新型コロナウイルス感染症(10)

Posted by 秋山孝二
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 このところの政府・東京都をはじめとする行政が発する『自粛要請』強化のメッセージは、私にとっては違和感でいっぱいです。そんな思いでいると、朝日新聞朝刊に「耕論 新型コロナ『自粛要請』の落とし穴」、「多事奏論 コロナ禍の記憶 覚えていよう歴史は私たちのもの」の論考が掲載されていて、私もまったく同様の感じをこの間の行政責任者の言に抱いていました。

* https://www.asahi.com/articles/DA3S14455171.html

* https://www.asahi.com/articles/DA3S14455170.html

 「見返りなき制限には限界」、「政府の責任を個人に転嫁」、「重い負担に軽すぎる語感」、そして、「コロナ禍の記憶 覚えていよう 歴史は私たちのもの」、それぞれの見出し、記述内容が実に的確でした。

依田高典さん、http://www.econ.kyoto-u.ac.jp/~ida/

山崎望さん、 http://yamazaki1st.boy.jp/

飯間浩明さん http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/

朝日新聞記事!

朝日新聞記事!

 一方、同じページの下段には「(多事奏論)コロナ禍の記憶 覚えていよう、歴史は私たちのもの」と題して、朝日新聞編集委員の吉岡桂子さんの記事が掲載されていました。

 ・・・・・・北京に住む作家から「新型コロナとの戦争に勝利したと、国家がドラや太鼓を鳴らし、大騒ぎを始めるとき、そんな空っぽな歌を一緒に歌うような物書きではなく、自らの記憶を持つ偽りのない人間でいてほしい」とのメッセージが届いたとか。

 社会の記憶力の乏しさこそ、権力に同じ過ちを許す。だからこそ、国家が都合良く再構成した歴史ではなく、ささやかでも消せない個人の記憶が大切なのだ。

 おぼえていよう。目の前で起きていることを。コロナ禍の中で編まれつつある歴史の手綱を、握りしめておくために。・・・・

と結んでいました。

 先日の「新渡戸稲造みらい塾」での意見交換では、「ポスト・新型コロナウイルス」の議論が新鮮でした、皆さん、この感染がある程度落ち着いた「後の世界」について思いをはせていて、それ以前の世界に戻る話ではない、産業革命に匹敵する新しい時代の到来、例えばテレワークの急速な浸透、ZOOM等によるWeb会議の普及とか、ですね。人と人との接触方法、意味合いが劇的に変わってくる予感がするのです。

 一方、社会科学的には、先日のNHKテレビ番組でも外国の研究者がおっしゃっていましたが、このような状況下で発せられる「外出禁止命令」、「都市封鎖」等は「むき出し」の権力行使であり、日本における緊急事態宣言による「自粛要請」も、日本社会独特の「同調圧力」を利用した私権の制限で、それに対する補償がない現状は、「個人が勝手に自粛し責任を負う」図式で、政府の責任を個人一人一人に転嫁する構図になっています。

* 先日の議論ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=38423

 いずれにせよ、私のこれまでの人生でも最大の歴史の転換点、私の世代にとって初めて実感する「戦前・戦中・戦後」のような気がします。しっかり、今の「戦中」時代を記録に留めたいなと思う昨今で、このシリーズもいつまで続くか予測が付きませんがお付き合い下さい!