千葉県館山の春 2014

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 これまで千葉県館山市については何回も書いてきました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E9%A4%A8%E5%B1%B1

 先日浜周辺を散策したら、太陽光パネルが新たに設置されていたり、変化を感じました。JFEグループ(http://www.jfe-holdings.co.jp/)の館山湊ソーラーパワー(http://release.nikkei.co.jp/attach_file/0341851_01.pdf」です、今年の1月から稼働したようですね。

館山市北条海岸近くの太陽光パネル群

館山市北条海岸近くの太陽光パネル群

 沈丁花も今が満開、通り抜ける道に素晴らしい香りです。

道沿いに可憐に咲く沈丁花

道沿いに可憐に咲く沈丁花

こちらも、「祝、世界遺産」?

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 先月、世界遺産登録になった富士山について、千葉県館山市のお店をご紹介しました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=17580)が、こちらは、東京からのお客さまのお土産でした。

「富士山限定焼」って何かよく分かりませんが・・・

「富士山限定焼」って何かよく分かりませんが・・・

四季折々、美しい富士山の姿

四季折々、美しい富士山の姿

 商魂たくましいというのか、「世界遺産」登録がすぐに「商品」になる、これ程分かりやすい事例はありませんね。

花火 & フラメンコ in 館山 2013

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 毎年8月8日には、千葉県館山市(http://www.city.tateyama.chiba.jp/)で「花火大会」が開催されています。昨年の様子も書き留めました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=14007)。特に、海面から扇型に広がる「水中花火」の連発は圧巻です。

 週末に同じく開催される「全国大学フラメンコ・フェスティバル(https://www.city.tateyama.chiba.jp/syougaigaku/page100043.html)」の前夜祭的なイベントも共催で、浜辺には特設舞台も登場して一層盛り上がっていました。

鏡ケ浦に水中花火!

鏡ケ浦に水中花火

学生フラメンコ大会前夜祭の舞台とコラボ全国大学フラメンコ・フェスティバル前夜祭の舞台とコラボ

どこの誰だか知らないけれど、思わずシャッター!

どこの誰だか知らないけれど、思わずシャッター!

沖には今年も「電飾・にほん丸」!

沖には今年も「電飾・にほん丸」!

「祝! 世界遺産登録」 from 館山

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 千葉県館山市の「モンフルニエ(http://tabelog.com/chiba/A1207/A120704/12005073/」は、本格的フランスパンのお店として有名ですが、今の話題は、「館山市鏡ケ浦からみる世界遺産・富士山」のパンです。一日20食限定のメロンパン、夕日時、ピンクに映える姿をパンに焼きあげていました!

千葉県館山市のフランスパン屋さん「」

千葉県館山市のフランスパン屋さん「モンフルニエ」

限定メロンパン 「夕焼けの富士山」

限定一日20食メロンパン 「世界遺産・富士山」

2012年、館山の夏

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 千葉県館山市について、これまで何回か書いてきました、季節によってその顔も多彩です。

<新春 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7143

<3月 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12243

<初夏 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8651

<お盆を過ぎて http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9689

 今年は、盛夏に恒例の「館山湾・花火大会」です、沖には「日本丸」も停泊中。

館山・北条海岸はたくさんの人、人、人

館山・北条海岸はたくさんの人、人、人

水中花火の迫力!

水中花火の迫力!

  今年は風もなく、花火にはもってこいの天候、恒例の水中花火と打ち上げ花火のコラボレーションが見事でした。集まる人も多過ぎず少な過ぎず、地方都市に定着した夏の風物詩ですね、若者たちが浴衣姿で浜通りに繰り出して歓声をあげて、賑やかで、健全に活きている地域を感じます。

翌日、鏡ヶ浦の海辺

翌日、鏡ヶ浦の海辺

  日中は、那古船形の西行寺(http://enjoy-history.boso.net/book.php?strID_Book=0501&strID_Page=002&strID_Section=03)にあるお墓のお参りです。

妻の両親、親戚のお墓参り

妻の両親、親戚のお墓参り

  東京都内から約2時間、手軽な避暑地・避寒地として、館山は、春にはトライアスロン競技大会、夏には全国大学フラメンコフェスティバル(http://www.city.tateyama.chiba.jp/syougaigaku/page100005.html)が開催され、全国から多くの人が集まります。

フラメンコ・フェスティバルも

全国大学フラメンコ・フェスティバルも

 比較的新しいイベントばかりではなく、1月の寒中水泳、今回のような花火大会、八幡神社例大祭等、地域が支える伝統的行事も継続して盛んです。食に関しても、海産物、お米、野菜等も豊富で、近くの安房鴨川、三芳村でも、若い斬新な食の担い手も多く住んでいて、情報発信も活発です。「マチ起し」を地道に続ける姿をそこに見て取れますね。

