情報共有による相乗効果が期待出来ると思います。幾つかのキーワードを書き留めます。
* 「社会的企業」とは、社会的課題を解決することとビジネスを両立させている企業のこと。一般のNPOと違って、利潤を得ながら事業を行う。また、一般の企業と違って、社会的課題の解決を一番の目的としていて、地域の雇用創出と地域活性化の役割を担うことが出来ると考えられている。行政だけでは対応出来なくなっている北海道の多様な課題の解決の担い手として期待されている。
* ソーシャルビジネスの二つのキーワード、「trust:トラスト(信頼)」と「regitimacy:レジティマシー(正当性)」、私の感想としては的確な日本語がまだ存在しないということか、と残念でもあり多少の違和感あり。伝統的互助の精神とどこが違うのか?
* 日本の当面の課題はこれらの活動を支援する「中間支援団体の重要性」
* 中間支援団体の特徴は、「きめ細かさ」と「機動性」
* 地域を誰が担うのか:大切な機能は 1)つなぐ――>2)育つ――>3)拡がる 学生と社会人が出会える場
院生たちが言わんとすることは分かるのですが、日本社会にこれまであった伝統的価値の中からも学ぶ姿勢も大切かと思いましたね。それは町内会的活動かもしれないし、日本全国の地域に存在した「絆:きずな」だったのかも知れません。「取り戻し」の概念は、この「社会的企業」をグッと身近に引き寄せる気がいたします。
いずれにせよ、こう言ったテーマでフォーラムが開催されること自体、大変嬉しいですね。写真では空席が目立つかもしれませんが、私は前方にいて関係者席として確保されたゾーンをたまたま撮ったので、こんな具合になりました当日は沢山の聴衆で盛況でした、念のために。
今年の10月から12月にかけて、札幌で経済団体による地域活性化シンポジウム・フォーラムが連続して開催されました。
まず10月には、経団連・御手洗会長も来札されて道経連との共催で「道州制で日本を変える」と題してのシンポでした。後半のパネルディスカッションでは地元から椿原紀昭・栗山町長も出席され「まちづくり」実践について力説されました。http://www.town.kuriyama.hokkaido.jp/
論点は、1)今、なぜ道州制か、2)どこに課題があるのか、でした。実質的には、行財政改革と地方の持続的発展の実現という二つの側面があるのでしょうね。ただ、当日の議論にもありましたが、実態は期待と挫折の連続で、「振り回されてきたこの6年間」というのが率直な感想です。
シンポのまとめ的にも意見として出ていましたが、道州制の本来の目的は「地方・市民への質の高いサービス提供」だったはずです。画一的ではない北海道の地域力に見合った議論のスピードで実現に向かう必要があるのだと思います。
当日会場は物々しい警備、300人程度の参加者がいましたでしょうか、気になったのはその中で女性の方が2・3人でした。いかに経済団体の会合とは言え、地域の課題解決を議論する集まりに、こんなに女性が少ないのは信じられません。
11月は私も幹事をつとめる北海道経済同友会の例会で、小樽市役所から「天上がり(?)」して農林水産省大臣官房政策課に転進した木村俊昭氏の講演でした。NHKテレビのドキュメンタリー番組で紹介された「地域活性化の伝道者」です。http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/090519/index.html そうです、「“ばかもの”がうねりを起こす」です。
