KEVIN in my mind !

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 2月20日、MariaさんがFacebookに投稿していました、もう亡くなって10年が経ちました。

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 Today marks both Kevin’s 59th birthday and the 11th anniversary of the day we received his diagnosis of brain cancer. This day is always one of bittersweet remembrance, but for some reason this year it’s harder. I am thinking about Kevin’s greatest gifts, Isla, Aidan and Carlin, and all of the life-defining moments he has missed and will miss. I like to think he can see them from above, but sometimes, no matter how happy and fortunate we are today, that’s not good enough…He was an amazing son, brother, husband, father and friend.

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 Kevin Stewartは、私にとって一生忘れることができない男です。10年を経て、3人のお子さんはそれぞれ逞しく大きく成長されて私も嬉しいです。下の写真はアラスカでキングサーモン他の釣りツアーを企画して、一日、氷河の先端で崩落する様子を海上から見学した時の船のデッキで!

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10343

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10482

* 関連記事 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=KEVIN

祝 ハーバード大学プログラム 40周年!

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 先日東京で、「ハーバード大学日米関係プログラム(https://programs.wcfia.harvard.edu/us-japan)40周年記念レセプション」が開催され、同時にこれまで32年間所長だったスーザン・ファー先生からクリスティナ・デービス先生に所長が代わり、その披露宴ともなりました!デービス新所長は、「AKIYAMA AWARD(https://programs.wcfia.harvard.edu/us-japan/akiyama-award」の第一回受賞者です。パーティでもファー先生、デービス先生からそのご紹介もありました。

* Susan Pharrーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=Susan

デービス新所長のご挨拶

デービス新所長のご挨拶

 25年前にボストンで行われた受賞セレモニーでの記念撮影。一番右は今は亡きKevin Stewart、当時は現地子会社の責任者でした。

* Kevin Stewartーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=Kevin+Stewart

クリスティーナ・デービス先生の受賞時に

 前回ボストンを訪問時、受賞パーティで歴代受賞者もそろって記念撮影!

スーザン・ファー先生のご自宅で

スーザン・ファー先生のご自宅で

 先日のレセプションでは、開始前にお二人、事務局長の藤平先生ともお話ができました。レセプション途中で、スーザン・ファー先生も出席者の皆さまにご挨拶。そこで「AKIYAMA AWARD」のご紹介と、第一回目の受賞者がクリスティナ・デービス新所長だったこともご披露して頂きました、会場からは大きな拍手が沸き、私も大変嬉しかったですね。周辺の方から伺うと、Harvard大学のこの日米関係プログラムには多くの寄付依頼が寄せられているようですが、かなりはお断りしているそうです。そんな中で、本当にささやかな金額でも私たちのプログラムに対して信頼と関係性を重視して頂く姿勢に、私はアメリカのアカデミックセクターの懐の深さを感じています。先日は新旧両所長に、今後も引き続き私たちのプログラムを継続する旨をお伝えしました。

ファー先生のご挨拶

ファー先生のご挨拶

特集 HAWAII 2017 (11)

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 カウアイ島北西部ナパリコースト(http://tabippo.net/na-pali-coast/は、ハワイ島のオーシャン・エントリー(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=28956と並んで、このクルージングのハイライトの一つです。午後4時頃、カウアイ島北部から少し西より、神々しく夕方の陽に照らされて幻想的な姿を現しています。

空も雄大

空も雄大

ナパリコーストに近づくとデッキは人でいっぱいに

ナパリコーストに近づくとデッキは人でいっぱいに

絶景にしばし絶句!

秘境の絶景にしばし絶句!

さらに近づいて

さらに近づくと、白い砂浜も

 じっとこの光景に浸っていると、なぜか急に、もう25年以上前に、亡きKevinとアラスカの氷河を同じように海から見たことを思い出しました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10482)。

 しばらく絶景と並走し、かなり海岸線に接近した後、ザトウクジラのウオッチング等を終えて船はやがて反転し、一路、オアフ島ホノルル港に向けて最後の航海に向かいます。

反転しながら一路オアフ島ホノルル港へ向かいます

反転しながら一路オアフ島ホノルル港へ

 部屋の荷物整理ほか下船準備を終えて最後の夜、そして、翌日早朝、ホノルル港沖に近づき、空港に着陸しようとする飛行機が何機も上空を横切る中、午前7時前には着岸し、今回のクルージングは終了しました。

ホノルルのダウンタウンの灯を見ながら

早朝、ホノルルのダウンタウンの灯を見ながら

北海道日米協会 新年例会 2017

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 北海道日米協会の新年例会が、今年も開かれました。昨年8月に新しく在札幌米国総領事館(https://jp.usembassy.gov/ja/embassy-consulates-ja/sapporo-ja/)の首席領事にご就任されたレイチェル・ブルネット-チェンさんも参加されました。ご出身はウィスコンシン州モンロー、日本との出会いは、ロータリークラブの交換留学生として埼玉県深谷市に滞在した時からだそうです。同じく米国外交官である夫ペリー・チェンさんと二人の娘さんとご一緒に赴任されているようです。

