今年の「受領者からのメッセージ」は、若いお二人の研究者が、それぞれご自身の研究に至るストーリー、現在の研究内容等を分かりやすく説明されました。
パーティでは多彩な交流もあちこちで多彩な交流もあり、今後の活動にも期待が持てます。
* 猿橋賞――> http://www.saruhashi.net/saruhashi.html
何か不思議なご縁を感じます。
今年の「受領者からのメッセージ」は、若いお二人の研究者が、それぞれご自身の研究に至るストーリー、現在の研究内容等を分かりやすく説明されました。
パーティでは多彩な交流もあちこちで多彩な交流もあり、今後の活動にも期待が持てます。
* 猿橋賞――> http://www.saruhashi.net/saruhashi.html
何か不思議なご縁を感じます。
「公益財団法人 秋山記念生命科学振興財団(http://www.akiyama-foundation.org/)」の一年で一番のイベント、「特別講演会」と「贈呈式」が、200名の出席者で盛会裏に終了しました。当日の様子は、後日、秋山財団HPに掲載されると思いますので、是非ご覧ください。(http://www.akiyama-foundation.org/news/1020.html)
< 特別講演会 >
昨年に続いて今年も、特別講演の前に「受領者からのメッセージ」を企画しました。これは、今後の研究やプロジェクトの理解者を拡げる「場」を創り出したいとの趣旨で、最前線のお二人の若き研究者と、冬場の災害に直面した時の「生きぬく力」を提唱される、ネットワーク形成事業助成の受領者お一人、合計3名に発表して頂きました。研究者としての取り組みが率直な語り口から伝わり、活動については、実証的な取り組みの成果を知ることができました。
〇 「受領者からのメッセージ」
・『乳腺胞上皮細胞における乳汁分泌機構の解明』 北海道大学大学院農学研究院 助教 小林 謙 様
・『私が研究をする理由』 北海道大学大学院歯学研究科 助教 佐藤 真理 様
・『冬の万が一を想定した寒冷期災害対策の実証と提案』 日本赤十字看護大学看護薬理学領域 准教授 根本 昌宏 様
〇 特別講演会
・講師:小澤 祥司 様(環境ジャーナリスト・環境教育コーディネーター)
・演題:『 地域を潤すエネルギーの選択
~ 持続可能なエネルギーシステムへの転換 ~ 』
特別講演会では、環境ジャーナリストの小澤祥司さんを東京からお招きして、私が座長を務めました。
< 講演要旨 >
東日本大震災とそれに引き続く東京電力福島第一原発の事故によって、日本のエネルギー状況は大きな転換点を迎えたといえます。事故前には、気候変動を防ぐためとして原子力発電の比率を高める政策が進められようとしていました。 しかし福島原発事故であらためて原発の危険性と廃棄物処理の困難さが浮き彫りになり、新設はおろか再稼動も容易には進められない状況になっています。一方で、化石エネルギー資源の枯渇する状況もそう遠くない将来に訪れるでしょう。もともと原子力発電は危険であるばかりでなく、非効率な発電方式です。私たちはややもするとエネルギー=電気と思いがちですが、私たちが使うエネルギーのうち電気の比率は小さく、また実際に電気でなくともよい用途は多いのです。 自然エネルギーの活用を考えるときにも、電気へのこだわりを捨て、より効率のよい使い方を選択することが必要です。それには、現在の大規模集中型からコミュニティ型(小中規模分散型)へのエネルギーシステムの転換が必要になります。この転換は、海外や域外への経済的な依存を減らし、地域に雇用を生むことにもつながります。内外ですでにそうした取り組みは進んでいますし、自然条件に恵まれた北海道はエネルギー自立の可能性に満ちていると思います。
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<経歴>
1956年 静岡県掛川市生まれ、1980年 東京大学農学部卒業、出版社に勤務の傍ら自然保護ボランティア活動に参加、1986年 チェルノブイリ原発事故をきっかけにエネルギー問題・地球環境問題に関心を深める、1990年 以後、自然環境教育や自然エネルギーの普及をテーマに活動、2011年 東日本大震災後に福島第一原発事故による汚染に見舞われた福島県飯舘村民の支援活動、放射能汚染調査に携わる
<著書>
『エネルギーを選びなおす』(岩波新書)、『減電社会』(講談社)、『飯舘村 6000人が美しい村を追われた』(七つ森書館)、『コミュニティエネルギーの時代へ』(岩波書店)、『メダカが消える日 自然の再生を求めて』(岩波書店)、ほか多数。
この所この「部屋」は、「感動する」の言葉が頻発ですね。これは私のボキャブラリーが貧困なのではなく、本当に素晴らしい集まりが連続していて、とにかく、とにかく、「感動する!」のですよ、生きててよかった、やってきてよかったと、どの会合でも参加した皆さん、準備に関わった皆さんとともに喜び合える、そんな「幸せ」を感じています。やっている者同士、引き受けている者同士の集まりは、「つながり」も容易ですね、以下の会もその続きです。