第9回 アースカフェ in 十勝

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 これまで、私も何回か参加している「アースカフェ:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%A7」、昨日は雨の中、十勝で開催されました(http://www.leaps.jp/?p=3340)。今回の企画は、児玉ヘルス商事(株)(http://www.boneace.com/)の児玉誠也社長のご尽力で実現しました、詳細はこちらにも(http://www.boneace.com/blog/?p=1818)。

 午前中・昼食は、「外山農場:http://www.toyama-nojo.net/」でした。540m四方の一区画を基本として、「循環型農業」の確立、輪作体系の一環として菜種栽培を開始、菜種油、菜種ハチミツ生産・販売に取り組まれています。

外山(左)、外山(右)

外山隆祥さん(左)、外山聖子さん(右)

  農場見学はもちろん素晴らしかったのですが、それ以上に、担い手・外山さんご家族の「哲学」、「信念」に感動しました。「フェイム新聞:http://www.toyama-nojo.net/about_us/fame-news-paper/index.htm」も歴史を刻んで、HPには、次のように紹介されています。

 ~~この新聞は家族や農場の様子を伝える「家族新聞」で、第1号は1992年に発行されました。タイトルの「フェイム新聞」は公募により東京都の小山七重さんの「おいしい農産物とのかかわりの中で、名声を博して欲しい」という願いを込めてつけられたものです。農業者の思いをそのまま伝えたい、そんな思いから手作りの新聞になっています。
 内容は、家族の紹介、産直農産物を使ったレシピ、農場の出来事、農業に対する思い。などによって構成されています。今年から年1回だった発行が2回に増え、農場の四季をよりタイムリーにお届けしています。「フェイム新聞」は外山農場の産地直送商品に同封している他、農場にて無料で配布しています。~~~~~

一面の菜種畑

一面の菜種畑で養蜂

 菜種畑で養蜂、倉庫内では遠心分離でハチミツを取り出すデモンストレーションも。今まで、私の妻の実家・千葉県館山市周辺で冬に見ていた菜の花とは少々趣を異にしていました。後でお聞きすると、種類がかなり違ったものだとのお話に、植物の奥深さを感じました。

 このハチミツを直接パンにつけて試食、これ以上ない贅沢な食べ方に、参加者一同、「感動」でした。

遠心分離で蜂蜜を採る

遠心分離で蜂蜜を採る

菜種から搾油(手前に)、残りカス(右)

菜種から搾油(手前に)、残りカス(右)

 

 午後は、「(株)エコERC(http://www.ecoerc.com/gaiyou/index.html)」の豊頃のプラント見学です。

 北海道産菜種を原料とする食用ナタネ油を製造するとともに、廃天ぷら油を用いて、バイオディーゼル燃料(BDF)も製造しています。食用油とBDFの両方を製造しているのは全国でもここだけ、2009年秋から本格稼働。日本は、現在0.4%の食用油の自給率、原材料の生産、油の製造、販売、循環型のビジネスモデルに期待が集まります。

(株)エコERCの為廣社長のご案内

(株)エコERCの爲廣正彦社長のご説明

BDF製造パイブラインの説明

BDF製造パイブラインで熱心なご説明

 2011年の3・11以降、脱原子力依存の日本のエネルギー転換に、大きなヒントを与えてくれます。国のエネルギー政策はさて置き、以前からこのような新しい地域自給エネルギー創造に取り組まれている爲廣正彦社長はじめ十勝の皆さまに、敬意を表します。

 HPには、会社の理念が書かれています~~~ 

 ~地球環境と地域のために~ 今、地球環境問題が大きく取り上げられています。地域社会としてもこの問題に前向きに取り組んでいく必要がありますが、それは同時に、地域の新たな活力や個性を発揮できる環境にやさしい地域づくりもつなげていかなければなりません。当社としては、この「地球環境と地域のため」の取り組みへの一歩を踏み出し、それを可能とする「循環型ビジネス(企業)」の確立に挑戦していきたいと思います。この思いを社名に込めました。~~~~

 昨晩の少人数の懇親会でも感じたのですが、十勝に来ていつも思うのは、「食」に関して、皆さんが実に深く関与していて前向きな話題が多いことです。日頃農業に従事されているので、当たり前と言えばその通りですが、「食」への積極的関心と話題が私にとっては大変新鮮です。

測定しました、数か所の放射線量

Posted by 秋山孝二
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 以前から、札幌での放射線量を測ったことはありましたが、先日、北関東を移動中に数か所、新しい線量計でガンマ線だけですが測定してみました。

  「エステーエアカウンターS:http://www.st-c.co.jp/air-counter/」は、ガンマ(γ)線だけの測定で、以下の数値の単位は「μSv/h : マイクロシーベルト・パー・アワー」です。この器具では、「0.05」以下は、みな「0.05」での表示となります。札幌を含めて、今回「0.05」で表示された地点は、恐らくそれよりもさらに低い数値だと推測されますね。

 福島県会津若松市の「鶴ヶ城」にも線量計が設置されています(http://www.aizukanko.com/news/index.cfm#wn97)。因みに、鶴ヶ城公園本丸内の放射線量、5月25日正午は、「0.12 μSv/h」 です。