昨年8月に新しく着任した首席領事

昨年8月に新しく着任した首席領事

 新年例会はいつもミニライヴコンサート、今年はオーボエとピアノのアンサンブルでした。

オーボエ演奏

オーボエ演奏

 これまでの北海道日米協会の記事――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E6%97%A5%E7%B1%B3%E5%8D%94%E4%BC%9A

 今年の例会で大変興味深かったのは、トランプ新政権に対する参加者の感想でしょうか、首席領事は外交官ですから、「どんな政権であれ、草の根の人々の活動でこれまでの日米関係は築かれてきたので、変わらず素晴らしい関係性であることを信じます」みたいな冒頭のお話でした。各テーブルのアメリカ人からは、「ノーコメント」とか、「?」的なご意見が多かったような気がします、もちろん、お一人お一人とお話をした訳ではないのであくまでも印象に過ぎませんが。それに比べて、集まった日本人の中には、「私はトランプを尊敬している!」みたいな明らかに阿る発言をされる方がいたり(その方は食事が終わるやいなや部屋を出ていかれましたが)、何とも情けない状況も目の当たりにして、透き通るようなライブの響きに比べて、率直に言って後味の悪さを感じた例会でした。

 ベトナム戦争、イラク戦争ほか、数々の誤りを重ねてきたアメリカという国の国際社会での存在は別として、私にとってアメリカ人との交流は、19歳で貨客船でアメリカに渡って以来、たくさんの親交をベースに、どんな政権になろうとも、北海道日米協会の運営がどうあろうとも、一生変わらぬ宝物であることは確信しています。

* ’71 北アメリカへの旅――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%8C%97%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA

* KEVINのこと――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=KEVIN

姉妹都市・ポートランド 訪問 (8 最終)

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 短い滞在の最後の夜は、3年前にもお世話になった谷田部勝さんと会社のスタッフの皆さんと会食、今のポートランドについて貴重なお話の数々で楽しかったです。

 3年前のアッシュランド訪問――>

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=18021

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=18027

ポートランドの今を語る

ポートランドの今を語る

 その晩も話題になったのですが、ホテル近所の日本食レストラン「SHIGEZO(http://www.shigezo-pdx.com/」、昔、今は亡きケビン・スチュワートと行った「Zen」レストランの今の姿、大変盛況とのことでした。

ケヴィン・スチュワート――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=Kevin+Stewart

昔の「Zen」が、今は「しげぞう」

昔の「Zen」が、今は「SHIGEZO」

 お店の方が丁度電気を消して取り込もうとしてるところを無理を言って付け直して貰らって撮りました、入口の提灯。

 今回のポ市訪問、PSUの観劇をきっかけに出掛けましたが、短い時間でも街なかを歩くと、思い出が次から次へと頭に浮かび、実に濃密なひと時でした。まだまだたくさんご報告をしたいことがありますが、別の機会に致します。それにしても30数年、「マチづくり戦略」を着実に実行するとこうも変身するのかと、ポ市民の見識、人間の知恵の凄さに感動しました。札幌もこれから追いかけて、「サッポロスタイル」で個性をアピールしたいですね。

 長くなってしまったこのシリーズ、最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。まずは、18日の秋元札幌市長ほかとの面談でリ・スタートです!

5月のBoston 2015(5)

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 ボストンにしばしば足を運ぶようになったのは、これまでここで何回も書いていますが、「Autum Hills International Inc.(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2510」という会社を設立したことによります。初代社長が私、その次がKevin Stewartでした。今回は私にとって2回目のお墓参りの為に、奥様のMariaさんはじめ3人の子どもたちも時間を創ってくれました。

* Kevin Stewart ――>http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=Kevin+Stewart

 今回、家族でホテルに迎えに来てくれて、まずはボストンで今話題になっている野外空間の現代アートを見学。高速道路だった場所を緑化公園に再開発した上空に、ごく最近ビルの谷間にカラフルなネット上の作品です。風に揺られてその形を変えていく、モビール状態でオーロラのようでしたね。どなたの作品なのか、とにかく発想が実にユニークです!