第三回目となる前田一歩園財団(http://www.ippoen.or.jp/)と秋山財団(http://www.akiyama-foundation.org/)の合同報告会が、今年も開催されました。これまでの報告会の様子は下記の通りです。
* 一昨年(2011)の合同報告会 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9140
* 昨年(2012)の合同報告会 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=13683
今年は両方合わせて15団体の活動報告、それにオブザーバーとして今年度秋山財団の「ネットワーク形成事業助成:http://www.akiyama-foundation.org/grants/grants_06」で採択された高校生3チームも最後まで参加されました。当日の様子は、今、録画・編集中で、出来上がり次第ここに掲載致します。
<http://www.akiyama-foundation.org/news/524.html>
4時間を越える長丁場でしたが、皆さん集中力を切らすことなく、疲労感もなく、素晴らしく充実した報告会となりました。終了した過去情報としての「報告」ではなく、今進行中の「活きた活動報告」とでも言えば宜しいのでしょうか、これまでの活動に基づく今後のしっかりしたベクトルも見えて、まさに「並走する」臨場感が溢れていました。
またその後続いて行われた交流会も、和気あいあい、濃密なコミュニケーションが続き、新しい出会いの数々もあったようです、終了後の皆さんの表情がそれを証明していました。卓上の食べ物の残りが偏在したので(?)、急遽、強制的席替え(?)もあったりのサプライズ。来年の報告会も一層楽しみになってきました。間もなく一週間が経ちますが、「興奮覚めやらず」、の私です!
今年報告した団体は下記の通りです。~~~~~~~~~名前の下に下線のある方が発表者
1) 秋山 /歴史は生きる力「れきし・いのち」 プラットホームプロジェクト 角 幸博、神長 敬、東田 秀美
2) 前田 / NPO法人 もりねっと北海道 陣内 雄
3) 秋山 / 道内の意思伝達支援普及プロジェクト 杉山 逸子、阿部 幸太郎、佐藤 美由紀
4) 前田 / NPO法人 カラカネイトトンボを守る会 内田 葉子
http://www7b.biglobe.ne.jp/~karakane/
5) 秋山 /医療スタッフの地産地kane消 ~ 住民主導で創る世界一の看護学校 ~ 森 義和、西埜 弘樹
6) 前田 / ゼニガタアザラシ研究グループ 小林 由美
http://blog.livedoor.jp/zeniken30/archives/14247313.html
https://www.facebook.com/groups/423113004421683/
7) 秋山 / 「みん菜の花」プロジェクト エップ レイモンド、荒谷 明子
http://eschaton.asia/、 http://minnanohana.com/
8) 前田 / くしろ森と緑の会 川勝 久章
URL 準備中
9) 秋山 / 積雪・極寒冷地域のいのちを護る防災・減災への取り組み 根本 昌宏、石井 克哉
http://www.toukihisaitaiou.jp/
10) 前田 /美幌町郷土史研究会 鬼丸 和幸
URL 準備中
11) 秋山 / Rio+20 北海道ネットワークプロジェクト 溝渕 清彦
12) 前田 /北の川探検隊 竹村 勇一
http://plaza.rakuten.co.jp/wildwonderlife/
13) 秋山 / 森と里つなぎプロジェクト 陣内 雄
14) 前田 / NPO法人NATURS 赤石 哲明
http://naturas.chu.jp/natu-top/natu-top.htm
15) 秋山 / 和解と平和のための東アジア市民ネットワーク 長谷山 隆博、呉 明 煕(オミョンヒ)
http://blog.goo.ne.jp/kioku-2011/e/5f311a36e432c57226aa3c6e2d308401
オブザーバー参加の今年採択の高校生3チームの代表も、交流会で堂々たる抱負を語ってくれました。学校単位のプロジェクトではないので、卒業後もプロジェクトメンバーとして、彼・彼女らの成長とともにネットワークも進化・発展していくのでしょう。壇上に上がっての話の内容が前向きで素晴らしい、多くの参加者が、逆にたくさんの元気をもらいました。
