懐かしいDVDより!

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 医薬品卸売業の(株)秋山愛生舘の創業95周年パーティ、その様子を記録したDVDが見つかり、久しぶりに観てみると、懐かしいお顔が次から次へと。この秋山財団の最初の理事の方々もご出席、ご挨拶をされていました。1986年、今から34年も前になります、私は35歳、若かったな!

 主賓のご挨拶として、(株)北海道拓殖銀行元頭取の東条猛猪さん。

理事の東条猛猪さん

理事の東条猛猪さん

 同じく主賓のご挨拶、秋山財団の生みの親、名付け親の北海道大学元総長の伴義雄先生。

理事の伴義雄先生

理事の伴義雄先生

 同じく主賓のご挨拶、武田薬品工業(株)札幌支店長の高谷幹夫さん。

高谷幹夫支店長

高谷幹夫支店長

 乾杯のご発声は大成建設株式会社土肥支店長

大成建設株式会社札幌支店長の土肥さん

大成建設株式会社の土肥支店長

 会社関係者だけでなく、秋山財団の設立時に大変なご尽力を頂いた志摩理事、江口理事もご出席して頂いていました。

ご出席された志摩理事(左)と江口理事(右)

ご出席された志摩理事(左)と江口理事(右)

 会社からは、当時の秋山喜代社長、秋山宏副社長。

秋山喜代代表取締役社長

秋山喜代代表取締役社長(私の伯母)

秋山宏副社長(私の父)

秋山宏副社長(私の父)

 そして、35歳の私も末席に座っていました、まだまだ若僧でしたね!

 これらのDVDほか資料は、昨年10月に秋山財団内に創設した『愛生舘文庫』に保存されています、記録は大切ですね。

* 『愛生舘文庫』--> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%84%9B%E7%94%9F%E8%88%98%E6%96%87%E5%BA%AB

愛生舘の「こころ」 (21)

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 秋山財団の一室に開設した『愛生舘文庫(http://www.akiyama-foundation.org/news/3854.html』は、秋山財団25周年にその開設準備活動を始めましたが、7年を経て、この10月にスタートすることができました。これまでの経過については、以下の「愛生舘の『こころ』」シリーズに掲載してきました。

* 愛生舘の『こころ』シリーズーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%84%9B%E7%94%9F%E8%88%98%E3%81%AE%E3%80%8C%E3%81%93%E3%81%93%E3%82%8D%E3%80%8D

 北海道の皆さんには「秋山愛生舘」で馴染み深い会社ですが、実はその前には明治初頭から中期に始まった全国的健康増進の「愛生館」事業の存在があったのです。今回の「愛生館文庫」は、地場企業化以前のこの「愛生館」の創設の背景、関わったキーマン達に焦点を当てて、日本の近代における医学・薬学・公衆衛生等の黎明期を再確認する意味合いが主たる目的です。

11月27日北海道新聞朝刊に掲載!

11月27日北海道新聞朝刊に掲載!

 これまでの私のブログの記事の中に以下のような記載があります~~~~~~~~~~~~~ 引用

私の永年の友人からのメール―――明治維新は、厳密な意味ではフランスやロシヤみたいに迫害された民衆が自ら闘って自由を勝ち得た”革命”ではありませんでした。あくまでも政治の面で捉えれば、単に江戸幕府衰退と共に雄藩が政権を握ったに過ぎません。

 開拓期、そうした薩長土肥の藩閥政府が横行する初期、民衆に医療・公衆衛生を持ち込んだ松本良順や高松保郎の思想の源流、その彼らを中心とする「愛生舘事業」の実践は、ある意味では、すなわち必ずしも新時代の変革は「政治」の舞台だけではないという意味で、後年、藩閥に反発して立ち上がる自由民権運動よりも更に先んじた自由平等主義の実践者たちであったろうと思われるのです。老若男女が心身共に病むこの21世紀の日本が失った、取り戻さなけれなばならないエスプリが、愛生舘のルーツに秘められている気がしてなりません。それは蘭学が内包する”博愛”とか”弱者救済”精神に基づいた学問・技術・文化などが、質実的な面で明治時代の民衆を支えたと言えます。政治の暗闇に光を当てたのではないでしょうか。近代への道は決して政治力だけではなかったはずです。