高速道路を緑地に造り替え、上空にはコンテンポラリーアート

高速道路を緑地に造り替え、上空にはコンテンポラリーアート

ビルとビルの間をつないで

ビルとビルの間をつないで

 続いてボストン郊外、彼らの自宅から20分くらいの所にあるケビンのお墓に。前回は3年前の夏にやってきました、今時期は後ろの木々の葉がまだ薄く、その奥に静かに水を蓄える池がよく見えました。釣りの好きだったKevinも喜んでいるだろうな。お水をお墓に掛けて、手を合わせ、ゆっくりお祈りをして参りました。

 2年前の家族の札幌旅行以来でしたが、3人の子どもたちは、一目見て一段と成長している様子を見て取れるし、Mariaさんは毎週3回、朝5時からの朝活シェイプアップで十数キロの減量に成功して今なお継続中とか。キャリアウーマンとしてボストン本社を起点に全米・全世界を走り回って大活躍の毎日。3月下旬には実のお母さまがすい臓がんでお亡くなりになって失意の日々にもかかわらず、2年前に比べて大変前向きな印象を受けて嬉しかったです。「日々心身ともに元気な自分の姿が、子供たちにも一番の力!」とMariaさんは笑顔で語っていました。

私にとって3年ぶりに2回目のお墓参り

3年ぶりに2回目のお墓参り

日米協会国際シンポ 2014 (下)

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 今回のシンポジウムのプログラムはこちら――> http://www.conventionsapporo.jp/j/nichibei/program/

 「さよならパーティ」は、会場を札幌コンベンションセンターから札幌パークホテルに移して開催、こちらは「和」の趣向でした。舞台では、「アイヌ・アート・プロジェクト」のリーダー・結城幸司さんはじめ、心のこもった演奏他で拍手喝さいの連続でした。

アイヌ・アート・プロジェクト 結城こうじさん他

アイヌ・アート・プロジェクト 結城幸司さん他

 札幌市の上田文雄市長は、午後の開会式でのご挨拶に続いて、「さよならパーティ」でも互いに学び合ってきたポートランド市との交流等、熱のこもったメッセージを舞台上で語られました。今年は札幌―ポートランド姉妹都市55周年の節目の年、来年は北海道―マサチューセッツ州姉妹州25周年の記念すべき年となります。双方の関係構築に少なからず関わった私としては、何か胸に響くものを感じました。

* 米国オレゴン州ポートランド市(http://www.portlandoregon.gov/

* 札幌・ポートランド姉妹都市交流(http://www.city.sapporo.jp/kokusai/sistercity/portland.html

* 米国マサチューセッツ州(http://www.massvacation.jp/

* 北海道・マサチューセッツ州姉妹都市交流(http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/tsk/teikei/gaiyou_mas.htm

 率直に言って、パーティ冒頭で知事の代理出席でご挨拶された北海道・高井修副知事のお話には失望しました、来年の25周年を迎える北海道としての気迫を感じませんでしたね。私はボストン、マサチューセッツ州には、1990年の関係構築前後から、当時の横路孝弘知事・道庁幹部から依頼が、また、亡くなったケビン・スチュワート一家との濃密な思い出もあり、この20数年間は忘れがたいものがあります。あまりお役には立てていませんが、「北海道マサチューセッツ協会(http://www5.ocn.ne.jp/~homas/)」の副会長の立場としても、これまでの両者の草の根交流への言及が殆どなく、残念でした。

 
* 故ケビン・スチュワート ――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=Kevin

  翌日夜に、今回の実行委員会の直来が開催され、ここまでの関わりをお互いに労い、さらに二次会でも楽しい清々しいひと時語らいました。これまでの疲れも吹っ飛ぶような、一つ山を越えた満足感に浸ることができて幸せです。伊藤義郎会長、藤田道子副会長、素晴らしい実行委員・ボランティアの皆さま、ありがとうございます!

直来後の二次会を終了しての記念写真、皆さん、素晴らしい方々でした!

直来後の二次会を終了しての記念写真、皆さん、素晴らしい方々でした!

STEWART一家が札幌へ (1)

Posted by 秋山孝二
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 Kevin Stewartについては、一昨年に亡くなられて以来、これまでこの欄でも何回も書き留めてきました。
http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=Kevin
 今月18日、以前から妻のマリアさんがおっしゃっていたように、3人の子供たちを連れて、札幌・日本訪問を実現させました。

道庁赤レンガ前で

道庁赤レンガ前で

羊ケ丘展望台で

羊ケ丘展望台で

北海道日米協会午餐会でご挨拶、藤田道子副会長とも懇談

北海道日米協会午餐会でご挨拶、藤田道子副会長とも懇談

夜はKevinを偲ぶ方々の歓迎会:日米協会御手洗理事、北・マ州協会松江副会長、中垣事務局長も

夜はKevinを偲ぶ方々の歓迎会:日米協会御手洗理事、北・マ州協会松江副会長、中垣事務局長も

北海道・窪田毅知事室長を表敬訪問:窪田さんはロサンゼルス所長時代にKevinとアメリカでお会いしてました

北海道・窪田毅知事室長を表敬訪問:ロサンゼルス所長時代にKevinとアメリカでも面談したと

 北海道日米協会、ケビンを偲ぶ会、北海道・マサチューセッツ協会、北海道国際交流課ほか、大変多くの方々との面談が実現し、それぞれが生前ケビンにお世話になったお話を直接マリアさん、3人のお子様に伝えられている様子を間近で見ていて、あらためてケビン・スチュワートの人柄の素晴らしさ、北海道で果たした仕事の価値の大きさに感動しました。