つい先月末のこの欄に、会議の「品位」みたいなことを書き留めました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=17124)が、今回もまさに、報告をされた方、各財団の関係者、そして準備に奔走した両財団事務局の皆さんの「見識」と「ひた向きさ」が、報告会・交流会を大いに盛り上げました。2年前の初回から参加の秋山財団の理事のお一人が、会の終わりにつぶやきました、「年を経るごとに間違いなく進化している、やってきてよかったね!」と。これ以上心に響くお言葉はありません、ありがとうございます、もったいない位のお褒めの言葉です。
プロ野球北海道日本ハムファイターズ(http://www.fighters.co.jp/)がドラフト1位指名した岩手・花巻東高の大谷翔平投手(18)が9日、岩手県奧州市内のホテルで記者会見し、日本ハム入りを正式に表明しました。当初は米大リーグ挑戦を明言していましたが、再三の交渉を経て翻意。国内でプロ生活のスタートを切ることになりました、メディアの大騒ぎ等で、18歳の一高校生にとっては大変な時間だったとは思いますが、落ち着いて真摯に日ハムの話に耳を傾けた姿勢に、心から拍手を送ります。
記者会見では、「ファイターズの一員として、お世話になった地元の方にプレーする姿を見ていただき、恩返ししたい。子供たちが目指す選手になりたい」と新聞は報道しています(http://www.hokkaido-np.co.jp/news/fighters/425681.html)。テレビでも少し見ましたが、彼自身の言葉で表現している映像が爽やかでした。
彼が大リーグを希望すると言っていた時に、私はFBでも「日本で実績をつけてからの挑戦で遅くないし、その方が本人にとってもベストの選択だ」とコメントしていたので、今回の彼の決断には、一日ハムファンとしてでなく、周囲の良識も感じて親世代の立場からも嬉しかったですね。
それと、日ハム球団のきわめてオーソドックスな現行ドラフト制度下での選手指名、交渉姿勢に、さらに大きな拍手をしたいです。丁寧で誠実な交渉を繰り返し、指名した責任をしっかり果たした結果の翻意なのでしょうね。これに対して、星野仙一が批判しているようです(http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20121209-OHT1T00224.htm)、スポーツ報知の記事というのもアンタには言われたくない、ですよ。
今、学校教育現場で「いじめ」が大きな課題になっていますが、今回の「翻意」に対して、学校及び本人に対して幾つかの批判メッセージが届いているとか。朝日系の「強行指名」という言葉も不適切です、大手メディアの寄ってたかっての球団、若者バッシングではありませんか。ゆがんだ今の日本社会ですね、「いじめ」は学校現場だけではなく、むしろ日本社会そのものに横たわるどす黒い風潮なのでしょう、これを子どもたちが真似してしまっているのだと思います。
星野の言も理解できません、ドラフト制度の問題指摘はそれなりに分かりますが、日ハムも大谷翔平も、そのルールに従って誠実に、几帳面にことを進めたに過ぎません。昨年の菅野の「G以外はいかない」と言い張って、今年Gのみが指名することが問題であって、今年の大谷は何も批判される理由がありません。楽天で取れなかったことのただの腹いせとしか映りませんし、その姿は、オリンピックの試合で審判に文句を言っている星野監督の姿とダブってきます、そんな姿では選手は育ちません。
栗山監督のあの教育者としての立ち振る舞いと表現は、彼がただ東京学芸大学の卒業であるだけでは説明できないでしょう。以前にも書きましたが、「人を育てる」ことを根本の所で、人生の目的にしているのではと、私は彼に哲学を感じて尊敬しています。言い方は大変失礼ですが、「ただのプロ野球選手ではない」、そんな思いですし、彼を監督に据えた北海道日本ハムファイターズの球団関係者に敬意を表します。http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=14871
大谷翔平くんには、しっかり体を造って、日本で日ハムの一員として活躍し、いずれは世界に大きく羽ばたいて貰いたいですね、まさに「飛翔:北海道から世界一!」して欲しい、頑張って!
「2011年」、決して忘れてはいけない年となりましたが、皆さまには大変お世話になりました、この場を借りて御礼申し上げます。
公益財団法人 秋山記念生命科学振興財団(http://www.akiyama-foundation.org/)は、今年で設立25周年を迎えました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10144)。来年度以降の向こう25年を見据えて、「未来像・2011から」を策定して、新しい歩みを進めて参ります。
その中から、以下抜粋し、皆さまの引き続きのご支援を期待したいと思います!