戦略的システムデザインによる地域活性化を、実際の失敗例を挙げながらその問題点を明快に指摘するとともに、「部分最適」ではなく「全体最適」を目指す議論、「設計力」或いは「マネジメント力」の重要性を力説しました。意識改革と担い手育成をどう実現するか、大変具体的なメッセージの数々に、当日参加した経営者も大きくうなずいていました。いつもそうですが、実現出来るかどうかは、この後行動するのみだと思いますね。
そして12月は同じく北海道経済同友会の地方行財政問題委員会での青山学院大学経済学部准教授・西川雅史先生を囲んでの議論でしたhttp://raweb.jm.aoyama.ac.jp/aguhp/KgApp?kyoinId=ymdggyyiggy。これまでの市町村合併を定量的に総括されて格差は広がったと、そして住民監視の重要性を指摘していました。北海道の今後の発展に対しても多くのヒントを提供して頂きました。
以前に何回か、私は札幌市内のある公立高校の評議員を務めていると書きました。今年の秋のブログラムに「定時制教育の実情:給食体験・授業参観・意見交流等」がありました。
当日は夕方5時に学校に集合し、まずは定時制教育の現況報告を聞きました。昭和25年に普通科1学級の設置でスタートして以来、時代の様々な要望に応えながら、これまで2,500余名の卒業生を送り出してきたそうです。大検の単位認定開始(昭和61)、完全二期制導入(平成2)、学校間連携による単位認定導入(平成14)、一部科目履修制度導入(平成18)等、時代の要請により仕組みも変革しながら、生徒たちは数々の表彰等も受けて今日に至っていました。
これまでは昼間仕事について、夜勉強するのが定時制課程だとの認識でしたが、今年定時制の卒業式に出席した時に、最近は昼間はアルバイトという生徒が4割と伺いました。従って重点目標も「学びの目標を持たせ、向上心の育成を図る」、「自律的な生活態度を育て、自己管理能力の育成を図る」となっています。部活動も盛んで、バスケットボール部は男女ともに全国大会出場も度々あります。4年制の他に3年で卒業する場合もあるようです。卒業後の進路は就職が多いようですが、大学・専門学校への進学もありますね。
次は給食体験です。専門の職員の方が暖かい味噌汁とおかず、ご飯もたくさん盛り付けられていました。授業を受ける前にまずは腹ごしらえの夕食です。
そしていよいよ授業参観です。外は真っ暗で教室・廊下はライトが点灯しています。1学年は英語「Earth Day」、2学年は地理「西アジア、北アフリカの人々の生活3:石油資源と地域紛争」でごく近い歴史について、3学年は古典「徒然草第41段:5月5日賀茂の競べ馬を見侍りしに」、4学年は数学「方べきの定理」でした。大変失礼ながら、先入観としてはもっともっと騒々しい教室内を想像していましたが、大変真剣で積極的に発言して前向きに臨む姿勢に、胸が熱くなりました。先生と生徒とのやり取りが小気味よくて、何か久しぶりの授業で私が少々興奮する感じでした。
考えてみれば毎日夕方から高校に来ること自体大変な努力の結果なのだと思います。これまで小・中学校までの学校教育でどんな体験を経てきたのでしょうね、不登校だった生徒もいるようです。時間があれば生徒たちともゆっくり話をしたい気もしましたが、ごく短い時間ではありましたが、何か私の方が元気を貰いました。
今年1年生に入学した女子生徒が、「PTAだより」に寄稿していました。「この学校には、人それぞれいろいろな体験をして、それぞれの生活スタイルを持った人たちが入学してきます。そして、幅広い年齢層の人たちが一緒に机を並べて学んでいます。この環境はすごいことだと思います。私は、普通の全日制の学校にはないこの環境で学べることを誇りに思います」と。
「それぞれの体験」、「それぞれの生活スタイル」、「幅広い年齢層」、「一緒に机を並べて学ぶ」、素晴らしいですね。私の方こそ、こんな感想を書き留める後輩を持つことを、本当に誇りに思いますよ!!!