Kevin一周忌の集い

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 これまで何回も書いてきましたが、「R.Kevin Stewart:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=Kevin+Stewart」が亡くなってから、丸一年が経ちました。先日、札幌で一周忌の集いを開き、それぞれの想い出を語り合って、しばしケビンの面影を偲びました。今回は、一切のコメントを控えて、写真だけの掲載に致します。

祭壇と写真入り横断幕

祭壇と写真入り横断幕

Kevin を偲んで (3:最終)

Posted by 秋山孝二
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 久しぶりのボストンは、湾岸部分の再開発工事が終了し、以前の高速道路が地下に建設されて、地上部分は緑化で大きな公園になり、景観も素晴らしくなっていました、詳細は州政府のこちら(http://www.massvacation.jp/)で。私も感じるままにいくつか。

 

 * 「伝統とモダンの共存」: 昨年訪問したベルリン(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10458)でも同様でしたが、歴史をしっかり価値づけている街であればある程、哲学が明確、現代との絶妙な調和を実現しています。アメリカ合衆国発祥の地「ニューイングランド」の歴史とプライドを、「見える化」している見識を街中から感じます。

コプレイ・スクウェアで

コプレイ・スクウェアで 

  コプレイ・スクウェアの左・トリニティチャーチ(http://www.trinitychurchboston.org/building-slideshow.html)、今年創業100年を迎えた右・コプレイプラザホテル(http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/105956/105956.html)、真ん中・ジョンハンコックタワー(http://www.ima-earth.com/contents/entry.php?id=20102673135)です。スクウェア―では、週末にはマルシェで賑わっていました。

 シンフォニーホールは、冬のボストン交響楽団、夏はボストンポップスオーケストラの本拠地です。7月4日の独立記念日では、ボストン・ハッチシェルでの演奏に合わせてのチャールズ川の花火は最高です(http://www.celebrateboston.com/july-4th.htm)。

ボストン・シンフォニーホール

ボストン・シンフォニーホール

街の街路灯のバナー

街の街路灯のバナー

 

 * 「語り継がれる物語と語る人たち」: フェンウェイ・パーク(http://www.cheaptravelz.com/venue/mlb/fenway_park.html)は、アメリカで最古の野球場にもかかわらず、「パーク」と呼ばれているだけあって地元の人には身近な場として愛されており、多くの歴史と伝統にこだわって、ストーリーの多さにも驚きます。

フェンウェイ・パーク外

フェンウェイ・パーク外

  ボストン・レッドソックス(http://boston.redsox.mlb.com/index.jsp?c_id=bos&sv=1)と言えば、「伝説の背番号42」、テッド・ウィリアムズ(http://circlechange.com/players/ted-williams)です。フェンウェイ・パークの多くの場所に、彼の「伝説」が語り継がれています。

語り継がれる赤い外野席シート

語り継がれる伝説の「赤い外野席シート」

  Mariaさんのお話によると、KevinとMariaとの最初のデートが、この赤い席だったとか。Kevinは、熱狂的なレッドソックスファンで、亡くなる1カ月前にも、友人にネット裏の放送席に招待されて観戦しました、長男のAidenは、7月2日から、ここで開かれる「レッドソックスのジュニアキャンププログラム」に参加するそうです。因みに先日ここで、「ダルビッシュ・有って知ってる?」、と地元の方々に聞いてみましたが誰も知りませんでした、ここはボストン、日本から来ているのは「ダイスケだろっ?」と。

 

* 「地域に暮らす人々の中に生き続ける」:ボストンのビールと言えば、「サミュエル・アダムズ:http://www.samueladams.com/age-gate.aspx?ReturnUrl=%2findex.aspx」、レストランでもバーでも、まずはこれを一杯飲まなければ落ち着きません。

伝統のビール、「サァム」です

伝統のビール、「サァム」です

  Kevinとはよく飲みに行きました、ゴルフ場でもバーでも、いつも最初は「サミュエル・アダムス」で乾杯でした。

 

 Kevinとの思い出は語り尽くせませんが、今回の訪問、私個人のノスタルジアなどではありません。昨年亡くなった後のMaria、3人の子どもさんたちの様子を今回聞いて、あらためてKevinの札幌で残した功績を「見える化」すること、そしてそれが少しでも残されたご家族の生きる自信になるのなら、これ以上の喜びはありません。

長女のIsla、バレーボール選手

長女Isla、バレーボール

長男Aiden、野球と空手の選手

長男Aiden、野球と空手

2女、Carlin、乗馬とサッカー

2女Carlin、乗馬とサッカー

 Kevinの志は、妻のMariaさん、Isla、Aiden、Carlinの子どもさん達がしっかり受け継いでいくでしょう。別れ際に、私たちは決してKevinのことは忘れないし、感謝の気持も変わらないと言いました。数年以内には、必ずご家族で札幌に来るとおっしゃっていました、どうか幸多かれ、と心からお祈り致します!

