ごみステーション当番 2024

Posted by 秋山孝二
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 今年は年明け1月、私の住宅地域の町内会「ごみステーション」の当番が回ってきています。当番数の関係で毎年一か月ずつの当番月がずれるシステム、今回は真冬となり、ごみ箱自体の整理清掃よりも周辺の雪かきは覚悟をしていました。

 年末は雪が少なかった札幌で、このまま新しい年も過ぎてくれればと思ってはいましたが、そうはいかず、年始早々から本日までドカ雪、湿った雪、粉雪の毎日、深夜から早朝、日中と一日数回雪かきにステーションまで、ごみではなくプラスティックのスコップを持って奮闘しています。歩道、車道は除雪機・ブルトーザーが雪をはねていくのですが、ごみステーションのごみ箱周辺は逆に雪やまができてたりして、ごみ収集車の通路も開けたりでなかなか大変です。ただ、この地域ではそれぞれお住まいの方々が素晴らしく、ごみ出しのマナーは言うの及ばず、私が早朝に行くと既にどなたかが少し雪かきをやった形跡がしばしば。今朝も朝6時前に行くと、いつものご近所の男性が歩道の雪かき作業、朝のご挨拶ほか「当番大変ですね!とのお言葉もあり、私も「大当たりです!!」と笑いながら応えたり、朝からのやり取りに心が温まります。

 一方、私が生まれて18歳まで育った街なかでは、昔から住んでいる人は誰もおらず、今では大小テナントビル等が林立する地区になり、町内会会員の減少に歯止めが掛からず、単一町内会・連合町内会活動の継続に困難をきたしている現実があります。町内の三吉神社さんの年番、北海道神宮の年番等のお役目は、どこの街なかの町内会も苦労しているのです。何と言ったらいいのか、「地域活動の活性化」とか、まちづくりではよく聞く言葉ですが、過疎のちいきだけでなく都会の中でもビルのテナントさんにとっては、地域への貢献といった言葉はもう死語になったのかもしれませんね。

* 三吉神社の例祭関連記事ーー> 秋山孝二の部屋 (akiyama-foundation.org)

 比較的古くからの住宅地では高齢化、空き家問題が深刻になり、街なかでは町内会活動の担い手となる会員自体の減少だったり、それぞれ時代の変遷とともに地域の課題解決が迫られている気がします。

三吉神社 例大祭 2023

Posted by 秋山孝二
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 今年の三吉神社例大祭は、4年ぶりにフルで再開し、大勢の方々が神社境内に集まりました。

* これまでの関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E4%B8%89%E5%90%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE

久しぶりに賑わう境内

久しぶりに賑わう境内

 宵宮祭の翌日、例大祭を経ていよいよ神輿渡御の出発式、こちらも久しぶりの賑わいです。

 境内ではライブコンサートも復活、倉橋ルイ子さんほかで大盛況、写真は関係者から拝借です!

3年ぶり、三吉神社例大祭!

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 札幌市中央区南一条西8丁目にある『三吉(みよし)神社(https://miyoshi-sapporo.or.jp/』の例大祭が、宵宮祭・境内での催しを含めて3年ぶりに催行されました。

* これまでの関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E4%B8%89%E5%90%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE

宵宮祭準備

宵宮祭準備

 神殿での例大祭控室でもソーシャルディスタンシング、参列者も限定です。

 一般の参加者はコロナ禍で密を避けるために限定されていましたが、例大祭ごの神輿渡御は今年は実施されて、出発準備にも力がこもっていました。

渡御準備

渡御準備

 いよいよ出発です。

 佐藤宮司も人力車に搭乗して同行!

今年は天気にも恵まれて!

今年は天気にも恵まれて!

 毎年恒例ではあった三吉神社のお祭り、3年ぶりの開催となると一層新鮮な今年の本府祭典区年番の渡御となりました。何事もなく続いている時は「恒例」でしたが、コロナ禍で開催がままならないとあらためて地域に密着したお祭りは、まさに不要不急ではなくインフラとしてこの地に暮らす人々の風物詩ですね。