昨晩から今朝にかけて、ようやく雪がまとまって降り、新雪が太陽に輝く朝を迎えました。庭の柿の実にも雪が積もり、初冬の景色です。この柿の実は、冬期間の鳥の餌となりますが、実の色は今年は余りよくはなく、今一さえない「柿色」です。
久しぶりに休日の朝をゆっくり迎えながら今年を振り返ってみると、後半になるにしたがってかなり時間的に忙しくなってきました。環境系中間支援NPOの理事長を今年5月にお引き受けをしたのですが、休日の活動等も多く、中間支援活動のマネジメントはなかなか大変ですね。迅速な決裁を行ってタイムリーな活動を支援するにも、事務局への大幅な権限移譲とそれを担保する非常勤の理事・監事への情報提供・情報共有も他の団体以上に重要です。
私のパソコンにはまだまだ未公開の写真・文章も残っているし、事務所の机上とか床には整理されていない資料が山となっています。一つ一つ大変貴重な情報の数々、それがきっちりまとめ切れずにただ積み重なっている様子は、今の私の頭と一緒のような気がします。「忙しい」という漢字が「心を亡ぼす」と書くように、いつも時間に追われて良い人生になるはずはありません。数年前に獲得したはずの24時間自分の時間が、ちょっと自分の好きなスピードとやり方で動き続けると、たちまち「心を亡ぼす」状態となってしまいます。
「下山の哲学」という割にはちっとも山を下りていないと知人から言われるのも、その辺りに原因があるのでしょう。「手帳白紙欄恐怖症」とでも言うのでしょうか、本来的に「ワークホリック」なのでしょう。
あと残り少ない2009年ですが、今年この欄に書き切れなかった話題について、思い出す範囲で公開していきたいと思います。
夜の小別沢トンネル、この中間辺りで大きな声で歌うとエコーがトンネルいっぱい響きわたり、もう最高です!
昨年末も今頃横浜に行く用事があったような気がします。先日は久しぶりに羽田空港からバスでベイブリッジを通って横浜市内へ、中華街で集まりがあったので、その前にほんの少しの時間で山下公園にも足を運びました。
バスの中から左手・横浜港の工業エリアを見ていましたが、昨今貿易相手がアメリカから中国へと劇的に変わり、世界の貿易港としての機能も、横浜・神戸は中国・韓国の各港に抜かれて久しくなっている現実を思い出しました。「日本海物流」として、中国・韓国の港から津軽海峡を通過して太平洋に抜ける船舶が増大しているとのことです。
山下公園は相変わらず人の往来が多く、ちょっとした広場では大道芸人のパフォーマンスが人気をよんでいました。大桟橋も懐かしいですね。40年前にアメリカに向けて旅に出た時は、両手に大きな荷物と更に肩から赤いショルダーバッグでした。先日は外洋船も入港していなく静かな桟橋風景でしたが、今はAPLもどこかの会社と合併してその名前での運航はないと聞いています。
これまで横浜には何回も会議等の出張で来ています。ただ、自分自身の時間的制約がきつく、ホテルの一室へギリギリの時刻に一直線で向かい、終わったらすぐにまた次の場所へ移動の連続でした。何か「モードが違う」とでもいうのでしょうか、近くを散策するとか観光スポットを覗いてみるという気持にはなりませんでしたね。本当は時間が無かったのではなく、気持のゆとりの問題かと今は思っています。
中華街はすごい賑わいでした。道幅と店の構えが違っているせいか、すれ違う人との距離感が他の場所と全然違います。私の娘夫婦はそこから近い所に住んでいるのですが、今回は連絡もせずに東京都内の次の予定会場に向かいました。
函館と同じく「開港150周年」の横浜は、今も変わらずにそこにありました。
多摩大学リレー講座http://www.tama.ac.jp/info/lecture_relay2009.html 秋学期(全12回)の第9回、佐高信さんの「現代日本の権力構造」を聴きに行って参りました。ついでに寄るような場所ではない多摩丘陵には、当日300人を超える聴衆であふれ、いずれの方々も連続して聴講している「常連」さんのようにお見受けしました。また学生も多数出席していて、老若男女の雰囲気がよく、同時に緊張感も漂う空間でした。
テレビで見る佐高さんは、私にはスタジオが何か窮屈そうで、いつもしゃべり足りなさそうな様子でしたので、一度まとまった時間でのお話を聞いてみたい気がしていました。今回1時間半の中で、彼なりにメディアに露出しながら「戦っている姿」を知り、彼自身と彼を取り巻く状況を再認識しました。「週刊金曜日http://www.kinyobi.co.jp/」でもその一端を知ることができます。