Kevin を偲んで (2)

Posted by 秋山孝二
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 Kevinの墓前で、これまでのお礼を伝えて私の気持は少し落ち着くかと思ったのですが、なかなかそうはいかず、想い出はボストン周辺で尽きることなく、なかなか整理できません。

 (株)秋山愛生舘の子会社として1991年に設立した「Autumn Hills International:AHIC」は、ボストン郊外のCambridgeにあるハーバードスクウェアに置き、私が社長、Kevinがジェネラル・マネージャーで活動を開始しました。何回も出張ベースでは行きましたが、基本的には私は非常勤、実質はKevinが現地の責任を負って、最大で4名の部下とともに仕事に励んでいました。近くにハーバード大学(http://www.harvard.edu/)があり、いつも観光客を含めて賑わっていましたが、ビジネスは苦戦の連続でしたね。

1991年、チャールズ・スクウェアの一室でスタート

1991年、チャールズ・スクウェアの一室でスタート

 その後、そこから15分くらいのWalthamに場所を移しました、場所を変えてビジネス展開も拡がってきて、調査・研究から、実際の商品の動きも出て来ました。

広い駐車場のあるオフィス

広い駐車場のあるオフィス:建物2階でした

 1998年に合併により親会社がスズケンに代わって以降、2003年に全ての株式を、当時社長だったKevinが買い取って、「Health Tech」としてHopkintonの自宅地下を本社として再出発しました、いわゆる「SOHO:http://ja.wikipedia.org/wiki/Small_Office/Home_Office」ですね。会社は順調な業績で推移していました。

自宅玄関の表札、この裏側の地下一階がオフィス入口

自宅玄関の表札、この裏側の地下一階がオフィス入口

   

 記憶を頼りに街なかで探していると、忘れられない場を見つけました。会社設立が暗礁に乗り上げて、私が助けを求めて電話をした翌日夕方、Kevinと会った「Hotel Meridien」です、今は、別のホテル名になってはいましたが・・・。

変わらない赤い日除け

変わらない赤い日除け

  この日は、Mariaさん、3人のお子さんと一緒に、2人が結婚して初めて住んだBelmontの家、次に引っ越しした家も訪れて、昔懐かしい街並み、通り、お店等について、Mariaさんが子どもたちに、父親Kevinの足跡として説明していました。街なかは随分再開発等で景観が変わった所も多かったのですが、オフィスのあった地域、郊外の住宅地は昔のままでした。

 子どもたちは、どう受け止めてくれたのか、これからの人生に何か力となって繋がってくれることを願っています。場所が放つメッセージとか説得力というのは不思議ですね、もう20年程前のことがつい昨日のことのように蘇ります。

 あらてめてKevin、本当にお世話になりました、ありがとう!

Kevin を偲んで(1)

Posted by 秋山孝二
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 昨年10月1日に49歳で亡くなったR. Kevin Stewart(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=Kevin)の墓前にお参りをしたく、やっと時間をつくってボストン(http://www.cityofboston.gov/)行きが叶いました、久しぶりのマサチューセッツ(http://www.massvacation.jp/)でしょうか。

 アメリカ独立記念日(7月4日:http://www.eigotown.com/culture/special/july_4th/july_4th.shtml)の少し前の混み合うシーズン、金曜日のコプレイ・プレイス、ニューベリー・ストリート周辺も大変な賑わいでした。この時期、ボストンでは、「ボストン・フェス:http://calendar.boston.com/boston_ma/events/fairs+festivals」と銘打って、多彩なイベントが繰り広げられています。

 そんな中、奥さまのMaria、長女のIsla、長男のAiden、双子の妹のCarlinと一緒に、お墓参りに行きました。

左から二女の、長女の、長男の、奥さまのMariaさん

左から二女Carlin、長女Isla、長男Aiden、奥さまのMaria

 Kevinのお墓は、自宅のあるHopkintonの隣町にあり、うっそうとした樹が茂り、水辺の静かな場所でした。釣りの好きだった彼と相談して、この場所に決めたとか。