  単位 <μSv/h : マイクロシーベルト・パー・アワー>

札幌市内           0.05

羽田空港           0.05

アクアライン          0.05

千葉県館山市       0.05

東京駅地下          0.09

郡山駅前・外      0.24

郡山駅・内         0.14

猪苗代              0.08

会津若松市内     0.05

宇都宮駅・外       0.09

茨城空港・外       0.12

飛行機内              0.46

 傾向としては、郡山が高く、内陸に行くに従って低くなる傾向、それもバス・電車ともに、トンネルを抜けると格段に変化する気がします。茨城空港もやや高い、そして一番驚くのは飛行機の通路側座席で測った時の「0.46」という数値です。電車の座席も高いと聞いたことがありますが、飛行機内座席も同じ傾向があるのでしょうか、これについてはもう少し調べてみようと思います。

 今さらの気もしますが、線量の違いは見た目には全く分かりませんね、気温・湿度等とは違って、人間の五感では判別できない「放射線量の怖さ」が分かります。もちろん、線量「0.00」状態を望むわけではありません。おおよその「安全の目安的数値」はあるとは思いますが、瞬間的数値の意味だけでなく、「内部被曝」を含めた体内への長期的影響も懸念される「放射能汚染」、医療・研究機関のように狭い管理された空間ではない「環境」においては、「安全基準」はあり得ない、やはり人間の手には負えないものと理解すべきですね、そんな現場感をあらためて強くしました。何を言いたいのかというと、今回の爆発事故で環境に放出された放射線量と、病院等でのX線被曝を比較して、「大丈夫、安心です!」と喧伝する解説者・メディアがナンセンスだと、声を大にして叫びたいのです。

 それともう一つ、定時定点観測を継続的に公開していくことが重要です。「大丈夫」とか、「安全です」とか言うのではなく、淡々と現実の「数値」を掲載すること、そして、それを個々の人間が判断するレベルの見識を持つことが、3・11以降の日本で暮らす人々に必要なのだと思います。富山でお会いした金岡祐一先生(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12594)が、おっしゃっていました、「正確なデータを継続的に公開すれば、世界の良質な研究者が信頼するその数値を基に、多くの貴重な考察・コメントを寄せてくれる時代でしょう」、「『風評被害』を言うのであれば、『風評加害』も同時に存在するはず」、と。 

 データに基づくしっかりした議論を、これからも身につけたいですね。

2012年3月、千葉県館山は

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 千葉県館山市は、内房の海に面した見どころの多いマチで、これまでにも何回かご紹介しています。大賀にある千葉大学教育学部の臨海実習所(http://www.edu.chiba-u.jp/home/orga_06.htmlは、私にとって思い出多き場です。

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7143

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8651

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9689

 

 館山市那古船形の「茂八:http://www.mohachi.com/index.html」のお寿司は、一度皆さんに味わってもらいたいもののひとつです、握りの大きさ、名物の厚焼き玉子ほか、ですね。

館山市那古の「茂八」

館山市那古の「茂八」

この大きさが良く見えず、残念です!

写真ではこの大きさが良く分からず、残念!

この握りのサイズも、是非、現場で確かめて、そして、左上の卵焼き

この握りのサイズも、是非、現場で確かめて、そして、左上の厚焼きたまご

  鶴谷八幡宮(http://www.genbu.net/data/awa/turugaya_title.htm)は千年の歴史を誇り、その境内には「日露戦争戦没者慰霊碑」も建立されている歴史的建造物です。

八幡神社一の鳥居

八幡神社一の鳥居

  千葉県立安房(あわ)高(http://saas01.netcommons.net/awakou/htdocs/index.php?page_id=0に続く生垣も見事で、気持のよい空気を創り出しています。

安房高へ続く生垣の通り

安房高へ続く生垣の通り

  1月の「若潮マラソン」、そして4月には「トライアスロン・アジアチャンピオンシップ:http://tateyamatriathlon.jp/」も開催予定です。

来月に開催です!

来月開催です!

  昨年は、3・11の少し前に、外房の安房勝浦「ビッグひなまつり:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7602」にも行きました。

 1997年に東京湾アクアライン(http://www.mapbinder.com/Map/Japan/Kanagawa/KawasakiShi/KawasakiKu/Aqualine/Aqualine.html)が開通して以来、羽田空港からバスで1時間40分、東京駅から約2時間と、JR電車よりもグッと近くなりました。

失くした手帳、戻ってきました!