三吉神社 例大祭 2019

Posted by 秋山孝二
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 今年も札幌市中央区の三吉神社例大祭の季節です。昨年6月から、私はこの神社の責任役員の一人に就任したので、宵宮祭、翌日の例大祭では最前列の指定席となり、普段は何もお力になれないのですが、何か一段と責任が重くなったような気がしています。ちなみに宮司の佐藤千昭さんは私と高校同期、同窓会幹事当番期では、私が実行委員長、彼が事務局長で1年間の同窓会行事を取り仕切りました。幼い時から身近だったこの神社のお祭り、今も近所はもちろん、本府連合町内会ほか札幌のマチ中のお祭りとして大盛況です。地域の歴史として神社の存在は大きいですね。

* これまでの関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E4%B8%89%E5%90%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE

変わらぬ三吉神社

変わらぬ三吉神社

宵宮もにぎわい

宵宮もにぎわい

 翌日は朝から例大祭に続いての神輿渡御、街中を一日練り歩きます。

例大祭、神輿渡御の前、神社境内で

例大祭、神輿渡御の前、神社境内で

いよいよ出発

いよいよ出発

 私の生まれ育った札幌市中央区南一条西5丁目、現在の愛生舘ビルにある「愛生神社」の例祭でも、いつも佐藤宮司に祝詞を挙げて頂いています。

* 愛生神社関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=28217

東京 新橋界隈ビルの屋上で

Posted by 秋山孝二
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 先日、東京・新橋で訪問したビルの受付ロビーから何気なく向いのビルを眺めていると、何とも懐かしい屋上の神社が目に入りました。懐かしい光景だとは思いませんか。

屋上の一角に真っ赤な鳥居と囲い!

屋上の一角に真っ赤な鳥居と囲い!

 さらにクローズアップするとやはり小さな神社でした。

参拝する人もなく・・・

参拝する人もなく・・・

 今では参拝する人の影ではなく、スマホで電話中か煙草を吸いに屋上に上がってきたサラリーマン達の姿ではありましたが。

 私の育った札幌市中央区南1条西5丁目でも、昭和30年代に新築したビルの屋上に「愛生神社」の小さな社が設置されていました。毎年11月に「愛生神社例大祭(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=28217」という小さな(?)祭事を、近所の三吉神社さんの宮司さんにお越し頂き執り行っていました。今は、風雪で傷んだので、ビル管理室に神棚として移設して祀っています。ビル街になっても信じる昔のオーナーたちの心情なのでしょうか。因みに、余計なことですが、今の札幌三吉神社の佐藤千昭宮司は、私と高校同期です。三吉神社の例大祭は毎年5月14日・15日、同じ連合町内会として前夜祭ほか参列していますし、町なかの神社境内は多くの人々で賑わいます。

* 三吉神社――> http://www.hokkaidojinjacho.jp/data/01/01002.html

* 三吉神社例大祭

――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4159

――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8622

「愛生神社 例祭」、そして冬へ

Posted by 秋山孝二
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 札幌市中央区南1条西5丁目にあるテナントビル「愛生舘ビル(http://aiseikan.net/」は、明治時代から昭和42年まで(株)秋山愛生舘の本社でした。

これまでの「愛生舘ビル」関連記事

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=27586

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=27588

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=16586

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所在地: 〒060-0061 札幌市中央区南一条西五丁目8番地(南一条電車通り沿い南側)

アクセス: 地下鉄「大通駅」1番出口徒歩2分

構造: 鉄筋鉄骨コンクリート造り地上7階地下1階

延床面積: 4,713.20平方メートル

建築誌:

第一期工事 1955(昭和30)年11月 南側敷地に地下1階地上3階

第二期工事 1961・1962(昭和36・37)年 北側敷地に地下1階地上5階

第三期工事 1981(昭和56)年9月 地上7階に増築

設計・監理: 三菱地所株式会社  施行: 大成建設株式会社

所有者: 秋山不動産有限会社

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 新築以来、このビルの屋上には「愛生神社」神殿が設置されていましたが、永年の風雪で木造建屋が老朽化し、現在はコンパクトな形で4階ビル管理室に移設されています。本社時代は毎年11月3日に、秋山愛生舘創立記念日と同時に例祭を開催していました。現在も例祭は毎年11月3日前後に、南1条西8丁目の三吉神社(https://retrip.jp/articles/56824/)・佐藤千昭宮司により執り行われていますが、今年は少し遅れて先日、無事終了しました。愛生神社は、下記の三神様を祀っています。

一、倉稲御魂大神(ウカノミタマノオオカミ)…穀物・農耕・商工業の神様(http://www.kaiunnoyashiro.com/jinja-link/0-ukanomitamanokami.htm