~~~~~~~~~~~~~~~~以下、抜粋です
<現状認識>
現在、避けることのできない大きな課題としてわれわれが直面するものに、地球規模の環境問題、経済・金融危機の頻発、安全・安心な地域社会の崩壊などがありますが、これらの課題は設立当時の財団を取り巻く社会に、既に萌芽的に現れていました。
しかしながら、グローバル化の急激で大規模な進展により、これら社会状況が、これまでになく急速に変化する新たな局面に入りつつあります。また、冷戦終結後の国際秩序の不安定化や、EUに見られる新たな地域統合もまた諸問題を抱えて流動的であり、アジアの一員として、われわれの生き方、考え方に変更を迫る要因となっています。さらに今年の「3・11東日本大震災」は、これまで創り上げた社会に、地震、津波、原子力発電所爆発事故の甚大な被害を及ぼし、現在の科学と社会との関わりに、重大な問題を提起しています。
課題解決の担い手に目を転じますと、これまで「官」が担ってきた公的サービスを、ボランティアやNPOなどが果たす役割が大きくなってきており、企業もCSR活動に一層力を注いだり、「新たな公共」の担い手が成長しています。このような「新たな公共」のうねりは、秋山財団の設立当時には見られなかった動きです。
時代の大きな変化は、われわれの社会のしくみや日々の生活を根本から変質させると同時に、また新たに創り出すチャンスでもあり得ます。当財団は、時代の変化のとば口に立っていると認識しています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~途中を省略
<向こう25年の方向性>
以上のような認識を踏まえて、今後を展望したいと思います。
まず財政的には、今現在、基本財産の飛躍的拡充はこれまでのようには見込めません。経常的に外部からの寄付等、ソーシャルメディアを活用したファンドレイジングをきめ細かく行っていく必要性があります。インターネットのホームページをフルに活用して情報発信機能を高め、それを収入に結び付けて、財政的基盤の拡充を図っていきます。
事業的には、次のような視座に留意します。
1)「生命科学」を人間のみならず、地域を対象とした科学として視野に入れる。地域を生命体として捉え、経済的な循環(エコノミー)、環境生態系(エコロジー)、さらに伝統文化の継承・発展等、地域科学分野を含めた活動支援。そして、成果の検証も行う
2)財団としてのアウトリーチ活動を行う、例えば、一般市民向けの「生命科学」講演、出前講座の開催、ライフサイエンス・カフェ等
3)硬直した国・自治体の政策・制度に代わり、社会的課題に速やかに、柔軟に解決していく活動
4)「人材育成」活動は、
a)次の時代を担う世代を、もっと早い時期から視野に入れるべき。活動助成については、対象として中学生・高校生・20歳前世代へのアプローチを、テーマ的には若年労働者の雇用促進につながることも検討する
b)「科学リテラシー」を高める「教育」への貢献
5)活動助成について、
a)「地域の創造的社会システムの構築」として、経済効果、環境負荷の軽減効果等、科学的な地域分析の手法を取り入れたアプローチの組み入れ
b)「北海道に根差した地域研究」として、独自の伝統・文化を北海道の発展に結びつける取り組み支援、例えば、アイヌ文化の振興と価値創出、地域主権下での北海道開拓・開発政策の進化等
<おわりに>
年報創刊号の巻頭言に、当財団の名付け親である伴義雄理事が書かれています。
「・・・・このように、自然科学を専攻する者にとって感動的な生命現象の解明へのステップも、他の分野、特に人文・社会科学系の方々には、生命の尊厳があたかも単なる原子・分子の集合体であるロボットのように扱われていると、拒否的に受け取られたとしても無理からぬことである。私自身、その成果を感銘深く知ったのであるが、そこに自己の生命観を持ち込んで理解するようなことは、いささかも考えなかった。しかし、その後、存在としての生体そのものの在り方が鮮明になることによって、かえって生命への認識を新たにしたように思う。私は、自然科学的生命観の樹立に、宗教や哲学が介入する余地が十分あるように思われてならない。
確かにライフサイエンスの著しい進歩は、人間の福祉に大きく貢献する一方で、人間の存在と尊厳に深く関わるような問題が提起されていることも周知のことである。たとえば遺伝子操作、人工授精、臓器移植等は、社会倫理の立場から慎重な対応が求められている。私どもとしても、この点には十分配慮しつつ、21世紀へ向けての重要課題に取り組むべきであろう。・・・・」
「生命科学(ライフサイエンス)」をテーマに、北海道から発信する「民間・自立」という秋山財団の設立の初心を踏まえて、内外ともに節目の2011年に、もう一度原点に立ち返えり、次の四半世紀に向けた「覚悟」を明確にしたいとの思いです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用おわり
今年の12月は真珠湾攻撃から70年、11日は東日本大震災から9カ月の節目です。師走を迎えると、この一年を振り返りたくなりますね。
私にとって「2011」という年は、「戦争」に向き合った一年として強く記憶に残ると同時に、大きく前へ踏み出しました。この数年のポーランド・中国北東部訪問で体験した戦争責任の検証(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%84)、「ビハール号事件」の調査(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%83%93%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%8F%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6)、そして今年8月の北海道新聞の5回に渡る終戦特集連載記事(201188-12e98193e696b0e38393e3838fe383bce383abe789b9e99b86efbc88e7b78fefbc89)等です。更に、3・11の大震災後の対応を目の当たりにして、国難に対する「責任の所在の不明確さ」も、戦争責任と酷似すると感じていました。
