真珠湾が教えるもの

Posted By 秋山孝二
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 今年の12月は真珠湾攻撃から70年、11日は東日本大震災から9カ月の節目です。師走を迎えると、この一年を振り返りたくなりますね。

 私にとって「2011」という年は、「戦争」に向き合った一年として強く記憶に残ると同時に、大きく前へ踏み出しました。この数年のポーランド・中国北東部訪問で体験した戦争責任の検証(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%84)、「ビハール号事件」の調査(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%83%93%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%8F%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6)、そして今年8月の北海道新聞の5回に渡る終戦特集連載記事(201188-12e98193e696b0e38393e3838fe383bce383abe789b9e99b86efbc88e7b78fefbc89)等です。更に、3・11の大震災後の対応を目の当たりにして、国難に対する「責任の所在の不明確さ」も、戦争責任と酷似すると感じていました。

 8日朝日新聞朝刊「オピニオン」欄で、東京大学教授・加藤陽子(http://www4.ocn.ne.jp/~aninoji/)さんのインタビュー記事「真珠湾が教えるもの」が大きく掲載されて、中見出しには、「思惑ずれた日米、対立を解くには豊かな歴史観必要」とも。少々長くなりますが、引用します。

~~~~~~――最終的に開戦の決定を主導したのは誰だったのでしょう

「形としては大本営政府連絡会議と閣議決定によって開戦が決定されたので、軍と内閣双方の一致がありました。しかし、意志決定に至る状況判断において、軍と文官では情報に大きな非対称性があったと思います。東郷外相でさえ、開戦が12月8日で攻撃地点は真珠湾とマレー半島だ、と12月1日まで知らされていませんでした。陸海軍はグル―米国大使がワシントンへ送った電報をはじめ、あらゆる暗号を解読していましたが、軍に不利になる情報は統帥事項として内閣に上げなかった。この点、日清、日露といった過去の戦争が伊藤博文など元老の指導下になされたのとは対照的です」

――専門家が知識を独占していた点では、原発推進の過程と似ているような気がします

「どちらも専門家が無謬性の神話にとらわれ、外部の批判を許さない点で共通しています。軍部は、日露戦争の戦勝を神話化し、自国軍の能力を客観視する目や、欠陥を指摘する人々を排除していきました。原発も安全神話ゆえに、最悪の場合の想定を行わなかったのでしょう」

――戦争回避の失敗から、現在の日本は何を学ぶべきでしょうか

「日本は、背負ってきた近代そのもの、明治以来の歴史全体を否定されたと考えて対米戦争に踏み切りました。原理的な対立が起きた時、どこまで退却しうるか、大正デモクラシー期に戻るか等、具体的な歴史イメージを豊かに持っておくことが大切でした。そうしたイメージを持てない今の日本社会の状況が、昔のこの時代に似ていて心配です」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

 

 もう一つ、ちょうど読み終えた本、広島県呉市海時歴史科学館(大和ミュージアム:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4585)館長・戸高一成著「海戦からみた太平洋戦争」のまえがきに書かれていました、引用します。

~~~~~~~~~~~~~

・・・・・・、米英海軍、とくに英海軍の根本政策には、「海上交通線の維持」ということが「国土の防衛」ということと並んで、海軍の最大任務とされていることをみたからであった。しかるに、日本海軍は、何かしら海軍自体の純作戦的立場にばかりとらわれていると思われたからであった。・・・・・・・・連合艦隊第一主義と艦隊決戦主義への偏重は、太平洋戦争の展開において、きわめて大きな弊害をもたらした。連合艦隊は早期の艦隊決戦を追求し続け、その作戦が破綻して戦力を使い果たした後は、いたずらに特攻作戦のみによって戦死者を増やすだけに終始した。これは、不十分な想定のもとに原子力発電所の設置を行い、想定外の事象が発生した時の適切な対処を欠いたまま月日を消費している、2011年の状況を思わせるものがある。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

 

 歴史の考察、失敗から学ぶ姿勢、敗戦までの道すじと3・11以降の原子力発電所爆発事故の経過を検証するお二人のご意見に、私は「我が意を得たり」でした。ここまでの責任者のありさま、情報隠ぺいの常態化、マスメディアの不甲斐なさ、いよいよ国民の怒りは頂点に達しつつあります、そして更に昨日の国会の閉会、何をかいわんや、ですね。議員定数の削減、国家公務員給与の削減等、法律を成立させる立法府の責任を何も果たしていないで2011越年はあり得ないでしょう!

 こんな体たらくの今の日本国、それでも私たちは「日本国民」として、「今」、そして「これから」を生きなければなりません。どう凌ぐか、どう新しい時代を創るのか、残っている時間はそれ程ないように思います。

One Response to “真珠湾が教えるもの”

  1. 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 海戦からみた日本の戦争、優れた二冊! Says:

    [...]  今年は、私にとって「戦争」と向き合った記憶に残る年となりました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11094)。今月11日にも書きましたが、「日本海軍の変遷」から検証して、新しい気づきがありました。 [...]