一、大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)…出雲大社の祭神・開拓の神様(https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E5%9B%BD%E4%B8%BB%E7%A5%9E-674555

一、少彦名大神(スクナヒコナノオオカミ)…出雲大社の祭神・薬の神様(http://japangod.dip.jp/%E5%B0%91%E5%BD%A6%E5%90%8D%E5%91%BD.html

今は愛生舘ビル4階管理室に

今は愛生舘ビル4階管理室に

 この機会に、この界隈について少々振り返ってみましょうか、愛生舘ビルHPから引用です:~~~~~~~~~~~~~

 アイヌの人たちが住んでいた蝦夷(えぞ)地は、明治2(1869)年に「北海道」と改称され、開拓使が置かれて、「札幌本府」の建設が始まったのが札幌の誕生の第一歩です。このときの判官・島義勇(しまよしたけ)は、円山の丘からはるか東方を見渡し、街づくりの構想を練ったといわれています。

 その後、明治8(1875)年、最初の屯田兵が入植し、先人たちは遠大な札幌建設計画に基づいて、鉄道を敷き、産業を興して、現在の原形となる市街地が形成されて、道都・札幌を築きました。大正11(1922)年の市制施行により「札幌区」が「札幌市」となり、近隣町村との度重なる合併・編入によって市域・人口が急速に拡大し、昭和45(1970)年には人口が100万人を突破、2年後の昭和47(1972)年に政令指定都市へ移行しています。同年の札幌冬季オリンピックの開催を機に、地下鉄などの新たな都市インフラの整備が進むなど飛躍的に成長を遂げ、人口190万人を有する大都市へと発展しました。

 このように急速な発展をしてきた札幌市ですが、人々の価値観やライフスタイルが多様化し、これまで増加の一途をたどってきた人口が平成27(2015)年をピークに初めて減少に転じることが見込まれる中で、従来の「量的な成長」から「質的な成長」をより重視する時期を迎えています。

 愛生舘ビルは、札幌の歴史のまさに原点・「本府」に位置し、今もこのまちの町内会は、「本府連合町内会」として開拓当時の意志、「本府の心」を受け継いでいます。

 ここは、明治24(1891)年創業の医薬品卸業・株式会社秋山愛生舘の本社があった場所です。すでに120年を越えた歴史を刻み、この街の変遷をじっと見つめ続けてきました。愛生舘ビル周辺の南1条電車通り界隈は、昔は自転車、原付バイク、トラックが頻繁に出入りする、まさに商業の拠点でした。昭和30年代には、玉木塗料店、山田文具店、そして、昨年まで続いた中山商店ほか、大勢の人が暮らし、小売店が連なる商業の拠点、人が集うにぎやかな街並みでした。

 ここのキーワードは、「大通公園」、「狸小路」、「駅前通り」、「南門通り」、「ススキノ」、「4丁目交差点」、「三吉神社」、「北海道神宮・頓宮」、「雪まつり」、「市電」・・・・、それぞれに歴史・文化の香り高いものばかりです。

昭和30年代の南1条・大通界隈(西から東方面を望む)HPより

昭和30年代の南1条・大通界隈(西から東方面を望む)HPより、手前中央部が愛生舘ビル

 ~南1条電車通り界隈~

* 「南1条電車通り」は、大正7(1918)年、札幌の最初の市電3路線の一つで、多くの市民の足として、100年近く毎日走り続けています。

* 「大通公園」は、公園であり、通りであり、イベント会場にもなります。冬の「雪まつり」を始め、今では春・夏・秋・冬に多彩な行事があり、札幌市民の集う場所で賑わっています。