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 昨年師走の中頃、東京出張した際に、私は大切にしていた手帳をどこかで失くしました。それには、これまで数十年の連絡先電話番号、各種のID・パスワード、札幌市営交通の残額7000円位のウイズユーカード、東京都地下鉄路線図、アメリカ・マサチューセッツ州ボストン市の地下鉄路線図、NTTカードも一緒でした。

そのまま全部、戻りました

そのまま全部、戻りました

 これまで出張中に自分の持ち物を落としたことはありませんでしたが、失くしてみると大変な喪失感で、年末・年始、仕事の合間に出張行程を思い出しながら、問い合わせをしていきました。財布を取り出した時に一緒に落としたか置き忘れたか、ANA、新千歳空港ビル、羽田空港ビル、JR北海道、札幌市交通局、京浜急行、フォーラムのあった寺島文庫ビル、面談した品川のカフェ、etc。現実的にはカバンから他の物と一緒に出て落ちるというのはあり得なく、用事で取り出して、そのまま置き忘れた可能性が高いことに気がつき、最終的に、年明けの先日、JRバス関東館山支店から千葉県館山市警察署に保管されていることが分かりました。12月19日夜、東京駅からアクアライン経由館山行きのバス内で、座席上に置き忘れたようです。

 まあ、思い出そうとしても記憶がない、何とも情けない一ヵ月でしたが、全て手元に戻ってきて、「めでたし、めでたし」です。それにしても、日本の現場力のレベルは実に優秀ですね。どの窓口でも1分も待つことなく、「Yes」、「No」の返事があり、受け答えも実に丁寧でした。

 そう言えば昨年は、札幌ススキノでお店に名刺入れを忘れて、一緒だった方に預かって頂いたり、今回の手帳の紛失、たまたまともに手元に戻ってきたものの、集中力の欠如は如何ともし難いですね。今年は年明けから、反省しきりです、ある方は「縁起が良い!」と言ってはくれますが・・・・・。

 Facebookでは、たくさんの方々から「お祝い?」のお言葉を頂き、恥ずかしいやら何やらで、複雑な気持です。皆さま、この様なことでご心配を頂き、心から感謝致します!

お盆、千葉県館山市では

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 千葉県館山市(http://www2.city.tateyama.chiba.jp/Guide/?tpcid=44&stoid=19961)は、夏は海水浴客で賑わいますが、お盆を過ぎて、夏休みの皆さんも峠を越した感じです。

海岸も海水浴の峠は越えて

静かな館山市鏡ヶ浦方面を望む

 国の律令体制の下、安房(あわの)国は国分寺も置かれ、館山が政治・経済・文化の中心となりました。源頼朝が鎌倉幕府を開き、諸豪族が鎌倉の影響を強く受けて支配していたとされています。戦国時代に入り、里見氏が豪族を支配し始め、戦国大名として成長を遂げ、江戸に幕府が置かれた後も、外様大名として安房を中心に勢力を維持します。やがて幕府によって山陰地方に移されるまで、10代170年にわたって房総を統治しました。

城山公園の館山城(復元)

城山公園の館山城(復元)

 私にとって、館山の海と言うとヘリコプターが必ず思い出されます。今日も、館山市内鏡ヶ浦沖の海ではどこの部隊か、ヘリコプターの着艦訓練が繰り返し行われていました。

沖ではヘリコプターの着艦訓練

沖ではヘリコプターの着艦訓練

 そして、いつものことながら、海上自衛隊館山航空基地では、ヘリコプター訓練が朝から夕方まで行われています。平成20年3月から改編されて、正式には、海上自衛隊第21航空群(http://www.mod.go.jp/msdf/tateyama/)というようです。

<第21航空群部隊改編:HPより>
第101航空隊、第121航空隊、第123航空隊廃止
第21航空隊(館山)新編
第73航空隊(硫黄島航空分遣隊、大湊航空分遣隊)新編
隷下に編入( UH-60J型 ヘリコプター配属)
舞鶴航空基地隊、第123航空分遣隊、第2整備補給分遣隊廃止
第23航空隊(舞鶴)新編
大湊航空隊廃止、第25航空隊(大湊)新編

海上自衛隊館山航空隊で、ヘリコプター訓練

館山市宮城の基地でヘリコプター訓練

 時の経過とともに、マチの様子も変わっていくのでしょうね、暑い日が続く館山です。

私の札幌の原風景、藻岩山

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 人には、他の人には何の変哲もない景色に、たくさんの想い出と物語が詰まっている場合があります。この角度からの札幌「藻岩山:http://www.welcome.city.sapporo.jp/sites/moiwa」は、私にとっての札幌の原風景です。3年前のこの欄に、こんな書き込みもしました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=35)。

札幌市中央図書館横から藻岩山を望む

札幌市中央図書館横から藻岩山を望む

 私の母校の小学校校歌「明星輝く藻岩の山の、気高き姿を日ごとに仰ぎ・・・」、中学校校歌「藻岩嶺を仰ぐ学び舎、我ら今、ここに集いて・・・」(http://www.youtube.com/watch?v=tczsnF-FqsI)、高校校歌「明日に望む藻岩嶺に、夕べ河畔の豊平に・・・:http://www.tokyorikka.jp/~minami21/kohka/index.html」、全てに登場する「藻岩山」は、私の心のふるさとです。