 黒船来航に伴い幕府が設立した長崎伝習所、勝海舟や松本良順はじめ、幕末のインテリが学んだ”蘭学”に内包する哲学は、タオ財団のワグナー氏の言葉「それぞれ民族の違いの主張ではなく、いかなる共通点を探し求めるか」とする、作品「哲学の庭」に通ずるテーマと言えるでしょう。貴兄の言葉通り「いのち」とは平和そのもの、世界共通語であります故、「人類愛」を意味するキーワードでもあります。

(注)タオ財団http://wagnernandor.com/indexj.htm ――――メールおわり

衛生書「通俗民間療法」(左)、大鏡(右:高さ1.5m)

 全国的な愛生舘事業の中で、特に北海道支部のミッションは、北海道開拓を担う屯田兵の後方支援、及び全国から入植してきた開拓移民の健康維持・向上でした。1891(明治24)年、東京神田の館主・高松保郎亡き後は、北海道支部長だった初代秋山康之進が自らの名前を掲げて自立し、「秋山愛生舘」となりました。愛生舘事業の理念は、自社販売していた「通俗民間治療法」の中に明確に示されています。「山間僻地までの医薬品供給、医師の診療を受けられない病人の救済、貧者・弱者への施薬、すなわち、利益追求ではなく、あくまでも民間の衛生・治療の便益を図る事を最優先にする」、それが事業の目的であると書かれています。この理念を継承し地場企業として、秋山愛生舘は北海道の地を基盤に、第二次世界大戦後1948(昭和23)年には株式会社として法人化し、私は1991(平成3年)6月に第五代目社長に就任し、1992(平成4)年には札幌証券取引所上場、1997(平成9)年に東京証券取引所市場第二部上場となりました。その後、(株)スズケンhttp://www.suzuken.co.jp/ と資本・業務提携を経て合併し、北海道は「愛生舘営業部」として、今も活動しています。

 私は2002(平成14)年11月に(株)スズケン代表取締役副社長を退任しました。その後、故郷札幌に戻り、これまでの(株)秋山愛生舘の108年の活動を振り返り、持続する企業として3本の論文にまとめました。

「地域企業の持続的経営の分析」http://ci.nii.ac.jp/naid/110004813846以下、「地域企業の進化の分析」http://ci.nii.ac.jp/naid/110004813848/、「持続的経営論」http://ci.nii.ac.jp/naid/110006392571/と続きます。

 一方、(株)秋山愛生舘の100周年事業の一環として、それに先立つ1987(昭和62)年1月に「(財)秋山記念生命科学振興財団」を設立しました。http://www.akiyama-foundation.org/ 「地域社会への貢献」という理念の実現は、医薬品販売の事業から更に発展して、愛生舘事業の理念を根幹に、財団の助成・育成事業として継承・進化しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用おわり

 そして、今月、オープン後の初めての企画として、「連続講座~愛生館文庫の集い~」をスタートして、記念すべき第一回として新祐一さんをお招きしてのミニフォーラムでした。(株)秋山愛生舘の社内報『愛輪』の創刊号から最終号まで、全てを保管してこの愛生館文庫に寄託して頂き、さらにご自身の書き下ろしの会社人生の著書も。

スズケンの幹部たち

スズケンの幹部たち

 秋山財団1階の『愛生舘文庫』でご講演の後は、2階でさらにその続きのフォローアップ懇談会、参加の皆さんは懐かしい思い出話と当時の一生懸命だった自分自身を振り返り、何とも感動のひと時でした。これから、数か月毎に連続して講師を招いての開催を決めて、取り急ぎ次回は2月開催となりました。

 これからが楽しみです!

秋山財団講演会・贈呈式 2019(下)

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 受領者からのメッセージ・講演会に引き続き、贈呈式を行いました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=36642

 今年、これまで33年間の助成総額が、大台の10億円を越えました。継続は力なり、と新たな地平での活動が始まるような気がしています。ここまでご支援頂いた多くの皆さまに感謝したいです。

* 今年度の受賞・受領者――> http://www.akiyama-foundation.org/news/3646.html

 冒頭の私の挨拶は以下の通りです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2019.9.5秋山財団贈呈式:秋山孝二理事長 挨拶 骨子

御礼

ご来賓、助成受領者、(株)スズケン、ほか関係者の皆さま

はじめに

昨年の台風・地震

翌日予定の櫻田先生と若手研究者ワークショップ:1218日再設定し終了

報告

事業実績

–今年度件数504,139万円

–これまでの総件数 1,435件  総額 102,372万円 (大台突破!)

