国破れても、山河があれば・・・・

Posted by 秋山孝二
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 年始に当たり、同じような気持で新しい年を迎えている方がいるのだなと、少しの驚きを感じます。

 「内田樹 年頭予言(http://blogos.com/article/102607/」は、今の自分とかなり近い認識、特に、「これから私たちが長期にわたる後退戦を戦うことになるという見通し」に関してです、ネガティブなスタンスではなく、その「覚悟」が必要だとの意味合いで共有できるのです。

~~~~~~~~~~~~~~内田樹さんのブログから引用

国破れて山河あり。

 統治システムが瓦解しようと、経済恐慌が来ようと、通貨が暴落しようと、天変地異やパンデミックに襲われようと、「国破れて」も、山河さえ残っていれば、私たちは国を再興することができる。
私たちたちがいますべき最優先の仕事は「日本の山河」を守ることである。私が「山河」というときには指しているのは海洋や土壌や大気や森林や河川のような自然環境のことだけではない。日本の言語、学術、宗教、技芸、文学、芸能、商習慣、生活文化、さらに具体的には治安のよさや上下水道や交通や通信の安定的な運転やクラフトマンシップや接客サービスや・・・そういったものも含まれる。

~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

 彼が言う、「リプレイのためには、その上に立つべき『足場』が要る。その足場のことを私は『山河』と呼んでいるのである。せめて、『ゲームオーバー』の後にも、『リプレイ』できるだけのものを残しておきたい。」、まさに「足場」を残す作業を今、地道に、確かに行っていく時期である、全く同感ですね。

 こちらも年頭に興味深い内容でした: 群衆、群衆心理、群衆の力<https://www.youtube.com/watch?v=sR_MPyUYIbo

 これまで一つひとつ着実に積み重ねてきた「歴史」によって構築された「価値」と言っても良いのかも知れませんが、地域なり底流なりに脈々と存在するものをギリギリながらしっかりと「保守する」、そんなニュアンスでしょうか。戦後70年の日本に住む人間として、戦後教育の下で生きてきた人間としての底力が試される、いつもの年にも増して、強く意識をする年始です。