遺影の前で思うこと

Posted By 秋山孝二
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 毎日様々な目の前の出来事に対処しながらふとした時に、これまで亡くなった人々を思い出します。

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 そんな中で、仏壇のある部屋に掲げてある親族の遺影を前にすると、これまでのリアルな思い出がフラッシュバックすると同時に、いつも見守られている気にもなりますね。5人家族で姉・兄がいた末っ子としての私は、幼い頃から祖父母、伯父伯母と同居の大家族でしたので、今はもう誰もいなくなりました、これも末に生まれた私の為せる状況なのでしょう。

<この間の親族の旅立ち>

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 特にこの数年間は、相次ぐ旅立ちでその喪失感は拭い難いのですが、遺影をじっと見つめていると大きな力を得るような気持ちもあったり。

 ただ来し方をノスタルジックに眺めるだけでなくふと我に返ると、子供たち・孫たちの新しい世代の力強い胎動も感じます。多くの親族に見守られながら、新しい時代に希望を託しながら、自らの人生を歩む、昨今は「生きる」だけではなく「生ききる!」という言葉が心に響きます、長さではなく「生きがい」を持って自らの人生を納得のいく形で「生ききる」ようなニュアンスでしょうか、適切で上手な表現ができませんが。

 引き続き頭を上げて一歩ずつ前に進みたい、そんな今の心境です。

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