住宅の隣町にある古くからある墓地

隣町にある自然豊かな静かな地

墓石

墓石:野球ボール、フクロウの石像、ポーカーチップ

  自宅のあるHopkintonは、「ボストンマラソン(http://www.baa.org/)」のスタート地点、この大会は、アテネ近代オリンピックの翌年、1897年4月19日に記念すべき「第一回大会」が行われ、以来、続いている世界で最も古い市民マラソン大会です。現在は、「パトリオット・ディ:愛国者の日」として、4月第三月曜日がマサチューセッツ州の祝日となっていて、これまでに、君原健二、瀬古利彦ら日本選手も数多く優勝し、幾多の名勝負も繰り広げられています、まさに「伝統のマラソン大会」ですね。

住宅のあるHopkinton、ボストンマラソンのスタート地点

住宅のあるHopkinton、ボストンマラソンのスタート地点

木陰にはスターターの銅像も

木陰にはスターターの彫刻も

  一方、街なかのコプレイ・プレイス、ボストンマラソンのゴール地点です。

Finish地点のライン

Finish地点のライン

コプレイ・スクウェア

コプレイ・スクウェア

さらに近くのフェンウェイ・パークはこちらの本拠地

さらに、近くのフェンウェイ・パーク

 Kevinが愛した場所を、Mariaさん、お子さん3人と巡っていくと、彼との想い出が次から次へと湧いてきて、何とも収拾がつきません。

ありがとう、Kevin !

Posted by 秋山孝二
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 昨年10月1日に、49歳で亡くなった「R.Kevin Stewart:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10343http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10482」を偲ぶ、「ありがとう、Kevin ~R.Kevin Stewart,Forever In Our Hearts」が、直接彼を知る、お世話になった皆さまの発意で開かれました。

舞台には「Red Sox」ユニフォームのケビン

「Red Sox」ユニフォームのケビン

  当日の舞台には、こよなく彼が愛したメジャーリーグ、「ボストンレッドソックス」のユニフォーム姿の遺影が花で囲まれて、いま尚、その存在感を示していました。

 「黙とう」で始まり、冒頭のご挨拶は、北海道環境科学研究センター(http://www.ies.hro.or.jp/)企画総務部長・木元憲彦さんで、Kevinの当時の上司でした。しばしの懇談の後、11名の方々が、それぞれKevinとの思い出と感謝の気持を、心のこもったお言葉でお話されていました。

北海道庁国際課時代の上司

北海道庁国際課時代の上司・木元憲彦さん

  北海道庁の2年間の勤務、初めての国際交流員ということで、どのセクションでも親しみを持たれていた様子がうかがえました。特に、道庁野球部では、彼のチームでの2年間の記録もしっかり残っていて、2年目ではチームは21勝11敗2分け、彼の通算打率は、何と「.514 :5割1分4厘」で、ダントツ一位です。

 一方、最近のビジネスで最後まで顧客としてお仕事をされた、物産バイオテック(株)(http://bussan-bio.co.jp/)営業本部の藤森義人さんは、この数年のKevinの紹介がありました。会場で私は、彼から貴重な写真を頂きました。

直近までの日本のビジネスパートナー

直近までの日本のビジネスパートナー:藤森義人さん

 当日は、間際のご案内でしたが、40名を越える皆さまにご参加を頂き、寄せ書き、参加者全員の記念写真、この会の様子を録画したDVD作成の後、奥様のMariaさんに贈呈することにもご賛同を得ました。事前にこの会の開催をMariaさんにお知らせした所、今年夏にでも、Kevinが愛した札幌・北海道・日本を、3人のお子様を連れて訪問したい旨のメールも受け取り、お集まりの皆さまにお伝えしました。

 思い返せば今年1月でしたか、道庁出身で現在、有限会社エムズ・インテレクト代表取締役の森田浩( http://blogs.yahoo.co.jp/emz_intellect)さんと昼食をご一緒にしながら、「偲ぶ会」をささやかでもやりたいですね、とお話をしたのが発端でした。森田さんのブログはこちら( http://blogs.yahoo.co.jp/emz_intellect/63192809.htmlhttp://blogs.yahoo.co.jp/emz_intellect/63084790.html)。今回、名古屋・東京からも大勢の方々にお集まり頂き、さながら同窓会的雰囲気もあり、Kevinを偲ぶ意図もちろんですが、参加された皆さまの久しぶりの再会にも貢献できた気がして、嬉しかったです。私自身、今年中にKevinのお墓参りを是非すべく、アメリカ東海岸を久しぶりに訪問しようと思っています。1993年8月16日のKevinとMariaさんの結婚式で、私は長淵剛の「乾杯:http://www.youtube.com/watch?v=GwujSSKc2cw&feature=related」を唄ったのを思い出し、涙します。

 R.Kevin Stewart, ありがとう、あなたは私の国際ビジネスでの’恩人:ONJIN’です、どうか、安らかにお眠り下さい。

追悼、R.Kevin Stewart

Posted by 秋山孝二
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 R.Kevin Stewart の葬儀は終了したようです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~以下、メールの引用