8日朝日新聞朝刊「オピニオン」欄で、東京大学教授・加藤陽子(http://www4.ocn.ne.jp/~aninoji/)さんのインタビュー記事「真珠湾が教えるもの」が大きく掲載されて、中見出しには、「思惑ずれた日米、対立を解くには豊かな歴史観必要」とも。少々長くなりますが、引用します。
~~~~~~――最終的に開戦の決定を主導したのは誰だったのでしょう
「形としては大本営政府連絡会議と閣議決定によって開戦が決定されたので、軍と内閣双方の一致がありました。しかし、意志決定に至る状況判断において、軍と文官では情報に大きな非対称性があったと思います。東郷外相でさえ、開戦が12月8日で攻撃地点は真珠湾とマレー半島だ、と12月1日まで知らされていませんでした。陸海軍はグル―米国大使がワシントンへ送った電報をはじめ、あらゆる暗号を解読していましたが、軍に不利になる情報は統帥事項として内閣に上げなかった。この点、日清、日露といった過去の戦争が伊藤博文など元老の指導下になされたのとは対照的です」
――専門家が知識を独占していた点では、原発推進の過程と似ているような気がします
「どちらも専門家が無謬性の神話にとらわれ、外部の批判を許さない点で共通しています。軍部は、日露戦争の戦勝を神話化し、自国軍の能力を客観視する目や、欠陥を指摘する人々を排除していきました。原発も安全神話ゆえに、最悪の場合の想定を行わなかったのでしょう」
――戦争回避の失敗から、現在の日本は何を学ぶべきでしょうか
「日本は、背負ってきた近代そのもの、明治以来の歴史全体を否定されたと考えて対米戦争に踏み切りました。原理的な対立が起きた時、どこまで退却しうるか、大正デモクラシー期に戻るか等、具体的な歴史イメージを豊かに持っておくことが大切でした。そうしたイメージを持てない今の日本社会の状況が、昔のこの時代に似ていて心配です」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり
もう一つ、ちょうど読み終えた本、広島県呉市海時歴史科学館(大和ミュージアム:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4585)館長・戸高一成著「海戦からみた太平洋戦争」のまえがきに書かれていました、引用します。
~~~~~~~~~~~~~
・・・・・・、米英海軍、とくに英海軍の根本政策には、「海上交通線の維持」ということが「国土の防衛」ということと並んで、海軍の最大任務とされていることをみたからであった。しかるに、日本海軍は、何かしら海軍自体の純作戦的立場にばかりとらわれていると思われたからであった。・・・・・・・・連合艦隊第一主義と艦隊決戦主義への偏重は、太平洋戦争の展開において、きわめて大きな弊害をもたらした。連合艦隊は早期の艦隊決戦を追求し続け、その作戦が破綻して戦力を使い果たした後は、いたずらに特攻作戦のみによって戦死者を増やすだけに終始した。これは、不十分な想定のもとに原子力発電所の設置を行い、想定外の事象が発生した時の適切な対処を欠いたまま月日を消費している、2011年の状況を思わせるものがある。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり
歴史の考察、失敗から学ぶ姿勢、敗戦までの道すじと3・11以降の原子力発電所爆発事故の経過を検証するお二人のご意見に、私は「我が意を得たり」でした。ここまでの責任者のありさま、情報隠ぺいの常態化、マスメディアの不甲斐なさ、いよいよ国民の怒りは頂点に達しつつあります、そして更に昨日の国会の閉会、何をかいわんや、ですね。議員定数の削減、国家公務員給与の削減等、法律を成立させる立法府の責任を何も果たしていないで2011越年はあり得ないでしょう!
こんな体たらくの今の日本国、それでも私たちは「日本国民」として、「今」、そして「これから」を生きなければなりません。どう凌ぐか、どう新しい時代を創るのか、残っている時間はそれ程ないように思います。
「足利銀行(http://www.ashikagabank.co.jp/)のスピリッツ」として、25年ぶりに「マルニ」バッジが復活しました。
これと相呼応して、ワグナー・ナンドール記念財団(http://www3.ocn.ne.jp/~wagner/TOP.html)理事長・和久奈ちよさんが、この度、足利銀行に「故藤松正憲」ブロンズ像を寄付しました(http://www.shimotsuke.co.jp/town/region/central/mashiko/news/20111025/643499)。故藤松頭取が、財団の和久奈ちよ理事長の実父・二代目秋山康之進(私の祖父)と日本銀行札幌支店長時代から交友があり、ワグナー夫妻が益子町にアトリエを建設(昭和45年)、創作活動に際して親交がありました。ワグナー・ナンドールが、その際の感謝の気持を表現したく足利銀行に寄贈する目的でこのブロンズ像が製作されましたが、在任中は設置がかなわず、数十年を経て本店ロビーでのお披露目となりました。
宇都宮市内にある本店ロビー、玄関を入ってすぐの場所に、控えめに展示されていました。渋沢栄一の孫(娘の子)である明石正三は、足利銀行の役員で、胸像は渋沢青淵記念財団龍門社(現在の公益財団法人渋沢栄一記念財団:http://www.shibusawa.or.jp/)から寄贈されたそうです。
日本の銀行の創始者であり、「論語と算盤」でも有名、経済道徳合一主義の提唱者でもある渋沢栄一の「信為萬事本」の書は、「信を万事の本となす」と読み、山岡鉄舟が西郷隆盛とのやり取りの中で書したものとして知られています。原典は、1060年成立の中国史書「新唐書:http://kodaishi-21.web.infoseek.co.jp/p3-6.html」に由来して、「信とはお互いに信じ合うことであり、すべての物事の根本である」という意味です。
日本の銀行はバブル期から今日まで、本来の信用創造としての間接金融の機能を忘れて、大変な危機を経てきたはずです。破たん、国有化等、いろいろな経緯はありましたが、現在そこからどれ程の教訓を学んだのか、私は「?」と思うばかりです。何が変わったのか、相変わらずの手数料商売のビジネスモデルでは、日本経済の復興、地域経済の活性化は見込めません。元に戻ることだけでは「進化」とは言えませんね、猛省を望みます!!