 札幌の街は、西側に山並みが連なり、南西に藻岩山、南9条通りから西を望むと円山が、南大通から西を望むと大倉山が、北5条通りから西を望むと三角山が、そして遥か北西には手稲山を仰ぎみることができ、景観的にも明治時代の開拓設計者の素晴らしいセンスに感謝したいですね。

 先日、東京からのお客様を、久しぶりに藻岩山観光道路を走って藻岩山頂にご案内しようと思って近くまで言った所、「現在休止中」との看板が掛っていました。山頂の建物のリニューアルで今年12月まで休業とのことでした(http://moiwa.sapporo-dc.co.jp/)。藻岩山頂からの夜景は素晴らしいですね、函館山と世界に誇れる夜景だと思います、香港、長崎なども行きましたが、比較になりません。

 遠くから眺めてもよし、登ってもよし、夜の夜景もよし、こんな素晴らしい山は私のこれまでの人生にはありませんですよ!

「元禄地震」の津波は?

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 日本における地震・津波の歴史をあらためてひも解くと、かなりの頻度で過去に起きていることが分かります。千葉県館山市(http://www.city.tateyama.chiba.jp/)の北条海岸にも、「元禄地震:http://www.pref.chiba.lg.jp/bousai/bousaishi/genroku.html」による津波想定高の表示を見つけました。恐らく海岸から数百メートル奥まで被災したと思われます。海上自衛隊館山航空隊(ヘリコプター基地:http://www.mod.go.jp/msdf/tateyama/item/kitirekisi/kitienkaku.htm)と隣の島を結ぶ地盤は、関東大震災時に4メートルの隆起でつながったとも、記録に残っています。身近な所に、地震の跡を見ることが出来ます。

千葉県館山市鏡ヶ浦海岸から西方を臨む

千葉県館山市鏡ヶ浦海岸から西方を臨む:左の看板は元禄地震の津波高の表示

 高速館山道を通ってアクアラインの少し手前、木更津郊外の水田が、日没後素晴らしい光景でした。3・11前の宮城県仙台平野も、こんな景色だったのでしょうね。

日没直後の木更津周辺の田んぼ

日没直後の木更津周辺の田んぼ

 今月の札幌では、ライラック祭が終り、YOSAKOIソーラン祭(http://www.yosakoi-soran.jp/)、北海道神宮例大祭(さっぽろ祭:http://www.hokkaidojingu.or.jp/festival/index.html)と、お祭りが続きます。街なかに多くの人々が集い・舞い・笑う、そんな当たり前の幸せをしっかり噛みしめたい季節です。

新春の千葉県館山市は

Posted by 秋山孝二
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 房総半島の南端、千葉県館山市は1月~3月の「房総フラワーライン:http://precious.road.jp/chiba/flowerline.htm」で有名で、JR館山駅から近くの鏡ヶ浦は、夏には海水浴客で賑わいます。1月の海では毎年、地元高校生・海上自衛隊館山航空隊の隊員他が参加し、それぞれの団体が大きな旗を掲げながら浜まで行進し、寒中水泳のイベントもあります。

新春の館山市鏡ヶ浦から望む海

新春の館山市鏡ヶ浦から望む海:視界の良い日は右奥に富士山がはっきり見えます

 菜の花が1月には咲き始めるのですが、最近は12月中に咲いている年も見られます。とは言っても朝晩の気温は一ケタ台で、家の中は札幌よりも寒く感じます。ロータリーのある東側は、本来は表口なのですが、海とは逆側で、昨今大型ショッピングセンターも郊外に出店し、昔の駅前通りは閑散としています。おまけにアクアラインの開通で、バスが千葉・東京・羽田空港・横浜方面と時間短縮で便利になり、JR電車の本数が以前より減っているからでしょうか、中学生・高校生を除く駅の一般の乗降客も少なくなっているような気がします。

JR館山駅表玄関は静かでした

JR館山駅・表玄関は静かでした

若潮マラソンとお膳の広告

若潮マラソンとお膳の広告

 今月末には「若潮マラソン」、「南総里見八犬伝:http://www.city.tateyama.chiba.jp/satomi/arasuji/arasuji.html」をもじった「南総館山発見膳?」のポスターでは、こだわりのメッセージが込められています。

<房総産「八種」こだわりの食材>

:(季節の野菜)・白菜と金目鯛蒸し、:(鯵:アジ)アジのなめろう、:(サザエ)・サザエの素焼き、:(伊勢海老)・伊勢海老の活き造りと地魚、:(豚肉)・まほろばポークのトマト煮、:(季節の魚)・金目鯛、平目、鮑、野菜、:(ひじき)・ひじきの白和え、田舎煮、:(季節の果物)・いちご

だそうです。

 最近の話題では、観光でも戦跡再発見プランが人気です。「赤山地下壕跡:http://bunka-isan.awa.jp/About/?iid=49」はじめ、今も戦時の名残を見て取れます。この2年間、アウシュビッツ・中国の旅でお世話になった「旅システム」のメールマガジンでも、2月の旅の案内が載っていました(http://www.tabisystem.com/modules/tinyd15/index.php?id=28)。