 ケビンさんの葬儀及び埋葬は、季節外れに暖かく良いお天気の日に、悲しいながらも大勢の弔問客に見守られながら厳かに行われました。日本関係者は、現在MPアグロの輸入業務を行っている三洋貿易のNY社長及び業務担当の方が来られました。

 私と夫が最期に会わせていただいたのは、彼が亡くなる前の週末でしたが、彼はお寿司が大好物だったので、カリフォルニアロールを持って行きました。マリアさんが「お寿司食べる?」と聞くとうなずき、少しずつ食べさせようとする彼女に自分に握らせてと言うように右手を上げて、6ピースをほぼ間食し、居合わせたご家族、マリアさんのご両親と弟さんのご家族を驚かせました。お通夜の際に、マリアさんからあれが最期の食事だったとお聞きし、二人で涙しました。

 秋山様及びその他の方から送られたお花とメッセージは確かにお供えされていました。埋葬の後、ご自宅でランチをとりながら生前のスライドショーを見たりする故人を偲ぶ集まりがあり、大きなご自宅ですが入りきれないほどの人で埋まっておりました。たくさんの方々に惜しまれ、たくさんの涙とともに送られながら永眠されました。

以上、ご報告まで。

エルドス喜代美          Date: Thu, 13 Oct 2011

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用おわり

アラスカの海で、氷河を背景にkevinとともに

アラスカの海で、氷河を背景にkevinとともに:1995年7月

 それにしても未だに彼の死は信じられません。彼との最初の出会いは、20年以上前、日本の「JETプログラム:http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/culture/hito/sei/jet/index.html」で北海道庁で2年間の勤務を終えて、当時の秋山愛生舘の5階に帰国の挨拶に来た時でした。「オレゴンに戻るけれど、もし何かアメリカでの仕事があれば遠慮なく連絡をして欲しい」旨の話だったと思います。翌年オレゴン・ポートランド市を訪問した時、日本食レストラン「禅」で昼食をしながら、再会を喜び、楽しく話をしたのを覚えています。

 そして、翌年でしたか、オレゴンとは全く逆の東海岸ボストンに現地法人を設立するに当たって、最初のつまずきがいろいろあり窮地に陥っていて、私はボストンのホテルからオレゴン・セーラムに居るkevinに電話をしました、「kevin、急で申し訳ないけれど、今すぐにボストンに来てくれないか」と。

 翌日の夕方、ボストンのホテルフロントで彼の後姿を見つけた時、恥ずかしながら涙が止まりませんでした、すぐに駆けつけてくれた彼の「気持」に感激して。秋山愛生舘の海外展開の礎であり、特にAHIC(Autumn Hills International Corporation )設立に当たっては、Kevinはまさに最大の恩人でした。その後私の後任として社長に就任し、スズケンと合併後に、自分で全ての株を買い取り、以来一貫してヘルスケアビジネスの世界で頑張ってきたKevin。自宅地下を「ホームオフィス」としたとの連絡を受けて訪問したことがありました。行ってびっくり、ボストンマラソンのスタート地点、大変大きな家で、地下と言っても立派な広いオフィスでした。私はこの恩人を今までも、これからも生涯忘れることはありません。

 仕事は勿論、アメリカでゴルフを何回も一緒にしたこと、フェンウェイパークでレッドソックスを何回も見に行って、始まる前に必ず球場外のイタリアンホットドッグを食べたこと、ビジネスでもとにかく彼の堂々たる対応に勇気づけられることが何回もありました。結婚式にも招待して貰いました、私はカラオケテープ持参で、「乾杯」を唄いました、忘れられませんね。

 日本人のビジネスパートナーとフロリダでゴルフもしました。ワニが居たり、カメが居たりで大騒ぎでした。アラスカにも一緒に行きました、彼が全行程バンを運転して、叔母さんが経営するキーナイ川の立派な釣り宿に泊めてもらい、キングサーモン他、エキサイティングな釣りの想い出は一生忘れられません。

 チャレンジツアー、フォーサイトツアー、その他の研修旅行でお世話になった数多くの人たちが、Kevinに感謝しています。海外旅行をするたびに感じます、私にとってAHIC設立時・採用面接、その後の社長としての体験は、今も貴重な財産となっていることを。飛びきり優秀だったキャレン・ローゼンバーガーが逝き、今回Kevinも亡くなり、設立当時のメンバーが若くしてこの世を去り、何とも寂しい限りです。

 どうか、残されたMariaさんと3人のお子様たち、お力を落とすことなく、これからも元気に生きて頂きたいと願いつつ、遠い札幌の地からご冥福を心からお祈り申し上げます。

R.Kevin Stewart 氏、逝く

Posted by 秋山孝二
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 突然の訃報に呆然としています。

ボストングローブ社、死亡広告より~~~~

 STEWART, Richard K. “Kevin” 49, of Hopkinton, formerly of Salem, OR, passed away on Saturday, October 1, 2011, at the Rose Monahan Hospice House in Worcester, after a brave battle with brain cancer.