彼は、連載を潰されたこれまでの幾つかの経験から結論として、「現代の日本には『タブー』が現存すること、そしてそのタブーをめくらなければ、『権力構造』は見えてこないこと」を端的に指摘していました。「テレビでやっていたから・・・」などと言って安易に信用するのは、全くおめでたいとも。テレビ番組はそのスポンサー企業の意向に反する訳にはいかず、メディアの中立などは全くの幻想にすぎない、さらによく体制側の人間が、「批判するのは簡単だ!」というが、それは口封じに通じる極めて高圧的な発言として機能する、と。メディアを通じて「批判する」ことの難しさと勇気の必要性を強調していました。
テレビでの発言等に対しても、訴訟が起きたりいろいろリアクションも多いようです。深夜の電話等もあったりするそうですが、しかしながらそれは「権力」からではなく、ごく一般の市民からとか。「権力」は状況に「乗っかって」来て、民衆が手を貸す構造となっている、言い換えればメディアを媒介として権力が意識をつくり上げていく構造そのものを見抜く必要性を語っていました。
先日、秋山財団に、中華人民共和国の「中央編制委員会研修団」御一行20名様がいらっしゃいました。残念がら私は東京で用事があり出席出来ませんでしたが、後から報告を聞いて、大変熱心な意見交換だったようです。財団事務所へのお客様では「公益財団法人」として初めての、外国からの方としては、昨年のベラルーシ大使ご夫妻他以来2回目となりました。
当日は、秋山財団設立の趣旨と理念、24年間の活動経過、「公益財団法人」としての今後の展望等を資料も交えてご説明しました。
事前に一行の名簿を拝見しましたが、29歳の方から57歳までの中央政府で公益法人の管理・監督をするお立場の方々とか。「民が担う公共」について、これまでの活動と今後の展望をどこまでメッセージを届けられるか、多少の不安もありましたが、当日の質疑応答の様子ではかなり的を射た質問も多く、対応した秋山財団関係者は彼らの研修への意欲と集中力を強く受け止めたようです。これから全国を約3週間まわって、内閣府公益認定等委員会、文部科学省、国会図書館等を訪問・研修すると伺っています。
中国でのNGO・NPO活動がどういった現状なのか、大変興味のある所ですね。メインランド・チャイナだけでなく、香港・台湾・シンガポール等も含めた「グレイター・チャイナ:大中華圏」を考えると、今もこれからも、貿易相手としては勿論、多くの分野で最も良きパートナーシップを構築していく必要があると思います。
写真からも見て取れるように、若い方々の眩しい程の目の輝きが印象的でした。
新政権による一連の「事業仕分け」は一通り終了しました。率直に言って、大変新鮮で面白かったと私は感じています。
初めての試みにメディア、特にテレビは連日「編集した」場面の放映に終始し、実際に足を運んだ方の感想とはかなりかけ離れた印象を与えていたことも明らかになってきています。今まで「速報性」を売りにしてきた従来型メディアのテレビ局も、インターネット上のテレビ画像、twitter等のニュー・メディアの前には、その機能に陰りが出ているのでしょう。真実を知りたい私たちにとっては、大変楽しみな時代になってきています。日本における従来のメディアの劣化は、目に余る程ひどいものでしたから。
蓮舫http://www.renho.jp/議員の切れ味のよい質問は、ただのパフォーマンスなどではなく素晴らしいですね。彼女のHPにも掲載されていますが、これまでの国会・予算委員会での経験を踏まえた、一味違う官僚への突っ込みに拍手を送った国民は多かったと思います。
高野孟「ラジオ万華鏡」http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2009/12/post_445.htmlでは、彼女は「何故、今、事業仕分け?」を分かりやすく説明しています。
そこで、今までの国会・予算委員会はなんだったのか、そう言わしめるほど「公開の場での質疑応答」は意義があったと。そして高野さんもおっしゃっていますが、これらは本来国会の仕事のはずですね。緊張感の欠如、空虚な委員会での質疑、財務省と各省庁との密室でのやりとり・・・・。1時間が短いと官僚・メディアは喧伝していましたが、今までは密室で各案件せいぜい10分程度とのこと、それが全てのメディア、市民に公開されたからこその効果は計り知れません。