* 「狸小路市場(西6丁目)」は、この地域の日々の買い物をする馴染みの場でした。

* 「ススキノ」は今も変わらぬ大歓楽街、昔も今も大人の場所です。

* 「駅前通り」は、まさに札幌駅から中島公園に至る札幌の顔です。

* 「南門通り」は、道庁南門に通ずる道で、終戦直後、進駐軍が札幌に駐屯した時に、ススキノ方面から道庁まで、電車通りを渡って行進があったそうです。

* 「風物誌」としては、2月の雪まつり(大通公園)、5月の三吉神社例大祭、6月のさっぽろまつり(札幌神社例大祭)、8月の盆踊り(狸小路)等でしょうね。

 <市電の歴史>

大正 7年   初めて3路線(南1条線、停公線、南4条線)・5.3㎞でスタート

昭和 6年   山鼻西線開通で23.4キロメートルへ

昭和33年   国内初の路面ディーゼルカー運行開始、道産ボギー車運行開始、藻岩山ロープウェイ営業開始

昭和34年   婦人子供専用電車運行開始

昭和46年   <地下鉄南北線開通(北24条~真駒内間12.1Km、14駅)>

大幅路線廃止: 苗穂線、豊平線、西20丁目線、北5条線、鉄北線、電車完全ワンマン化になる

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

 「愛生神社」の例祭を終えると、札幌もいよいよ冬本番です。私にとっては生まれてから18歳まで暮らした場所、65年を経て周囲も変貌していますが、土地が放つメッセージは忘れたくないですね、まさに「SAPPOROっ子」としてのルーツですから。

「愛生舘サロン」、いよいよオープン !

Posted by 秋山孝二
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 「会員制・愛生舘サロン:https://www.facebook.com/groups/267478016651745/が5月7日からオープンします、場所は札幌市中央区南1条西5丁目8番地、愛生舘ビル(http://aiseikan.net/)6階です。

 この空間について、これまで多くの方々といろいろ検討を重ねてきました。新渡戸稲造先生ではありませんが、「学問より実行!」ですね、この場合の「より」は、英語の「than」ではなくて「from」です。

入口扉の控え目なサイン「愛生舘サロン」
入口扉の控え目なサイン「愛生舘サロン」
交流ロビー
交流ロビー
会議スペース:10人、18人程度は同時に、30人位まではフォーラム形式で
会議スペース:10人、18人程度は同時に、30人位まではフォーラム形式で

 人それぞれ、この「場」についていろいろな表現をされるでしょう、「会員制」としてこの「場」をこれから創造していく、「人のつながり」により価値を創り上げていく「担い手」、活動を引き受ける側に自分の身を置く方、言い換えると「ぶら下がるタイプでは無い方」を歓迎致します。会規約、申し込み等については、インターネットからよろしくお願いします。

 以下には、「愛生舘サロン」の趣意書を掲載します、意のある方、是非ご一緒に旅に出ましょう!~~~~~~~~

愛生舘サロン 設立趣意書

 アイヌの人たちが住んでいた蝦夷(えぞ)地は、明治21869)年に「北海道」と改称され、開拓使が置かれて、「札幌本府」の建設が始まったのが札幌の誕生の第一歩です。このときの判官、島義勇(しまよしたけ)は、円山の丘からはるか東方を見渡し、街づくりの構想を練ったといわれています。

 その後、明治81875)年、最初の屯田兵が入植し、先人たちは遠大な札幌建設計画に基づいて、鉄道を敷き、産業を興して、現在の原形となる市街地が形成されて、道都・札幌を築きました。大正111922)年の市制施行により「札幌区」が「札幌市」となり、近隣町村との度重なる合併・編入によって市域・人口が急速に拡大し、昭和451970)年には人口が100万人を突破、2年後の昭和471972)年に政令指定都市へ移行しています。同年の札幌冬季オリンピックの開催を機に、地下鉄などの新たな都市インフラの整備が進むなど飛躍な成長を遂げ、人口190万人を有する大都市へと発展しました。

 このように急速な発展をしてきた札幌市ですが、人々の価値観やライフスタイルが多様化し、これまで増加の一途をたどってきた人口が平成272015)年をピークに初めて減少に転じることが見込まれる中で、従来の「量的な成長」から「質的な成長」をより重視する時期を迎えています。

 愛生舘ビルは、札幌の歴史のまさに原点・「本府」に位置し、今もこのまちの町内会は、「本府連合町内会」として開拓当時の意志、「本府の心」を受け継いでいます。

 愛生舘ビルは、明治241891)年創業の医薬品卸業・株式会社秋山愛生舘の本社があった場所です。すでに120年を越えた歴史を刻み、この街の変遷をじっと見つめ続けてきました。愛生舘ビル周辺の南1条電車通り界隈は、昔は自転車、原付バイク、トラックが頻繁に出入りする、まさに商業の拠点でした。昭和30年代には、玉木塗料店、片山文房具店、そして、今も続く中山商店ほか、大勢の人が暮らし、小売店が連なる商業の拠点、人が集うにぎやかな街並みでした。