 2月には、房総半島の真ん中、久留里線周辺(http://www.hat.hi-ho.ne.jp/nishimura/tetudo_ryoko100kei/kanto/kururi.html)を訪ねてみようと思っています。以前、東京から安房鴨川に行く時にバスで通りましたが、首都圏のすぐ近くに、歴史の香り豊かな町がありました。

秋、さらに一層深まって

Posted by 秋山孝二
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 「好きな季節はいつ?」と聞かれれば、私は迷わず「秋」と答えます、それも「晩秋」でしょうか。

 「春」は、あらゆる植物が一斉に芽を吹き、咲き出して、その勢いに自分の気分がついていけない、そんな気が幼い時からありましたね。学校に入学してからはこの季節、新しい環境の場合が多く、その辺の緊張感も更に気持を押しつけるのかもしれません、自分自身の「出遅れ感」とでもいうのでしょうか。「夏」は太陽がまぶし過ぎて、気持は解放されますが奥行きが無いといった感じですね。「冬」も好きですが、一面の白は立体感に欠けて味わいが無い(?)。「秋」は盛りを過ぎて枯れていく魅力みたいな、紅葉も春の緑よりもはるかに多様で変わりゆく時間的経過もあり、色それぞれのストーリーを想像すると、何ともそれまでの道程をいとおしく感じます。

 今年は例年とは違った天候だったので、秋自体の風景も不思議な様相を呈しています。例えば、家の庭の柿の木、毎年実は付けていますが、今年の数の多さは、この20年で最高でした。200個以上はありますでしょうか。妻の実家、千葉県館山市(http://www.city.tateyama.chiba.jp/)の柿ではありますが、札幌でも多少の差はあれ、毎年実をつけています。特に収穫はしませんので、やがて寒さで落ちたり、雪が降った後は多種類の鳥たちの餌にもなっています。 

家の庭の柿の実、今年は200個以上なりました!

家の庭の柿の実、今年は200個以上なりました!

 札幌西高横のイチョウ並木も綺麗でした、さすがに今では葉は落ちました。

札西高横のイチョウ並木

札幌西高横のイチョウ並木

  先日、札幌市西区琴似方面に用事があって歩いて行きました。屯田兵舎跡も一緒の琴似神社境内は、午後の陽を浴びて素晴らしい景色でしたね。北海道神宮もいいですが、ここもまさに「晩秋」でした。

琴似神社境内で

札幌市西区・琴似神社境内で

 そう言えば、10月下旬に札幌に初雪が降った日、市内のたくさんの木々の枝が折れて地面に落ちていました。広葉樹の葉の色が、まだ変わるか変わらないかの内に湿った雪が降って、枝が重さに耐えきれなく折れたようです。それくらい自然界では「急激」という時間軸の短縮は、大きな影響を与えるのですね。「適切な時間」、適時というタイミングの妙、実に見事に創り上げられている「環境」、「生態系」です。後で思えば、自然界の剪定作業だったのでしょう。

 これから、いよいよ北海道の冬の到来ですね。

「咸臨丸」、「開陽丸」、そして五稜郭

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 7月のこの欄にも書きましたが(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4431)、今年私は船にこだわっています。 

 道内には歴史に名を残した船とゆかりの深い場所が幾つかあります。まずは、道南の木古内町サラキ岬、咸臨丸座礁・沈没の碑です(http://www.town.kikonai.hokkaido.jp/kankoujouhou/rekishibunkazai/kanrinmaru.htm)。先日は函館からのレンタカーで一本道を木古内町へまっしぐら、思わず通り過ぎてしまい、Uターンで戻りました。

木古内沖:咸臨丸遭難の碑

木古内沖:咸臨丸遭難の碑

   今年は咸臨丸が太平洋を渡って150年の記念の年で、全国でいろいろなイベントが催されていますね(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/kanrinmaru150.html)。帰国後は、軍艦から物資運搬船となりました。その後、戊辰戦争で敗れ、北海道移住を余儀なくされた仙台藩片倉小十郎家臣団401名を乗せて仙台の寒風沢を出港した咸臨丸は、箱館経由で小樽に向かう途中、1871年(明治4年)9月20日、木古内町のサラキ岬沖で座礁・沈没しました。乗客は現地の人の懸命の救助により生還し、札幌で現在の「白石区」に移住しました。名前もその仙台藩白石からの由来によるものです。太平洋を渡った乗組員の親族は、現在、「咸臨丸子孫の会(http://www.kanrin-maru.org/)」として東京で元気に活動中です。

 二つ目は開陽丸(http://www.kaiyou-maru.com/)です。こちらは戊辰戦争最後の戦い・箱館戦争の最中に冬の強風により、日本海側・江差沖で沈没しました。軍艦でしたので、沢山の武器・弾薬他が海中に眠り、それらが引き上げ復元されて、現在は江差港に博物館としてその勇姿を現わしています。沢山の砲弾を化学処理で修復する技術等の説明も面白かったです。