研究助成の「一般」採択率向上 予算増額――>結果は14%が18%へ

『愛生舘文庫』の開設 令和元年101日オープン、7年の準備の歳月 秋山喜代の遺言

基本財産の財団建物:

–23年ぶりリノベーション工事 壁紙・空調・照明等

–BCPの一環: 屋上に太陽光パネル40枚、 自立発電体制

*** 32年間積み立ててきた資金(修繕積立金)の6割を投入

これにより、「事業」、「基本財産・資金の運用」、「設備・建物」、全てでSDGs」時代体制に

今後の課題

アウトリーチ活動の推進

ーー受領者・団体の方のアウトリーチ活動支援

–コラボによる場の確保

「地域」で民間が担う公共を愚直に持続

テーマの設定 「地域」 (例) 地域防災、再生可能エネルギー、食・農

 公益法人改革から10年を経た今、グローバルには、「パリ協定」、「SDGs」、「ESG投資」、国内では、「地域循環共生圏」といった概念が拡がりを見せ、循環型社会における「地域(コミュニティ)」の機能が急速に重要視されています。私達は、「地域において民が担う公共」活動の主体者として、「修正と改革の連鎖」を実現する「SDGs」ほか新しいグローバルなツールを手に入れました。

 人々が暮らす「地域」は、まさに「生きる地球」の原点であり、地域同士でつながれる可能性を膨らませています。このような今、秋山財団関係者は更なる飛躍を目指して今後とも努力することをお誓い申し上げます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ あいさつ おわり

 いずれ、当日の贈呈式・交流会の様子は秋山財団HP(http://www.akiyama-foundation.org/)に掲載されますので、そちらをご覧下さい。昨年度は事務局二人、今年度は事務局一人体制で運営してきた秋山財団ですが、10月中旬には事務局員一人が新しく入ってくることが決まっています。また、数年以内には常務理事も置いて、今後設立50年に向けての体制づくりの基盤を創っていこうと思っています、私の次の理事長体制としてですね。新しい時代は新しい担い手たちに、です!

ケンユー会愛生舘支部 総会・懇親会 2019

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 今年も「ケンユー会」総会・懇親会が開催されました、出身者の皆さん約90名、相変わらず元気いっぱいでした。

* これまでの記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%A6%E3%83%BC%E4%BC%9A

今年も皆さん元気に 久保田会長

今年も皆さん元気に 久保田忠克愛生舘支部長

北尾会長

北尾浩ケンユー会会長

(株)スズケン本社から浅野茂副社長

(株)スズケン本社から浅野茂副社長

 浅野茂さんは今年4月から副社長にご就任され、スズケンの近況をコンパクトにご報告されました。直近決算では過去最高益ですし、他企業とのコラボも積極的に進めているようです。従来型の医薬品卸業との競合のみならず、国内・海外、さらに異業種との競合、協業、医薬品流通の世界も新しいパラダイムに入っているのを実感しました。

* パナソニックとの協業ーー> https://www.nikkei.com/nkd/disclosure/tdnr/bop7w6/

* セコムとの協業ーー> https://www.nikkei.com/nkd/disclosure/tdnr/bop7w5/

* 医薬品トレーサビリティシステムに関する特許取得ーー> https://www.nikkei.com/nkd/disclosure/tdnr/bop7v2/

 素晴らしい業績は市場も評価していて、株価は過去最高値を更新しています。時価総額も着実に上がっているし、新しい取り組みも先駆的で、これからの展開が楽しみですね、私も現役のスズケンの皆さんのご活躍の様子に感動しました。

* スズケンの直近決算報告ーー> https://www.nikkei.com/nkd/disclosure/tdnr/bmq6d3/

 和気あいあいの懇親会、途中で私からも秋山財団で今、最終段階に差し掛かっている「愛生舘文庫」について、出身者の方々にご紹介をさせて頂きました、「乞う、ご期待!」と。

* 愛生舘文庫ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%84%9B%E7%94%9F%E8%88%98%E3%81%AE%E3%80%8C%E3%81%93%E3%81%93%E3%82%8D%E3%80%8D

 今年のアトラクションは演歌のはかまだ雪絵(https://www.hakamadayukie.com/さん、ニューヨークのカーネギーホールで日本人初の民謡を唄われ、津軽五大民謡大会でも優勝されている実力派です、素晴らしい伸びのある歌声、心が洗われる思いでした。

素晴らしい歌声!