 ここのキーワードは、「大通公園」、「狸小路」、「駅前通り」、「南門通り」、「ススキノ」、「4丁目交差点」、「三吉神社」、「北海道神宮・頓宮」、「雪まつり」、「市電」・・・・、それぞれに歴史・文化の香り高いものばかりです。

 「愛生舘サロン」はここに集う人々の時間的、空間的な「つながり」を世代や立場を超えて共有する空間であり、場所の歴史が育んだ文化と経済を融和し、新しい価値観を創造して世界に向けて発信する拠点として賛同者を募り、ここに設立いたします。

平成24812

愛生舘サロン 設立準備会

発起人代表 秋山 孝二

発起人:秋山 基、岩井 尚人、柏尾 哲哉、 小出 友矢、 鈴木 善人

今年も、札幌三吉神社の例大祭

Posted by 秋山孝二
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 札幌市中央区南1条西8丁目の札幌三吉神社例大祭(http://north.ninpou.jp/miyoshi/miyoshi.htm)が、今年も開催されました。気温はやや低めでしたが、日曜日は天気にも恵まれて、祭祀の後、神社から札幌市内中心部を渡輿でした。

三吉神社境内で渡御準備

三吉神社境内で渡御準備

 6月の北海道神宮例大祭に先立ち、札幌のマチなかの風物詩で、すぐ近くで育った私も、幼い頃からの思い出がたくさんあります。そもそも札幌の三吉神社は、秋田県の「太平山三吉神社総本宮:http://www.miyoshi.or.jp/」の流れを継ぐ由緒ある神社です。HPには、「全国各地及びブラジル サンパウロの三吉神社並びに太平山講の総本宮」と紹介されていて、「霊峰太平山の山頂(標高1,171m)に奥宮、また秋田市広面赤沼に里宮が鎮座し、古来より≪勝利成功・事業繁栄≫ の守護神としてご崇敬を頂いております」と説明もあります。

 先日の例大祭には、秋田・総本宮の役員の方から新築改装のご報告、秋田の地元の方3名による三吉節(http://miyoshijinja.ftw.jp/rinnku.html)の奉納も披露されました。190万都市のど真ん中に、昔ながらの鎮守の杜があり、年一回のお祭りに多くの人が集う、これからも大切にしたいですね。今年は時間が無くゆっくり出来ませんでしたが、やかんで熱くなった日本酒が売れたでしょうね、一杯のお酒の量がそれぞれ大きく違うので、毎年楽しみ(?)です。

盛り上がる都心の三吉神社例大祭

Posted by 秋山孝二
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 長い歴史のある札幌都心・中央区南1条西8丁目、「三吉神社:http://nekonote.ath.cx/~sapporo/sapporo/002miyoshi.html」の例大祭が、14・15日と大盛況でした。今回は「本府連合町内会」が年番でしたが、私自身は他の用事で忙しくお役には立てませんでした。更に今年は、札幌市立大学の学生さんたちも境内のお店他お手伝いを頂いたようで、いつもにも増しての賑わいでした。

境内の舞台では、ライブ

境内の舞台では、ライブ

  最近は境内の舞台でライブ演奏も盛んで、幅広い年代の方々が本番開始のかなり前から座って待っていました。今年のように晴天ではなく、どしゃぶりの雨の年も、雪が降りそうな寒い年も、どこから集まってくるのだろうと思う程、次々と人が集まってくるから不思議ですね。都会の中の一空間、私の幼い頃と変わらない「お祭り」の風情に、透明な時間の経過を感じました。

 今の季節、いろいろな会合で「総会」が続きます。三吉神社の境内を後ろ髪を引かれながら後にして、道庁前庭を通っていくと、北側のさくらが満開でした。

道庁前庭のさくらが満開、八重桜はまだつぼみ

道庁前庭のさくらが満開、八重桜はまだつぼみ

  道議会前の八重ざくらはまだ蕾ですから、今年は例年より一週間以上はやはり遅いですね。日本全国的にはさくらのニュースはもう過ぎ去っているのでしょうが、北国・札幌ではまだまだこれからと言った状態です。先日東京のある会合で、「さくらと梅と桃の花が一緒に咲いていますよ」といった所、「それは便利で良いですね」とすかさず反応がありました。

 大通公園のさくらはすでに散っていて、これからはライラックでしょうか。札幌市内を歩いていて花に目がいくなど、昔では考えられませんでした。