ところで、宇都宮と言えば「餃子」です。地元の方に伺うと、「みんみん派」と「正嗣派」で人気を二分しているとのこと。これまで「みんみん:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2491」は何回か試していましたので、今回は探し歩いて初めて「正嗣」に、「焼き」と「水」を一つずつでした。
小さなお店(カウンター席10人程度)で、大変安く美味しかったですね。これでやっていけるのかと思いましたが、店に居たわずか20分程度の間に、お客さんがそこで食べる餃子、持ち帰り冷凍餃子、出前の注文等で売れること売れること、100個以上の売り上げはあったのではないかと思われます。店の入口には、「この店には餃子しかありません」の張り紙がありました。
驚くべき「餃子人気」です!
昨日の東京は、昼前に猛烈な豪雨と雷、東京駅丸の内地下街への入り口の階段は、まるで滝のように水が勢いよく流れ落ちていました。そして、今日の午前中の札幌、突然空が暗くなり、同じように雷鳴とどしゃ降りの雨です、今はもうすっかりあがって日差しも出ています。気温も空の様子も、急に、秋の気配です。
「鎮魂」という言葉が、今年のお盆は特に重たいですね、3月の震災の影響か、先日の北海道新聞5回連載記事の余韻かは判りませんが・・・・。この1週間、たくさんの方々とメールのやり取り他、ご意見・ご感想をお寄せ頂き、いつもとはひと味もふた味も違った終戦記念日前後でした、幾つかご紹介致します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<私の叔母から>
記事を繰り返し重い心で読みました。表現できないことが多いですが私だけの感想を簡単にのべてみます。
* ハンガリーとの違い:ハンガリーは戦時中、自国をロシアに蹂躙され、それに応戦するドイツにも国をことごとく破壊されました。したがって国民は国を守る為に戦ったので、敗れても、ひどい目にあったがベストを尽くしたと思っています。ナンドールも故郷が戦場で戦いました。
* 最近テレビドラマで時々戦中、戦後の物語が放映されますが、私(80歳)共の世代から見ると 悲惨な、苦しいことばかり強調されて、クラスメート皆で「楽しいこと、美しいこともいっぱいあったのにねー」と、何か別の世界が映されている感じです。人間として偉い、尊敬する軍人も民間人も多かったです。宏お義兄さんの白い制服に短剣を帯びて、もの静かに歩く姿も神々しい感じでした。今そんな大人が何人いるでしょうか。この頃、民主主義に疑問を持つことが多いです。独裁者は嫌ですが、選挙のシステムなど根本的に考える必要があるように思います。
<永年の友人宛のメールから>
うちのオヤジも満州に行った陸軍二等兵ですが、通信部隊だったそうですが、やはり詳しいことは口をつぐんでいましたが、戦友とは最後まで仲が良かったのと、国(政府)というか権威というものを全く信じなかったことがとても印象に残っています。私の喉に刺さるが如くの小骨だらけの反骨精神もこのへんのオヤジの影響かも知れません。
ビハール号事件は明治の軍隊ではあり得ない事件だと思います。組織も人間も簡単に劣化していくことを無残でかつみじめな形で表した事件だと思いますが、劣化は当然他人事でも昔の話でもありませんので、まさに教訓の宝庫なのでしょう。
事件の主役となった重巡「利根」は、砲弾が散らばらないように艦首部に主砲4基を集中した珍しい艦ですが、被告の黛治夫艦長は、砲撃の理論家でも有名でもあったのでこの記事を読んで驚きました。そんなことがあったのか、です。
海軍はその性格上技術屋の集団(艦という機械と電気で出来た動く設備・装置に乗っかった軍隊)ですので、観念的なことは嫌ったはずですが、理論・理屈でははったりには対抗できず、あちこちに青年将校という名の無責任なはったり屋がはこびりだしてこういうことになっていったのだと思います。本来の責任は戦隊以下の現場(現地部隊)ではなく、艦隊司令部とか連合艦隊司令部などの上級司令部でしょうね。記事では軍令部とありますが、キーマンは艦隊司令長官でしょう、南西方面艦隊の高須中将ですね。
陸軍では有名なビルマの山岳地帯を舞台にしたインパール作戦があります。この作戦は軍事理論無視の無茶苦茶で有名ですが、この話も知れば知るほど怒りがこみ上げてきます。担当した軍司令部とその上の方面軍や南方総軍司令部の現地部隊への無理難題が、多くの将兵を死に追いやった他、作戦を担当した4師団の師団長が命令違反で全員解任されるという、陸軍史上始まって以来の事態を引き起こしました。
こういう陸海軍共通した話は、現代の企業戦士の自殺や過労死に通じる話ではないか、と思っています。その意味ではその昔あった話ではないのですね。われわれには被害、加害を問わず、これらの事件と同じ体質を持っているということだと思います。
<私から知人Aへ>
記事の余韻はまだ続きます。昨日は財団事務所に市内の方から電話を頂き、お父様の介護の時に、秋山愛生舘の関係する方にお世話になり、そのお礼を言いたかったと。また、数日前にはやはりお電話で、お父様が「利根」の乗組員だったそうで、ビハール号事件の時に乗っていたかどうかを確認出来ないかというお問い合わせでした。東京・目黒の防衛研究所・図書館閲覧室をご紹介しました。
<私から知人Bへ>