復元された江差町の開陽丸

復元された江差町の開陽丸

甲板で

甲板で

 そして、「五稜郭:http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/board_of_edu/lifelong_learning/cultural_assets/goryokaku/goryokaku.html」です。先月、公園内の江戸幕府の「箱館奉行所」が4年間の復元工事を終えて、庁舎全体のおよそ三分の一に当たる部分が完成して、一般公開となりました。全国から結集した宮大工などの職人による日本伝統建築の匠の技により、再現されていました。140年の時を経て、幕末・維新の激動の時期をしのばせる空間でした。

五稜郭タワーから函館奉行所を望む

五稜郭タワーから箱館奉行所を望む

復元技術の粋を集めて

復元技術の粋を集めて

 安政元年(1854年)の日米和親条約により、箱館と下田が開港され、当初は奉行所が箱館山麓に設置されていたそうです。防備上の理由から内陸にその後移設し、ヨーロッパの城塞都市を参考にしながら、西洋式土塁を考案し、星型五角形となりました。ちなみにこの「五角形:ペンタゴン」は多くの謎を秘めているようです(https://aspara.asahi.com/blog/science/entry/Zm7vA8rWXp)。

 艦船も城も、幕末の諸外国に学ぶ姿勢の象徴であり、当時の日本人の心意気を知ることができますね。開陽丸の展示にもありましたが、今とは比較にならない年月をかけて海外へ渡り、滞在し、学び、持ち帰って新しい日本の礎を築いた多くの志ある人々の軌跡に、歴史の重さを感じました。

青森・弘前・大間は、今、元気です(1)

Posted by 秋山孝二
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 二泊三日で弘前・青森・大間ほか、津軽地方の旅でした。

 函館は今年開港150周年の節目の年です。「開港サンド」は1859年にアメリカ・イギリス・フランス・オランダ・ロシアの五カ国と国際自由貿易が始まったのを記念して、オリジナルサンドを880円で制作。コンセプトは「道産食材で欧米文化の交流」と「ハイカラな函館の雰囲気を再現」と、おしながきに書いてありました。

函館:今年開港150周年

函館:今年開港150周年

 函館で電車を乗り換え、八戸行きの特急から函館山を西からの眺めでしたが、市内からみる形とは違った風景でした。

函館山を西方向から眺める

函館山を西方向から眺める

 青森港には大型客船が停泊中。

続いて「青森県立郷土館http://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/culture/kyodokan.html」で風韻堂他を見学しました。更に水田遺跡で有名な垂柳(たれやなぎ)遺跡の田舎館(いなかだて)村http://www.vill.inakadate.aomori.jp/maizou/html/t02.htmlにも行き、古代の人の足跡も鮮明な水田跡をしっかりこの目に焼き付けました。旅から戻るとこんなコラムも見つけましたhttp://www.inoues.net/family/tareyanagi.html。「水田=弥生」とすぐに決めつける歴史認識は浅いですよね。炭化米も見つかっているのですから、きっちりした時代考証を別の科学的角度からすべきだと思いますが。もしかしたら、新しい歴史の発見があるかも知れません。

青森港の大型客船「The world」

青森港の大型客船「The world」

 弘前では夕方にやっと間に合い、社会福祉法人・抱民舎http://aun.shafuku.com/を訪問し、理事長のNさんhttp://blog.goo.ne.jp/tyaranke803_2007・事務局長とお会いして、しばしお話を伺いました。ここまでの事業を構築されてくる間には並み大抵のご努力ではなかったはずなのに、笑顔が大変素晴らしく、どうしてこんなに優しい表情でいられるのだろうと、そのお人柄に感動致しました。

8月後半の夏、さまざま

Posted by 秋山孝二
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  今年の夏も終わりに近づいています。7月の北海道は連日の曇天、農作物への影響も心配されましたし私達の気持も何となく冴えない感じでした。幸い8月になって夏らしい青空と太陽の日々が続き、だいぶ回復してきた気もしますがどうだったのでしょうか。私の庭のトマトもこの所赤くなってなかなかの出来です。

 先日東京駅から千葉県館山市に高速バスで行った際に、レインボーブリッジとアクアラインから東京湾の青い海を通して首都圏の景色をぼんやり眺めていました。陸上の喧騒とは対照的に、海は夏の太陽をいっぱいに浴びて実に穏やかでした。

レインボーブリッジから

レインボーブリッジから

アクアラインから木更津方面

アクアラインから木更津方面

一方北海道日本海側の海も穏やかでした。札幌から小樽へ行く途中、朝里から高島岬方面です。空も広いですね。

石狩湾も穏やかです

石狩湾も穏やか

そして北海道神宮の杜でも、開拓神社例大祭、流鏑馬(やぶさめ)奉納等で賑わいました。

開拓神社例大祭

開拓神社例大祭

流鏑馬練習風景

流鏑馬の稽古風景

10年の時間軸で振り返ると

Posted by 秋山孝二
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 忙しい合間にふと考える時間があると、10年くらい前は自分は何を思っていたのかな、と振り返りたくなります。