素晴らしい歌声!はかまだ雪絵さん

 最後は恒例の浜岸さんによる一本締めで終わりとなりました。

恒例の浜岸さんの締めのご挨拶

恒例の浜岸さんの締めのご挨拶

 今年も皆さんの元気な姿に、私もエネルギーをもらいました。

思わず、胸が熱くなる!

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 先日、この夏前にはオープン予定の「愛生舘文庫」開設準備のために秋山財団の倉庫を整理していると、今から18年前に私の娘がくれた詩とイラストが出てきました。これが何とも泣かせる内容、私はすっかり忘れていましたが、あらためて娘の優しい気持を再確認した思いで、人知れず涙が止まりませんでした。

娘の得意の家族イラスト!

娘の得意の家族イラスト!

泣かせるポエム!

泣かせるポエム!

 今は結婚して三児の母、仕事に子育てに毎日髪を振り乱して奮闘しています。仕事ばかりで留守が多かった私は、あまりよき父ではありませんでしたが、こんな素晴らしいプレゼントで、私自身、生きてきた証を見る思いです、有難いですね。

愛生舘の「こころ」 (20)

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 一昨年11月に掲載して以来、またしてもすっかりご無沙汰していたこのシリーズですが、「愛生舘文庫」プロジェクトも、いよいよ最終の仕上げに入ってきています。まずは、昨年6月に再度訪問した千葉県の佐倉と幕張の報告をさせて下さい。

* 愛生舘の「こころ」シリーズ http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%84%9B%E7%94%9F%E8%88%98%E3%81%AE%E3%80%8C%E3%81%93%E3%81%93%E3%82%8D%E3%80%8D

 今回は訪問時(2018年6月)の写真だけをご紹介します。詳細説明は次回に。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

①林住職との面談。秋山新八の過去帳を確認・写真収納により、入手・圓應寺と臼井城跡視察・写真撮影

②万福寺で芝田元達と交流の深かった久田豊安医師家系の墓碑を確認

・秋山家代々墓地での秋山新八家系の墓石を確認、写真撮影。新八氏の戒名は判読困難により、確認出来ず

③幕張町3丁目「秋山別荘跡地」を確認、写真撮影。

④実母の墓石(戒名等)確認出来ず

・当時、川村家宅地に隣接していた芝田宅跡地を確認、写真撮影。

芝田養民(宝蔵院)の過去帳確認

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

圓応寺

佐倉の圓応寺

秋山新八の菩提寺

秋山新八の菩提寺

ご住職と

ご住職と

再び佐倉

再び佐倉吉見

秋山家墓の墓誌を確認

秋山家墓の墓誌を確認

秋山家別荘跡地

幕張の秋山家別荘跡地

菩提寺

幕張武石の菩提寺

家紋の〇に平井筒

家紋の〇に平井筒

川村家のお墓

川村家のお墓

初代秋山康之進(芝田玄達)の実家

初代秋山康之進(芝田元達)の実家付近、川村家隣地

愛生舘の「こころ」 (19)

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 「愛生舘文庫」の創設に向けて、すでにスタートしてから5年が経過していますが、資料収集はほぼ終わりに近づいています。今回は、「秋山家」のルーツ、千葉県佐倉・吉見に辿り着きました。同じ千葉県幕張の芝田家から秋山に養子になった(初代)秋山康之進、私の曽祖父。母方のルーツは札幌の元町・高木家です。