先日、実は戦史に詳しい方とお話をしました。彼の言では、イギリスの戦犯裁判とアメリカの戦犯裁判とでは、随分その処分が違っていると。アメリカの場合は、「怨念」がかなり強く、捕虜3人の殺害事件に対して、戦犯7人の絞首刑とかもかなりあったそうです。ビハール号事件では、65名の捕虜殺害に対して、幹部とは言え1名の絞首刑、1名の実刑7年判決というのは異例の「軽さ」であり、これは英国の日本海軍への敬いとか歴史の尊重とかと考えることが出来るのでは、という見解でした。手を下した人々が一人も裁かれていないというのも、犠牲になったお二人の「武士道精神」を英国が根底では受けとめたのでは、と。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用おわり
一昨日でしたか、NHK・BSプレミアム(http://www.nhk.or.jp/shogen/)で「シベリア抑留」についての番組がありました。内容は、「戦後、57万を超える日本人が強制労働を強いられた『シベリア抑留』。過酷な収容所の日々、そして戦後日本での苦難。激動の歳月を、人々はどのように生き抜いたのか?」です。
番組HPには、「過酷な労働を強いられ、少なくとも5万5000人以上が命を落としたとされる『シベリア抑留』。苛(か)烈な生存状況を激化させた日本軍組織の矛盾。スターリン体制のもとで行われた旧ソ連の徹底した思想教育。新たな苦難を余儀なくされた冷戦下の戦後日本。60年を超える激動の日々を、人々はどのように生き抜いたのか? 今も、深いかっとうを抱え続ける元抑留者たち。肉声で語るシベリア抑留の記録。」とありました。日本軍の中での葛藤、帰国後の苦難等、見応えがありました。
それぞれの戦争体験、それぞれの想い、いずれも実に重たい話です、特にこの2011年は。鎮魂の8月は続きます。
「未来世代にのこすもの、私たちは何を『決意』したか」をテーマとして、今年も「九条の会:http://www.9-jo.jp/」講演会が東京・日比谷公会堂で2000名を越える参加者で開催されました。一昨年のこの会にも出席しました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1351)。
哲学者の鶴見俊輔さん、作家の澤地久枝さん、憲法学者の奥平康弘さん、作家の大江健三郎さんの4名がそれぞれ30分程度お話をされました。いずれも大変含蓄のある内容で、終了後に振り返ってみても胸に刻まれています。
澤地さんは、「地震列島の上で営む日本人の生活である。今、『運命共同体』の船に乗り合わせて、『世直し』、言い換えれば『革命!』、この国の姿を根本から変える方向へ舵を切るべく、原点とも言えるものが日本国憲法だと思う。戦争放棄の第九条と、生存権にかかわる第二十五条に力をもたせ、それを砦として世の中を変えてゆきたい。私たちが、原発から漏れだす放射線を制御する技術を持ち合わせていないことが明らかになった今、まず、全原発廃止の方向を目指す意思表示から。小田実は、『一人から始める』と書いたそう、しかし、『一人』ではない」、「『独立した個人の人格』こそが価値である」、と満場の聴衆に熱く語り掛けました。
4番目にお話をされた大江さんは、「井上ひさしさんが、この会ではいつもトリをつとめてユーモアあふれるお話でした」と振り返り、やはり自分にはその役回りは荷が重いとも。「Articulate(アーティキュレイト):明瞭に話す」という言葉を引用して、はっきりモノを言って抵抗する姿勢を大切にしたいと、冒頭におっしゃっていました。
~~~日本国憲法の前文~~~~~~~~~~~
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
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前文に2回表現されている「決意した」に、特別の価値を見出したいと。加藤周一、小田実、井上ひさしが相次いで亡くなり、呼びかけた人の数は少なくなるけれど、7500を越える各地の「九条の会」は、それぞれの活動によって勢いを大きくしています。北海道でも、グリーン九条の会(http://green9zyo.blogspot.com/)等多くのユニットで活動しています。
井上ひさしさんの同級の憲法学者・樋口陽一(http://www10.ocn.ne.jp/~sak/higuchi-chosho.html)さんを紹介しながら、「立法事実:立法を必要とする情況」という言葉を引用し、戦争における「加害体験」としての憲法制定事実を思い起こすことの大切さも強調しました。1)とりわけ中国・朝鮮に対して、2)日本軍が国民に対して、3)軍幹部が兵士に対して、の加害体験です。そして、今こそ「決意し」て、再出発の意志を固めよう!と結びました。
最後に事務局長の小森陽一さんが、「九条の会は今年の11月19日で7年を迎えます。ヒロシマ、ナガサキ、第五福竜丸、そしてフクシマへと続く日本から世界への核廃絶の発信を、これからも一層強固に進めていきましょう!」との呼びかけと御礼の言葉で、今年は終了しました。
会場出口で、大江さん、澤地さん、小森さんにご挨拶も出来ました、演者の一つ一つの言葉の深い意味を反すうしながら、日比谷公園をあとに、3・11以降、また新たな出発です!!