10年前の自分は医薬品卸業の企業経営者で、出張も多く忙しく活動していましたが、やはりその時も更に昔を振り返っていたようです。業界紙に寄稿したエッセーより・・・。

 

もうひとつの顔 「そんな時代もあったよね」 ’98.8

 

「もうひとつの顔」というより、「本来の顔」というべき私の公立中学校教師人生は、今考えると僅か5年間の短期間ではあったが、大学生活・教育実習等を含めるとほぼ二倍の実質的意味合いになる。その大学の館山臨海実習所で出会った女性との結婚、そして共稼ぎの生活を実時間で換算すると、人生に占める期間は更に長くなる。現在の顔こそが私にとっては、ひょっとするとひとときの旅姿かもしれない。

 

 子供が特に好きだった訳でもなく、印象深い恩師がいた訳でもないが、私は中学校時代から将来は中学校教諭になりたいと考えていた様で、中3卒業文集には「僻地教育――千里の志」と書いてある。その後、朝永振一郎博士に憧れ、「物性物理学」に挑戦するも、大学卒論作成過程で私は研究職には向いていない事を痛感した。

 

 この業界に入り、数多くの勉強会で多数の全国の経営者二世達にお会いした。「私は教員という職ほど世の中で楽な仕事は無いと思う」と力強く言われた時は大変なショックで、私は思わずその冷酷な表情を睨みつけた。「皆大人になると、自分一人で大きくなったと思いやがって・・・」。足を洗ったはずの職業を侮蔑されたと大いに反発したものだった。今の会社で4・5年経った時だったろうか。ふと仕事で考え事をしていると、「こんな風に思考した事が以前にもあったな」と気がつく時があった。不思議にも机の引出しに確かに仕舞い込んだ教師生活の数々の経験が、鮮やかに甦り、経営の場にしばしば役に立った。

 

 男子・女子バレーボール部の監督で、子供達と365日の生活はその中でも一番貴重なものである。当初は出ると負けのチームで、試合場に向かう我々は、屠場(とじょう:動物を食肉用にする為に殺す場)へ引かれる牛の心境だった。負けても笑顔の子供達に、「お前達、悔しくはないのか!」と怒鳴り、試合後バスも使わせずトボトボと歩いた日々。学校近くまで来た時、一人の男子が「先生、今度は恥をかかせないように俺達頑張るから」と一言。弱小チームは練習場にも当然恵まれない。何とか一勝したい、という共通の気持で毎日遅くまで練習の日々。「お前達!試合に勝てないなら、せめて試合場で他校のボールを取ってきて沢山練習しようじゃないか」ととんでもない目標を与えると、素直な子供達は試合に勝つ前に、まずその目標を達成した。「よし!良くやった」、このあたりから、この地区の教育は乱れ始めたのかもしれない。

 

 やがて厳しい地区予選を勝ち抜いて、都大会へ男女そろって出場できるまで成長した。特に女子は、接戦を粘り準決勝まで進出し、あと少しで全国大会出場まで強くなった。夏休みに小平市の日立体育館で、全日本女子山田重雄監督に教えを請うたこともあった。テレビで見る全日本女子チームの選手が練習する中で、ソ連のスモレーワ、リスカルのスパイクコースのデータ等がびっしり貼られた壁は、もはや情報戦であった。「バレーボールは難しい競技ではないんだよ。床とボールの間に手を入れればよいのです」。外為法違反で捕まろうと、私の山田重雄氏への尊敬の念は今も変わらない。

 

 元全日本の名セッターMさんは釧路出身である。食事をする機会が有りお話を伺った。「金メダリストを幸せにする自信はない」と去っていった男性のお話が妙に心に残っている。中学校のバレー部の子供達はその後、インターハイで全国優勝したり、大学進学し、テレビのバレーボール中継で見たり、日本体育大学応援団長になったり、なかなかの活躍のようだった。当時の子供達が札幌を訪れた時、会社の連中に「今度、東京からクラブの女の子が遊びに来る」と宣伝し、大いにひんしゅくをかった。

 

 生活指導は、子供達にとってより、私自身の人生勉強になった。二十代の私は、正義感ゆえに子供達を随分傷つけたような気がしている。「教育とは子供達に自信を与える事である。その為には教師は立ちはだかる壁になり、時には支える踏み台になれ。教師自身の正義感で、子供を悪者扱いしてはいけない」。私の尊敬する学年主任の一番印象に残る言葉であった。家出した子、万引きした子、捕まった番長等を理科実験準備室に個別に呼んで話をすると、皆実にいい子達ばかりだった。自分の学校の下級生が他校生にお金を強奪された時、「俺の力が足りなかった」と号涙した番長。「いや、お前のせいではない」と肩をたたき、ともに涙を流した自分が懐かしい。

 

 「まわるまわるよ、地球はまわる」。時の流れに驚きながら、「そんな時代もあったよね」と、今夜も中島みゆきのCDで「時代」を聴いている。