 千葉県花見川の川口家訪問――>

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=26809

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=26812

秋山新八が住んでいた場所

秋山新八が住んでいた場所

かなり前から竹藪に

かなり前から竹藪に

秋山家の先祖のお墓

秋山家の先祖のお墓

本家・分家のお墓群:お寺の境内だった場

本家・分家のお墓群:お寺の境内だった場

四街道教育委員会の方(左)、秋山二郎さま(中央)、私

四街道教育委員会の方(左)、秋山二郎さま(中央)、私

バイパス建設で移設された神社には秋山家の名前が

バイパス建設で移設された神社には秋山家の名前が

 地域をぐるりと散策しながら、秋山二郎さんのお宅でさらに歴代の秋山の皆さんのお話を伺うことができました、貴重な時間でした。

秋山二郎さんのお宅で

秋山二郎さんのお宅で

愛生舘の「こころ」 (18)

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 今年は夏の終わりから今日まで超多忙な毎日が続き、愛生舘の「大鏡」の分解検証についてご報告をするのがすっかり遅れてしまいました。

 秋山財団30周年を記念して、数年前から「愛生舘文庫」創設の一環で歴史のひも解きを続けていますが、8月終わりに、以前から保管してある「愛生舘北海道支部長に送られた大鏡」を、100年の時代を経て分解し、年代の特定を試みました。

* 「愛生舘北海道支部長に送られた大鏡」――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1198

 まずは背板に残る貼り紙の一部を外側から再確認です、ほぼ、いつ頃の時刻表かは分かっています。

汽車の時刻表、年代特定の重要な資料

汽車の時刻表、年代特定の重要な資料

 「れきけん(http://nporekiken.com/)」の東田秀美さんに、ガラス店・職人の福田さんをご紹介して頂き、いよいよ分解を開始、ガラスを気遣いながら、慎重に背板の釘を一本一本抜いていきました。「れきけん」は、秋山財団のネットワーク形成事業助成で応援しています(http://www.akiyama-foundation.org/history/history_09)。

慎重に釘を抜いていく

慎重に釘を抜いて

 ガラスと背板の隙間に挟んであった新聞紙と思われていた紙は、実はポスターでした。新聞紙だといろいろ情報が読み取れると期待していたので少々残念でしたが、このポスターにも情報は満載で、「札幌松竹座」、「クラブ乳液」ほか、年代特定の大きな手掛かりの予感がしました。ただ、これはガラス製造時期、贈呈時期とは少し違い、送られた後に札幌で一度背板を外して入れられたものと推定できます。商品販売のプロモーションとして映画ご招待といった企画が当時から行われていた、また別の発見も面白かったですね。

ポスターには情報満載!

ポスターには情報満載!

 早速、製造メーカーを調べて検索し、このボトルとデザインから年代を特定できました。

製造メーカーに問い合わせて年代を特定!

製造メーカーに問い合わせて年代を特定!

 今回の一番の発見は、ガラス塗料の検証です。今現在、成分を分析して、この塗料が使用されていた年代を解き明かすことができると期待しています。鉛成分の毒性から、この分野での成分改良も現在まで随分進んでいるとのことも知りました。

初めて開陳された鏡の裏側

初めて開陳された鏡の裏側

 歴史は細部に宿る(?)、数回打ち直された鍵穴も見て取れます。間に挟まっていた先述の2枚の折りたたんだポスターも、贈られた以降に一度背板を外して安定させるために挿入されたものと推察できます。釘穴の後を検証すると、素人が打ち込んだようだと福田さんはおっしゃっていました。

複数回打ち直された釘穴の後

複数回打ち直された釘穴の後

鏡の塗料成分から年代を特定中!

鏡の塗料成分から年代を特定中!

 毎年夏に札幌に避暑で滞在されている片桐一男先生、愛生館文庫創設にお力を借りている山下秀子さんも、背板の細部の検証に集中していました。

背板の細部も検証しながら

背板の細部も検証しながら

 歴史の発掘は、まさに考古学と似た手法なのでしょうね、木製の鏡枠は時の経過を刻み、一つ一つの構成物からも時代時代の特徴を検証できる、本当にエキサイティングな時間でした。現在まだ財団事務所に分解したままに置いていますが、分析中の結果が分かり次第、また組み立てて永く大切に保管し、皆さまのお目にも触れるべく展示したいと思っています。

 永い眠りから息を吹き返した大鏡、本当に愛おしく思えた瞬間でした。

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愛生舘社宝「鏡」の解体調査状況について

解体年月日:平成28817

(秋山理事長、解体者福田ガラス店社長、片桐一男先生傍観、山下)