 An avid fisherman and Red Sox fan, Kevin lived in Japan for two years and maintained friendships around the world. After working for many years in the import/export field, Kevin founded Health Tech Export Associates in 2004. He grew his business into a successful enterprise, connecting US and European human and veterinary health product companies with interested customers in Japan. Most importantly, Kevin was a beloved and devoted father, husband, son, brother, neighbor, and friend who touched many lives. Kevin is survived by his children, Isla, Aidan, and Carlin Stewart, and his wife, Maria (Baute) Stewart, of Hopkinton, MA, his parents, Richard and Dorothy Stewart of Escondido, CA, his sister, Paula (Stewart) Brust and her husband Kirk of Escondido, CA, and six nieces and nephews.

 Visitation will be held on Wednesday, October 5, 2011, from 4-8 p.m. at the Chesmore Funeral Home(www.ChesmoreFuneralHome.com) of Holliston, 854 Washington Street.

  A funeral service will take place on Thursday, October 6, 2011, at 10 a.m., at the First Congregational Church of Holliston, 725 Washington St. Burial will follow in Lake Grove Cemetery in Holliston. In lieu of flowers, donations may be made in memory of R. Kevin Stewart to either Caring Bridge at: www.caringbridge.org or to the National Brain Tumor Society at: www.braintumor.org

Published in The Boston Globe on October 3, 2011~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 Kevin は、私の海外ネットワーク構築の大恩人であり、未だにこの事実を受け入れることが出来ません。

 10/1(土)の夜11時頃、ケビンは最期を妻・Maria(マリア)さんに看取られながらホスピスで永眠されました。まだあまりにも若く、また奥様と12歳、10歳の双子のお子様たちを遺して逝かなければならないのは断腸の思いであったのではと、心が痛みます。マリアさんは、最期は”peaceful”であったとおっしゃっているそうです。最期の2ヶ月間ほどは、マリアさんは自宅から仕事をし、彼の看病、子供たちのことと、休む時間もなく献身的にされていて、木曜日の葬儀と弔問客への対応が終わる頃には、身も心も疲れ果てられるのではと心配しています。

 10日程まえに、ホスピス「Rose Monahan Hospice Home」に移られて、Kevinのホスピスのサイト(http://www.vnacarenetwork.org/services/hospice/rose)から、私のアメリカの友人が下記の妻・Mariaさんの記事を見つけてくれていました。末期を迎えている彼の状況と家族の優しさが伝わってきます。つらい記事ですが、彼の回復を祈っていた矢先でした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 はじまり

 Kevin apdate Hi, all:

Just a quick note to, once again, THANK YOU for all of the love and support
you channel to us through this website.  Although Kevin was on hospice at
home, the move to the hospice house was really better for him and for our
family.  I think, in my head, I know this, but in my heart, the idea of him
leaving our home and not coming back has been very difficult and I’ve
questioned the decision so much.

Today, after a Kevin had a very restless night, we made the journey to the
Rose Monahan hospice home in Worcester, MA.  He tolerated the ambulance ride
well, and in fact, although he slept through it, he held my hand the entire
trip.  I was his wife again!

When we got here, the people who work in this place made him comfortable and
got him (and me) settled in a room with a gorgeous view of Coe’s Pond with
authority, kindness, and compassion.  I have had a more peaceful day with
him here than we’ve had in several weeks.  I know now that I made the right
decision, and that when the kids see him here, they, too, will be at peace.

He is able to have visitors from 9 am - 8 pm and to receive mail, so the
address is:

Kevin Stewart
c/o Rose Monahan Hospice Home
10 Judith Road
Worcester, MA 01602-3213

If you would like to visit with Kevin, I would welcome it, as I know he
would. It would probably be best to let us get through the weekend first, so
that he can really get acclimated.  I would just ask that you call me first
so that I can give you a sense of how he’s doing.  My cell is 0000,
and I promise to try to be good about checking messages / returning calls.
 He may sleep through your visit, but I know he can hear you.  If you prefer
to send messages to him, know that I am reading him your CaringBridge posts.

I don’t typically get religious in these posts, but the love and support you
have given us has been God’s grace in practice, and our family will never,
ever forget it.

With love and thanks,

Maria
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

 葬儀には参列できませんが、少しでも私自身の気持を伝えたいと思っています。

 Kevin、あなたの温かい気持と優しい笑顔は一生忘れません、どうか安らかにお眠り下さい。