先日テレビのニュースで、「Move your money!」運動の紹介をしていました。
http://moveyourmoney.info/audiovideo
バブル崩壊後の日本の金融機関の旧態依然とした状態、リーマンショックで露呈した「金融資本主義」の行き詰まりから、根本的に金融機関の機能改革をする必要があると思います。
この分野で積極的に問題提起をされている田中優さんの発言は、貴重ですね。
http://www.magazine9.jp/interv/tanakayu/tanakayu1.php 、http://tanakayu.blogspot.com/
日本では間接金融としての銀行が、社会起業(コミュニティ・ビジネス、ソーシャル・ビジネス)に対して殆ど支援をしていません。昨年、ノーベル平和賞受賞のモハマド・ユヌスさんが来札された時(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2289)にも、地元金融機関の経営者はほとんど反応がありませんでした。「マイクロファイナンスは発展途上国でのビジネスだろう!」と言って思考停止状態、大いなる誤解に基づく認識が日本・北海道でのマイクロファイナンスの可能性を阻害しています。地域に根差す貢献・企業育成をしなければならない銀行が、手数料収入で大幅黒字となっているとすれば、本来の機能を見失っているとしか言いようがありません。
預金者である私たちは、そんな銀行等の金融機関に対して「No!」を突き付ける手段、それが「Move your money!」だと思います。おとなしい預金者からもの言う自立した市民へと私たちが変身しなければ、今の日本の閉塞状態は打開できません。
今年5月に私は「NPO北海道市民環境ネットワーク(きたネット)http://www.kitanet.org/」の理事長に就任しました。環境系の市民活動には素人の私ですが、北海道各地で活躍する皆さんの中間支援組織の一翼として、少しでもお役に立てればとの思いでお引受け致しました。
先日、定期的に開催している「きたネットカフェ」で、私は6月に訪問したチェコ・ポーランドの旅から、「戦争と環境」というテーマで発表の機会を与えられました。訪問を振り返れば返るほど重たく、発表でも環境との繋がりはむしろ参加された方々からの意見交換で深まったような気がして、私にとっても貴重な場となりました。結論は「戦争は最大の環境破壊」である、そのことに疑いはありません。
当日参加された方から早速ご感想も頂きました。二つだけご紹介します。
Oさんから: 昨日の旅行記、ありがとうございました。重いテーマは、ヘスを含め戦争当事者たちと私たちが地続きにいることへの不安であり、それがもたらす緊張ではなかったかと思っております。「システム」としての戦争と、経済を推進するシステムは表裏一体のようなところもあります。だからこそ、常にブレーキをかける心つもりとそのエネルギーを保持し、維持していなければ後々、悔やむことになるのだと思います。
年寄が戦争を始め、若者が死んで行く理不尽さは「生命(いのち)」を根本のところからとらえていなければ、社会の空気に流されてしまうことも確かかと思います。
Sさんから: 昨日のテーマは何とも重たく、私にとっては軽卒に発言できないと 思いました。あの後、スポーツクラブに寄ってから帰ると深夜になっていましたが、NHK BSで、旧日本兵への取材番組が放映されていました。いずれも90歳前後の方々で、戦場で上官に命じられて敵兵を殺したことを告白したり、あるいは、極限の行軍で病気で苦しむ戦友を楽にするため自ら引き金をひいたことなどを涙ながらに語っていました。その方々は、90歳になってはじめて話したとのことでした。奥さんも子供さんも聞いた事のない話を死ぬ間際に語っ たとのことです。(いずれの方もその後数ヶ月のうちに亡くなった との事です。)彼らは戦争を肯定することはしないが、戦場で死んだ仲間を考えると、過去の戦争が”無意味だった”とは絶対言えないということです。それを言ってしまっては彼らはムダ死にをしたことになるから。そして、生き残って戻って来てしまったことに複雑な想いを感じているようです。品川さんの話にも通じています。
経済的利益が主導する人類の暮らしの価値観を転換させないと戦争というのは無くならないものなのでしょうか?
沢山の方々にお集り頂き、真剣な意見交換のひと時に心から感謝申し上げます。戦争体験者ゆえに戦争を語れない、その事を云々言う前に、戦争体験の無い者ゆえに伝えることが出来る、或いは伝える責任がある、そう考えることも出来るとは思いませんか。