①裏板の調査について

●列車時刻表の年月日の調査

明治4232日第三種郵便物認可と書かれていることが判明。(但し、何枚かの紙が重なって貼られているため、鏡が出来た時期はそれより早と推定される)

②鏡と板の間から見つかったポスターについて

●札幌松竹座=1925(大正14年南4西3)改称、2年後に火事1929に改築、前身は大黒座として1897に開業)

●ポスターのホルモン含有クラブ乳液(旧中山太陽堂発売)

19311935/昭和6~10年以降に松竹座の広告媒体となったものである)

③愛生舘社宝「鏡」の製造年の特定

●松本順の栄典事項により明治26年から38年(正四位勲二等)に作られたものである。製造年の特定は、調査継続中。

④鏡(8mm)の裏止め塗装・レンガ色の種類の特定

文字を鏡の中に入れる製法について

●④並びに⑤は調査中

(参考)研きガラス(8mm)→鏡に加工(特注)したと考えられる(福田ガラス店社長)

・通常の規格寸法は36インチ×24インチである。

・愛生舘鏡の基板寸法=100インチ(2410mm)×75インチ(1905mm)

11月末を目処に調査を終了する予定

(平成28107日現在 山下)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

愛生舘の「こころ」 (16)

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 午後は、千葉市花見川区柏井の川口家(旧家)を訪問し、川口久子さまへのご挨拶と愛生舘事業関連のお話を伺いに参りました。当時のことを知る川口新之丞の娘さんの次男・川口和夫氏の妻・川口久子さまと、同居のご長男で新之丞の曾孫にあたる川口貴雄さまとお話をし、いろいろ新しい事実を知ることができました。

川口家の正面の門

川口家の正面の門

門横の敷地内には鳥居・神社も

門横の敷地内には鳥居・神社も

広大な敷地に母屋も重厚

広大な敷地に母屋も重厚

川口久子さま(右)とご子息の川口  さま(左)

川口久子さま(右)とご子息の川口貴雄さま(左)

川口

川口新之丞さま、42歳でご逝去

部屋の中には揮毫ほか歴史的作品がたくさん

部屋の中には揮毫ほか歴史的作品がたくさん:正面上は勝海舟の書

 川口家の蔵に保管されていた貴重な資料は、千葉市郷土博物館に寄託され、大切に保管されています。こちらでは、久子さまから、川口家のリアルなお話の数々を聴くことができました。家を継ぐことの難しさと価値みたいなものを、あらためて感じましたね。

 明治の初期、「くすり」に対する信頼がまだ社会的にない時代、松本順の処方による「お墨付き」三十六方製剤の販売会社「愛生舘」を立ち上げた高松保郎、それを財政的に支えた川口新之丞、その新之丞の下で支部創設の実務に携わった初代秋山康之進、やがて出資者と創業者との間に不信感が募り、「愛生舘」事業自体はほんの数年で終わりを迎えますが、すでに営業を始めていた北海道支部では、支部が自立して「秋山愛生舘」として、開拓時代の北海道民の健康を後方から支援するために、新之丞の熱い協力を得て、営業活動と商品供給を続けました。全国展開の夢はそのスタートからつまずきましたが、北海道で暖簾を守り、信頼を得た企業活動は100年以上続き、1997年、広域医薬品卸「スズケン」と合併して、明治の創業時の全国展開を果たし、その夢を実現するに至りました。

 古きを知り、私なりの何かストーリーの完結を見た清々しさを感じた一日でした。これからいよいよ、秋山財団30周年記念事業として「愛生舘文庫」の創設に向かいます!