その中でインターネット上の幾つかのコラムでも、仕分けに関わった議員の方もおっしゃっていましたが、防衛省官僚の予算説明の論理性と説得力は際立っていたようです。それに反して、スパコン・先端科学技術予算を巡っての文部科学省官僚の応答は、皆さん実にお粗末と口をそろえて語っています。仕分け人は「世界2位ではいけないのですか」と予算を提起した官僚に質問をしたのであって、「第2位で良いのだ」と断言したのではありません。力強いメッセージを期待したに違いありません。ところが、それに対する全く論理性も気迫もない官僚の言葉に、あの場にいた殆どすべての方々が失望したようです。毅然とした態度でその予算の必要性を力説するのではなく、ただ「夢」と言った様で、思考停止もはなはだしい。
ノーベル賞受賞者の方々の記者会見も、私は違和感を持ちましたね。まず仕分けのプロセスを彼らは正確に理解していないのではありませんか。明らかに事実誤認と思われる発言が相次いでいました。彼らの発言は、第一義的には、仕分けの公開の場で、あの程度の答しか出来なかった文部官僚に向けられるべきです。恐らく公開仕分け後、文部官僚が省内に戻り、科学者たちに自分本位な報告で泣きついたのでしょう。海外事情に詳しい方々もおっしゃっていますが、現在の日本のこの分野の実力は、すでにかなり前から凋落の一途をたどっているとのこと。自然科学分野総体の水準アップには、格差の問題を含めてどういった予算が必要なのか、の議論がまず重要なのだと思います。
一連のやりとりを見ていて、今後も継続して頂きたいし、地方でも是非「事業仕分け」を導入して頂きたいですね。今のような激動期、首長の役割はこれまで以上に重要になってきています。新しい時代のリーダーが、全国各地に出現することを期待したいです。本来は議会に求める仕事ですが、議員に今より遥かに高い質を求めるよりも、優れたその道の方々による「事業仕分け」の方が、時間的にも可能性としても現実的です。
私は最近、地方公務員を主体とする集まりの冊子に「新政権に期待する」と題して寄稿しました。その終わりの部分から引用します。
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国際社会の中で地盤沈下が著しい今の日本の状態では、3か月・100日が新政権の勝負です。政権に関わる全ての方々に「覚悟」を決めて頂きたいし、初心を忘れてほしくない。そして私たち一人ひとりが自立する市民として声を出し続けて、結果に関しては「待つ」覚悟も必要です。新政権にはあらゆる抵抗勢力を突き抜けて、新しい時代の指針を示し政策の実行を期待したいのです。――――――
メディアを含めて、私たちは見極めなければなりませんね。
4日、真っ青な空の下、中野区哲学堂公園で除幕式典と祝賀パーティーが開催されました。ワグナー・ナンドールのアトリエ・作品管理のタオ財団の理事も務めている関係で、私は出席しました。これまで関わられた関係者の皆さんのご努力に、心から感謝致します。
テープカットは在日ハンガリー大使館ボジック・ベーラ参事官・副大使、海部外務省東欧課長、田中中野区長、和久奈ちよ・タオ財団理事長他により行われました。広い空間に世界平和を願う11の彫刻作品群が3つの輪を創り、独特の空間を醸し出していました。
式典で語られた幾つかのお話で、特に印象的だったのはハンガリー国を代表してのボジック参事官のご挨拶でした。ワグナー・ナンドールの生涯は、ハンガリー国の民主化の歴史、そして日本とハンガリーとの友好の歴史でもあると、力あるメッセージでした。
またちよ理事長からは、ナンドールの作品が天皇即位20周年の記念すべき年に、この日本の首都・東京に設置されたことに感慨もひとしおである旨が語られ、しばし言葉に詰まる程感激の様子でした。
中野サンプラザに場所を移しての祝賀会では、ハンガリー大統領の親書も披露されて、この両国間の記念すべき年の彫刻群の設置に花を添えました。東京藝術大学・宮田学長他アカデミックセクターの重鎮、地元中野区のご来賓等、沢山の方々のご出席で盛大な祝賀の宴となりました。
この席でボジック参事官は、ハンガリー・ブダペストのゲレルトの丘に2001年設置された「哲学の庭」と、今回2009年中野区哲学堂公園に設置された「哲学の庭」との違いについて、一つの視座を示されました。ブダペストの彫刻群は丘の上から無限の空に向かう祈りを示し、日本のこれらは梅林・さくらの木々の中で調和を意味する、彫刻家であり同時に思想家であったワグナー・ナンドールのメッセージを両国民は受け止める場を得て、更に世界に向かっての使命を確認する機会を得たと、そんな内容であったかと思います。
いずれにせよ、日本よりも思想・メッセージ性の強い芸術作品から、私は固有の重い・価値ある「歴史」を感じました。今回の設置により、ブダペスト・益子・東京の三極からワグナー・ナンドールの哲学を通して、これら彫刻群は世界平和の実現に向けたメッセージを発信し続けることでしょう。
素晴らしい式典・祝賀会でした!!!