愛生舘の「こころ」 (15)

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 初代秋山康之進と千葉の川口家との関係は、これまで一枚の領収証で繋がれているだけでした。この度、時間を作って千葉市亥鼻(いのはな)にある千葉市郷土博物館と川口家を訪問し、調査をして参りました。

まずは、千葉市立郷土博物館(http://www.city.chiba.jp/kyoiku/shogaigakushu/bunkazai/kyodo/kyodo_top.html)です。

復元したお城の中に郷土博物館

復元したお城の中に郷土博物館

 今回の訪問の目的は、秋山財団30周年の記念事業として、秋山記念財団内に「愛生舘文庫」創設の準備を進めている中、初代秋山康之進、松本順、川口家(雷鳴堂社長)川口新之丞との関連で、愛生舘事業に関する残遺資料の有無の確認・閲覧でした。

 川口家から数年前に、約15,000点の資料がこの郷土博物館に寄託されていると聞いていましたので、事前に知りたい範囲の情報をお伝えして、係の学芸員・土屋雅人さんにお願いして用意をして頂いていました。当日は段ボール10箱位ありましたでしょうか、綺麗に番号付き袋に整理された資料から、一点一点開封して記録をさせて頂きました。数々の貴重な新たなものがありましたが、その中から三点だけご紹介致します。

 初代秋山康之進の実父・芝田玄達は、川口家川口理右エ門さんの主治医でした。まずは、その診断書を数点見つけました、日付は「明治十壱年」とあります。多少虫食いの紙ですが、鮮明な文字の臨場感は素晴らしいです。

初代秋山康之進の実父・芝田玄達と川口理エ門さんとの関係

初代秋山康之進の実父・芝田玄達と川口理右エ門さんとの関係

 二つ目は、初代秋山康之進の印鑑証明と思われるもの。

初代秋山康之進の印鑑証明書

初代秋山康之進の印鑑証明書

 更には、初代秋山康之進が川口新之丞さん宛に出した書簡の封筒です、直筆の名前と折り方に注目です。

初代秋山康之進の直筆封書

初代秋山康之進の直筆封書

 今回、郷土歴史研究家・中澤惠子先生と学芸員・土屋雅人さんには、長時間本当にお世話になりました。何か歴史の扉が大きく開き、光が差し込んできた感動を覚えました。

郷土歴史研究家・中澤惠子先生と学芸員・土屋雅人さん

郷土歴史研究家・中澤惠子先生と学芸員・土屋雅人さん

 現在、世界の博物館では、資料のディジタル化が進み、インターネットによる検索機能で、全世界の博物館がネットワーク化される日も遠くないようです。今回の私たちの調査により、私たちがリクエストした資料もデジタル情報で保管されるようですので、また一段、アーカイブスとしての価値も高まるのかと期待が膨らみます。一つ一つの資料を丹念に調べていく大変根気のいる活動ではありますが、私自身、先代からの遺言の未実現活動として、秋山財団30周年の節目に、何とか完成させたいと強く感じた次第です。

 余談ですが、この博物館の場所、はるか45年前に、私が千葉大学の入学式が執り行われた場所であり、本当に久しぶりの訪問でしたが、別の意味で感慨無量でした。さらに、学芸員の土屋さん、同じく大関さんは、ともに千葉大学の後輩とのこと、何か浅からぬ「縁」に感動しました。

 土屋さんに送って頂き、午後からは花見川区の川口家を訪問しました。

愛生舘の「こころ」 (14)

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 このブログのシリーズ「愛生舘の『こころ』」は、第13回を終えてしばらくお休みしていましたが、本当に久しぶりに再開致します。というのも、今年4月から始まる年度は、秋山財団設立30周年の節目の年になり、基本財産の出捐者・秋山喜代の遺志でまだ私が実現していない「愛生舘文庫」の創設に向けて、新たなスタートを切りました。

 これまでのシリーズ「愛生舘の『こころ』」はこちら――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%84%9B%E7%94%9F%E8%88%98%E3%81%AE%E3%80%8C%E3%81%93%E3%81%93%E3%82%8D%E3%80%8D

  この4年間、私は、秋山喜代の最後の住まいで、今は秋山財団事務所になっている建物倉庫の整理と、「愛生舘」にまつわる資料の収集・整理を空いた時間を見つけては行ってきたつもりです。なかなか進展していなかったのですが、昨年、助っ人を得て、資料収集も最後の局面を迎えつつあります。

 先日は、これまでも「古文書講座」等でお世話になっている青山学院大学名誉教授・片桐一男先生とご一緒に、松本順先生のご親族・松本和彦先生を訪問して参りました。貴重な資料をお借りできたので、さらに資料整理と分析・解読を進めていきます。