そして、今日から一般公開でした。
2009年12月1日から、私が理事長を務める「財団法人秋山記念生命科学振興財団http://www.akiyama-foundation.org/」は、法人格を「公益財団法人」としてあらたなスタートを切りました。これまでご指導・ご支援して頂いた多くの皆様方に、心から感謝申し上げます。
今回の「公益法人改革」に関しては、昨年11月28日付http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?m=200811のこの欄で詳細を語っていますので省略致しますが、110年ぶりの民法の改定により、全国の公益法人は5年以内にその新たな方向性を決めることになりました。
ある方は今回の新政権の「事業仕分け」により、これまでの「公益法人」は大いなる逆風を受けるのではないかとおっしゃっていますが、それは全くの間違いだと私は確信しています。鳩山首相の就任演説では、「これからは民が担う新しい公共の時代」と明確に宣言しています。全文はhttp://www.kantei.go.jp/jp/hatoyama/statement/200910/26syosin.htmlです。以下、演説からの引用です。
―――(「新しい公共」)
働くこと、生活の糧を得ることは容易なことではありません。しかし、同時に、働くことによって人を支え、人の役に立つことは、人間にとって大きな喜びとなります。
私が目指したいのは、人と人が支え合い、役に立ち合う「新しい公共」の概念です。「新しい公共」とは、人を支えるという役割を、「官」と言われる人たちだけが担うのではなく、教育や子育て、街づくり、防犯や防災、医療や福祉などに地域でかかわっておられる方々一人ひとりにも参加していただき、それを社会全体として応援しようという新しい価値観です。
国民生活の現場において、実は政治の役割は、それほど大きくないのかもしれません。政治ができることは、市民の皆さんやNPOが活発な活動を始めたときに、それを邪魔するような余分な規制、役所の仕事と予算を増やすためだけの規制を取り払うことだけかもしれません。しかし、そうやって市民やNPOの活動を側面から支援していくことこそが、二十一世紀の政治の役割だと私は考えています。
新たな国づくりは、決して誰かに与えられるものではありません。政治や行政が予算を増やしさえすれば、すべての問題が解決するというものでもありません。国民一人ひとりが「自立と共生」の理念を育み発展させてこそ、社会の「絆」を再生し、人と人との信頼関係を取り戻すことができるのです。
私は、国、地方、そして国民が一体となり、すべての人々が互いの存在をかけがえのないものだと感じあえる日本を実現するために、また、一人ひとりが「居場所と出番」を見いだすことのできる「支え合って生きていく日本」を実現するために、その先頭に立って、全力で取り組んでまいります。 ―――――引用 おわり―――
今、事業仕分けによって基金の返還等を言われているのは、いわゆる「天下り財団・社団」であったり、省庁重複・休眠財団だったり、公的補助金でその活動の殆どが成り立っているような団体です。私どものように、100%基本財産の運用による事業運営、自主・自立民間財団は、まさにこれからの時代の先駆けとして活動していくと自負しています。
幸い全国には私どもと志を同じくする民間財団が沢山存在しますし、広く国内・国外で活躍するNGOも含めた「民が担う新しい公共」の担い手は、確実に日本社会でも育っているのも実感できます。政権交代を選挙で実現した今年、昨日の裁判の証言で外交密約の存在の証言もありましたが、戦後日本に新しい自立する市民社会が出来つつある手応えを感じています。
時代の変化を認識する今年、新たな決意表明です。秋山財団は固有の「メッセージ:いのちを育む」を一層高らかに発信して、この北海道を多様ないのちの共存できる大地にして参りたい思っています。