* 古文書講座 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%8F%A4%E6%96%87%E6%9B%B8%E8%AC%9B%E5%BA%A7

松本和彦先生(左)、片桐一男先生(右)

松本和彦先生(左)、片桐一男先生(右)

 貴重な品いくつかも拝見しました、刻まれた文字に価値があります。

蘭畴は松本順先生

蘭畴は松本順先生

 松本順先生のご業績と愛生舘との繋がり、そして秋山財団がなぜ「愛生舘文庫」なのか、以前のブログから引用します。

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 片桐先生は冒頭、「世界の中で新しい国家建設が迫られている時期、必要とされていたのは『海軍力』で、それも緊急性を帯びていた。日本が独立国家として成り立っていく思想・技術、そしてそれを担う人材、すなわち『体力』をつける目的で長崎海軍伝習があった」、とおっしゃいました。そもそも蘭学が江戸時代に静かに研究されていたのは、北方ロシアの東方進攻・南下の脅威に対してその対抗的思想・哲学の必要性からと、先生から伺ったことがありました。

 以前にも書きましたが(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1096)、その第二次海軍伝習(実質的な「医学伝習」)で松本順は中心的役割を担いました。ポンぺからのオランダ語を介した伝習を、集まった全国各藩の弟子たちに伝えることで、それ以降の近代医学・医療の基礎を築きました。

 松本順の功績のまとめとして 1) 持って生まれた資質を生涯を掛けて伸ばし続けた:ポンぺの伝習から総合的技術を取得、実践――野戦病院・衛生思想等

2) 人との出会い、ポイント3人:松本良甫(ポンぺからの伝習)、山県有朋(陸軍病院等の基準策定)、高松保郎(愛生舘事業)

3) 彼のしなかったこと:オランダに留学等で行かなかった、制度が出来るとバトンタッチ・チャンスの移譲

4) 彼の目指したこと:庶民への眼差し「愛生済民」――愛生舘三十六方、衛生思想の徹底、アジア・世界の体力向上

5) 彼の日常生活――身の回りをいつも「楽」にしておくこと

 最後のまとめで、片桐先生は、「松本順の活きた人間像が把握されていない、激動の歴史の中で埋もれていた原因は、激変する維新から明治時代では文字を通してのメッセージの伝達が難しかったのではないか、それは庶民の教育レベルが江戸時代よりもむしろ劣化していたことを意味している」、と看破されていました。

 牛乳の効用、海水浴の普及等、今では常識になっている健康増進・普及に関して最初の井戸を掘った人物、それが「初代陸軍軍医総監」等の評価以上の歴史的意味を、彼の人生から読み取ることが出来るのでしょう。

 翌日、私の手元に「松本順と北海道」という3部にわたる小論文を届けて頂いた札幌在住の医師・宮下舜一先生とお話をしました。講演会にもご出席頂き、先生の論文には、何と明治24年6月に、松本順が北海道(函館・小樽・札幌)に20日間程度来ている記録が、小樽では道内に在住していた弟子たちと一緒に撮影した記念写真まで掲載されていました。

 (株)秋山愛生舘が「愛生舘北海道支部」から独立したのが明治24年11月ですので、この時にどこかで初代秋山康之進と再会していた可能性は大変高いと思いました。引き続き調査・研究の必要がありますね、また一つ目の前に解き明かす課題が見つかりました。

 今回、私は片桐先生に敢えて「秋山愛生舘」ではなく、「愛生舘」についてお話をして頂きたいと事前にお願いを致しました。講演会に参加された道内の「シンパ」の方々には、「愛生舘事業をしっかり今の時代にも受け継いできたのは、唯一この北海道の地ではないか、どうしてもっとそれに言及しないのか!」と叱られそうですが、21世紀の今、広い意味で「愛生舘事業のこころざし:愛生済民」の原点回帰を、秋山財団的には記念すべき25周年を機に目指す、そう是非ご理解を頂きたいと思います。

 この講演会をキックオフとして、今後「愛生文庫」を軸とした資料室の創設も企画する予定です。ご関心のある方の率直なご意見もお待ちしています。 ~~~~~~~~~~~~~~ 引用おわり

 宣言をしてから4年以上経ってしまいましたが、今年・来年中には必ず創設しますので、乞うご期待!です。